橋本聖子

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日本の旗参議院議員 橋本 聖子
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生年月日 1964年10月5日(49歳)
出身地 北海道勇払郡早来町(現:安平町)
出身校 駒澤大学附属苫小牧高等学校
前職 富士急行社員
スピードスケート選手
自転車競技選手
所属委員会 環境委員会理事
行政監視委員会委員
世襲
選出選挙区 比例区
当選回数 4回
所属党派 自由民主党町村派
党役職 前参議院政策審議会長
前女性局長
前北海道支部連合会会長
会館部屋番号 参議院議員会館803号室
ウェブサイト seiko-hashimoto.com
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橋本 聖子(はしもと せいこ、戸籍名:石崎 聖子(いしざき せいこ)、1964年10月5日 ‐ )は、日本政治家自由民主党所属の参議院議員(4期)。財団法人日本スケート連盟会長、財団法人日本自転車競技連盟会長。スピードスケートおよび自転車競技の元選手でオリンピック日本代表として出場。アルベールビル冬季オリンピックスピードスケート女子1500m銅メダル。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事[1]

略歴[編集]

北海道勇払郡早来町(現安平町)出身。4人兄弟の末子。実家は養牛で知られ、父の善吉はマルゼン橋本牧場を経営し「のハシモト」として海外ですら名を知られた牛の仲買商。後にサラブレッドJRA顕彰馬マルゼンスキーの生産者としても知られる。1964年東京オリンピックの直前に生まれ、聖火にちなんで「聖子」と名付けられた。このことから、後にマスコミで「五輪の申し子」と呼ばれる[2]。父親の方針で3歳でスケート開始。小学3年の時、腎臓病にかかり、2か月間入院。2年間スポーツを禁止される[3]

中学3年の時、全日本選手権を初制覇の後、駒澤大学附属苫小牧高等学校に入学。全日本スプリント、全日本選手権で優勝。以後、10年間にわたって全日本選手権を制覇。高校1年で世界ジュニア選手権の日本代表に選ばれる。女子高校生で太ももが62cmあることを指摘され、コンプレックスとなっていた[要出典]

原因不明の呼吸器系の病気にかかり生死をさまようが、後に全日本選手権で「4種目完全制覇」を達成。1983年、高校卒業後、富士急行株式会社へ入社。スケートのほか、1988年には自転車競技にも挑戦。

1994年、富士急行株式会社退社。1995年第17回参議院議員通常選挙比例区に自民党から立候補し初当選。国会議員とスポーツ選手の二足のわらじを履き、午前3時に起きて自転車に乗り、昼間に国会議員としての活動をして、夜9時すぎから2時間のウエイトトレーニングという日課を繰り返し、土日の地方講演には自転車で移動をするなどして練習に充てていた。1996年には現職国会議員としてアトランタオリンピックの自転車競技2種目に出場するも、12位と9位に終わる。現役スポーツ選手続行の体力があると自負していたものの、国会議員としてのオリンピック出場が政界とスポーツ界の両方から批判をされたことを理由に「両方の世界を傷つけた」としてスポーツ選手としての現役引退を決意する[4]

1998年、元ラグビー選手で島村宜伸農林水産大臣のSPも務めた警視庁警備部警護課所属の巡査部長の石崎勝彦と結婚。

2000年8月、園田天光光以来51年ぶり、現役国会議員として2人目、参議院議員としては初の出産。これに先立ち、妊娠判明後の同年3月、出産による本会議欠席を認める参議院規則改正が行われ、事実上、国会議員の産休が制度化する。橋本は直前まで議員活動をし、入院後2時間で初の出産。現在、三男三女あり(実子3人)。

政治活動[編集]

選挙歴[編集]

当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第17回参議院議員通常選挙 1995年7月26日 比例区 自由民主党 ' ' ' - 第13位
第19回参議院議員通常選挙 2001年12月18日 比例区 自由民主党 265,545 ' 6/27 - -
第21回参議院議員通常選挙 2007年7月29日 比例区 自由民主党 221,361 3.7 11/35 - -
第23回参議院議員通常選挙 2013年7月21日 比例区 自由民主党 279,952 6.4 5/29 - -
当選回数4回 (参議院議員4)

スポーツ活動[編集]

オリンピック[編集]

オリンピック
日本の旗 日本
女子 スピードスケート
1992 アルベールビル 女子 1500 m
  • 1984年、サラエボ冬季オリンピック出場。当時スピードスケート女子全種目の4種目に出場したが、いずれも8位以内(入賞)には届かなかった(500m11位、1000m12位、1500m15位、3000m19位)。
  • 1988年カルガリー冬季オリンピックではスピードスケート女子全種目の5種目に出場し、全ての種目で日本記録を更新の上、入賞を果たす(500m5位、1000m5位、1500m6位、3000m7位、5000m6位)。3000mでは、同走の選手にクロッシングゾーンで本来譲られるべき走路を妨害されてしまい、選手とぶつかるアクシデントがあった(同走の選手は走路妨害で失格)。さらに最後の出場種目だった5000mでは、レース終盤に苦悶の表情ながらも懸命に滑り続け、そして最後は完全に力尽きてしまい転倒してのゴールとなった(後に橋本本人は「あのゴール直後の転倒は私自身非常に恥ずかしく、スケート人生の中で一番悔いの残るレースだった」と語っている[要出典])。
  • 同1988年、ソウル夏季オリンピックに自転車の代表選手として出場した。このため、関ナツエとともに、日本人として男女を通して史上初めて冬・夏両方のオリンピックに出場したことで話題になった[要出典]
  • 1989年、世界オールラウンドスピードスケート選手権大会において、500m優勝を含む日本人初の総合銀メダル。
  • 1992年アルベールビル冬季オリンピックも女子スピードスケート全5種目出場。女子1500mでの橋本は、序盤から中盤まで積極的に飛ばし続け、終盤ラップタイムが落ちたものの屋外リンク自己記録の2分6秒88をマーク。結果3位入賞を果たし、日本人女性としては史上初となる冬季オリンピックで銅メダルを獲得する快挙を達成した[5]。1000mは5位入賞だった(他500m12位、3000m12位、5000m9位)。
  • 1992年、バルセロナオリンピック出場(自転車競技)。女子3000m個人追抜で11位。
  • 1994年、リレハンメル冬季オリンピック出場。日本選手団の主将を務め、女子スピードスケートでは500mを除く4種目に出場。特に3000mでは、600m付近で当時世界記録保持者のグンダ・ニーマンの転倒に巻き込まれ、橋本自らも転んでしまい左肘と左脇腹に打撲傷を負うハプニングがあった。その後橋本の再レースが認められ、約1時間経過後の再レースでは当時の日本新記録となる6位入賞を果たした。5000mでも8位入賞だった(他1500m9位、1000m21位)。
  • 1996年、アトランタオリンピック出場(自転車競技)。女子3000m個人追抜で12位、女子2万4000mポイントレースで9位。

合計7回(冬季大会4回・夏季大会3回)のオリンピック出場は日本最多記録である(女子では8回出場のヨセファ・イデムが世界最多記録)。

引退後[編集]

現役引退後は後進の指導に当たる。個人の芸能マネジメント事務所「セイコ・ハシモト・インターナショナル (SHI) 」を設立し代表に就任。

  • 2006年7月1日付けで日本スケート連盟会長に就任する。また、日本オリンピアンズ協会の理事も務めている。
  • 2008年10月30日麻生太郎内閣発足に際して外務副大臣に就任したため日本スケート連盟会長職を休職した。これは国務大臣・副大臣・大臣政務官については「公益法人その他これに類する諸団体については、報酬のない名誉職等を除き、その役職員を兼職してはならない。」とする「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」の規定によるものである。2009年9月16日、麻生太郎内閣総辞職に伴い外務副大臣を退任したため、日本スケート連盟会長職に復帰した。
  • 2009年11月17日日本オリンピック委員会理事に就任し、バンクーバー冬季五輪選手団長となる[6]2012年ロンドン夏季オリンピック選手団副団長。2013年には、日本オリンピック委員会常務理事となり[7]、女性として初めて、日本オリンピック委員会選手強化本部長を兼務[8]2014年ソチ冬季オリンピック選手団長となる。
  • 2009年12月21日日本女子プロ野球機構名誉顧問に就任。
  • 2010年、国会開会中ながらバンクーバーオリンピック日本選手団の団長として参加。女性として初めてオリンピック日本選手団団長となった。スノーボード男子ハーフパイプ出場の國母和宏の服装問題で出場辞退の話が浮上した際には、団長として國母に開会式への出席辞退と謝罪会見をさせた上で競技には出場させるという裁定を下した。
  • 2012年12月には日本自転車競技連盟の会長に就任。2008年から東京都自転車競技連盟の会長に就任していた。
  • 2012年に発覚した柔道全日本女子の園田隆二監督及びコーチらの女子柔道強化選手による暴力告発問題に関する、日本オリンピック委員会「緊急調査対策プロジェクト」メンバーを勤める。2013年2月6日自民党参議院議員総会において、暴力問題を告発した15名の強化選手について「プライバシーを守ってもらいながらヒアリングをしてもらいたいというのは、決していいことでない」「あまりにも選手のプライバシーを守ろうとする観点から、15人の選手が表に出ていないことをどう判断するか。非常に大きな問題だ」と語った[9][10]。これが、告発に対する否定的な見解として問題化したため、後に「公表しないことに厳しい意見もあることから、どういう方法で選手を守り、経緯や事実を明らかにするか検討すべきという考えだ」と釈明するコメントを出した[11]。また、2013年、全日本柔道連盟外部理事に就任[12]
  • 2014年8月20日発売の週刊文春において、ソチ五輪閉会式後の打ち上げパーティーで、酔って高橋大輔選手に強制的にキスするなどのセクハラ行為を行ったと報じられた。しかしながらこれに対し高橋は「パワハラ、セクハラとは一切、思っていません」とセクハラを受けたと解釈していないことを明言し、橋本も「キスを強制した事実はない」とのコメントを出し、両者とも共通してセクハラについては否定している[13]。また日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長は8月22日、「総合的に判断した結果、これ以上本件を問題にすることは考えておりません」と、不問にする考えを示している[14]

[編集]

オリンピック出場7回は女子として日本最多記録。

親族[編集]

政策・政治行動[編集]

支援団体[編集]

所属団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

論文[編集]

参照[編集]

  1. ^ 評議員会を開催 組織委員会新理事を選任 一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
  2. ^ 1988年9月16日、朝日新聞朝刊、「『聖子』の由来、いま実感 橋本さん、念願の聖火リレー」
  3. ^ 政治家としての道―葛藤と決意 橋本聖子公式サイト
  4. ^ 政治家としての道―葛藤と決意 橋本聖子公式サイト
  5. ^ Albertville 1992-Medals ceremony: BORNER J. (GER) 1st, NIEMANN G. (GER) 2nd, HASHIMOTO S. (JPN) 3rd.
  6. ^ “橋本聖子氏がJOC理事”. 朝日新聞. (2009年11月18日). http://www.asahi.com/olympics/news/TKY200911180224.html 2013年10月17日閲覧。 
  7. ^ “平成25・26年度JOC新役員を決定”. 日本オリンピック委員会. (2013年7月1日). http://www.joc.or.jp/news/detail.html?id=4130 2013年10月17日閲覧。 
  8. ^ “JOC会長、竹田氏8選 選手強化本部長は橋本聖子氏”. 朝日新聞. (2013年6月28日). http://www.asahi.com/sports/update/0628/TKY201306280372.html 2013年10月17日閲覧。 
  9. ^ “自民・橋本聖子氏、告発選手名の公表を/柔道”. 産経スポーツ. (2013年2月6日). http://www.sanspo.com/sports/news/20130206/jud13020612310013-n1.html 2013年10月17日閲覧。 
  10. ^ “橋本聖子氏「告発選手名の公表を」”. 日刊スポーツ. (2013年2月6日). http://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20130206-1081666.html 2013年10月17日閲覧。 
  11. ^ “柔道、匿名で告発に異議? 橋本聖子氏、後に釈明”. 朝日新聞. (2013年2月7日). http://www.asahi.com/sports/update/0206/TKY201302060380.html 2013年10月17日閲覧。 
  12. ^ “全柔連、副会長・専務理事も辞職へ 女性理事に谷亮子氏ら起用”. 日本経済新聞. (2013年6月25日). http://www.nikkei.com/article/DGXNZO56591720V20C13A6CR8000/ 2013年10月17日閲覧。 
  13. ^ 『日刊スポーツ』2014年8月21日
  14. ^ 『デイリースポーツ』2014年8月22日
  15. ^ “宮崎正弘の国際ニュース・早読み”. 宮崎正弘. (2007年12月8日). http://www.melma.com/backnumber_45206_3927357 2013年10月17日閲覧。 
  16. ^ 世界日報 2001年11月9日
  17. ^ 2012年1月11日朝日新聞
  18. ^ “参院選で自民候補支援の宗教団体、靖国参拝に賛否”. 朝日新聞. (2013年8月16日). http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201308150478.html 2013年10月17日閲覧。 金曜日朝刊第3面記事

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代:
市川一朗
日本の旗 参議院文教科学委員長
2001年 - 2002年
次代:
大野つや子
公職
先代:
伊藤信太郎
山本一太
日本の旗 外務副大臣
伊藤信太郎と共同
2008年 - 2009年
次代:
武正公一
福山哲郎
党職
先代:
世耕弘成
自由民主党参議院政策審議会長
2012年 - 2013年
次代:
山谷えり子