保坂三蔵
|
ほさか さんぞう
|
|
|---|---|
|
|
| 生年月日 | 1939年5月15日(72歳) |
| 出生地 | 東京府東京市(現東京都台東区) |
| 出身校 | 立教大学法学部 |
| 前職 | 東京日産自動車販売社員 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 公式サイト | 自民党 前参議院議員 保坂さんぞう |
|
|
|
| 選挙区 | 東京都選挙区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 1995年7月24日 - 2007年7月28日 |
|
|
|
| 選挙区 | 台東区選挙区 |
| 当選回数 | 6回 |
| 任期 | 1973年7月23日 - 1995年7月6日 |
|
|
|
| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 1971年4月 - 1973年7月 |
保坂 三蔵(ほさか さんぞう、1939年5月15日 - )は、日本の政治家。自由民主党東京都連会長代行。
経済産業副大臣(第2次小泉改造内閣)、参議院議員(2期)、東京都議会議員(6期)、台東区議会議員(1期)を歴任した。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 略歴
東京市(現東京都台東区)生まれ。開成高等学校、立教大学法学部法学科卒業。1962年、東京日産自動車販売株式会社入社。
1971年、台東区議会議員選挙に出馬し初当選を果たすが、1973年に任期途中で辞職、東京都議会議員選挙に台東区選挙区から出馬し、当選。以後6期連続当選。
1995年、任期途中で都議を辞職、第17回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から自由民主党公認(自由連合推薦)で出馬し、当選。1998年、小渕内閣で通商産業政務次官に就任。2001年、第19回参議院議員通常選挙で再選を果たした。2004年、第2次小泉改造内閣で経済産業副大臣に任命された。
2007年、第21回参議院議員通常選挙に3選をめざして東京都選挙区(定数5)から出馬したが、次点で落選。自民党東京都連は東京都選挙区から立候補した保坂、丸川珠代のうち、保坂を「本命馬」に位置づけた組織型選挙を展開したが、結果は691,367票を獲得した丸川が4位で当選し、保坂は丸川の票を約4万票下回る651,481票に留まり、683,629票の川田龍平に次ぐ6位であった。
2010年、第22回参議院議員通常選挙に比例区からの出馬を表明。自民党は党規の73歳定年制により、在職中に73歳を超える者は比例区で公認しない原則を掲げていたが、保坂は例外的に71歳ながら公認を受ける。しかし、全立候補者35人中19位(自民党の当選者枠は12議席)で落選した。
2010年の参院選落選後も次期参院選への立候補に意欲を見せていたが、一転、2011年4月の統一地方選挙で行われる台東区長選挙への出馬を表明、現職の吉住弘台東区長も3選出馬の意向を示したため、異例の予備選挙が行われる。予備選の結果、保坂は吉住を大差で破って自民党推薦候補に内定し[1]、自民党都連の推薦で出馬した。一方、敗れた吉住も不出馬による候補者の一本化を拒否し、区長選への出馬を表明[2]。そのため自民党から離党勧告を受け、自民党を離党して無所属で立候補した。台東区長選にはこの他、元区議の中山寛通(中山義活衆議院議員の長男)らも立候補したが、吉住が3選を果たし、保坂は次点で落選した。
[編集] 政策・主張
- 永住外国人への地方選挙権付与に賛成。東京日韓親善協会連合会の会長を務めていた当時、在日本大韓民国民団の集会に出席し、在日韓国人をはじめ永住者への地方選挙権付与に向けての意気込みを語った[3]。
[編集] 発言
- 「何も(所属政党等からの)制約がなければ、電気や電車をストップさせる「自然回帰の日」をつくりたい」(読売新聞 2007年7月25日付)
[編集] 著書
- 「ハダカの新幹線―「高速時代と都市再生」のロマンを追う」 東洋堂企画出版社 1982年
- 「東京上野の五百年」 東洋堂企画出版社 1983年
[編集] 脚注
- ^ “台東区長選、保坂氏推薦へ…自民総支部が予備選” (日本語). 読売新聞. (2010年12月27日) 2010年12月27日閲覧。
- ^ 「サンデー毎日」 平成23年2月20日号 114~115ページ
- ^ http://www.mindan.org/search_view.php?mode=news&id=11378
[編集] 外部リンク
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 加藤紀文 |
2001年 - 2002年 |
次代: 田浦直 |
| 官職 | ||
| 先代: 坂本剛二 泉信也 |
小此木八郎と共同 2004年 - 2005年 |
次代: 西野陽 西川玲子 |
