菅原文太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
すがわら ぶんた
菅原 文太
菅原 文太
本名 菅原 文太
生年月日 1933年8月16日(81歳)
出生地 日本の旗 日本宮城県仙台市
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 175cm
血液型 O型
職業 俳優声優ラジオパーソナリティ農家
ジャンル 映画テレビドラマCM
アニメーションラジオ
活動期間 1956年 -
配偶者 既婚
家族 菅原加織(長男)・狭間二郎(父)
主な作品
映画
『現代やくざ』シリーズ
関東テキヤ一家』シリーズ
人斬り与太 狂犬三兄弟
まむしの兄弟』シリーズ
仁義なき戦い』シリーズ
トラック野郎』シリーズ
県警対組織暴力
太陽を盗んだ男
鉄拳
わたしのグランパ
テレビドラマ
獅子の時代
武田信玄
戦艦大和
徳川慶喜
ラジオ
菅原文太 日本人の底力

菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年昭和8年〉8月16日 - )は、日本俳優声優ラジオパーソナリティ農家宮城県仙台市出身。愛称は文太兄い文ちゃん

代表作は映画仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズ。どちらも日本映画史に残る興行収入を上げた。父は洋画家狭間二郎。妻は菅原のマネージャーを務めており、長男は菅原加織。他に娘が2人いる。

2012年11月13日、56年に及ぶ役者業を引退したことを明らかにした。

経歴[編集]

仙台市の生まれだが、4歳から小学校4年までは東京育ち[1]疎開で仙台に戻り、高校卒業まで仙台で育った[1]宮城県仙台第一高等学校から早稲田大学第二法学部へ進学、中退。中原淳一のモデルとなり、その後、同時期に旗揚げしたばかりの劇団四季に1期生として入団し、初期の作品に多数端役として出演した。1956年(昭和31年)に東宝の『哀愁の街に霧が降る』に出演。1957年(昭和32年)に岡田眞澄旗昭二池田二郎ら総勢8名で日本初の男性専門モデルクラブ、ソサエティ・オブ・スタイル[2]を設立し、雑誌やショーのファッション・モデルをしながら1958年(昭和33年)に喫茶店で新東宝の宣伝部員にスカウトされ[1]、映画俳優になる決心をし、新東宝に入社。同年『白線秘密地帯』で本格映画デビュー。

長身の新人二枚目スターの一団「ハンサムタワーズ」の一人として、吉田輝雄高宮敬二寺島達夫らと共に売り出された。主演作も多かったが、当時の新東宝は経営不振で低予算映画が主力路線だったため、世間的な知名度はそれほど高くなかった。この時代の映画としては『九十九本目の生娘』や1960年(昭和35年)の正月映画『女奴隷船』に主演して丹波哲郎とのアクション対決を演じた。

1960年に入ると、新東宝の経営が傾き、組合争議によって2回にわたり24時間ストが行われる。菅原はこの組合争議では陣頭で交渉役を任じている[3]

1961年(昭和36年)に新東宝が倒産したため、ハンサムタワーズのメンバーと共に松竹へ移籍。ホームドラマが多い松竹では脇役が続いた[4]松竹にいた俳優の安藤昇に勧められ、ハンサムタワーズのメンバーと共に1967年(昭和42年)に東映へ移籍。

東映に移籍はしたものの、セリフのほとんど付かない役ばかりで、役を貰えないかと新東宝仲間である石川義寛監督の下宿を訪ねることもあったといい、東映京都撮影所作品『怪猫呪いの沼』(1968年)での端役も、石川監督が気の毒がって起用したものだったという[5]。翌1969年(昭和44年)の『現代やくざ 与太者の掟』が、東映での初主役作となる。この『現代やくざ』シリーズは1972年(昭和47年)まで続く作品群で、ヤクザを美化した従来の任侠映画ではなく、現実的な「ワル」を主人公にしたものであり、後の実録映画の先駆けとなった。また、同年には『関東テキヤ一家』シリーズ、1971年(昭和46年)からは『まむしの兄弟』シリーズに主演。

1973年(昭和48年)から始まった『仁義なき戦い』シリーズで、東映を代表するスターのひとりになった。映画史に残る作品にもなったこのシリーズのヒットで東映は任侠路線から実録路線に転換。1974年(昭和49年)末からスタートした『新・仁義なき戦い』シリーズや1975年(昭和50年)に始まる『トラック野郎』シリーズ(一番星・星桃次郎 役)もヒットした。

新東宝出身俳優が多くテレビで活躍する中、苦闘時代も含めて長らく映画に専念してきたが、1980年(昭和55年)に大河ドラマ獅子の時代』に主演。その後、大河ドラマでは『武田信玄』の板垣信方、『徳川慶喜』の徳川斉昭、『元禄繚乱』の細川越中守綱利、『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』の前田利昌で出演した。1981年(昭和56年)に映画『青春の門』、『炎のごとく』に主演。その後は刑事ドラマなど、テレビドラマの主演・助演をしていた。東映時代は接点がなかった市川崑作品でも常連となっている。

1998年平成10年)頃に岐阜県飛騨地方に移住。近年は農業政策等に高い関心を示し、多数の講演活動も行っている。近年はナレーター・アニメーションコンピュータゲーム声優もこなすなど、幅広く活躍。2001年(平成13年)に長男菅原加織を不慮の事故で亡くし、周囲に「もう仕事したくない」と漏らしていたが、2003年(平成15年)公開の映画『わたしのグランパ』で復帰。9年ぶりの主演を果たした。

2009年(平成21年)より山梨県韮崎市耕作放棄地を使って農業を始めている。当時、俳優業は「半分引退した」と語った。

2012年(平成24年)2月初旬、2013年1月に公開予定の「東京家族」(監督・山田洋次)主演から既に降板したことを発表。2月23日に都内で行われた講演会で、その理由として、クランクイン直前に震災が発生。故郷の宮城県をはじめ被災地で、公私ともに苦しい生活の続く人々が多いなか「今は映画を撮っている時じゃない」と自戒し、監督に直訴したもので、俳優引退をにじませた。またこの中で、2007年頃から膀胱がんなどを患い、現在は完治しているものの、震災直前まで入院していたことも告白している。

2012年(平成24年)11月13日、菅原が名誉顧問を務める民間非営利団体「ふるさと回帰支援センター」の設立10周年記念講演の席上で、役者生活にピリオドを打った旨を明らかにした。この時「デジタルはお断り」というコメントも発表しており、近年の映像製作環境の変化も俳優業の引退に繋がったとされている。現在も山梨県内で農業を営んでいるが、有志らとともに国民運動グループ「いのちの党」を結成し、代表として活動することを明かした(12月5日に正式発足[6])。なお、「いのちの党」と名称が付いているが、あくまで「仲間の集まり」の意であって政界進出を意識してのものではないという。また、以前より噂されていた政界への進出は完全否定をした[7]。俳優業は引退したものの、現在でもラジオでレギュラー番組『菅原文太 日本人の底力』のパーソナリティ、テレビドキュメンタリーのナレーターやCM出演などは務めており、2012年7月公開のアニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」でも声優として出演している。

人物[編集]

父親としての一見を持ち「げんこつおやじの会」を立ち上げた。また、若い女性の起用に偏重する近年の日本の芸能、マスメディアの風潮に批判的であり、そのために断る仕事も多いという[8]

交友[編集]

三船敏郎を尊敬し「富士山のような存在」と賞賛している。若山富三郎については「殴られたり散々されたけど、俺はやはりあの人が好きだった」と語っている。

作家の井上ひさしとは同じ高校の先輩後輩で親友であり、代表作「吉里吉里人」の映画化権を預かっている。自らのプロデュースで映画化すべく奔走しているが実現していない。また、晩年の野村秋介と交流があり『ドキュメント 風と拳銃 野村秋介の荒野』で映像証言をしている。

エピソード[編集]

仁義なき戦い[編集]

演出した深作欣二の臨終を唯一親族以外で看取っており、葬儀では弔辞を読んだ。公開直後には自宅に少年が訪ねて来て「おやじさん、山守は絶対、俺が撃ってきますけん」と言うので「ありがとう、まあ、ラーメンでも食いに行こう」と連れ出して説得して帰ってもらった[9]。撮影中にも広島のヤクザ・不良から、道を譲ってもらったりして大変世話になったが、後に山口組の納会に出席していたのを「FOCUS」に撮られ、写真入りで報道された。原作者の飯干晃一はこの時の菅原を、「ヤクザの広告塔に利用されている」とワイドショーでコメントしている。

2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙では広島6区(尾道市ほか)に立候補した国民新党亀井静香の応援に登場。亀井の唱える農業政策等を支持し、同じ選挙区に立候補した堀江貴文を批判、「向こう(堀江陣営)は仁義なき戦いをしているが、こちらは仁義ある戦いをしましょう」と亀井を激励した。その甲斐あってか、亀井は堀江を破って当選を果たした。この選挙戦の模様は、代表作『仁義なき戦い 広島死闘篇』になぞらえて「広島死闘篇」と呼ばれた。

[編集]

1989年平成元年)11月15日、『夜のヒットスタジオSUPER』に出演。翌週の11月21日には『NHK歌謡パレード』にも出演し、いずれも生放送で『港の男歌』を熱唱した。『夜ヒット』ではオープニングメドレーで米米CLUBの『sure dance』を「歌詞の朗読」という形で唄い、加賀まりこから「渋く決めましたね! ずるいですよ!」と言われ、「だって歌えないんだからしょうがない・・・」と苦笑していた。この後も「1コーラスじゃなく半コーラスでいい」などと歌に対する自信のなさを嘆いていた。後年のインタビューでは「歌は下手だけど健さん(高倉健)よりはましだな」とも語っている。

バラエティー番組[編集]

8時だョ!全員集合』に出演したこともあり、『ダウンタウンDX』の第1回にもゲスト出演している。2006年(平成18年)の『クイズ$ミリオネア』では、田中康夫のサポーターとして出演した。2003年(平成15年)には『SMAP×SMAP』の「BISTRO SMAP」に、映画『わたしのグランパ』の宣伝で出演した際も焼酎を飲み続けたので、中居正広から「もう文太さん、酒臭すぎますよ」、菅原は「映ってるか? ああ、顔真っ赤だな! かあちゃんに怒られちゃう・・・」というやりとりが放送され、数多く共演した親友の川地民夫は「もう、酒癖悪くてしょうがない」と証言している。

その他[編集]

  • 俳優の菅田俊宇梶剛士プロレスラージョージ高野新崎人生は元付き人だった。
  • 漫画ONE PIECEに登場する海軍本部元帥(元・大将)「赤犬(本名・サカズキ)」は、「仁義なき戦い」の頃の菅原をモデルとしたキャラクターである[10][11]。また、2012年には菅原の妻が作者の尾田栄一郎七味唐辛子のパッケージデザインを依頼した[12]
  • タレントの明石家さんまは自他ともに認める菅原の大ファン。『仁義なき戦い』第一部の土居組組長を射殺するシーンが特に好きで、「冷たい雨の中、肩をすぼめて眉間に皺を寄せ、煙草を吹かし標的を待つシーンをよく真似た」と語っている。「高校時代『夜桜銀二』と呼ばれていたんですよ」と菅原本人に見栄を張ったことも。まだ若手だった頃に空港で菅原に会い、サインを頼んだところ「俺が代わりに欲しいくらいだよ」と言われた話は、後年さんまが何度も披露している。ビートたけし曰く「その話は百回以上聞いた」との事。

出演作品[編集]

映画[編集]

主演[編集]

助演[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

バラエティー、歌番組ほか[編集]

ビデオ[編集]

  • ビッグ・ボス BIG BOSS(1992年 東映ビデオ) - 主人公
  • 復讐は俺がやる・Distant Justice(1992年 東映ビデオ) - 主人公
  • 斬り込み(1995年 イメージファクトリー・アイエム)
  • 実録 広島やくざ戦争(2000年)
  • 実録 広島やくざ戦争 完結篇(2000年)
  • 日本抗争列島 牙の如く(2001年)

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

ゲーム[編集]

CM[編集]

ラジオ[編集]

ディスコグラフィー[編集]

  • 関東テキヤブルース(1969年 東映『関東テキヤ一家』主題歌) 作詞・菅原文太、作曲・菊池俊輔、唄・菅原文太)
  • 新宿(じゅく)の与太者(1970年 東映『新宿(じゅく)の与太者』主題歌) 作詞・菅原文太、鈴木則文 作曲・島豊 唄・菅原文太
  • 一番星ブルース(1975年 東映『トラック野郎』シリーズ主題歌) 作詞・阿木燿子 作曲・宇崎竜童 唄・菅原文太、愛川欽也
  • 新宿酔いどれ番地(1977年 東映『新宿酔いどれ番地 人斬り鉄』主題歌)作詞・石本美由紀 作曲・市川昭介 唄・菅原文太
  • やくざ道入門
  • 眠れ都会よ(1981年 『警視庁殺人課』エンディングテーマ)作曲は小林亜星
  • 港の男歌(1989年)
  • 日本万歳音頭(1991年)
  • 虎落笛(もがりぶえ、1994年)

著書[編集]

  • 『もっと自由にもっと自在に 菅原文太とサムライたち』 学研の家庭教育シリーズ、1982年昭和57年)ISBN 4051003043

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c 週刊朝日』、1973年9月7日号、p35
  2. ^ 略称SOS。2012年平成24年)現在は女性も所属。
  3. ^ 『幻の怪談映画を追って』(洋泉社)
  4. ^ 香華』など菅原の出演映画を撮った松竹の木下惠介が没した際、葬儀には参列している。
  5. ^ 『幻の怪談映画を追って』(洋泉社)
  6. ^ いのちの党発足”. かまたみのるの八ヶ岳山麓日記(インターネット・アーカイブのキャッシュ) (2012年12月5日). 2014年1月25日閲覧。
  7. ^ “菅原文太、役者引退を表明”. デイリースポーツ online(インターネット・アーカイブのキャッシュ). (2012年11月14日). https://web.archive.org/web/20121115174104/http://daily.co.jp/gossip/2012/11/14/0005525146.shtml 2014年1月25日閲覧。 
  8. ^ 「しかし、(女の子が多少悪いことをしても)大人たちはどうして黙認しているのだろうかね。なぜ、注意しないのか。むしろ、世の中全体が女の子たちを持ち上げているような影さえ感じるのだけれども。最近、俺は映画やテレビから仕事の話が来ても、興味を持てずに、断るのが多かった。大概若い女の子が主人公で、男の姿が一つもないからなんだ。テレビも雑誌も若い女性が中心で、同じようなストーリー。戦争を伝えるにも過剰に着飾った女子アナや女のナレーション。中には感じの良い女性もいるけど、つまらない女性たちがたくさんのさばっている。そんな女社会が俺は嫌いでね(1994年8月号『新潮45』での本人のコメントの一節)。
  9. ^ さんまのまんま』出演時の本人の言。
  10. ^ ONE PIECE』第57巻、p134
  11. ^ 誕生日もモデルと同じ8月16日
  12. ^ 週刊少年ジャンプNo.21・22(5月7・14日)合併号(2012年4月23日発売)、巻末コメント「菅原文太さんの奥様より七味唐辛子のパッケージイラストの依頼。嬉しい仕事でした。」
  13. ^ 細田守新作「おおかみこどもの雨と雪」 声優出演に菅原文太、麻生久美子、谷村美月、染谷将太”. アニメ!アニメ!. 2012年5月30日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]