原口一博
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原口 一博(はらぐち かずひろ、1959年7月2日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。
佐賀県議会議員(2期)。松下政経塾(4期生)。日韓議員連盟所属。
| 衆議院議員 原口 一博 | |||
|---|---|---|---|
| 生年月日 | 1959年7月2日(50歳) | ||
| 出生地 | 佐賀県佐賀市 | ||
| 出身校 | 東京大学文学部心理学科卒業 | ||
| 学位・資格 | 文学士 | ||
| 前職 | 佐賀県議会議員 | ||
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所属委員会
内閣役職
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衆・予算委員会委員 衆・郵政民営化特別委員会委員 |
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| 世襲 | 無 | ||
| 選出選挙区 | 比例九州ブロック(佐賀1区) | ||
| 当選回数 | 4回 | ||
| 所属党派 | 民主党(羽田グループ) | ||
| 党役職 | 次の内閣総務大臣 佐賀県総支部連合会代表 |
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| 会館部屋番号 | 衆・第1議員会館238号室 | ||
| ウェブサイト | 原口一博 TOP MENU | ||
目次 |
概要
佐賀県佐賀市出身。東京大学文学部心理学科卒業後、松下政経塾を経て佐賀県議会議員に当選。自民党会派に所属。 県議2期目の任期中だった1993年、自民党衆院議員の大坪健一郎から後継指名を受け、第40回総選挙に無所属・総裁派閥の宮澤派の新人候補として出馬するも落選。1994年、愛野興一郎衆院議員に従って新生党に入党し、同年末の新進党結党にも参画。1996年の第41回総選挙では新進党公認で出馬し、初当選。
元自民党県議であるが、1999年8月、衆院本会議での国旗国歌法案採決では反対票を投じた。2007年9月より民主党「次の内閣」総務大臣に就任した。
発言
- 「ある組織の手先(スーパーハッカー)に自分のPCをハッキングされ、ハードディスク上にあった国会答弁の内容が入ったファイルを消去されるなど、日本政府も逆らえないような恐ろしい「闇の組織」と現在闘っている。」(要旨)
- 読売テレビ系『たかじんのそこまで言って委員会』(2006年2月26日放映)で、堀江メール問題に関連して発言。さらには「闇の組織」がライブドアと自民党の繋がりの裏に暗躍し、「闇の組織」日本国政府及び合衆国政府との癒着の可能性を指摘した。
- 「闇の組織は必ず黒い服を着ている」・「黒い服は着ない方が良い」
- 「メールの中身は偽物。個人の名誉や生活を大変傷つけてしまったことを同僚議員の1人としておわびしたい」(2006年3月2日、衆院予算委員会において)
- 一連の発言の後、メールが偽物であると確定したため。
- この発言の直後、「北陸の富山の方」なる人物が航空自衛隊小松基地内の無線LANを盗聴した行為と内容を披瀝した。
- ※無線通信の傍受行為を罰する法律は無いものの、その傍受した通信の存在や内容の漏洩、窃用は罰せられる(電波法第59条・同109条)。
略歴
経歴
- 1972年(昭和47年)
- 3月 佐賀市立高木瀬小学校卒業
- 1975年(昭和50年)
- 3月 佐賀市立城南中学校卒業
- 1978年(昭和53年)
- 3月 佐賀県立佐賀西高等学校卒業
- 1983年(昭和58年)
政歴
- 1987年(昭和62年)
- 4月 佐賀県議会議員選挙(佐賀市・無所属)当選。
- 1991年(平成3年)
- 4月 佐賀県議会議員選挙(佐賀市・自由民主党公認)2期目当選。
- 1993年(平成5年)
- 7月18日 第40回衆議院議員総選挙(旧佐賀全県区・無所属)落選。
- 1996年(平成8年)
- 10月20日 第41回衆議院議員総選挙(佐賀1区・新進党公認)当選。
- 2000年(平成12年)
- 6月25日 第42回衆議院議員総選挙(佐賀1区・民主党公認)2期目当選(比例九州)。
- 2003年(平成15年)
- 11月9日 第43回衆議院議員総選挙(佐賀1区・民主党公認)3期目当選。
- 2005年(平成17年)
- 9月11日 第44回衆議院議員総選挙(佐賀1区・民主党公認)4期目当選(比例九州)。
出演番組
- 『ビートたけしのTVタックル』テレビ朝日系
- 『みのもんたの朝ズバッ!』・『みのもんたのサタデーずばッと』TBS系
- 『たかじんのそこまで言って委員会』読売テレビ
- 『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』日本テレビ系
文献
著書
- 『やめへんやろうな』原口一博と維新隊、1993年
共著
- 『政策不況 脱出の筋道』東洋経済新報社、1998年
- 『21世紀日本の繁栄譜』PHP研究所、1999年
脚注
関連項目
外部リンク
- 原口一博 TOP MENU(公式サイト)
- 民主党 佐賀県総支部連合会

