伊藤達也

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日本の旗 日本の政治家
伊藤
いとう たつや
生年月日 1961年7月6日(52歳)
出生地 日本の旗大阪府大阪市
出身校 慶應義塾大学法学部卒業
前職 自営業
現職 関西学院大学大学院
経営戦略研究科教授
所属政党 日本新党→)
新進党→)
無所属クラブ→)
民政党→)
自由民主党(無派閥)
称号 法学士(慶應義塾大学・1984年
公式サイト 衆議院議員伊藤達也
ホームページ
【調布市・三鷹市・
稲城市・狛江市選出】

選挙区 東京22区→)
比例東京ブロック→)
東京22区
当選回数 6回
任期 1993年7月19日 - 2009年7月21日
2012年12月17日 - 現職
所属委員会 予算委員会
議員会館 衆議員第2議員会館524号室

日本の旗 内閣総理大臣補佐官
(社会保障担当)
内閣 福田康夫内閣
任期 2008年2月13日 - 2008年8月2日

日本の旗 特命担当大臣
(金融担当)
内閣 第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
任期 2004年9月27日 - 2005年10月31日
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伊藤 (いとう たつや、1961年7月6日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(6期)。関西学院大学大学院経営戦略研究科教授千葉商科大学大学院政策研究科客員教授関西大学大学院会計研究科客員教授、公益財団法人松下政経塾評議員、PHP総研コンサルティングフェロー。戸籍上の表記は「」でなく「」(ただし、しんにょうの点は一つ)であるが、伊藤 達也(いとう たつや)と表記されることも多い。公式ウェブサイトでも「」の字が使われている。

内閣府特命担当大臣(金融担当)衆議院財務金融委員長内閣総理大臣補佐官(社会保障担当)などを歴任した。

概要[編集]

生い立ち[編集]

1961年7月6日大阪府大阪市に生まれる[1]1980年、府中白百合幼稚園、府中市立第一小学校、調布市立第一小学校、調布市立調布中学校を経て、慶應義塾高等学校を卒業。高校時代、母を難病の全身性エリテマトーデスで約3年間の闘病生活の後亡くす。このとき、国の医療制度や福祉政策に疑問を持ち、政治家を志しはじめる。大学卒業後、松下幸之助が創設した財団法人松下政経塾に第5期生として入塾。

政界入り[編集]

1993年日本新党から出馬し、衆議院議員に初当選。1996年第41回衆議院議員総選挙では新進党から出馬し、東京22区調布市稲城市狛江市三鷹市)で再選。1997年7月に新進党を離党しその時期の都議選では日本新党時代からの同志古賀俊昭の都政復帰に尽力、無所属クラブを経て1998年1月民政党結成に参加した。しかし4月27日民主党結成大会に参加せず、同年7月、自由民主党に入党し平成研究会へ入会した。

小泉政権[編集]

2002年第1次小泉第1次改造内閣にて内閣府副大臣に任命された。2004年第2次小泉改造内閣にて内閣府特命担当大臣(金融担当)に就任した。松下政経塾出身者では初の閣僚となる。

2005年第44回衆議院議員総選挙では民主党の山花郁夫を破って再選。

安倍政権[編集]

衆議院予算委員会理事。党においては調査会長。

福田政権[編集]

2008年福田内閣にて内閣総理大臣補佐官(社会保障担当)に就任した。社会保障国民会議を運営し、視察や国民の声を集約し内閣総理大臣福田康夫へ具申した。また、自由民主党国家戦略本部の副本部長にも任命されている。同年、地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合の自民党事務局長に就任した。内閣改造に伴い、いったんは内閣総理大臣補佐官(社会保障担当)を退任したが、改造後20日ほど経ってから再度任命された。

麻生政権[編集]

2008年自由民主党総裁選挙では、石破茂の推薦人の一人を務めた。2009年第45回衆議院議員総選挙では前回下した山花に敗れて落選、比例復活もかなわなかった。

再び国政へ[編集]

落選後、関西学院大学大学院にて、経営戦略研究科の教授に就任した[2]。そのほかにも、千葉商科大学の大学院では、政策研究科の客員教授を務めている。同様に、関西大学の大学院では、専門職大学院として設置された会計研究科にて客員教授を務めている[3]。また、出身母体である松下政経塾の評議員も務めている[4]PHP研究所が設立したシンクタンク「PHP総研」では、コンサルティングフェローを務めている[5]

2012年第46回衆議院議員総選挙では東京22区から再び出馬。山花を破り、国政に復帰。

政策[編集]

中川秀直らと近い考え方で、成長重視路線を主張する上げ潮派と自他共に認めている。「増税なき財政再建」を標榜しており、名目で3~4%の経済成長による税収の自然増と約11兆の無駄を省く徹底した歳出改革により、基礎的財政収支を黒字化できると主張している。[6]

人物[編集]

趣味は野球・映画鑑賞。事務所のソフトボールチームもあり、地元で大会に出場している。座右の銘は「成功の要諦は成功するまで続けることにある」。家族は妻と一男一女の四人家族。

政治の原点は学生時代に母を難病で亡くし、福祉政策の重要性を感じて松下政経塾の門を叩き政治を志した。また、政治を志すにあたり、自分と家族の生活費くらいは自分で賄えなくてはいけないという、松下幸之助の教えを実践して20代の時に夫婦で宅配ピザのチェーン店を営んだ。

大学時代は映画サークルに所属し、生まれ変わったら映画監督になりたいとしている。好きな映画はスター・ウォーズ。憧れの女優は吉永小百合。最近の愛読書は「坂の上の雲」。

選挙時の燃料費過大請求[編集]

  • 2005年第44回衆議院議員総選挙にて、伊藤の東京都選挙管理委員会からの選挙カー燃料代の受領が過大だったことが判明した[9]。あらかじめ契約したガソリンスタンドでの給油のみが認められているが、伊藤は対象外のガソリンスタンドも利用していた。マスコミによる取材に対し、伊藤は事実を認めたうえで謝罪し、受領した燃料代を東京都選挙管理委員会に全額返金した。伊藤は自身のブログなどでも謝罪を表明している[10]

略歴[編集]

  • 1980年 調布市第一小、調布中学校を経て慶應義塾高等学校卒業
  • 1984年 慶應義塾大学法学部法律学科卒業、松下政経塾入塾(第5期生、同期に高市早苗
  • 1987年 カリフォルニア州立大学大学院行政学部客員研究員
  • 1988年 ブレーン21研究所設立・日米技術交流会議(アライアンス'90)事務総長
  • 1993年 衆議院議員(以来、現在5期目) ・衆議院商工委員会理事・衆議院予算委員会委員
  • 1998年 党財政部会副部会長・党地方行政部会副部会長
  • 1999年 党科学技術部会部会長代理・党法務部会副部会長
  • 2000年 通商産業政務次官・党経済産業部会長・党行政改革推進本部幹事・衆議院環境委員会理事
  • 2001年 衆議院経済産業委員会理事・党e-Japan重点計画特命委員会事務局長
  • 2002年 衆議院経済産業委員会筆頭理事〜内閣府副大臣
  • 2003年 内閣府副大臣再任
  • 2004年 内閣府特命担当大臣(金融担当)
  • 2005年 内閣府特命担当大臣(金融担当)・党政務調査会会長補佐・対外経済協力特別委員会委員長・金融調査会会長代理
  • 2006年 党幹事長補佐 衆議院財務金融委員会委員長
  • 2007年 地域再生調査会会長 衆議院予算委員会理事 u-Japan特命委員会幹事長 松下政経塾評議員
  • 2008年 内閣総理大臣補佐官(社会保障担当)
  • 2008年 地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合自民党事務局長
  • 2008年 自由民主党国家戦略本部副本部長

所属団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

  • 総理官邸の真実(PHP研究所)
  • 永田町からの政治論(PHP研究所)
  • 21世紀・日本の繁栄譜(PHP研究所)

脚注[編集]

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外部リンク[編集]

公職
先代:
竹中平蔵
日本の旗 特命担当大臣金融
第6・7代:2004年 - 2005年
次代:
与謝野馨
先代:
熊代昭彦
松下忠洋
村田吉隆
日本の旗 内閣府副大臣
根本匠米田建三らと共同
2002年 - 2004年
次代:
七条明
西川公也
林田彪
議会
先代:
小野晋也
日本の旗 衆議院財務金融委員長
2006年 - 2007年
次代:
原田義昭