松本龍 (政治家)

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日本の旗 日本の政治家
松本 龍
まつもと りゅう
生年月日 1951年5月17日(63歳)
出生地 日本の旗 福岡県福岡市
出身校 中央大学法学部
前職 政治家秘書
現職 民主党福岡県総支部連合会
副代表
民主党福岡県第一区総支部
総支部長
所属政党 日本社会党→)
社会民主党→)
旧民主党→)
民主党
称号 法学士(中央大学)
親族 松本治一郎養祖父
松本英一
公式サイト 松本りゅう公式ページ [元衆議院議員・福岡第1区[東区・博多区]:m-ryu.com

日本の旗 第15代 環境大臣
内閣 菅第1次改造内閣
菅第2次改造内閣
任期 2010年9月17日 - 2011年6月27日

内閣 菅第1次改造内閣
菅第2次改造内閣
任期 2010年9月17日 - 2011年7月5日

選挙区 (旧福岡県第1区→)
福岡県第1区
当選回数 7回
任期 1990年 - 2012年11月16日
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松本 龍(まつもと りゅう、1951年5月17日 - )は、日本政治家民主党所属。血液型B型

衆議院議員(7期)、衆議院政治倫理審査会会長、衆議院国会等の移転に関する特別委員長、衆議院環境委員長環境大臣第15代)、内閣府特命担当大臣(防災担当)などを歴任。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

福岡県福岡市出身。実家は養祖父の代からの福岡の中堅ゼネコン松本組で、弟が社長である[1]。自身も顧問を務める。

福岡市立馬出小学校から福岡市立福岡中学校福岡県立福岡高等学校に進む。高校時代は新聞部長を務め、「とにかく時間にうるさいことで有名だった」といわれる[2]。3年浪人して[3]中央大学に入学、法学部政治学科を卒業。弟2人と妹1人[4]おり、父英一は優秀であった次男に国会議員の後を継がせようと考えていたが、1972年10月1日、当時大学1年生であった次男が銀座の路上で心不全を起こして急死したため、長男である龍が父の後を継ぐことになった[5]。大学卒業後は実家の松本組に入社し、父の補佐、不動産の管理、営業などを担当していたが[6]、30歳の頃、自ら副業として保険の代理店を始めた[7]。傍ら、1980年、父松本英一参議院議員)の秘書として政治の現場に入る。

政界にて[編集]

1990年第39回衆議院議員総選挙日本社会党から出馬して初当選し、以後7回連続当選(現在は福岡県第1区)。1996年社民党を離党して旧民主党結党に参加した。日韓議員連盟常任幹事である。国鉄労働組合のJR採用差別闘争に連帯している[8]

2008年度の国会議員の所得公開で国会議員でトップの8億4366万円の所得を得ていたことが伝えられている[9]

菅政権[編集]

2010年9月17日菅第1次改造内閣において環境大臣内閣府特命担当大臣防災担当)に就任し、初入閣。内閣府特命担当大臣(防災担当)を環境大臣と兼任するのは異例。

同年10月に行われた第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)の議長を務め、議長案採択にこぎつけた。2010年の閣僚資産公開では保有資産7億6073万円、菅内閣の閣僚の中でも突出してトップであると報じられ、2位の鹿野道彦農林水産大臣の5968万円を大きく引き離した[10]。資産のうち7億3119万円が不動産資産で、福岡空港周辺の土地を多く所有していることが伝えられた[11]

翌2011年発足の菅第2次改造内閣でも留任。2011年3月11日に発生した東日本大震災以降は、内閣府特命担当大臣(防災担当)として対応にあたる。2011年6月27日国務大臣としての担当事項に「東日本大震災からの復興のための施策を政府一体となって推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[12]が加わった。それにともない、環境大臣を退任した[12]。その後も内閣府特命担当大臣(防災担当)は引き続き兼務した。しかし、岩手・宮城両県を訪問した際の発言(後述)が問題となり、2011年7月5日、辞表を提出した[13]。後任には、岩手県出身の平野達男が任命された。

2011年7月11日、九州大学病院に入院。主治医団は「軽度の躁状態」と発表、復興相辞任に至った言動についても「一部は躁状態が関係した可能性が高い」との見方を示した[14]。その後、9月20日に九州大学病院を退院し、地元福岡の行事に顔を出している[15]10月21日の臨時国会開会式では、席が自由だったにもかかわらず菅直人谷垣禎一に寄り添うように両者と並んで座り、「松本さんが菅さんに寄り添っていたのには驚いた。だって彼は復興相就任の直前、ずっと菅批判をしていた。憚ることなく"早く辞めろ"と言っていたのですからね」といった批判が報じられた[15]

復興相辞任後[編集]

2012年1月、野田政権において衆議院政治倫理審査会長に就任。 2012年第46回衆議院議員総選挙では、俳優の菅原文太も応援に駆けつけるなどしたが[16]福岡1区では1位の井上貴博自民)に6万票以上の大差で敗れ、2位となったみんなの党の新人候補者の竹内今日生にも8400票近い差を開けられる3位の得票数だったため、比例九州ブロックでの復活当選もならず、落選。日本社会党所属時の1990年、第39回衆議院議員総選挙において中選挙区時代の旧福岡1区から初当選して以来、小選挙区制となった第41回総選挙以降も継続し7期連続で守り続けてきた自らの議席を失うこととなった[17]

2014年10月21日、次期総選挙への不出馬を表明[18]

政策[編集]

部落解放運動[編集]

部落解放同盟副委員長をつとめ、人権擁護法案人権侵害救済法案)の推進派である[要出典]

環境[編集]

生物多様性条約締約国会議
2010年愛知県名古屋市で開催された第10回生物多様性条約締約国会議では、議長に就任した。しかし、先進国発展途上国の主張が激しく対立し、最終日まで合意に至らない状況となった[19]。この事態を受け、松本は「最後の一秒までやります」[19]と述べ、最終日に各国に対して議長案を提示した。しかし、最終日まで対立が解けない状況での議長案の採決には懐疑的な見方も強く[19]環境省内部でも大臣に恥をかかせて終わるのではないかと懸念の声が挙がるなか、議長案の作成が急遽進められた[20]
最終的に各国は松本の議長案を微修正のうえで受け入れることで合意し、「名古屋議定書」として採択された[21]。また、2020年までの世界目標も修正案が纏まり、議長提案により「愛知ターゲット」と呼称されることが決まった[22]。その他、資金動員戦略関連の文書も全て採択された[22]。: なお、夕方の全体会議で議事が混乱した後、松本はにっこり笑いながら調整官島田久仁彦らに「おまえら殺すぞ」と言って立ち去ったことがある[23]

防災・災害復興[編集]

東日本大震災復興構想会議
五百旗頭真議長として構成される「東日本大震災復興構想会議」について、審議が東京都内で行われている点を指摘し「これから東北でやるというぐらいの気持ちがなきゃダメ。東北でやるべきだ」[24]と主張するなど、被災地で開催することで実態に即した議論がなされるよう促した。
消防団の充実
消防団活動については「地域のかなめ」[25]と位置付けており、消防団の充実や活性化を主張している。ニッポン放送の『おはよう! ニッポン全国消防団』には消防団員の法被を着用して自ら出演し、消防団の重要性を説いた[26]

その他[編集]

発言に関して[編集]

「一日も早く退陣した方がよい」発言[編集]

2011年6月3日内閣総理大臣菅直人が退陣する意向を表明するとともに、衆議院本会議で内閣不信任決議案が否決された。その翌日、焦点に浮上した菅の退陣時期について、松本は「復旧復興を急がないといけないということから言えば、(菅内閣は)一日も早く退陣した方がよいとの文脈になると思う」[28]と発言した。さらに「6月いっぱいというのが私の中にはある。復興基本法案や二次補正予算案の編成あたりがめどだ」[28]と述べ、現職閣僚でありながら菅に早期退陣を迫る異例の発言となった。

「民主も自民も公明も嫌いだ」発言[編集]

2011年6月28日、復興相就任会見の席上で「3月11日以来、私は民主も自民も公明も嫌いだ」と発言[29]。このことが自民党や公明党から「復旧・復興の中心に立つべき人が与野党の協力が必要ないと考えているならば任に当たる資格無しだ」(逢沢一郎)、「信じられない言葉だ。松本氏はどうかしてしまったのか」(漆原良夫)といった反発を呼び[30]7月1日、発言を謝罪した[31]

岩手・宮城両県知事への発言、大臣辞任へ[編集]

2011年7月3日に復興担当相就任後で初めて被災地入りし、岩手県の達増拓也知事と宮城県の村井嘉浩知事と会談を行った。その際の発言が問題となり、7月5日に復興相と防災相を辞任することとなった[32]。当時は、震災の鎮魂と復興を願って7月16日17日に初めて開催される第1回「東北六魂祭」(宮城県仙台市)の直前準備の時期だった。

問題となった発言は以下の通り:[33][34][35][36][37]

達増知事に対して

  • 「九州の人間だから、何市がどこの県とか分からん。」
  • 「本当は仮設はあなた方の仕事だ。」(仮設住宅の要望をしようとする達増知事に対して)
  • 「知恵を出したところは助けるけど、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持て。」

村井知事に対して

  • 「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと、我々は何もしないぞ。ちゃんとやれ。」(被災した漁港を集約するという県独自の計画に対して)
  • 「お客さんが来る時は、自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか、長幼の序がわかってる自衛隊ならそんなことやるぞ。わかった?」(応接室に村井知事があとから入ってきたことに対して。村井知事の前職は陸上自衛官。この発言に先立って松本復興相は「先に(知事が)来るのが筋だよな。お迎えするのがね。」とつぶやいていた。)
  • 上記発言に続けて、「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか、みなさん、いいですか、『書いたらもうその社は終わり』だから。」
    同日、東北放送が宮城県庁での会談内容をニュースで報じた[33]ことをきっかけに、両知事に対する発言の数々が報道された[38]
    松本復興相は「(村井知事が)3、4分出てこなかった。だから怒った」としたが、松本復興相が待った時間は1分27秒(TBS調べ)であった。また、村井知事は「時間通り」に入室していた[39]。松本復興相は応接室で待たされ、知事が出迎えなかったことに腹を立て握手を拒否したが、これは通常の応対に過ぎず、村井知事も「社会通念上、このような接遇が正しいと理解している」と述べている[39][40]

これら一連の発言について、村井知事が「国と地方自治体には主従関係はない」と不快感を示した他、被災地や野党から反発・非難の声、首相官邸や民主党への抗議電話も相次いだ[40][41][42][43][44][45]

数日の間に問題となる発言を繰り返したが、松本復興相をよく知る人は「おとなしい、いい人です」「あんなしゃべり方初めて聞いた」と話しており、この一連の発言は菅首相を退陣へ追い込むためにわざと発言したのではないかと複数のメディアが報じている一方[46]、高校時代の同級生は「今回の発言は別に驚かないです。昔から松本龍は松本龍。高校時代から、あんな感じでしたよ」[2]とも発言している。

2011年7月4日、被災地知事への発言を問題視された後の記者会見では「私は九州の人間ですけん、ちょっと語気が荒かったりして、結果として被災者の皆さんを傷つけたということであればおわび申し上げたい」「私はちょっとB型で短絡的なところがあって、私の本意が伝わらないという部分があるということは、反省しなければならない」と謝罪し、「何市がどこの県とか分からん」発言については「発災以来、ずっと東北の問題に関わり、福島、岩手、宮城に行き、すべての市町村の名前を知っている。知らないわけがない。九州からみれば東北は広いなあという思いがありしっかり取り組むという意味で言ったが曲解されたと思う」[47][48][49]と釈明した。

当初「辞めない」としていたが[50]、5日朝に菅直人総理大臣と会談し「一連の発言で被災地に迷惑をかけており、国会運営だけでなく復興にも支障をきたす可能性がある」との理由で辞表を提出[51]。その後の記者会見では辞任理由について「個人的都合」としたが詳細については「話せません」と答えた。この席での「謎掛けをしようと思った」との発言について産経新聞は「真意分からず、最後まで『謎』だった」と報道した[52]

批判など[編集]

2011年3月11日東北地方太平洋沖地震ならびに福島第一原子力発電所事故の松本の対応について週刊現代は、「官邸に引きこもって閣議後の定例会見すら開かない。取材対応も記者との立ち話程度で、原発のことを聞くと『私は担当じゃないから』と逃げる。何をやってるのかさっぱり分からない」(匿名の全国紙政治部記者)、「官邸の危機管理センターに詰めていた松本氏がまったくの役立たずで、自衛隊の初動が遅れた」(匿名の全国紙政治部デスク)、「防災担当相として松本がやるべき仕事はほとんど仙谷由人が行っており、松本は単なるお飾りと化している」(匿名の官邸スタッフ)などの声が上がっているとしている[53]。この点に関連して、松本自身は7月3日の岩手県知事との会談で「私はボーッとしていたけど、みんなでやってくれた」[54]と述べている。

2011年7月4日、共産党の小池晃(前参院議員、宮城県仙台市にある東北大学医学部卒)はツイッターで、松本が部落解放同盟の副委員長を務めていることを引き合いに出して「内容も口調も人間として最低。大臣はもちろん国会議員の資格なし」「『書いたら終わりだぞ』というマスコミ恫喝は、部落解放同盟の地金が出たものでしょう」と批判した。なお解放同盟と共産党は1960年代後半から対立関係にあるという[55]

また、『週刊文春』2011年7月14日号は、松本氏の妻の姉の夫が九州に本拠を置く指定暴力団の最高幹部であることを伝えた上で、「今後の復興に向けて、がれき処理や住宅建設の問題を巡って、暴力団とのしがらみやゼネコンに絡む様々な利権の話が必ず出てきます。そういったときに特定の暴力団と関係のある松本氏が大臣という立場に適切なのかどうか」との民主党関係者の懸念を報じている[5]

所属団体・関連団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

  • 『環境外交の舞台裏』 2011年5月、日経BP社発行、日経BP環境経営フォーラム編 ISBN 4822208648

家族・親族[編集]

部落解放同盟元副委員長[56]。養祖父は「部落解放の父」と呼ばれた松本治一郎[1]。父は元参議院議員松本英一

脚注[編集]

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  1. ^ a b 松本復興相:部落解放運動、資産家、親分肌… 人物像は” (日本語). 毎日jp(毎日新聞社). 2011年7月5日閲覧。
  2. ^ a b NEWSポストセブン 2011.07.08 16:00 松本龍の娘 父の評判をツイッターで見て「学校に行けない」
  3. ^ 松本龍『環境外交の舞台裏』p.118(日経BP社、2011年)
  4. ^ 松本龍『環境外交の舞台裏』p.116(日経BP社、2011年)
  5. ^ a b 週刊文春2011年7月14日号「松本龍復興担当相 暴言!「チーム・ドラゴン」 暴力団幹部と義理の兄弟だった」
  6. ^ 松本龍『環境外交の舞台裏』p.120(日経BP社、2011年)
  7. ^ 松本龍『環境外交の舞台裏』p.121(日経BP社、2011年)
  8. ^ 週刊かけはし(日本革命的共産主義者同盟 (JRCL)発行) JR採用差別問題で院内集会
  9. ^ 2009年6月30日 東京新聞
  10. ^ 東京新聞 2010年10月30日朝刊「環境相 断トツ7億円 新閣僚資産」
  11. ^ [1]
  12. ^ a b 「人事異動」『官報』5586号、国立印刷局2011年6月29日、8面。
  13. ^ MSN産経ニュース 2011.7.5 09:13 菅内閣の“落日”象徴 松本龍震災復興担当相が辞表提出 首相の任命責任も
  14. ^ 松本龍前復興相「軽度のそう状態」 入院先の病院会見 朝日新聞 2011年7月13日
  15. ^ a b 『週刊新潮』2011年11月3日号「帰ってきた松本龍前復興相も乗り込む『呉越同舟』」
  16. ^ 福岡1区“仁義なき戦い” 麻生氏「渡世の義理」 菅原文太氏「松本氏を男に」”. msn産経ニュース (2012年12月13日). 2012年12月17日閲覧。
  17. ^ “民主・松本龍氏が落選 目潤ませ「私の力不足」”. 朝日新聞. (2012年12月17日). http://www.asahi.com/politics/update/1213/TKY201212130540.html 2012年12月19日閲覧。 
  18. ^ 松本龍元復興相、次期衆院選不出馬を表明
  19. ^ a b c 「【COP10】対立埋まらず最終日――議長案提示も採択は不透明」『【COP10】対立埋まらず最終日 議長案提示も採択は不透明 (1/2ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)産経デジタル2010年10月29日
  20. ^ 「失敗覚悟の議長案作成…COP10交渉の舞台裏」『失敗覚悟の議長案作成…COP10交渉の舞台裏 : 環境 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)読売新聞グループ本社2010年10月30日
  21. ^ 「生態系保全目標に『愛知ターゲット』――生きもの会議閉幕」『asahi.com(朝日新聞社):生態系保全目標に「愛知ターゲット」 生きもの会議閉幕 - 国際朝日新聞社2010年10月30日
  22. ^ a b 半沢智「『名古屋議定書』『愛知ターゲット』採択しCOP10が閉幕」『「名古屋議定書」「愛知ターゲット」採択しCOP10が閉幕:生物多様性:ECO JAPAN -成長と共生の未来へ-日経BP2010年10月30日
  23. ^ 松本龍『環境外交の舞台裏』p.110(日経BP社、2011年)
  24. ^ 「『復興構想会議は東北でやるべきだ』――松本防災相」『asahi.com(朝日新聞社):「復興構想会議は東北でやるべきだ」 松本防災相 - 政治朝日新聞社2011年4月15日
  25. ^ 「第10号――平成23年4月30日(土曜日)」『第177回国会 災害対策特別委員会 第10号(平成23年4月30日(土曜日))衆議院2011年4月30日
  26. ^ 「松本龍復興担当大臣・防災担当大臣『おはよう! ニッポン全国消防団』出演」『松本龍復興担当大臣・防災担当大臣「おはよう!ニッポン全国消防団」出演 - 日本消防協会日本消防協会2011年7月2日
  27. ^ 第142回国会 - 衆議院- 法務委員会 - 9号 平成10年4月10日
  28. ^ a b 「『6月いっぱいがめど』――退陣時期で松本防災相」『【首相辞意】「6月いっぱいがめど」 退陣時期で松本防災相 - MSN産経ニュース』、2011年6月3日
  29. ^ MSN産経ニュース 2011.6.28 23:21「チームドラゴン」始動 松本復興相が異色会見 「民主も自民も公明も嫌いだ!」
  30. ^ MSN産経ニュース 2011.6.29 20:49 復興相の「嫌い発言」に自公猛反発
  31. ^ 時事通信 2011/07/01-11:49「嫌い」発言を陳謝=松本復興相
  32. ^ 松本復興相が辞任…「言葉荒かったのは不適切」 - 読売新聞 2011年7月5日閲覧
  33. ^ a b 松本復興相、宮城県の村井知事を叱責 YouTube TBS News-iチャンネル TBS・東北放送 2011年7月3日
  34. ^ 松本復興担当相、岩手・達増知事と会談 ボールをけって復興のキックオフをアピール FNNニュース 2011年7月3日
  35. ^ 松本復興相、岩手・宮城両知事にきわどい発言連発 朝日新聞 2011年7月4日
  36. ^ “松本復興相、被災知事2人に放言連発”. 読売新聞. (2011年7月4日). http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110704-OYT1T00172.htm 2011年7月6日閲覧。 
  37. ^ “「コンセンサス得ろよ」復興相、3日宮城知事に”. 読売新聞. (2011年7月4日). http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110704-OYT1T00959.htm 2011年7月6日閲覧。 
  38. ^ “「書いたら、その社は終わりだから。」 松本復興相「脅し」に屈しなかった地元テレビ”. J-CASTニュース. (2011年7月4日). http://www.j-cast.com/2011/07/04100429.html 2011年7月6日閲覧。 
  39. ^ a b 形山昌由 (2011年7月4日). “松本龍復興相の叱責に根拠なし?”. オルタナ. http://www.alterna.co.jp/6074 2011年7月6日閲覧。 
  40. ^ a b 村井知事「国と地方は主従関係ではない」 産経新聞 2011年7月4日
  41. ^ 「早く辞任を」「侮辱」…復興相放言、あきれる被災地 朝日新聞 2011年7月4日
  42. ^ 復興相発言に一斉反発 「暴言」「辞任を」「命令口調」 朝日新聞 2011年7月4日
  43. ^ “松本氏発言、官邸や民主党本部に抗議電話相次ぐ”. 読売新聞. (2011年7月5日). http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110705-OYT1T01034.htm 2011年7月6日閲覧。 
  44. ^ 2011年7月5日 Jcastニュース 共産党・小池前参院議員「松本大臣発言は部落解放同盟の地金」
  45. ^ SANSPO.COM 2011.7.5 05:00 B型の三原氏激怒「血液型のせいにするな!」
  46. ^ “ドラゴン松本「復興相就任で豹変」の謎-あんな人じゃなかったのに”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2011年7月6日). http://www.j-cast.com/tv/2011/07/06100602.html?p=all 2011年7月7日閲覧。 
  47. ^ MSN産経ニュース 松本龍震災復興担当相の発言要旨(3~4日)
  48. ^ 九州ですけん語気が…4日の復興相発言=1 読売新聞 2011年7月4日
  49. ^ 私B型でちょっと短絡的…4日の復興相発言=3 読売新聞 2011年7月4日
  50. ^ 日テレNEWS24(2011年7月5日)
  51. ^ asahi.com(2011年7月5日)
  52. ^ 最後まで「謎」の発言 松本氏、目潤ませ思い強調 MSN産経ニュース 2011年7月6日
  53. ^ 現代ビジネス 2011年04月03日(日) 週刊現代 こんな時に防災担当大臣が「更迭」された理由
  54. ^ 松本龍復興相「知恵を出さぬやつ助けない」 共同通信 2011年7月4日
  55. ^ 第1共産党・小池前参院議員「松本大臣発言は部落解放同盟の地金」 : J-CASTニュース
  56. ^ 民主党 松岡とおる(部落解放同盟中央書記長)公式ウェブサイト

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
中井洽
日本の旗 特命担当大臣(防災)
第18代:2010年 - 2011年
次代:
平野達男
先代:
小沢鋭仁
日本の旗 環境大臣
第15代:2010年 - 2011年
次代:
江田五月
議会
先代:
大石正光
日本の旗 衆議院環境委員長
2002年 - 2004年
次代:
小沢鋭仁