竹中平蔵

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日本の政治家
竹中 平蔵
たけなか へいぞう
竹中平蔵
生年月日 1951年3月3日(58歳)
出生地 日本和歌山県和歌山市
出身校 一橋大学経済学部卒業
前職 慶應義塾大学総合政策学部教授
現職 慶應義塾大学
グローバルセキュリティ研究所所長
慶應義塾大学大学院
メディアデザイン研究科教授
所属政党 無所属(- 2003年)→
自由民主党(2003年 - 2006年)→
無所属(2006年 - )
称号 博士(経済学)大阪大学1994年
世襲の有無
配偶者 竹中節子
公式サイト 竹中平蔵 公式ウェブサイト

日本の旗 第6代 総務大臣
内閣 第3次小泉改造内閣
任期 2005年10月31日 - 2006年9月26日

日本の旗 内閣府特命担当大臣
(経済財政政策担当)
内閣 第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
任期 2003年9月22日 - 2005年10月31日

日本の旗 内閣府特命担当大臣
(金融担当)
内閣 第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣
任期 2003年9月22日 - 2004年9月27日

内閣 第1次小泉第1次改造内閣
任期 2002年9月30日 - 2003年9月22日

内閣 第1次小泉内閣
第1次小泉第1次改造内閣
任期 2001年4月26日 - 2003年9月22日

その他の職歴
日本の旗 参議院議員
(2004年7月26日 -2006年9月28日
  

竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年3月3日 ‐ )は、日本経済学者政治家学位博士(経済学)大阪大学1994年)。慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所所長・大学院メディアデザイン研究科教授

参議院議員(1期)、経済財政政策担当大臣金融担当大臣内閣府特命担当大臣(金融担当)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)、総務大臣第6代)等を歴任。

目次

[編集] 経歴

[編集] 生い立ち

1951年和歌山県和歌山市にある商店街の下駄屋の次男として生まれる[1]。実兄の竹中宣雄はミサワホーム社長。

1969年和歌山県立桐蔭高等学校卒業後、近代経済学を学ぶには一橋がいいとの倫理社会の教諭のアドバイスに従い、一橋大学経済学部に入学[2]1973年、同卒業(山澤逸平ゼミナール)。なお当初は小島清ゼミナールへの参加を希望していた。大学時代はマンドリンクラブに所属し、そこで津田塾大学に通っていた節子夫人と知り合い結婚した。

[編集] 博士取得まで

1973年、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。1977年、同設備投資研究所勤務、1981年ハーバード大学ペンシルベニア大学客員研究員。ハーバード大学留学中は設備投資に関する合理的期待の実証研究を行った。1982年大蔵省財政金融研究室(後の大蔵省財政金融研究所)に出向し、次席主任研究官となる。当初2年の予定だったが、行動力がありローレンス・サマーズジェフリー・サックスの知り合いだった竹中を気に入った長富祐一郎次長(元大平正芳総理大臣首席補佐官)の希望で、5年間研究官を務める。長富は、日本開発銀行から研究所への移籍もすすめたが、断る[3]

同研究所在籍中の1984年には留学中の研究成果をまとめた『開発研究と設備投資の経済学』(東洋経済新報社 1984年7月)と題す著作でサントリー学芸賞を受賞(ただし佐々木実『竹中平蔵 仮面の野望(前編)』(月刊現代2005年12月号)では当時の設備投資銀行の同僚の鈴木和志氏(現在明治大)や日本開発銀行での同僚高橋伸彰(現在立命館大)の実証分析の結果を無断で使用していた事実が指摘されている[4])。当時の同研究所は、上司として次長(当時)の長富祐一郎や筆頭主任研究官(当時)の吉田和男が、同僚として植田和男高橋洋一がいた創設期の黄金時代であった。

本間正明の誘いで[5]1987年大阪大学経済学部助教授に就任。以降研究者としての道を歩む。しかし、母校の一橋大学に前述した論文『開発研究と設備投資の経済学』を提出し経済学博士の取得を試みたものの、「あまりに初歩的すぎる」などとの意見が出て教授会での審査に不合格となる。この教授会の決定について、竹中の指導教官であった山澤逸平(一橋大学名誉教授)は、一橋大の失態であると後年述べている[6]。1994年、大阪大学にて博士(経済学)を取得(論文名『日本経済の国際化と企業投資』)。

[編集] 博士取得後

1989年、日本開発銀行を退職、ジェフリー・サックスの誘いでハーバード大学客員准教授及び国際経済研究所客員フェローに就任。1990年に経済学者で後に「政府税制調査会」の会長となる加藤寛に誘われ、慶應義塾大学総合政策学部助教授に就任[7]1993年アメリカ合衆国に移住。コロンビア大学のビジネススクールにある「日本経営研究センター」(所長:パトリック・ヒュー[Patrick,Hugh]教授)の客員研究員になる[8]1996年に帰国、同年、慶應義塾大学の教授に就任。

日本財団の交付金で設立された基本財産が397億円のシンクタンク東京財団の理事に1997年に就任、1998年、同常務理事、1999年、同理事長。1998年に東京財団内に設けられた「インテレクチュアル・キャビネット政策会議」には、総理に香西泰(後に政府税制調査会会長)、官房長官に島田晴雄(慶應大教授)と竹中、財政担当大臣に本間正明(大阪大教授、後に政府税制調査会会長)と吉田和男(京都大教授)、金融担当大臣に池尾和人(慶應大教授)と岩田一政(東京大教授、後に日本銀行副総裁)らが名を連ねた。これは実質竹中による、政策会議で、自民党議員との交流会も頻繁に開かれ、竹中の紹介で小泉純一郎と会ったメンバーも多くいた[9]

また日本興業銀行経営アドバイザーや、フジタ未来経営研究所理事長、アサヒビール社外取締役等も務めた。

[編集] 小渕政権

1998年7月の小渕内閣発足により設置された経済戦略会議(議長:樋口廣太郎)の委員を、樋口の誘いを受け務める。同会議には中谷巌も参加しており、中谷が同会議の実質的リーダーだったという[10]

日本の短期経済政策には金融健全化と大胆な財政出動を伴う追加的景気政策が必要とし、内閣総理大臣小渕恵三に対し「10兆円を大きく上回る規模の追加的財政出動」などを提言した[11]。その後、「日本経済再生への戦略」と題した答申を発表した[12]

[編集] 森政権

森内閣発足により設置されたIT戦略会議にて委員を務める。そのときの委員には出井伸之らがいた。内閣総理大臣森喜朗が推進するe-Japan構想に対しさまざまな提言を行った。

[編集] 小泉政権

2001年第1次小泉内閣において、民間人閣僚として経済財政政策担当大臣2002年第1次小泉内閣第1次改造内閣においても経済財政政策担当大臣に留任し、金融担当大臣も兼任する。2003年第1次小泉内閣第2次改造内閣においても留任、内閣府特命担当大臣として金融、経済財政政策を担当。2004年7月、第20回参議院議員通常選挙自民党比例代表で立候補し70万票を獲得しトップ当選(史上唯一人の現職民間人閣僚たる新人参院候補)[13]。同年9月、第2次小泉改造内閣において、参議院議員として内閣府特命担当大臣(経済財政政策)・郵政民営化担当に就任。小泉内閣の経済閣僚として、日本経済の「聖域なき構造改革」の断行を標榜する。2005年9月、 第3次小泉内閣においても役職はそのまま留任。同年10月、第3次小泉改造内閣においては総務大臣兼郵政民営化担当大臣に就任。NHK民営化にも乗り出したが、首相の小泉純一郎が民営化に否定的な見解を示した為、頓挫する。2006年9月15日、任期を4年近く残し政界引退を表明。同年9月28日、参議院本会議で辞職許可(これに伴い神取忍が比例繰上当選)。同年11月1日、自民党党紀委員会において9月29日に提出していた離党届が了承された。さらに同日、慶應義塾大学に復帰することが明らかにされた。竹中が閣僚として参加していた期間の実績として「日本の一人当りGDP(為替レート, 購買力平価(PPP)ベース)」の推移を見てみると、就任前の 2000年には世界3位であったが、5位(2001年)、7位(2002年)、10位(2003年)、11位(2004年)、14位(2005年)、18 位(2006年)となっている。国連開発計画(UNDP) の人間開発指数HDI : Human Development Index)の推移を見てみると、就任前に0.933(9位,2000年)であったものが、0.932(9位,2001年)、0.938(9位,2002 年)、0.943(11位,2003年)、0.949(7位,2004年)、0.953(8位,2005年)、となっている(2006年はまだ発表されていない)。「一人当りGDP」は下落したものの、HDIでみると国民の「平均寿命」と「識字率」に支えられて横這いで推移したことが見てとれる結果となっている。

[編集] 政界引退後

2009年1月28日世界経済フォーラム年次総会にて南アフリカ共和国財務大臣トレヴァー・マニュエル(左)、『タイム編集者ミカエル・エリオット(右)と

政界引退後の現在は、慶應義塾大学教授の他、「日本経済研究センター」特別顧問、「アカデミーヒルズ」理事長、「パソナ」特別顧問・アドバイザリーボード、関西大学客員教授を務めている。河野太郎山本一太世耕弘成らが結成した勉強会「プロジェクト日本復活」では顧問に就任している。

竹中が経済政策の舵取りを行ってきた小泉政権下で、日本経済が堅実な成長を示したことは事実であるが、一方ではこのころから日本での地域経済格差が社会問題化し始めるようになった。しかし、竹中は在任中一貫して緊縮財政を貫いた。このことは、地域間、ひいては個人間格差の拡大を放置したものとして、否定的に受け止められることも少なくない。自民党が2007年の第21回参議院議員通常選挙で惨敗した理由のひとつには、地方での自民不信が伺える。

このような事情もあって、竹中の経済施策は、安倍・福田政権には引き継がれなかった。その後の世界金融危機に伴って、日本でも経済の停滞がみられているが、竹中は「日本の経済がなかなか元気にならないのは改革をやり過ぎたからではなく、改革を止めてしまったからだ。郵政民営化や、政策投資銀行である商工中金の民営化を決めた2005年には、改革が進むということで、一年間で日本の株価は42%上がった。日本にはそれだけの技術、資本、人材もあるから、改革をすれば、日本の株価は上がる。ところが改革をしないと期待成長率が下がって、2007年みたいに株価が11%も下がってしまった。2007年のアメリカもサブプライム問題で揺れながらも、株価は上昇していた。政治的に改革をしたくない既得権益者の政治的キャンペーンに、日本中がこの二年間で染まってしまった[14]」と、停滞の一因を改革への反動に求める意見を表明している。

一方で、竹中が推し進めた新自由主義グローバリズム、アメリカ追従を基調とした経済政策の負の部分(規制緩和による業界秩序の崩壊、外資系金融企業の参入等)が、2008年後半にいたり金融不安などにより強調・問題視される事態となった。そのため、竹中が行ってきた郵政民営化などの政策の否定や転換を模索する動きが、自民党主流すなわち麻生内閣やかつての盟友である小泉内閣閣僚経験者からも強まっている。

[編集] 政策

[編集] 税制

戦後日本の極端な累進課税制は”悪しき結果平等”の価値観を普及させたとして、資本・労働など生産要素に対する課税を大幅に低下させ、かつ税率をフラット化する「フロンティア型の税制」を推奨しており、各労働の潜在能力を積極的に発揮させる意味で、所得税の最高税率を引き下げることが緊急の課題であるとしている[15]。また、将来的には、収入に関係なく一律に課税する人頭税へ切り替えることを視野に入れた議論を行うことも必要だとしている[15]

[編集] 格差問題

今日の格差批判は「金持ちはけしからん」という社会主義的格差感であり[16]、「金持ちを貧乏人にしたところで、貧乏人が金持ちになるわけではない」という第71代英国首相マーガレット・サッチャーの言葉を引用して、高い所得を得ている人がいること自体は解決すべき問題ではなく、努力しても貧しい人たちに社会的救済が必要であると述べた。ゆえに格差論ではなく、貧困論を政策の対象にすべきとしている[7]。また、「格差ではなく、貧困の議論をすべきです。貧困が一定程度広がったら政策で対応しないといけませんが、社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはないと思います。」[17]と述べた。

非正規雇用については、正社員と非正社員の区別自体が妥当でない、オランダのように全員を正社員にするべきであると述べた。そのとき正社員個人の所得は低下するが、日本では正社員のほとんどは必要以上の所得を得ていることを指摘した[16]。また、「問題は、今の正規雇用に関して、経営側に厳しすぎる解雇制約があることだ」と主張し、(解雇制約を撤廃する)「新たな法律を制定することが必要だ」と述べている[18]。「安部晋三内閣で同一労働同一賃金をやろうとしたが、財界労働組合の反対で頓挫した」とし、格差社会の改善には改革が急務であると述べている。

[編集] アメリカ追従の経済政策

郵政民営化など、竹中が進めた経済政策について、「アメリカのいいなりの経済政策を行っている」という批判に対し、竹中は「民間でできることは民間でやることが国民や国全体のためになるという思いでやっている」、「アメリカのためにやるなどと考えたこともない」などと答弁した[19]。また、「規制緩和既得権を失う人たちが、私のことを憎いと思って、そういう感情的なレッテルを無理矢理貼っている。これは抵抗勢力の常套手段です」とも発言している[20]。ノーベル賞経済学者ジョセフ・E・スティグリッツJoseph E. Stiglitz)から寄せられた批判では、ワシントン・コンセンサスの実現によって「格差社会」が世界中に広がっているとされ、その中で竹中の経済政策も槍玉に挙げられた。このように「既得権を失う人たちが感情的なレッテルを無理矢理貼っている」という竹中の主張に対しては国外からも異論が上がっている。

郵政民営化は米国政府からの「年次改革要望書」などで示されるアメリカの要望に基づいたものではないかという指摘に対し、竹中は「だれがどうこう言ったからということではなくて、国民の経済厚生を高めるために改革を行うという点に基づいて私は改革を進めている」[21]、「郵政の問題について外国の方から直接要望を受けたことは一度もない」と言いながらも、国会では、竹中の経済財政担当大臣再任を祝う米国通商代表ロバート・ゼーリックからの竹中宛の手紙が紹介された。その中でゼーリックは、竹中の大臣としての仕事を讃え、郵政民営化において米国は密接な協力を続けることを望んでいることなどを述べている[22]

[編集] 発言

[編集] 「ETFは絶対儲かる」発言

2003年2月7日、閣僚懇談会において、各閣僚に上場投資信託(ETF)を積極的に購入するよう要請した同日の記者会見において、記者からETFを買いますかと問われた際、絶対もうかるから買うという趣旨の発言をした。

この竹中の発言は、金融市場を監督する金融担当大臣であるにもかかわらず特定の金融商品の有利性を喧伝している、ETFは元本が保証されない金融商品であるのに「絶対儲かります」と発言するのは問題があるなどと批判された。第156回国会では野党を中心に批判が強まり、仮に証券外務員が顧客に対してこのような発言をすれば違法行為になる、金融のトップがお墨付きを与えたと受け取られるような発言が悪用される恐れがあるなどと批判がなされた。

竹中は当初、「絶対もうかるから買いなさいというような趣旨で言ったのではなく、(記者に)買いますかというふうに聞かれて、投資家として絶対もうかると思っており、買うと言ったのだから訂正云々という問題ではない」[23]としていたが、同年2月14日の国会答弁では、「誤解されかねない部分があったという面においては、必ずしも適切ではなかった」と自身の発言に問題があったことを認めた[24][25]。また、内閣官房長官福田康夫も自分を含め閣僚らは冗談だと受け取っていたが、公の場での発言としては「多少問題があった」との見解を示した[24]。同日、竹中は金融庁のウェブサイト[26]から該当発言を削除した[27]

[編集] 「too big to fail」発言

竹中は、米ニューズウィーク誌(2002年10月16日号)に「四大銀行であっても、too big to failの考えはとらない」と発言し、日経平均株価を暴落させた。マスコミも「金融システムの安定に責任を持つ金融相の発言としては、軽率極まりない。片岡直温蔵相の失言が引き金になった昭和二年の金融恐慌を想起させる(読売新聞社説)」と批判し、国会で追及された。竹中は「誤解を招いたとしたら不徳の致すところだ」と陳謝しつつ、「そんな発言はしていない」と弁解した。

[編集] トラブル

[編集] 住民税の納付

1993年から1996年の4年間にわたって、日本と米国に住民票を移動させることによりこの間日本国内で住民税を払っていないのは脱法行為ではないかとの疑惑が写真週刊誌フライデー』で報じられた。この問題を国会で追及された際、竹中はその期間に関しては、アメリカでの所得は原則として得ていなかったが、同国で地方税(住民税)を払っていたこと、日本では慶應義塾大学の助教授として毎年の春期講座に対する給料を受け取っていたことなどを明らかにした[8][28]

竹中は住民税脱税疑惑報道をした『フライデー』を発行する講談社に対し、名誉毀損を理由に損害賠償等請求訴訟を起こした。2006年2月23日、最高裁判所は講談社側の上告を棄却し、講談社側の敗訴が確定した[29]法学者北野弘久日本大学名誉教授)は判決に問題があり、住民税脱税犯(地方税法324条1項)における偽計行為に該当すると断じている[30]

[編集] 郵政民営化広報チラシ問題

2005年、内閣広報室が郵政民営化をアピールするための『郵政民営化ってそうだったんだ』という折り込みチラシの発注に関し、竹中の口利きがあったのではという疑惑が持ち上がった。設立して1年にもならず実績もない有限会社(社員が二人)に1億5千万円(チラシ1500万枚)もの巨額の発注を出したこと、その会社の社長は竹中の政務秘書官と親しい間柄であり、かつ会計法により160万円以上の広報、印刷物などは一般競争入札を法的に義務づけられているのにもかかわらず随意契約で作られたことなどの問題点が指摘された[31]。竹中は秘書官に同社の社長とは面識はあるが利害関係はないことを確認したとし、契約の経緯については決裁権者でないので、詳細は知らないと説明した[32]。また、契約も配布先も決まっていない段階で仕事が進められていたことや、登記簿を調べないで契約していたことなどが明らかにされた[33]。また、広報の作成並びに契約等々の経緯についての政府参考人の答弁や説明において意図的な資料の改ざんがあったのではという疑惑を持たれたことに対し、内閣官房長官の細田博之が謝罪した。竹中も大臣として謝罪を求められたが、個別の契約行為は自分の所管外だとして謝罪しなかった。また、この契約が会計法違反だという指摘に対しても所管外だとして、「答弁はする資格がない」として回答を避けた[34]。また、契約についての想定問答集やIQ(知能指数)の低い層にターゲットを絞った広報戦略を示した同社の資料についても承知してないと述べた[34]

[編集] ミサワホーム売却問題

ミサワホーム産業再生機構を経てトヨタ自動車に売却される過程で、竹中らによる「公権濫用」があったと指摘されている。

2004年12月28日、ミサワホームが経営不振から産業再生機構の管理下におかれ、翌年3月31日、トヨタ自動車がミサワホームのスポンサーになることが決定した。このミサワホーム売却を巡り、ミサワホーム創業者の三澤千代治側が竹中を警視庁に刑事告発した。

2002年5月、竹中平蔵(当時内閣府特命担当大臣(金融担当))の兄にあたる竹中宣雄(当時ミサワホーム東京社長)が「弟の平蔵と話しているのだが、(産業)再生機構を活用したらどうか」と三澤千代治(当時ミサワホーム会長)に提案した。三澤はその提案を拒否したが、その後ミサワホームの経営状況は悪化の一途を辿り、不良債権化の懸念が強まった。2003年10月、竹中宣雄が「弟から電話があった。トヨタの奥田会長と会ってほしい」と三澤に再度要請した。くわえて、会談の前日には平蔵自らが三澤に日時の確認を行っていた。

これらの行為に対し、三澤は「国務大臣としての職務を逸脱した一企業への圧力であり、職権濫用にあたる」と主張し、刑法193条に基づき「公務員職権濫用罪」容疑で警視庁に刑事告発した。竹中側は「適正な職務執行であり、職権濫用ではない」と反論しており、三澤の主張を否定している。国会審議でも竹中の言動について取り上げられたが[35]、竹中自身は指摘された事実はないとして、三澤側の主張に反論している[36]

[編集] 共同研究

2005年、『月刊現代』は竹中の処女作『開発研究と設備投資の経済学』(東洋経済新報社 1984年7月)の内容は「設備投資研究所」時代の同僚との共同研究の成果であり、その同僚は自分単独の名前で発表したいとの竹中からの申し出を断っていたのに、勝手に竹中の単独の著書として出版されたことにショックを受けたことなどを報じた[4]

[編集] 不祥事

[編集] 国民年金保険料の未納

2004年4月28日国民年金の保険料を支払っていなかったことが発覚した。小泉政権では、同問題の責任を取り福田康夫が内閣官房長官を辞任したが、竹中は内閣府特命担当大臣を辞任せず直後に参議院議員に立候補した。なお、一般市民により国民年金法違反容疑で大阪地方検察庁堺支部に告発されている。

政治家の年金未納問題」も参照

[編集] 人物

野球観戦や音楽鑑賞とともに「構造改革」を趣味の一つとして挙げている[37]。前述のとおり博士号の取得を何度か試みており、1994年に大阪大学より博士号を取得している。竹中自身の公式ウェブサイトには「経済学博士」と表記している[37]が、正しくは、博士(経済学)と記入すべきである。

[編集] 受賞歴

  • サントリー学芸賞: 受賞作『研究開発と設備投資の経済学-』
  • エコノミスト賞: 受賞作『対外不均衡のマクロ分析』

[編集] 出演

[編集] テレビ

[編集] ビデオ

[編集] 著作

[編集] 単著

[編集] 共著

[編集] 編著

[編集] 編纂

[編集] 監修

  • 東京財団編『「日本再生」へのトータルプラン――決定版――政策課題2001』朝日新聞社、2001年。ISBN 402257657X

[編集] 翻訳

[編集] 寄稿

  • 竹中平蔵稿「J・A・シュンペーター――経済発展の本質をとらえる」日本経済新聞社編『現代経済学の巨人たち――20世紀の人・時代・思想』日本経済新聞社、1994年。ISBN 4532142652
  • 竹中平蔵稿「デジタル革命と21世紀の日本社会」手嶋彩子編『デジタルエコノミー2001――日本とアメリカ』フジタ未来経営研究所、2001年。ISBN 4901322001

[編集] 関連項目

[編集] 関連事項

[編集] 関連人物

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 『文藝春秋』2003年11月号
  2. ^ 『文藝春秋』2003年11月号
  3. ^ 『文藝春秋』2003年11月号
  4. ^ a b 佐々木実「竹中平蔵 仮面の野望(前編)」講談社月刊現代』(2005年12月号)
  5. ^ 『文藝春秋』2003年11月号
  6. ^ 塩田潮「竹中平蔵の挑戦…政治を目指した学者の軌跡」『論座』2005年
  7. ^ a b グローバルセキュリティ研究所所長 竹中平蔵教授インタビュー慶應ジャーナル
  8. ^ a b 第153回国会 衆議院 内閣委員会第3号 平成13年(2001年)11月28日(議事録
  9. ^ 『文藝春秋』2003年11月号
  10. ^ 『文藝春秋』2003年11月号
  11. ^ 経済戦略会議『短期経済政策への緊急提言1998年10月14日
  12. ^ 経済戦略会議「日本経済再生への戦略」『経済戦略会議答申1999年2月26日。
  13. ^ ちなみに史上唯一の現職民間人閣僚たる新人衆院候補は1958年第28回衆議院議員総選挙・神奈川1区で自民党公認でトップ当選した藤山愛一郎
  14. ^ 田勢康弘の週刊ニュース新書テレビ東京、2008年11月29日。
  15. ^ a b 文藝春秋(編)『日本の論点’99』文藝春秋 1998年11月 ISBN 4-16-501500-8
  16. ^ a bアサヒ芸能』(2007年2月8日号)
  17. ^ 『朝日新聞』2006年6月16日
  18. ^ 日本経済研究センター『竹中平蔵のポリシー・スクール』2009年2月1日 「雇用は健全な三権分立から」
  19. ^ 第161回国会 衆議院 予算委員会 第3号 平成16年(2004年)10月19日(議事録
  20. ^ 「日本人よ、格差を恐れるな」( 『文藝春秋』 ) 2006年5月号
  21. ^ 第162回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会 第9号 平成17年(2005年)6月7日 (議事録
  22. ^ 第162回国会 参議院 郵政民営化に関する特別委員会 第12号 平成17年(2005年)8月2日(議事録
  23. ^ 第156回国会 衆議院 財務金融委員会第3号 平成15年(2003年)2月12日(議事録)。
  24. ^ a b 第156回国会 衆議院 予算委員会第11号 平成15(2003年)年2月14日(議事録
  25. ^ 第156回国会 衆議院 本会議 第8号 平成15年(2003年)2月14日(議事録
  26. ^竹中大臣記者会見要旨」2003年2月7日(金融庁公式ウェブサイト
  27. ^竹中大臣記者会見要旨」2003年2月18日(金融庁公式ウェブサイト)
  28. ^ 第154回国会 衆議院 予算委員会 第11号 平成14年(2002年)2月15日(議事録
  29. ^ ご報告竹中平蔵公式ウェブサイト
  30. ^ 日本大学名誉教授・法学博士 北野弘久 「住民税脱税犯における偽計行為(続)」(税経新人会全国協議会
  31. ^ 竹中平蔵の「広報疑惑」を暴く--8月解散説浮上 大量造反で「郵政国会」一寸先は闇 (『サンデー毎日』2005年7月24日号)
  32. ^ 第162回国会 衆議院郵政民営化に関する特別委員会第15号 平成17年(2005年)6月15日(議事録
  33. ^ 第162回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会第20号 平成17年(2005年)6月29日(議事録
  34. ^ a b 第162回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会 第19号 平成17年(2005年)6月23日(議事録
  35. ^ 第162回国会 予算委員会第七分科会 第1号議事録
  36. ^ 第164回国会 予算委員会 第5号 平成十八年三月六日(月曜日)議事録
  37. ^ a b竹中平蔵 公式ウェブサイト: プロフィール』。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
先代:
麻生太郎
日本の旗 総務大臣
第6代: 2005年 - 2006年
次代:
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先代:
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日本の旗 金融担当大臣
2002年 - 2004年
次代:
伊藤達也
先代:
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日本の旗 経済財政政策担当大臣
2001年 - 2005年
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