額賀福志郎
| 生年月日 | 1944年1月11日(68歳) |
|---|---|
| 出身地 | 茨城県 |
| 出身校 | 早稲田大学第一政治経済学部 |
| 学位・資格 | 経済学士 |
| 前職 | 産経新聞社記者 茨城県議会議員 |
| 所属委員会 | 経済産業委員会 |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | (旧茨城1区→) (茨城2区→) 比例北関東ブロック(茨城2区) |
| 当選回数 | 9回 |
| 所属党派 | 自由民主党(額賀派) |
| 党役職 | 税制調査会副会長 |
| 会館部屋番号 | 衆議院第2議員会館824号室 |
| ウェブサイト | 額賀 福志郎 |
額賀 福志郎(ぬかが ふくしろう、1944年1月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(9期)。
防衛庁長官(第60・72代)、経済企画庁長官(第58代)、経済財政政策担当大臣(初代)、財務大臣(第7・8代)、自由民主党政務調査会長(第45代)、内閣官房副長官(第2次橋本改造内閣・小渕再改造内閣)等を歴任した。
「福」の字は、偏を「示」(縦棒は撥ねない)と書くのが正式とされる。
目次 |
[編集] 経歴
茨城県行方郡小高村(後の麻生町・、現行方市)生まれ。父・額賀万寿夫は地元の森林組合長や村議会・町議会議員を務め、橋本登美三郎の後援会・西湖会の幹部でもあった。佼成学園高等学校、早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。佼成学園高等学校への進学は、立正佼成会の信徒であった額賀の母の希望だったといわれる。早大在学中は雄弁会に所属。卒業後は産経新聞社に入社し、記者として静岡支社、本社経済部、政治部に配属される。政治部では三木武夫や田中派の番記者であった。
1978年、産経新聞社を退社。同年12月、茨城県議会議員選挙に地元・行方郡選挙区から出馬し、初当選を果たした。出馬に際しては父も後援会幹部だった橋本登美三郎の支援を受けた。1983年、前回の選挙で落選した橋本の地盤を引き継ぎ、第37回衆議院議員総選挙に旧茨城県第1区から出馬。この時は自由民主党の公認を得られず無所属で出馬したが、党茨城県連の推薦を受けて4位で初当選し、追加公認を受けた。当選後はかつて番記者を務めていた田中派に所属するが、竹下登が派を割る形で創政会を結成した際はいち早く竹下の下に馳せ参じた。
1997年、第2次橋本改造内閣で内閣官房副長官に起用される。翌1998年、小渕内閣で防衛庁長官に任命され初入閣を果たすが、防衛庁調達実施本部背任事件をめぐって同年10月16日に参議院で額賀に対する問責決議案が可決され(当時自民党は参院で単独過半数を占めていなかったため)、11月に防衛庁長官を辞任に追い込まれた。なお、このスキャンダルをめぐり多くの防衛庁幹部が引責辞任したため、額賀は当時防衛施設庁施設部長だった守屋武昌を、防衛庁長官官房長に抜擢している。
1999年、小渕再改造内閣で再度、官房副長官に就任。2000年、第2次森改造内閣で経済企画庁長官に任命され、2度目の入閣を果たした。2001年11月の省庁再編により、初代経済財政政策担当大臣に就任する。しかしKSD事件をめぐり、KSDから1500万円の献金を受領していたため、2度目の閣僚辞任を余儀なくされる。
小泉純一郎の自由民主党総裁就任後、小泉によって「抵抗勢力」の急先鋒に仕立て上げられた橋本派は厳しい立場に追い込まれるが、額賀自身は2003年に自由民主党政務調査会長に起用されている。政調会長時代には、自民党政権の聖域であった税制調査会の改革に踏み切り、長老クラスの税調メンバー(インナー)による非公式幹部会の廃止を要請。ベテラン議員だけで税制が最終決定される、党税調の閉鎖的な仕組みの廃止に踏み切った。2005年には第3次小泉改造内閣で再度防衛庁長官に任命される。この間、派内のライバルであった鈴木宗男が汚職で、藤井孝男が郵政民営化法案採決での造反により離党したため、橋本派を引き継いだ津島派で唯一、総裁候補に目される存在になった。ポスト小泉をめぐる2006年自由民主党総裁選挙への出馬にも意欲を見せていたが、久間章生らの反対により立候補を見送った。
2007年、安倍改造内閣で財務大臣に任命される。額賀は経済企画庁長官や経済財政政策担当大臣を務めた経験があるが、財務省にはあまり縁がなかったため、額賀の財務相起用は財務省からもやや意外性をもって受け止められた。しかし、安倍は内閣改造後間もなく突然辞意を表明し、額賀は「私は先頭に立つつもりです」と、安倍の後継総裁を選出する2007年自由民主党総裁選挙への出馬を示唆したが、福田康夫の出馬が伝えられると、津島派の石破茂や船田元は福田を、また鳩山邦夫や久間章生は同じく出馬を表明していた麻生太郎幹事長への支持を表明したため、額賀自身は福田と政策協定を結ぶ形で出馬を断念した。福田康夫内閣でも財務大臣に再任され、翌年の内閣改造に伴い退任。福田首相辞任に伴う2008年自由民主党総裁選挙では、津島派から石破茂が出馬する一方、前参議院議員会長の青木幹雄は与謝野馨を支持した。
2009年7月19日津島派代表の津島雄二が突如、次期総選挙に出馬しない意向を表明した[1]。
同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、当初茨城2区の民主党候補者の選定が遅れたため額賀の優勢が伝えられていたが、民主党新人の石津政雄に敗れ、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し、9回目の当選を果たす。なお額賀が小選挙区で落選したのはこの選挙が初めてである。選挙後、津島派幹部会で会長に指名され[2]、この決定が9日の津島派臨時総会で了承され[3]、会長に就任。
[編集] 政策・主張
- 防衛庁長官在任中、小泉純一郎首相から一任を受けて対応に当たることになった普天間基地移設問題では普天間基地返還に伴う代替施設としては様々な複数の案が出ては消えていって方針が定まらなかった中で、辺野古沿岸部埋め立てにおける基地建設を提言。現地視察による沖縄関係者や米国政府要人との対談を経て、離陸用と着陸用の滑走路を分けて住宅地上空を外れることで騒音軽減を図る「V字型滑走路案」(発案は守屋次官と言われている)を出し、2006年に名護市長とアメリカの合意を取り付け、普天間基地返還の具体化に道筋をつけた。
- 過去2回の防衛庁長官在任中、いずれも北朝鮮によるミサイル発射に遭遇している(1998年・2006年)。2006年7月5日の未明に発生した北朝鮮によるミサイル発射事件の発生を受けて、敵基地攻撃能力の保有を検討すべきと述べた(自衛戦争論)。
- 2007年5月「巡航ミサイル・トマホークのような精密誘導兵器の保有が必要か議論し、合理的な結論を出さければならない」「多数の弾道ミサイルで何度も攻撃を受ける場合、BMDだけに依存した防衛が完璧かどうかは検討しなければならない」と述べ、米国の打撃力を補完し、敵からのミサイル攻撃を積極的に防御する能力としてトマホークをあげた。
- 2008年2月、東京で行われた先進国財務相会議では議長を務め、共同声明において「財政上の措置で国内エネルギー価格を人為的に引き下げることは避けるべき」と述べた。この声明はガソリン国会において、ガソリン税の暫定税率維持のために議長特権で挿入されたと指摘があったが、額賀は「参加国の総意として掲げた」として議長特権を否定した。また民主党の政局戦術の影響で4月にガソリンの値段が大幅に引き下げられた際に、財務大臣として道路予算削減か暫定税率復活か迫られた際には、早期の暫定税率復活を求める方針を示して、5月に暫定税率を復活させた。
[編集] 人物像
派手なパフォーマンスを好まず、口の堅さと生真面目さに定評がある。穏やかな話し方をし、感情的になることはほとんどない[4]。大物政治家になる人間へ気を配る過程で出世していき、商工・防衛政策に通じて早くから総裁候補と目されてきたが、後輩政治家の面倒見が悪かったり自身が出世して大物幹部になると地元にあまり帰らなくなるという悪評がある他、スキャンダルで脇の甘さを指摘されることがマイナス点に見られた。
無派閥時代が長かった鈴木宗男が1993年に小渕派に所属した訳を聞かれると「小渕派には自分の世代が極端に少ないんだ。あとは額賀くらいで、これはどうにでもなる」と答え、額賀は鈴木から軽く見られていた。しかし、1994年6月の首班指名で鈴木が党議に逆らって海部俊樹に投票して党内と派閥内で孤立した際、額賀は孤立した鈴木の擁護に回った。そのことで鈴木は額賀に恩義を感じ、一目を置くようになった[5]。
[編集] 疑惑・不祥事
[編集] 山田洋行から接待
守屋武昌元防衛事務次官が、防衛省を納入先とする軍需商社山田洋行の宮﨑元伸元専務から、倫理規定に反して多額のゴルフや飲食の接待を受けていた問題で、2007年10月29日の衆議院に続き、11月15日の参議院外交防衛委員会での証人喚問に応じた守屋は、自身が宮﨑から料亭で接待を受けた際、額賀と久間章生元防衛大臣が同席していたことを明らかにした(山田洋行事件)。
守屋の証言によると、会合は国防総省の元日本部長が来日した際、神田の料亭で開かれ、守屋が到着すると、すでに宮﨑がおり、その後額賀が顔を出したが、一番先に引き揚げたという。額賀は、守屋の証人喚問当日の午後、財務省内で記者団の質問に応え、「記憶にない」とした上、これまでも、10月30日の大臣記者会見[6]や、11月7日の衆議院テロ防止・イラク支援特別委員会での民主党・川内博史衆議院議員の質問[7]に対しても、宮﨑側から接待や招待を受けたことはないと証言しており、守屋の主張と食い違う結果となっている。
同年11月19日の参議院決算委員会に閣僚として額賀が出席したが、この委員会は額賀にとって事実上の参考人招致の場となった。後に触れる防衛庁調達実施本部背任事件や防衛施設庁談合事件などともに現役閣僚になると防衛スキャンダルが発覚する印象が持たれ、党内の印象が悪化した。
額賀は2002年~2006年の間に山田洋行にパーティー券約220万円分を購入してもらったことを明らかにした。この守屋の証言や、公訴時効が成立していたとはいえ2000年時の口利き証言を受け、民主党は、参議院の決算委員会や外交防衛委員会で、新テロ特措法案の審議よりも優先して追及したが、額賀は同席疑惑を完全に繰り返し否定し、野党側は11月27日に、参議院財政金融委員会において、全会一致の慣例を破り、野党単独の賛成多数で12月3日の外交防衛委員会での額賀の証人喚問を決定した。だが、その後、守屋が東京地検に逮捕されるとともに、与党側が参議院議長に証人喚問の中止を求めたため、証人喚問は見送られた。国会で常時質疑ができる現職閣僚の証人喚問は極めて異例であり、額賀の喚問が実現すれば現役閣僚の証人喚問としては1958年9月の左藤義詮防衛庁長官の喚問以来で49年ぶりとなっていた。2008年1月、守屋前次官が証人喚問での証言に偽証があったとして国会から偽証罪として告発された。
[編集] 防衛庁問題
防衛庁長官在任中に防衛庁調達実施本部背任事件が表面化し、対応の遅れを指摘され参議院で問責決議を可決され、辞任を余儀なくされた。防衛庁長官に返り咲いた2006年に防衛施設庁談合事件が発覚し、前回と似たような事態に直面。辞任は免れたものの、不運な面も見られた。
山田洋行事件が発生した2007年11月20日には、財務大臣だった額賀が2000年(当時内閣官房副長官)に、仙台防衛施設局発注工事の競争入札で、山形県の建設会社を指名業者として入れるように防衛庁(当時)側に口利きした疑惑が当時の仙台防衛施設局長太田述正の証言により浮上(この口利きは仮に違法行為だったとしても、太田が証言した時点では公訴時効が成立している)。額賀は同日の定例閣議後の会見で完全否定した。
[編集] KSD事件
KSD事件が発覚した際にはKSDから政治献金を受け取っていたことが発覚。立件はされなかったものの、経済財政政策担当大臣を辞任を強いられることになった。
「KSD事件」も参照
[編集] 事務所の未登記
額賀が代表を務める自由民主党茨城県第二選挙区支部が、茨城県行方市の事務所を1997年11月に新築したものの登記せず、そのまま使用し続けるという違法行為が発覚した[8]。
2007年8月28日、額賀の支部の事務所が未登記状態だったことが明らかとなった。政治資金収支報告書上には事務所の建物を記入していたが、登記自体は怠っていたとされる。なお、自由民主党茨城県第二選挙区支部によると、登記を怠っていたこと自体は認めているが、固定資産税自体は支払っているとしている。
[編集] 所属団体・議員連盟
- 日韓議員連盟(副会長)
- 世界連邦運動推進団体・世界連邦日本国会委員会第10代事務総長
- 消費者金融など貸金業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)から政治献金を受けていると日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は伝えた[9] 。
[編集] 著書
- 『大都市再生の戦略―政・産・官・学の共同声明』 ISBN 4-657-00522-7
- 『地方都市再生の戦略―政・産・官・学の共同声明』 ISBN 4-657-01928-7
[編集] 脚注
- ^ 津島派会長引退、後継は額賀元財務相中心に 2009年7月19日読売新聞閲覧
- ^ 自民党:津島派会長に額賀福志郎氏
- ^ 自民党:津島派新会長に額賀氏就任を了承
- ^ 守屋武昌『「普天間」交渉秘録』(新潮社)
- ^ 北海道新聞 虚実「鈴木宗男」を追う
- ^ 「額賀財務大臣閣議後記者会見の概要」2007年10月30日 - 財務省
- ^ 「衆議院インターネット審議中継 -ビデオライブラリ」2007年11月7日(水)テロ防止・イラク支援特別委員会 民主党・無所属クラブ 川内博史
- ^ 「2007/08/28-20:09――額賀財務相代表の自民支部、10年未登記=新築後の建物、「業者任せ」――茨城」『時事ドットコム:記事検索本文』時事通信社、2007年8月28日。
- ^ パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日
[編集] 外部リンク
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 久間章生 |
1996年 - 1997年 |
次代: 村上誠一郎 |
| 官職 | ||
| 先代: 尾身幸次 |
第7・8代:2007年 - 2008年 |
次代: 伊吹文明 |
| 先代: 久間章生 大野功統 |
第60代:1998年 第72代:2005年 - 2006年 |
次代: 野呂田芳成 久間章生 |
| 先代: 創設 |
初代:2001年 |
次代: 麻生太郎 |
| 先代: 堺屋太一 |
第58代:2000年 - 2001年 |
次代: 経済財政政策担当大臣へ移行 |
| 先代: 鈴木宗男 |
1999年 - 2000年 |
次代: 安倍晋三 |
| 先代: 与謝野馨 |
1997年 - 1998年 |
次代: 鈴木宗男・上杉光弘 (政務担当2人制) |
| 党職 | ||
| 先代: 麻生太郎 |
自由民主党政務調査会長 第45代:2003年 - 2004年 |
次代: 与謝野馨 |
| 先代: 津島雄二 |
平成研究会会長 第5代:2009年 - |
次代: 現職 |
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