前田健太

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前田 健太
広島東洋カープ #18
HC-Kenta-Maeda.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府泉北郡忠岡町
生年月日 1988年4月11日(23歳)
身長
体重
182cm
73kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2008年4月5日
年俸 1億5,000万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

前田 健太(まえだ けんた、1988年4月11日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手投手)。大阪府泉北郡出身。

マネジメント契約先はスポーツビズ。愛称はマエケン

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

子供の頃から勉強を強いられたことはなく、むしろ外に遊びに行くよう言われていたという[1]。小学3年時に近所の幼なじみの影響で地元の野球チーム岸和田イーグレッツで野球を始め、6年生の時に西日本優勝するなど実に31のタイトルを獲得。小学生の間は他にもサッカーや水泳などにも取り組んでおり[2] 、特に2歳の時から習わされていた水泳では西日本大会優勝の実績がある[3]。中学では忠岡ボーイズに所属し、西日本大会で優勝した[4]。日本選抜では世界大会に出場。優勝に貢献し、MVPに選出された。また忠岡ボーイズ時代には宝塚ボーイズと度々対戦し、捕手を務めていた田中将大をよく覚えているという[1]

プロ入りを念頭にPL学園に進学し、1年の夏からベンチ入り。大阪府大会では大阪桐蔭との大会史上初の決勝再試合で先発し、完投勝利を挙げた。第86回夏の甲子園では、初戦の日大三高戦で先発登板する。しかし、2回途中の守備で右足つけ根付近に打球を受けるアクシデントに見舞われるなど、5回を投げ被安打8、3失点で途中降板となり、5対8で敗れた。

1年夏同様、2年夏にも大阪桐蔭と地区予選で対戦し、1学年上の平田良介辻内崇伸、1学年下の中田翔らと対戦した。この年は打席で辻内の速球を右肘に受け、直後の投球で平田に逆転2ランを喫する。最終回に辻内から本塁打を放つが及ばず、2-4で敗れた。2年秋、コーチに相談し、一人で黙々と走りこみを行った結果、冬を越すと球速は10km/h上昇し、140km/h終盤を記録するようになった[5]

3年春には近畿代表として第78回センバツ出場を果たした。1回戦の真岡工業高校戦で16奪三振完投勝利をあげた他、2回戦の愛知啓成高校戦では完封勝利を記録。準々決勝の秋田商業戦では本盗も見せた。準決勝で清峰高校に6失点で途中降板し、無念の敗退となった。3年夏は4番エースを務め、MAX148km/hを記録、[6]、高校通算27本塁打を放った[7]ものの、府大会の準々決勝で敗退。これによって春の甲子園の記憶が消えてしまったが、一方でプロに入って見返す気持ちに切り替えられたという[1]

9月25日高校生ドラフト会議で、広島東洋カープから単独1位指名を受ける。10月13日に契約金8000万、年俸800万(金額は推定)で仮契約を結んだ[4]。担当スカウトは宮本洋二郎

[編集] プロ入り後

2007年、当初は球団の方針により二軍キャンプスタートだったが、ほぼ完成されたフォームからの伸びのあるストレートや縦に割れるカーブが評価され、2月20日に一軍キャンプに合流した。結局一軍での登板は無かったが、同シーズンは開幕から二軍の先発ローテーションを任された。春先は新しい変化球の習得を兼ねていた事もあり結果が出なかったが、徐々に安定感を増した。その安定感が評価され、フレッシュオールスターにも出場し、後半戦前のオールスター休みには一軍の練習にも参加した。最終的には共にウエスタン・リーグ最多の118被安打、8敗(5勝0S)で、一軍登板はならなかったものの、投球回数103回2/3はチーム最多だった。また打撃では.364の高打率を残している。

2008年、前年限りで引退した佐々岡真司背番号18を受け継いだ。4月5日の対横浜戦で初登板初先発し、5回3失点の結果を残した。6月18日の対日本ハム戦で8回を2安打無失点4奪三振の好投(7回までは無安打)でプロ初勝利を飾り、9月20日の中日戦では初完封(無四球)も記録した。9月28日の広島市民球場の最後の公式戦(対ヤクルト21回戦)では、川島亮からプロ初本塁打を記録。この試合では勝利投手にもなり、旧市民球場最後の勝利投手となった。オールスター戦以降はローテーションに定着し、クライマックスシリーズ進出争いを繰り広げた9月と10月で4勝を記録。コルビー・ルイスに次ぐチーム2位タイの9勝(2敗)を挙げ、開幕前に自身が目標としたシーズン5勝を大幅に上回った。オフの契約更改では、およそ3倍増となる2,500万円で更改した[8]

2009年、開幕2試合目の巨人戦に先発し、シーズン初登板初勝利を挙げた。21歳の誕生日だった4月11日の対中日戦では、開場して2試合目のマツダスタジアムで自身2度目の無四球完封勝利を果たし、チームを新球場初勝利に導いた。しかしそれ以降、登板5連敗と7連敗を1度ずつ記録するなど大きく負けが先行してしまい、最終的に8勝14敗という低調な成績に終わった。この年の前田の得点援護率は3.28であり、これはセ・リーグの規定投球回数到達者の中で最も少なかった。前田はこの14敗のほとんどが接戦によるものであり、その原因を「勝ちきれない自分の弱さ」と「相手に投げ負けたこと」と分析。更に、試合全体ではなく勝負どころを抑えることが重要と考えてその後の投球に生かした。またポジティブな性格が、結果が出ない中でもプレッシャーに負けない気持ちを維持できた要因だと語っている[1]。この年の巨人・中日・ヤクルトの上位3チームとの対戦では、防御率が全て2点台(先発では前田のみ)ながら4勝9敗と負け越した。しかし年間通じてローテーションを守り切り、チームトップ・リーグ3位の193投球回を記録。5回を持たずに降板した試合は僅か1試合のみだった。被本塁打は倍増したが、リーグ4位の147奪三振、四球はわずか29個、WHIPも前年より向上させ常に安定した投球を見せた。球団も投球内容を高く評価しており、オフの契約更改では、倍増に近い4,800万円で更改した。

前田健太(2010年)

2010年、開幕戦を託される見込みであった大竹寛がケガにより出遅れ、自身初の開幕投手を務め、対中日戦に登板。8回を1失点に抑え、勝利投手となった。前年に続き得点援護率リーグワースト2位の3.38と、打線の無援護に悩まされるが、スライダーの曲がり、ストレートの球速ともに向上し、投球の安定性が格段に向上。開幕から防御率1点台を保って順調に勝ち星を重ね、交流戦では、一人12球団トップの防御率1.05を記録した。前半戦だけで自身初の2桁勝利を達成し、オールスターゲームには両リーグ最多得票を得て初出場。最終成績は15勝8敗、防御率2.21、奪三振174でセ・リーグ11年ぶり、史上最年少、球団史上初の投手三冠のタイトルと、セ・リーグの投手としては6年ぶりとなる沢村賞を初受賞した[9] 。0.98とただ一人1.00を切ったWHIPと投球回215回2/3は12球団トップの記録となった。前田自身は飛躍へのターニングポイントとして、4月8日の対東京ヤクルト戦の3回裏に田中浩康を見逃し三振に打ち取った一球を挙げている[10]

[編集] プレースタイル

Hiroshima toyo carp 2010 number 18.ogv
(動画) 広島東洋カープの前田健太

MAX152km/h[11]ストレートと、落差のある110km/h台のドロップスライダーサークルチェンジを武器とする。フォークも投げることができるが、高校卒業後は使用していない。そのプレイスタイルは高校の先輩・桑田真澄と似通っており、「桑田二世」と呼ばれる[12]。プロ入り当初のスライダーは直球と球速差があり、変化も大きかったが、1年目のオフに佐々岡真司から握りを伝授されると[13]、小さな変化で130km/h前後を記録するようになった。リズムのいい投球で、捕手から返球が来るとすぐ投球モーションに入る。フォロースルーが独特で、1度ボールを投げきったあともう1度小さく腕を振る動作を行う。細身の体ながら球数100球を超えても140km/h台中盤を連発できる体力・精神力を備え、投手三冠を獲得した2010年の奪三振率(7.26、リーグ6位)は平均をやや上まわるほどの数値であったものの、豊富なスタミナの持ち主で、2010年からは2年連続で投球回215回越えを果たしている。中4、5日で登板することができるタフさも併せ持ち、先発ローテーション定着後は毎年30試合前後の先発登板を記録している。パシフィック・リーグとセントラル・リーグの先発投手との間における実力格差が叫ばれる中、山田久志は「今、セントラル・リーグでエースと呼べるのはマエケンしかいない」と評している[14]。打撃や守備にも優れており、特にバント処理に定評がある[15]

試合の合間やウォーミングアップで行っているマエケンダンスはPL学園時代に阪堺病院でトレーニングを担当していた荒木和樹(現・千葉ロッテマリーンズ理学療法士)から教わったもので肩甲骨をほぐし、投げるためのシグナルを送る為に行う準備運動だという。前田は今でも荒木と親交があり、オフ明けの正月は荒木に組んでもらったメニューを用い阪堺病院で一年のトレーニングをスタートさせる。

プロ4年目にして初めて100球以上の投げ込みを経験したように投げ込みはあまり好きではなく、「投げ込みたいという人もいるし、それぞれの意見もあると思うが、自分の場合は投げない方がシーズンにうまく入れる。特に投げ込まなくても肩のスタミナには自信があるし、オフで1、2カ月空いたくらいでフォームを忘れるとか、何百球を投げないと思いだせないような、やわなフォームはしていない。調整する方が大事だと思うから投げ込む必要はないと思っている」という[16]

[編集] 人物

非常に負けず嫌いな性格で、広島のトレーナーには「マエケンより『マケヘン』の方が合っている」と評された[17] 。また楽天田中将大が先に一軍で活躍していることに悔しい思いをしていたが、一方で刺激にもなったという[1]

中学時代は遅刻や授業中の居眠りが多く、高校では教師に敬語を使わなかったために叱られたこともあったというが、プロ入りしたことで人間的に成長。2009年8月6日、それまで広島へ原爆が投下された日を知らなかったが、その日初めて原爆ドームに行き黙祷したことをブログで報告。プロ野球選手として良い影響を与えることができれば嬉しいと語っている[1]

好みの女性のタイプは「芸能人で言えば広末涼子」。基本的には年上で笑顔が良い女性が好みだという。2012年1月1日に元東海テレビアナウンサーの成嶋早穂と結婚した。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
2008 広島 19 18 1 1 1 9 2 0 0 .818 462 109.2 103 10 35 1 3 55 0 1 43 39 3.20 1.26
2009 29 29 3 1 1 8 14 0 0 .364 795 193.0 194 22 29 1 3 147 2 0 82 72 3.36 1.16
2010 28 28 6 2 1 15 8 0 0 .652 848 215.2 166 15 46 3 7 174 2 0 55 53 2.21 0.98
2011 31 31 4 2 0 10 12 0 0 .455 864 216.0 178 14 43 0 6 192 4 0 61 59 2.46 1.02
通算:4年 107 106 14 6 3 42 36 0 0 .538 2969 734.1 641 61 153 5 19 568 8 1 241 223 2.73 1.08
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] タイトル

[編集] 表彰

[編集] 記録

投手記録
打撃記録
その他の記録

[編集] 背番号

  • 34 (2007年)
  • 18 (2008年 - )

[編集] 関連情報

[編集] 著書

[編集] 書籍

  • PL学園OBはなぜプロ野球で成功するのか?』(橋本清(著)、ぴあ、2009/3、橋本清が第11章でマエケンを取材、ISBN 978-4835617282
  • 『前田健太 RED-18 (別冊宝島 1704 カルチャー&スポーツ)』(前田健太(監修)、宝島社、2010/11、ISBN 978-4796679480
  • 節丸裕一『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』講談社、2011年

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d e f 『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』
  2. ^ 五反田康彦 (2010年10月16日). “マエケン エースへの道<上>スポーツ万能少年” (日本語). 中国新聞. http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201010160079.html 2010年11月6日閲覧。 
  3. ^ 田口真一郎 (2006年4月2日). “前田が本盗!PL7年ぶり4強/センバツ” (日本語). 日刊スポーツ大阪版. http://osaka.nikkansports.com/news/p-on-tp0-20060402-14243.html 2010年11月6日閲覧。 
  4. ^ a b 2008年度広島東洋カープ年鑑” (日本語). Sponich Annex. 2009年7月20日閲覧。
  5. ^ 五反田康彦 (2010年10月17日). “マエケン エースへの道<中>走り込み” (日本語). 中国新聞. http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201010170044.html 2010年11月6日閲覧。 
  6. ^ “桑田超え”を誓う若鯉の星高校生ドラフトリポート~PL学園高・前田健太 (20060730). “前田満塁弾もPL学園敗退/高校野球” (日本語). 日刊スポーツ大阪版 
  7. ^ 田口真一郎 (2006年7月30日). “前田満塁弾もPL学園敗退/高校野球” (日本語). 日刊スポーツ大阪版. http://osaka.nikkansports.com/news/p-on-tp0-20060730-68254.html 2010年11月6日閲覧。 
  8. ^ “広島・前田健が笑顔で一発更改 大幅増に大満足” (日本語). Sponichi Annex 大阪 まるごと広島. (2008年11月27日). http://www.sponichi.co.jp/osaka/ser2/200811/27/ser2217727.html 2010年11月6日閲覧。 
  9. ^ 山本修 (2010年11月2日). “マエケンが沢村賞、球団6人目” (日本語). 中国新聞. http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201011020093.html 2010年11月7日閲覧。 
  10. ^ 黒田史夫 (2011年3月18日). “マエケンを飛躍させた“運命の一球”” (日本語). 論スポ. http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/carp/text/201103130001-spnavi.html 
  11. ^ “最速152キロ 前田健完投” (日本語). asahi.com. (2010年9月10日). http://www.asahi.com/sports/baseball/npb/news/TKY201009100242.html 2010年11月6日閲覧。 
  12. ^ 田口真一郎 (2006年1月9日). “PLの桑田2世、150キロ出して本家超え宣言” (日本語). なにわWEB. http://osaka.nikkansports.com/obb/p-ot-tp2-060109-0001.html 2010年11月6日閲覧。 
  13. ^ “広島・前田健“佐々岡スライダー”で開幕ローテへ” (日本語). Sponichi Annex 大阪 まるごと広島. (2008年1月26日). http://www.sponichi.co.jp/osaka/ser2/200801/26/ser2206823.html 2010年11月6日閲覧。 
  14. ^ なぜセ・リーグはエースが育たないのか? 集英社 スポルティーバ公式サイト (2010年9月13日)
  15. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、172-173頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  16. ^ 多くの球数が本当に必要なのか? 前田健太に見る「投げ込み」の意味氏原英明 『野球善哉』 Number Web、2011年1月22日。
  17. ^ 五反田康彦 (2010年10月18日). “マエケン エースへの道<下>負けず嫌い” (日本語). 中国新聞. http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201010180084.html 2010年11月6日閲覧。 

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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