川口順子
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かわぐち よりこ
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| 生年月日 | 1941年1月14日(72歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 東京大学教養学部 イェール大学大学院 |
| 前職 | サントリー常務 |
| 所属政党 | 自由民主党(無派閥) |
| 称号 | 経済学修士(イェール大学・1972年) |
| 配偶者 | 川口融(夫) |
| 公式サイト | 川口順子オフィシャルサイト |
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| 任期 | 2008年 - (現職) |
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| 選挙区 | (神奈川県選挙区→) 比例区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 2005年10月 - 現職 |
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| 内閣 | 第2次小泉改造内閣 |
| 任期 | 2004年9月27日 - 2005年9月21日 |
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| 内閣 | 第1次小泉内閣 第1次小泉第1次改造内閣 第1次小泉第2次改造内閣 第2次小泉内閣 |
| 任期 | 2002年2月1日 - 2004年9月27日 |
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| 内閣 | 第2次森改造内閣(中央省庁再編後) 第1次小泉内閣 |
| 任期 | 2001年1月6日 - 2002年2月8日 |
(2000年7月4日 - 2001年1月6日) |
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川口 順子(かわぐち よりこ、1941年1月14日 - )は、日本の政治家、元通産官僚。自由民主党所属の参議院議員(2期)。自由民主党参議院議員総会副会長、核不拡散・核軍縮に関する国際委員会共同議長。旧姓は土田。
外務大臣(第133・134代)、環境大臣(第1・2代)、環境庁長官(第39代)、内閣総理大臣補佐官、参議院環境委員長を歴任した。
夫は元福岡通産局長の川口融。
目次 |
来歴 [編集]
東京都生まれ。1960年、東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)を卒業。高校の同期には、畔柳信雄(元三菱UFJフィナンシャル・グループ社長)、島村英紀(元国立極地研究所所長)、星出豊(昭和音楽大学教授)、松本元(脳科学者)、横田洋三(国連大学学長特別顧問)などがいる。
1965年に東京大学教養学部を卒業し、同年4月に通商産業省に入省。同期に江崎格(商工中金理事長)、中川勝弘(トヨタ副会長)らがいる。在職中の1972年、イェール大学大学院に留学し、経済学修士を取得。世界銀行エコノミスト、大臣官房地方課長、通商政策局経済協力部長、駐米公使などを経て、大臣官房審議官(地球環境問題担当)を最後に1993年退官。サントリー常務取締役に就任。
第2次森内閣で、民間から環境庁長官に任命され、入閣。中央省庁再編により、初代環境大臣を務める。続く第1次小泉内閣でも環境大臣に再任されたが、田中眞紀子外務大臣更迭により、外相に横滑りする。混乱の多かった田中前外相時代に比べ、実務的に外交課題を処理したが、与党内に基盤を持たない民間人閣僚としての限界も指摘され、田中前外相時代に引き続き、福田康夫内閣官房長官の外交面で影響力が指摘された。一方、北朝鮮問題やアフガン戦争、イラク戦争、日中・日韓関係の悪化等、困難な外交問題にも直面した。外相在任中には在上海総領事館員が中国側から外交機密等の情報提供を強要され自殺する事件(上海総領事館員自殺事件)が発生するが、コメントを一切発表しなかった。川口の対応に抗議し、河野太郎が外務委員会理事を辞任した。
2004年、内閣改造により外務大臣を退任(後任は同じ元通産官僚の町村信孝)し、内閣総理大臣補佐官(外交担当)に就任。2005年、参議院神奈川県選挙区補欠選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選した。
2007年3月、ギラン・バレー症候群を発症。病状は重度のものではなく、車椅子によるリハビリ生活を送りながら、同年の第21回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、再選。
2008年、日豪で呼びかけている賢人会議「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」の共同議長に就任。
2011年4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派の勉強会に参加した[1][2]。
2013年4月23日、アジア平和・和解評議会の一員として、中国の中華人民外交学会の招聘により訪中する。滞在は、4月24日までの予定も、楊潔篪国務委員(副首相級、外交担当)との会談のため、25日まで滞在の延長を、参議院議院運営委員会に申請するも認められなかったが、滞在の延長を決める[3]。結果として、25日開催予定であった参議院環境委員会が流会となる。
2013年5月7日、民主党などの野党7党が参議院に川口順子環境委員長の解任決議案を提出し[4]、5月9日の参議院本会議において解任決議案が投票総数230票、賛成123票、反対107票となり[5]、野党8党の賛成多数で可決した。衆参通じて国会の常任委員会委員長が解任されたのは憲政史上初めて。この解任案について主要全国紙は批判する社説を掲載した[6][7][8][9]。川口は中国要人との会談の国益を主張して野党の対応を批判し[10]、安倍首相が「尖閣諸島の問題も議論された。日本の立場を主張するのは有意義だった」と川口を擁護した一方、民主党の細野豪志幹事長は、この訪中は「公務でなく個人的な渡航」であり「委員長は国会運営に大きな責任を持つ立場であり、帰ってくるべきだった」と批判[11]、日本維新の会の松野頼久国会議員団幹事長は「立法府の常任委員長にとって委員会審議以上に重要なことはない。あくまで外交権は政府に属する。そこはちょっと勘違いされている」と述べている[12]。なお、そもそも楊氏との「会談」がどのようなものであったのか明らかにされておらず、日中外交筋は「握手して立ち話をした程度。国益上、必要な会合だったとは思えない」と語ったと報道されている[13]。
人物 [編集]
- 通産省では語学の達人として知られた。坂本春生らと並ぶ女性官僚の草分け的な存在であった。
- 趣味は読書、音楽鑑賞、スキー、俳句。
- 姉の白井尭子は元千葉県立衛生短期大学教授で、メアリ・ウルストンクラフト等の女性解放論の研究者。
著書 [編集]
- 「涙は女の武器じゃない-より子流「しなやか激闘録」-」小学館、2006年6月
- 「国連の将来と日本の役割-青山学院・関西学院合同シンポジウム-」関西学院大学出版会、2005年4月。(共著) 佐藤行雄、村田俊一、安井至、弓削昭子、ルクツォ・ヨゼフ・ムラパ。
関連項目 [編集]
脚注 [編集]
- ^ 超党派議員がODA削減反対で一致 政府に申し入れへ
- ^ 平成23年4月14日第一次補正予算におけるODA削減に関する勉強会
- ^ http://www.yoriko-kawaguchi.jp/official/archives/pdf/20120502.pdf
- ^ “川口委員長、首相と会談 解任決議案可決の公算大”. MSN産経ニュース (2013年5月7日). 2013年5月15日閲覧。
- ^ http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/vote/183/183-0509-v001.htm
- ^ “川口氏の解任案 大局を見ぬ野党の対応”. 毎日新聞 (2013年5月8日). 2013年5月15日閲覧。
- ^ “川口氏訪中 委員長の「解任」は行き過ぎだ”. 読売新聞 (2013年5月9日). 2013年5月15日閲覧。
- ^ “川口氏訪中問題 解任決議案は取り下げよ”. 産経新聞 (2013年5月9日). 2013年5月15日閲覧。
- ^ “悪例を残した委員長の解任”. 日本経済新聞 (2013年5月10日). 2013年5月15日閲覧。
- ^ “川口氏を直撃 「党利党略に走った野党。歴史の目で裁かれる」”. MSN産経ニュース (2013年5月9日). 2013年5月15日閲覧。
- ^ “川口氏解任 与党「国益無視の暴挙」 野党「国会ルール破り」”. 東京新聞 (2013年5月10日). 2013年5月15日閲覧。
- ^ “「外交権は政府。勘違いしている」維新・松野氏、妥当性を強調”. MSN産経ニュース (2013年5月10日). 2013年5月15日閲覧。
- ^ “動2013:勝者なき解任劇”. 毎日新聞 (2013年5月10日). 2013年5月15日閲覧。
外部リンク [編集]
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 松村祥史 |
2012年 - 2013年 |
次代: 北川イッセイ |
| 官職 | ||
| 先代: 小泉純一郎 (臨時兼任) |
第133・134代:2002年 - 2004年 |
次代: 町村信孝 |
| 先代: (環境庁長官から留任) |
第1・2代:2001年 - 2002年 |
次代: 大木浩 |
| 先代: 清水嘉与子 |
第39代:2000年 - 2001年 |
次代: (省庁再編により環境省へ移行) |
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