小池百合子

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日本の旗 日本の政治家
小池 百合子
こいけ ゆりこ
Yuriko Koike, Aug. 17, 2007.jpg
生年月日 1952年7月15日(61歳)
出生地 日本の旗 兵庫県芦屋市
出身校 関西学院大学社会学部(中退)
アメリカン大学カイロ校
カイロ大学社会学部
前職 ニュースキャスター
アラビア語通訳
所属政党 日本新党→)
新進党→)
自由党→)
保守党→)
保守クラブ→)
自由民主党町村派→無派閥)
称号 社会学士
公式サイト KOIKE Yuriko 小池ゆりこ オフィシャルサイト

選挙区 旧兵庫2区→)
兵庫6区→)
比例近畿ブロック→)
東京10区→)
比例東京ブロック→)
東京10区
当選回数 7回
任期 1993年 - 現職
所属委員会 予算委員会
沖縄及び北方問題に関する特別委員会
議員会館 衆議院第1議員会館501号室

選挙区 比例区
当選回数 1回
任期 1992年 - 1993年

日本の旗 第2代 防衛大臣
内閣 第1次安倍内閣
任期 2007年7月4日 - 2007年8月27日

日本の旗 第5・6・7代 環境大臣
内閣 第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
第3次小泉改造内閣
任期 2003年9月22日 - 2006年9月26日

内閣 第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
第3次小泉改造内閣
任期 2004年9月24日 - 2006年9月26日
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小池 百合子(こいけ ゆりこ、1952年昭和27年〉7月15日 ‐ )は、日本政治家ニュースキャスター衆議院議員(7期)。

参議院議員(1期)、環境大臣(第567代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)防衛大臣第2代)、自由民主党総務会長などを歴任した。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

兵庫県芦屋市生まれ。甲南女子中学校、甲南女子高等学校卒業。在学中は、テニス部・ソフトボール部、E.S.Sに所属。高校卒業後、関西学院大学社会学部に入学するも、1971年9月に中退。その前々年の1969年神戸市で衣料関連の貿易商を営んでいた実父が、石原慎太郎による将来的な新党結成を見据えた「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて旧兵第2区から第32回衆議院議員総選挙に立候補したが、落選。その後、一家はエジプトへ渡った。「国際連合公用語アラビア語が加わる」旨を伝える新聞記事をきっかけに、カイロ市アメリカン大学カイロ校でアラビア語を修めた後、カイロ大学に進学。1976年10月、カイロ大学社会学部女性で初めて[要出典]首席で卒業学位社会学士(カイロ大学))。エジプト滞在中にピラミッドを登り、その天辺で茶道の形式に則りお茶を点てた経験もある[要出典][1]

ジャーナリスト・ニュースキャスター時代[編集]

カイロ大学卒業後はジャーナリストの道を選び、PLO議長ヤーセル・アラファートや、リビアカダフィへの単独インタビューをおこなった[要出典]1984年東京大学に在籍していたトルコ人留学生ヌスレット・サンジャクリの抗議を受け、「トルコ風呂」の名称が「ソープランド」に改められた。小池はこの青年を当時から支援しており、本人も後日新聞報道でそれを認めている[2]。小池はトルコ留学生の熱心な訴えを聞き、国家の尊厳を守るという「大義」に加えて、がぜん彼への「共感」(=なんとかしてあげたい)が芽生えた結果だった[3]

1979年から1985年まで、日本テレビ竹村健一の世相講談』でアシスタントキャスターを務めた後、1988年よりテレビ東京ワールドビジネスサテライト』初代メインキャスターを務めた[4]

政界入り[編集]

1992年第16回参議院議員通常選挙を前に、複数の政党から立候補の誘いを受けていたが、「政治を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」[5]との理由で、前熊本県知事細川護煕が結党した日本新党に入党し、比例区から出馬して参議院議員に初当選した。1993年、参院議員を任期途中で辞職。第40回衆議院議員総選挙旧兵庫2区から日本新党公認で出馬し、当選した。同年、細川内閣総務政務次官に就任。

1994年、日本新党の解党に伴い新進党結党に参加。1996年第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い兵庫6区から出馬し、再選。新進党では、初代幹事長でありのちに新進党党首に就任した小沢一郎の側近であり、1997年の新進党解党後は小沢が党首を務める自由党の結党に参加。1999年小渕第2次改造内閣経済企画政務次官に任命され、第1次森内閣まで務める。

2000年の自由党分裂に際して小沢と決別し、保守党結党に参加した。2002年民主党を離党した熊谷弘らの合流に伴う保守新党結成を前に保守党を離党し、保守クラブ(自民党へ合流するため、一時的に結成した形式上の政治団体)を経て自由民主党に入党。清和政策研究会に入会した。

小泉政権[編集]

2003年第1次小泉第2次改造内閣環境大臣に任命され、初入閣した。同年の第43回衆議院議員総選挙では、比例近畿ブロック単独で立候補し、4選。第2次小泉改造内閣より内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)を兼任。環境大臣は第3次小泉改造内閣まで務め、2005年夏の軽装化キャンペーン「クール・ビズ」の旗振り役を務める。

2005年第44回衆議院議員総選挙では、郵政国会郵政民営化法案に反対票を投じた小林興起の当選を阻止するため、東京10区刺客として国替えする意向を表明。この総選挙では、小泉純一郎の意向で女性候補が比例区の名簿で上位に優遇される措置が取られ、小池もその対象であった。しかし、小池は対立候補から事実上当選が確実な状態であることを指摘され、選挙区での戦いが不利になることを懸念。優遇の措置を辞退して選挙に望んでいる。選挙の結果、民主党鮫島宗明や小林を大差で破り、5選。

安倍政権[編集]

国務長官コンドリーザ・ライスと会談後に握手(2007年8月9日)。

2006年に発足した第1次安倍内閣では、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)に任命される。その後、2007年7月3日防衛大臣久間章生の辞任後の後任の防衛大臣に起用された。女性が国防担当閣僚に就任したのは、日本では小池が初めてであった(G8ではミシェール・アリヨ=マリーフランス)以来の女性国防担当閣僚)[要出典]

防衛大臣就任後、 テロ対策特別措置法の延長問題に関して、民主党が求めている自衛隊派遣に関する国会の事前承認について「国会がチェック機能を果たす観点から1年ごとの(法改正による)延長という仕切りがある。今の制度でも十分役割を果たしている」と否定的な見方を示した[6]2007年8月には、米下院慰安婦決議問題で内閣総理大臣安倍晋三外務大臣麻生太郎、駐米大使加藤良三が日米関係に与えていたマイナス・イメージを払拭すべく、第167回国会を欠席してアメリカを電撃訪問し、国防長官ロバート・ゲーツ副大統領ディック・チェイニーと会談、野党がテロ対策特別措置法の延長に反対している状況を説明した上で、「これからも引き続き、役割を果たしていきたい」と、インド洋での自衛隊の給油活動を継続する方針を伝えた。国務長官コンドリーザ・ライスとの会談では「私は『日本のライス』と呼ばれているようですが、日本でライスは(こめ)になります。よって、マダム・スシと呼んでみてはいかがでしょうか」などと英語でジョークを飛ばした[7]。なお、訪米のための国会欠席について8月9日におこなわれた党国防部会などの合同会議で、山崎拓から「いささか当を得ない行動ではないか。今、党はテロ対策特別措置法を抱えている」と批判された[8]

8月24日インドを訪問中の小池はニューデリーのホテルにおいて記者団に対し、「皆さんには奇異に思われるかもしれませんが、防衛省内で(2007年5月、小池が国家安全保障問題担当首相補佐官だった時に発覚した事件であり、防衛相として訪米した際にも米国側から指摘されていた日本防衛省の情報保全に対する懸念の最大の原因となった)イージス艦機密情報漏洩事件の責任をどなたも取っておられませんので、この点で(かつて国家安全保障問題担当の首相補佐官であり、防衛相である)私は責任を取りたいと思います」「情報保全という大きな課題が本当に意味をなすために、きっちりとした体制でやっていただきたい。そのために、人心を一新していただきたい。そうして、そこ(情報保全)を任せられる人に大臣になっていただきたい」と述べ、3日後に行われる内閣改造で自身の再任を固辞し、防衛相を離任する意向を表明。8月27日の閣議後の記者会見では「国防という国政の最重要部門を担当させていただきまして、まさに女子の本懐という気持ちでございました。国防につきまして『I shall return(私は必ず戻って来る)』の気持ちでこれからもやって参りたいと思います」と述べた[要出典]

2008年自由民主党総裁選挙[編集]

2008年9月、福田康夫の辞任に伴って実施された自由民主党総裁選挙に20人の推薦人を確保し、立候補した。自民党結党以来、女性の自民党総裁選出馬は史上初である。「霞が関をぶっ壊す」をスローガンに構造改革路線の継承を掲げた[要出典]が、麻生太郎与謝野馨に次ぐ3位の得票数で、地方票は0票であった。ただし、党員票では麻生に次ぐ2位に付けており与謝野を大きく引き離している。これは多くの都道府県が地方票の1位総取り方式を採用したためである。

2009年衆議院議員総選挙以降[編集]

2009年第45回衆議院議員総選挙では、公明党の推薦を受け[9]、再び東京10区から出馬。また、同じ東京10区に候補者を擁立していた幸福実現党に選挙協力を打診し、幸福実現党は候補擁立を取り止めて小池を支援した[10]。「風車のお百合」をキャッチフレーズに自身が所有する電気自動車を使用した、環境を前面に押し出した選挙運動を展開したが、民主党新人の江端貴子に僅差で敗れ、重複立候補していた比例東京ブロックで復活した。小池が獲得した96,739票は、比例東京ブロックで復活した自民党候補の得票数では下から2番目に低く、惜敗率の低さから比例東京ブロックで復活できなかった石原宏高佐藤ゆかり伊藤公介の得票数を下回っている(ただし、東京10区は日本全国で最も有権者数が少ない選挙区である)。9月3日、「派閥単位でなく、党全体で結束すべき」として町村派を退会し、無派閥となった[11]

麻生総裁退陣に伴う2009年自由民主党総裁選挙には立候補せず、谷垣禎一の推薦人に名を連ね、谷垣総裁の下で党広報本部長を務める。2010年6月9日自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)設立総会で、相談役に就任した。

2010年9月の党役員人事で、谷垣総裁の下自由民主党総務会長に就任した。党三役に女性が就任するのは結党以来初めてだった。2011年9月、自民党総務会長を退任。2012年第46回衆議院議員総選挙では、東京10区で前回敗れた江端を大差で破り7選。選挙後、自由民主党広報本部長に就任する。

政策・主張[編集]

外交・安全保障[編集]

核武装
2003年11月、毎日新聞の衆議院議員アンケートで、日本の核武装について「国際情勢によっては検討すべきだ」と回答した[12]
アメリカ合衆国
2003年2月、アメリカのイラク戦争を支持する立場から日本国際フォーラムの「イラク問題について米国の立場と行動を支持する声明」を連名で新聞発表し、イラク戦争に賛意を表明した[要出典]
リビア
リビア情勢に詳しく、日本の国会議員きっての親リビア派の議員として知られている。日本リビア友好協会では会長に就任しており[13]、日本とリビアとの関係の強化、発展を狙っている。なお、この日本リビア友好協会は、リビアからの要求に基づき、政府に代わり「日本リビア間の経済、産業、科学技術、文化等の協力促進に関する合意書」を締結した団体である[14]国際連合によるリビア制裁の間も、日本とリビアとの関係強化を図るためさかんに活動しており[14]、同国の革命指導者であるムアンマル・アル=カッザーフィー二男サイフルイスラーム・ムハンマド・アル・カッザーフィーや、三男アル=サアディー・カッザーフィーに対し、日本訪問を要請したのもこの団体である。
小池はリビアを訪問した経験もあり、複数回にわたって同国の革命指導者ムアンマル・アル=カッザーフィーと直接会談している[15]。さらに、カッザーフィーに招かれ執務室の中に入ったこともあるという[15]
リビアでのカッザーフィーの施政については、カッザーフィーは民主主義国家の樹立を目指していると指摘したうえで、カッザーフィーが明治維新を参考にしている、などと主張している[15]
また、かつてカッザーフィーに対して任天堂のゲーム機「Wii」を朝貢したこともあるという。2009年(平成21年)11月、小池はツイッターの公式アカウントにて「リビアのカダフィ指導者へのお土産はWiiにしました!」[16]とつぶやいている。
2011年8月には、日本の政治家として初めてリビア国民評議会のトップであるムスタファ・モハメド・アブドルジャリル議長らと会談した[17]

内政[編集]

選択的夫婦別姓制度
「(党議拘束を外す場合)夫婦別姓問題についても選択制であることから賛成に回る考えだ」と発言している[18]。しかし、鳩山由紀夫内閣の選択的夫婦別姓法案には反対した[19]
表現規制推進
マンガアニメ映画ゲームにおける描写を規制する青少年健全育成基本法案の請願を国会に提出した[20]
児童ポルノ禁止法改正案の請願を国会に提出した[21]
移民政策
自民党国際人材議員連盟を立ち上げ、会長に就任。日本への移民政策を推進している。

人物[編集]

  • 細川護熙小沢一郎二階俊博小泉純一郎安倍晋三中川秀直石破茂と時の権力者や実力者の近くを渡り歩いている[要出典]。また、日本新党、新進党、自由党、保守党、自民党と5つの政党を渡り歩いているため、「政界渡り鳥」と揶揄されることもある[要出典]。しかし、日本新党、新進党、保守党は党そのものが解党した時に離党しており、自発的に離党したのは自由党を離党した時のみである。また、自由党を離党したのも自自公連立政権からの離脱に反対したためであり、二階、海部俊樹野田毅など小池を含めて26名の議員が共に離党している。
  • 中川秀直については第45回衆議院議員総選挙前から麻生内閣や党執行部への批判を繰り返していたため、選挙前から距離を置くようになっていた[要出典]。総選挙で中川、小池は共に小選挙区で落選し、比例復活。中川は町村派会長町村信孝や相談役森喜朗との確執が以前から取り沙汰されており、総選挙後にそれぞれ町村派を退会し無派閥に転じた[要出典]
  • 2005年、過労が原因で入院。2006年4月6日発売の週刊新潮で「永田町では危篤説や自殺未遂説が流れている」と報じられた[要出典]が、同14日に退院して公務に復帰した。

防衛省事務次官更迭問題[編集]

2007年に防衛大臣に就任した小池は、内閣総理大臣補佐官時代からの懸案であった防衛省の「情報保全」システムの確立を理由に、防衛事務次官守屋武昌を退任させ、警察庁出身の官房長西川徹矢を防衛事務次官に起用する人事案を作成した。しかしこの人事情報が防衛省中枢からマスコミに漏洩され、更に守屋が小池の頭越しに内閣総理大臣安倍晋三内閣官房長官塩崎恭久に対して直接、人事案の撤回を直訴。塩崎が小池に対し、人事案の再考を求める事態に発展した。小池は人事案の撤回を迫られ、安倍・塩崎らは守屋留任でも西川でもない「第三の(人事)案」を小池に要求して事態の収拾を図り、守屋同様防衛省プロパー(他省庁からの出向ではない、生え抜きの防衛官僚)である人事教育局長増田好平を後任の事務次官に起用する「第三の案」で決着させ、マスコミは「痛み分け」「けんか両成敗」などと評した。なお守屋は事務次官を退任後、国会での証人喚問の後に逮捕、起訴された。小池は「オンナの直感で『これはよろしくない』と思った[22]」と述べた。

政治資金[編集]

企業献金[編集]

消費者金融業界
日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は小池が消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていると伝えた[23]
環境関連企業
しんぶん赤旗は小池が環境大臣時代の2005年の総選挙公示直前に、関連企業から100万円の企業献金を受け取っていたと伝えた[24]

事務所費[編集]

小池の資金管理団体「フォーラム・ユーリカ」(会長宮内義彦)が、家賃や水道光熱費が無料である議員会館を「主たる事務所」としながら、2001~2005年までに事務所費4200万円超、光熱水費300万円超を計上していることが明らかとなった。

小池事務所側は、兵庫県(選挙区変更後は東京都豊島区)にある地元事務所の家賃、水道光熱費を合算したと説明している。しかし、事務所費として 2003年(平成15年)に1100万円超を計上しながら、2004年(平成16年)には半額の約582万円を計上しており、「毎年一定した金額であるはずの事務所費が、これほど増減するのは不自然」[25]と指摘された。

政治資金の収支が4年連続で同額[編集]

小池が代表を務める政党支部の政治資金収支報告書に対し、収支が完全に一致し4年連続で繰越金が0円になるのは不自然との指摘がなされている[26]

小池側が提出した政治資金収支報告書によれば、2003年(平成15年)-2006年(平成18年)にかけて、各年とも収入と同額が支出として計上され繰越金が0円となっていた。政治献金により収入は年ごとに変化することから「支出を1円単位で合わせるのは至難の業」[26]とされており、小池の収支報告は「偶然ではほとんどあり得ない現象」[26]と指摘されている。小池の事務所は、「実際にかかった費用を積み上げ、法にのっとって適切に処理した結果だ」[26]としている。

発言[編集]

小沢一郎[編集]

  • 新進党自由党に在籍していた約6年間に小沢一郎を支持していた理由について、「小沢さんが九三年に刊行された『日本改造計画』に大変な感銘を受けたからだ」[27]と説明しながらも、「ところが、小沢さんが掲げた改革を断行し、護送船団の社会構造を廃して自己責任の社会を実現しようとしたのは小沢さんならぬ、小泉純一郎元総理、その人であった」[27]と評している。小沢の政治手法については、「極論すれば、小沢氏の政治行動の基準は、わずか二枚のカードに集約される、と。それは『政局カード』と『理念カード』である。具体的にいえば、『政局カード』とは持論である政権交代という錦の御旗を立てることであり、『理念カード』とは安全保障を中心にした政策構想である。小沢氏というと政治的駆け引きに長けているように見えるが、決してそんなことはない。むしろやり方はシンプルだ。自民党を離党し、細川政権の樹立から今日まで、手の内のカードはこの二枚を駆使することに尽きる。ある時は『政局カード』を振りかざし、それが手詰まりになると見るや、今度は『理念カード』を切る。この繰り返しである」[28]と評している。
  • また、小池が自由党を離党して保守党に参加し、小沢と決別した理由については、「ここで連立政権を離れて野党になれば、小沢氏の『理念カード』によって、政策の先鋭化路線に再び拍車がかかることは想像できる。一方で、経済企画庁政務次官の仕事を中途半端に投げ出すことには躊躇した」「少々心細くもあったが、実は『政局』と『理念』の二枚のカードに振り回されることにも、ほとほと疲れていた。」[28]「かつて小沢さんは、自由党時代に取り組んだはずの国旗・国歌法案について、自民党との連立政権から離脱するなり、180度転換し、『反対』に回った。国旗・国歌法案は国家のあり方を問う重要な法案だ。政治の駆け引きで譲っていい話ではない。同じく外国人地方参政権の法案についても自由党は反対だったはずだが、公明党の取り込みという目的のために、『賛成』へと転じたことがある。国家の根幹を揺るがすような重要な政策まで政局運営の“手段”にしてしまうことに私は賛成できない。これが私が小沢代表と政治行動を分かとうと決意する決定打となった」[27]と説明している。
  • 2007年8月9日民主党テロ対策特別措置法の延長に反対していることについて、「(小沢一郎は)湾岸戦争のころから、カレンダーがめくられていないのではないか」と批判した。

沖縄問題[編集]

  • 2013年3月に「沖縄の先生(=自民党議員)方が何と戦っているかというと、沖縄のメディアなんですよ。今日はこちらに地元メディアもいると思うが、しかしながら、あれと戦って今回のご当選をされてきたということは、むしろ沖縄のメディアの言っていることが本当に県民をすべて代表しているとは、私ははっきり言って思いません。これからも堂々と地元と国会議員としての役割を果たして頂けるように後押しをさせていただきたい」と党国防部会で述べた[29]

水俣病問題[編集]

  • 水俣病に関して「水俣病問題に係る懇談会」を設置。学識者による適切でない認定の基準値を批判した[30]

「女性は子供を産む機械」発言への批判[編集]

  • 柳澤伯夫厚生労働大臣の女性を「子供を産む機械」に例えた発言に対し、2007年2月4日にテレビ番組で「柳澤(伯夫)さんだけじゃなくて、イスラムの国よりも、日本における男性の、女性に対する見方は遅れてるんじゃないか」と批判した[31]

外国人参政権[編集]

  • 2010年1月22日衆議院予算委員会において外国人参政権について質問し、赤松広隆農林水産大臣の「日本における外国人参政権民団への公約」という発言について質し、さらに亀井静香金融担当大臣から「私の所属しております国民新党は付与することについては反対でありますし、私としても反対であります」との答弁を引き出した。なお、小池本人は保守党在籍当時の2000年11月に、同じ衆議院の特別委員会で法案提案者の一人として「税金を払っている在日の方々がそれに対して意見を、また参政権という形で、選挙という形で意見を述べるのは、これは当然ではないかというような意見もある」「在日の皆さま方のことを考えると同時に、日本そのものを考えるという大変大きなモメンタムである」と発言している(一方で提案説明の中で「やはり国民の声の中では幾つかの問題提起もされている」「地方の政治と国政とは実は非常に密接に関係してくる」「(南北朝鮮の民団と総連という関係が敵対して)一本化されていないということに一抹の不安を覚える」「国籍を取りやすくするということも、この法案とはまた別にその選択肢も十分ある」と導入に慎重とも受け止められる意見もしている。ただし、「国籍取得をより簡便にするということをまず考えなければならない」として、国政選挙権の行使も可能となる帰化に積極的である)[32]。なお、小池は外国人参政権に関する過去の発言をめぐる報道に関して2010年7月日刊ゲンダイを名誉毀損で東京地裁に告訴し、勝訴した。

民主党政権及びその政策に対する批判[編集]

その他[編集]

  • 2007年7月26日青森県弘前市で行なわれた第21回参議院議員通常選挙比例区に立候補した候補者の応援演説において、1995年阪神・淡路大震災における救援活動について「アメリカが支援に神戸港に入ろうとしても、港湾組合が厳しくてなかなか着岸できなかった」と発言。これに対して港湾労組協議会は「拒否した事実はない」と否定している。小池側は「非核証明がない限り入港できないという、非核神戸方式を念頭に置いた発言」としている[36]
  • 2008年の中国製ギョーザ中毒事件に関連して、「自殺願望の人が農薬を口にしたが偽装農薬で死ねず、良かったといってお祝いでギョーザを食べたら死んでしまった。すごくブラックなジョーク」と述べた[37][38]
  • 日本解放第二期工作要綱について「昭和47年に明らかになった中国共産党による秘密文書」だと紹介している。2009年8月の政権交代による民社国政権成立によって第2期解放工作の民主連合政府の形成という目標が達成されたとしており、韓国中国共産党の対日工作に呼応すれば、韓国も独自の地位を確保することが可能になるであろうとしている[39]

所属団体・議員連盟[編集]

年譜[編集]

著作[編集]

単著[編集]

  • 1982年1月 『振り袖、ピラミッドを登る』講談社、ISBN 4062002701
  • 1983年1月 『3日でおぼえるアラビア語』学生社、ISBN 4311700148 / 第2版、1998年10月、ISBN 4311710011
  • 1985年4月 『おんなの人脈づくり サクセスウーマンのPassport』太陽企画出版、ISBN 4884660749
  • 1994年6月 『永田町ブロードキャスター』朝日新聞社、ISBN 4022567430
    • 週刊朝日に連載した「永田町リポート」と、書き下ろした「日本新党の行方」を収録。
  • 2007年10月 『女子の本懐 ~市ヶ谷の55日~』文春新書、ISBN 9784166606023

共著[編集]

対談等[編集]

  • 1992年10月 牟田口義郎著 『カイロ 世界の都市の物語 10』文藝春秋、ISBN 978-4-16-509620-7
    • 「ケイオスティック・カイロ」を寄稿
  • 1993年9月 佐高信著『日本人の死角』徳間書店、ISBN 4191452908
    • 対談「私は政治改革のモルモット」を収録
  • 1999年3月 大前研一、政策学校〈一新塾〉著『新しい日本をつくるために私ができることあなたができること』ダイヤモンド社、ISBN 4478180202
    • 第3章に「政治を変える、日本を変える」 を寄稿
  • 2001年2月 佐和隆光浅田彰著『富める貧者の国 「豊かさ」とは何だろうか』ダイヤモンド社、ISBN 4478200653
    • 鼎談「機能不全に陥った日本型システム」を収録

論文[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ ピラミッドへの登頂は文化財の破壊につながるため、現在はエジプト政府により禁止されている。
  2. ^ 1985年4月11日毎日新聞夕刊
  3. ^ 『小池式コンセプトノート』P235
  4. ^ この時は、テレビ東京専属「パーソナリティー」(事実上局アナウンサーの業務を担当)
  5. ^ 鯨岡仁「政権選択『93世代』はいま――対談小池百合子氏前原誠司氏」『朝日新聞』43724号、朝日新聞東京本社2008年1月7日、2面。
  6. ^ “テロ対策特措法:国会の事前承認に否定的…小池防衛相”. 毎日新聞. (2007年8月3日) 
  7. ^ アサヒコム 2007年8月11日配信など
  8. ^ 読売新聞2007年8月10日
  9. ^ 衆院選小選挙区 自民128人推薦 公明新聞 2009年8月7日[リンク切れ]
  10. ^ “小池氏、幸福実現党とタッグ結成も「金正日拘束」「ミサイルUターン」にドン引き…東京10区”. スポーツ報知. (2009年8月18日). http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090818-OHT1T00025.htm [リンク切れ]
  11. ^ “小池百合子氏が町村派を退会 「派閥の時代でない」”. 共同通信. (2009年9月3日). http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009090301000648.html 2011年2月15日閲覧。 
  12. ^ 2007年7月21日 毎日新聞 東京朝刊
  13. ^ 協会概要』日本リビア友好協会。
  14. ^ a b 日本リビア友好協会の歩み』日本リビア友好協会。
  15. ^ a b c カダフィ氏「大佐」の理由  執務室には「明治天皇の写真」 (1/2) : J-CASTニュースジェイ・キャスト2011年(平成23年)2月22日
  16. ^ Twitter / 小池百合子: ちなみに、リビアのカダフィ指導者へのお土産はWiiに ...ツイッター2009年11月19日
  17. ^ “リビア反体制トップ、自民小池氏と会談 日本に支援要請”. (2011年8月6日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/110806/mds11080616430001-n1.htm 2011年8月6日閲覧。 [リンク切れ]
  18. ^ http://www.yuriko.or.jp/bn/column-bn/colum97/corum9703.shtml | KOIKE Yuriko *臓器移植は条件つき賛成*
  19. ^ 日本インタビュ新聞 2010年2月7日
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  22. ^ “女の直感で「よろしくない」=守屋容疑者について小池元防衛相”. 時事通信社. (2007年11月29日) 
  23. ^ パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日
  24. ^ 小池氏に受注企業献金 環境相時代、100万円 05年総選挙直前 公選法違反の疑い しんぶん赤旗 2007年8月4日
  25. ^ 「小池百合子防衛相家賃ナシ・光熱水費ナシの議員会館に事務所費4542万円!」『週刊現代』49巻30号、講談社2007年(平成19年)8月11日、29頁。
  26. ^ a b c d 「政党支部、収支ピタリ一致の『怪』――『帳尻合わせない』」『asahi.com:政党支部、収支ピタリ一致の「怪」 「帳尻合わせない」 - 政治』朝日新聞社、2007年11月26日。[リンク切れ]
  27. ^ a b c 中央公論』2008年10月号「それでも時代は、小沢総理を求めるのか」p67
  28. ^ a b 文藝春秋』2008年1月号「小沢一郎と小泉純一郎を斬る」、p129
  29. ^ 「戦っている相手は沖縄のメディア」小池元防衛相 朝日新聞2013年3月26日
  30. ^ 水俣病問題に係る懇談会
  31. ^ “小池首相補佐官、厚労相の「産む機械」発言に不快感”. 朝日新聞. (2007年2月4日) 
  32. ^ 衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 2000年11月22日議事録
  33. ^ e-コムネット第46号[リンク切れ]
  34. ^ 中共の「日本解放工作要綱」にならえば、事業仕分けは日本弱体化の強力な手段。カタルシスを発散させながら、日本沈没を加速させる…。
  35. ^ 『朝鮮学校の無償化、首相「法案成立後に判断」』(朝日) それはないでしょ!! 絶対反対! 反日教育を進めている北教組の傘下にある北海道の高校も同類。
  36. ^ 小池防衛相:「神戸の港湾組合、震災支援を阻害」発言(毎日インタラクティブ 記事はサイトリニューアルにより消滅)
  37. ^ “「ギョーザ食べ死んだ」 小池百合子氏発言”. 中日新聞 (中日新聞社). (2008年3月11日). http://www.chunichi.co.jp/hold/2008/ntok0012/list/200803/CK2008031102094504.html 2013年5月3日閲覧。 
  38. ^ 夕刊フジ記事2008年03月12日
  39. ^ No.046 小池百合子のメールマガジン『e-コムネット』” (2009年9月21日). 2010年5月30日閲覧。[リンク切れ]
  40. ^ 評議員、役員等”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
  41. ^ 委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
  42. ^ http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD170NX_X10C13A4TJ2000/
  43. ^ 小池氏、女性初の会長=重量挙げ協会

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代:
佐藤敬夫
日本の旗 衆議院科学技術委員長
1997年 - 1998年
次代:
大野由利子
公職
先代:
久間章生
日本の旗 防衛大臣
第2代:2007年
次代:
高村正彦
先代:
茂木敏充
日本の旗 特命担当大臣(沖縄及び北方対策)
第6・7代:2004年 - 2006年
次代:
高市早苗
先代:
鈴木俊一
日本の旗 環境大臣
第5・6・7代:2003年 - 2006年
次代:
若林正俊
党職
先代:
田野瀬良太郎
自由民主党総務会長
第49代:2010年 - 2011年
次代:
塩谷立