太田誠一
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おおた せいいち
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| 生年月日 | 1945年10月30日(67歳) |
| 出生地 | 福岡県福岡市 |
| 出身校 | 慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了 |
| 前職 | 福岡大学助教授 |
| 所属政党 | (自由民主党→) (自由党→) (新進党→) 自由民主党 |
| 称号 | 衆議院永年在職議員 |
| 親族 | 祖父・櫻内幸雄 岳父・亀井光 |
| 公式サイト | 太田誠一公式ウェブサイト |
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| 内閣 | 福田康夫改造内閣 |
| 任期 | 2008年8月2日 - 2008年9月19日 |
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| 内閣 | 小渕内閣 小渕第1次改造内閣 |
| 任期 | 1998年7月29日 - 1999年10月5日 |
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| 選挙区 | 福岡3区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 2005年9月12日 - 2009年7月21日 |
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| 選挙区 | (旧福岡1区→) 福岡3区 |
| 当選回数 | 7回 |
| 任期 | 1980年6月23日 - 2003年10月10日 |
太田 誠一(おおた せいいち、1945年10月30日 - )は日本の元政治家。
農林水産大臣(第48代)、総務庁長官(第22代)、衆議院議員(8期)、宏池会会長代行、自由民主党人権問題調査会会長を歴任した。
目次 |
来歴・人物 [編集]
生い立ち [編集]
太田家は、江戸期に遠賀から博多に出て、油屋で財を築いた初代清蔵以来、当主は清蔵を襲名している[1]。祖父の4代清蔵(元第一徴兵保険社長)が実業家として大成した[1]。
1973年3月に慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了、1976年4月には福岡大学経済学部助教授に着任。1977年9月にはアメリカ合衆国のブラウン大学の客員助教授に着任した。
政治家として [編集]
1979年に自由民主党の公認で第35回衆議院議員総選挙に出馬したが落選。1980年の第36回衆議院議員総選挙で初当選を果たす(当選同期に古賀誠・久間章生・川崎二郎・森田一・平沼赳夫・高村正彦など)。1988年には竹下改造内閣で大蔵政務次官を務めた。
1994年に自民党を離党し、新井将敬や柿澤弘治ら7人で自由党を結成。同年4月、辞意を表明した細川護熙首相の後任に自民党の渡辺美智雄の擁立を目指したが頓挫。その後、新進党への合流を経て、翌1995年7月には自民党へ復党した。
1997年にはストックオプションの導入を目指して保岡興治らと商法の改正案を提出。基本法の改正を議員立法で行うのは初めてのことだったため、政府の法制審議会との対立が注目された。1998年の小渕内閣において総務庁長官を務めた。
2003年のスーパーフリー事件に関して「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」[2]などと述べたことが災いし、直後の第43回衆議院議員総選挙で民主党の藤田一枝に敗れ落選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では藤田を破って当選し、政界への返り咲きを果たす。
2008年8月に福田康夫改造内閣で農林水産大臣に就任。しかし事故米不正転売事件が発覚し9月19日に辞任した。
2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙では公明党推薦、実践倫理宏正会支持で出馬するも、民主党の藤田一枝に再び敗れ落選した。
2011年2月、政界引退を表明。
年表 [編集]
- 1961年 3月 - 福岡教育大学附属福岡中学校 卒業
- 1964年 3月 - 慶應義塾高等学校 卒業
- 1968年 3月 - 慶應義塾大学経済学部 卒業
- 1973年 3月 - 慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了
- 1976年 4月 - 福岡大学経済学部 助教授
- 1977年 9月 - 米国ブラウン大学 客員助教授
- 1980年 6月 - 衆議院議員選挙 初当選
- 1988年12月 - 大蔵政務次官
- 1991年 1月 - 衆議院・土地問題等に関する特別委員長
- 1991年11月 - 衆議院・大蔵委員長
- 1993年 1月 - 自民党・財政部会長
- 1994年 4月 - 自民党離党、新党自由党結党
- 1995年 7月 - 自民党復党
- 1996年11月 - 自民党筆頭副幹事長
- 1998年 7月 - 国務大臣総務庁長官・行政改革担当大臣 中央省庁等改革推進本部副本部長、青少年対策本部長
- 1999年10月 - 自民党・行政改革推進本部副本部長兼事務局長
- 2000年12月 - 自民党・政治制度改革本部長
- 2001年 5月 - 自民党・行政改革推進本部長
- 2002年 9月 - 金融再生特別委員長
- 2003年11月 - 第43回衆議院議員総選挙で落選
- 2005年 9月 - 第44回衆議院議員総選挙国政復帰、自民党・党改革実行本部長、地方行政調査会長
- 2006年10月 - 宏池会(古賀派)会長代理に、翌年9月27日、会長代行に就任
- 2007年 2月20日 - 衆議院議員在職25年を迎え衆議院より院議をもって表彰された
- 2007年11月 - 1年ぶりに設置された自民党人権問題等調査会の会長に就任
- 2007年12月、北朝鮮との国交正常化実現を目指す議員連盟、自民党朝鮮半島問題小委員会を立ち上げ、副委員長に就任
- 2008年 8月2日 - 福田改造内閣で農林水産大臣に就任
- 2008年 8月 - 事務所費の不適切な計上が発覚。
- 2008年 9月19日 - 事故米事件により農相を引責辞任
- 2009年 1月 - 自民党・予算「見える化」小委員長
- 2009年 5月 - 自民党・「衆議院定数300」議員連盟会長
- 2009年 8月 - 第45回衆議院議員総選挙で落選
これまでの経歴 [編集]
- 農林水産大臣
- 行革担当大臣兼総務庁長官
- 自民党人権問題調査会長
- 自民党党改革実行本部長
- 行政改革推進本部長
- 政治制度改革本部長
- 地方行政調査会長
- 商法小委員長
- 航空対策特別委員長
- 金融再生特別委員長
- 大蔵政務次官
- 衆議院大蔵委員長
- 全九州私立幼稚園PTA連合会名誉会長
- NOSAI(農業共済)福岡会長
- 福岡県治山林道協会会長
- 福岡県砂防協会会長
- 福岡県ゲートボール協会会長
- 福岡県ハンドボール協会会長
- 福岡県レスリング協会会長
- 九州学生体操連盟会長
政策 [編集]
人権擁護法案を推進 [編集]
自民党人権問題等調査会の会長を務めるなど人権擁護法案推進派で、独自に「会長私案」をまとめている。
なかでもマスメディアに配慮した「メディア規制条項の削除」や「人権侵害の類型の列挙」が私案の大きな特徴となっている。その他、人権擁護法案で問題視されている外国人による恣意的な運用の危険性については、私案の中では明確に「外国人は除く」との記載がされている。
なお、省庁と同格の人権委員会を新設し、民間の言動をめぐる議論に公権力が介入するという、人権擁護法案の基本的な枠組みは私案においても踏襲されている。
アメリカとのFTA締結に反対 [編集]
2009年の解散総選挙を前に各党がマニフェストを発表したが、なかでも民主党が掲げたアメリカとのFTA締結に関して、国内の農業・畜産業に深刻なダメージを与えるとして与党をはじめ、他の野党からも反対意見・慎重意見が相次いだ。太田は「農産物を除外してFTAを結ぶことはありえない。FTAを結んだが最後、我が国の農業は立ちいかなくなる」として反対を表明している。
家族・親族 [編集]
- 母・俊子(島根県士族櫻内和一郎[3]の孫、実業家・政治家櫻内幸雄(元蔵相・農相・商工相)の三女)
- 義父・亀井光(政治家・元福岡県知事)
- いとこ・清蔵 (6代目)(実業家・元東邦生命社長)
- 母方従妹の夫・福田康夫(政治家・元首相)
エピソード [編集]
- 身長186cm
- 日韓トンネル研究会顧問
- 日韓海底トンネル推進議連所属
- 自民党朝鮮半島問題小委員会副委員長
- 「全国貸金業政治連盟」(全政連):消費者金融業界の政治団体から政治献金を受けている[4]。
- 1982年の日本航空350便墜落事故では、太田は本来事故機の1列目に搭乗予定であったが、空港で会った先輩議員に同行するため、同時刻発の全日空便に変更したため難を逃れたという[5]。
発言 [編集]
- 自民党行革推進本部長として本州四国連絡橋、東京湾アクアライン、関西国際空港を20世紀末の三大バカ事業と酷評した。
- 2003年、鹿児島市で行われた九州私立幼稚園研修会の討論会にて、早稲田大学の学生を中心とするアソビ系サークル「スーパーフリー」に参加していた女子大生が集団で暴行されていた事件について、「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」という発言をし世間の大きな非難を浴びた。この発言はBBCやCBSなどにも取り上げられる事態となる。この発言が影響し、直後の2003年の第43回衆議院議員総選挙で、民主党の藤田一枝に敗れ、落選した。
- 2007年1月13日、福岡市内での「新春の集い」にて、社民党の福島瑞穂を「極左系の弁護士であり、極左が国会議員になり、党の党首になっている」と批判した。これに対し社民党は「テロリストのイメージをあおるような発言は許すことができない。社民党もテロ撲滅に向けて、全力を挙げている」と反論している。太田は挨拶で、新テロ対策特別措置法の成立を踏まえ「国際的テロに対し、西側の一員として戦う決意をはっきりさせたものだ」と強調している[6]。なお、福島も2006年1月15日の自身のブログにて自民党の一部が「極右勢力」であると批判していた[7][8]。
- 福田康夫改造内閣にて農林水産大臣就任直後の2008年8月10日、NHKの『日曜討論』に出演した際、食の安全対策について問われ「日本国内は心配ないと思っているが、消費者がやかましいから徹底する」と発言し、批判を浴びた。自民党の麻生太郎幹事長は「やかましい」は関西より西で使われる方言で「よく知っている」であるという意味だとの見解を示し、この発言を擁護したが、国立国語研究所のある研究員は、この「やかましい」発言は文脈上「詳しい」と解釈することはできないと指摘しているという[9]。
- 三笠フーズによる汚染米流通事件に関して、「(汚染米で造られた)焼酎は製造過程で無害化されることもある」「(検出された農薬は)中国製ギョーザ事件のギョーザに比べて60万分の1の低濃度。人体に影響がないことは自信をもって申し上げられる。だから、あまりじたばた騒いでいない」との見解を示した。
- 2009年3月12日、「自民党政権下であるにもかかわらず、予算案の議決に賛成する与党でなく、反対している野党が大変優遇されている。どこかに不公正さがある」と発言。また「農相時代の私は東京後援会を通じて全部で二千数百万円。それなのに小沢氏はたった1社で二千数百万円だ」と発言した[10]。
- 2009年8月3日、九州電力本社で開かれた激励会において、自分が苦戦している理由として「共産党にさえいられなくなった武装革命派を極左と呼ぶ。セクトに入って暴れたためにマスコミしか採用されなかった人がマスコミの中枢にいるから、戦っている人を私が一生懸命応援し、連動している」と発言。真意を質した記者に「非公開の場での発言だからコメントしない」と答えた[11]。
不祥事 [編集]
- 2008年8月26日に、政治団体「太田誠一代議士を育てる会」が秘書官の自宅を事務所として届け、2005年・2006年の2年間、事務所費計約550万円を含め、合計約2,340万円の経常経費を計上していたことが発覚した。さらに8月27日、2000~2002年の3年間にも計2,483万円を計上していたことが分かった。2005、2006年分と合わせ、5年間の合計は4,823万円に上る。秘書官宅は普通の民家であったが、「落選中は議員会館が使えず、東京の活動拠点としてやむなく事務所を借りた」と説明している。この秘書宅は池田信夫の自宅の隣の家であり(大家でもある)、池田信夫が自身のブログで『「幽霊事務所」だったことは間違いない。』と記述している[12]。
- 太田が代表を務める自民党支部が、政党交付金から、太田の父親が代表取締役を努める福岡市の九州勧業に、1996年から11年間で家賃およそ3647万円を支払っていたことが明らかになった。太田自身も、2007年から大臣就任直前までこの会社の顧問を努めており、税金である政党交付金から収入を得ていたこととなる[13]。
著書・論文 [編集]
- あるべき公務員制度改革とは(1)内閣は自らの職権を自覚すべき 時評 49(6) (通号 531),53~58,2007/6(時評社)
- ローマ帝国に学ぶ日本のインフラ政策 IATSS review = 国際交通安全学会誌 30(1),10-22,20050531(ISSN 03861104) (国際交通安全学会)(共著)
- 経営への過度の規制・介入は排除すべし--自己資本規制強化は安易な公的資金注入への懸念 (特集 金融審議会報告 新公的資金制度・自己資本比率規制のあり方をどう評価するか) 金融財政事情 54(31) (通号 2564),12~14,2003/8/18(ISSN 13453033) (金融財政事情研究会)
- 「選択制」採用が監査役制度を強くする--企業統治関係商法改正法の成立に思う 取締役の法務 (通号 95),4~7,2002/2(商事法務研究会 〔編〕/商事法務研究会)
- 企業統治に関する商法等改正について--太田誠一衆議院議員に聞く 月刊監査役 (通号 455),4~11,2002/2(日本監査役協会)
- 企業統治に関する商法改正法案提出に思う 取締役の法務 (通号 87),4~7,2001/6(商事法務研究会 〔編〕/商事法務研究会)
- 地方公共団体における勤務評定の結果の被評定者への開示について 年報行政研究 (通号 35),132~143,2000/05(ISSN 05481570) (日本行政学会 編/ぎょうせい)
- 勤務評定制度の導入・定着・積極的な活用を--各地方公共団体の一層の取組に期待 地方自治 (通号 629),32~41,2000/04(ISSN 02878534) (地方自治制度研究会 編/ぎょうせい)
- 「地方公務員の評価システムのあり方に関する調査研究--勤務評定の現状と課題」の概要について 地方公務員月報 (通号 441),20~27,2000/04(ISSN 13435086) (総務省自治行政局公務員課 編/〔総務省自治行政局〕)
- 地方公務員制度調査研究会報告と人材育成について (特集 地方自治・新時代の人材育成) 月刊自治フォーラム (通号 484),6~11,2000/01(ISSN 09161767) (地方自治研究資料センター 編/第一法規出版)
- 供給者主権のもとでの調整過程--二階級モデルの場合 福岡大学経済学論叢 20(3),p269~290,1975/11(ISSN 02852772) (経済学論叢編集委員会 編/福岡大学研究推進部)
- IS=LMモデルの動学化 福岡大学経済学論叢 19(4),p717~731,1975/03(ISSN 02852772) (経済学論叢編集委員会 編/福岡大学研究推進部)
- 投機及び企業の主観的均衡成長-1- 福岡大学経済学論叢 19(2・3),287~302,1974/11/00(ISSN 02852772) (経済学論叢編集委員会 編/福岡大学研究推進部)
関連項目 [編集]
脚注 [編集]
- ^ a b 佐藤朝泰 著 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 (立風書房 2001年) 485頁
- ^ 一説では「若い人は元気があっていいんじゃないか」と発言したともされている
- ^ 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)サ九九頁より
- ^ 『しんぶん赤旗』2003年9月12日付
- ^ TBSテレビ 『奇跡はこうして起こった―あの事件・事故で生死を分けた』二見書房 1995年の取材記述より
- ^ 2008年1月14日毎日新聞
- ^ 福島みずほのどきどき日記(2006年1月)
- ^ 2008年1月15日J-CASTニュース(魚拓)
- ^ 『毎日新聞』2008年8月22日社説
- ^ “自民太田氏が「野党優遇の献金は不公正」”. 日刊スポーツ. (2009年3月12日) 2010年1月16日閲覧。
- ^ “福岡3区の自民・太田氏、苦戦の理由は「極左マスコミ」”. 朝日新聞. (2009年8月3日) 2010年1月16日閲覧。
- ^ 「太田誠一氏の「政治団体事務所」は隣の家だった」池田信夫ブログ2008年8月26日エントリ
- ^ 太田農相:支部が親族会社に家賃支11年間、交付金で3647万円毎日.jp 2008年8月30日 記事は掲載期間経過で削除
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 平沼赳夫 |
1991年 - 1993年 |
次代: 藤井裕久 |
| 官職 | ||
| 先代: 若林正俊 |
第48代:2008年 |
次代: 町村信孝(臨時代理) |
| 先代: 小里貞利 |
第22代:1998年 - 1999年 |
次代: 続訓弘 |
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