尖閣諸島

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尖閣諸島
尖閣諸島の位置と名称(日本語名)
1.魚釣島 2.大正島 3.久場島 4.北小島 5.南小島 6.沖の北岩 7.沖の南岩 8.飛瀬
地理
場所 東シナ海
座標 北緯25度00分 - 26度30分
東経123度00分 - 125度00分
島数 5島 3岩礁
主要な島 魚釣島、久場島、大正島など
面積 5.56 km2 (2.147 sq mi)[1]
最高標高 363 m (1,191 ft)
最高峰 魚釣島
所属国・地域
日本の旗 日本 (実効支配)
沖縄県
石垣市
中華民国の旗 中華民国 (領有権主張)
宜蘭県頭城鎮
中華人民共和国の旗 中華人民共和国 (領有権主張)
台湾省

尖閣諸島(せんかくしょとう)は、東シナ海の南西部(八重山諸島)にある島嶼群。石垣島北方約130km - 150kmの、北緯25°44' - 56'、東経123°30' - 124°34'の海域に点在する。尖閣列島(せんかくれっとう)ともいう。

「尖閣諸島」の名称は、明治政府からこの島を無償貸与された実業家古賀辰四郎の依頼により、1900年(明治33年)5月に当地を調査した高知県出身の教師、黒岩恒が命名したもので、島の尖っている形状と「イギリス海軍水路誌」にある"The Pinnacle Islands"の意訳に由来する。中華人民共和国(中国)及び中華民国台湾)では、釣魚台列嶼と呼ばれる。

目次

[編集] 地理・気象

尖閣諸島は琉球諸島西方の東シナ海に位置しており、沖縄トラフの西側に位置する。ここはユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでおり、尖閣諸島は沖縄から年々その距離が離れている。南西諸島から中国大陸に続く大陸棚の上にある。

地質は火山性であり、岩盤がむき出しになっており、河川や湖沼といった水源がないため、農業が出来ないことから定住することはなかったが、第二次世界大戦前の一時期、日本人が定住し開拓者にちなんだ通称「古賀村」集落が形成され200人あまりが生活していた。

付近海域は、好漁場であるためそれを餌とする大量の海鳥の生息地となっており、特に絶滅危惧種アホウドリクロアシアホウドリの繁殖地となっている[2][3]。しかし沖縄県がアメリカ軍に占領され、日本政府が主権を行使できなかった1960年代には、尖閣諸島に大量の台湾人漁民が「不法入域」していたため、琉球大学の高良鉄夫教授らによる調査団が1963年(昭和38年)春に100万羽以上の海鳥が生息する事を確認していたが[4]1968年(昭和43年)に行われた調査では、小島のカツオドリが20万羽から1万羽、北小島のセグロアジサシは50万羽から10万羽に激減していた[5]。これは台湾漁民が不法操業のついでに上陸し、海鳥や卵を大量に収奪していた。その後も台湾漁民による不法上陸が報告されているが[6]、現在では上陸そのものが厳しく制限されており、保護されているため、元の海鳥の楽園となっている。

[編集] 所属する島

魚釣島
久場島
大正島
北小島(上)と南小島(下)
沖の北岩
沖の南岩
飛瀬

主な島と岩礁は以下のとおり。面積と最高標高はそれぞれ沖縄県[7]と海上自衛隊[8]が作成した資料によるもの。

魚釣島(うおつりじま)
石垣島北西方170km(尖閣諸島西端)に位置する。面積3.82km²。最高標高363m。250mの急峻な崖が東西に横断している。(周辺地図
久場島(くばじま)
石垣島北方160km、魚釣島東北方22kmに位置する。面積は 1.55km²。最高標高117m。(周辺地図
大正島(たいしょうじま)
石垣島北方150km、魚釣島東方103km(尖閣諸島東端)に位置する。面積は 0.06 km²。最高標高75m。(周辺地図
北小島(きたこじま)
西表島北方160kmに位置する。面積は 0.31 km²。最高標高118m。(周辺地図
南小島(みなみこじま)
西表島北方160kmに位置する。面積は 0.40 km²。最高標高149m。(周辺地図
沖の北岩(おきのきたいわ)
石垣島北方160km、魚釣島東北方6kmに位置する。面積は0.05 km²。最高標高28m。東の岩と西の岩という2つの岩礁からなる[9]。(周辺地図
沖の南岩(おきのみなみいわ)
石垣島北方160km、魚釣島東方7.5kmに位置する。面積は 0.01 km²。最高標高13m。(周辺地図
飛瀬(とびせ)
石垣島北方160km、魚釣島東方1.5kmに位置する。面積は 0.01 km²。最高点は2m。(周辺地図

いずれも無人島であるが、戦前太平洋戦争以前)、一時的に定住者がいた時期もあった。なお、大正島は国有地(国有財産)であるが、久場島など4島は後述のように個人所有(私有財産)であり、日本政府が賃貸借契約を締結し賃貸料を支払っている。また、上陸には日本政府の許可が必要であるが、許可が出されることはほとんどない。なお、上空は日本が管轄する防空識別圏であるため、航空当局の許可があれば島上空を飛行することは可能であり、付近には民間航空路が設定されている。

2012年(平成24年)1月16日、日本政府は排他的経済水域(EEZ)の基点となるにもかかわらず名称が不明であった離島について、地元自治体などに呼称を照会した上で、同年3月末までに命名する方針を示し[10]、1月30日には名称が内定したと報じられた。この中には、尖閣諸島近海の4島が含まれており、このうち久場島付近にある3島は北西小島北小島北東小島、大正島付近にある1島は北小島と名付けられる見込みである[11][12]。この結果、本諸島には計3つの北小島が存在することになる。

[編集] 領有

[編集] 領有権に関する主張

民間機から見た尖閣諸島(左から魚釣島、北小島、南小島)

日本政府の公式見解は「この領域に領有権問題は存在しない」というものであるが、中国政府や台湾は領有権問題が存在すると主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属するが、台湾は宜蘭県に属すと主張している。2005年の沖縄近海における台湾漁船の抗議行動尖閣諸島中国漁船衝突事件のように領有権を主張する台湾・中国側との間で不法操業や不法越境・上陸をともなう国際問題がしばしば発生している。

[編集] 領有をめぐる経緯

現地調査の結果、いずれの国の支配下にもないと確認した日本政府は、1895年(明治28年)に尖閣諸島を日本の領土に編入することを閣議決定。同年、尖閣諸島は実業家古賀辰四郎に期限付きで無償貸与される。1880年代後半から1940年(昭和15年)にかけ、尖閣諸島には日本の琉球諸島の住民が建設した船着場や古賀が開設した鰹節工場などがあった。

中国と台湾が領有権を主張し始めたのは、1968年(昭和43年)に尖閣諸島付近海底調査で石油天然ガスなどの大量地下資源埋蔵の可能性が確認されて以降である。

1978年(昭和53年)に右翼団体日本青年社が魚釣島に私設灯台を建設し、保守管理してきた。日本国政府からの「灯台を正式に海図に記載し、今後は国が灯台の管理をしていきたい」との申し出により、2005年(平成17年)2月に灯台は国に譲渡され、海上保安庁によって魚釣島灯台として管理されている。その他、北小島にも灯台がある。

中曽根内閣1982年 - 1987年)の際に、海上保安庁は魚釣島に仮設ヘリポートを設置し、これに対して中国政府は抗議していた。現在、このヘリポートは、抗議とは無関係に、必要性や保守整備の観点から日本国政府により撤去されている[13]

2000年(平成12年)には、魚釣島に尖閣神社が建立された。また、尖閣諸島防衛協会により日本国旗の碑が設置された。

[編集] 領有をめぐる年表

毎日新聞』2010年9月19日版を元に概要のみ記す[14]。詳細は尖閣諸島問題を参照。

[編集] 日本における所有者

1910年頃の尖閣諸島民とその住居と掲げられる日章旗

大正島が国有地である以外は私有地であり、2002年(平成14年)より日本国が賃借している[15]総務省は2002年に賃借契約を結び、年間約2,450万円で賃借(魚釣島2,112万円、南小島188万円、北小島150万円)とされる。久場島は在日米軍が使用している。

尖閣諸島を開拓したのは、福岡県八女市出身の実業家古賀辰四郎であった。1870年代後半に八女茶の販路拡大のために沖縄に進出し、高級ボタン用の夜光貝輸出で富をなした古賀は、東シナ海の島の開拓にも乗り出し、1895年(明治28年)に政府から尖閣諸島を30年間の期限付きで無償貸与され、鰹節工場やアホウドリの羽の加工場を設けた。この当時の尖閣諸島には、一時は280名あまりの島民が暮していた。1932年(昭和7年)に長男善次に当時の価格で1万5千円で払い下げ(2010年時点の金額換算で約2,500万円、大正島を除く)となり、第二次世界大戦中の1940年代前半に事業中止にともない無人となる。その後、妻が所有し、1970年代に埼玉県内の親交のあった人物に約4,600万円で譲渡した。

石原慎太郎は、2010年(平成22年)10月24日放送の『新報道2001』にて、過去に尖閣諸島の一部を購入したいと考え、埼玉県内の所有者に相談をしたが断られたと語った。その所有者は大地主だったため、戦中や戦後に土地を政府に没収されたり、削られたりしたために行政や政治を信用できないとし、島は自分達で守り、絶対に売らないとしている。なお、石原と現在の所有者とは、石原の亡くなった母を通じてのつながりがあったために面談できたが、その事実が所有者に分かる前は「政治家には一切会いたくない」と門前払いされたという。

その後、所有者は、「本来土地というものは、先祖代々受け継がれるもの。私が所有者である限り、あの島は日本の領土です。外国企業からあの島を350億円で売却して欲しいと言われたが、断りました。もし仮に私の子孫が途絶えても、その時島の所有権は日本に移る。あの島は永遠に日本の領土です。」と答えた[16]

各島の所有者と所有地の住所は次のとおり。

  • 尖閣諸島: 沖縄県石垣市登野城2390 - 94番地[17]
  • 南小島: 沖縄県石垣市登野城2390 個人所有(総務省賃借権設定 188万円)32万4628m²[18]
  • 北小島: 沖縄県石垣市登野城2391 個人所有(総務省賃借権設定 150万円)25万8842m²[18]
  • 魚釣島: 沖縄県石垣市登野城2392 個人所有(総務省賃借権設定 2112万円)364万1983m²[18]
  • 久場島: 沖縄県石垣市登野城2393 個人所有(総務省賃借権設定)87万4049m²[18]
  • 大正島: 沖縄県石垣市登野城2394 財務省 4万1386m²[18]

[編集] 「尖閣諸島」切手

日本への返還直前の1972年(昭和47年)4月14日、沖縄で郵便事業を行っていた琉球郵政庁記念切手「海洋シリーズ」第3集を発行したが、これは尖閣諸島の南小島でアホウドリ[19]が羽根を休める風景を描いたものだという。これは琉球郵政庁が切手を発行権限があるうちに、尖閣は沖縄の島であることを主張する切手を残すためであった。

公式には「海鳥」と題されているが、これは領有権を主張し始めた中華民国政府に対する配慮から、アメリカから発行中止命令[20]を受けないためのカモフラージュであった。1971年(昭和46年)に琉球大学の調査によりクロアシアホウドリとアホウドリが尖閣諸島に生息することが確認されたことから、琉球郵政庁の切手発行担当者は原画担当者の安次富長昭にアホウドリを描くように指示、調査団の説明からイメージを膨らませたという。

また、担当者は第1集の「夕陽と島」でも魚釣島に沈む夕陽にしようと目論み、写真撮影のため原画技官を2週間に渡り出張させたが、悪天候のため尖閣諸島にたどり着けず、やむなく慶良間の海と島に変更されたという[21]

[編集] 脚注

  1. ^ 平成21年全国都道府県市区町村別面積調 沖縄県”. 国土地理院. 2011年9月2日閲覧。
  2. ^ 河野裕美 「アホウドリ」『沖縄県の絶滅のおそれのある野生生物(レッドデータおきなわ)-動物編-』、沖縄県文化環境部自然保護課編 、2005年、61-62頁。
  3. ^ 長谷川博 「アホウドリの保護」 黒田長久監修 C.M.ペリンズ、A.L.A.ミドルトン編 『動物大百科7 鳥類I』、平凡社1986年、60-61頁。
  4. ^ 朝日新聞1963年5月21日夕刊
  5. ^ 朝日新聞1968年7月18日夕刊
  6. ^ 朝日新聞1969年7月11日付け夕刊
  7. ^ 沖縄県島しょ別面積一覧”. 沖縄県企画部土地対策課. 2011年9月2日閲覧。
  8. ^ ご存知ですか? ガス田群 尖閣諸島 (PDF)”. 海上自衛隊第5航空群 (2009年10月7日). 2011年9月2日閲覧。
  9. ^ 沖縄大百科事典刊行事務局 『沖縄大百科事典(上巻)』 沖縄タイムス社、1983年、594頁
  10. ^ 尖閣周辺、39の無名離島に命名 EEZ基準で官房長官 共同通信(47NEWS)、2012年1月16日
  11. ^ /plc12013008100005-n1.htm EEZ基点39離島の名称内定 尖閣周辺「北小島」など MSN産経ニュース、2012年1月30日
  12. ^ 名称不明離島の名称決定・地図等への記載について 総合海洋政策本部
  13. ^ 第162回国会 外務委員会 第14号(平成17年7月22日(金曜日))会議録”. 衆議院. 2011年9月2日閲覧。
  14. ^ 「質問なるほドリ:尖閣諸島の領有権って?」”. 毎日新聞 (2010年9月19日). 2010年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月2日閲覧。
  15. ^ 以下『日刊ゲンダイ』 2010年10月2日号2面より抜粋引用。
  16. ^ テレビ朝日報道ステーション』 2011年11月30日放送分
  17. ^ 大濵長照. “「市長のおはようロマンメッセージ」(石垣市庁内放送)2002月7月19日放送分 (PDF)”. 石垣市. 2011月9月2日..閲覧。
  18. ^ a b c d e 田中邦貴. “石垣市字登野城(登記簿写し)”. 尖閣諸島問題. 2011年9月2日閲覧。
  19. ^ 沖縄県内ではアホウドリがいるのは尖閣諸島に限られている
  20. ^ 1967年に日章旗を星条旗よりも高い位置に置いたことから切手発行が禁じられ未発行切手になった前例があった。
  21. ^ 「郵趣」2011年9月号6-7頁/

[編集] 参考文献

  • 角川地名大百科辞典編纂委員会 『角川地名大辞典47沖縄県』 角川書店、1986年
  • 沖縄大百科事典刊行事務局 『沖縄大百科事典(上巻)』 沖縄タイムス社、1983年
  • 沖縄大百科事典刊行事務局 『沖縄大百科事典(中巻)』 沖縄タイムス社、1983年
  • 日外アソシエーツ『島嶼大事典』 日外アソシエーツ、1991年
  • 芹田健太郎 『日本の領土』 中央公論新社、2002年
  • 『日本歴史地名体系(第48巻)沖縄県の地名』 平凡社、2002年

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

地形図、空中写真ともに国土地理院提供のデータ。

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