下地幹郎

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日本の旗 日本の政治家
下地 幹郎
しもじ みきお
Mikio Shimoji.jpg
生年月日 1961年8月14日(53歳)
出生地 日本の旗沖縄県平良市(現宮古島市
出身校 中央学院大学商学部
前職 会社員
所属政党 自由民主党橋本派)→)
無所属→)
政党そうぞう→)
国民新党・政党そうぞう→)
(政党そうぞう→)
無所属
称号 商学士
親族 父・下地米一(元平良市長)
公式サイト 沖縄が決める!〜元衆議院議員「下地ミキオ」

内閣 野田第3次改造内閣
任期 2012年10月1日 - 2012年12月26日

選挙区 比例九州ブロック→)
沖縄1区
当選回数 4回
任期 1996年10月21日 - 2003年10月10日
2005年9月12日 - 2012年11月16日
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下地 幹郎(しもじ みきお、1961年8月14日 - )は、日本政治家政党そうぞう代表

内閣府特命担当大臣(防災)郵政民営化担当大臣野田第3次改造内閣)、衆議院議員(4期)、国民新党代表代行・幹事長(第3代)・国会対策委員長(第3代)・政務調査会長(第3代)、経済産業大臣政務官第1次小泉内閣)等を歴任。

来歴[編集]

ケヴィン・メアアメリカ合衆国那覇総領事を歓迎する下地

沖縄県平良市(現宮古島市)生まれ。沖縄県立宮古高等学校中央学院大学商学部商学科卒業。大学卒業後、父が創業した大米建設に勤務する。

1996年第41回衆議院議員総選挙自由民主党公認で沖縄1区から出馬し、選挙区では新進党(旧公明党系)の白保台一日本共産党古堅実吉の後塵を拝したが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、初当選した。当選後、平成研究会に入会。また自民党在籍時は鈴木宗男の側近であり、鈴木を支える議員グループ「ムネムネ会」の中心人物であった。小渕内閣沖縄開発政務次官に任命され、小渕第1次改造内閣まで務める。

2000年第42回衆議院議員総選挙では、自公の選挙協力により党総務局長の鈴木から比例単独での出馬を求められ、比例九州ブロックから出馬し再選。沖縄1区では、公明党から出馬した白保が当選した。2002年第1次小泉内閣経済産業大臣政務官に任命される。2003年第43回衆議院議員総選挙では自公間の選挙協力が不調に終わり、自民党に党籍を残したまま沖縄1区から無所属で出馬したが、自民党・保守新党が推薦する公明党の白保に敗れ、落選。その後普天間飛行場の移設をめぐり、自民党が推し進める名護市辺野古への移設に反対して嘉手納飛行場への統合案を提唱したため、考え方の相違により自民党を離党する。2005年第44回衆議院議員総選挙では民主党の推薦を受け、沖縄1区から無所属で出馬。公明党の白保を破り、5年ぶりに国政に復帰した。同年12月、政党そうぞうを設立し、代表に就任。

2007年5月、衆議院院内会派「国民新党・無所属の会」に入会。下地の入会により、会派の名称が「国民新党・そうぞう・無所属の会」に改められた。翌2008年8月、そうぞう代表を沖縄県議会議員の當間盛夫に譲り、顧問に就任。9月にそうぞうを離党し、国民新党に入党。党政策審議会長代行に就任した。2009年9月、政策審議会長であった自見庄三郎の党幹事長就任に伴い、政策審議会長(後に政務調査会長に改称)に就任。また糸川正晃の離党(民主党入党)に伴い、国会対策委員長も兼務する。2010年2月、同年7月の第22回参議院議員通常選挙に向け党選挙対策本部長に就任し、政調会長を辞任した(後任は森田高参議院議員)。2010年6月、自見幹事長の菅内閣への入閣に伴い、後任の国民新党幹事長に就任。

2012年、国民新党代表の亀井静香が消費税増税関連法案の閣議決定に反対して連立政権から離脱を表明したが、野田内閣の一員であった自見庄三郎や下地ら6人は連立離脱に反対。亀井静香、亀井亜紀子政調会長を除く党所属議員6人で議員総会を開き、亀井静香、亀井亜紀子を党役職から解任[1]。党幹事長であった下地が民主党幹事長輿石東に対し、国民新党が引き続き与党に残留する意向を表明した。2012年4月、国民新党代表代行も兼務する。同年8月11日沖縄県那覇市で記者会見を開き、政党そうぞう代表への就任を発表した。一方、次期衆議院議員総選挙には引き続き国民新党公認で立候補する考えを表明[2]。同年10月1日、野田第3次改造内閣内閣府特命担当大臣(防災)及び郵政民営化担当大臣に任命され、国民新党幹事長のまま初入閣した。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、沖縄1区で自民党新人の國場幸之助に敗れ、比例復活もならず落選した。2013年2月22日、自民党復党を模索する自見庄三郎代表の方針に反対し、国民新党を離党[3]

2014年6月28日、那覇市内のホテルで支持者2千人を集めた会合を開き、同年11月の沖縄県知事選挙への出馬を検討していることが報じられた[4]

同年7月25日、政党そうぞうの拡大役員会で代表を辞任、離党したうえで無所属で沖縄県知事選挙へ出馬する方針を表明、受理され、31日正式に出馬発表を行った。そうぞうの党運営については、当面の間代表代行の當間盛夫が代表を務める[5]

発言[編集]

政策・主張[編集]

政治資金[編集]

著書[編集]

  • 『ひとり立ちしよう日本人―行動派新代議士日本を語る』下地ミキオ後援会事務所、1999年9月、ISBN 4900374237
  • 『琉球の心で真っ向勝負―新嘉手納統合プランの真実』日本法制学会、2003年7月、ISBN 4931147259
  • 『主役は沖縄 沖縄が決める』下地ミキオ後援会、2006年11月、ISBN 4900374717
  • 『解決 --沖縄のミッション 米軍基地過重負担の漸進的軽減』日本評論社 、2012年4月、ISBN 4535586268

人物[編集]

所属団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 亀井代表を解任 国民新党議員総会 今後は下地氏ら6人で与党活動産経ニュース 2012年4月5日
  2. ^ (日本語) 下地氏、そうぞう代表に復帰”. 時事ドットコム (2012年8月11日). 2012年8月12日閲覧。
  3. ^ 国民新・下地氏が離党届”. 日本経済新聞 (2013年2月22日). 2014年6月29日閲覧。
  4. ^ 下地幹郎氏、沖縄県知事選出馬検討認める”. 沖縄タイムス (2014年6月29日). 2014年6月29日閲覧。
  5. ^ 下地氏そうぞう離党 無所属で知事選出馬意欲”. 沖縄タイムス (2014年7月26日). 2014年8月1日閲覧。
  6. ^ 2010年3月1日衆議院予算委員会議事録2010年3月1日 国会会議録検索システム
  7. ^ 日中首脳会談:中国側 「日本側が雰囲気壊した」と拒否 毎日新聞 2010年10月29日
  8. ^ 国民新・下地幹事長「前原氏は外相辞めた方がいい」産経新聞 2010年10月30日
  9. ^ [1]
  10. ^ 国会議員に浸透はかる霊感商法の統一教会有田芳生ブログ 2010年12月4日
  11. ^ 2012衆院選 沖縄1区 下地 幹郎
  12. ^ 第177回国会 - 衆議院 - 予算委員会 - 11号 平成23年02月15日
  13. ^ しんぶん赤旗 2002年3月10日
  14. ^ しんぶん赤旗 2013年1月1日
  15. ^ しんぶん赤旗 2012年10月5日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

党職
先代:
(創設)
當間盛夫
政党そうぞう代表
初代:2005年 - 2008年
第3代:2012年 - 2014年
次代:
當間盛夫
當間盛夫
先代:
自見庄三郎
国民新党幹事長
第3代:2010年 - 2012年
次代:
浜田和幸
先代:
自見庄三郎
国民新党政務調査会長
第3代:2009年 - 2010年
次代:
森田高
先代:
糸川正晃
国民新党国会対策委員長
第3代:2009年 - 2012年
次代:
中島正純
公職
先代:
中川正春
日本の旗 特命担当大臣(防災)
第19代:2012年
次代:
古屋圭司
先代:
大村秀章西川太一郎
日本の旗 経済産業大臣政務官
西川玲子(松あきら)と共同

2002年
次代:
櫻田義孝西川公也