八代英太
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やしろ えいた
前島英三郎 まえじま えいざぶろう |
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2010年7月10日、高田馬場駅にて
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| 生年月日 | 1937年6月2日(74歳) |
| 出生地 | 山梨県八代町(現笛吹市) |
| 出身校 | 山梨県立石和高等学校 |
| 前職 | 山梨放送社員 帝京平成大学教授 |
| 所属政党 | (無所属→) (福祉党→) (自由民主党→) (無所属→) (新党大地→) 民主党 |
| 称号 | 旭日大綬章 |
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| 内閣 | 小渕第2次改造内閣 第1次森内閣 |
| 任期 | 1999年10月5日 - 2000年7月4日 |
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| 選挙区 | (東京都第12区→) 比例東京ブロック |
| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 1996年10月21日 - 2005年8月8日 |
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| 選挙区 | (全国区→) 比例区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 1977年7月10日 - 1995年7月22日 |
八代 英太(やしろ えいた、1937年(昭和12年)6月2日 - )は、日本の政治家・元民放アナウンサー・タレント・テレビ司会者、大学教授。本名は前島 英三郎(まえじま えいざぶろう)。山梨県出身。兄は山梨県議会議員で自民党山梨県連会長代行の前島茂松(まえじま しげまつ、1930年11月28日 - )。
郵政大臣(第65・66代)、参議院議員(3期)、衆議院議員(3期)を歴任した。
目次 |
[編集] 略歴
- 1937年6月2日 山梨県八代町(現笛吹市)に生まれる。
- 山梨県立石和高等学校卒業。(現、山梨県立笛吹高等学校)
- 1957年 ラジオ山梨(1961年から山梨放送)にアナウンサーとして入社。
- 1963年 山梨県より上京し、北区志茂町に住んでタレント活動を開始する。
- 1969年 「お昼のワイドショー」サブ司会者となる、よく行われた政治・社会問題の公開討論ではマイクを持ってひな壇の発言者の間を走り回りながらも、時に黙っちゃいられないとばかりに討論に参加し、そのぶちまくるツボを外さぬ小市民的常識論は視聴者の絶大な支持を得た。
- 1973年6月3日 愛知県刈谷市の市民会館で行われた畠山みどりの歌謡ショーの司会として出演。舞台から下がる際にセリが降りていること知らず、舞台下に転落して脊髄を損傷する重傷を負った。以後車椅子の生活を送る。
- 1977年7月10日 第11回参議院選挙全国区に無所属で出馬し84万票を獲得して当選。福祉政策の専門家として知られるようになる。田英夫、横路孝弘らと共にMPD・平和と民主運動の呼びかけ人になっていた。
- 1979年 代表質問で「ノーマライゼーション福祉」を発表。障害者世界組織の結成、アジア太平洋議長となる。
- 1983年
- 全国区が比例区に改められると、無所属候補は比例区からは立候補できなくなったため、八代は福祉党を結成、自ら代表となった。
- 6月26日 第13回参議院議員通常選挙では福祉党の名簿1位で当選。
- 1984年 八代は自由民主党に移籍。八代自身が結成した福祉党を自ら解党した行為もさることながら、政党で選ぶ比例代表制の趣旨として、移籍が認められたことも問題になった(比例区当選者の政党移籍制限が法制化されたのは2000年)。
- 1989年7月23日 第15回参議院議員通常選挙では比例名簿2位搭載と優遇され、3選。
- 1995年7月23日 第17回参議院議員通常選挙に次点で落選。
- 1996年10月20日 小選挙区制導入後初の第41回衆議院議員総選挙で衆院に鞍替えし、東京都第12区から出馬して初当選した。以後3期連続当選。
- 1999年
- 2000年
- 4月5日 第1次森内閣で郵政大臣に再任。この時期、地域振興券の発行に尽力した。
- 6月25日 第42回衆議院議員総選挙で再選。
- 2003年11月9日 第43回衆議院議員総選挙には、政策面で共通点の多い公明党の太田昭宏が東京12区から出馬するため、選挙協力により比例東京ブロック単独で立候補し3選。なおこの選挙では太田が当選し、東京12区で落選した民主党の藤田幸久も比例復活した。
- 2005年
- 7月5日 郵政民営化法案の採決では反対票を投じた。
- 9月11日 第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認が得られず、無所属で出馬する。当初、対立候補の太田昭宏に配慮し八代のみ比例東京ブロックで公認する窮余の一策も自民党内で検討されていたが、結局八代は公認されなかったため、自民党を離党し、無所属での出馬に踏み切った(離党して無所属で立候補したのは八代の他には小西理だけである)。しかし、東京12区では太田が当選し、八代の得票数は太田の得票の半数を下回った。また民主党の藤田幸久も同じく東京12区から出馬したが落選し、比例復活もならなかった。落選後は帝京平成大学教授、政治団体明るい福祉を考える会代表を務めた。
- 2007年秋の叙勲で、旭日大綬章を受章した。
- 2009年、鈴木宗男の要請を受け新党大地に入党し、党代表代行に就任。比例北海道ブロックの名簿第2位で第45回衆議院議員総選挙へ立候補することを表明した。第45回衆議院議員総選挙では新党大地の当選枠が1人だったため落選。
- 2010年7月、第22回参議院議員通常選挙には民主党の比例代表から出馬するも落選。この立候補により、第45回衆院選の新党大地の比例北海道ブロック立候補者の名簿からは名前が削除された。同年9月に鈴木宗男の刑事責任が争われていた収賄罪事件で鈴木の有罪が確定したが、鈴木がこれによって衆議院議員を失職しても八代の繰り上げ当選はなくなった。
[編集] 政治的立場
[編集] 出演
[編集] 著書
著書に『八代英太の車いす郵政大臣奮戦記』(日本テレソフト,1999年)などがある。
[編集] 公的場面での通名(芸名)使用
国会議員は国民の代表として立法に参画して行政にもの申す立場であり、行政機関の一員ではないため通名使用が認められているが、大臣・政務次官等に任ぜられた場合は、議員としての立場とは別に行政機関の一員として公文書を発し、時に大臣等の肩書きで国民の権利・義務・許認可を左右することがあるため、責任明確化の観点から芸名の使用は認められていない。このため、郵政大臣としての公文書等には一貫して本名の前島英三郎の名義が用いられた。
- 閣議口頭了解(1999年10月8日)は次のとおりである。
- 郵政大臣である八代英太(本名 前島英三郎)国務大臣の名前については、今後、政府代表等への任命行為及び許可等対外的な法律上の行為については前島英三郎名を使用し、それ以外は八代英太名を使用することとする。
[編集] 参考文献
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 八代英太公式ホームページ
- おもいっきりブログ(八代本人のブログ)
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 加藤卓二 |
1996年 - 1997年 |
次代: 笹川堯 |
| 先代: 関口恵造 |
1988年 - 1989年 |
次代: 浜本万三 |
| 官職 | ||
| 先代: 野田聖子 |
第65・66代:1999年 - 2000年 |
次代: 平林鴻三 |
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