神取忍

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日本の旗前参議院議員 神取 忍
生年月日 1964年10月30日(47歳)
出身地 神奈川県横浜市
出身校 横浜学園高等学校卒業
前職 女子プロレスラー
所属委員会 文教科学委員会委員
議院運営委員会委員
世襲
選出選挙区 比例区
当選回数 1回
所属党派 自由民主党(町村派
党役職 党青年局東部統括部長
会館部屋番号 参・議員会館
ウェブサイト 神取忍 公式ブログ
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神取 忍(かんどり しのぶ、1964年10月30日 - )本名:神取 しのぶ。元柔道選手、現在は女子プロレスラー。元参議院議員神奈川県横浜市磯子区出身。私立横浜学園高等学校卒業。

目次

[編集] 所属

[編集] プロフィール

神取忍
神取忍の画像
プロフィール
リングネーム 神取忍
本名 神取しのぶ
ニックネーム ミスター女子プロレス
女子プロレス最強の男
身長 170cm
体重 75kg
誕生日 1964年10月30日(47歳)
出身地 神奈川県横浜市
所属 LLPW-X
スポーツ歴 柔道
トレーナー 藤原喜明
デビュー 1986年8月17日
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獲得メダル
日本の旗 日本
女子 柔道
世界柔道選手権
1984 ウィーン 66kg級

[編集] 柔道家として

15歳から始めた柔道で、全日本選抜柔道体重別選手権(66kg級)で3連覇、世界柔道選手権3位、福岡国際女子柔道選手権2位と国際大会でもトップクラスの成績を収めた。しかし神取は講道館と直接の関わりを持たない町道場出身だったため、柔道界ではあまり優遇されていなかったといわれている。

神取は突然プロレスラーへ転向した理由を「年齢的に数年後に開催されるオリンピックを目指すモチベーションを保てなかった」ことであると公言しており、当時の関係者からの引きとめも同様の理由で全て固辞した。後年『リングの魂』で神取本人が語ったところによれば、それ以来講道館が主催する柔道大会会場への出入りを禁止され、柔道家としては事実上の除名状態にあるという。

[編集] プロレスラーとして

1986年女子プロレス団体ジャパン女子プロレスに入団。1986年8月17日、後楽園ホールのメインイベントジャッキー佐藤戦でデビュー。その後、団体内のトラブルからジャッキーとの再戦で、神取いわく「(ジャッキーの)心を折る」壮絶なシュートマッチを行う。

プロレス界初のフリー宣言を行い、当時、全日本女子プロレスのエースで絶大な人気を誇っていた長与千種との対戦を熱望し、全女と交渉。しかし長与も乗り気だったにもかかわらず、当時の全女のフロントから拒否され、幻となる。その後、長与がカムバックしたことにより両者の対戦が期待されたが、実現したのは一度のタッグマッチのみ。再び長与が引退したため、両者のシングルマッチは未だに実現していない。

長与との対戦が不可能となった後、フリーランスとしてジャパン女子プロレスに戻るが、ジャパン女子の崩壊を経て1992年8月29日、LLPW(現・LLPW-X)の旗揚げに参加。

1993年、団体を背負い、北斗晶と対戦し2戦1勝1敗。デンジャラス・クイーンという北斗の異名のきっかけとなる流血試合を繰り広げる。

1995年、女子初の総合格闘技L-1に参加。優勝候補と目されていたが、グンダレンコ・スベトラーナに敗れ準優勝。1998年の第2回大会でリベンジを果たし優勝。

1999年格闘探偵団バトラーツのマッハ純二(現・タナカジュンジ)に勝利。女子プロレスラーが男子にシングル戦で勝利した数少ない例。また2000年、「私が入っても全然違和感がない」と語った男女混合マッチを経て、天龍源一郎とシングルで対戦。拳で殴られ顔を腫らした結果、セコンドのタオル投入によるTKOで敗北したが、「女子プロレスという枠を壊したい」という発言を体現した。

2000年1月、『Physique 神取忍写真集』(バウハウス)にてセミヌードを披露。

2002年10月1日、LLPWの代表取締役に就任。

2005年3月5日、秋山準森嶋猛のセコンドとしてプロレスリング・ノアに登場、北斗晶と乱闘を繰り広げる。「(対戦相手の)天龍源一郎と(セコンドの)北斗晶が一番嫌いな人を」と秋山準に請われてのものである。

後楽園ホール控え室のドアを壊したという逸話を残すなど、女性であるにもかかわらずその男っぷりのよさから、別名「女子プロレス最強の男」、「ミスター・女子プロレス」と呼ばれる。また、そのキャラクターを生かし、テレビ・ラジオへの出演や写真集の発売などのタレント活動も行っている。タレントから「しんじゅ兄やん」と呼ばれる。また、素人にはたとえ芸人などウケ狙いであっても、断じて技をかけたり、殴らないという方針を取っている。

[編集] 政界入り

2004年参議院選挙比例代表自由民主党から立候補。「正直さ、イラク問題とかよく分かんないんだよね、ぶっちゃけ」など政治家候補とは思えぬ物言いで選挙戦を戦ったが、次点で落選した。

2006年9月28日、竹中平蔵参議院議員を辞職したことにより、自由民主党比例代表選出議員に欠員が発生し、前回選挙で次点であった神取の繰上げ補充を、10月3日中央選挙管理会が開いた選挙会で決定、翌10月4日に当選証書を交付し正式に議員に就任、同日初登院した。その際、トレードマークだった金髪を黒髪に染めている。また、同日、参議院議長は、本名の神取しのぶに代えて、神取忍を議員氏名として使用することを許可した。10月12日清和政策研究会(町村派)に入会した。

2008年自由民主党総裁選挙では同じ清和会所属の小池百合子の推薦人に名を連ねた参議院議員としての公式サイト「神取忍.net」を開設し、併設の議員ブログで日々の活動を公開している。自民党が野党に転じてからは、参議院環境委員会で米海軍厚木基地からの汚水流出事故などを挙げながら「米軍施設からの汚水に対して十分な対策ができることが国内法で担保されているのか」と小沢鋭仁環境相を問いただした[1]

2010年7月、第22回参議院議員通常選挙比例代表自由民主党から出馬するも落選。

[編集] 得意技

  • 脇固め - 各種の関節技は藤原喜明直伝。
  • 神取スペシャル(1 - 3)
  • ドリカン・ニーサレンダー - 出演した番組笑っていいとも!にて、開運アドバイザー安斎勝洋による命名。
  • タイガードライバー
  • スイング・スリーパーホールド

[編集] 「心を折る」

井田真木子は神取、デブラ・ミセリー天田麗文ら1980年代の日本で活動した女子プロレスラーたちを取材し第22回大宅賞を受賞したノンフィクション『プロレス少女伝説』(かのう書房、1990年)の中で、1987年7月18日に大和車体工業体育館で行われた神取忍対ジャッキー佐藤の試合のしばらく後に行った神取へのインタビューにおいて、神取が「(佐藤の)心を折ろうと思った」と発言したことを記し、初めて聞いた表現であったと書き添えている。

[編集] タイトル歴

[編集] 入場テーマ曲

[編集] テレビ番組

[編集] テレビCM

[編集] 脚注

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  1. ^ 自民党の神取氏「米軍施設からの汚水に対策を」 カナロコ(神奈川新聞社)2010年4月27日

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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