栗原小巻
| くりはら こまき 栗原 小巻 |
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| 本名 | 栗原 小巻(同じ) | ||||
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| 生年月日 | 1945年3月14日(68歳) | ||||
| 出生地 | |||||
| 職業 | 女優 | ||||
| ジャンル | 舞台、映画、テレビドラマ | ||||
| 活動期間 | 1967年 - | ||||
| 活動内容 | 1963年:俳優座養成所入所(15期生) | ||||
| 家族 | 父:栗原一登 | ||||
| 主な作品 | |||||
| 映画 戦争と人間(第一部、第二部) いのちぼうにふろう 忍ぶ川 サンダカン八番娼館 望郷 八甲田山 テレビドラマ 三姉妹(大河ドラマ) 樅ノ木は残った(大河ドラマ) 黄金の日日(大河ドラマ) 関ヶ原 初婚・再婚 |
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栗原 小巻(くりはら こまき、1945年3月14日 - )は、日本の女優である。本名同じ[1]。東京都世田谷区出身。父は劇作家の栗原一登。
桐朋女子を経て東京バレエ学校を卒業し後、1963年、劇団俳優座に入った。1968年の『三人姉妹』(チェーホフ)で注目を浴び、以降、舞台、テレビドラマを中心に活動している。未婚。
目次 |
人物・来歴 [編集]
テレビでは1967年のNHK大河ドラマ『三姉妹』における主人公の妹役で知られるようになり、その後の大河ドラマ『樅ノ木は残った』(1970年)で精神崩壊する悲運のヒロインを演じた。大河ドラマ『黄金の日日』(1978年)にも出演した。
映画女優としても『ゴメスの名はゴメス』(1967年)で初出演。1972年の『忍ぶ川』で、加藤剛相手に大胆なベッドシーンを見せた(毎日映画コンクール女優演技賞)。映画では他にも、『戦争と人間(第一部、第二部)』(1970年、1971年)、『いのちぼうにふろう』(1971年)、『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年)、『八甲田山』(1977年)などがあり、『男はつらいよ』シリーズでは、『新・男はつらいよ』及び『柴又より愛をこめて』でマドンナ役を演じている。
ロシア(旧ソ連)との繋がりも深く、1981年には日本で初めてソ連の演出家(A・エーフロス)を招いて行った舞台公演『櫻の園』に主演した。日ソ合作映画にも主演(『モスクワわが愛』(1974年)、『白夜の調べ』(1978年)、『未来への伝言』(1990年))。『未来への伝言』では企画も担当した。読書アンケートでも、愛読書の一つにレフ・トルストイ『戦争と平和』を挙げている。
イギリスの作曲家、ベンジャミン・ブリテンの作曲の「青少年のための管弦楽入門」の年少者向けクラシック音楽の解説も行う。(楽器の紹介をしながら作品のナレーションを行う日本語版作品)
1991年の中国映画『乳泉村の子』(謝晋監督、中国題名『清涼寺鐘聲』)にも主演し、日本中国文化交流協会代表理事も務めるなど中国との繋がりも深い。
クラシック・バレエを特技とし、映画の中でもその姿が見られる。また、ダークダックスと共にロシア・ソ連の歌を紹介するテレビ番組に出演したことがあり、ソロでLPレコードを発売したこともある。
吉永小百合ファンが「サユリスト」と呼ばれたのに対し、栗原小巻ファンは「コマキスト」と呼ばれた。奇しくも吉永とは生年月日が1日違い。アイドル的存在として人気を分けたが、中年以降吉永が女優としての活動の主軸を映画に据えているのに対し、栗原はもともとのフィールドである舞台を中心としながらもテレビドラマの出演も少なくない。
主な出演 [編集]
映画 [編集]
- ゴメスの名はゴメス・流砂(1967年5月27日、俳優座)
- ボルネオ大将 赤道に賭ける(1969年6月28日、東京映画)
- 尻啖え孫市(1969年9月13日、大映京都) - 小みち
- 新・男はつらいよ(1970年2月27日、松竹大船) - 春子
- 明日また生きる(1970年5月27日、俳優座)
- 戦争と人間 第一部 運命の序曲(1970年8月4日、日活) - 趙瑞芳
- 愛と死(1971年6月5日、松竹大船)
- 戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河(1971年6月12日、日活) - 趙瑞芳
- いのちぼうにふろう(1971年9月11日、俳優座映画放送=東宝) - おみつ
- 出所祝い(1971年10月30日、東京映画)
- 忍ぶ川(1972年5月25日、俳優座=東宝)
- 忍ぶ糸(1973年7月7日、東宝映画=俳優座)
- モスクワわが愛(1974年6月29日、東宝映画=モスフィルム)
- サンダカン八番娼館 望郷(1974年11月2日、東宝=俳優座映画放送) - 三谷圭子
- わが青春のとき(1975年6月7日、大映=俳優座映画放送) - 上条圭子
- 化石(1975年10月4日、俳優座映画放送=四騎の会)
- スリランカの愛と別れ(1976年5月29日、東宝映画=俳優座映画放送) - 井上慶子
- 喜劇 百点満点(1976年10月2日、東宝映画) - 左木和子
- 八甲田山(1977年6月4日、橋本プロ=東宝映像=シナノ企画) - 神田はつ子(神田大尉の妻)
- 白夜の調べ(1978年1月21日、東宝映画=モスフィルム)
- 水戸黄門(1978年12月23日、東映京都) - 由美
- 子育てごっこ(1979年1月20日、五月舎=俳優座映画放送)
- 配達されない三通の手紙(1979年10月6日、松竹) - 次女・紀子
- ひめゆりの塔(1982年6月12日、芸苑社) - 宮城先生
- 菩提樹の丘(1985年2月9日、東宝=集英社)
- 男はつらいよ 柴又より愛をこめて(1985年12月28日、松竹) - 真知子
- 花の季節(1990年2月27日、東京ビジュアルネットワーク)
- カンバック(1990年10月20日、ガッツエンタープライズ) - 節子
- 未来への伝言(1990年11月24日、仕事=モスフィルム)
- 戦争と青春(1991年) - モントリオール世界映画祭エキュメニカル賞
- 乳泉村の子(清涼寺的鐘聲、1992年、中国映画)
- ミラーを拭く男(2004年8月7日、日本スカイウエイ=パル企画=イエス・ビジ) - 紀子
テレビドラマ [編集]
- 渥美清の泣いてたまるか 第12話「子はかすがい」(1966年、TBS)
- 霧の旗(1969年、フジテレビ) - 柳田桐子 役
- 検事霧島三郎(1969年、読売テレビ)
- 知らない同志(1972年、TBS) - 今西節子 役
- 火の路(1976年、NHK) - 高須通子 役
- 球形の荒野(1978年、フジテレビ) - 野上久美子 役
- 水戸黄門 第10部 第21話「じゃじゃ馬娘はお医者様・岩村」(1980年、TBS / C.A.L) - 千絵 役
- 関ヶ原(1981年、TBS) - 細川ガラシャ 役
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- 女のたたかい 会津そして京都 (1985年11月1日 、テレビ朝日) - 新島八重 役 【主演】
- 愛の劇場「殉愛」(1988年、TBS・松竹) - 松井須磨子・島村いち子(島村抱月の妻)役(二役) 【主演】
- 女性作家サスペンス「晩餐会」(1988年3月21日、関西テレビ・松竹) 【主演】
- 事件の女たち「父は戦争に行った」(1988年8月15日、TX・仕事) - 野島笙子 役 【主演】
- 金田一耕助シリーズ5・犬神家の一族(1994年10月7日、フジテレビ) - 松子 役
- 初婚・再婚(1997年6月9日-7月4日、NHK) - 国分由美子 役 【主演】
- 金曜エンタテイメント(フジテレビ)
- 「京都喰い道楽 古本屋探偵ミステリー2 夏目漱石に秘められた哀しい恋文」(2004年5月28日) - 浅村野薔薇 役
- ウーマンズ・ビート ドラマスペシャル〜溺れる人〜(2005年3月1日、日本テレビ) - 渡会文絵 役
- 水曜ミステリー9「密会の宿シリーズ4・京都・箱根・鎌倉不倫カップル連続失踪殺人事件」(2005年8月1日、TX) - 江田和代 役
- 新・京都迷宮案内3 第1話「狙われた洋食屋! 被害届を出す女」(2006年1月12日、テレビ朝日) - 吉永今朝子 役
- 水戸黄門 第36部 第18話「若君救った女将の秘密・三木」(2006年12月4日、TBS / C.A.L) - りく 役
- 月曜ゴールデン「遠い国から来た男」(2007年7月23日、TBS) - 岡野典子 役
バラエティー・教養番組 [編集]
- なるほど!ザ・ワールド(フジテレビ) - 海外レポーター
- 象印スターものまね大合戦(NET) - 同社のCMキャラクターも務めた
他多数
吹き替え [編集]
- 風と共に去りぬ(スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)) ※1975年日本テレビ旧録版
CM [編集]
- 花王 花王石鹸
- 象印マホービン
- 東武ワールドスクウェア
- ザ.レジデンス芦屋スイート (関西ローカル)
書籍 [編集]
- 『ソビエト研究』第3号(1990年4月25日) 栗原小巻「ペレストロイカとソ連の芸術」
- 『ロシアを友に 演劇・文学・人』 舞台公演『櫻の園』の立役者、宮澤俊一の著作。ISBN 4-905821-39-8
レコード [編集]
- 『愛は蜃気楼のように』 (1984年, クラウンレコードGGA-109。2007年にBRIDGEレーベルからCDとして復刻された)
外部リンク [編集]
- ロシア人が驚いたワイヤレス - マイクロホン開発者の記録。モスクワでテレビレポーターとして活躍する栗原小巻の姿が見られる。
- 栗原小巻さんからコメントが届きました!! - ハンティ・マンシスクで開かれた映画祭の審査員長としての旅のレポート。
- シマネスク 52 - 島根県知事との対談。
- 日本映画データベース 栗原小巻
脚注 [編集]
- ^ 日本大学藝術学部で父の栗原一登の同僚だった三浦朱門によると、一登は「二人でも食いかねているのに、子供が生まれる。困ったな、困り切った、というので小巻という名前にした」と語っていたという。三浦朱門『朱に交われば…』p.33による。
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