小池百合子
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| 生年月日 | 1952年7月15日(60歳) |
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| 出身校 | 関西学院大学社会学部(中退) アメリカン大学カイロ校 カイロ大学社会学部 |
| 前職 | ニュースキャスター アラビア語通訳 |
| 所属政党 | (日本新党→) (新進党→) (自由党→) (保守党→) (保守クラブ→) 自由民主党(町村派→無派閥) |
| 称号 | 社会学士 |
| 公式サイト | KOIKE Yuriko 小池ゆりこ オフィシャルサイト |
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| 選挙区 | (旧兵庫2区→) (兵庫6区→) (比例近畿ブロック→) (東京10区→) (比例東京ブロック→) 東京10区 |
| 当選回数 | 7回 |
| 任期 | 1993年 - 現職 |
| 所属委員会 | 予算委員会 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 |
| 議員会館 | 衆議院第1議員会館343号室 |
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| 選挙区 | 比例区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 1992年 - 1993年 |
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| 内閣 | 第1次安倍内閣 |
| 任期 | 2007年7月4日 - 2007年8月27日 |
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| 内閣 | 第1次小泉第2次改造内閣 第2次小泉内閣 第2次小泉改造内閣 第3次小泉内閣 第3次小泉改造内閣 |
| 任期 | 2003年9月22日 - 2006年9月26日 |
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| 内閣 | 第2次小泉改造内閣 第3次小泉内閣 第3次小泉改造内閣 |
| 任期 | 2004年9月24日 - 2006年9月26日 |
小池 百合子(こいけ ゆりこ、1952年(昭和27年)7月15日 ‐ )は、日本の政治家、元ニュースキャスター。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、自由民主党広報本部長、自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)創設者。
自由民主党総務会長(第49代)、防衛大臣(第2代)、内閣総理大臣補佐官(第1次安倍内閣)、環境大臣(第5・6・7代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)、参議院議員(1期)等を歴任した。
目次 |
来歴 [編集]
生い立ち [編集]
兵庫県芦屋市生まれ。甲南女子中学校、甲南女子高等学校卒業。在学中は、テニス部・ソフトボール部、E.S.Sに所属。高校卒業後、関西学院大学社会学部に入学するも、1971年9月に中退。その前々年の1969年、神戸市で衣料関連の貿易商を営んでいた実父が、石原慎太郎による将来的な新党結成を見据えた「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて旧兵庫県第2区から第32回衆議院議員総選挙に立候補したが、落選。その後、一家はエジプトへ渡った。「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」旨を伝える新聞記事をきっかけに、カイロ市のアメリカン大学カイロ校でアラビア語を修めた後、カイロ大学に進学。1976年10月、カイロ大学社会学部を女性で初めて首席で卒業(学位は社会学士(カイロ大学))。エジプト滞在中に、ピラミッドに登り、ピラミッドの天辺で茶道の形式に則りお茶を点てた経験もある[1]。
ジャーナリスト・ニュースキャスター時代 [編集]
カイロ大学卒業後はジャーナリストの道を選び、PLO議長ヤーセル・アラファートや、リビアのカダフィへの単独インタビューを成功させ、注目を集めた。1984年、東京大学に在籍していたトルコ人留学生ヌスレット・サンジャクリの抗議を受け、「トルコ風呂」の名称が「ソープランド」に改められた。小池はこの青年を当時から支援しており、本人も後日新聞報道でそれを認めている[2]。小池はトルコ留学生の熱心な訴えを聞き、国家の尊厳を守るという「大義」に加えて、がぜん彼への「共感」(=なんとかしてあげたい)が芽生えた結果だった[3]。
1979年から1985年まで、日本テレビ 「竹村健一の世相講談」でアシスタントキャスターを務めた後、1988年より テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」初代メインキャスター[4]。
政界入り [編集]
1992年の第16回参議院議員通常選挙を前に、複数の政党から立候補の誘いを受けていたが、「政治を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」[5]との理由で、前熊本県知事の細川護煕が結党した日本新党に入党し、比例区から出馬して参議院議員に初当選した。1993年、参院議員を任期途中で辞職。第40回衆議院議員総選挙に旧兵庫県第2区から日本新党公認で出馬し、当選した。同年、細川内閣で総務政務次官に就任。
1994年、日本新党の解党に伴い新進党結党に参加し、「新進党の結成はペリー、マッカーサーに続く第3の黒船である」とコメントした。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い兵庫県第6区から出馬し、再選。新進党では、初代幹事長でありのちに新進党党首に就任した小沢一郎の側近であり、1997年の新進党解党後は小沢が党首を務める自由党の結党に参加。1999年、小渕第2次改造内閣で経済企画政務次官に任命され、第1次森内閣まで務める。2000年の自由党分裂に際しては小沢と袂を分かち、保守党結党に参加した。2002年、民主党を離党した熊谷弘らの合流に伴う保守新党結成を前に保守党を離党し、保守クラブ(自民党へ合流するため、一時的に結成した形式上の政治団体)を経て自由民主党に入党。清和政策研究会に入会した。
小泉政権 [編集]
2003年、第1次小泉第2次改造内閣で環境大臣に任命され、初入閣を果たした。同年の第43回衆議院議員総選挙では、比例近畿ブロック単独で立候補し、4選。第2次小泉改造内閣より内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)を兼任。環境大臣は第3次小泉改造内閣まで務め、2005年夏の軽装化キャンペーン「クール・ビズ」の旗振り役を務める。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、郵政国会で郵政民営化法案に反対票を投じた小林興起の当選を阻止するため、東京都第10区に刺客として国替えする意向を表明。東京都第10区を選んだ理由について「自民・小林vs民主・鮫島の事実上の一騎打ちが続いている。二人は同じ年であり、東大卒の元官僚同士の戦いであったことを国会便覧にて確認し、勝算を得た」と述べている。この総選挙では、小泉純一郎の移行で女性候補が比例区の名簿で上位に優遇される措置が取られ、小池もその対象であったが、小池は対立候補から事実上当選が確実な状態であることを指摘され、選挙区での戦いが不利になることを懸念し、優遇の措置を辞退している。東京都第10区で小林、鮫島を大差で破り、5選を果たした。2005年8月21日、小林らが田中康夫長野県知事を党首に新党日本を結党したその瞬間に、保守層の支持を獲得できると確信したと述べている。選挙後、地球温暖化対策の名目で環境税の導入構想を発表したが、反対意見が多いため導入は見送られた。
安倍政権 [編集]
2006年に発足した第1次安倍内閣では、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)に任命される。しかし、2007年7月3日、第二次世界大戦中のアメリカ合衆国による広島・長崎への原爆投下を「しょうがない」と発言した久間章生防衛大臣が辞任したため、北朝鮮による日本人拉致問題や在日米軍再編に関する知識を買われ、後任の防衛大臣に起用された。なお小池の選挙区である東京10区には陸上自衛隊練馬駐屯地があり、第44回衆議院議員総選挙の際には、練馬駐屯地まで来隊している。また以前の選挙区であった兵庫6区には陸上自衛隊伊丹・川西・千僧の各駐屯地および長尾山演習場がある。女性が国防担当閣僚に就任したのは、日本では小池が初めてであった(G8ではミシェール・アリヨ=マリー(フランス)以来の女性国防担当閣僚)。
防衛大臣就任後、 テロ対策特別措置法の延長問題に関して、民主党が求めている自衛隊派遣に関する国会の事前承認について「国会がチェック機能を果たす観点から1年ごとの(法改正による)延長という仕切りがある。今の制度でも十分役割を果たしている」と否定的な見方を示した[6]。2007年8月には、米下院慰安婦決議問題で内閣総理大臣安倍晋三、外務大臣麻生太郎、駐米大使加藤良三が日米関係に与えていたマイナス・イメージを払拭すべく、第167回国会を欠席してアメリカを電撃訪問し、国防長官ロバート・ゲーツや副大統領ディック・チェイニーと会談、野党がテロ対策特別措置法の延長に反対している状況を説明した上で、「これからも引き続き、役割を果たしていきたい」と、インド洋での自衛隊の給油活動を継続する方針を伝えた。国務長官コンドリーザ・ライスとの会談では「私は『日本のライス』と呼ばれているようですが、日本でライスは米(こめ)になります。よって、マダム・スシと呼んでみてはいかがでしょうか」などと英語でジョークを飛ばした[7]。なお、訪米のための国会欠席について8月9日におこなわれた党国防部会などの合同会議で、山崎拓から「いささか当を得ない行動ではないか。今、党はテロ対策特別措置法を抱えている」と批判された[8]。
8月24日、インドを訪問中の小池はニューデリーのホテルにおいて記者団に対し、「皆さんには奇異に思われるかもしれませんが、防衛省内で(2007年(平成19年)5月、小池百合子が国家安全保障問題担当首相補佐官のときに発覚した事件であり、防衛大臣として訪米した際にも米国側から指摘されていた日本防衛省の情報保全に対する懸念の最大の原因となった)イージス艦機密情報漏洩事件の責任をどなたも取っておられませんので、この点で(かつて国家安全保障問題担当の首相補佐官であり、防衛大臣である)私は責任を取りたいと思います」「情報保全という大きな課題が本当に意味をなすために、きっちりとした体制でやっていただきたい。そのために、人心を一新していただきたい。そうして、そこ(情報保全)を任せられる人に大臣になっていただきたい」と述べ、3日後に行われる内閣改造で自身の再任を固辞し、防衛相を離任する意向を表明。その後、会見場からの去り際に突然の離任宣言に驚いている職員や記者たちに「だから私は辞めるって言ってんのよ」と述べ、辞任の意向を強調した。8月27日の閣議後の記者会見では「国防という国政の最重要部門を担当させていただきまして、まさに女子の本懐という気持ちでございました。国防につきまして"I shall return(私は必ず戻って来る)"の気持ちでこれからもやって参りたいと思います」と述べた。
2008年自由民主党総裁選挙 [編集]
2008年9月、福田康夫の辞任に伴って実施された自由民主党総裁選挙に20人の推薦人を確保し、立候補した。自民党結党以来、女性の自民党総裁選出馬は史上初である。「霞が関をぶっ壊す」をスローガンに構造改革路線の継承を掲げたが、麻生太郎、与謝野馨に次ぐ3位の得票数で、地方票は0票であった。ただし、党員票では麻生に次ぐ2位に付けており与謝野を大きく引き離している。これは多くの都道府県が地方票の1位総取り方式を採用したためである。
2009年衆議院議員総選挙以降 [編集]
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、再び東京都第10区からの出馬を表明。公明党の推薦も受け[9]、同党の支持母体である創価学会からも支援を受けていたが、同じ東京都第10区に候補者を擁立していた幸福実現党に選挙協力を打診し、幸福実現党は候補擁立を取り止めて小池を支援した[10]。「風車のお百合」をキャッチフレーズに自身が所有する電気自動車を使用した、環境を前面に押し出した選挙運動を展開したが、民主党新人の江端貴子に8,773票差で敗れ、重複立候補していた比例東京ブロックで復活した。小池が獲得した96,739票は、比例東京ブロックで復活した自民党候補の得票数では下から2番目に低く、惜敗率の低さから復活できなかった石原宏高や佐藤ゆかり、伊藤公介の得票数を下回っている(ただし、東京都第10区は日本全国で最も有権者数が少ない選挙区である)。9月3日、「派閥単位でなく、党全体で結束すべき」として町村派を退会し、無派閥となった[11]。
麻生総裁退陣に伴う2009年自由民主党総裁選挙には立候補せず、谷垣禎一元財務大臣の推薦人に名を連ね、谷垣総裁の下で党広報本部長を務める。2010年6月9日自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)設立総会で、相談役に就任した。
2010年9月の党役員人事で、谷垣総裁の下自由民主党総務会長に就任した。党三役に女性が就任するのは結党以来初めて。2011年9月、自民党総務会長を退任。2012年の第46回衆議院議員総選挙では、東京都第10区で前回敗れた民主党の江端貴子を下し、7期目の当選を果たした。選挙後、自由民主党広報本部長に就任。
政策・主張 [編集]
外交・安全保障 [編集]
- 核武装
- 2003年11月、毎日新聞の衆議院議員アンケートで、日本の核武装について「国際情勢によっては検討すべきだ」と回答した[12]。
- アメリカ合衆国
- 2003年2月、アメリカのイラク戦争を支持する立場から日本国際フォーラムの「イラク問題について米国の立場と行動を支持する声明」を連名で新聞発表し、イラク戦争に賛意を表明した。
- リビア
- リビア情勢に詳しく、日本の国会議員きっての親リビア派の議員として知られている。日本リビア友好協会では会長に就任しており[13]、日本とリビアとの関係の強化、発展を狙っている。なお、この日本リビア友好協会は、リビアからの要求に基づき、政府に代わり「日本リビア間の経済、産業、科学技術、文化等の協力促進に関する合意書」を締結した団体である[14]。国際連合によるリビア制裁の間も、日本とリビアとの関係強化を図るためさかんに活動しており[14]、同国の革命指導者であるムアンマル・アル=カッザーフィーの二男のサイフルイスラーム・ムハンマド・アル・カッザーフィーや、三男のアル=サアディー・カッザーフィーに対し、日本訪問を要請したのもこの団体である。
- 小池はリビアを訪問した経験もあり、複数回にわたって同国の革命指導者ムアンマル・アル=カッザーフィーと直接会談している[15]。さらに、カッザーフィーに招かれ執務室の中に入ったこともあるという[15]。
- リビアでのカッザーフィーの施政については、カッザーフィーは民主主義国家の樹立を目指していると指摘したうえで、カッザーフィーが明治維新を参考にしている、などと主張している[15]。
- また、かつてカッザーフィーに対して任天堂のゲーム機「Wii」を朝貢したこともあるという。2009年(平成21年)11月、小池はツイッターの公式アカウントにて「リビアのカダフィ指導者へのお土産はWiiにしました!」[16]とつぶやいている。
- 2011年8月には、日本の政治家として初めてリビア国民評議会のトップであるムスタファ・モハメド・アブドルジャリル議長らと会談した[17]。
内政 [編集]
- 旧姓続称を認める制度改正
- 民主党主導の選択的夫婦別姓法案には反対しているが、旧姓続称を認めるための同法案に準じる制度改正に賛成。
- 表現規制推進
- マンガやアニメ、映画、ゲームにおける描写を規制する青少年健全育成基本法案の請願を国会に提出した[18]。
- 児童ポルノ禁止法改正案の請願を国会に提出した[19]。
人物 [編集]
細川護熙、小沢一郎、二階俊博、小泉純一郎、安倍晋三、中川秀直、石破茂と時の権力者や実力者の近くを渡り歩いている。また、日本新党、新進党、自由党、保守党、自民党と5つの政党を渡り歩いていたため、「政界渡り鳥」と揶揄されることもあるが、日本新党、新進党、保守党は党そのものが解党し、自由党を離党したのも自自公連立政権からの離脱に反対したためで、自発的に離党したのは自由党離党の時のみである。
中川秀直は第45回衆議院議員総選挙前から麻生内閣や党執行部への批判を繰り返していたため、小池も選挙前から距離を置くようになっていた。総選挙で中川、小池は共に小選挙区で落選し、比例復活。中川は町村派の町村信孝会長や相談役の森喜朗相談役との確執が以前から取り沙汰されており、総選挙後にそれぞれ町村派を退会し無派閥に転じた。
環境大臣在任中の外来種問題への取り組みは、外来種の一つ・ブラックバスへの対応が客観性の無い一方的な政策であったと池田清彦やブラックバス釣り愛好者の間では批判されているが、一方でブラックバス釣り愛好家とは利害が対立する立場の人々からは支持されている。
2005年、過労が原因で入院。2006年4月6日発売の週刊新潮で「永田町では危篤説や自殺未遂説が流れている」と報じられたりしたが、同14日に退院し公務に復帰。復帰会見で「女性の場合、男性の10倍くらい結果を出さないとなかなか認められないから、つい、がんばりすぎちゃうんですよね」と発言した。また、クールビズの時には「男性社員の厚着のせいで女子社員が冷房で寒い思いをしている」との発言があった。
防衛省事務次官更迭問題 [編集]
2007年に防衛大臣に就任した小池は、内閣総理大臣補佐官時代からの懸案であった防衛省の「情報保全」システムの確立を理由に、守屋武昌防衛事務次官を退任させ、警察庁出身の西川徹矢官房長を防衛事務次官に起用する人事案を作成した。しかしこの人事情報が防衛省中枢からマスコミに漏洩され、更に守屋が小池大臣の頭越しに安倍晋三首相や塩崎恭久内閣官房長官に対して直接、人事案の撤回を直訴し、塩崎が小池に対し、人事案の再考を求める事態に発展した。小池は人事案の撤回を迫られ、安倍、塩崎らは守屋留任でも西川でもない「第三の(人事)案」を小池に要求して事態の収拾を図り、守屋同様防衛省プロパー(他省庁からの出向ではない、生え抜きの防衛官僚)の増田好平人事教育局長を後任の事務次官に起用する「第三の案」で決着させ、マスコミは「痛み分け」「けんか両成敗」などと評した。なお守屋は事務次官を退任後、国会での証人喚問の後に逮捕、起訴された。小池は「オンナの直感で『これはよろしくない』と思った[20]」と述べた。
政治資金 [編集]
企業献金 [編集]
- 消費者金融業界
- 消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていると日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は伝えた[21]。
- 環境関連企業
- 自身が環境大臣時代の2005年の総選挙公示直前に、関連企業から100万円の企業献金を受け取っていたとされる[22]。
事務所費 [編集]
小池の資金管理団体「フォーラム・ユーリカ」(会長宮内義彦)が、家賃や水道光熱費が無料である議員会館を「主たる事務所」としながら、2001~2005年までに事務所費4200万円超、光熱水費300万円超を計上していることが明らかになっている。
小池事務所側は、兵庫県(選挙区変更後は東京都豊島区)にある地元事務所の家賃、水道光熱費を合算したと説明している。しかし、事務所費として 2003年(平成15年)に1100万円超を計上しながら、2004年(平成16年)には半額の約582万円を計上しており、「毎年一定した金額であるはずの事務所費が、これほど増減するのは不自然」[23]と指摘されている。
政治資金の収支が4年連続で同額 [編集]
小池が代表を務める政党支部の政治資金収支報告書に対し、収支が完全に一致し4年連続で繰越金が0円になるのは不自然との指摘がなされている[24]。
小池側が提出した政治資金収支報告書によれば、2003年(平成15年)-2006年(平成18年)にかけて、各年とも収入と同額が支出として計上され繰越金が0円となっていた。政治献金により収入は年ごとに変化することから「支出を1円単位で合わせるのは至難の業」[24]とされており、小池の収支報告は「偶然ではほとんどあり得ない現象」[24]と指摘されている。小池の事務所は、「実際にかかった費用を積み上げ、法にのっとって適切に処理した結果だ」[24]としている。
発言 [編集]
小沢一郎 [編集]
- 新進党、自由党に在籍していた約6年間に小沢一郎を支持していた理由について、「小沢さんが九三年に刊行された『日本改造計画』に大変な感銘を受けたからだ」[25]と説明しながらも、「ところが、小沢さんが掲げた改革を断行し、護送船団の社会構造を廃して自己責任の社会を実現しようとしたのは小沢さんならぬ、小泉純一郎元総理、その人であった」[25]と評している。小沢の政治手法については、「極論すれば、小沢氏の政治行動の基準は、わずか二枚のカードに集約される、と。それは「政局カード」と「理念カード」である。具体的にいえば、「政局カード」とは持論である政権交代という錦の御旗を立てることであり、「理念カード」とは安全保障を中心にした政策構想である。小沢氏というと政治的駆け引きに長けているように見えるが、決してそんなことはない。むしろやり方はシンプルだ。自民党を離党し、細川政権の樹立から今日まで、手の内のカードはこの二枚を駆使することに尽きる。ある時は「政局カード」を振りかざし、それが手詰まりになると見るや、今度は「理念カード」を切る。この繰り返しである」[26]と評している。
- また、小池が自由党を離党して保守党に参加し、小沢と決別した理由については、「ここで連立政権を離れて野党になれば、小沢氏の「理念カード」によって、政策の先鋭化路線に再び拍車がかかることは想像できる。一方で、経済企画庁の政務次官の仕事を中途半端に投げ出すことには躊躇した。」「少々心細くもあったが、実は「政局」と「理念」の二枚のカードに振り回されることにも、ほとほと疲れていた。」[26]「かつて小沢さんは、自由党時代に取り組んだはずの国旗・国歌法案について、自民党との連立政権から離脱するなり、180度転換し、「反対」に回った。国旗・国歌法案は国家のあり方を問う重要な法案だ。政治の駆け引きで譲っていい話ではない。同じく外国人地方参政権の法案についても自由党は反対だったはずだが、公明党の取り込みという目的のために、「賛成」へと転じたことがある。国家の根幹を揺るがすような重要な政策まで政局運営の“手段”にしてしまうことに私は賛成できない。これが私が小沢代表と政治行動を分かとうと決意する決定打となった」[25]と説明している。
- 2007年8月9日、民主党がテロ対策特別措置法の延長に反対していることについて、「(小沢一郎は)湾岸戦争のころから、カレンダーがめくられていないのではないか」と批判した。
沖縄問題 [編集]
- 2005年10月5日の参議院予算委員会において、民主党の喜納昌吉参院議員からの普天間代替基地建設に関する辺野古海岸埋立てをめぐる米国での環境破壊反対訴訟に関する質問に対して「辺野古沖のジュゴンは北限のジュゴンというふうに言われておりますが、この北限が今、地球温暖化によってどんどん上がってきているというようなこともございます」と答弁した。
- 2013年3月には「沖縄の先生(=自民党議員)方が何と戦っているかというと、沖縄のメディアなんですよ。今日はこちらに地元メディアもいると思うが、しかしながら、あれと戦って今回のご当選をされてきたということは、むしろ沖縄のメディアの言っていることが本当に県民をすべて代表しているとは、私ははっきり言って思いません。これからも堂々と地元と国会議員としての役割を果たして頂けるように後押しをさせていただきたい。」と党国防部会で発言[27]。
水俣病問題 [編集]
「女性は子供を産む機械」発言への批判 [編集]
- 厚生労働大臣柳澤伯夫の、女性を「子供を産む機械」に例えた発言に対し、2007年2月4日、小池はテレビ番組にて「柳澤(伯夫)さんだけじゃなくて、イスラムの国よりも、日本における男性の、女性に対する見方は遅れてるんじゃないか」と批判[29]。
外国人参政権 [編集]
- 2010年1月22日の衆議院予算委員会において外国人参政権について質問し、赤松広隆農林水産大臣の「日本における外国人参政権は民団への公約」という発言について質し、さらに亀井静香金融担当大臣から「私の所属しております国民新党は付与することについては反対でありますし、私としても反対であります」との答弁を引き出した。なお、本人は保守党在籍当時の2000年11月に、同じ衆議院の特別委員会で法案提案者の一人として「税金を払っている在日の方々がそれに対して意見を、また参政権という形で、選挙という形で意見を述べるのは、これは当然ではないかというような意見もある」「在日の皆さま方のことを考えると同時に、日本そのものを考えるという大変大きなモメンタムである」と発言している(一方で提案説明の中で「やはり国民の声の中では幾つかの問題提起もされている」「地方の政治と国政とは実は非常に密接に関係してくる」「(南北朝鮮の民団と総連という関係が敵対して)一本化されていないということに一抹の不安を覚える」「国籍を取りやすくするということも、この法案とはまた別にその選択肢も十分ある」「国籍取得をより簡便にするということをまず考えなければならないのではないか」と導入に慎重な意見もしている)[30]。なお、小池は外国人参政権に関する過去の発言をめぐる報道に関して2010年7月、日刊ゲンダイを名誉毀損で東京地裁に告訴し、勝訴した。
民主党政権及びその政策に対する批判 [編集]
- 2009年8月の第45回衆議院議員総選挙とその結果を受けての鳩山由紀夫内閣成立は“日本解放第二期工作要綱が決行された結果である”と自分のメールマガジンで主張[31]。11月26日には、鳩山由紀夫内閣が進める事業仕分けについて、「中共の「日本解放工作要綱」にならえば、事業仕分けは日本弱体化の強力な手段。カタルシスを発散させながら、日本沈没を加速させる…。」と述べている[32]。
- 2010年3月11日、自身のTwitterにおいて、朝鮮学校の高校無償化に反対を明言し、それに加えて、「反日教育を進めている北教組の傘下にある北海道の高校も同類」と書き込み、北海道の高校の授業料無償化にも反対の姿勢を示した[33]。
その他 [編集]
- 2007年7月26日、青森県弘前市で行なわれた第21回参議院議員通常選挙の比例区に立候補した候補者の応援演説において、1995年の阪神・淡路大震災における救援活動について「アメリカが支援に神戸港に入ろうとしても、港湾組合が厳しくてなかなか着岸できなかった」と発言。これに対して港湾労組協議会は「拒否した事実はない」と真っ向否定している。小池側は「非核証明がない限り入港できないという、非核神戸方式を念頭に置いた発言」と弁明している[34]。(本当の理由はアメリカ軍の船が大きく、多くの港湾機能が麻痺している状況での入港は厳しいと判断したため。)[要出典]
- 2008年の中国製ギョーザ中毒事件に関連して、「自殺願望の人が農薬を口にしたが偽装農薬で死ねず、良かったといってお祝いでギョーザを食べたら死んでしまった。すごくブラックなジョーク」と述べた[35][36]。
所属団体・議員連盟 [編集]
年譜 [編集]
- 1971年(昭和46年) 甲南女子高等学校卒業。関西学院大学社会学部に入学(のちに中退)。
- 1976年(昭和51年) カイロ大学文学部社会学科卒業。
- 1979年(昭和54年) 日本テレビ「世相講談」キャスター。
- 1985年(昭和60年) テレビ東京「マネー情報」キャスター。
- 1988年 (昭和63年) テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」初代メインキャスター。
- 1992年(平成4年)7月 参議院議員当選(日本新党公認・比例区)。
- 1993年(平成5年)7月 衆議院議員当選(日本新党公認・旧兵庫2区)。
- 1994年(平成6年)12月10日 日本新党解党、新進党結成に参加。
- 1996年(平成8年)10月 衆議院議員再選(新進党公認・兵庫6区)。
- 1997年(平成9年)12月 新進党解党。
- 1月 自由党結成に参加。
- 1999年(平成11年)10月5日 経済企画総括政務次官に就任(-2000年(平成12年)4月5日)。
- 2000年(平成12年)4月 自由党離党、保守党結党に参加。
- 2000年(平成12年)6月 衆議院議員3選(保守党公認・兵庫6区)
- 2002年(平成14年)12月 保守党解党、自由民主党に入党。
- 2003年(平成15年)9月22日 環境大臣に就任。
- 11月 衆議院議員4選(自由民主党公認・比例近畿ブロック)。
- 2003年(平成15年)11月19日 環境大臣に再任。
- 2004年(平成16年)9月27日 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)を兼任。
- 2005年(平成17年)9月 衆議院議員5選(自由民主党公認・東京10区)
- 9月21日 環境大臣・内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)再任。
- 2006年(平成18年)9月26日 内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)就任。
- 2007年(平成19年)7月4日 防衛大臣就任。
- 8月28日 防衛大臣退任。
- 2008年(平成20年)9月 自由民主党総裁選挙に立候補。麻生太郎、与謝野馨に次ぐ得票数3位で落選。
- 2009年(平成21年)8月 衆議院議員6選(自由民主党公認・比例東京ブロック)
- 自由民主党広報本部長就任。
- 2010年(平成22年)9月 自由民主党総務会長就任。
- 2011年(平成23年)9月 自由民主党総務会長退任。
- 2012年(平成24年)12月 衆議院議員7選(自由民主党公認・東京10区)、自由民主党広報本部長就任。
著作 [編集]
単著 [編集]
- 1982年1月 『振り袖、ピラミッドを登る』講談社、ISBN 4062002701
- 1983年1月 『3日でおぼえるアラビア語』学生社、ISBN 4311700148 / 第2版、1998年10月、ISBN 4311710011
- 1985年4月 『おんなの人脈づくり サクセスウーマンのPassport』太陽企画出版、ISBN 4884660749
- 1994年6月 『永田町ブロードキャスター』朝日新聞社、ISBN 4022567430
- 週刊朝日に連載した「永田町リポート」と、書き下ろした「日本新党の行方」を収録。
- 2007年10月 『女子の本懐 ~市ヶ谷の55日~』文春新書、ISBN 9784166606023
共著 [編集]
- 1995年12月 パラダイム・ファクトリー著『日本破局のシナリオ 待ったなし、日本再生構想』新講社、ISBN 4915872106
- 2001年8月 相澤英之、ほか編『一問一答金庫株解禁等に伴う商法改正』商事法務研究会、ISBN 4785709553
- 2001年12月 『対論:テロは日本を変えたか』広済堂出版、ISBN 4331508579
- 古森義久との共著
- 2002年11月 山本一太監修『私が総理になったなら 若き日本のリーダーたち』角川書店、ISBN 4048837877
- 2005年4月 環境ビジネスウィメン懇談会 編著 『環境ビジネスウィメン』日経BP社、ISBN 4822208575
- 小池百合子、染谷ゆみ、善養寺幸子、堤恵美子、キャシー松井、薗田綾子、安井悦子、鈴木敦子、枝廣淳子、崎田裕子、谷みどり による共編著
- 2008年7月 TPL著『東京WOMEN大作戦』小学館、ISBN 9784093877947
対談等 [編集]
- 1992年10月 牟田口義郎著 『カイロ 世界の都市の物語 10』文藝春秋、ISBN 978-4-16-509620-7
- 「ケイオスティック・カイロ」を寄稿
- 1993年9月 佐高信著『日本人の死角』徳間書店、ISBN 4191452908
- 対談「私は政治改革のモルモット」を収録
- 1999年3月 大前研一、政策学校〈一新塾〉著『新しい日本をつくるために私ができることあなたができること』ダイヤモンド社、ISBN 4478180202
- 第3章に「政治を変える、日本を変える」 を寄稿
- 2001年2月 佐和隆光、浅田彰著『富める貧者の国 「豊かさ」とは何だろうか』ダイヤモンド社、ISBN 4478200653
- 鼎談「機能不全に陥った日本型システム」を収録
論文 [編集]
脚注 [編集]
- ^ ピラミッドへの登頂は文化財の破壊につながるため、現在はエジプト政府により禁止されている。
- ^ 1985年4月11日毎日新聞夕刊
- ^ 『小池式コンセプトノート』P235
- ^ この時は、テレビ東京専属「パーソナリティー」(事実上局アナウンサーの業務を担当)
- ^ 鯨岡仁「政権選択『93世代』はいま――対談小池百合子氏前原誠司氏」『朝日新聞』43724号、朝日新聞東京本社、2008年1月7日、2面。
- ^ “テロ対策特措法:国会の事前承認に否定的…小池防衛相”. 毎日新聞. (2007年8月3日)
- ^ アサヒコム 2007年8月11日配信など
- ^ 読売新聞2007年8月10日
- ^ 衆院選小選挙区 自民128人推薦 公明新聞 2009年8月7日
- ^ “小池氏、幸福実現党とタッグ結成も「金正日拘束」「ミサイルUターン」にドン引き…東京10区”. スポーツ報知. (2009年8月18日)
- ^ “小池百合子氏が町村派を退会 「派閥の時代でない」”. 共同通信. (2009年9月3日) 2011年2月15日閲覧。
- ^ 2007年7月21日 毎日新聞 東京朝刊
- ^ 『協会概要』日本リビア友好協会。
- ^ a b 『日本リビア友好協会の歩み』日本リビア友好協会。
- ^ a b c 『カダフィ氏「大佐」の理由 執務室には「明治天皇の写真」 (1/2) : J-CASTニュース』ジェイ・キャスト、2011年(平成23年)2月22日。
- ^ 『Twitter / 小池百合子: ちなみに、リビアのカダフィ指導者へのお土産はWiiに ...』ツイッター、2009年11月19日。
- ^ “リビア反体制トップ、自民小池氏と会談 日本に支援要請”. (2011年8月6日) 2011年8月6日閲覧。
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ “女の直感で「よろしくない」=守屋容疑者について小池元防衛相”. 時事通信社. (2007年11月29日)
- ^ パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日
- ^ 小池氏に受注企業献金 環境相時代、100万円 05年総選挙直前 公選法違反の疑い しんぶん赤旗 2007年8月4日
- ^ 「小池百合子防衛相家賃ナシ・光熱水費ナシの議員会館に事務所費4542万円!」『週刊現代』49巻30号、講談社、2007年(平成19年)8月11日、29頁。
- ^ a b c d 「政党支部、収支ピタリ一致の『怪』――『帳尻合わせない』」『asahi.com:政党支部、収支ピタリ一致の「怪」 「帳尻合わせない」 - 政治』朝日新聞社、2007年11月26日。
- ^ a b c 『中央公論』2008年10月号「それでも時代は、小沢総理を求めるのか」p67
- ^ a b 『文藝春秋』2008年1月号「小沢一郎と小泉純一郎を斬る」、p129
- ^ 「戦っている相手は沖縄のメディア」小池元防衛相 朝日新聞2013年3月26日
- ^ 水俣病問題に係る懇談会
- ^ “小池首相補佐官、厚労相の「産む機械」発言に不快感”. 朝日新聞. (2007年2月4日)
- ^ 衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 2000年11月22日議事録
- ^ e-コムネット第46号
- ^ 中共の「日本解放工作要綱」にならえば、事業仕分けは日本弱体化の強力な手段。カタルシスを発散させながら、日本沈没を加速させる…。
- ^ 『朝鮮学校の無償化、首相「法案成立後に判断」』(朝日) それはないでしょ!! 絶対反対! 反日教育を進めている北教組の傘下にある北海道の高校も同類。
- ^ 小池防衛相:「神戸の港湾組合、震災支援を阻害」発言(毎日インタラクティブ 記事はサイトリニューアルにより消滅)
- ^ “「ギョーザ食べ死んだ」 小池百合子氏発言”. 中日新聞 (中日新聞社). (2008年3月11日) 2013年5月3日閲覧。
- ^ 夕刊フジ記事2008年03月12日
関連項目 [編集]
- 自由民主党国会議員一覧
- 清和政策研究会
- 小沢一郎
- 野田数 東京都東村山市議会議員(自民)(元秘書)
- 中山泰秀(元政策秘書)
- 宮内義彦(後援会会長)
- 地域経済総合研究所(評議員)
- 日本解放第二期工作要綱
- 中華民国政府與台湾人民對東日本大震災之援助
外部リンク [編集]
- 公式サイト
- 小池百合子 公式YouTubeチャンネル (YouTube、Flash Video)
- ニコニコ動画YuriChannel
- 小池百合子 (ecoyuri) - Twitter
- 『ザ・選挙』小池百合子 選挙・政治家情報ページ
- 過去の大臣記者会見・談話等(小池環境大臣)
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自由民主党総務会長 第49代:2010年 - 2011年 |
次代: 塩谷立 |
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