羽生結弦

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Pix.gif 羽生結弦
Yuzuru HANYU
Figure skating pictogram.svg
2012-12 Final Grand Prix 3d 559 Yuzuru Hanyu.JPG
基本情報
代表国: 日本の旗 日本
生年月日: 1994年12月7日(19歳)[1]
出生地: 宮城県仙台市泉区[1]
身長: 171 cm[2]
体重: 52 kg
コーチ: ブライアン・オーサー(2012-)[3]
トレイシー・ウィルソン
元コーチ: 阿部奈々美(-2012)[4][5][6]
都築章一郎[6]、松田達義[7]、関徳武[7]
武者愛[4][5]
振付師: ジェフリー・バトル[6]
デヴィッド・ウィルソン[6]
元振付師: 関徳武[7]
阿部奈々美[4]
ナタリア・ベステミアノワ
イゴール・ボブリン
所属クラブ: 全日本空輸(ANA)[8]
ISU パーソナルベストスコア
トータルスコア: 293.25 2013 GPファイナル
ショートプログラム: 101.45 2014 ソチ五輪
フリースケーティング: 193.41 2013 GPファイナル
 
獲得メダル
フィギュアスケート
オリンピック
2014 ソチ 男子シングル
世界選手権
2012 ニース 男子シングル
2014 さいたま 男子シングル

羽生 結弦(はにゅう ゆづる、1994年12月7日[4][7] - )は、日本フィギュアスケート選手(男子シングル)。2014年ソチオリンピック男子シングル金メダリスト。2014年世界選手権優勝、2013年GPファイナル優勝、2010年世界ジュニア選手権優勝など。

人物[編集]

宮城県仙台市泉区出身。仙台市立七北田小学校仙台市立七北田中学校東北高等学校を経て、早稲田大学人間科学部人間情報科学科(eスクール)在学中[9]血液型B型。名前は「を結ぶように凛とした生き方をして欲しい」と父が命名した[2][10]。好きなアーティストとしてポルノグラフィティHi-Fi CAMP(羽生の地元である仙台出身)、BUMP OF CHICKENThe Sketchbookなどを挙げている[2][11][12]。音楽をどこででも聴けるようにイヤホンに凝っていて、収集をしている。プロ野球は、幼少期から広島東洋カープのファンで、憧れの選手は前田健太である[2][13]

尊敬する選手はエフゲニー・プルシェンコ[14]ジョニー・ウィアー[※ 1]荒川静香[10]。 荒川静香については、同じアイスリンク仙台で育ち、東北高、早稲田大でも先輩・後輩の間柄である。また、荒川が得意としたレイバックイナバウアーを自身の演技に取り入れている。 プルシェンコについては自著『蒼い炎』でも綴られており、7歳の時にテレビで見た2002年(平成14年)のソルトレイクシティ五輪での彼の演技を見て以来、マッシュルームカットの髪型も真似するほど心酔し、映像を何度も見ながら新しい技を覚え[15][16]ビールマンスピンを取り入れているのも、プルシェンコのビールマンスピンを見て憧れているからだという[17]。一時期、体調の関係でビールマンスピンを封印していたものの、今は再び演技に取り入れているが、コーチには体の負担が大きいのでもうやらない方がいいと言われている[要出典]。一方のプルシェンコは、2012年のインタビューで、日本のライバル・羽生について記者から質問された際、「非常に素晴らしいスケーターで、アーティストであり、ジャンプがいい。彼を見ていると昔の自分を思い出す。まだ17歳と若いが、私が見る限り、彼がナンバーワンだ。」と述べた[18]。また他にも、2009年のアイスショーや2013年のインタビューでも羽生を高く評価する発言を残している。 ソチオリンピックのインタビューでは、「私は彼のヒーローだったかもしれないが、今は彼が私のヒーローになっている」と語り[19]、羽生のフリー演技終了後には、自身のTwitter上で、「私のアイドルだ。よく頑張った。彼は天才だ」と羽生を絶賛した[17][20]

スケート技術[編集]

2種類の4回転ジャンプトウループサルコウ)を跳ぶことができる[※ 2]。また、普通は成功するのに2年、3年かかると言われている4回転ジャンプをイメージを頼りに一回目で成功させるという優れた才能の持ち主でもある。 踏み切る足でのカウンター、またはスプレッドイーグルからの3回転アクセルGOEで高い評価を得ている[※ 3]。練習やアイスショーなどでは、3回転アクセル-3回転アクセル、4回転トウループ-3回転アクセルなどのジャンプシークエンスを成功させている[21][22]フリップは踏み切りがアウトサイドになる癖がありエッジエラーの判定を受けていたが、2011-2012シーズンより矯正に成功している。

柔軟性がとても高く、体が柔らかいためビールマンスピン[5]やドーナツスピン、レイバックイナバウアーが得意。[23]。ハイドロブレードも得意。

演技前には「軸がぶれないように」と胸の前で「士」の字を書くようなおまじないをしている[24]喘息(ぜんそく)の持病があり、他の選手より持久力面で劣ると指摘されることがある[25]

ソチ五輪時のインタビューでは、新たな4回転ジャンプや4回転の連続ジャンプにも挑戦していることを明かした。ループはあともう少し[26]アクセルにいたっては4分の1アンダー(回転不足)で転ぶくらいで、ある程度は回れる段階まできている[27]

2014年4月7日の練習で、4回転ループを成功させ、9日にショーで成功させた。大会で認定されれば、史上初になる。(朝日新聞デジタル 2014月4月10日)

経歴[編集]

ジュニア以前[編集]

1998年の長野五輪フィギュアスケート競技では、日本代表7人中4人(田村岳斗本田武史荒川静香荒井万里絵)が仙台市の東北高等学校に在学中の高校生選手で、かつ、4人とも長久保裕コーチの教え子だった[28]。すると、仙台ではフィギュアスケートブームが起こり、長久保コーチや4選手が所属するダイエー系列のスケートリンク(現・アイスリンク仙台)で佐野稔が開催した子供スケート教室に姉が通い始め、その姉の影響により[6]羽生も4歳でスケートを始めた[1][2][29][30]。同じダイエー系列の新松戸アイスアリーナが2002年1月に閉鎖になると、同アリーナの都築章一郎コーチが仙台に移ってきて、小学2年から中学3年まで指導を受けた[31]。ホームリンクは経営者が変った後、2004年12月に閉鎖されたため、勝山スケーティングクラブ(仙台市)に移った。2006年2月のトリノ五輪フィギュアスケート女子シングルで金メダルを獲得した荒川が、記者会見で仙台のアイススケート環境の悪化を懸念していると訴えて全国に報道されると、翌月の仙台市中心部での凱旋パレード[※ 4]および「県民栄誉賞」等授与もあって県内世論が喚起され、2007年3月22日にアイスリンク仙台として営業を再開した。すると、羽生も練習拠点を同リンクに戻した。4月に入って荒川が再開間もない同リンクを訪れると仙台放送情報ライブMovin'」で生中継がなされ、荒川の子供スケート教室に参加した羽生が、荒川に指導されて五輪のメダルを目指す気持ちが高まった旨を語り、荒川の代名詞であるレイバック・イナバウアーを本人の前で初披露する模様が放送された。

2007-2008シーズン、まだノービスの選手(中学1年)ながら全日本ジュニア選手権で3位となる。ノービスの選手が全日本ジュニア選手権の表彰台に上がるのは日本男子史上初[32]

2008-2009シーズンからジュニアに上がり、ISUジュニアグランプリ (JGP)に参戦。全日本ジュニア選手権で初優勝を果たし、初出場となった全日本選手権では出場選手中最年少ながら8位に入る。世界ジュニア選手権でも大会最年少ながら12位となった。

2009-2010シーズン、初戦のJGP トルン杯でJGP初優勝。続くクロアチア杯でも優勝し、JGPファイナルでは史上最年少(14歳)で総合優勝を果たした[※ 5]。全日本ジュニア選手権では2連覇を達成し、全日本選手権ではショートプログラム13位から、フリースケーティングの演技後半に3回転アクセル-3回転トウループ-2回転トウループのコンビネーションジャンプを決めるなどして追い上げ、総合6位となった。世界ジュニア選手権ではフリースケーティングで大幅にパーソナルベストを更新して優勝。日本人男子として4人目の世界ジュニアチャンピオンになった[※ 6]。2010年4月、東北高等学校に進学。

シニア移行後[編集]

2010-2011シーズン、シニアデビュー戦となったISUグランプリシリーズNHK杯で、フリースケーティングで自身初となる4回転トウループを成功させ4位に入った。出場3回目の全日本選手権では4位となり、四大陸選手権の代表に選出された。2011年2月に開催された四大陸選手権ではショートプログラム、フリースケーティング共にパーソナルベストを更新する演技を見せ初出場ながら銀メダルを獲得、男子選手としては四大陸選手権史上最年少のメダリストとなった。

3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生。地震発生時には仙台市のアイスリンク仙台で競技の練習中であり、スケート靴を履いたまま外へ避難した。羽生本人や家族、阿部コーチやリンクメイトは無事であったが、同リンクは被災して営業休止になり、自宅も大きな被害を受けたため避難所で4日間過ごした[33]震災で多くの死者・行方不明者が発生し、大勢の避難者が避難所生活をしている中、スケート続けることへの疑問を抱いていたが、自身が在学する東北高校野球部が避難所でボランティアをしながら第83回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)に出場し、3月28日の初戦を全力で戦っている姿をテレビで観て、スケートへの意欲を取り戻した[34]兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)の41日前に生まれた羽生は、4月9日に開催された兵庫県スケート連盟主催「東日本大震災チャリティー演技会 ~復興の街、神戸から~」に招待され、東北高校の先輩の田村・本田・荒川らと演技を披露した[35]。4月からは、テクノルアイスパーク新井田(青森県八戸市)や、かつて師事した都築コーチがいる神奈川スケートリンク(神奈川県横浜市)を仮の拠点とし、復興支援目的のアイスショーへ多数出演して各地を転々としながら練習を続けた[33][36][37]7月24日、アイスリンク仙台が営業を再開したため、羽生も拠点を戻した。

世界選手権で初の銅メダル獲得[編集]

2011年中国杯でのビールマンスピン

2011-2012シーズン、9月にはネーベルホルン杯に出場し、シニアクラスの国際大会では初の優勝を果たす。ISUグランプリシリーズでは中国杯で4位に終わるも、続くロステレコム杯でグランプリシリーズ初優勝を果たし、ISUグランプリファイナル進出を決める。初のISUグランプリファイナルでは、総合得点でパーソナルベストを更新するが、1.73点の僅差で表彰台に届かず4位となる。全日本選手権では、ショートプログラムで4位と出遅れたが、フリースケーティングで1位となり総合3位、これにより自身初の世界選手権の代表に選出された。

その世界選手権ではショートプログラムでは7位にとどまったものの、フリーでは中盤繋ぎの部分で転倒するアクシデントを起こしながらも躍進して2位、初出場ながらもいきなり総合で3位に入り銅メダルを獲得。また高橋大輔とともに、日本人男子2人が同時に世界選手権の表彰台に立つ史上初の快挙となった[38]。特に技術要素点では高橋、パトリック・チャンらを上回る今大会最高の点数をマークした[39]。なお17歳3ヶ月での世界選手権メダル獲得も、日本男子選手では羽生が最年少記録となった[※ 7]

全日本選手権初優勝[編集]

2012-2013シーズンに向けて、4月にコーチをブライアン・オーサーに変更し[3]、夏からはコーチがいるカナダトロントに練習拠点を移した[40]

2012-2013シーズン、フィンランディア杯ではフリーでトゥループとサルコウの2種類の4回転ジャンプを成功させ優勝。グランプリシリーズでは初戦のスケートアメリカ、地元・宮城県で開催された第2戦のNHK杯と、2戦続けてショートプログラムで歴代最高得点を更新、GPファイナルでは2位となった。全日本選手権では初優勝を果たした。

四大陸選手権では、ショートプログラムでは1位だったものの、フリーでは4回転サルコウが2回転に、3回転ルッツが1回転になるミスがあり3位。総合得点では2位になった。しかし世界選手権では、2月からの体調不良と左膝の故障の影響からSPでは精彩を欠き9位と出遅れた。更にフリーの公式練習で右足首を故障したが、満身創痍で臨んだフリーでは3位となり、総合では4位になった[41]。左膝の故障の為、2013年世界フィギュアスケート国別対抗戦は辞退した[42]。2013年4月に早稲田大学に進学した。

GPファイナル初優勝・ソチ五輪選出[編集]

2013-2014シーズンを前に、2013年7月1日全日本空輸 (ANA) と所属契約した[43]。シーズンインするとフィンランディア杯で2年連続の優勝。スケートカナダエリック・ボンパール杯は共にパトリック・チャンに次ぐ2位。福岡市で開催された2013年GPファイナルではショートプログラムの歴代最高得点を更新、フリーでは自己ベストを大幅に更新し総合1位でGPファイナル初優勝を果たす。続く全日本選手権では2連覇[44]を達成し、ソチオリンピックに初選出された。

ソチオリンピックで金メダル獲得[編集]

2014年2月、ロシアで開催のソチオリンピック本番では、同大会から新種目としてスタートした団体戦でショートプログラム1位となるが、日本代表の最終結果は総合5位に留まった[45]

ソチオリンピック男子シングル個人種目では、ショートプログラムで完璧な演技を披露して101.45点をマーク、公式大会世界最高得点かつ史上初の100点超えを達成し首位に立った。しかしフリースケーティングでは、冒頭の4回転サルコウで転倒、直後の4回転トウループは成功したものの、3回転フリップで再び着氷失敗。演技後半の3回転アクセルからのコンビネーションは2回共成功させたが、3回転ルッツ-1回転ループの直後3回転サルコウが認定されないなど波に乗れずに終了、過去の自己最高には程遠い178.64点になった[46]。フリー演技終了直後のインタビューでは「全然動かなかった。(本番直前の)6分間練習から焦っていた。はっきりいって自分の演技に満足していない。終わった後は、金メダルは駄目かなと思った」と語っていた[47]

SPで2位につけていたパトリック・チャン(カナダ)が羽生の直後に滑走。冒頭でいきなり4回転-3回転トウループのコンビネーションを成功させる。だがその後、単独の4回転トウループと3回転アクセルで手を着き、さらに終盤の2回転アクセルでもバランスを崩すなど細かな着氷ミスが続いてしまい、羽生のフリーの得点を上回れず銀メダルに終わった[48]。その後に滑走した2選手もメダル圏内には及ばず、結果羽生はフィギュアスケート男子シングルの種目において、日本人初(アジア人でも初)となる冬季オリンピックでの金メダルを獲得した[49][50]。表彰後のインタビューでは羽生は笑顔をあまり見せなかったが、その理由について、「東日本大震災のことが一番大きい。僕は何ができたのかなと。(練習拠点を移すためカナダの)トロントに行って、震災が起きたところから離れた。こんなことで良かったのかなというのもあった。(さらに)ベストの演技ができなかったという気持ちと、(金メダルの)実感が湧かないというのもある」と語り、「宮城県、仙台市、東北、被災地の支援をしてくださった方々がたくさんいると思うので、感謝の気持ちを持っておかなきゃいけない」と、被災地の人々への謝辞を述べた[47]

2014年2月14日時点で羽生は19歳65日という年齢であり、フィギュアスケート男子シングルの金メダリストとしてはディック・バトンアメリカ合衆国)が1948年サンモリッツオリンピックで優勝した際の18歳202日に次ぐ史上2番目の年少記録となり、66年ぶり2人目の10代での金メダリストになった[51][52]。更にオリンピック初出場で金メダルを獲得したのは、ウルリッヒ・サルコウイリヤ・クーリックに次いで史上3人目。ソチオリンピックでは日本人唯一の優勝、また平成生まれの日本人として史上初の冬季五輪金メダル獲得となり、又さらに日本選手で過去冬季五輪の金メダリストは記念すべき10人目となった。

世界選手権初優勝[編集]

自国・さいたま市で開催の世界選手権では、ショートプログラムで4回転トウループで転倒してしまい3位と出遅れた。しかしフリースケーティングは、国際スケート連盟主催の大会で自身初の4回転サルコウジャンプを成功させるなど、ほぼパーフェクトな演技で総合首位に。結果総合2位の町田樹に合計得点では0.33点の僅差でかわして見事に逆転優勝。2010年世界選手権の高橋大輔以来、日本男子シングル種目では4年ぶり2人目の世界チャンピオンとなった。またGPファイナル・冬季オリンピック・世界選手権とフィギュアスケート主要3大会を1シーズン全てでの優勝は、2001-2002年シーズンのアレクセイ・ヤグディン(ロシア)以来、男女シングル通じて史上2人目の快挙達成である。

主な戦績[編集]

大会/年 2006-07 2007-08 2008-09 2009-10 2010-11 2011-12 2012-13 2013-14
冬季オリンピック 1
世界選手権 3 4 1
四大陸選手権 2 2
全日本選手権 8 6 4 3 1 1
GPファイナル 4 2 1
GPエリック杯 2
GPスケートカナダ 2
GPスケートアメリカ 2
GPNHK杯 4 1
GP中国杯 4
GPロシア杯 7 1
フィンランディア杯 1 1
ネーベルホルン杯 1
世界Jr.選手権 12 1
全日本Jr.選手権 7 3 1 1
JGPファイナル 1
JGPクロアチア杯 1
JGPトルン杯 1
JGPメラーノ杯 5
スケートコペンハーゲン 1 N
  • N = ノービスクラス

詳細[編集]

2014ソチオリンピック金メダル
(中央が羽生)
2013-2014 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2014年3月24日-30日 2014年世界フィギュアスケート選手権さいたま 3
91.24
1
191.35
1
282.59
2014年2月6日-22日 ソチオリンピックソチ 1
101.45
1
178.64
1
280.09
2014年2月6日-22日 ソチオリンピック 団体戦(ソチ 1
97.98
- 5
団体
2013年12月20日-23日 第82回全日本フィギュアスケート選手権さいたま 1
103.10
1
194.70
1
297.80
2013年12月5日-8日 2013/2014 ISUグランプリファイナル福岡 1
99.84
1
193.41
1
293.25
2013年11月15日-17日 ISUグランプリシリーズ エリックボンパール杯パリ 2
95.37
2
168.22
2
263.59
2013年10月25日-27日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダセントジョン 3
80.40
2
154.40
2
234.80
2013年10月4日-6日 2013年フィンランディア杯エスポー 1
84.66
1
180.93
1
265.59


2012-2013 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2013年3月10日-17日 2013年世界フィギュアスケート選手権ロンドン 9
75.94
3
169.05
4
244.99
2013年2月6日-11日 2013年四大陸フィギュアスケート選手権大阪 1
87.65
3
158.73
2
246.38
2012年12月20日-24日 第81回全日本フィギュアスケート選手権札幌 1
97.68
2
187.55
1
285.23
2012年12月6日-9日 2012/2013 ISUグランプリファイナルソチ 3
87.17
2
177.12
2
264.29
2012年11月23日-25日 ISUグランプリシリーズ NHK杯利府 1
95.32
1
165.71
1
261.03
2012年10月19日-21日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカケント 1
95.07
3
148.67
2
243.74
2012年10月4日-7日 2012年フィンランディア杯エスポー 2
75.57
1
172.56
1
248.13


2011-2012 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2012年3月26日-4月1日 2012年世界フィギュアスケート選手権ニース 7
77.07
2
173.99
3
251.06
2011年12月22日-25日 第80回全日本フィギュアスケート選手権門真 4
74.32
1
167.59
3
241.91
2011年12月8日-11日 2011/2012 ISUグランプリファイナルケベック・シティー 4
79.33
3
166.49
4
245.82
2011年11月25日-27日 ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯モスクワ 2
82.78
2
158.88
1
241.66
2011年11月4日-6日 ISUグランプリシリーズ 中国杯上海 2
81.37
4
145.16
4
226.53
2011年9月21日-24日 2011年ネーベルホルン杯オーベルストドルフ 1
75.26
1
151.00
1
226.26


2010-2011 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2011年2月15日-20日 2011年四大陸フィギュアスケート選手権台北 3
76.43
3
151.58
2
228.01
2010年12月24日-27日 第79回全日本フィギュアスケート選手権長野 2
78.94
4
141.12
4
220.06
2010年11月19日-21日 ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯モスクワ 6
70.24
6
132.42
7
202.66
2010年10月22日-24日 ISUグランプリシリーズ NHK杯名古屋 5
69.31
4
138.41
4
207.72


2009-2010 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2010年3月8日-14日 2010年世界ジュニアフィギュアスケート選手権ハーグ 3
68.75
1
147.35
1
216.10
2009年12月25日-27日 第78回全日本フィギュアスケート選手権大阪 13
57.99
5
137.23
6
195.22
2009年12月3日-6日 2009/2010 ISUジュニアグランプリファイナル東京 3
69.85
1
136.92
1
206.77
2009年11月21日-23日 第78回全日本フィギュアスケートジュニア選手権横浜 1
76.00
2
118.15
1
194.15
2009年10月7日-10日 ISUジュニアグランプリ クロアチア杯ザグレブ 1
70.78
1
130.37
1
201.15
2009年9月9日-13日 ISUジュニアグランプリ トルン杯トルン 1
66.77
1
131.88
1
198.65


2008-2009 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2009年2月23日-3月1日 2009年世界ジュニアフィギュアスケート選手権ソフィア 11
58.18
13
103.59
12
161.77
2008年12月25日-27日 第77回全日本フィギュアスケート選手権長野 8
64.50
5
117.15
8
181.65
2008年11月21日-23日 第77回全日本フィギュアスケートジュニア選手権名古屋 4
57.25
1
124.92
1
182.17
2008年9月3日-7日 ISUジュニアグランプリ メラーノ杯メラーノ 6
51.06
4
95.62
5
146.68


2007-2008 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2007年11月24日-25日 第76回全日本フィギュアスケートジュニア選手権仙台 7
49.55
1
111.47
3
161.02


2006-2007 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2006年11月25日-26日 第75回全日本フィギュアスケートジュニア選手権広島 18
38.80
4
90.16
7
128.96


プログラム使用曲[編集]

シーズン SP FP EX
2013-2014[53] パリの散歩道
曲:ゲイリー・ムーア
振付:ジェフリー・バトル
映画『ロミオとジュリエット』より
作曲:ニーノ・ロータ
振付:デヴィッド・ウィルソン
練習曲第12番 嬰ニ短調「悲愴」
作曲:アレクサンドル・スクリャービン
編曲:トルガ・カシフ
演奏:マキシム
振付:阿部奈々美

ノートルダム・ド・パリ
作曲:リカルド・コッチアンテ
振付:デヴィッド・ウィルソン

Story
ボーカル:AI
振付:宮本賢二

ホワイト・レジェンド
バレエ音楽『白鳥の湖』より
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
編曲・演奏:川井郁子
映画『ロミオ+ジュリエット』より
映画『Plunkett & Macleane』より
作曲:クレイグ・アームストロング
振付:阿部奈々美

花になれ
曲:指田郁也
振付:宮本賢二
2012-2013 ノートルダム・ド・パリ
作曲:リカルド・コッチアンテ
振付:デヴィッド・ウィルソン
花になれ
曲:指田郁也
振付:宮本賢二
ハロー・アイ・ラヴ・ユー
曲:ドアーズ
振付:カート・ブラウニング
2011-2012 練習曲第12番 嬰ニ短調「悲愴」
作曲:アレクサンドル・スクリャービン
編曲:トルガ・カシフ
演奏:マキシム
振付:阿部奈々美
映画『ロミオ+ジュリエット』より
映画『Plunkett & Macleane』より
作曲:クレイグ・アームストロング
振付:阿部奈々美
ホワイト・レジェンド
バレエ音楽『白鳥の湖』より
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
編曲・演奏:川井郁子
サムバディ・トゥ・ラヴ
曲:ジャスティン・ビーバー
ヴァーティゴ
曲:U2
2010-2011 ホワイト・レジェンド
バレエ音楽『白鳥の湖』より
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
編曲・演奏:川井郁子
振付:阿部奈々美
ツィゴイネルワイゼン
作曲:パブロ・デ・サラサーテ
振付:阿部奈々美
ヴァーティゴ
曲:U2
2009-2010 ザ・ベイト
ベア・アイランド
映画『ミッション:インポッシブル2』より
作曲:ハンス・ジマー
振付:阿部奈々美
パガニーニの主題による狂詩曲
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
振付:阿部奈々美
CHANGE
ボーカル・演奏:MONKEY MAJIK+吉田兄弟
2008-2009[4][54] ボレロ
映画『ムーラン・ルージュ』より
作曲:スティーブ・シャープルズ
振付:阿部奈々美[54]
2007-2008 シング・シング・シング
作曲:ルイ・プリマ
振付:阿部奈々美[54]
火の鳥
作曲:イーゴリ・ストラヴィンスキー
振付:阿部奈々美[54]
アマゾニック
作曲:Tonci Huljic 演奏:マキシム
死の舞踏
作曲:Franz Liszt 演奏:マキシム
2005-2006[7] - サマーストーム
「四季」より「夏」
作曲:ヴィヴァルディ
編曲・演奏:川井郁子
-

CM[編集]

  • P&G「ママの公式スポンサー」キャンペーン(2013年12月 - 、高橋大輔と共演)
  • 全日本空輸(ANA)「ANA応援CMソチオリンピック日本代表編」 (2014年2月8日 - 2014年2月23日)

書籍[編集]

  • 蒼い炎(2012年4月20日、扶桑社

その他[編集]

  • 2014年2月6日、羽生がファンであると公言するHi-Fi CAMPの元メンバーが所属するパンダライオンが制作した羽生の応援歌「夢に描くキセキ」にのせて、羽生の地元・仙台にゆかりのある多数の著名人や羽生に関わりのある人物など総勢145名が、自筆メッセージを書いた紙を手に持って出演する動画『羽生結弦応援PROJECT「仙台が繋いだキズナ」』がYouTube上に投稿された[55]。この動画は羽生も閲覧していると発言しており、コメント欄を通じて応援メッセージを羽生に届ける場となっている[55]。金メダル獲得後は、祝福が綴られる場となっている。
  • BUMP OF CHICKENのファンでもあり、同バンドの楽曲「Stage of the ground」の英訳歌詞をプリントしたジャージを着て練習をしていた[56]
  • 「いつも変わらないあの表情をみるとリラックスできるから」との理由でくまのプーさんを好んでいる。また、フィギュア選手の練習に欠かせないティッシュもプーさんのケースに入れ、ほぼ毎回試合の際に持参している。[57][58]
  • スケート靴の調整は、中学生の頃から仙台市に工房を構える阿部年伸(阿部奈々美の夫)が担当している[59]。海外に拠点を移してからも小包で送るか帰国時に持ち込んで調整を依頼しており、工房でも羽生専用の研磨機を用意して対応している[60]
  • ソチ五輪のSPで使用したゲイリー・ムーアの「パリの散歩道」(Parisienne Walkways) が、団体SPの翌2月8日から16日までレコチョクデイリーランキングの洋楽ロック部門で1位になった[61]。また、同曲が収録されたムーアのベスト盤CDが、アマゾンの通販サイトにおいてベストセラーチャート「ハードロック部門」で1位になった[61]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 『蒼い炎』p139-140。2010-2011のフリースケーティングで着用し衣装デザインもウィアーが手掛けている。
  2. ^ ISU公認の公式大会での4回転サルコウの成功は2012年のNHK杯のみ。
  3. ^ 例として2011年GPファイナルFSのGOE加点2.14 (PDF)2012年世界選手権FSのGOE加点2.14 (PDF) など
  4. ^ 羽生結弦に聞く 4回転×3回「可能性ゼロではない」(朝日新聞 2014年4月11日) … 羽生も観客の立場で荒川のパレードを観覧した。
  5. ^ 日本人選手の優勝は2005-2006シーズンの小塚崇彦以来2人目。
  6. ^ 2002年高橋大輔2005年織田信成2006年小塚崇彦に続く4人目
  7. ^ 以前は本田武史2002年世界選手権で銅メダルを獲得した当時で20歳11ヶ月だった。尚、世界の最年少記録はプルシェンコの15歳4か月である。

出典[編集]

  1. ^ a b c 『蒼い炎』p168
  2. ^ a b c d e 羽生、男子史上初の金!!歴史の扉開いた19歳/フィギュア (5/5ページ) - サンケイスポーツ、2014年2月17日更新
  3. ^ a b 金妍児育てたブライアン・オーサー氏、羽生のコーチに『産経ニュース』2012年4月25日
  4. ^ a b c d e 『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、p.119
  5. ^ a b c 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009男子シングル読本』ダイエックス出版、2008年9月、p.32
  6. ^ a b c d e 国際スケート連盟による羽生結弦のバイオグラフィー
  7. ^ a b c d e 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.44
  8. ^ フィギュアスケート 羽生結弦選手全日本空輸(ANA)、2014年4月16日閲覧。
  9. ^ フィギュアの羽生結弦、来年早大に進学”. スポニチ (2012年12月23日). 2012年12月23日閲覧。
  10. ^ a b 「羽生結弦、世界ジュニア逆転V!」 - スポーツ報知、2010年3月12日更新
  11. ^ オフィシャルサイトより
  12. ^ ユヅくんお守りは「アポログラフィティ」 - 音楽ニュース ... - 日刊スポーツ
  13. ^ 羽生結弦(フィギュアスケート) 15歳「4回転どんどん」 - 朝日新聞デジタル羽生“マエケン流ジャンプ”研究”. デイリースポーツ (2013年2月12日). 2013年2月12日閲覧。フィギュア羽生の憧れはマエケン | 東スポWeb – 東京スポーツ
  14. ^ 『蒼い炎』p139
  15. ^ 羽生、「類いまれな表現力ある子だった」産経ニュース、2014年2月15日
  16. ^ 羽生、カナダで支えたのはおふくろの味/フィギュアサンスポ、2014年2月16日
  17. ^ a b プルシェンコ、羽生のコーチに名乗り「可能性は確かにある」スポニチ、2014年2月16日
  18. ^ 2012年2月2日 共同通信インタビュー
  19. ^ 「“本当の1位”の味を知りたい」羽生選手が著書で語った理想の王者像日刊SPA!、2014年2月19日
  20. ^ 皇帝・プルシェンコ「ユヅルは私のアイドル」 ツイッターで羽生祝福産経ニュース、2014年2月15日
  21. ^ 『Cutting Edge 2011 +Plus』p65、スキージャーナル株式会社
  22. ^ Sell it Hanyu, sell it! - Universal Sports、2011年9月14日更新
  23. ^ フィギュア四大陸選手権で2位と大活躍した羽生結弦選手の素顔に迫りました。 - FNNニュース、2011年2月23日更新
  24. ^ 佳菜子が刺激!羽生デビュー戦5位…フィギュア NHK杯 - スポーツ報知、2010年10月24日更新
  25. ^ 羽生結弦は「少女マンガの主人公のよう」(サーチナ 2014年2月15日)
  26. ^ 羽生次の目標は世界初のジャンプ「野望を抱いている」(スポニチアネックス 2014年2月23日)
  27. ^ 羽生“新ジャンプ”開発「初めて跳んだ人になりたい」(東スポWeb  2014年2月23日)
  28. ^ フィギュア三都物語@仙台(上) 指導者が泣いた日 / 「最高のプレゼント」(中日新聞 2013年8月27日)
  29. ^ <フィギュアスケート> 羽生結弦 金メダルの裏に橋本団長の喝!(THE PAGE 2014年2月15日)
  30. ^ 羽生結弦の金メダルは歴史の上に。仙台人として、そして日本男子として。文藝春秋「NumberWeb」 2014年2月16日)
  31. ^ 羽生結弦 金メダルの陰に「夢捨てて支えてくれた姉の存在」【羽生結弦】女性自身 2014年2月18日)
  32. ^ 『蒼い炎』p31
  33. ^ a b フィギュア・羽生 被災地へ届け、16歳の「勇気の舞」 - 日本経済新聞、2011年4月16日
  34. ^ 羽生が震災乗り越え「スケートしかない」(日刊スポーツ 2011年4月15日)
  35. ^ 東日本大震災チャリティー演技会~復興の街、神戸から~(エフスケーティングネット)
  36. ^ 羽生選手の八戸への“凱旋”心待ちデーリー東北 2014年2月16日)
  37. ^ 『Cutting Edge 2011 +Plus』p59, スキージャーナル株式会社
  38. ^ 世界フィギュア:高橋、銀 羽生は銅 - 毎日新聞、2012年4月1日
  39. ^ 世界フィギュア:羽生、フリーで高橋上回り「びっくり」 - 毎日新聞、2012年4月1日
  40. ^ 完璧でなかったが十分…羽生のコーチ「誇りに」(読売新聞 2014年2月16日)
  41. ^ 渾身の演技で、ソチ五輪出場3枠を死守した18歳の羽生Number web、2013年3月16日
  42. ^ 羽生 国別対抗戦代表から外れる 故障左膝は1か月の安静 スポーツニッポン、2013年3月21日
  43. ^ フィギュアスケ-ト・羽生結弦選手との所属契約締結について(ANAプレスリリース 第13-062号 2013年7月1日)
  44. ^ 羽生、ソチ五輪切符! フリーも圧倒 全日本2連覇達成 スポーツニッポン 2013年12月22日閲覧
  45. ^ Olympic Winter Games Sochi2014 Team Result 国際スケート連盟
  46. ^ “羽生のフリー、2回転倒も暫定首位”. MSN産経ニュース. (2014年2月15日). http://sankei.jp.msn.com/sochi2014/news/140215/soc14021503430005-n1.htm 2014年2月15日閲覧。 
  47. ^ a b “羽生 苦しんだフリー「全然動かなかった。6分間練習から焦っていた」”. Sponichi Annex. (2014年2月15日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/02/15/kiji/K20140215007593130.html 2014年2月15日閲覧。 
  48. ^ “羽生を“挑発”したチャン、自身も五輪の重圧に飲まれる…”. Sponichi Annex. (2014年2月15日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/02/15/kiji/K20140215007592550.html 2014年2月15日閲覧。 
  49. ^ 全力応援!ソチオリンピック”. 日本放送協会. 2014年2月15日閲覧。
  50. ^ 羽生、金メダル フィギュア男子 男子シングル日本人初”. 朝日新聞. 2014年2月15日閲覧。
  51. ^ 羽生、悲願の金メダルも…第一声は「すいません、ホントに」 スポーツニッポン 2014年2月15日閲覧
  52. ^ 羽生が日本男子初「金」10代優勝66年ぶり日刊スポーツ、2014年2月15日
  53. ^ 羽生、五輪は「ロミオとジュリエット」で フィギュアスケート
  54. ^ a b c d 「2008全日本選手権レポート 男子シングル」『フィギュアスケートDays vol.8』ダイエックス出版、2009年2月、pp.26-29
  55. ^ a b 羽生応援歌に仙台オールスター集合 さとう宗幸、サンドら145人(スポーツニッポン 2014年2月8日)
  56. ^ BUMP OF CHICKENも羽生祝福(デイリースポーツ 2014年2月16日)
  57. ^ 羽生 プーさんパスタ持って行く (日刊スポーツ 2014年1月23日)
  58. ^ 羽生ピンチ!?愛用プーさん“使えず”「寂しい」 (スポニチ 2014年2月5日)
  59. ^ 仙台・泉にフィギュアスケート用品専門店-元プロ選手が夫と開業(仙台経済新聞 2008年7月17日)
  60. ^ エース支える研ぎの技 フィギュア・羽生選手 ← 仙台の職人・吉田さん(河北新報 2014年2月8日)
  61. ^ a b 羽生効果だ! SP使用曲、レコチョク洋楽ロック部門9日連続首位(スポーツニッポン 2014年2月18日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]