鈴木宗男
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すずき むねお
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| 生年月日 | 1948年1月31日(64歳) |
| 出生地 | 北海道足寄郡足寄町 |
| 出身校 | 拓殖大学 |
| 所属政党 | (無所属→) (自由民主党→) (無所属→) (新党大地→) (大地・真民主党→) 新党大地・真民主 |
| 称号 | 政治学士 |
| 公式サイト | 鈴木宗男 |
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| 内閣 | 第2次橋本内閣 |
| 任期 | 1996年11月7日 - 1997年9月11日 |
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| 選挙区 | 比例北海道ブロック |
| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 2005年9月12日 - 2010年9月15日 |
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| 選挙区 | (北海道第5区→) 比例北海道ブロック |
| 当選回数 | 6回 |
| 任期 | 1983年12月19日 - 2003年10月10日 |
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| 任期 | 2011年12月28日 - 現職 |
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| 任期 | 2005年8月18日 - 2011年12月28日 |
鈴木 宗男(すずき むねお、1948年〈昭和23年)1月31日 - 〉は、日本の政治家。前衆議院議員(8期 懲役刑確定に伴い2010年〈平成22年〉9月15日に失職)、新党大地代表(初代、収監中は浅野貴博が代行)。新党大地・真民主代表。
かつては国務大臣北海道開発庁長官(第66代)、沖縄開発庁長官(第35代)、内閣官房副長官、衆議院議院運営委員長などを歴任。地方や弱者を軽視する新自由主義経済政策を強く批判し、ニューディール政策的な公共事業発注により地方経済を回す政策を重視。又、北海道の自立、アイヌ民族の権利の確立、雇用の確保、北方領土問題の解決等を訴えている。
鈴木宗男事件において最高裁に上告していたが、2010年9月7日付で上告が棄却され、異議申し立ても9月15日付で退けられたため実刑が確定し、議員資格を失いちょうど1年間収監された(後述)。
目次 |
[編集] 概略
[編集] 自由民主党時代
十勝支庁足寄町大誉地出身で武部勤、中川昭一、北村直人の保守系がひしめいていた旧北海道5区選出の衆議院議員であった、中川一郎の秘書を務める。立会演説会では中川の代理で登壇するように中川から信頼を寄せられ、「中川の金庫番」とも言われた。
1983年に中川が死去すると、第37回衆議院議員総選挙で中川が生前に立候補していた中選挙区時代の北海道5区(定数5)から、自民党の公認を得られず無所属で出馬。中川の長男である昭一と骨肉の争いを演じ、激戦の末、共に初当選。選挙期間中、支持者に対して車窓から箱乗りして手を振る姿は有名である。初当選後、金丸信に掛け合い、自民党に追加公認された。鈴木の事前公認に反対したのは党総務局長だった小沢一郎で、鈴木はそれを知ると後々まで恨んだというが、現在は和解している。
魚住昭『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社)によると、昭一が立候補していたため、読売新聞グループの渡邉に立候補を断念するよう迫られ、鈴木が断るとマスメディアに大々的に鈴木批判の記事が掲載されたという。また同書によれば、宗男側は「中川先生は世襲に否定的だった」という大義を下に出馬を決断したとしている。
中選挙区時代の北海道5区は、定数5に対し、日本社会党が(単独推薦を含め)最後まで3人の候補を立て続けた唯一の選挙区(3人当選する場合もあった)であった。社会党は3人に地盤を三分させ、釧路市を地盤にした候補には岡田利春がいた。昭一との遺恨、自ら「中川一郎先生の応援をえて最年少道議として政界デビュー」と語る武部勤の参戦(このとき武部は落選)もあって、毎回自民3候補(鈴木が当選してからは4候補)対社会党3候補の激戦が、日本一面積の広い選挙区(都道府県面積第2位の岩手県よりも広く、四国一島に相当)で繰り広げられた。
当選後当初は金丸信を、金丸信の引退後は当選回数の近い衆院議員である野中広務を師と仰ぎ、「野中・鈴木ライン」で政界を叩き上げた。叩き上げの手法の中には、大蔵省への陳情の際に北勝海を同席させたり、リクルート事件で竹下登が辞意を表明したが後継総裁選定に難航した際に、早くから宇野宗佑が後継であると断言するなど、従来の政治家の常識を超えた行動が目立っていた。
1996年の小選挙区制導入で旧5区は11区(十勝支庁)、12区(網走支庁・その後区域変更)、13区(釧路支庁・根室支庁、現在は「7区」に区域名変更)に分割され、11区は中川、12区は武部の地盤となった。13区は北村の地盤だったが、北村は当時の新党ブームに乗り、羽田孜・小沢一郎らと新生党結成〜新進党の結党に参加していた。鈴木は自由民主党候補者が不在となっていた13区に国替えした。
鈴木にとって中選挙区時代から小選挙区移行後の今日でも十勝支庁は地盤として強固であったが、国替えに伴い、それまで縁の薄かった釧路市に家を構えたことに関し、嫌悪感を持った釧路市民も多いと伝えられる。国替え直後の総選挙では、釧路市を大票田とする北海道13区では自民党を離れながらも酪農業を中心に保守層を押さえた北村に敗れ、重複立候補していた比例代表北海道ブロックで復活当選した。
選挙区の国替え後、基本的には十勝支庁の土建業者の支持を中心に受けつつ、補助的には自由民主党代議士が永く不在なため基盤整備の遅れた道東の中心都市・釧路市を含む釧根(釧路支庁・根室支庁)、特にこれまで独自の国会議員を持ったことがない根室支庁では建設業界に支持が根強い。ライバルの北村直人が酪農家を地盤としたのに対し、鈴木は岡田利春の基盤であった漁業関連へと食い込み、「海関連」で強固な人脈を築いた。
1997年9月に北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官として初入閣。1998年6月には現職閣僚として初めて国後、択捉両島を訪問した。
[編集] 疑惑・逮捕・落選
詳細は「鈴木宗男事件」を参照
2002年2月4日、NGO出席問題を巡って田中真紀子外務大臣と対立する形で衆議院議院運営委員長を辞任。2月13日、国後島の「日本人とロシア人の友好の家」(いわゆるムネオハウス)の建設をめぐる疑惑を発端として数々の疑惑が浮上。2月20日に参考人招致、3月11日に証人喚問を受けたが明白な答弁は避けた。一切の疑惑に対して曖昧な釈明に終始したことより、社民党の辻元清美議員から「もう、ど忘れ禁止法を適用したい」「あなたはねぇ、疑惑のデパート言われてますけど疑惑の総合商社なんですよ!」と批判を受けた(辻元は7年後の2009年に外務委員会で「(自分が追求した案件については)裁判でもその事実は出ておらず、確証がなかった。そのような言葉遣いをしたことを反省している」と陳謝している)。3月15日、自民党を離党。6月19日、やまりん事件のあっせん収賄容疑を理由として衆議院本会議にて逮捕許諾決議が可決され逮捕された。6月21日、衆議院本会議で議員辞職勧告決議が可決されたが議員辞職はしなかった。7月20日、あっせん収賄罪で起訴。証人喚問において島田建設事件とモザンビーク事件に絡んだ証言が偽証として9月13日に議院証言法違反で、また、政治資金規正法違反の罪でも併せて起訴された。
2003年9月、衆議院選挙の直前に保釈(2002年12月と2003年4月に保釈を申請しているが「罪証隠匿の恐れがある」として却下された)。その後衆議院本会議に出席。議員辞職勧告決議がされた国会議員が決議を無視して登院したのは初めてのことであった。同年10月、胃癌を手術。 2004年の参議院選挙に北海道選挙区で無所属で出馬するも落選(得票数48万5382票)。2004年11月5日東京地方裁判所での第一審で受託収賄・あっせん収賄・政治資金規正法違反・議院証言法違反の4件で有罪となり「懲役2年の実刑、追徴金1,100万円」の判決が下された。鈴木は一連の事件を全て否定した上で「国策捜査」と批判し即日控訴した。2008年2月26日に東京高等裁判所においても控訴棄却となり、即日最高裁判所に上告した。
[編集] 新党大地代表
2005年8月18日、暴力団と交際がある松山千春とともに新党大地を結成し代表に就任。9月の第44回衆議院議員総選挙に北海道ブロックでの比例1位候補として立候補して当選、衆議院議員復帰を果たした(2004年参議院選挙で鈴木の獲得票数から勘定すれば新党大地は北海道比例ブロックでの1議席の確保が見込まれていた。2005年衆院選は自民党による刺客候補が世間を騒がせた選挙であったため、鈴木が逆に刺客として中川昭一の北海道第11区や武部勤の北海道第12区等の自民党大物議員の選挙区に立候補することも浮上したが、新党大地が公職選挙法上の政党でなかったために鈴木は重複立候補ができず、比例名簿1位記載の比例単独候補となった(新党大地ではなく、自民系反郵政民営化政党であり北海道比例ブロックに候補者を一人も擁立していなかった国民新党であれば政党要件があるため、北海道比例ブロックでの比例1位と選挙区での重複立候補が可能ではあった)。
当選後の特別国会での首班指名選挙では小泉純一郎に投票、再提出された郵政民営化法案には反対票を投じた。その当時再び胃癌となり、再手術したと2006年9月19日の最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学で告白した。
2006年9月26日の首班指名選挙では民主党代表の小沢一郎に投票。また10月22日には30分間小沢と会談し統一地方選や参議院議員選挙での協力を約束したが、2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で民主党の支援を受けた新党大地推薦候補が落選したことから民主党との選挙協力を白紙に戻し、自民・民主両党との間で是々非々のスタンスを取ると表明。
2008年9月19日、国民新党と統一会派「国民新党・大地・無所属の会」を結成。10月3日に札幌市事務所の会見で、新党大地代表として軸を置いて政党間協議を見ながら最終的に判断するとした上で国民新党や民主党からの重複立候補をした上での小選挙区立候補を示唆する発言をしていた。最終的には第45回衆議院議員総選挙では前回同様新党大地として北海道比例ブロックに立候補、前回同様1議席を獲得し、新党大地代表として2期目の議員生活を送る。
2009年9月16日、新党大地が衆議院で民主党の統一会派「民主党・無所属クラブ」に参加する形で与党会派入り、9月17日に衆議院外務委員長に就任。有罪判決を受けて上告中の刑事被告人が与党会派入りして国会の常任委員長に就任するのはきわめて異例である。自民党・公明党・共産党の野党は「一、二審で有罪判決を受けて上告中の刑事被告人なので、委員会を代表して円滑かつ公平な運営にたずさわる役職にふさわしくない」として鈴木宗男の外務委員長就任に反発し、与党の民主党は「推定無罪の原則がある」「直近の民意で当選している」と反論。常任委員長は慣例として全会一致で議長指名として選出されるところ、本件については異例の起立採決で議長指名となり、横路孝弘衆議院議長が鈴木宗男を外務委員長に指名した。この国会人事については民主党が北海道で圧勝した鈴木宗男の影響力を考慮した論功行賞的な人事とする向きもある[1]。鈴木は自身の刑事訴訟と外務委員長就任について2009年11月18日に岩屋毅から質問を受けた際には「司法は司法の判断。立法府は立法府の判断があっていい」と述べた[2]。
その後、2009年12月4日に鳩山由紀夫首相が首相官邸で元駐日ロシア大使と北方領土問題で会談をした際に同席したり、2010年1月17日に新党大地代表として民主党大会に来賓として招かれた。2010年5月、8年ぶりにロシアを訪問し、11日にモスクワのロシア外交アカデミーで講演、「鳩山由紀夫首相の時に 北方領土問題解決、平和条約締結ができなければ、未来永劫解決できない」と演説した。
[編集] 失職・収監
2010年9月7日、最高裁判所が上告棄却を決定した[3]。鈴木議員側は異議申し立てを行う一方で衆議院外務委員会が9月9日に理事懇談会を開催し、鈴木の外務委員長としての職務を停止し、筆頭理事の小宮山泰子が委員長代行に就任する決定を行った[4]。9月15日に異議申し立てが却下されたため[5]、「懲役2年の実刑、追徴金1100万円」の第一、二審判決が正式に確定した。これにより鈴木は公職選挙法の規定により被選挙権を失ったため、国会法の規定に基づき衆議院議員及び衆議院外務委員長を失職した。なお、第二審で「未決勾留日数220日を算入する」とされたため、刑期はそれを差し引いた期間(約1年5ヶ月)となる。
また公職の収賄罪で実刑確定となったため、公職選挙法の規定に基づき刑期満了から5年間は公民権停止となる。判決時の2010年時点では公職の収賄罪の実刑確定は刑期満了から5年間の選挙権停止と10年間の被選挙権停止の規定であるが、この規定は1999年9月2日以降に起こした事件の規定であるのに対し、収賄罪が認定された最後の事件は1998年8月の事件のため、憲法の遡及処罰禁止規定(39条前段)により、法改正前の当時の公民権停止規定である刑期満了からの5年間の公民権停止となった。
失職に伴い、既に離党していた比例第二位の八代英太を飛び越え比例3位の浅野貴博が繰り上げ当選。同年12月6日に収監された[6]。
収監中は喜連川社会復帰促進センターにて服役していることを、関係者を通じて自らのメッセージを発表する形で明らかにした[7]。
2011年12月6日に収監からちょうど1年で仮釈放された[8]。
2011年12月28日に、新党大地の浅野貴博の元民主党の松木謙公と石川知裕、衆議院議員3名と元民主党の横峯良郎、無所属(会派は民主党・新緑風会所属。元新党日本)の平山誠の参議院議員2名の国会議員5名とともに新党大地・真民主(当初の党名は「大地・真民主党」)を結党し、党首に就任した。新党大地代表時代は政党交付金廃止を主張していたが、新党大地・真民主メンバーの多数派の意見として新党大地・真民主は政党交付金を受け取ることを発表し、2012年4月に政党交付金を受け取った。収賄罪、政治資金規正法違反、議院証言法違反(偽証罪)で有罪が確定して公民権を有しない者が党首の政党に政党交付金が支給されるのは極めて異例。
[編集] 略歴
- 1948年
- 1966年
- 1970年
- 1983年
- 12月18日 第37回衆議院議員総選挙(旧北海道5区・自由民主党公認)当選1期目。
- 1986年
- 7月6日 第38回衆議院議員総選挙(旧北海道5区・自民党公認)当選2期目。
- 1990年
- 2月18日 第39回衆議院議員総選挙(旧北海道5区・自民党公認)当選3期目。
- 1993年
- 7月18日 第40回衆議院議員総選挙(旧北海道5区・自民党公認)当選4期目。
- 1996年
- 10月20日 第41回衆議院議員総選挙(北海道13区・自民党公認)当選5期目当選(比例復活当選)。
- 1997年
- 9月11日 国務大臣北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官(第2次橋本内閣改造内閣)。
- 1998年
- 2000年
- 6月25日 第42回衆議院議員総選挙(比例代表北海道ブロック・自民党公認)当選6期目。
- 2002年(平成14年)
- 2月20日 参考人招致。→第154回国会 予算委員会 第14号議事録
- 3月11日 証人喚問。→第154回国会 予算委員会 第22号議事録
- 3月18日 民主党を含む野党4党によって偽証罪で最高検に刑事告発される。民主党ニュース
- 3月 1996年国後島訪問の際、外務省職員に暴行を加えていた事実が発覚し自民党を離党。
- 4月 国後島「日本人とロシア人の友好の家」建設をめぐる容疑で、宮野明公設第一秘書逮捕。
- 5月 ケニアのODA疑惑で田中真紀子外務大臣(当時)と衝突。
- 6月 帯広市の製材会社「やまりん」からのあっせん収賄容疑で逮捕、衆議院からの議員辞職を勧告。
- 7月 あっせん収賄罪で起訴。
- 8月 建設会社からの受託収賄容疑で再逮捕・追起訴。
- 9月 衆院予算委が偽証罪で鈴木を告発したのを受けて、議院証言法違反の罪で起訴。又、同時に政治資金規正法違反の罪でも追起訴
- 11月 初公判
- 12月 保釈を申請するも、「証拠隠滅の恐れがある」として却下
- 2003年
- 2004年
- 7月11日 第20回参議院議員通常選挙(北海道選挙区・無所属)落選。
- 11月5日 東京地方裁判所からあっせん収賄罪など4つの罪で懲役2年の実刑判決が言い渡される。
- 2005年
- 2008年
- 2009年
- 8月30日 第45回衆議院議員総選挙(比例北海道ブロック・新党大地)当選8期目。
- 9月16日 新党大地が衆議院で民主党の統一会派「民主党・無所属クラブ」に参加し、与党会派に入る。
- 9月17日 衆議院外務委員長に就任。
- 2010年
- 2011年
[編集] 人物像
- 暴力団と交際がある歌手の松山千春は同郷の後輩かつ足寄高校の後輩であり親友でもある。松山のコンサートに顔を出すことも多い。
- 新人議員の頃から激情的傾向が強く、国会内でよく野次を飛ばしていた。一時期浜田幸一・松田九郎と共に「自民党の三大野次将軍」とも呼ばれていた。鈴木は浜田・松田とは非常に仲が良かった。
- 2005年9月の選挙で当選して以降、逮捕前まで深い関係にあった外務省との対決姿勢を鮮明にした。国会では外務委員会で政府の対ロシア外交を失敗であると追及したり、外務省に矢継ぎ早に質問主意書を出して職員の不正を追及している。国会以外でもテレビ・雑誌などのメディアにも頻繁に登場し、外務省批判を繰り広げている。特に『週刊新潮』に5回にわたって連載された手記「『外務省の犯罪』を暴く!」では、現役の外務省キャリア職員のスキャンダルを実名で暴露して大きな波紋を呼んだ。
- 佐藤優同様、親イスラエルの姿勢を見せている。2009年のイスラエルによるガザ侵攻に際しては、3度にわたって質問主意書を提出した。ガザ地区を実効支配するハマースをテロ組織とする見解から、パレスチナへの1000万ドルの緊急人道支援は「我が国はテロ支援をし、テロに担する国であるというアピールをすることに等しく、我が国の国益を損なうことに繋がるのではないか」(2回目)と質問している。政府は麻生太郎首相の名で、ハマースを「テロリスト等一団体と認識している」こと、人道支援は「国際機関を通じて実施するものであり、御指摘は当たらない」とする回答を出した。「武力紛争が起きた原因はハマス側にあるとするイスラエル政府の右認識は、政府の認識と同じものか」(3回目)に対しては、「個別具体的原因を特定することは困難」と政府側は答弁した[9]。
- 北海道では未だに「宗男詣で」をしている建設業者が多い。また次に挙げるものでは「口利き」をした(便宜を図った)とされている。
- 1989年6月に国鉄再建法施行により廃止対象となった国鉄池北線を、第三セクターの北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線として存続させたが、2006年4月21日に廃止された。
- 1999年7月に行われたJR北海道宗谷本線多寄駅・駅前通りの延伸工事。
- 2006年2月に北海道縦貫自動車道(道央道)の未着工区間が、暫定2車線の新直轄方式で建設着工命令が出されたこと。
- 1995年(平成7年)に廃止された第9普通科連隊の廃止に関わる工作等に少なくとも鈴木の関与は間違いないとされている。特に名寄や留萌という北部や沿岸地域とは離れ、ほぼ内陸に所在してさほど防衛としては重要とされておらず2師団(甲)への増強の際に廃止となる予定であった第25普通科連隊が廃止になると、地元である道東地方での影響が計り知れないとの判断で、関係先へ圧力をかけて、決まりかけていた廃止を撤回させたという話が、元9連隊所属隊員や25普連所属隊員の間での暗黙の了解事項である。
[編集] エピソード
- 名前の由来は、宮城県の郷土の英雄、伊達政宗から一字を取っている。なお、命名した父は宮城県栗原郡志波姫町(現:栗原市)の出身である[10]。
- 伊吹文明とは83年初当選同期で現在に至るまで公私に渡り親しい。若手時代は将来の目標を「伊吹総理の下での自民党幹事長」と公言していた。鈴木が勾留中、伊吹は拘置所に接見に訪れ激励していた。第21回参議院議員通常選挙、道選挙区・大地新人の多原香里が民主党推薦候補ながら民主党の協力不十分で落選。鈴木は一時期、伊吹が幹事長就任した自民党との次期衆院選での選挙協力も視野に入れた。
- 馬を売って大学の学費に充てた苦学生という話がある一方で、地元の素封家、豪農という話もある。東京に出ずに道内の大学に進学していれば馬を売る必要はなかったと指摘する声もある[11]。
- 1973年 金大中事件が発生、当時鈴木が秘書をしていた中川一郎と宇都宮徳馬がテレビの生番組で顔をあわせた際、金大中にシンパシーを持っていた宇都宮が中川に向かって「お前は韓国から金をもらっているだろう」と発言。これに怒った中川はコマーシャル中に宇都宮を追い掛け回し、鈴木も同調、さらには宇都宮の首をネクタイで絞めた。
- 1994年、自民党と社会党が連立政権に合意した。その首班指名選挙直前、議運理事だった鈴木は、自民党代議士会で「村山富市の『いち』は市場の『市』ですから間違わないで下さい」「村山達雄さんもおられるので、村山富市とフルネームで書いてください」と自民党議員たちに投票における注意点を説明していたが、鈴木自身は直後の本会議で村山の対抗馬として新生党など連立与党が擁立した海部俊樹に投票し、造反した。
- 「野中氏が白を黒と言えば、自分も黒」と公言したことがある。
- 官公署の一般職員などに威圧的な態度をとる事で知られていた。国際交流基金に電話をかけた際、電話口に出た高円宮憲仁親王(当時、嘱託職員として勤務)を受付係と勘違いして怒鳴りつけたが、殿下だと判ると蒼ざめて、慌てて平謝りをした。
- 1996年衆院選前に執行部への公認の橋渡し、資金援助、後援企業の紹介などでシンパを増やしつつ、大半を当選させた。その後に鈴木による派閥横断「ムネムネ会」を結成し、薄く広く全国から集めた政治献金を会員に配ることで政界での影響力を増大させた[12]。
- 1998年のこと。鈴木は訃報を聞くまで、映画監督の黒澤明を知らなかった。それまで映画館に行ったこともなかった。秘書が黒澤の実績を説明すると、突然首相になったばかりの小渕恵三に電話し、「総理、黒澤監督は国民栄誉賞に値すると思います。ぜひ、ご検討ください」と言った。黒澤には後に国民栄誉賞が贈られている。
- 国会での証人喚問の頃「ムネオハウス」に掛けたパロディー音楽が、インターネット上で流行した。その後2004年5月に札幌で行われた「ムネオハウス」のクラブイベントに「MCムネオ」名義で出演した他、2006年2月23日に東京都渋谷区のクラブ「シムーン」で「100%ムネオナイト」なるイベントに招かれて(自分の主催ではない)、自らラップに挑戦した。
- 高校の後輩であるプロ野球選手の三井浩二投手が、現役時代に独自の変化球を先輩に敬意を表して「ムネオボール」と命名したが、その後名称変更(三井浩二#人物)。
- 保釈後、再当選してからは、テレビのバラエティー番組などのゲストに呼ばれている。ライブドア前社長、堀江貴文が逮捕された際には、かつて経験した拘置所内の生活についてインタビューされ、「手帳も携帯電話も全て没収されました。堀江さんのように、情報を扱う仕事に就いていた人にとっては、情報がシャットアウトされることが一番辛いでしょうね」「私は生まれが貧しかったので、あの頃に比べればここ(拘置所)はまだマシだと思って辛抱しました」などと、コメントしていた。
- フジテレビ「めちゃ×2イケてるッ!」の企画で鈴木宗男のそっくりさんとして、坂田利夫が登場するはずだったが、坂田の仕事のため、「そっくりさんの代役」として鈴木本人が登場した。
- 2006年5月3日に空き巣の被害に会い、警視庁赤坂署で調べたところ、1階応接室の窓ガラスが割られ、2、3階の部屋が物色されていた。夫人愛用の装飾品が数点盗まれた。
- ジョギングを日課としており、海外出張先でも怠らないほど。2007年2月18日の東京マラソンにも抽選の結果、当選して一般ランナーとして出場し、59歳ながら見事4時間7分40秒で完走した。元気に回復した姿を他のがん患者たちに見てもらって勇気付けたい、という想いからである。完走の後、ランナー姿[13] のまま車で空港に直行し、その日の18時には北海道で行われた会合に参加した。2007年5月20日に、翌年の先進国首脳会議の開催地でもある北海道洞爺湖町で開催された「洞爺湖マラソン2007」の10kmの部に出場し、47分52秒で完走した。2008年2月17日には健康を心配する家族の反対を押し切って、再び東京マラソンにエントリーした。結果、抽選に当選し出場する事となり、前年の記録を上回る3時間57分11秒で完走を果たし、政治家では東国原英夫を上回るタイムであった。2009年3月22日の東京マラソンでは3時間49分2秒で政治家では東国原に次ぐタイムで完走した。日頃のトレーニングにより、還暦ながら大変引き締まった身体をしている。
- 松岡利勝とは酒席を共にして種々の相談をする等、文字通りの師弟関係にあったとされる。政界では「東に鈴木宗男、西に松岡利勝」と揶揄された時期もあった。
- 2007年7月の参議院選挙では、姫井由美子の応援に駆けつけ「岡山の虎(片山虎之助)を退治しに、北海道からクマが参りました」と演説した。
- 多数の質問主意書を提出しており、その提出数は断トツである(2005年9月から2009年7月までの累計は1800通を超える)。外務省の不祥事を追及する内容が大半だが、警察・検察に対する内容も多い。括弧内は当該会期で衆議院に提出された質問主意書の総数(撤回を含む)。
- 第163回国会 28通(/72)38.8%
- 第164回国会 227通(/382)59.4%
- 第165回国会 156通(/270)57.7%
- 第166回国会 309通(/481)64.2%
- 第167回国会 5通(/24)20.8%
- 第168回国会 213通(/397)53.6%
- 第169回国会 285通(/587)48.5%
- 第170回国会 183通(/380)48.2%
- 第171回国会 466通(/691)67.4%
- 第172回国会 22通(/22)100.0%
- 第173回国会 44通(/175) 25.1%
- 第174回国会 194通(/592) 32.8%
- 第175回国会 16通(/55)29.1%
- 2008年10月30日には、「麻生太郎内閣総理大臣の自宅を見に行こうとしたデモ隊の逮捕勾留に関する質問主意書」を提出し、警視庁によれば麻生邸見学ツアー主催者は事前に許可を得ていなかったとする答弁を引きだした。
- 鈴木の選挙では、移動する車の窓を開け、そこから身を乗り出して座る「ハコ乗り」が北海道の選挙の名物ともなっている。
- 2009年5月に『内閣として法曹資格を有していない者を「最高裁裁判官」に指名または任命しているのなら、それは適切か。法曹資格を有していない者が「最高裁裁判官」の任に就くことは、我が国の司法の水準向上、裁判の適正な執行等に鑑みて適切であるか』『かつて行政官の職責に就いていた者が「最高裁裁判官」の任に就くということは、「最高裁裁判官」の身分が行政官の天下り先となっているとも受け止められるのではないか。』とする質問主意書を出し[14]、法曹資格を有していない者や行政官経験者が最高裁判所裁判官に就任することについて懐疑的な質問をした。なお、鈴木宗男はかつて北海道開発庁長官時代の1997年9月に法曹資格を持っておらず行政官である内閣法制局長官の経験がある大出峻郎の最高裁判所裁判官任命について橋本内閣の一員として同意した過去がある。
- 2009年の鈴木の選挙中には暴力団と交際がある松山千春が唄って応援する姿が報道で流れた。歌手が特定の候補者を唄って応援するのは公職選挙法違反にあたる可能性がある。
- 2009年9月4日のムネオ日記に、櫻井よしこが「昭和天皇が戦争責任を取って退位すべきだった」と述べた事に反論している。
- 死刑廃止を推進する議員連盟の発足以来からのメンバーである[15]。在日韓国人への参政権付与に賛成の立場を示している。[16]
- 2010年1月16日、民主党大会の挨拶で、小沢一郎民主党幹事長における陸山会事件に対し「検察が正義と思ったら大間違いである。間違った権力とは断固戦っていこう。」と語った(検察の不当行為については、2010年9月10日に一審で無罪判決が出た厚労省元局長の村木厚子も判決直後の会見でほぼ同様の批難をした)[17]。
- 2010年1月18日、フォーラム神保町と現代深層研究会主催の緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」に、青木理、魚住昭、大谷昭宏、岡田基志、木村三浩、郷原信郎、佐藤優、田原総一朗、平野貞夫、宮崎学らとともに参加した[18][19]。
[編集] 主な役職
- 新党大地代表
- 新党大地・真民主代表
- 八角部屋後援会会長
- ガーナ共和国議員連盟会長
- ガボン共和国議員連盟会長
- カメルーン共和国議員連盟会長
- ギニア共和国議員連盟会長
- ケニア共和国議員連盟会長
- コンゴ民主共和国議員連盟会長
- ザンビア共和国議員連盟会長
- ジンバブエ共和国議員連盟会長
- 象牙海岸共和国議員連盟会長
- ナイジェリア連邦共和国議員連盟会長
- ブルキナファソ議員連盟会長
- ブルンディ共和国議員連盟会長
- ボツワナ共和国議員連盟会長
- モーリタニア・イスラム共和国議員連盟会長
- モザンビーク共和国議員連盟会長
- ルワンダ共和国議員連盟会長
[編集] 著書
- 『世界が変わる日本が変わる―これからの日本外交と国際貢献を考える』 (講談社、1992年)ISBN 4062058588
- 『宗男の言い分』 (飛鳥新社、2002年)ISBN 4870315130 〈インタビュー集 聞き手歳川隆雄・二木啓孝〉
- 『反乱』 (ぶんか社、2004年)ISBN 4821108690
- 『100%ムネオマガジン―鈴木宗男、とことん丸裸』 (イーストプレス、2005年)ISBN 4872576217
- 『闇権力の執行人』 (講談社、2005年)ISBN 4062129213 - 2007年文庫化。
- 『鈴木宗男の国会質問主意書 全255本』(にんげん出版、2006年)ISBN 493134416X
- 『北方領土「特命交渉」』 (講談社、2006年、佐藤優との共著)ISBN 406213666X - 2007年文庫化。
- 『反省 私たちはなぜ失敗したのか?』 (アスコム、2007年、佐藤優との共著)ISBN 4776204355
- 『ムネオ流マラソン術 ~仕事人間でも走れる42・195 km~』 (講談社、2008年、鈴木彰監修)ISBN 4062146738
- 『汚名 国家に人生を奪われた男の告白』(講談社、2009年)ISBN 9784062151061 - 2010年文庫化、『汚名 検察に人生を奪われた男の告白』に改題。
[編集] 脚注
- ^ 朝日新聞2009年9月19日記事、新川敏光京都大大学院教授の見解
- ^ 衆議院外務委員会2009年11月18日議事録
- ^ 鈴木宗男議員失職、収監へ 最高裁、実刑維持し上告棄却 共同通信 2010年9月8日閲覧
- ^ “鈴木外務委員長の職務停止” (日本語). 時事通信. (2010年9月9日) 2010年9月9日閲覧。
- ^ 鈴木宗男議員が失職 最高裁、異議申し立て棄却
- ^ “宗男氏、6日に収監へ 「送り出す会」に200人” (日本語). 産経新聞. (2010年12月2日) 2010年12月2日閲覧。
- ^ 東京スポーツ 2011年1月6日付発行 1面参照
- ^ 鈴木宗男元議員を仮釈放 収監から1年産経新聞 2011年12月6日
- ^ パレスチナのガザ地区を実効支配しているハマスに対する政府の認識等に関する質問主意書、パレスチナのガザ地区を実効支配しているハマスに対する政府の認識等に関する再質問主意書、パレスチナのガザ地区を実効支配しているハマスに対する政府の認識等に関する第三回質問主意書
- ^ ムネオ日記2010年10月27日より
- ^ 加藤昭『鈴木宗男研究』 新潮社
- ^ 北海道新聞 虚実「鈴木宗男」を追う
- ^ http://www.sankei.co.jp/sports/marathon/pages/GRA00163G070218T_jpg.htm[リンク切れ]
- ^ 最高裁判所裁判官の指名等に関する質問主意書
- ^ 喜八ログ 鈴木宗男・保坂展人トークライブ
- ^ 在日本大韓民国婦人会中央本部創立60周年記念式典
- ^ 宗男氏「検察が正義の人だと思ったら大間違い」 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
- ^ フォーラム神保町=「『新選組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」〜1.18緊急シンポジウム開催〜=
- ^ 青木理・魚住昭・大谷昭宏・岡田基志・木村三浩・郷原信郎・佐藤優・鈴木宗男・田原総一朗・平野貞夫・宮崎学. File:01 国民不在の権力ゲーム. Infoseek 内憂外患編集部. 2010年1月21日閲覧。
[編集] 関連項目
- 保守左派
- 新党大地
- キルギス日本人誘拐事件
- 中川一郎(広尾町出身)- 政界入りする前に秘書として仕えた。
- 金丸信(山梨県出身)- 鈴木宗男の国政での師匠。
- 野中広務(京都府出身)- 金丸の死後、鈴木宗男の国政での師匠。
- 亀井静香(広島県出身)
- ジョン・ムウェテ・ムルアカ - 鈴木宗男の元秘書。
- 山崎泉 - 同上。
- 箱物行政
- 松山千春 - 同郷の盟友。
- 坂田利夫 - 鈴木宗男と容姿などが酷似。しかし、本人は自分の方が男前だと自認しテレビでもそう発言している。[1]
- 佐藤優
- 北勝海-現・八角親方。八角部屋後援会長を務めている。
- 三井浩二 - 同郷の元埼玉西武ライオンズ選手。鈴木は三井の後援会長を務めていた。
- 松岡利勝 - 九州のムネオと呼ばれた。
- 質問主意書
- 多原香里
- 下地幹郎(沖縄県出身)
- 在タイ日本大使館(村本カメラマン銃撃事件や領事部の美術品紛失の件について国会答弁。)
[編集] 外部リンク
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 稲垣実男 |
第66代:1997年 - 1998年 |
次代: 井上吉夫 |
| 先代: 稲垣実男 |
第35代:1997年 - 1998年 |
次代: 井上吉夫 |
| 先代: 額賀福志郎 政務担当一人制 |
1998年 - 1999年 |
次代: 額賀福志郎 |
| 議会 | ||
| 先代: 河野太郎 |
2009年 - 2010年 |
次代: 小宮山泰子(代行) |
| 先代: 藤井孝男 |
第60代:2002年 |
次代: 鳩山邦夫 |
| 党職 | ||
| 先代: 結成 |
新党大地・真民主代表 初代:2011年 - |
次代: 現職 |
| 先代: 結成 |
新党大地代表 初代:2005年 - 2011年 |
次代: |
