山本幸三
| 生年月日 | 1948年8月8日(63歳) |
|---|---|
| 出身地 | |
| 出身校 | 東京大学経済学部 |
| 学位・資格 | 経済学士 |
| 前職 | 国家公務員(大蔵省) |
| 所属委員会 | 予算委員会 財務金融委員会 |
| 世襲 | 無 義父・村山達雄(元大蔵大臣) 叔父・柳田桃太郎(元参議院議員) |
| 選出選挙区 | (旧福岡4区→) (福岡11区→) 比例九州ブロック |
| 当選回数 | 5回 |
| 所属党派 | (自由民主党→) (新生党→) (新進党→) (無所属→) 自由民主党(古賀派) |
| 党役職 | 国会対策副委員長 |
| 会館部屋番号 | 衆議院第2議員会館915号室 |
| ウェブサイト | 山本幸三のHP |
山本 幸三(やまもと こうぞう)は、日本の政治家、大蔵官僚。自由民主党所属の衆議院議員(5期)。
義父は大蔵大臣を務めた元衆議院議員の村山達雄。叔父は参議院議員、門司市長を務めた柳田桃太郎。
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[編集] 来歴
福岡県京都郡行橋町(現行橋市)生まれ。福岡県立京都高等学校、東京大学経済学部卒業。東大卒業後、大蔵省に入省した。在職中コーネル大学経営大学院に留学し、MBAを取得。帰国後、岩国税務署長、アメリカ合衆国ハーバード大学国際問題研究所客員研究員、大蔵大臣秘書官を歴任し、1990年に退官。
1990年、第39回衆議院議員総選挙に旧福岡県第4区(定数4)から自由民主党公認で出馬したが、次点(得票数5位)で落選した。1993年の第40回衆議院議員総選挙には結党したばかりの新生党公認で再び旧福岡4区から出馬し、同区トップ当選を果たす。1994年、新進党結党に参加し、1996年の第41回衆議院議員総選挙には小選挙区比例代表並立制導入に伴い福岡県第11区から出馬。社会民主党の中西績介、自民党の武田良太らを破り、再選(中西は比例復活)。1997年末の解党を待たず、新進党を離党した。
2000年の第42回衆議院議員総選挙には無所属で福岡11区から出馬し、再び社民党の中西、自民党の武田を破り3選(中西は再度比例復活)。その後、自民党に復党する。しかし2003年の第43回衆議院議員総選挙では、過去2度の選挙を非自民で戦った山本が自民党公認、逆に自民党公認で戦った武田良太が無所属で福岡11区から出馬し、約16,000票差で山本が敗れた。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、2004年8月に自民党に復党していた武田が郵政民営化法案に反対したため自民党の公認を得られず、福岡11区から無所属で出馬。自民党公認の山本は武田に再び敗れるが、比例九州ブロックで復活し、2年ぶりに返り咲きを果たす。2006年9月、安倍内閣で経済産業副大臣に就任。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では山本、武田が共に福岡11区からの立候補に意欲を示したため、選挙区の調整が難航。7月21日に衆議院が解散された時点でもまだ公認候補が内定していなかったが、結局武田が福岡11区から出馬し、山本は比例九州ブロック単独での立候補が決まった。武田は福岡11区、山本は比例九州フロックでそれぞれ当選。
[編集] 人物
- 東大では当初物理学を志し理系受験により入学したが、途中で卒業後の志望を官僚に変更したため、経済学部に進学した。大学時代の恩師は小宮隆太郎で、小宮からは大学に残って研究を続けるよう勧められた[1]。
- 自民党内では、同じ福岡県選出の古賀誠の側近。
- 消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていると報道されたが、本人は無回答である[2] 。
- 2009年7月21日、素行不良などを理由として解雇した元秘書が、北九州市のレンタルビデオ店に押し入って約10万円を奪った容疑で逮捕された。山本は「解雇したとはいえ私の教育不行き届きであった」とコメントし、謝罪している。
[編集] 所属団体・議員連盟
[編集] 親族
[編集] 脚注
- ^ 「豊の国、北九州に立つ」(山本幸三著)より。
- ^ しんぶん赤旗 2003年9月12日 パーティ券リストの面々
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| 議会 | ||
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| 先代: 下村博文 |
2008年 - 2009年 |
次代: 滝実 |