栗原小巻

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くりはら こまき
栗原 小巻
本名 栗原 小巻(同じ)
生年月日 1945年3月14日(69歳)
出生地 日本の旗 日本東京都世田谷区
職業 女優
ジャンル 舞台映画テレビドラマ
活動期間 1967年 -
活動内容 1963年俳優座養成所入所(15期生)
家族 父:栗原一登(1911年5月24日-1994年12月19日、日大芸術学部卒)
主な作品
映画
戦争と人間(第一部、第二部)
いのちぼうにふろう
忍ぶ川
サンダカン八番娼館 望郷
八甲田山
テレビドラマ
三姉妹大河ドラマ
樅ノ木は残った(大河ドラマ)
黄金の日日(大河ドラマ)
関ヶ原
初婚・再婚

栗原 小巻(くりはら こまき、1945年3月14日 - )は、日本女優である。本名同じ[1]東京都世田谷区出身。父は劇作家栗原一登

人物・来歴[編集]

当初はヴァイオリニストになることを断念。桐朋女子を経てバレリーナを目指し東京バレエ学校に通っていたが、演技の基礎が必要と教師に言われる。故に同校を卒業した後、1963年劇団俳優座に入った[2]1968年の『三人姉妹』(チェーホフ)で注目を浴び、以降、舞台、テレビドラマを中心に活動している。未婚

テレビでは1964年に『虹の設計』でテレビドラマデビュー。1967年NHK大河ドラマ三姉妹』における主人公の妹役で知られるようになり、その後の大河ドラマ『樅ノ木は残った』(1970年)で精神崩壊する悲運のヒロインを演じた。大河ドラマ『黄金の日日』(1978年)にも出演した。

映画女優としても高橋治監督の『ゴメスの名はゴメス』(1967年)で初出演。1972年の『忍ぶ川』で、加藤剛相手に大胆なベッドシーンを見せた(毎日映画コンクール女優演技賞)。映画では他にも、『戦争と人間(第一部、第二部)』(1970年1971年)、『いのちぼうにふろう』(1971年)、『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年)、『八甲田山』(1977年)などがあり、『男はつらいよ』シリーズでは、『新・男はつらいよ』及び『柴又より愛をこめて』でマドンナ役を演じている。

70年代に入ると舞台女優としての評価も高まり、多くの賞を受賞する。

ロシア(旧ソ連)との繋がりも深く、1981年には日本で初めてソ連の演出家(A・エーフロス)を招いて行った舞台公演『櫻の園』に主演した。日ソ合作映画にも主演(『モスクワわが愛』(1974年)、『白夜の調べ』(1978年)、『未来への伝言』(1990年))。『未来への伝言』では企画も担当した。読書アンケートでも、愛読書の一つにレフ・トルストイ戦争と平和』を挙げている。

イギリスの作曲家、ベンジャミン・ブリテンの作曲の「青少年のための管弦楽入門」の年少者向けクラシック音楽の解説も行う。(楽器の紹介をしながら作品のナレーションを行う日本語版作品)

1991年の中国映画『乳泉村の子』(謝晋監督、中国題名『清涼寺鐘聲』)にも主演し、日本中国文化交流協会代表理事も務めるなど中国との繋がりも深い。

クラシック・バレエを特技とし、映画の中でもその姿が見られる。また、ダークダックスと共にロシア・ソ連の歌を紹介するテレビ番組に出演したことがあり、ソロでLPレコードを発売したこともある。

熱狂的な男性ファンが多く、吉永小百合ファンが「サユリスト」と呼ばれたのに対し、栗原小巻ファンは「コマキスト」と呼ばれた。奇しくも吉永とは生年月日が1日違い。アイドル的存在として人気を分けたが、中年以降吉永が女優としての活動の主軸を映画に据えているのに対し、栗原はもともとのフィールドである舞台を中心としながらもテレビドラマの出演も少なくない。

出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

吹き替え[編集]

バラエティ[編集]

CM[編集]

書籍[編集]

  • 『ソビエト研究』第3号(1990年4月25日) 栗原小巻「ペレストロイカとソ連の芸術」
  • 『ロシアを友に 演劇・文学・人』 舞台公演『櫻の園』の立役者、宮澤俊一の著作。ISBN 4-905821-39-8

レコード[編集]

  • 『愛は蜃気楼のように』 (1984年, クラウンレコードGGA-109。2007年にBRIDGEレーベルからCDとして復刻された)

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 日本大学藝術学部で父の栗原一登の同僚だった三浦朱門によると、一登は「二人でも食いかねているのに、子供が生まれる。困ったな、困り切った、というので小巻という名前にした」と語っていたという。三浦朱門『朱に交われば…』p.33による。
  2. ^ 2013年4月に退団。