五百籏頭真
| いおきべ まこと 五百籏頭 真 |
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| 生年月日 | 1943年12月16日(68歳) |
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| 出生地 | |
| ジャンル | 政治学者 |
| 主な作品 | |
| 『米国の日本占領政策』(中央公論社) 『日米戦争と戦後日本』(大阪書籍) 『占領期』(読売新聞社) |
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五百籏頭 真(いおきべ まこと、1943年(昭和18年)12月16日 - )は、日本の政治学者・歴史学者。専門は日本政治外交史、政策過程論、日米関係論。神戸大学大学院教授、防衛省防衛大学校長、日本政治学会理事長、日本学術会議会員を歴任。文化功労者。サントリー学芸賞、吉田茂賞、吉野作造賞などを受賞。
2011年(平成23年)4月に創設された東日本大震災復興構想会議議長を務める。2012年(平成24年)2月に創設された復興推進委員会委員長を務める。
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[編集] 経歴
兵庫県西宮市で神戸大学教授五百籏頭真治郎の子として生まれる。1962年(昭和37年)六甲高等学校、1967年(昭和42年)京都大学法学部卒業。1969年(昭和44年)同大学院法学研究科修士課程修了。学部・大学院を通じて猪木正道に師事。猪木に勧められ、当時助教授であった高坂正堯の自主ゼミにも参加した。1987年(昭和62年)京都大学より法学博士の学位を取得。
広島大学政治経済学部助手・講師・助教授を経て、1981年(昭和56年)より神戸大学法学部教授、2000年(平成12年)から2007年(平成19年)まで同法学研究科・国際協力研究科教授を務めたのち、定年退職となり神戸大学名誉教授の称号を受ける。その後防衛省防衛大学校長に就任。
この間、ハーバード大学(1977-79年、2002-03年)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(1990-91年)で客員研究員、日本政治学会理事長(1998年(平成10年) - 2000年(平成12年))を歴任。政府関係の委員として、小渕恵三首相時代に官邸に設置された有識者会議「21世紀日本の構想」懇談会の外交分科会(第1分科会)座長、小泉純一郎首相時代に設置された私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員、福田康夫首相の私的懇談会である「外交政策勉強会」の座長、2007年(平成19年)12月に設立された政府の有識者会議である「防衛省改革会議」(2009年(平成21年)10月に解体)委員を務めた。
現在は日中両政府に報告・提言を行なう日中両国の有識者による会議「新日中友好21世紀委員会」委員(2003年12月-)を務めている。
1985年(昭和60年)、『米国の日本占領政策』でサントリー学芸賞受賞。他に吉田茂賞(2回)、吉野作造賞を受賞。2011年(平成23年)、文化功労者に選ばれる。 1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災で、ゼミ生の一人を亡くす。尚、亡くなったゼミ生は、ゴスペルシンガーの森祐理の実弟であり、告別式にはゼミ生が所属していた日本メノナイト・ブレザレン教団泉北キリスト教会で式辞を読んでいる。地元西宮市に本拠を置いた阪急ブレーブスのファンであった。
[編集] 近年の発言・行動
- イラク戦争には一定の理解を示したが、当初より懐疑的な立場をとった[1]。
- 防衛大学校長の就任に際し「自分は自衛隊を合憲だとは思っているが、昨今の周辺脅威論や武装論にはくみせず、『国民が軍事力を監視し暴走を押さえ付ける』というシビリアンコントロールを最重視していきたい」と新聞のインタビューで答えた。
- 2006年(平成18年)9月7日配信の「小泉内閣メールマガジン」内の特別寄稿では、小泉政権の外交政策について「とりわけ大きな業績は、対米関係の高水準化」「首相自らがあの北朝鮮を訪問し、拉致を認めさせ、問題解決の大筋を共同声明に示す大業は、小泉以外の誰にもできなかったであろう」などと述べ、高い評価を与えた。その一方で「(小泉首相の)靖国(神社)参拝一つで、どれほどアジア外交を麻痺させ、日本が営々と築いてきた建設的な対外関係を悪化させたことか」とも述べ、「後継者たちに残したものと考えて対処せねばなるまい」と締めくくった[2]。
- 歴代政権の外交政策の助言者として行動しているが、特に福田康夫政権では外交政策勉強会、防衛省改革会議と外交・防衛分野における主要なブレーントラストとなった。これは福田の官房長官時代に私的親交を結ぶ機会があったからとされる[3]。
- 防衛省改革に向けて2007年(平成19年)末に発足し、五百旗頭が委員として参加した諮問機関「防衛省改革会議」では、最終報告書(2008年7月提出)の実質的な取りまとめ役となり、穏健な提案をまとめた。このため、より急進的な改革構想を持つ石破茂防衛大臣と激しく対立することとなった[4]。
- 2009年(平成21年)6月1日、北京で開催された「中国科学・人文フォーラム」で演説し、「日本が起こした侵略戦争は日本の国益を損ねた」とする見解を示した[5]。
- 一方で、歴史認識問題について日本政府の姿勢を批判する論客や諸外国は、戦前の植民地支配や対外侵略だけでなく、その歴史を反省して平和的発展に尽くした戦後日本の歩みも踏まえて評価すべきだとしている[6]。
[編集] 家族
- 父:五百籏頭真治郎(経済学者、神戸大学名誉教授、教皇庁グレゴリオ勲章受章)
- 兄:五百籏頭博治(神学者、南山大学名誉教授)
- 息子:五百籏頭薫(歴史学者、東京大学社会科学研究所准教授)
- 息子:五百籏頭真吾(経済学者、同志社大学商学部准教授)
- 甥:五百籏頭健吾(情報通信学者、岡山大学大学院自然科学研究科助教)
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『米国の日本占領政策――戦後日本の設計図(上・下)』(中央公論社、1985年) サントリー学芸賞受賞
- 『日本政治外交史』(放送大学教育振興会、1985年)
- 『日米戦争と戦後日本』(大阪書籍、1989年/講談社[講談社学術文庫]、2005年) 吉田茂賞受賞
- 『秩序変革期の日本の選択――「米・欧・日」三極システムのすすめ』(PHP研究所、1991年)
- 『占領期――首相たちの新日本』(読売新聞社、1997年/講談社[講談社学術文庫]、2007年) 吉野作造賞受賞
- 『日本の近代 6 戦争・占領・講和――1941-1955』(中央公論新社、2001年)
- 『歴史としての現代日本――五百旗頭真書評集成』(千倉書房、2008年)
- 『NHKさかのぼり日本史①戦後 経済大国の“漂流”』(NHK出版、2011年)
[編集] 共著
[編集] 編著
[編集] 共編著
- (北岡伸一)『開戦と終戦――太平洋戦争の国際関係』(情報文化研究所、1998年)
- (北岡伸一)『占領と講和――戦後日本の出発』(情報文化研究所、1999年)
- (下斗米伸夫)『20世紀世界の誕生――両大戦間の巨人たち』(情報文化研究所、2000年)
- (伊藤元重・薬師寺克行)『シリーズ90年代の証言』(朝日新聞社、2006年-)
- Japanese Diplomacy in the 1950s: from Isolation to Integration, co-edited with Caroline Rose, Junko Tomaru and John Weste, (Routledge, 2008).
[編集] 脚注
- ^ 「思潮21 イラク戦争と日本」(『朝日新聞』2003年4月2日夕刊)
- ^ 小泉内閣メールマガジン 248号
- ^ 「福田外交」のキーマンに五百旗頭防衛大学校長
- ^ “揺れた防衛省改革”. 毎日新聞. (2008年7月22日)[リンク切れ]
- ^ “「侵略戦争は日本の国益を損ねた」=防衛大学長が北京のフォーラムで―中国”. レコードチャイナ. (2009年6月2日) 2011年2月16日閲覧。
- ^ 五百籏頭真「歴史の咎を『戦後責任』で超えるとき」(『中央公論』2005年10月号)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 新日中友好21世紀委員会委員としてのプロフィール紹介(外務省ホームページ内)
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