山口淑子

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山口淑子
山口淑子
本名 大鷹 淑子
おおたか よしこ
別名 李香蘭
Lee Hsiang Lan(Li Xianglan)
山口淑子(芸名・旧姓)

Shirley Yamaguchi(米国での芸名)

生年月日 1920年2月12日(94歳)
出生地 中華民國奉天省撫順市 民族 = 日本人(本籍:佐賀県北方町)
ジャンル 映画俳優、歌手
活動期間 1938年 - 1958年
配偶者 イサム・ノグチ(1952-1957)
大鷹弘(1958-2001)
主な作品
『白蘭の歌』、『支那の夜』、『熱砂の誓ひ』、『萬世流芳』、『暁の脱走』、『醜聞』、『東京暗黒街・竹の家』、『白夫人の妖戀』、『金瓶梅』、『神秘美人』、『一夜風流』

山口 淑子(やまぐち よしこ、1920年大正9年2月12日 - )は、国際的歌手女優政治家。本名:大鷹淑子(旧姓:山口)。戦前の中国(中華民國)と満州國、日本、そして戦後の香港で李香蘭(りこうらん、リシャンラン、Lee Hsiang Lan)、戦後の米国ではShirley Yamaguchiの名で映画、歌などで活躍した。終戦を上海で迎えた彼女は、漢奸(中国人として祖国を裏切った)容疑で中華民國の軍事裁判に掛けられたものの、日本人であることが証明され、漢奸罪は適用されず、国外追放処分となり、日本に帰国した。 帰国後は、旧姓(当時の本名)・山口淑子の名前で芸能活動を再開し、日本はもとより、アメリカや香港の映画・ショービジネス界で活躍をしたが、1958年(昭和33年)に結婚のため芸能界を退いた。そして1969年昭和44年)にフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会者としてマスメディア界に復帰、1974年(昭和49年)3月まで務めた。後に1974年昭和49年)から1992年平成4年)までの18年間は、参議院議員をも務めた。2006年に日本チャップリン協会大野裕之会長)の名誉顧問に就いた。

生涯[編集]

誕生からデビューまで[編集]

1920年大正9年)2月12日に、中華民國奉天省(現:中華人民共和国遼寧省)の炭坑の町、撫順で生まれた。満鉄(南満州鉄道株式会社)で中国語を教えていた佐賀県出身の父・山口文雄と福岡県出身の母・アイ(旧姓石橋)の間に生まれ、「淑子」と名付けられる。奉天(現:中華人民共和国遼寧省の省都・瀋陽市)と北平(現:北京市)で育った。本籍は、佐賀県北方町

親中国的であった父親の方針から、幼い頃から中国語に親しんだ。小学生の頃に家族で奉天(現:瀋陽)市へ移住し、その頃に父親の友人であり家族ぐるみで交流のあった瀋陽銀行の頭取・李際春将軍(後に漢奸罪で処刑される)の、義理の娘分(乾女兒)となり、「李香蘭(リー・シャンラン)」という中国名を得た。その後、のちに天津市長になった潘毓桂とも義理の娘として縁を結んだ。中国の旧習では、元来縁を深める為にお互いの子供を義子とする習慣があった。これは実際に戸籍を移す法的な養子という関係ではなく、それぞれの姓でお互いの子女に名前を付け合うなどのものである。

その後、奉天に住む幼なじみのユダヤ系ロシア人であるリューバの母からの紹介を受け、白系ロシア人と結婚したイタリア人オペラ歌手のマダム・ポドレソフのもとに通い、ここで声楽を習うようになった。1934年(昭和9年)、淑子は「潘淑華」(潘毓桂としての義子名)の名で北京のミッション・スクール(翊教女子中学)に入学し、1937年(昭和12年)に卒業した。

「中国人スター・李香蘭」として[編集]

川島芳子

日本語も中国語も堪能であり、またその絶世の美貌から、奉天放送局の新満洲歌曲の歌手に抜擢され、日中戦争開戦の翌1938年昭和13年)には満州国の国策映画会社・満洲映畫協會(満映)から中国人の専属映画女優「李香蘭」(リー・シャンラン)としてデビューした。映画の主題歌も歌って大ヒットさせ、女優として歌手として、日本や満洲国で大人気となった。そして、流暢な北京語とエキゾチックな容貌から、日本でも満洲でも多くの人々から中国人スターと信じられていた[1]。また、この頃「東洋マタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子との親交があった。

日中戦争中には満洲映畫協會の専属女優として日本映画に多く出演し人気を得た。人気俳優の長谷川一夫とも『白蘭の歌』『支那の夜』『熱砂の誓ひ』で共演した。1941年昭和16年2月11日紀元節には、日本劇場(日劇)での「歌ふ李香蘭」に出演し、大盛況となった。大勢のファンが大挙して押し寄せ、日劇の周囲を七周り半もの観客が取り巻いたため、消防車が出動・散水し、群衆を移動させる程の騒動であったと伝えられている(日劇七周り半事件)[2]

1943年昭和18年)6月には、阿片戦争で活躍した中国の英雄・林則徐の活躍を描いた長編時代劇映画『萬世流芳』(151分)に、林則徐の弟子・潘達年の恋人(後に妻)役で主演した。この映画は、中華電影股份有限公司、中華聯合製片股份有限公司、満洲映畫協會の3社による合作で、阿片戦争敗北100周年記念に作られた映画であった。中国全土で映画が封切られるや、劇中、彼女が歌った主題歌「賣糖歌」と挿入歌「戒煙歌」も大ヒットしたが、映画『萬世流芳』は、中国映画史上初の大ヒットとなったのである。また内容は、阿片戦争の相手国であったイギリスを当時の日本に見立てて、中国民衆の抗日意識を鼓舞するものだった。

『萬世流芳』の大ヒットにより、中国民衆から人気を得た李香蘭は、上海から北京の両親のもとへ帰郷し、北京飯店で記者会見を開いた。 当初、この記者会見で彼女は自分が日本人であることを告白しようとしていたが、父の知人であった李記者招待会長に相談したところ、「今この苦しい時に、あなたが日本人であることを告白したら、一般民衆が落胆してしまう。それだけはやめてくれ」と諭され、告白を取りやめた[2]。この記者会見が終わり掛けた時、一人の若い中国人新聞記者が立ち上がり、「李香蘭さん、あなたが『白蘭の歌』や『支那の夜』など一連の日本映画に出演した真意を伺いたいのです。あの映画は中国を理解していないどころか、侮辱してます。それなのに、なぜあのような日本映画に出演したのですか? あなたは中国人でしょう。中国人としての誇りをどこに捨てたのですか」と質問した。これに対し、彼女は、「20歳前後の分別のない自分の過ちでした。今は後悔しています。あの映画に出たことを後悔しています。今後、こういうことは決して致しません。どうか許してください」と答えるや、記者会見会場内からは大きな拍手が沸いたという。

「五大歌后」、左から白虹、姚莉、周璇、李香蘭、白光, 吳鶯音(1940年代

記者会見と前後して、上海の百代唱片公司で収録した「夜來香」「海燕」「恨不相逢未嫁時」「防空歌」「第二夢」等がヒットした。このうち汪兆銘政権(南京国民政府)の国策宣伝歌「防空歌」は、中国人の祖国防衛意識をかきたてた。また、1945年(昭和20年)6月23・24・25日に上海・静安寺路(現・南京西路)の大光明大戯院Grand Theatre(現・大光明電影院)で行われたリサイタルでは、ヒット曲「夜來香」を含む中・日・欧米の歌曲等が披露され、観客の喝采を浴びた。そして人気の勢いは留まる事を知らず、李香蘭は、周璇白光、姚莉、呉鶯音らと共に、上海灘の「五大歌后」の1人に数えられた)[2]。 それまで、李香蘭は満洲国と日本のスターだったが、映画『萬世流芳』と、その主題歌「賣糖歌」、挿入歌「戒煙歌」、そして「夜來香」「海燕」「恨不相逢未嫁時」「防空歌」「第二夢」等のヒット曲により、中華民國でも人気スターとなった。『萬世流芳』の後、『香妃』という映画が企画されたものの、撮影開始前に終戦を迎え、上海での映画出演は1本になってしまった。 また歌に於いては、1945年(昭和20年)にカップリングで吹き込み発売された「第二夢」と「忘憂草」とが、中国での最後の曲となってしまった。

帰国[編集]

李香蘭は映画『支那の夜』(中華民國では『上海之夜』)をはじめ、『白蘭の歌』『熱砂の誓ひ』の中で、「抗日から転向し日本人を慕う中国人女性」を演じていた。また、中国語で「夜來香」「恨不相逢未嫁時」「防空歌」「海燕」等のヒット曲を出したり、愛国映画「萬世流芳」に出演し、「賣糖歌」「戒煙歌」をヒットさせたりしていた関係上、中国人と思われていたため、日本の敗戦後、中華民國政府から売国奴(漢奸)の廉で軍事裁判にかけられた。李香蘭は来週、上海競馬場で銃殺刑に処せられるだろうなどという予測記事が新聞に書かれ、あわや死刑かと思われた。

しかし奉天時代の親友リューバの働きにより、北京の両親の元から日本の戸籍謄本が届けられ、日本国籍であるということが証明され、漢奸罪は適用されず、国外追放となった[1]。無罪の判決を下す際、裁判官は「この裁判の目的は、中国人でありながら中国を裏切った漢奸を裁くことにあるのだから日本国籍を完全に立証したあなたは無罪だ。しかし、一つだけ倫理上、道義上の問題が残っている。それは、中国人の名前で 『支那の夜』 など一連の映画に出演したことだ。法律上、漢奸裁判には関係ないが、遺憾なことだと本法廷は考える」と付言を加え、李香蘭は「若かったとはいえ、考えが愚かだったことを認めます」と頭を下げて謝罪した[2]1946年昭和21年)2月28日、李香蘭と似ても似つかぬように化粧を落とし、もんぺ姿で引揚船に乗船しようとしたが、中華民國側の女性出入国管理官に李香蘭と見破られ、再度収容所に連れ戻されてしまった。それから10日後に誤解は解け、1ヶ月後の3月末に今度こそ出国できることになった。李香蘭は乗船するや否や一旦はトイレに身を潜めたが、船が港を離れてからデッキで遠ざかる上海の摩天楼を眺めていると、船内のラジオ放送から聞こえてきたのは、奇しくも自分の歌う『夜來香』だった[1]

女優「山口淑子」として[編集]

帰国した後、翌年には旧姓(当時の本名)「山口淑子」に戻って銀幕に復帰、日本映画を中心に活躍した。主演作では、池部良と共演した1950年昭和25年)の『暁の脱走』などが名作として名高い。『わが生涯のかがやける日』では森雅之と、『醜聞』では三船敏郎と共演している。

また、アメリカに渡り、アクターズ・スタジオの講師から演技を学び、シャーリー山口Shirley Yamaguchi)の名でハリウッド映画に主演したり、ブロードウェイでのミュージカルにも主役で出演した。その頃ニューヨークで彫刻家イサム・ノグチと知り合い、1951年に結婚。鎌倉北大路魯山人の邸宅敷地内にアトリエと住まいを構えたが、1955年昭和30年)に離婚する。

1952年昭和27年)から1958年昭和33年)に掛けてはイギリス領香港ショウ・ブラザーズ社の映画『金瓶梅』、『神秘美人』、『一夜風流』に主演。中国語圏で「李香蘭」の名を復活させた。また同時に香港の百代唱片公司で10数曲の主演映画の主題歌を吹き込み、映画と共にリリースしヒットさせる。それらは今もスタンダード・ナンバーとして、世界の中国人・華人の間で歌い継がれている。「三年」「梅花」「小時候」「十里洋場」「分離」等々。

女優引退~司会者として復帰[編集]

1958年(昭和33年)に日本人外交官で、駐ビルマ日本大使館の三等書記官(国連大使加瀬俊一の秘書官も務めた)の大鷹弘(元駐ミャンマー特命全権大使、2001年(平成13年)4月に73歳で死去)[3]と再婚し、20年にわたる女優業を引退する。引退直前には原節子の呼びかけにより、芸能生活20周年記念映画として『東京の休日』が製作された。それは三船敏郎、池部良、越路吹雪などの東宝オールスターが出演する豪華なものとなった。そしてこの映画が最後の出演映画となった。

その後はマスコミに一切姿を見せなかったものの、1969年昭和44年)に、「山口淑子」の名でフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会者になり、芸能界へのカムバックを果たす。番組ではベトナム戦争中の南ベトナムカンボジア中東などの海外取材も行う。朝日放送が製作した「こんにちわ北朝鮮」という番組ではリポーターを務め、北朝鮮を訪問。金日成国家主席と会談している。1973年昭和48年)には日本赤軍重信房子とのインタビューに成功。

参議院議員へ転身[編集]

日本の旗 日本の政治家
山口 淑子
やまぐち よしこ
生年月日 1920年2月12日(94歳)
出生地 中華民国の旗 中華民国奉天省撫順市
前職 女優
所属政党 自由民主党

選挙区 全国区→)
比例代表
当選回数 3回
任期 1974年7月8日 - 1992年7月7日
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1974年(昭和49年)に、時の総理・田中角栄の要請で自由民主党から第10回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し初当選。1980年昭和55年)、1986年昭和61年)と再選され、環境政務次官・参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長・参議院外務委員長・自民党婦人局長などを1992年(平成4年)に引退するまで歴任した。1993年平成5年11月3日勲二等宝冠章受章。

主な出演映画[編集]

「李香蘭」時代(戦前・戦中)[編集]

「山口淑子」時代(戦後)[編集]

ヒット曲[編集]

満洲・日本[編集]

  • 我們的青春(映画『蜜月快車』挿入歌、中国語、百樂唱片版)
  • 甜蜜的新婚 (映画『蜜月快車』挿入中国語、百樂唱片版)
  • 滿洲姑娘(中国語)
  • 桃源春夢 (映画『富貴春夢』主題歌、中国語、百樂唱片版)
  • 滿園春色
  • 冤魂復仇 (映画『冤魂復仇』主題歌、中国語、百樂唱片版)
  • 鐵血慧心(映画『鐵血慧心』主題歌、中国語、百樂唱片版)
  • 天涯路 (中国語、百樂唱片版)
  • 時代姑娘 (中国語、百樂唱片版)
  • 望春曲 (中国語、百樂唱片版)
  • 幻想的你(中国語、百樂唱片版)
  • 樂しい滿洲
  • 握手の日滿支
  • 関東軍凱旋歌(百樂唱片版)
  • 滿洲國國歌(中国語、百樂唱片版)
  • 日本國國歌(百樂唱片版)
  • 愛國行進曲(百樂唱片版)
  • 何日君再來(中国語)
  • 樂しい朋友
  • さらば上海
  • 夜悲曲(中国語、百樂唱片版)
  • 陽春小唄(日本語)
  • 陽春小唱(中国語、百樂唱片版)
  • 中華民國國歌(中国語、百樂唱片版)
  • 薔薇處處開(中国語、百樂唱片版)
  • 夢の太湖船
  • 離別了姑娘(日本語)
  • 青い月の夜に
  • 故郷之春天(韓国語で歌唱)
  • 大日本帝國國歌(百樂唱片版)
  • こころに咲く花/日滿支親善歌
  • 興亞三人娘/日滿支親善歌(奥山彩子・白光 共唱)
  • 花白蘭の歌(楠木繁夫 共唱)
  • 紅い睡蓮(映画『熱砂の誓ひ』挿入歌)
  • 夕月乙女(映画『熱砂の誓ひ』挿入歌)
  • 荒城の月(映画『熱砂の誓ひ』挿入歌)
  • 夜霧の馬車
  • 北京の子守唄
  • 濱邊の歌
  • 宵待草
  • さうだその意氣(霧島昇・松原操 共唱)
  • サヨンの歌(映画『サヨンの鐘』主題歌)
  • 私の鶯(映画『私の鶯』主題歌)
  • 新しき夜(映画『私の鶯』挿入歌)
  • ペルシャの鳥(映画『私の鶯』挿入歌)映画の中でロシア語で歌唱
  • 月下の胡弓
  • 黒き寶
  • 花占ひ
  • さくら咲く國
  • 旅人の歌
  • 港つばめ
  • 春鶯曲
  • 蘇州夜曲(映画『支那の夜』挿入歌)映画の中で歌唱
  • 支那の夜(映画『支那の夜』主題歌)映画の中で歌唱
  • 蘇州の夜(映画『蘇州の夜』主題歌)
  • 乙女の祈り(映画『蘇州の夜』挿入歌)
  • 迎春花(映画『迎春花』主題歌)
  • 若き日の夢(映画『戦ひの街』主題歌)
  • 花の生命(霧島昇 共唱)
  • 母は青空(映画『誓ひの合唱』挿入歌)
  • 台湾軍の歌(映画『サヨンの鐘』の中で歌唱)
  • 天涯歌女(映画『野戦軍楽隊』挿入歌、中国語で歌唱)
  • 懐かしのタンゴ
  • 夜来香(映画『東京の休日』『上海の女』の中でも歌唱)
  • 思い出の白蘭
  • 東京夜曲(映画『東京夜曲』主題歌)
  • 愛の花びら~ラヴィ・アン・ローズ~
  • 珊瑚礁の彼方に
  • ロンドンデリーの歌
  • 何日君再来(映画『上海の女』挿入歌)
  • ふるさとのない女(映画『上海の女』挿入歌)
  • 春風春雨(映画『上海の女』挿入歌)
  • 郊外情歌(映画『上海の女』挿入歌)
  • 花はなんの花(五木の子守唄)
  • 花のいのちをたれか知る
  • 沙漠の太鼓
  • 愛の誓い
  • 情熱の人魚(映画『情熱の人魚』主題歌)
  • 月に寄せて(映画『情熱の人魚』挿入歌)
  • 暗い部屋
  • 歩きましょう
  • 蘇州夜曲(映画『抱擁』挿入歌)
  • 黒い百合(映画『抱擁』挿入歌)
  • 七人の侍(映画『七人の侍』主題曲)
  • とこしえに(映画『ライムライト』主題歌)
  • しらとり韶(映画『白夫人の妖恋』主題歌)

中国(中華民國)と戦後の香港レコーディングを含む[編集]

  • 大東亞勝利之歌(黄世平 共唱)
  • 賣糖歌(中国映画『萬世流芳』主題歌)
  • 戒煙歌(中国映画『萬世流芳』挿入歌)
  • 賣糖歌(花腔版)
  • 百代進行曲
  • 恨不相逢未嫁時(上海録音版)
  • 花香爲情郎
  • 夜來香
  • 海燕(黄飛然、黄源尹 共唱)
  • 忘憂草
  • 第二夢
  • 防空歌(黄明・黄天 共唱)
  • 天涯歌女
  • 山谷中玫瑰
  • 郊外情歌
  • 進酒杯莫停
  • 青春一去不復囘
  • 春風春雨
  • 明月之夜
  • 不要告訴我
  • 空閨残夢
  • 青春讃歌
  • 為甚麼要煩惱
  • 綠野之春(香港映画『新西廂記』挿入歌)
  • 蘭閨寂寂(香港映画『金瓶梅』挿入歌)
  • 烏鴉配鳳凰(香港映画『金瓶梅』挿入歌)
  • 身世飄零(香港映画『金瓶梅』挿入歌)
  • 梅花(香港映画『神秘美人』挿入歌)
  • 分離(香港映画『神秘美人』挿入歌)
  • 歌舞今宵(香港映画『神秘美人』挿入歌)
  • 三年(香港映画『一夜風流』挿入歌)
  • 小時候(香港映画『一夜風流』挿入歌)
  • 情枷愛鎖(香港映画『一夜風流』挿入歌)
  • 十里洋塲(香港映画『一夜風流』挿入歌)
  • 他總有一天囘來(香港映画『一夜風流』挿入歌)
  • 恨不相逢未嫁時(香港録音版)
  • 只有你
  • 河上的月色
  • 心曲(チャップリンの映画『ライムライト』主題曲「エタナリー(テリーのテーマ)」)

著書[編集]

  • 『誰も書かなかったアラブ “ゲリラの民”の詩と真実』サンケイ新聞社出版局、1974年、[1]
  • 『中国に強くなる本 挨拶から食事まで 9億人の隣人と仲よくする法』かんき出版、1979年5月
  • 『李香蘭 私の半生』(藤原作弥共著)新潮社、1987/ のち文庫
  • 『戦争と平和と歌 李香蘭心の道』東京新聞出版局、1993(東京新聞で今日も続く夕刊連載自伝「この道」の山口分をまとめたもの)
  • 『次代に伝えたいこと 歴史の語り部李香蘭の半生』天理教道友社、1997
  • 『「李香蘭」を生きて 私の履歴書』日本経済新聞社、2004
  • チャップリンの日本』日本チャップリン協会・大野裕之篇、 2006年3月、親交のあったチャップリンの思い出を語っている。ハリウッド時代の写真も多く収録。

関連書籍[編集]

  • 毎日新聞社『李香蘭 二つの祖国に揺れた青春』(毎日グラフ別冊)、毎日新聞社、1991年6月、[2]
  • 藤原作弥『満洲の風』集英社、1996年7月、ISBN 408781131X
  • 山口猛『哀愁の満州映画 満州国に咲いた活動屋たちの世界』三天書房、2000年3月、ISBN 4883460541
  • 四方田犬彦『日本の女優 (日本の50年日本の200年)』岩波書店、2000年6月、ISBN 4000263196
  • 四方田犬彦編集『李香蘭と東アジア』東京大学出版会、2001年12月、ISBN 4130800949
  • 羽田令子『李香蘭、そして私の満州体験 日本と中国のはざまで』社会評論社、2006年11月、ISBN 4784513248[3]

李香蘭を描いた作品[編集]

劇団四季では、彼女の半生を『ミュージカル李香蘭』としてミュージカル化した。1991年の初演以来、劇団四季の代表作品として人気を呼び、幾度となく再演され続けている。後に、『ミュージカル異国の丘』『ミュージカル南十字星』と共に“昭和の歴史三部作”ひとつとなった。

漫画[編集]

テレビドラマ[編集]

李香蘭が主人公のテレビドラマ
李香蘭が登場するテレビドラマ

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『「李香蘭」を生きて 私の履歴書』(日本経済新聞社、2004年(平成16年))
  2. ^ a b c d 『李香蘭 私の半生』 山口淑子、藤原作弥共著(新潮文庫 1987年(昭和62年))
  3. ^ cf. 大鷹家との関係

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


議会
先代:
岡野裕
日本の旗 参議院外務委員長
1991年 - 1992年
次代:
野沢太三
先代:
上田稔
日本の旗 参議院沖縄及び北方問題に関する委員長
1981年 - 1982年
次代:
佐々木満