仙台市

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仙台市
せんだいし
Flag of Japan.svg 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
団体コード 04100-9
面積 783.55km²
※境界未定部分あり
総人口 1,033,442
推計人口、2009年9月1日)
人口密度 1,320人/km²
隣接自治体 宮城県
名取市多賀城市
柴田郡村田町川崎町
宮城郡七ヶ浜町利府町
黒川郡大和町富谷町
加美郡色麻町
山形県
尾花沢市東根市山形市
市の木 ケヤキ
市の花 ハギ
市の鳥
市の虫
カッコウ
スズムシ
仙台市役所
所在地 〒980-8671 宮城県
仙台市青葉区国分町三丁目7番1号
電話番号 022-261-1111
外部リンク 仙台市役所

仙台市位置図(宮城県)

:政令指定都市 / :市 / :町・村

仙台市行政区画図

特記事項:
仙台市旗
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仙台市(せんだいし)は、宮城県の中部に位置する、同県の県庁所在地である。また東北地方の最大都市でもある。

目次

[編集] 概要

仙台市都心部周囲には広瀬川青葉山などの自然があり、また都心部にも街路樹などの緑が多いことから、「杜の都」との異名をもつ。市は「学都仙台」「楽都仙台」などのキャッチコピーも用いている。中国では、魯迅留学した都市として著名。産業は第三次産業の占める割合が高く、物販面では隣県に及ぶ仙台経済圏を形成している。仙台都市圏では人口・物販・職場の郊外化が進行し、市も泉中央副都心長町副都心の2つの副都心を設定しているが、現在はコンパクトシティを志向した都市計画を進めている。

仙台がある仙台平野(狭義)は、西を奥羽山脈、北を松島丘陵、東を太平洋仙台湾に囲まれる。ここは、畿内に端を発する山道(後に東山道に再編)と海道(後に東海道に再編→浜通り)とが合一する唯一の地(尾張国武蔵国で近接はする)であり、その合一した街道が通る長町-利府活断層沿いが歴史的に交通や軍事面での要地とされ、古墳遠見塚古墳など)が連なり、陸奥国の重要施設(郡山遺跡陸奥国分寺陸奥国分尼寺多賀城市多賀城など)も置かれてきた。伊達政宗が、伝統的な当地の中心地である長町-利府活断層沿いから内陸に入った河岸段丘上に仙台城および仙台城下町を建設し、現在の都心部の基盤となった。政宗が長町-利府活断層沿いに築いた若林城および若林城下町は、死後に廃城および仙台城下町と合一している。

明治になると、東京青森のほぼ中間(双方からともに約350km)に位置する当地に、東北地方を統括する中央省庁の出先機関や陸軍施設が集まり、鉄道の結節点である仙台駅が設置されて商業・流通も発達し、人口も増加した。仙台区を経て1889年明治22年)4月1日市制施行。東北帝国大学を初めとする教育機関も集積した。戦中、仙台空襲で中心部は廃墟となり、戦後の占領期には進駐軍の米兵に経済を握られたが、高度経済成長で企業の支店が多く進出し、「支店経済都市」(札仙広福)となった。1989年平成元年)4月1日に全国で11番目となる政令指定都市となり、1999年平成11年)5月11日推計人口が100万人を突破した。現在の常住人口は約103万人で宮城県の総人口の44%以上を占め、東北地方の中で最も人口の多い市となっている。昼間人口は約115万人。

地名の由来は「仙台#地名の由来」を参照。

[編集] 地理

[編集] 地形

詳細は「仙台の地形」を参照

名取川河口から遠望する仙台市街
仙台市街

市域は、東を太平洋仙台湾)、北を松島丘陵、西を奥羽山脈、南を名取川と境界し、宮城県を帯状に横断する。海岸から長町-利府線断層帯までが地質的には新しい沖積平野、その西が沖積平野より少し古い堆積岩類の台地であり、奥羽山脈の稜線近くは新生代に噴出した火山岩で出来ている。船形山、大東岳、神室岳などはいずれも50万年から150万年前に噴火した火山である。

仙台市は奥羽山脈を挟んで山形県山形市と接している。都道府県庁所在地同士が隣接する例には、他に京都市大津市福岡市佐賀市がある。

[編集] 気候

詳細は「仙台の気候」を参照

市街地は太平洋に開けた平野部に位置し、気候区分は太平洋側気候三陸型気候区に分類される。冬は海から近い事と晴天が多いため、東北地方としては温暖で、真冬日は稀である。東北地方の県庁所在地の中で最も降雪量が少なく、積雪が一週間以上残存することは少ない。夏は太平洋からの海風の影響で気温はあまり上昇せず、夏日にはなるが真夏日熱帯夜が少ない。また、の発生回数が政令指定都市の中では抜きん出て多いが、これは海上からの「移流霧」が主要因である[1]梅雨から初夏、秋分前後には、北東からの冷たい海風により、曇りがちとなって冷え込むことがある。

年間平均気温:12.1°C、降水量:1241.8mm、日照時間:1842.6時間。真夏日真冬日の合計は約20日で、都道府県庁所在地の中で最も少ない。基本的に冷涼な海洋性の気候であり、寒暖の差が少ないことと、市西部に比較的高い山脈が存在せず、フェーン現象が起こりにくいためである。それゆえ日本海側に強い寒気が入った際は、雪雲が奥羽山脈を越え仙台でも大雪となる事がある。2番目は水戸市の約30日、東京都千代田区)は約45日、大阪市は約66日である。仙台市は、極端に暑くも寒くもない都市といえる。

  • 主な都市の降雪量・積雪量(平年値)
都市 降雪量累計 最深積雪 1月気温 都市 降雪量累計 最深積雪 1月気温
札幌 630 cm 101 cm -4.1°C 軽井沢 136 cm 32 cm -3.6°C
青森 774 cm 114 cm -1.4°C 富山 433 cm 69 cm 2.5°C
秋田 409 cm 41 cm -0.1°C 金沢 360 cm 53 cm 3.7°C
山形 491 cm 50 cm -0.5°C 東京 13 cm 7 cm 5.8°C
盛岡 351 cm 36 cm -2.1°C 名古屋 13 cm 7 cm 4.3°C
仙台 90 cm 17 cm 1.5°C 彦根 131 cm 29 cm 3.6°C
石巻 56 cm 17 cm 0.5°C 岐阜 52 cm 16 cm 4.3°C
福島 235 cm 26 cm 1.4°C 鳥取 263 cm 49 cm 3.9°C
いわき 14 cm 6 cm 3.6°C 松江 111 cm 24 cm 4.2°C
新潟 255 cm 39 cm 2.6°C 福岡 5 cm - cm 5.8°C
NYC 57 cm - cm -0.6°C シカゴ 97 cm - cm -5.6°C
降雪量累計気象庁の統計データでいう「降雪の深さ合計」のこと。日ごとの降雪量を積算(平年値)
最深積雪:一度に降る最も多い積雪量(平年値)
1月気温:1月の平均気温(平年値)
(参考):アメリカ合衆国ニューヨーク市(NYC)とシカゴ市を併記(数値はNational Weather Serviceによる)。

[編集] 人口

2004年末の約250人をピークとして減少。他都市との比較では少ないが、調査が降雪時だったことが影響しているともいわれる[3][4]

宮城県は東北地方では最も面積が小さく、自然障壁の少ない仙台平野に県民の大半が居住するため、その中心である仙台市への一極集中がみられる[5]。市内の人口は65歳以上が割合を増やしているが、大学や各種専門学校が多いため(→「学都仙台」)、若年者人口の割合が大きい。

支店経済都市と言われる仙台市は、人事異動に合わせるように年度末に約2万人が流出し、年度始めにほぼ同数が流入する。近年は、3月・4月に差し引き約6000人総人口が減少し、5月・6月に回復する。同様に、第2四半期末から第3四半期始めの9月・10月にも人口が減少し、11月に回復する。

近年は以前のような人口の社会増(転入超過)はなくなって、平成16年度からは社会減(転出超過)に転じた。転出先のトップは東京都であるが、隣接する富谷町利府町名取市などでの宅地開発も、転出増の背景となっている。近年は社会減を自然増で補い、数千人/年程度の人口増となっているが、少子化傾向とあいまって、数年後から総人口の減少が始まるとみられている。

なお、市のシンクタンクが2001年に行った「仙台市に住む直前の居住地」の調査[6]によると、生まれてからずっと仙台市に住んでいる生粋の仙台市民は26.1%、仙台市を除く宮城県内からの移住者は24.5%、宮城県を除く東北他県からの移住者は21.3%、首都圏(1都3県)からの移住者は15.6%だった。すなわち、仙台市民の約4分の3が市外居住歴があり、移住者の多い都市と見なせる。ここでも仙台市の支店経済都市の面が表れている。

[編集] 年齢別人口分布

Demography04100.svg
仙台市と全国の年齢別人口分布 仙台市の年齢・男女別人口分布
紫色 ― 仙台市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
1980年 792,036人
1985年 857,335人
1990年 918,398人
1995年 971,297人
2000年 1,008,130人
2005年 1,025,098人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 産業立地と都市構造

業務・商業地
流通・工業地区
住宅地

[編集] インフラ整備の状況

  • 下水道普及率:97.2%(平成17年度末)

[編集] 都市軸

古代の都市軸については、上述の「仙台の地形」 を参照。
江戸時代から明治期の都市軸については「一番町」を参照。
仙台の都市構造については「仙台都市圏」を参照。

[編集] 戦後の仙台の都市軸の変化

高度経済成長期までの都市軸は、それぞれ鉄道も並走している、旧奥州街道を踏襲した国道4号沿い(都心から南の地域)と北東の多賀城塩竈松島に向かう国道45号沿いを中心に形成された。1970年代初頭には仙台市を中心に松島町から岩沼市にかけて合併・政令指定都市移行を目指したが失敗に終わった。要因は当時の仙台市の革新市政を周辺市町の保守系首長が嫌ったため、といわれている。この時、合併調印前日に多賀城市長が突如合併を批判し合併から離脱したため、仙塩合併は一夜にして瓦解したのである。これにより仙台市の政令指定都市への移行も先延ばしとなり、都市の発展が著しく遅れる結果となった。

その後、人口増を背景に市の北部から南西部にかけての丘陵地に都心を囲むように新興住宅地が造られた。これらの住宅地と中心部とを繋ぐ旧国道4号沿い(都心から北の地域)や国道286号沿いが新たに都市軸に加わった。新都市軸の北の中心である旧泉市と、西側の旧宮城町・旧秋保町を編入し、1989年に政令指定都市となる。新都市軸では1987年仙台市地下鉄南北線が開業したことで、計画都市である北の泉中央泉区)・南の長町南太白区)では副都心化が進み、大型商業施設やマンションが林立している(旧奥州街道の七北田宿の人口密集地区西隣に泉中央泉中央駅、長町宿→JR長町駅駅前の人口密集地区西隣に長町南長町南駅が建設された。JR南仙台駅前の旧・中田宿は現在再開発中)。

また、仙台北環状線(北環)仙台西道路の完成により、中心部から西向きの都市軸も出来つつある。但し、仙台西道路は自動車専用道路で旧宮城町地区まで出入口がないため、都市としての連続性が断たれ、他の都市軸と比べ背景人口が少なくなっている。都市軸中心駅の愛子駅陸前落合駅駅前は後発の開発のため、他の副都心ほど発展していない。一方で、この軸上には東北自動車道仙台宮城ICがあることから広域産業が進出し、アウトレットモールや、宮城県立こども病院、その他高等教育機関などが立地し、人口も増加している。

[編集] 東西に分けられる仙台の街

仙台の街は、仙台駅、および東北新幹線東北本線によって大きく東西に分けられている。仙台駅の西口側は、江戸時代からの城下町・仙台の中心部があったところで、現在に至るまで中心部であり続けているが、南は広瀬川、西は青葉山、北は北山-台原の丘陵地、東は東北新幹線と、四方が囲まれており、都心部の拡大が容易ではない。そのため、バブル期に、仙台の地元企業の経済力を超えて地価暴騰が起きる懸念があったが、バブル期以前から開発されていた地下鉄・南北線と、南北線上の泉中央(泉区)および長町(太白区)の存在により、地価上昇圧力が泉中央や長町への都市機能の分散を推進し、暴騰は回避された。反面、デフレ期に入ると、都市規模に対して疎になった都心の地価下落が止まらず、担保価値が減少した土地上の低層オフィスビルや低層住宅が、高層マンション等に取って代わられ、住民の都心回帰を助長している。

一方、仙台駅の東口側は、古くからの町並みが残る地区となっていた。特に南東側の平野部(若林区)は下町の趣があり、江戸時代から続く地名が残る。この下町地域の東側に隣接していた水田地帯には、1960年代に仙台バイパスが造られ、同時に卸売り業者・流通業者・車関係などの事業所、および印刷業の工業団地などの広大な流通・工業団地が造られた。この地域(卸町・六丁の目・扇町など)は、業務地・工業用地の指定のみで住宅地の指定がないため、ほとんど人が住んでいない。また、周囲の水田も国の農政、および、仙台のグリーンベルトの構想のために農地指定が解除されなかったため、仙台駅・東口側の住宅地は、東北本線と卸町に挟まれた極端に狭い地域に限定されてしまい、背景人口が増加せず、東口の商業集積を阻害してきた。東北本線をまたいで西口に到る幹線道路も、東口に広大に存在する卸町を迂回した経路(卸町の北側の国道45号と南側の新寺小路)のみで、卸町によって南北の街も分断された状態になっていた。

90年代に入り、卸しを通さない「中抜き流通」が主流になると、卸町の存在意義が薄れ、規制を解除して住宅地へ転用する動きが始まった。また、仙石線の地下化に伴って区画整理・再開発が活発になって、東口は街の形を大きく変貌させている。東口の駅前から延びる宮城野通り完成後は、通り沿いに仙台のIT企業が集中し始め、楽天イーグルス宮城球場を本拠地にするに到って更に開発に弾みがついている。その一方で、区画整理事業が終わる数年後には、旧仙石線線路沿いの土地にマンションが大量に供給され、マンション価格の下落、それに伴う郊外住宅地の地価下落が懸念されている。

仙台バイパスとその付帯施設である流通・工業団地の周辺および東側は、広大な水田地帯となっている。農地指定の解除は、仙石線沿いと建設中の地下鉄・東西線沿い、および幹線道路沿いのみとなっている。近年、グリーンベルトをまたぐ部分(仙石線では苦竹駅福田町駅の間、東北本線では東仙台駅岩切駅の間)の一部農地指定解除が行われ、仙石線に小鶴新田駅が設置されて住宅地化が始まっている。しかし、なおも岩切から利府町にかけてと、福田町から塩竈市にかけての市街地が、都心部からみて「飛び地」のようになっており、グリーンベルト維持か、市街地形成をするか、市の方針は必ずしも明確ではない。なお、福田町から塩竈市にかけての沿岸部は、仙台港を中心に工業地区となっている。農地指定と工業地指定、および松島丘陵に囲まれたこの「飛び地」地区では、近年、工業・流通地指定を解除して、商業施設の誘致と開発が計画されている。ただし、工業地(空き地)の所有者である宮城県の方針が出るまで時間がかかっている間に、隣の利府町側で先に農地指定を解除したため、この「飛び地」地区の商業中心は、利府のロードサイドショップの方に移っている。

[編集] 都市計画

定禅寺通り

都市としての仙台市は、伊達家62万石の城下町から発展したため、その名残りで都心部の道路は碁盤の目状になっているが、広瀬川河岸段丘上に立地している点や、戦災復興事業において広幅員の道路を縦横に通したことにより、完全な碁盤の目とはいかずやや変則的である。伊達政宗の都市計画は、後に仙台をして 「杜の都」 と呼ばしめたが、戦前までの「杜」は、都市の近代化のために失われた部分も多い。しかし、市当局や市民の努力により、都心部に限らず、多くの道路に街路樹が植えられ緑化が進んだ。また、都心を取り囲む丘陵地や水田などの開発規制を行い、同心円状に、都心・グリーンベルト・住宅地という大ロンドン計画を模した都市計画を作成した。

[編集] 北四番丁大衡線

現在、東北大学病院の東端に沿って南北に走る木町通りの拡幅作業がなされているが、この道は、北向きに輪王寺を地下トンネル(北山トンネル・仮称)で通過し、桜ヶ丘・泉パークタウンを貫いて大和町へと至る宮城県道264号大衡仙台線(都市計画道路北四番丁大衡線)である。この道路は、北西部の住宅地と中心部とを結ぶ幹線道路という側面の他に、この道沿いに存在する東北大学病院・東北大学医学部・フィンランド健康福祉センター・宮城学院大学宮城大学・宮城県図書館・泉パークタウン内の数々の研究施設、そして、仙台北部中核工業団地を結んで「智の回廊」として機能することも期待されており、「学都仙台」の戦略的道路となっている。また、東北大学病院の新東病棟1階に新たに設置される高度救命救急センターへの搬送路となり、北西部の命綱としても機能する予定である。なお、この道路と東北自動車道が交差する付近に泉PAがあるが、そこにETC専用出入口であるスマートICが設置された。

[編集] 歴史

仙台藩(仙臺藩)時代の歴史については「仙台藩」を参照。
東北地方における仙台の経済史については「東北地方の経済史」を参照。

[編集] 仙台市域の仙台と他の町村

都市としての仙台の歴史は、1601年伊達政宗による建設に始まる。仙台輪之内あるいは仙台輪中と呼ばれた江戸時代の仙台の範囲は、青葉山にある仙台城とその麓・河原にあたる川内と、広瀬川対岸の台地上に作られた城下町からなる南北5キロメートル、東西4キロメートルほどの範囲で、現在の市域のごく一部である。中世には青葉山に寺がいくつかあって地方的な霊場の様相があったが、後の城下町にあたる場所は古代から中世まで人家が稀な原野だった。

しかし、現在の仙台市域に広げて歴史を眺めると、いくつもの集落や町の興隆と変遷が認められる。弥生時代からの水田遺跡である富沢遺跡南小泉遺跡の周辺は、古墳時代に入って多数の古墳が築かれた地域の中心であった。7世紀末から8世紀初めまでは郡山遺跡陸奥国の国府が置かれた。8世紀には南小泉遺跡の北隣に陸奥国分寺陸奥国分尼寺が建てられた。中世には多賀城から国府が市域北東部の岩切に移り、町が形成された。戦国時代には、国分寺から南小泉遺跡にかけて国分日町と呼ばれる町があった。他にも中世には平野部から山間の盆地まで、各地に集落や武士の館が作られた。

以降の説明では、中世に至るまで単に仙台という場合には江戸時代の仙台の範囲を指し、現在の仙台市の範囲を指す場合には特に仙台市域と呼んで区別する。江戸時代以降はそれぞれの時代の仙台をもって仙台と呼び、現在の市域と区別する。

[編集] 原始・古代

仙台市域では、富沢遺跡旧石器時代のキャンプ跡が見つかっている。

縄文時代の遺跡としては、山田上の台遺跡に集落があり、市内各地で遺物・痕跡が残されている。当時の人々は低湿な平野を避けて丘陵に居を構えたので、丘陵が海に続く松島湾沿いに遺跡が集中し、仙台市域では少ない。

弥生時代に人々は稲作適地を求めて平野に進出し、名取川広瀬川にはさまれた富沢遺跡と、広瀬川の北で仙台の東にある南小泉遺跡で水田が営まれた。

古墳時代に入ると、富沢遺跡の周辺に一塚古墳二塚古墳兜塚古墳など中小の古墳が作られた。南小泉遺跡の周辺にも中小の古墳が作られ、さらに遠見塚古墳という東北地方最大級(第3位)の古墳が築かれた。第1位の雷神山古墳は名取川の南、現在の名取市内にあり、二つの巨大古墳の間に多数の中小古墳が散らばっていた。

国郡が確定したとき、仙台市域は大部分が宮城郡に、今の太白区全体と若林区南部が名取郡に属した。若林区で両郡の境は、自然な境界になりそうな広瀬川・名取川から北にはみ出て曲がりくねっているが、これは昔の広瀬川の流路の痕跡とされる。

7世紀末からしばらくの間、市の南部の郡山遺跡には陸奥国国府が置かれた。国府は724年多賀城に移転したが、740年代か750年代に、仙台の東、南小泉遺跡の北にあたる木ノ下の地に陸奥国分寺陸奥国分尼寺が建てられた。

国分寺の周辺は宮城野・宮城野原と呼ばれる原野で、平安時代にはで名高い歌枕になった。

10世紀半ばに多賀城が国府機能を喪失したとき、国府は仙台市域の北東端、七北田川北岸の岩切に移転したと推定される。鎌倉・南北朝時代まで、多賀国府と呼ばれたところである。七北田川の両側に町が形成され、北岸では今の多賀城市の一部まで広がっていた。

[編集] 中世

東北地方(奥羽)全域を支配していた奥州藤原氏源頼朝によって征服されると、鎌倉時代の東北地方には「奥州惣奉行」(葛西清重)と「陸奥留守職」(伊沢家景)が置かれ、葛西氏・伊沢氏の双頭体制となった。伊沢家景は多賀城の「留守所長官」となり、留守氏と呼ばれるようになった。伊沢家景は仙台市の隣に位置する利府町に定住し、26年間を利府で過ごして没した。こうして鎌倉時代の仙台は、留守氏の支配下に置かれた。

室町時代になると、室町幕府管領家、斯波氏の一族である大崎氏奥州探題を世襲し、仙台の地も大崎氏の支配下におかれた。

中世、現在の仙台市域の大部分は国分氏の支配下にあった。国分氏は現在の多賀城市や仙台市岩切などを拠点とする留守氏と激しく対立をした。しかし、戦国時代に入ると、両氏とも戦国大名として台頭してきた伊達氏からたびたび養子を迎えて相手方より優位に立とうなどの努力をしたが、次第に伊達氏の隷属化に組み込まれていく。

1522年(大永2年)、伊達政宗の曽祖父、伊達稙宗は、室町幕府将軍足利義晴から「陸奥守護職」に任じられた。すでに稙宗の偉名は、東北地方全土に浸透していた。子だくさんの稙宗は、東北地方の有力大名と政略結婚を繰り返し、奥羽に血縁ネットワークを築き上げた。しかし、その政略結婚が原因となって、1542年(天文11年)、嫡男伊達晴宗との間に「天文の乱」が勃発した。この乱は東北地方全土に波及し、東北地方の戦国大名を二分する大乱となった。1548年(天文17年)、「天文の乱」は、将軍足利義輝の和睦勧告を受けて、伊達晴宗の勝利で幕を閉じた。晴宗は将軍から、奥州探題に任じられた。晴宗は息子を、現在の宮城県利府町周辺を支配していた戦国大名留守氏の跡取り養子とした(留守政景)。同じく晴宗は息子を、現在の仙台市東部を支配していた戦国大名国分氏の跡取り息子にした(国分盛重)。伊達政宗の父、伊達輝宗も本来は奥州探題に任じられていたのであるが、織田信長によって室町幕府が滅ぼされたため、輝宗は奥州探題には任命されていない。伊達政宗の叔父である国分盛重が政宗の下から逐電すると、国分氏の領地であった現仙台は政宗の直轄領に組み込まれる。なお、国分氏が城主の時代の城下町の系譜を引くのが現代の国分町である。

伊達政宗は常陸の戦国大名、佐竹義重との抗争に勝利し、「東北地方の南半分を征服」して「奥羽の覇者」と呼ばれた。政宗は関東征服を目前としたが、織田信長の跡目を継いだ豊臣秀吉に服属し、「日本統一」を達成した秀吉は、政宗の領地を先祖ゆかりの現・福島県から現・宮城県へと追いやった。このとき、政宗は居城を岩出山城(現・大崎市)とし、その10年後、政宗は居城を仙台城(現・仙台市)へと移した。

七北田村の沼田姓を名乗った検断新三郎は先祖を「備前」と言った。葛西氏の一族で同氏の没落後、慶長年中・北根村八乙女に来往した。伊達政宗は葛西大崎の遺臣で土着した者を多く村の指導者に任用したが、備前もその一人であった。市名坂の「御霊明神社」は備前が1619年元和5年)、同地に勧請したものと伝えられている。同家は藩主・綱村、吉村の領内巡行の時寓所を務め「品替え百姓」となった。

沼田家も新道が出来るまでは北根(市名坂高玉)に住んでいた。1623年(元和9年)に七北田町屋敷に移り住んで肝入り(村役人)と検断を兼務した古い家柄である。品替御百姓として検断新三郎の高祖父・重兵衛とあり、後の沼田家である。

[編集] 江戸時代

仙台の礎を築いた伊達政宗

天正まで、現在の仙台の地は「千代(せんだい)」と呼ばれていた。1600年慶長6年)、伊達政宗青葉山仙臺城(仙台城)を築き、城下町を開いて当地の名前を「仙臺仙台)」と改称したことで、仙台の都市としての歴史が始まった。「伊達62万」といわれた仙台藩は、江戸幕府(約700万石 = 天領400万石+旗本領300万石)、加賀藩(102.5万石)、薩摩藩(77万石)に次ぎ、尾張藩(約62万石)と並ぶ大藩であり、城下町としての仙台も発展した。伊達政宗が来るまでは戦国大名、国分氏の居城があった。

仙台開府当時、仙台の人口は約5万人と推定される。江戸時代の仙台の町方・寺院方人口を以下の表にまとめるが、実際に城下で暮らしていた武家人口は不明である。但し郷士を含む仙台藩の武家人口は仙台藩の総人口の22%~26%を占めるなど(例えば元禄8年(1695年)の仙台・一関藩総人口81万9749人に対して一門・諸士・諸組・諸職人の人口は20万5916人)、武家の割合は非常に高かった。寛文元年(1661年)の『仙台士名元牒』によると町方戸数1400余戸に対して侍屋敷の戸数は8900余戸とあり、城下に暮らす武家人口は約4万4000人、武家人口を加えた仙台の総人口は5万8000人と推測される。まさに仙台は「武士の都」であった。

江戸時代の仙台の町方・寺院方人口および仙台・一関藩の総人口
元号 西暦 仙台町方・

寺院方合計

町方 寺院方
出家
寺院方
仙台・一関藩
武家人口
仙台・一関藩
郡方人口
仙台・一関藩
総人口
元禄8年 1695年 25,590 22,706 631 2,253 205,916 588,251 819,749
寛保2年 1742年 26,623 20,374 863 5,386 185,570 603,868 816,061
明和9年 (出家を含まず) 1764年 23,098 20,479 2,619
天明6年 1786年 15,617 11,610 594 3,413 133,174 447,491 596,282
享和2年 1802年 17,798 13,302 652 3,840 143,208 478,064 639,070
文政8年 1825年 18,444 13,749 710 3,985 149,465 519,893 687,802
明治6年 (全身分) 1873年 51,998

最盛期の元禄・享保の頃には仙台の総人口は7万人に達していたと思われるが、明和9年(1764年)の『封内風土記』によると侍屋敷の廃屋の記載があり、18世紀中頃には城下の武家人口は減少していたと思われる。天明の大飢饉を境に大幅な人口減少が起こり、仙台の町も一時は武家人口を加えても4万人台まで落ち込んだが、その後幕末には5万人台にまで回復したと考えられる。仙台の都市規模は突出した大都市であった三都江戸大坂)に比べれば小さいものの、大藩の城下町(金沢名古屋鹿児島岡山熊本広島徳島)や重要港町長崎)と並び、日本で十指に入る都会として賑わった。但しその人口は東北地方の他の城下町(秋田弘前鶴岡米沢盛岡若松などが2万人台~4万人台規模)と比べて極端に突出した都会ではなかった。また、藩のたががあったため、東北地方の中心都市としての機能はまだなかった。

[編集] 幕末から明治維新まで

1868年の戊辰戦争において、仙台藩は奥羽越列藩同盟の盟主となって旧幕府側についた。列藩同盟の政府機関である「列藩同盟公儀府」は白石市におかれた。仙台藩主伊達慶邦孝明天皇の弟である輪王寺宮(のちの北白川宮)を列藩同盟の盟主にそえた。このとき列藩同盟(北部政府)には輪王寺宮を「東武天皇」に即位させ「東武朝廷」をつくる計画があった。伊達慶邦は征夷大将軍になる予定であった。しかし、敗戦によりこの計画は幻と消えた。

敗戦により石高を半分以下に減らされ、困窮した多数の家臣団を蝦夷地北海道)に集団移住させる事態になった。これにより大量の知識階級(武士階級)が流出し、経済の基盤だった版図を失ったため、城下町仙台の経済は混乱した。

1871年の廃藩置県において、仙台藩は仙台県、角田県、登米県、胆沢県の4県に分割され、現在の仙台都市圏と似た範囲で仙台県が置かれた。その後何度か境界変更を繰り返し、現在の規模になった1872年に宮城県と改称して、同時に仙台区が置かれた。当時の仙台区は、現在の中心部ほどの広さであった。県の名前を「仙台県」とせず郡名由来の「宮城県」という県名に改めたのは、「仙台県」という県名がもつ雄藩のイメージを抹殺するためであったといわれる。但しこれは宮武外骨が昭和になって提唱した説であり、実際は官軍側であっても県名に郡名を採用した結果県名と都市名が一致しない例が沢山あることからも、俗説の域を出ない。実際に県名変更の上申を出したのは初代県令の塩谷良翰であり、人心一新を旨とするものである。なお塩谷良翰は仙台城を破壊したことでも知られる。

[編集] 明治から戦前まで

明治政府による中央集権体制により、仙台は東北地方の拠点都市として、国の出先機関の設置が進められた。

1887年に日本鉄道(現:JR東北本線)の上野~塩竈間が開通し、仙台駅が開業した。鉄道の開業により、仙台~東京間に数日要したものが、半日程度に短縮された。その後、第二高等学校(旧制二高)、東北帝国大学(現:東北大学、1907年)等の高等教育機関の設置が行われた。

伊達政宗は、江戸時代初頭、幕府との戦に備え、城、要害を築いたが、明治以降、政府に接収され近代軍事施設として利用された。仙台城二の丸には陸軍第二師団司令部と歩兵第三旅団司令部、現・仙台国際センターには工兵第二連隊司令部、現・榴岡公園には歩兵第四連隊司令部が置かれ、輜重兵第二連隊(現・亀岡住宅)騎兵第二連隊第二連隊(現東華中学校の他、練兵場(仙台城三の丸、および宮城野原練兵場(現宮城野原公園総合運動場および宮城野貨物駅ヤード))、飛行場(現国立仙台医療センター)射撃場(旧警察学校~現台原小学校、工兵作業場(現東北大学青葉山キャンパス)偕行社(現西公園招聘社(仙台城本丸。現宮城縣護國神社が置かれた。

このような背景から仙台は、人口の集積が加速することなり、仙台藩内の小域圏経済から広域圏経済へ推移する。

市制(1889年)が施行され、仙台区は仙台市に移行した。国際貿易都市として台頭して来た神戸市横浜市などに人口を追い抜かれつつも、仙台市は90,231人(1889年、国内第8位)を擁する都市となった。1923年、初の周辺町村との合併が行われ、長町、原町、南小泉地区が仙台市域となった。これ以降、仙台市は周辺市町村との合併を繰り返し市勢を増して行く(→市域の変遷)。1926年には仙台市電が開業する。

[編集] 第二次世界大戦と仙台空襲

第二次世界大戦太平洋戦争)は日本各地に甚大な被害をもたらしたが、仙台には陸軍の軍事施設が多かったため、度々空襲に見舞われた。その中でも最大の被害をもたらしたのは、1945年昭和20年)7月10日仙台空襲戦略爆撃)である。B-29爆撃機からの焼夷弾絨毯爆撃により、市内中心部(主に市電環状線内が該当)が炎上し焼失し、死者は1066人にのぼった。また、沢山の家屋や歴史的建造物の他、「杜の都」の象徴であった樹木が失われ、市内は廃墟と化した。

[編集] 戦後の復興

終戦後、仙台にはGHQが進駐し、仙台にあった陸軍は解体され、軍事施設の跡地は主に公園になった。また、東二番丁通り広瀬通り青葉通り定禅寺通りなどの広幅員の道路を縦横に通し、近代都市としての基盤が造られた。これらの大通りには、「杜の都」の復興を願って多数の樹木が植えられた。これらの樹木は、後に大木に成長して「杜の都」の象徴となる並木道へとなっていく。

[編集] 高度経済成長と人口の増加

トラック流通の需要増加と共に1966年仙台バイパスの供用が開始され、卸・流通団地の整備が図られた。1975年には東北自動車道が開通し、トラック流通・卸売りにおける東北地方の中心地の一つとなり、東北地方の経済都市としての拠点性は一層高まった。高度経済成長(第三次産業型)と支店経済の発展により、1967年には人口50万人を超える。しかし、それと共に交通渋滞が深刻となり、1976年、50年に渡って市民の足として活躍した仙台市電が廃止された。

[編集] 宮城県沖地震の発生

1978年昭和53年)6月12日には宮城県沖地震が発生する。17時14分44秒にマグニチュード7.4、最大震度5の非常に大きな地震であり、死者28名を出した。この地震は都市を直撃した地震災害の典型とされ、この地震により、建築基準法が改正され、以降の建物は改正に基づく耐震強化などが行われた。阪神・淡路大震災が起こるまでは現代の日本で最も被害を受けた地震であった。

[編集] 東北自動車道・東北新幹線の開通

1980年に東北自動車道が浦和ICまで、1982年には東北新幹線大宮駅盛岡駅間でそれぞれ開通した。移動の高速化は東北地方全体の日帰り圏を拡大し、仙台市内にある企業の支社や支店の東北地方全体を管轄する機能が増強されることになった。そしてこれは、仙台市が東北地方のビジネスにおける中心地になる要因になった。

仙台市の経済拡大と人口増、およびモータリゼーションの進展により、仙台都市圏は拡大していった。そのため、郊外仙台市都心部を繋ぐ公共高速交通路が求められ、1981年に仙台市地下鉄南北線が仙台市の富沢駅泉市(現在の泉区)の八乙女駅間で工事が開始された。

[編集] バブル景気と政令指定都市への移行

1984年、保守系の石井亨が新市長となり、「青葉まつり」(市が中心)が1985年に再開された。また、「SENDAI光のページェント」(市民ボランティア中心)も同年新規に始まった。

1987年、NHK大河ドラマ独眼竜政宗」が放送される。本作の大ヒットにより、今まで経験したことがないほど大量の観光客が仙台に押し寄せ、仙台七夕を初めとした既存の祭りやイベントも過去最高の入り込み客数を記録する。この年は「'87未来の東北博覧会」も開催され、地下鉄南北線も開業するなど、政令指定都市移行前夜の仙台でバブル景気が始まった。

戦後、仙台市の歴代市長は仙塩地区の合併を悲願としてきた。しかし、仙塩地区の中核である多賀城市塩竈市は、仙台市からの合併要求をことごとく退けた。仙台市はついに仙塩地区の合併を断念し、その代わりに、仙台市のベッドタウンとして台頭した泉市との合併を狙った。

1988年、仙台市は泉市、および宮城町秋保町を合併し、1989年に第11番目の政令指定都市になった。こうして経済力を得た仙台市は、バブル景気の後押しもあって、全国市長会会長を務める石井亨市長のリーダーシップのもと、数々の文化施設を建設し、大規模イベントを始めるようになった。1989年には、旧泉市へのバーターとされる「グリーンフェアせんだい」が泉中央副都心七北田公園で開催された。しかし、1993年、石井市長が本間俊太郎宮城県知事とともにゼネコン汚職事件で逮捕され、仙台のバブルも終焉を迎えた。

[編集] 市民の台頭

バブル期の開発行政の一方で、1985年に「SENDAI光のページェント」、1991年に「定禅寺ストリートJAZZフェスティバル」が市民ボランティアの手で始まった。

1994年にはJリーグ「ブランメル仙台」(後のベガルタ仙台)が誕生し、Jリーグ有数のサポーターと運営ボランティアの活躍で人気球団となった。

1998年からは「みちのくYOSAKOIまつり」、2000年から「伊達ロック」、2001年から「Jazz Promenade」と「とっておきの音楽祭」など、市民ボランティアが主体となって開催する「街を舞台装置とした無料の屋外イベント」が多数開催される街へと変化した。

[編集] 仙台経済圏の拡大

2000年前後から始まった東北地方の陸上交通の再編の動きの中、仙台が小売の中心地として東北地方各地から買い物客を引き付けるように変化した。そのような中、隣接する山形県村山地方福島県北部などと一体となり、仙台経済圏が拡大していった。

2005年には「東北楽天ゴールデンイーグルス」がプロ野球に新規参入し、他のプロ野球チームを持つ都市との間に交流が始まる一方で、東北地方全体からの誘客力も上昇した。さらに、2005年には新しく設立されたプロバスケットボールの「仙台89ERS」を加えて、プロスポーツチームを三つ(「みちのくプロレス」とその女子部とも言える「仙台ガールズプロレスリング」を含めると五つ)持ち、年中、イベントが開かれるようになった。

[編集] 年表

[編集] 市制時代の年表

[編集] 行政区域の沿革

現在の仙台都心部を含んだ北側(広瀬川上流域および中流域の北側、七北田川流域など)は宮城郡、南側(広瀬川中流域の南側と名取川流域など)は名取郡に元々所属していた。[1]

[編集] 行政

[編集] 概略

行政課題は数多いが、経済・産業の活性化、都市交通の改善(仙台市地下鉄東西線構想ほか)などの課題がある。地下鉄東西線構想については、交通アクセス改善への期待はあるものの、高運賃や採算性への不安などから反対運動もある。

また、前々市長時代にはゼネコン汚職事件で県知事と市長が収賄で相次いで逮捕され、首長・自治体のありかたが全国の注目の的となった。またこの事件の契機に、全国にさきがけて仙台市民オンブズマンが誕生した。

2004年平成16年)12月14日、当時の佐々木副市長(助役制度があった当時から、仙台市では副市長と呼称)は東北文化学園大学補助金不正受給事件の問題が発展して辞職した。

藤井黎前市長の任期満了に伴う交代選挙となった2005年の市長選では、地下鉄東西線のあり方について焦点となったが、東西線の加速的推進を公約に据えた梅原克彦が当選した。この選挙においては梅原が唯一建設推進候補であり、他候補は全て建設白紙撤回あるいは見直しを訴えていた為、争点が明確に浮き上がることになった。また、このような状況から建設反対派の票が分散したこともあり、梅原に票が集約されたために当選したと見られる。

梅原市長は、伝統文化の重視を公言しており、仙台市の歴史的資源の活用(住居表示実施前の旧住所の復活などを含む)に意欲的であったが、2008年平成20年)12月に発覚したタクシーチケット問題の発展に伴い市議会が紛糾。2009年平成21年)6月13日には2選を目指し市長選挙出馬を表明したが、6月24日の市議会において問責決議案が47対4(棄権7)で可決されるに至り、7月1日に出馬を断念。市長就任時には仙台市議会の7割以上が梅原支持であったが、最終的には史上初の問責決議案可決という結末を迎えることになった。

  • 副市長(仙台市では助役制度が存続されていた時代より副市長の呼称を使用していた。2007年4月より、名実ともに副市長となった)
    • 笠原周二(2007年4月-、収入役制度廃止により収入役より異動)
    • 2名欠員(以下は、前任者)
      • 奥山恵美子、2007年4月-2009年3月、市の職員から起用。梅原市長との政策方針の行き違いから副市長を辞職。その後の仙台市長選挙で立候補し当選。第33代仙台市長に就任。政令指定都市では初となる女性市長が誕生した。
      • 岩崎恵美子、2007年4月-2009年7月、危機管理担当として厚生労働省仙台検疫所長より招聘したが、市長選出馬に伴い、告示日の7月12日付で失職。その後の仙台市長選挙で立候補するが落選。

[編集] 歴代市長

+は在職中死去

氏名 就任年月日 退任年月日
1-2 遠藤庸治 1889年明治22年)5月2日 1898年明治31年)3月7日
3 里見良顕 1898年明治31年)4月8日 1903年明治36年)3月13日
4 早川智寛 1903年明治36年)4月2日 1907年明治40年)7月1日
5 和達孚嘉 1907年明治40年)7月2日 1910年明治43年)7月2日
6 遠藤庸治 1910年明治43年)12月11日 1914年大正3年)11月4日
7 山田揆一 1915年大正4年)5月25日 1919年大正8年)5月24日
8-9 鹿又武三郎 1919年大正8年)7月17日 1927年昭和2年)7月26日
10 山口龍之助 1927年昭和2年)8月13日 1930年昭和5年)6月7日
11-13 渋谷徳三郎 1930年昭和5年)8月31日 1942年昭和17年)8月30日
14 今村武志 1942年昭和17年)9月23日 1946年昭和21年)5月14日
15-18 岡崎栄松 1946年昭和21年)6月17日 1957年昭和32年)12月17日
19-25 島野武 1958年昭和33年)2月2日 1984年昭和59年)11月6日+
26-28 石井亨 1984年昭和59年)12月23日 1993年平成5年)7月3日
29-31 藤井黎 1993年平成5年)8月22日 2005年平成17年)8月21日
32 梅原克彦 2005年平成17年)8月22日 2009年平成21年)8月21日
33 奥山恵美子 2009年平成21年)8月22日 (現職)

[編集] 市議会

  • 議長:野田 譲(のだ ゆずる 2009年平成21年)6月9日選出、慣例により2年毎に改選される)
会派名
60
改革ネット・自民 19
民主クラブ仙台 11
きぼう 8
公明党仙台市議団 8
日本共産党仙台市議団 6
社民党仙台市議団 6
(欠員) 2
(任期満了日:2011年平成23年)5月1日

[編集] 予算規模

  • 当初予算規模(2007年度)
約4,039億円(一般会計)
約3,242億円(特別会計)
約2,163億円(企業会計)
(総計:約9445億円)

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泉区
青葉区 宮城野区
太白区 若林区

Sendai-ku.PNG

仙台市は、政令指定都市に移行する際、泉市宮城町秋保町の1市2町を編入合併した。行政区を設置するに当たっては、旧仙台市を4つに分け、旧宮城町を青葉区に、旧秋保町を太白区に含ませ、泉市はそのまま泉区とした。このような経緯から、5つの区役所の他に、青葉区には旧宮城町を管轄する宮城総合支所、太白区には旧秋保町を管轄する秋保総合支所が置かれている。

また、区名には方角中央といった抽象名詞を極力使用しない方針をとった。

区名 範囲
青葉区 都心部上杉五橋北仙台・中山・台原・折立
宮城地区 旧宮城町(愛子作並南吉成葛岡
太白区 長町南仙台・西多賀・鈎取・八木山・茂庭・生出
秋保地区 旧秋保町(秋保二口
泉区 旧泉市(泉中央・七北田・根白石・松陵・南光台
宮城野区 原町・宮城野・鶴ヶ谷・岩切・小鶴・蒲生
若林区 卸町・古城・荒井・新寺

現在、仙台市の中心的な機能を持ち、同時に仙台市最大の区である青葉区の旧宮城町(宮城地区)を新たな区として分離する計画がある。この計画に関しては、「青葉区分区問題」を参照すること。

なお、六道の辻に青葉・宮城野・若林の3区の区境が集まっている。

[編集] 地方公営企業

仙台市交通局(2004年平成16年)10月

いずれも、出納取扱金融機関七十七銀行である。

なお、仙台市立病院は公営企業化していないため、独立採算ではなく、市の直轄事業として運営されている。当然、市の指定金融機関七十七銀行が出納関係を担当する。

[編集] 都市外交・国際交流

日本国内の外国人登録数の国籍別の順位は、1位:韓国(30.8%)、2位:中国(24.7%)、3位:ブラジル(14.5%)、4位:フィリピン(10.1%)、5位:ペルー(2.8%)、6位:米国(2.5%)という順である。

仙台市は、東日本の他の大都市と同様に中国系の数の方が多く(西日本の大都市は韓国系の方が多い)、また、工業が少ないために南米出身の日系人も少ない。但し、隣接する大和町に工業団地があるため、大和町と富谷町には日系人がやや多い。なお、仙台市はロシア人の比率が札幌市に次いで多く、実数も多い。一般に、日本海に面した漁港・貿易港のある北海道や北陸地方各都市などにロシア人が多いが、沿岸漁業用の漁港しかない仙台にロシア人が多いことは特徴的である。宮城県(北上川流域)には、ロシア正教会系のハリストス正教会が多く、日本の3大拠点(仙台・東京・京都)の1つであるため、ロシア人に親和性があるのかも知れない。

また、東北大学だけで留学生を1200人余り(留学生の家族を含まない数)を受け入れており、仙台の外国人登録数の10%以上を占めている(2005年)。東北大学は、主にアジアからの留学生受け入れに力を入れているが、「魯迅が留学していた大学」として江沢民国家主席(1998年当時)が来訪するほど中国国内で有名であるため、中国からの留学生がとりわけ多く(466人)、次いで韓国からの留学生が多い(190人)。また、旧帝国大学のつながりから、台湾からの留学生も多い(45人)。欧米からの留学生は、アメリカ合衆国(24人)とスウェーデン(13人)が1位2位であるが、金属材料系で世界一の研究所である金属材料研究所や、流体科学研究所などの有力研究所・講座があるため、大学間交流は盛んである。

  • 外国人登録数:総数10,284人(平成15年12月末)

内訳:(単位:人)

国籍別(上位) 人数
中国 G50.pngG30.pngG10.pngG05.pngG03.pngG01.png 4,202(40.9%)
韓国北朝鮮 G50.pngG10.pngG10.pngG03.pngG01.png 3,109(30.2%)
フィリピン G10.png 427(4.2%)
米国 G05.pngG03.pngG01.png 372(3.6%)
カナダ G03.pngG01.png 151(1.5%)
ロシア連邦 G03.png 137(1.3%)
インド G03.png 137(1.3%)
オーストラリア G03.png 125(1.2%)
英国 G03.png 124(1.2%)
インドネシア G03.png 123(1.2%)
バングラデシュ G03.png 123(1.2%)
地方別 人数
アジア R50.pngR10.pngR10.pngR01.pngB10.pngB03.pngB01.png 8704(84.6%)
(※赤が東アジア
ヨーロッパ B05.pngB01.png 579(5.6%)
アングロアメリカ B05.png 523(5.1%)
ラテンアメリカ B01.pngB01.png 194(1.9%)
オセアニア B01.pngB01.png 162(1.6%)
アフリカ B01.png 117(1.1%)


[編集] 領事館等

  • 外国政府外郭団体、外国民間団体等
    • イタリア貿易振興会 仙台事務所
    • 仙台日仏協会・アリアンス・フランセーズ
    • 宮城華僑総会(宮城華僑会館)

[編集] 都市外交

都市外交としては、東京都の世界大都市外交や「アジア大都市ネットワーク21」、福岡市のアジア重視政策が有名であるが、仙台市の場合は、人口約1000万人の東北地方、人口約570万人の南東北の拠点都市として、身の丈に合った北欧諸国との都市外交を進めている(北欧諸国:スウェーデン900万人、デンマーク540万人、フィンランド520万人、ノルウェー469万人など)。特にフィンランドとは、仙台市の仲介で東北福祉大学が福祉関連施設を仙台フィンランド健康福祉センター内に開設し、成果が出ている。しかし、研究開発・産業分野に限った都市外交であるため、経済全体に対するインパクトは弱く、観光面で人の交流の活発化を実現した東京や福岡のような例とはかけ離れて、小さい経済効果しか見込まれていない。

なお、北欧以外では、支倉常長関連で宮城県とローマ県セビリア市、仙台市でサッカーイタリア代表がキャンプを開いたことにより、仙台市とイタリアの間で交流が深い。

[編集] 姉妹都市・友好都市

国内・海外姉妹都市を各々締結順に掲載する。仙台市は、海外の姉妹都市と提携して、それぞれの都市を紹介するラッピングバスを運行している。

[編集] 国内
[編集] 海外
国際姉妹都市
国際友好都市
産業振興協定締結都市
交流促進協定締結都市

[編集] 統計データ

[編集] 現在の市勢

  • 総人口 - 1,025,098人(2005年)
  • 世帯数 - 439,579世帯(2005年)
  • 年少(15歳未満)人口率 - 13.7%(2005年)
  • 高齢(65歳以上)人口率 - 15.8%(2005年)
  • 昼間人口 - 1,090,162人(2000年)
  • 労働力人口 - 509,211人(2000年)
  • 第1次産業就業者数 - 5,612人(2000年)
  • 第2次産業就業者数 - 82,744人(2000年)
  • 第3次産業就業者数 - 471,273人(2000年)
  • 農業産出額 - 97,40百万円(2004年)
  • 製造品出荷額等 - 771,325百万円(2004年)
  • 商業年間商品販売額 - 7,836,820百万円(2003年)
出典 
  1. 総務省統計局『統計で見る市区町村のすがた2007』2007年

[編集] 経済

仙台は、江戸時代に東北地方最大の都市にして、日本で十指に入る人口を抱える都市となっていたが、それは、伊達氏62万石の藩内経済を背景としたものであり、藩外との経済交流を考えれば、酒田などの港湾都市の方に資本集積があったと考えられている。

明治時代になると仙台は、明治政府の中央集権体制における東北地方の拠点都市として発展することとなった。戦後においては、特に1982年の東北新幹線開通後の発展や、1989年(平成元年)の政令指定都市化前後(地下鉄開業、バブル経済期)はめざましいものがあった。

主な産業は、東北全体を商圏とする「卸売業」、仙台都市圏を中心に南東北全体に商圏を広げつつある「小売業」、及び、「サービス業」が中核をなす。中でも、「卸売・小売業」は仙台市だけで東北六県全体の年間販売額の40%近くを占める。また、東北地方の情報集散地としての役割も担っているため、「出版・印刷業」や「IT関連業種」などの情報関連産業も多く立地している。

仙台市は、大企業の支店の存在に経済を支えられている側面が強く、また工業も発展していないため、経済関係者の間から「支店経済都市」「支社都市」と呼ばれている。このため、地場の産業を育成する事が課題となっている。

[編集] 第一次産業

市西部の田園地帯

他の大都市同様、総生産額・従業者ともに全産業に占める第一次産業の割合は僅である(市内の農家数はおよそ5000戸)。しかし、は仙台の主力農産物であり、かつ、ササニシキひとめぼれなどのブランド米を産する土地柄、平野部の稲作地は都市化圧力から守られてきた。市内東部の平野や河川沿いの平地では土地改良事業が行われ、長方形型の大きな圃場が整備されて、大型農機による大規模稲作が行われている。これらの大規模圃場は、一部税金を用いて整備されているため、商業地や住宅地への転用が条例によって規制されている。

  • Google Mapsの衛星写真で見ると、仙台市東部と特に七北田川沿いの農地が開発規制されているのが分かり、他の大都市との農政の違いが分かる。即ち、他の大都市が、平地にあれば同心円状、谷あいにあれば平地のほとんどが都市化している一方、仙台都市圏は、幹線道路および在来線沿い以外は農地の開発規制がされている。

このように、河川沿いの平地や東部の広大な平野部は、農地指定が解除されない限り、商業地や住宅地等に利用できないため、人口増に対応する住宅供給は、専ら仙台市都心部を取り巻く丘陵地の宅地造成によりなされた。宅地造成は、都心部に近い北西部を中心に進んだが、それでも供給不足に陥ったため、仙台市民の隣接市町への転出を促し、名取市富谷町利府町などの人口増に寄与した。

仙台市当局は、政治的に平野部の農地を守ってきた。その政治判断により、平野部や河川沿いに水田が残り、夏には風の通り道になってヒートアイランド現象を軽減し、また、西部の山々とともに都心部を取り巻くグリーンベルトとして景観の保持にも寄与している。

ただ結果として、仙台市の農地政策は、「都心部以外は、平地は農地、丘陵地は住宅地」 という都市構造を助長した。そのため、住宅地が丘陵地ごとに島状分布し、都心と住宅地との間に坂道が多いため車社会を加速し、人口密度が低く、人口の割に職住が離れた非効率的都市圏を形成することになった。現在は、その非効率性はなくなっていないものの、農地指定の解除が徐々に進んで、「島」と「島」との間の平地が商業地や住宅地になりつつある。

ちなみに、現在の泉区の中心部(泉中央駅八乙女駅、市名坂)は、80年代に七北田川沿いの農地指定を一気に解除して水田の上に造られた計画都市であり、現在は仙台の副都心として発展している。

[編集] 第二次産業

工業地区は主に仙台市東部地区に分布している。主な業種は「石油化学業」、次いで「印刷・出版業」、「電気機械・器具業」、「食品加工業」など。

第二次世界大戦中の燃料不足のおりには、市内の中心部に近い八木山・大年寺山などで褐炭(低品位な石炭)の掘削が盛んに行われた。この際の坑道跡が現在も放置されたままであるため、地盤陥没や計画中の地下鉄東西線の工事費上昇が危惧されている。

[編集] 第三次産業

仙台市の産業のうち、総生産額で8割、従業員数で7割を占める。業種別では「サービス業」の伸びが顕著である。

仙台市は、南東北における物販・サービス業などの中心地となっている。一番町仙台駅周辺の2つの中心部商業地の大きな集客力と、郊外ロードサイドショップの密集により、仙台市の小売商圏は、仙台市周辺市町村の域を越えて、山形県村山地方福島県中通り北部・浜通り北部、および岩手県北上川流域南部まで広がっている。

中心商業地以外では、仙台駅東口からクリネックススタジアム宮城に至る宮城野大通り周辺(宮城野区・若林区)に、90年代以降、IT関連産業のオフィスが集積してきており、「ITアベニュー」と呼ばれるようになった。この東口地区に東北楽天ゴールデンイーグルスのスタジアムが建設されたことで、集客マグネットとしての商業活性の役割が期待されている。

また、北の副都心である泉中央泉区 : 泉中央駅八乙女駅)にも都市機能が集中し始めている。ここでは、ベガルタ仙台が集客マグネットの役割を果たしている。

なお、南の副都心として期待されている長町太白区 : 長町一丁目駅長町南駅)は、旧国鉄貨物ヤード跡地の再開発をうけ、一躍注目地区となっている。また、プロバスケットボールチームの仙台89ERSが長町副都心に隣接する富沢駅前の仙台市体育館を本拠地としたことで、集客マグネットとしての役割が期待されている。男子VリーグNECブルーロケッツと女子VリーグのNECレッドロケッツも、仙台市体育館で「ホームゲーム」を開催しているが、仙台に地域密着をしているというよりは興行的意味あいが強く、仙台に本拠地を置く他の3球団と比べてそれらの集客マグネットとしての力は未知数である。

[編集] 主な企業

[編集] 東証1部上場企業

[編集] その他仙台市に本社を置く企業

[編集] 電力会社

  • 東北電力(会社売上高で、東京以北全業種中1位)

[編集] マスメディア

仙台のマスメディアの詳細については「仙台都市圏」を参照

テレビ局、および AM局
仙台放送(2005年平成17年)7月

NHKを含めたテレビ局として5局が、AM放送局として2局がある。テレビ東京系の局は無く、テレビ東京系で制作された番組は番販形式で在仙の民放4局で放送されている。しかし、仙台で放送されるテレビ東京の番組は、人気バラエティ番組はよく放送されるが、ドキュメンタリー番組は現在「日経スペシャル ガイアの夜明け」(東北放送)のみの放送になっている。アニメに関しては、東日本放送が月曜~水曜(かつては木曜まで)の夕方4時台を中心に放送しているが、現在でもテレビ東京系列の番組が他局で同時間帯(東日本放送と東北放送の週末朝など)に放送され、視聴率を食い合う形になることもある(福島県も同様)。そのため、新局を設置して欲しいという要望があり、2007年平成19年)5月30日にテレビ東京の菅谷定彦社長(現:会長)が地上波デジタル放送統一に合わせての新局および既存局放送対象地域拡大計画の中に『宮城県内にも将来系列局を新設する方向で検討中』と発表した(2000年には子会社のBSデジタル放送局・BSジャパンが開設されたが、当時の菅谷社長は新潟市(2011年以降は熊本市)以外の政令指定都市を持つ「都道府県」を視聴エリアに収めたいと言う構想を持っている事を明言している)。この計画には当然民放既存4局の反発も予想されるが、現在の在仙民放局は、視聴者の希望に反して深夜ばかりか日中にも録画の通販番組を流すなど、他の地方との情報格差を生じさしめている。独占的放送権を与えられながら他の中枢都市と比べて、市民文化の発展に寄与していない為、クリエーティブクラスの東京流出の大きな要因となっている。テレビ東京系列の開局によるショックを期待する声は大きい。

また、東北限定のローカルネットワーク局も存在しない(ブロックネットする番組は多い)。ちなみに、関東圏では放送されない関西ローカルの番組(「たかじんのそこまで言って委員会」など)が幾つか放送されることがある。そのため、「探偵ナイトスクープ」のような関西ローカル番組において宮城県在住者の「視聴者からの手紙」が度々採用される現象も起こる。また、名古屋テレビ九州朝日放送では、朝の全国ネット向け情報番組を飛び降り放送して、ローカル枠を放送している。その中で東北放送は朝に「ウォッチン!みやぎ」を「みのもんたの朝ズバッ!」の放送内で放送している。「朝ズバッ!」の飛び乗り局は数局あるが、同番組の一時飛び降り局(ED(8:29)の1分間は放送されるため、完全な飛び降りではない。また、山陰放送・宮崎放送は8:27で放送終了するため、飛び降り放送になる)は現在宮城県のみである。

下記のチャンネルは地上波アナログ放送の仙台親局(<>は地上波デジタル放送リモコンキーID)。
[編集] ケーブルテレビ

ケーブルテレビは以下の2局がある。技術上テレビ東京の親局・中継局ともに他の局とチャンネルが被っており、仙台市周辺での受信は極めて困難であることから、いずれもテレビ東京系の再送信は行われていない。

[編集] FM局

Date fmは産経新聞が大株主で、同じく産経新聞が大株主の仙台放送とはつながりが深い。 同局では、七大都市圏のJFN系列局同様に自社製作番組が多く、全国ネットの番組は一部の時間帯(月曜~木曜の場合 11:00~11:30・13:00~13:30・21:00~29:00)のみの放送になっている。

[編集] コミュニティFM局(cFM
[編集] 新聞社
河北新報本社ビル(2009年平成21年)4月
宮城県で唯一、夕刊を発行している(読売新聞などの全国紙の夕刊は県内では発行されていない)。全国紙中日新聞西日本新聞に次ぐ広域販路を持つ)。
明治維新以来、東北地方は「白河以北一山百文」(東北地方の土地は価値が低く山1つを百文で買える)と軽視されていた。「河北新報」の社名は「東北振興」と「不羈独立」を社是として付けられた歴史がある。
[編集] 出版社
[編集] フリーペーパー

[編集] 金融機関

現在の青葉通りの東端に仙台駅が設置(1887年)され、芭蕉の辻(江戸時代の仙台の中心商業地。国分町通り=奥州街道、および大町=仙台城大手門前から続く道の交差点)に日本銀行仙台支店が設立(1941年)されたことにより、この2点の間の地域に金融機関が集中した。現在の仙台市の金融街は、青葉通り沿いの仙台駅西口前から晩翠通り辺り(東西軸)までを中心とし、途中交差する国分町通り沿い(南北軸)にも立地している。

仙台の中心商業地(→仙台市中心部)には、一番町と仙台駅西口一帯の2つの極があるが、従来から、一番町は地元商店が強く、駅前は県外資本(主に東京)が強い。金融街の構成にも似た傾向があり、青葉通り沿いの仙台駅前から東二番丁通り交差点までの部分に都市銀行や有力地方銀行の本支店が集中立地し、それより西の一番町に近い青葉通り沿いに他の地銀や第二地銀の本支店が集中立地している。このように、小売と金融がリンクして立地の違いをみせるため、おおまかに言って、一番町が東北地方の経済を反映し、仙台駅前が日本全体の経済を反映した動きをするのが仙台の特徴となっている。なお、企業よりも個人資産をターゲットとする県外銀行は、中心部アーケード街に支店を設置している。また、西東北を地盤とする銀行を傘下に持つ金融持株会社フィデアホールディングスの本社は、仙台市に設けられている。

近年、仙台でも消費者金融や個人ローンが盛んになってきている。勢力としては、消費者金融全国チェーン、宮城県内の金融機関の他、特に山形県の2大地銀、盛岡の地銀・第二地銀の仙台市場参入が著しい。それぞれがテレビCMをうって競争している。

都道府県別の1人あたりの預貯金額(2003年度末)では、全国順位で北海道・東北・九州が下位を占めており、宮城県は501万円で37位である。内訳は、国内銀行299万円(59.7%)、郵便貯金134万円(26.7%)、JA貯金38万円(7.6%)、信用金庫30万円(6.0%)となっている。資産は、土地・証券貴金属など多様であり、国外の銀行で資産運用する人もいるので一概には言えないが、目安として以下に仙台市内に本店のある金融機関の預金残高を示す(証券等含まず)。東北労働金庫は、東北地方全体で合併したので、預金残高が大きい。その他は、仙台市内に基盤を持つ金融機関である。

[編集] 仙台市内に本店をもつ金融機関
七十七銀行本店

括弧内は預金残高(2004年度)と仙台市内店舗数

仙台市には2006年平成18年)2月27日ローソンローソンATM)、2006年平成18年)3月1日セブンイレブンイトーヨーカドー仙台泉店(セブン銀行)、2006年平成18年)3月20日ファミリーマートミニストップイーネット)、のように、市内のコンビニでコンビニATMが設置されている。仙台市へのコンビニATMにより政令指定都市全てにコンビニATMが導入されることとなった。 仙台市は地方中枢都市なので、本来ならば他の政令指定都市が相次いで導入した2~3年前に設置されてもおかしくないはずであったが、隣県の山形県、福島県が導入した後も導入を見送った。これは、七十七銀行と仙台銀行の方針により、「自社の支店でまかなう」としていたからである(郵便貯金のコンビニ内設置ATMは2005年から仙台駅東口に1軒設置されている)。しかし、商業界や若者の利用者からの強い要望により、七十七銀行がセブン銀行(当時:アイワイバンク銀行)との提携に同意し、現在に至る。

なお、七十七銀行指定金融機関公営企業出納取扱金融機関仙台銀行仙台農業協同組合指定代理金融機関となっている。

[編集] 仙台市内に支店を持つ金融機関

仙台市内第1店舗目は、ほぼ上述の金融街に設置されている。2店舗目以降は、卸売り・流通企業が集中している卸町やその周辺の商業地を含めた宮城野地区(卸町、宮城野、原町、南小泉など)、県庁・市役所・国の出先機関などが集中する官庁街の二日町地区、仙台の副都心である泉中央や長町(富沢・泉崎)、その他、各金融機関の顧客層に合わせて、下町や郊外住宅地に店舗展開している。以下、支店店舗数と本社所在地を付記する。有人出張所は+で付記する(配列は統一金融機関コード順)。ただし、ローン専門拠点や中小企業向け相談拠点など、口座店でない店舗は含まない(口座店概念のないゆうちょ銀行は、直営店の数を示す)。


[編集] 教育

詳細は「学都仙台」を参照

仙台は、高等教育機関に通う学生を85,000人以上抱えており、人口に対する学生比率が、政令市等の中では京都市福岡市、東京23区に次いで4番目に高く、仙台市の行政や地元マスメディアは「学都仙台」を自称している。また、人口に対する大学院生比率も京都市に次いで2番目に高い上、高等教育機関の教員も4,000人近く住んでおり、日本の学術を支える重要な都市の1つとなっている。しかし、東北大学においては、その入学者における地元占有率(東北大では東北地方出身者の割合)が、他の旧帝大のそれと比べて低く、また、仙台市や東北地方に十分な就職先が確保されていないため、卒業者のほとんどが他の地方に流出し、頭脳流出が激しい。また、工業基盤が薄い仙台市では、研究成果も他の地方に流出し、地場で産業化される例は極めて少ない。近年では、人材と研究成果の流出を抑えるため、産学官共同のベンチャーキャピタルが設立されたが、まだ大きなビジネスに育っていない。一方、東北学院大学宮城学院女子大学に代表される県内私立大学の入学者のほとんどは、東北地方出身者であり卒業後も仙台での就職を希望するものも多く、幅広い分野で地域の産業を支えている。

[編集] 文化

仙台市内にはライブハウスクラブが存在し、アマチュア・バンドやインディーズが活動している。仙台市に拠点を置いて活動する他地方出身のセミプロバンドもおり、全国版のヒットチャートと仙台のヒットチャートとの間に違いが生じるようになった。また、アマチュア演劇も行われており、多数のアマチュア劇団が存在して活動をしている。

仙台市は文化活動、文化事業を「楽都仙台」や「劇都仙台」と標榜してバックアップし、また一方で、地元マスメディアも地元の人材活用をするようになって、バンド・タレント芸能人モデルなどのローカルタレントが増加して、隣県のメディアに進出する者も表れた。そのため、小さいながらも仙台芸能界が形成されつつある。

[編集] 楽団

仙台フィルハーモニー管弦楽団
クラシック音楽専用につくられた仙台市青年文化センター・コンサートホールを本拠とするプロのオーケストラ。本拠の他に、宮城県民会館やイズミティ21でも定期演奏会やコンサートを行っている。

[編集] 祭り

仙台七夕祭り

最も有名かつ、観客者数の多い仙台を代表する祭りは、仙台七夕まつりである。七夕祭りは藩政時代以来の歴史を持つ祭りで、市中の商店が名誉をかけて華美を競い合い、全国でも類を見ない華麗な七夕祭りになったとされる。東北四大夏祭りの1つに数えられており、中心部商店街では、期間中200万人以上の人出がある。

[編集] 催事

光のページェント(2007年)
スポーツ関連の催事は仙台のスポーツ#恒例のスポーツイベント参照

「市民ボランティアが主体となって開催する」「街を舞台装置とした」「無料の」「屋外音楽イベント」が多いのが特色。音楽以外がメインのイベントでも、ステージが設置され、バンド演奏が行われる例が多い。秋の定禅寺ストリートジャズフェスティバル in SENDAIは2日間で70万人以上、冬のSENDAI光のページェントは3週間で220万人以上の人出がある。

その他、10月1日~11月30日に行われる音楽や演劇等の公演を「仙台市芸術祭」という名称で仙台市が後援しており、2004年平成16年)11月には勾当台公園で野外演劇祭(仙台演劇祭)も行われた。

以下、勾当台公園や一番町などが主会場のもの[2]を中心に記載(★:音楽中心。☆:音楽ステージも設けられるもの)。他に、自治体やプロスポーツのイベントなども行われる。

(無料・屋外)毎年開催

(有料中心)毎年開催

(有料中心)3年毎の開催

[編集] 機関・施設

詳細は「仙台市内の公共施設一覧」を参照

仙台市の文化機関・公共施設は、市が設置・運営しているものの他、市の外郭団体、民間が設立・運営(電力ホールなど)しているものがある。

仙台市博物館仙台市天文台などの社会教育機関は、その社会教育活動や施設を維持するために有料であるが、2002年から仙台都市圏の小中学生を対象にして発行された「どこでもパスポート」を利用すると、土曜日日曜日休日春休み夏休み秋休み冬休みの期間は所持している小中学生に限り無料で利用することができる。

現在、新規に計画されている公共施設は、仙台駅東口にミュージカル(主に劇団四季)用劇場、西公園に能楽堂の計画がある。なお、長町副都心に音楽堂を設置する計画があったが現在は凍結されている。

[編集] グルメ

牛タン炭火焼き定食

仙台は三陸の魚介類は勿論、各種農作物、ブランド米「ひとめぼれ」「ササニシキ」、高級和牛牛肉「仙台牛」の産地に近く、海の幸・山の幸が集積する。近年は、仙台中央卸売市場仙台経済圏に商圏広域化し、弱体化した周辺の卸売市場の機能を肩代わりしているため、食材の集散地としての機能拡充も進んでいる。

庶民的な料理店の特色として、仙台発祥の牛タン料理の店が多いほか、安い定食屋の半田屋の根強い人気が上げられる。また、仙台ラーメンを供する店もある。なお、仙台駅は駅弁の種類が日本で最も多い駅である(→仙台駅#駅弁参照)。

[編集] 旬の味覚・季節料理

[編集] 仙台発祥の料理

[編集]

日本酒宮城県酒造組合
宮城県の有名な日本酒といえば「浦霞」と「一ノ蔵」があるが、仙台の「勝山」や「天賞」なども根強い人気がある。最近は、石巻の「墨廼江」や「日高見」、山形県の「十四代」や「初孫」、青森県の「田酒」などの人気が上がっている。
ビール
宮城県の地ビールとして、「松島ビール」「北緯39゜麦酒」「鳥の海」「仙南クラフトビール」「やくらいビール」「鳴子の風」がある。大手メーカーでは、麒麟麦酒の工場が仙台港にある。
ウイスキー
『日本のウイスキーの父』と呼ばれる「竹鶴政孝」が創始したニッカウヰスキーは、国内に二箇所の蒸留所を持っているが、その内の一箇所が仙台市青葉区、広瀬川上流の新川(にっかわ)河畔にある「宮城峡蒸留所」である。「シングルカスク」と呼ばれる最高級ウイスキーのいくつかはここでしか入手できない。

[編集] 名産


[編集] 芋煮会

詳細は「芋煮会」を参照

仙台の秋の風物詩として、芋煮会がある。芋煮会は、河原などの野外において、家族や友人、学校や職場の仲間が集まって、大鍋に汁をつくって食べる季節行事である。この習慣がある地域では、花見と同じくらい重要な年中行事として扱われている。10月から11月にかけて行われる。

仙台の芋煮は、里芋と豚肉を主な具として味噌で味付けする、いわゆる豚汁タイプが一般的であるが、魚やジャガイモをいれるものもある。また、参加する人数が多くなると、仙台風の芋煮の他に、牛肉・醤油味の山形風芋煮、キムチチゲ(鍋)、バーベキューや鉄板焼きなどを加えて作ることもある。芋煮のための大鍋は、スーパーやコンビニエンスストアで借りることが出来、薪も買える。シーズン中は、材料の下ごしらえがされた芋煮セットがスーパーや大学生協などで売られているので、忙しい人たちも簡単に芋煮会をすることが出来る。また、仙台近郊のキャンプ場では、全ての材料・鍋・薪が準備されていて、あとは火をおこして煮るだけの芋煮会パックというサービスもある。

なお地元の人の間では、芋煮と豚汁は明確に区別されている。

[編集] 方言

方言としては仙台弁があるが、高齢者を除いて一般には共通語標準語に近い言葉が使用される。ただし、語彙自体は共通語と同じでも、第2音節以後が上がる北関東型の平板な発音で、東京標準アクセントとは異なる。他地域から転入した人々の言葉が混じっていることも多い。

[編集] 「センダイ」と名の付く動植物

センダイハギ(千代萩、仙台萩)
ムラサキセンダイハギ(紫千代萩 : Baptisia australis)
原産地は北米。
センダイシダレ(仙台枝垂)
センダイヤ(仙台屋)
高知市の「仙台屋」という店にあったヤマザクラ系の一品種。仙台市と直接は関係ない。
センダイヨシノ(仙台吉野)
坂庭清一郎が仙台市で、「伊達家の桜」とも言われ、仙台周辺に多いヤエベニシダレ(八重紅枝垂)と、ソメイヨシノ(染井吉野)とを交配して作ったの一品種。八重咲き。→榴岡公園
センダイソウ(仙台草 : Saxifraga sendaica)
ロシア人のカール・ヨハン・マキシモウィッチ博士によって命名された。紀伊半島四国九州に自生し、仙台市には自生しない。
センダイゾウ(仙台象 : Sinomastodon sendaicus)
絶滅種。
センダイムシクイ
スズメ目ウグイス科の渡り鳥。
センダイウィルス (Sendai Virus : Sev) (Hemagglutinating virus of Japan : HVJ)
石田名香雄(元東北大学総長)らにより東北大学医学部で発見された。細胞融合を起こすウィルスとしてバイオテクノロジーの分野で重要視されている。最近は、遺伝子治療において、導入する遺伝子を目標組織の細胞に運ぶベクターとして有望視されている。

[編集] 仙台を舞台にした作品

[編集] 映画

[編集] テレビドラマ

[編集] 小説

[編集] ノンフィクション(仙台を取り上げた本)

[編集] 紀行文・俳諧

[編集] 漫画

[編集] ゲーム

[編集] 楽曲

[編集] スポーツ

詳細は「仙台のスポーツ」を参照

仙台市に本拠を置くプロスポーツ
仙台市を準本拠地とするチーム

[編集] 交通

※「仙台まるごとパス」を利用すると、仙台都市圏の指定の範囲で鉄道・バスが2日間乗り放題になる。

[編集] 空港

仙台空港
仙台空港は、仙台市に隣接する名取市とその隣の岩沼市に跨って位置する。滑走路は3000m。札幌(新千歳)成田名古屋(中部)小松大阪(伊丹)神戸広島福岡那覇へ向かう国内定期路線と、ソウル長春広州大連北京上海香港グアム台北へ向かう国際定期路線が運航されている。セスナおよびヘリコプターによる遊覧飛行(仙台上空・松島上空など)の離着陸地としても利用されている。仙台駅までは、空港直結の仙台空港駅から仙台空港アクセス線仙台空港鉄道仙台空港線)快速列車で約17分、普通列車で約25分。

[編集] 鉄道

仙台駅と西口バスプール

仙台駅を中心に路線が放射状に存在する。旅客輸送については、東日本旅客鉄道(JR東日本)と仙台市交通局仙台市地下鉄)の2事業者があり、私鉄は存在しない。以前は宮城電気鉄道仙台鉄道秋保電気鉄道といった私鉄の路線も存在したが、宮城電気鉄道は戦時買収により国鉄(現JR)仙石線となり、後2社の路線は廃止された。また、日本貨物鉄道(JR貨物)と仙台臨海鉄道の2事業者が貨物輸送を行っている。各線の詳細はそれぞれの路線の項目を参照。

[編集] 東日本旅客鉄道(JR東日本)

  • 東北新幹線 (仙台駅)
    • 東北新幹線の全列車が停車する。上りは朝夕が9~15分おき、日中は約20分おき。下りは速達型のはやてこまち、各駅停車のやまびこが日中それぞれ1時間おきの運行頻度となっている。東京駅~仙台駅は最速で1時間36分。
JR線仙台市内の在来線路線図
仙台駅~名取駅間は、上記3つの路線が利用可能なため、この区間内の運転頻度は仙台地区で最大規模である。

[編集] 仙台市地下鉄

南北線(八乙女~黒松間)
ラッシュ時3~5分おき、日中7分おきの運行であり、仙台圏のなかでは最も高頻度の運行を行っている。すべて普通列車である。泉区への唯一の軌道系公共交通である。仙台駅から長町駅の区間はJR東北本線と併走し、実質的にその緩行線のような機能を担っている。これは東北本線が長距離列車主流であった時代に、市内交通を担っていた仙台市電の代替として計画された経緯による。
  • 東西線 (建設中・2015年開業予定)
八木山動物公園八木山ベニーランドを有する八木山地区と現在宅地開発が進む荒井地区を結ぶ仙台市第2の地下鉄路線となる。車両は鉄輪式リニアモーターカーが採用される予定。車両規格の違いからJR在来線・地下鉄南北線との直通運転は不可能。

[編集] 日本貨物鉄道(JR貨物)

東北本線宮城野貨物支線
貨物専用の路線。鉄道貨物のターミナル宮城野駅はこの貨物線上に位置する。同線を宮城野駅共々旅客化する構想が一部で持ち上がっているが、現在のところ、旅客化に向けての具体的な動きは無い。

[編集] 仙台臨海鉄道

臨海本線・仙台埠頭線・仙台西港線
貨物専用の路線。過去、何度か仙台港博覧会が開催された際に、臨時の旅客輸送を行った。

[編集] 船舶

[編集] 仙台港

太平洋フェリー運航のフェリーが就航している。名古屋航路と苫小牧航路がある。苫小牧航路は原則として毎日就航しているが、名古屋航路は隔日就航。仙台駅と仙台港は路線バスでおよそ40分。

[編集] バス

[編集] 路線バス

仙台市営バス

バス路線は、仙台駅に向かう系統が最も多く、次いで仙台市地下鉄南北線の乗継指定駅に向かう系統が多い。近年は、在来線の駅前にロータリーを新設して、在来線との乗り換えを進める傾向もある。仙台市内を走るバス(市外直通便含む)として、以下のバス事業者がある。

  • 仙台市交通局仙台市営バス)…主に青葉区・宮城野区・若林区が中心。仙台空港へのアクセスの主流となっていたリムジンバスも交通局の運営であったが、仙台空港アクセス線開通に伴い、2007年平成19年)3月17日で廃止。翌日からは、愛子観光バス東日本急行がリムジンバスの運行を開始したが、2009年平成21年)1月31日までに両社とも撤退している。
  • 宮城交通…市内では太白区・泉区が中心。市外では富谷町大和町川崎町方面へ運行している。
  • 愛子観光バス…錦ヶ丘団地・仙台市天文台と仙台駅を結ぶ(西道路経由)錦ヶ丘線を運行。
  • 山交バス…宮城県内では仙台市青葉区のみを営業エリアとしており、国道48号を経由する特急バス(新庄行寒河江行)を運行する。路線策定の経緯から市バスの作並温泉線と競合する一般路線バスの扱いである。仙台駅から作並温泉の利用も可能であり、作並温泉地区では山交バス単独の停留所も設置されている。

いずれも後乗り前降り後払い方式、整理券による区間料金制を採っている。仙台市交通局と宮城交通において、後述の共通バスカード、ジョイカード(磁気式乗車カード)で乗車する場合は、乗車時にカードをカードリーダーに通し、降車時に運賃箱に併設されたカードリーダーにカードを通して精算する。

仙台市交通局と宮城交通では、バスロケーションシステムどこバス 仙台)が導入され、バスカードも共通である。共通バスカードは、そのプレミア率の高さから利用者が多い(5000円→5850円)。企業によっては定期券ではなく、バスカードにより通勤手当を算出するところも多い。なお、このバスカードは市営地下鉄の乗車には使えない。地下鉄と共通で使えるものとして、ジョイカード(5000円→5500円)がある。

また、特定駅でのバス・地下鉄の相互乗換の場合、乗継割引としてバス(地下鉄)の運賃が40円引かれる制度が存在するが、現金もしくはスキップカード(プレミアなし)のみが対象であり、上記のカードは使用することが出来ない。しかし、計算上は上記のバスカード・ジョイカードを組み合わせて使用する方が割引率が高く、しかも全駅で利用できるため、乗継で乗継割引制度は実質上、形骸化しているに等しい。

仙台駅からワンコインで乗れる都心バス均一区間の100円パッ区が設定されている。かつてはワンコインの循環バスを試験的に走らせていたが、交通渋滞のために定時運行が困難のために長くは続かなかった。しかし定期バスにて100円で乗れる均一区間を試験的に設定した結果、好評のためにそのまま継続となった。

[編集] 高速バス・特急バス

詳細は「仙台経済圏」を参照

「高速バス」の乗り場は、宮城交通とその系列会社(東日本急行)が広瀬通、JRバス東北が仙台駅東口にある(一部を除く)。

山形行、福島行の便は1時間に3本以上あり、料金も割安で特に便利である。山形行きのバスは、山形自動車道開通前から一般道経由の特急バスとして運行していたため、「高速バス」ではなく、現在も「特急バス」として運行されている。詳しくは仙台 - 山形線を参照。

[編集] 道路

[編集] 高速道路

仙台市とその周辺市町村には、「1環状5放射状」の高速道路網が広がっている。

仙台都市圏の高速道路網については 「仙台都市圏」を参照せよ

東北自動車道浦和本線料金所から仙台宮城ICまでの距離は332.4km、料金は普通車7200円。東京からの距離・時間と青森からの距離・時間はほぼ同じである。

東北自動車道と仙台南部道路は、仙台南ICで接続している。現在は仙台南ICの旧料金所の廃止によってJCT化された。東北道⇔仙台南部道路との連絡に関しては実質的には「仙台南JCT」として機能している。また、三陸自動車道、仙台東部道路、仙台北部道路方面とは、仙台南部道路を経由することによって連結している。

[編集] 一般国道・宮城県道

[編集] 市街地の主な道路

市を象徴する道路の1つである定禅寺通り(愛称命名道路)

仙台市内の通り」を参照

仙台市の中心市街地は、一部地域を除き、ほぼ碁盤の目のように道路が整備されているが、そのほとんどの道路に道路愛称および歴史的な通称が一般的に使われている。

歴史的通称名

仙台市の歴史的町名活用道路一覧」を参照

仙台市は歴史的町名等活用推進事業を行っており、その一環として歴史的町名を書いた辻標や通り看板を立てている。

[編集] 観光地

せんだいメディアテーク
るーぷる仙台バス 国際センター向かい 大橋近く(2005年平成17年)7月
仙台城隅櫓(2003年平成15年)11月

「杜の都」と呼ばれる仙台には、名所や旧跡、景勝地がある。また海の幸・山の幸に恵まれており、美味しい料理を味わうことが出来る。市内観光には市交通局が運行する、市内周遊観光バス「るーぷる仙台」が便利である。市街地から車で30分もあれば、郊外へ出ることが出来る。秋保温泉作並温泉は「仙台の奥座敷」と呼ばれ、江戸時代からの名湯である。松島にも近いため、観光ツアーや旅行ガイドブックでは「仙台・松島」と一緒に組まれることが多い[8]

[編集] 名所・名勝

仙台城址の整備は長らく市民の悲願であり、現在は石垣の整備および、三の丸跡から本丸跡への観光ルートの整備が行われている。2006年平成18年)3月に、本丸に小規模なガイダンス施設「仙台城見聞館」がオープンした。仙台城の大手門を復元しようという計画もある。現在の仙台城本丸は、眺めはよいものの、石垣と伊達政宗銅像があるのみである。天守閣はもともとない。大手門の位置にあった大手門脇櫓(わきやぐら)が復元されており、これのみが城らしい建物である。脇櫓は市民の間では隅櫓(すみやぐら)と呼ばれ、これと大橋が現在の仙台城のシンボルである。脇櫓の向かいに林子平の銅像と阿部次郎記念散歩道の案内がある(外部リンク「歴史と文化の散歩道」参照)。隅櫓近くの、東北大学川内記念講堂周辺の散歩道は快適である。東北大学植物園内にも遊歩道や遺跡がある。

[編集] 寺社

巡礼札所
主教座聖堂

[編集] レジャー


[編集] 公園・緑地

仙台市では都市の緑化と緑地公園・森林公園に力を入れている。平成11年には、市民・事業者・行政の協働による今後の緑づくりの具体的施策を定めた「百年の杜づくり行動計画」を策定し、市街地の「緑の回廊づくり」、誕生、結婚、新築など人生の節目を記念する植樹などによって1年1万本を目標に市民による植樹を進める「市民による「100万本の森づくり」、「学校の森づくり」、「建築物の緑化助成」、小学生向け緑化啓発サイト「キッズ百年の杜」などの施策を実施している。 都心部を囲む水田地帯、広瀬川の河川敷、小さな山などを含めてグリーンベルトと見なし、条例で開発を規制している。生垣にも助成金を出している。ブロック塀を減らすことで地震対策としている面もある。これは1978年の宮城県沖地震の際、ブロック塀が崩れ、その下敷きとなり多くの犠牲者を出した反省に基づいている。

[編集] 出身有名人

仙台市出身の有名人、仙台市に縁のある著名人、ローカル・キャラ、主な芸能事務所などは、「仙台の著名人一覧」を参照

[編集] 郵便番号

(括弧内は担当する郵便事業の支店。民営化前に集配区の統合によりむ集配化したもののみ、旧集配局名)

[編集] 電話番号

  • 市外局番及び市内局番の変遷[3]
    • 1962年~1963年
      • 市外局番は「0222」で市内局番は1桁
    • 1963年~1986年
      • 市外局番は「0222」で市内局番は2桁
    • 1986年以降
      • 市外局番は「022」で市内局番は3桁
  • 局番の変更
    • 1963年変更
      • 0222-E-FGHJ0222-2E-FGHJ(Eコードは2,3,5
      • 0222-4-FGHJ0222-34-FGHJ
      • 0222-6-FGHJ0222-56-FGHJ
      • 0222-8-FGHJ0222-48-FGHJ
    • 1986年変更
      • 0222-DE-FGHJ022-2DE-FGHJ
  • 旧市域の電話番号の例外
    • 太白区生出地区
      • 1980年頃まで生出局であり旧々市外局番は「022381」で市内局番なしである
      • 仙台局との局番統合は以下のように行っている(同時に生出局から仙台局に変わり市内通話が可能になる)
        • 022381-FGHJ0222-81-FGHJ
    • 宮城野区港5丁目(新日本石油の精油所や新仙台火力発電所などが当地にある。しかし、港1~4丁目とは川を挟んでおり、間に橋が架かっていないため、いったん多賀城市を経由しないといけないため、事実上飛び地となっている)
      • 1986年まで塩釜局であり旧市外局番は「02236」で市内局番1桁である(使用市内局番は2~9局)
      • 仙台局との局番統合は以下のように行っている(同時に塩釜局から仙台局に変わり市内通話が可能になる)
        • 02236-E-FGHJ022-36E-FGHJ
  • 市内局番3桁化後に編入された旧泉市、旧宮城町、旧秋保町の旧市外局番及び旧市内局番について
    • 旧泉市(現泉区)
      • 旧市外局番は「02237」(泉局)で市内局番1桁である(使用市内局番は2~6局及び8~9局)
      • 3桁前に利用されていなかった現在の(022377も、同じ旧泉市域(従来378を利用していた野村収容局)で利用
    • 旧宮城町(現青葉区宮城地区)/旧秋保町(現太白区秋保地区)
      • 旧市外局番は「02239」(愛子局)で市内局番1桁である(使用市内局番は2~5局及び7~9局)
      • 3桁前に利用されていなかった現在の(022396は、宮城野区の岩切収容局で利用
      • なお、ISDN用局番としては、旧宮城町では302(折立収容局を含む)と391の各一部、旧秋保町では304の一部が使われている。
  • 仙台市内の市内局番の特徴
    • 1の位が0の局番は原則として加入電話には利用されていない
      • 1の位が0の局番はかつては無線呼び出しに使用していたため
      • 例外的に使われている1の位が0の市内局番は以下の4つである
    • 200番台の振り分けについては以下のようになっている
      • 201-209…全域(かつては無線呼び出しの局番として使用)
      • 211-219…市内中心部及び市内北部(218は泉区)
      • 221-229…市内中心部(226は市内西部(折立・郷六など))
      • 231-239…市内東部(233及び234は市内北部)
      • 241-249…市内南部
      • 251-259…市内東部
      • 261-269…市内中心部
      • 271-279…市内北部
      • 281-289…市内東部(281は太白区生出地区)
      • 291-299…市内東部
    • 300番台の振り分けについては以下のようになっている
      • 301-309…市内北部・南部・西部(309は多賀城市)
      • 341-349…黒川郡・宮城郡・ひかり電話専用など
      • 351-359…黒川郡・宮城郡
      • 361-369…塩竈市・多賀城市(361-2xxx369-2浦戸諸島。その他369は、ひかり電話専用)
      • 371-379…泉区
      • 381-389…名取市・市内東部(389は多賀城市)
      • 391-399…旧宮城町・秋保町(396は宮城野区の岩切収容局)
    • 700番台の振り分けについては以下のようになっている
      • 701-709…全域(かつては無線呼び出しの局番として使用)
      • 711-719…市内中心部及び市内北部
      • 721-729…市内中心部及び市内北部
      • 731-739…全域(かつては無線呼び出しの局番として使用)
      • 741-749…市内南部(742は宮城野区の榴岡収容局、745NTT-C
      • 751-759…市内中心部
      • 761-769…塩竈市・利府町
      • 771-779…泉区・富谷町・NCC
      • 781-789…名取市・市内東部
      • 791-799…市内東部・ひかり電話専用・TOHKnetなど

[編集] その他

  • 市制記念日:4月1日
  • かつては、宮城県内の自動車ナンバープレートの地名表示は「宮城」のみであったが、いわゆるご当地ナンバー制度により、2006年平成18年)10月10日から「仙台」ナンバーが導入された。「仙台」ナンバーを取得できる車は、仙台市内に車庫登録をしている車となっている。
  • 銭湯の数:10軒(2005年末)
  • 仙台で地方入試を行う私立大学:128校(2006年春入学のための試験)
  • 仙台市は公民館の施設はない代わりに市民センターを各地に設けている。

[編集] 脚注

[編集] 関連項目


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[編集] 外部リンク

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