樽床伸二

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日本の旗 日本の政治家
樽床 伸二
たるとこ しんじ
Shinji Tarutoko Minshu IMG 5451 20130707.JPG
2013年7月撮影
生年月日 1959年8月6日(54歳)
出生地 日本の旗 島根県飯石郡三刀屋町
出身校 大阪大学経済学部卒業
所属政党 無所属→)
日本新党→)
新進党→)
フロム・ファイブ→)
民政党→)
民主党
称号 経済学士(大阪大学・1982年
公式サイト たるとこ伸二 オフィシャルサイト

内閣 野田第3次改造内閣
任期 2012年10月1日 - 2012年12月26日

選挙区 旧大阪7区→)
大阪12区
当選回数 5回
任期 1993年7月19日 - 2005年8月8日
2009年8月31日 - 2012年11月16日
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樽床 伸二(たるとこ しんじ、1959年8月6日 - )は、日本政治家青山会会長(初代)。

衆議院議員(5期)、衆議院環境委員長民主党国会対策委員長(第14代)、衆議院国家基本政策委員長(第12代)、民主党幹事長代行、総務大臣第16代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)などを歴任した。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

島根県飯石郡三刀屋町(現雲南市)生まれ。父は仕立て服職人。幼少期に、幼い妹が樽床の目の前で交通事故により亡くなっている。

また樽床の祖父は全盲の障害者であったが、「障害者であっても自分の足で立って生きていくべきだ」という考え方を持っており、この祖父の教えが後に「機会の平等」の実現を訴える政治家としての道を決定づけることとなった。祖母は広島県出身で被爆者であるため、樽床は被爆3世にあたる。

学生時代[編集]

小学校時代から少年野球などスポーツ万能で鳴らし、当時野球部のなかった中学校時代にはサッカー部に所属し、キャプテンも務めた。サッカーでの推薦入学を高校数校から受けるが、甲子園出場を夢見て大阪府高校野球の名門・明星高等学校へ進学する。野球部に入部したが、腰と肩の故障により退部する。

大阪大学経済学部入学後、阪大の硬式野球部に入部し野球を再開するが、今度は肘の故障により退部。その療養中、松下政経塾の創設を新聞で知り、大阪大学卒業後に入塾した(第3期生)。松下政経塾の同期に笹木竜三松沢成文らがいる。

政治家へ[編集]

1990年第39回衆議院議員総選挙無所属旧大阪7区(定数3)から出馬するが、落選。その後、自由民主党衆議院議員衛藤征士郎の秘書を務める。周囲からは「世襲政治家でもなければ裕福でもないのだから政治家になるのは無理だ」と説得を受けるが諦めず、その後も地道な選挙運動を続ける。

1992年5月、前熊本県知事細川護煕が代表となって結成された日本新党に参加。1993年第40回衆議院議員総選挙では日本新党公認で旧大阪7区に出馬し、初当選する。

1994年末、日本新党の解党により新進党に合流する。1996年第41回衆議院議員総選挙には新進党公認で大阪12区から出馬し、当選。1997年12月、同月末の新進党解党に先駆けて同党を離党し、細川を党首にフロム・ファイブを結成。

民主党へ[編集]

1998年太陽党国民の声、フロム・ファイブの3党が合流し民政党が結成されるが、民政党はすぐに民主党に合流した。民主党では若手議員のグループ「ダッシュの会」の初代代表世話人を務める。

2005年第44回衆議院議員総選挙では大阪12区で自民党の北川知克に敗れ、比例復活もならず落選した。落選中、民主党ベテランの渡部恒三最高顧問が選んだ次世代のリーダー候補「七奉行の会」に、元職から唯一抜擢される(他の6人は岡田克也前原誠司枝野幸男野田佳彦玄葉光一郎仙谷由人)。

2009年第45回衆議院議員総選挙では大阪12区で連合大阪の支援を受け[1]、自民党の北川に比例復活すら許さず約4万票差をつけて破り、国政に復帰した。総選挙後、衆議院環境委員長に就任。国政復帰後は民主党幹事長(当時)の小沢一郎に接近し、「反小沢」の色彩が強い「七奉行の会」からは距離を置くようになる。後述する2010年6月の代表選では七奉行からの「卒業」を明らかにしている[2]

2010年5月1、普天間基地移設問題原子力問題などが社会民主党の反対で政策決定が遅れるケースがあると指摘し、「政府方針と違うかもしれないが、あえて言えば連立を解消したらいい」と、社民党との連立の解消も選択肢との考えを示した。

民主党代表選出馬へ[編集]

2010年6月、鳩山由紀夫の首相辞任に伴う民主党代表選挙に世代交代、党内の結束を訴え出馬した。代表選では一新会三井辨雄が選挙対策本部長に就任し、推薦人には樋高剛ら小沢の側近が名を連ねるなど、実質的に小沢グループの支援を受けたが、菅直人に敗れた(菅291票、樽床129票)。菅新執行部の下で国会対策委員長に就任。

同年9月の民主党代表選挙では執行部の一員ながら、小沢一郎に代表選への出馬を促し、小沢への接近を一層強める。小沢は代表選に出馬したが、菅に敗れた。党役員人事により国対委員長を離任し、衆議院国家基本政策委員長に就任した。

2010年10月、青山会(樽床グループ)が発足。発足時の会員数は30名。

2011年の地方統一選挙で大阪府議会、大阪市議会、堺市議会における民主党の議席がほぼ半減するなど敗北した責任を取り民主党大阪府連代表を辞任した[3]2011年8月、2度目の民主党代表選挙への出馬を検討するが、立候補を見送る。

野田政権時代[編集]

2011年8月31日、民主党代表・野田佳彦の下、幹事長・輿石東を補佐する役職として設置された民主党幹事長代行に就任。2012年9月28日、民主党幹事長代行を退任(後任は安住淳)。

2012年10月1日、野田第3次改造内閣にて初入閣し、総務大臣内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)に就任した[4]。また、国務大臣としての所管事項として「地域の活性化を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[4]を担当することになった。

民主党の政権運営について「優・良・可・不可でいえば『良の下』ぐらいで合格点だ。こういう状況の中でよく乗り越えてきた」と評価し[5]、同年12月の第46回衆議院議員総選挙に挑んだが、大阪12区で自民党の北川に約3万票の差を付けられ敗北、得票数も北川・みんなの党の石井竜馬に次ぐ3位で比例復活もならず落選した[6]

政策・主張[編集]

  • 国会議員の役割の第一は外交であるべきだと考えており、議員外交の推進を訴えている。日本の議員外交が停滞している理由として、戦後の構造が「対米追従=外交不要」→「国内経済第一=予算の拡大と分配」となっているため、政治家は外交よりも地元予算の獲得に奔走し、外交が官僚任せになっていると見解を示している[7]
  • 「アメリカの防衛力に全面的に依存し、追従することが国益になる」という日本の戦後の基本的な外交姿勢は既に時代遅れであると主張しており[8]、「対米追従外交」を転換するため、「東アジア自由貿易圏」の確立など、主体性を発揮した外交政策を実現すべきであると主張している[9]

外国人参政権について[編集]

  • 2011年11月18日、民団の創団65周年記念式典において、元首相・鳩山由紀夫の「できる限り来年の通常国会でがんばりましょう」に対して「鳩山氏の思いをしっかり支えながら、国政運営にあたっていく」と外国人参政権を推進する意向を表明した[10]

人物[編集]

JPモルガン証券のチーフストラテジストである北野一とは、明星高等学校、および、大阪大学での同期生にあたる[11]。樽床が政治家となってからも、交友が続いている[11]

不祥事[編集]

2010年12月、寄付金控除の適用を受けている自身の政治団体「関西政経文化研究会」が、「国会議員関係政治団体」として届け出されておらず、2009年分の政治資金収支報告書も報告されていないと報道された[12]

家系[編集]

広島県島根県の県境にはかつて「樽床」という集落が存在した[13]。現在はそこに樽床ダムがある。

珍しい「樽床」姓の由来について、事務所関係者は、出身地の島根県に「造り酒屋が多い関係ではないか」と話している。日本姓氏語源辞典によると「樽床」姓は福岡県など西日本に多いとされる[14]

出演番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 連合大阪 活動と情報>選挙 > 第45回衆議院議員選挙[1]
  2. ^ 党の顔VS中堅リーダー
  3. ^ “民主党大阪府連、樽床代表の辞任を承認”. 読売新聞. (2011年5月8日). http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110508-OYT1T00544.htm 2011年5月8日閲覧。 
  4. ^ a b 「人事異動」『官報』号外特29号、国立印刷局2012年10月1日、1面。
  5. ^ “政権運営「良の下くらいで合格点」 落選の樽床総務相、「大甘採点」?”. 産経新聞. (2012.12.18 12:23). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121218/elc12121812250092-n1.htm 2013年2月3日閲覧。 
  6. ^ “樽床総務相、自民・北川氏に敗れる…大阪12区”. 読売新聞. (2012年12月17日). http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2012/news/20121216-OYT1T00671.htm?from=ylist 2012年12月18日閲覧。 
  7. ^ 若手国会議員メルマガ「未来総理」 第22号「新時代の日本外交を確立」[2]
  8. ^ 若手国会議員メルマガ『未来総理』 第22号「新時代の日本外交を確立」[3]
  9. ^ 若手国会議員メルマガ『未来総理』 第7号 [4]
  10. ^ msn産経ニュース『鳩山氏ら外国人参政権早期成立を「約束」 民団記念式典』
  11. ^ a b 樽床伸二「交遊抄――同世代の賢人」『日本経済新聞』45043号、日本経済新聞社2011年6月24日、36面。
  12. ^ 樽床議員側、関係団体無届け 規正法抵触か収支報告も未提出
  13. ^ 秋の日帰りドライブ 三段峡・聖湖 日本自動車連盟 (JAF)
  14. ^ 樽床伸二氏って誰? 民主党の“兄貴分” (2/2ページ) - 社会 - SANSPO.COM

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


党職
先代:
新設
民主党幹事長代行
初代:2011年 - 2012年
次代:
安住淳
先代:
結成
青山会会長
初代:2010年 -
次代:
現職