重野安正
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| 生年月日 | 1941年12月1日(70歳) |
|---|---|
| 出身地 | 大分県大野郡野津町(現・臼杵市) |
| 出身校 | 大分県立農業講習所 |
| 学位・資格 | - |
| 前職 | 大分県職員 大分県議会議員 |
| 所属委員会 | 総務委員会 災害対策特別委員会[要出典] |
| 世襲 | 世襲ではない |
| 選出選挙区 | 大分2区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 所属党派 | 社会民主党 |
| 党役職 | 党幹事長 党大分県連合代表 |
| 会館部屋番号 | 衆・第一議員会館419号室 |
| ウェブサイト | しげの安正ホームページ |
重野 安正(しげの やすまさ)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、社会民主党幹事長、大分県連合会長。
目次 |
[編集] 経歴
1962年、20歳の時に、農業改良普及員として大分県庁に入庁。その後、労働組合活動に没頭するようになり政治に目覚めた。自治労大分県職員連合労働組合の加盟労組である大分県職員労働組合(大分県職労)から大分県議会議員に転身。2000年、大分2区から衆議院議員に出馬・当選。
なお大分県職労から大分県議、国会議員になり国会対策委員長を務めた経歴は、大分1区選出の社民党名誉党首の村山富市元首相と同じである。また重野の後継県議であった吉田忠智は九州大学農学部出身で、県職員出身である。
国政では、社会民主党の国会対策委員長を経て幹事長に就任した。民社国連立政権下でも引き続き幹事長を務め、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画担当)として入閣した党首の福島瑞穂に代わり党務全般を指揮している。また、全国国公立幼稚園PTA連絡協議会の顧問や大分県国際農友会の会長であり、自治労大分県職員連合労働組合や大分県職員労働組合の特別執行委員でもある。
[編集] 略歴
- 1957年3月 野津町立野津中学校(現・臼杵市立野津中学校)卒業。
- 1960年3月 大分県立臼杵高等学校卒業。
- 1962年3月 大分県立農業講習所卒業。
- 1962年5月 大分県庁入庁。
- 1970年 自治労大分県職員連合労働組合本部書記長に就任。連続4期務める。
- 1974年 自治労大分県本部書記長に就任。
- 1975年4月 大分県庁退職。大分県議会議員当選。以降7期26年務める。
- 2000年6月 第42回衆議院議員総選挙に大分2区から出馬、衛藤征士郎に敗れるも、比例代表で復活当選。
- 2003年11月 第43回衆議院議員総選挙で、再び衛藤に敗れ、比例復活もならず落選。
- 2005年9月 第44回衆議院議員総選挙でも、衛藤に敗れるが、比例復活。2期目の当選。
- 2005年 国会対策委員長に就任。
- 2007年12月23日 幹事長に就任。
- 2009年8月30日 第45回衆議院議員総選挙にて衛藤を破り初の小選挙区当選。3期目。
[編集] 政治的主張
- 2009年4月5日に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)によるミサイル発射実験が行われると、北朝鮮への非難と共に、「日本政府がこの機会に乗じて、ミサイル防衛体制の整備を進めようとすることは問題である」との幹事長名の談話を発表した[1]。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
| 党職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 又市征治 |
社会民主党幹事長 第6代 : 2007年 - |
次代: 現職 |
| 先代: 横光克彦 |
社会民主党国会対策委員長 第6代 : 2005年 - 2007年 |
次代: 日森文尋 |
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