川田龍平
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| 参議院議員 川田 龍平 |
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| 生年月日 | 1976年1月12日(33歳) | ||
| 出生地 | 東京都小平市 | ||
| 出身校 | 東京経済大学 | ||
| 学位・資格 | 経済学士 | ||
| 前職 | 元松本大学非常勤講師 川田龍平と人権アクティビストの会代表 龍平学校―PEEK主宰 川田悦子元衆議院議員秘書 |
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所属委員会
内閣役職
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環境委員会 公共事業チェック議員の会 |
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| 世襲 | 2世 母・川田悦子 |
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| 選出選挙区 | 東京都選挙区 | ||
| 当選回数 | 1回 | ||
| 所属党派 | 無所属 | ||
| 党役職 | |||
| 会館部屋番号 | 参議院議員会館202号室 | ||
| ウェブサイト | www.kawada.com | ||
川田龍平(かわだ りゅうへい、1976年1月12日 - )は、日本の人権活動家。参議院議員。
東京HIV訴訟(薬害エイズ事件)原告、川田龍平と人権アクティビストの会代表。龍平学校―PEEK主宰。
母は元衆議院議員の川田悦子、妻はジャーナリストの堤未果(放送ジャーナリストばばこういちの娘)。
2007年7月29日投票の参議院選挙に東京都選挙区より出馬し初当選した。
目次 |
[編集] 略歴
- 1976年1月12日 - 東京都小平市に生まれる。
- 1976年7月 - 遺伝性疾患である血友病の診断を受ける。クリオ製剤使用開始。乳児期に3度の脳内出血も発症するが、同薬により救命された。
- 1979年8月 - 3歳。非加熱輸入血液製剤使用開始。医師の説明は「今日から止血効果の高い薬に変えます」のみだったという。
- 1983年9月 - 家族療法開始(母が注射)。
- 1985年8月 - 自己注射開始(自分で製剤を注射)。
- 1986年1月 - 母が医師からHIV感染を告知される。
- 1986年12月 - 母からHIV感染を告知される。
- 1987年7月 - 発症予防目的でインターフェロン治療開始。
- 1992年9月 - 裁判に参加することを決意。
- 1993年9月 - 初めて裁判を傍聴。原告団に加わる。
- 1995年3月 - 実名公表。
- 1995年4月 - 東京経済大学入学。
- 1996年1月 - 成人式を迎える。
- 1996年3月 - 東京HIV訴訟和解成立(実質原告勝訴)
- 1997年 - 川田龍平と人権アクティビストの会設立
- 1998年9月 - 大学を休学し、ドイツ・ケルンに留学(~2000年)
- 2000年9月 - 母の衆議院議員立候補に伴い帰国
- 2000年10月 - 母の衆議院議員当選に伴い帰国。秘書として仕事を手伝う(~2003年11月)
- 2003年4月 - 松本大学非常勤講師
- 2007年1月12日 - 31歳の誕生日に国政への挑戦を決意
- 2007年7月29日 - 第21回参議院議員通常選挙に東京選挙区から無所属で出馬、当選
- 2008年2月 - ジャーナリストの堤未果と結婚。
[編集] 人物
1976年、東京都小平市生まれ。東京都立小平高等学校、東京経済大学卒業。
生後6ヶ月、遺伝性疾患である血友病との診断を受ける。同病の治療に用いられた非加熱輸入血液製剤によりHIV(ヒト免疫不全ウィルス)に感染、その事実は10歳当時に母親から知らされた。1993年、東京HIV訴訟の原告(→薬害エイズ事件)のひとりとなる。1995年、実名を公表した。1996年、訴訟は和解で終決したが、以後も同事件の真相と責任を追及している。
大学在籍中にドイツへの語学留学経験があり、高校社会科教師を志向していた。2003年4月から松本大学非常勤講師。担当科目は「生命倫理」「社会活動」「ユニバーサルデザインと地域」。
2007年、世界経済フォーラムが選ぶ「Young Global Leaders」に選ばれる。
血友病の治療経過中にC型肝炎ウィルスにも感染したが治療を経て治癒。2007年11月現在、HIV感染に伴うAIDS(エイズ)は発病していない。
[編集] 参議院選挙
2007年7月の参議院選挙に東京都選挙区より無所属で立候補。自身が運営委員を務めていた「みどりのテーブル」をはじめ多くの団体が協力した。立候補表明の会見では、新党日本の田中康夫代表から出馬要請があり、「将来的には田中さんと一緒にやりたい」と述べるなど同党との協力を示唆した。 参議院選挙の際には、多くのボランティアが参加した。公示日の7月12日には1000人のボランティアが都内14,000箇所の掲示板のポスター貼りを手伝ったほか、7月22日の新宿での集会では支援団体やボランティア支援者を中心に約800人以上を、7月28日(選挙戦最終日)の渋谷での集会には約1000人以上を集めた。著名人としては、滝田栄、永六輔、広河隆一、サンプラザ中野、湯浅誠(NPO法人もやい事務局長)らが応援に駆けつけた。[1]
※第21回参議院議員通常選挙における候補者及び結果については、東京都選挙区#選挙結果を参照のこと。
[編集] 国会議員活動
- 2007年8月2日 - 厚生労働省前で薬害肝炎全国弁護団・原告団の抗議行動に薬害肝炎被害者の1人として参加。
- 2007年9月25日 - 総理大臣指名選挙では、民主党代表小沢一郎を1回と決選の両方で支持。
- 2008年5月 - みどりの政治運動からの離脱を表明する。みどりのテーブル運営委員を辞任し、退会。
- 2008年5月 - 途上国への食糧支援プロジェクト「TEA FOR TWO」を超党派の国会議員と共に立ち上げ、事務局長に就任。
- 2008年6月 - 参議院本会議において有害サイト対策法案に対し、青少年にとって必要なサイトにまで規制がかかることへの懸念などから反対票を投じる。
- 2008年8月 - 一部メディアに後援会内部での対立を報じられ、同時に2007年12月の訪米(川田は公務としての視察旅行と主張)についていくつかの問題を指摘される。
- 2008年12月 - 参議院本会議において国籍法改正案に対し、重要法案に対する粗雑な立法過程に疑問があるとの理由で、同様の問題提起をした田中康夫らと共に反対票を投じる。
- 現在は環境委員会に所属。薬害、環境分野に力を注ぎ、専門家を呼んだ公開勉強会などを通じ、その実態を広く知らせている。
[編集] プロフィール
- 血液型 - B型
- 趣味 - 音楽鑑賞、トランペット(中学、高校では吹奏楽部に。大学ではラテン音楽愛好会に所属。1995年10月7日のラップパレードの他色々な所で演奏している)、ピアノ(小学校の合唱コンクールで伴奏を務めている。)
- 名前は平和、平等の「平」に辰年生まれなので「龍」をつけて母が「龍平」とした。
- 洋服より和服を好む。初登院時の紋付羽織袴は既製品ではなく仕立てたものである。
[編集] 著書
- 『龍平の現在(いま)』(三省堂、1996年)
- 『Ryuhei 龍平―僕は生きたい』(桐原書店、1996年)
- 『龍平への手紙―そして龍平から』(草土文化、1997年)
- 『エイズ教育のこれから』(日本標準、2006年、ISBN 4-8208-0275-5)
- 『川田龍平いのちを語る』(写真・志葉玲、明石書店、2007年)
- 『日本に生きるということ~薬害エイズ被害者が光を見つけるまで~』(講談社、2007年)

