橋本聖子
| 生年月日 | 1964年10月5日(47歳) |
|---|---|
| 出身地 | 北海道勇払郡早来町(現:安平町) |
| 出身校 | 駒澤大学附属苫小牧高等学校 |
| 学位・資格 | - |
| 前職 | 富士急行社員 スピードスケート選手 自転車競技選手 |
| 所属委員会 | 参・環境委員会理事 参・行政監視委員会委員 |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | 比例区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 所属党派 | 自由民主党(町村派) |
| 党役職 | 前女性局長 前北海道支部連合会会長 |
| 会館部屋番号 | 参・議員会館302号室 |
| ウェブサイト | seiko-hashimoto.com |
橋本 聖子(はしもと せいこ、本名:石崎 聖子(いしざき せいこ)、1964年10月5日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(3期)。財団法人日本スケート連盟会長。スピードスケート、自転車競技の選手、オリンピック日本代表として出場。アルベールビル冬季オリンピックスピードスケート女子1500 m銅メダル。
目次 |
[編集] 略歴
北海道勇払郡早来町(現安平町)出身。4人兄弟の末子。実家は養牛で知られ、父の善吉はマルゼン橋本牧場を経営し「牛のハシモト」として海外ですら名を知られた牛の仲買商。また、後にサラブレッドのJRA顕彰馬マルゼンスキーの生産者としても知られる。東京オリンピックの直前に生まれ、聖火にちなんで「聖子」と名付けられた。この事から、後にマスコミで「五輪の申し子」と呼ばれる。父親の方針で3歳でスケート開始。小学3年の時、腎臓病にかかり、2か月間入院。2年間スポーツを禁止される。
中学3年の時、全日本選手権を初制覇の後、駒澤大学附属苫小牧高等学校に入学。全日本スプリント、全日本選手権で優勝。以後、10年間にわたって全日本選手権を制覇。高校1年で世界ジュニア選手権の日本代表に選ばれる。女子高校生で太ももが62cmあることを指摘され、コンプレックスとなっていた。
原因不明の呼吸器系の病気にかかり生死をさまようが、後に全日本選手権で「4種目完全制覇」を達成。1983年、高校卒業後、富士急行株式会社へ入社。スケートのほか、1988年には自転車競技へも挑戦する。
1994年、富士急行株式会社退社。1995年に第19回参議院議員通常選挙に比例区から(当時佐藤静雄の所属政党自由連合が一切候補擁立せずに支援する)自民党から立候補し初当選。国会議員とスポーツ選手の二束のわらじを履き、午前3時に起きて自転車に乗り、昼間に国会議員としての活動をして、夜9時過ぎから2時間のウエイトトレーニングという日課を繰り返し、土日に地方公演には自転車で移動をするなどして練習に充てていた。1996年には現職国会議員としてアトランタオリンピックの自転車競技2種目に出場するも、12位と9位に終わる。現役スポーツ選手続行の体力があると自負していたものの、国会議員としてのオリンピック出場が政界とスポーツ界の両方から批判をされたことを理由に「両方の世界を傷つけた」としてスポーツ選手として現役引退を決意する[1]。
1998年、元ラグビー選手で島村宜伸農林水産大臣のSPもした警視庁警備部警護課所属の巡査部長の石崎勝彦と結婚。
2000年8月、園田天光光以来51年ぶり、現役国会議員として2人目、参議院議員としては初の出産。これに先立ち、妊娠判明後の同年3月、出産による本会議欠席を認める参議院規則改正が行われ、事実上、国会議員の産休が制度化する。なお、橋本は直前まで議員活動をし、入院後2時間で初の出産。現在、三男三女あり(実子3人)。
2010年、国会開会中ながらバンクーバーオリンピックに日本選手団の団長として参加。女性として初めてオリンピック日本選手団団長となった。スノーボード男子ハーフパイプ出場の國母和宏の服装問題で出場辞退の話が浮上した際には、団長として國母に開会式への出席辞退と謝罪会見をさせた上で競技には出場させるという裁定を下した。
[編集] 政治活動
- 1995年7月 - 第17回参議院議員通常選挙に比例区から立候補、初当選。
- 2000年7月 - 北海道開発総括政務次官就任。
- 2001年
- 7月 - 第19回参議院議員通常選挙に比例区から立候補、当選(2期目)
- 8月 - 参議院文教科学委員長就任。
- 2003年9月 - 自由民主党副幹事長就任。
- 2004年9月 - 自由民主党副幹事長退任。
- 2005年9月 - 自由民主党女性局長。
- 2006年6月18日 - 日本スケート連盟会長。
- 2007年7月 - 第21回参議院議員通常選挙に比例区から立候補、当選(3期目)
- 北海道トライアスロン連合会長/トライアスロン議員連盟 幹事長
- 2007年9月 - 2007年自由民主党総裁選挙にて、立候補者の福田康夫元官房長官の20名の推薦人のうち、推薦人代表となる。
- 2008年9月 - 麻生内閣で、外務副大臣に就任。
[編集] スポーツ活動
[編集] オリンピック
| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 女子 スピードスケート | ||
| 銅 | 1992 | 女子 1500 m |
- 1984年、サラエボ冬季オリンピック出場。
- 1988年、カルガリー冬季オリンピックではスピードスケート女子全種目の5種目に出場し、全ての種目で日本新記録を更新の上、入賞を果たす。最後の出場種目5000mでは、力尽き転倒してのゴールとなった。ソウル夏季オリンピックでは関ナツエとともに本職でのカルガリー冬季オリンピックに引き続き、自転車の代表選手として出場し、日本人として男女を通して史上初めて冬・夏のオリンピックに出場したことで話題になった。
- 1989年、スピードスケート世界選手権において、500m優勝を含む日本人初の総合銀メダル。
- 1992年のアルベールビルでは日本人女性史上初の冬季オリンピック銅メダル(スピードスケート女子1500 m)を獲得[2]。
- 1992年、バルセロナオリンピック出場(自転車競技)。
- 1994年、リレハンメル冬季オリンピック出場。日本選手団の主将を務める。
- 1996年、アトランタオリンピック出場(自転車競技)。女子3000m個人追い抜きで12位、女子2万4000m女子ポイントレースで9位。
合計7回のオリンピック出場は、日本最多記録(女子世界最多記録)。
[編集] 引退後
現役引退後は後進の指導に当たる。個人の芸能マネジメント事務所「セイコ・ハシモト・インターナショナル (SHI) 」を設立し代表に就任。
- 2006年7月1日付けで日本スケート連盟会長に就任する。また、日本オリンピアンズ協会の理事も務めている。
- 2008年10月30日、麻生太郎内閣発足に際して外務副大臣に就任したため日本スケート連盟会長職を休職した。これは国務大臣・副大臣・大臣政務官については「公益法人その他これに類する諸団体については、報酬のない名誉職等を除き、その役職員を兼職してはならない。」とする「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」の規定によるものである。2009年9月16日、麻生太郎内閣総辞職に伴い外務副大臣を退任したため、日本スケート連盟会長職に復帰した。
- 2009年12月21日、日本女子プロ野球機構名誉顧問に就任。
[編集] 賞
- 1985年 北海道民栄誉賞
- 1986年 エイボン女性スポーツ賞
- 1988年 山梨県民栄誉賞
- 1988年 北海道新聞スポーツ賞
- 1989年 朝日体育賞
- 1989年 日本ユネスコフェアプレー賞
- 1994年 文部大臣賞
オリンピック出場7回は女子として世界最多記録。
[編集] 親族
[編集] 政治的スタンス
右派であり、2007年12月7日に行われた右派団体主催の「南京の真実を検証する国民の集い」にもメッセージを送った[3]。2007年の第16回統一地方選挙においては自民党道連会長として、リレハンメル五輪で銅メダルを獲得したスピードスケート選手・堀井学に北海道議会議員選挙への出馬を要請した(登別市選挙区から立候補した堀井は当選)。
[編集] 所属する議員連盟
[編集] 著書
- 「聖火に恋して」(日刊スポーツ出版社、東京、1995年2月 ISBN 978-4-8172-0138-6)
[編集] 参照
[編集] 関連項目
- 日本の冬季オリンピック銅メダル
- 高齢出産
- 関ナツエ
- 島崎京子
- 岡崎朋美
- 大菅小百合
- 沖美穂
- 太田あき
- クリスタ・ルディンク
- マルゼンスキー
- 日本オリンピアンズ協会‐理事を務めている。
- 元オリンピック選手の国会議員の一覧
[編集] 外部リンク
- 参議院議員 橋本聖子 - 公式サイト
- 愛知政治大学院 - 11月講座 2001年11月17日
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 市川一朗 |
2001年 - 2002年 |
次代: 大野つや子 |
| 官職 | ||
| 先代: 伊藤信太郎 山本一太 |
伊藤信太郎と共同 2008 - 2009 |
次代: 武正公一 福山哲郎 |
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