新井貴浩

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新井 貴浩
阪神タイガース #25
新井貴浩 2013-12-14 22-07.jpg
2013年3月29日 明治神宮野球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市中区江波
生年月日 1977年1月30日(37歳)
身長
体重
189 cm
96 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手一塁手
プロ入り 1998年 ドラフト6位
初出場 1999年4月3日
年俸 2億円+出来高(2014年)
※2012年から3年契約中
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2008年
WBC 2006年

新井 貴浩(あらい たかひろ、1977年1月30日 - )は、阪神タイガースに所属する広島県広島市中区江波出身のプロ野球選手内野手)。第7代日本プロ野球選手会会長。愛称は「新井さん」。

同じく阪神に所属の新井良太は実弟。

経歴

プロ入り前

県立広島工業高校では3年時に夏の県大会でベスト16に入った。その後、東都大学野球連盟所属の駒澤大学に進学し、4年時に日米大学野球打率5割を記録。同年秋のリーグ戦では打点王とベストナインを獲得。

1998年のドラフト前、新井は大学の先輩である野村謙二郎の自宅を訪れ、自らのバットスイングをアピールした[1]。この縁で、ドラフトでは野村からの強い推薦があり、広島東洋カープに6位で指名された。しかし大学通算2本塁打で守備にも課題があった新井の指名は、周囲からは驚きをもって受け止められた。入団後は「将来の4番候補」として期待され、自身もその意気込みを「空に向かって打つ」と宣言した。

広島時代

1年目の1999年は53試合に出場し、105打席で7本塁打を放つなど1年目からその長打力を見せつけた。翌2000年は92試合に出場し、前年を上回る16本塁打を記録した。2001年は規定打席には届かなかったものの、レギュラーに定着し124試合に出場。打率.284・18本塁打・56打点の成績を残した。

2002年は140試合にフル出場し、プロ入り初の規定打席にも到達。自己最多の28本塁打を記録し、オールスターにも初出場。当時新井に目をかけていた広島の松田耕平オーナーに見送られたが、その直後に松田が他界した。新井は第2戦で本塁打を放ち、松田への手向けとした。

2003年、前年オフに阪神に移籍した金本知憲の後を継ぐ形で開幕から4番に座るが、地元出身のスラッガーという重圧、また精神的主柱でもあった金本の不在は大きく、不振に陥って後半戦からはアンディ・シーツに4番を譲り、打率.236・19本塁打と成績を落とした。2004年も前年に引き続いて打撃不振が続き、ボールを待ちすぎて追い込まれて打ち取られるパターンを繰り返し、シーズンを通して103試合の出場に終わり規定打席にも届かず、打率.263・10本塁打に終わった。同年12月に結婚、披露宴の席で山本浩二に叱咤激励された。

2005年内田順三コーチの指導によるフォーム改造と積極的に打ちに行く打撃スタイルに変えたことが功を奏し、自身初の3割となる打率.305を記録し、6月28日の対阪神戦ではリチャード・ランスに並ぶ球団タイ記録の6試合連続本塁打を放ち、山本浩二の持つ球団年間本塁打記録には1本差で届かなかったものの43本塁打で本塁打王を獲得。シーズン終盤は打球を右肩に受けた影響から、栗原健太と入れ替わりで一塁手として出場する場面もあった。オフにはフリーエージェント (FA) について「一つのチームで選手生活を終えるのが理想」「FA? そんな選手じゃない」と発言[2]

2006年1月、これまで金本や佐々岡真司らと共に行っていた鹿児島県最福寺での護摩行合宿を単独で3泊4日かけて行った。WBC日本代表にも選ばれたが、出場機会はごくわずかであった。シーズンでは、マーティ・レオ・ブラウン監督が掲げていたケースバッティングを心がけたのが実を結び、本塁打数は25本と減少したものの、前年を上回る100打点を記録した。一方で、積極的に打ちに行く打撃スタイルから四球数が少なく選球眼の悪さを指摘された。オフには「カープが好きだし、いられるならずっといたい。このチームで優勝したい」と語った[3]。11月23日のファン感謝デーで行われたベース投げコンテストで13 m 60 cm(ペアの子供との総飛距離)を記録して優勝。コンテストの生みの親であるブラウン監督は「彼は1年間、このコンテストのことばかり考えていたのだろう」とコメントした。

2007年は自己最多の55の四球を選び、28本塁打・102打点を記録した。守備では三塁手として最多の守備機会でリーグトップの守備率記録。シーズン終了後、北京オリンピックアジア予選兼第24回アジア野球選手権大会に4番・一塁手として出場し、日本代表の五輪出場権獲得に貢献。この年にFA権を所得。

前年まで、FA権を得ても広島に残留する旨の発言を繰り返していたが、「自分を厳しい環境に置き、そこでどう変わっていくか、挑戦する気持ちが出てきた」[4]との理由で、オフにFAを宣言。阪神や福岡ソフトバンクホークスなどが獲得に乗り出したが、新井にとって絶対的な存在の金本がいる阪神が圧倒的に有利な状況にあったため、他球団は獲得を見送り、新井も阪神と2度の交渉を経て入団の意志を表明。アジア野球選手権大会終了後に正式入団発表をし、12月11日付でFA宣言選手契約締結合意が公示された。FA宣言について「残留に傾いた日もあれば、宣言しようとした日もある。その繰り返しで焦っていた」という状況の中で、1か月間悩み抜いた末「残留したら、いつか後悔するかもしれない」との考えに至ったという[5]。記者会見の席では「辛いです……カープが好きだから」「喜んで出て行くわけではない」「FAなんてなかったら良かったのに…」と涙ながらに発言した[4][5]。翌年1月2日に放送された広島ホームテレビの特別番組では「僕のことを野次るファンよりも僕の方がカープを愛してる」と語り、広島への愛着と未練を覗かせた。阪神に移籍した後も「今でもやっぱりカープの試合は気になりますよ」と古巣への愛着を口にしていた[6]が、移籍1年目に初めて広島と対戦した広島市民球場での試合では、新井の広島時代のレプリカユニフォームがグラウンドに投げ込まれ、広島ファンから大きなブーイングを受けた[7]

阪神時代

2008年4月12日の対横浜ベイスターズ戦で、寺原隼人から通算1,000本安打を達成。このシーズンの前半戦は好調で高打率を維持し、チームの首位独走に貢献した。しかし、前半戦終了間近になって腰痛を訴え、一時登録を抹消されて以降は不振に陥った。北京五輪日本代表に選ばれ、怪我を押して4番・一塁手として全試合に先発出場。予選リーグの対韓国戦では同点2ラン本塁打を放つ活躍を見せたが、腰痛により全体として満足な打撃を行うことはできなかった。五輪期間中に症状が悪化し、帰国後、腰椎の疲労骨折であったことが発覚。シーズン成績も8本塁打・59打点と大きく落ち込んだが、守備では自身初となるゴールデングラブ賞を一塁手部門で受賞。12月には宮本慎也から日本プロ野球選手会会長職を引き継いだ。

2009年第2回WBC日本代表の一次候補者入りを打診されたが、腰の状態を理由に辞退した。シーズンでは開幕から5番・三塁手で出場するが、開幕から絶不調に陥り、打率は.210から.220を推移した。交流戦になると3番や6番に打順が変更されたが、調子は上向かなかった。前年のバットを使うなど試行錯誤して8月以降は持ち直し、全試合スタメンでフル出場し、15本塁打・82打点を記録したが、一方でリーグワーストの20併殺打、出塁率.299・OPS.700に終わった。

2010年、それまで長らく阪神の4番を務めてきた金本が4月18日の対横浜戦でスタメン落ちしたことにより、移籍後初めて4番に座った。それ以降ほぼ全ての試合で4番を打ち続け自己最高の打率・打点・盗塁を記録した。また、2年連続のシーズンフルイニング出場(全て三塁手)を記録した。オフにトレードで弟・良太が阪神に移籍し、共に同じチームでプレーすることになった。

2011年、この年3月に発生した東日本大震災後、当初予定通りの日程でシーズン開幕すると発表したセントラル・リーグに対し、労組プロ野球選手会会長として開幕の延期を強く要望し、問題解決のため奔走した。その中で出場したオープン戦では、心身ともに疲労が重なり20打数以上の連続無安打が続いたが、選手会側の要求通り開幕の延期が決定した後は調子を戻した。震災被災地支援のため、2011年シーズンに放った本塁打1本につき10万円、打点1点につき5万円の義援金を送ると開幕前に発表。開幕戦では「4番・三塁手」で出場し、同点打を放ってお立ち台に立った。4月19日にサヨナラ安打を放っていた弟・良太に続き、同22日に新井も4番定着後初となるサヨナラ安打を放ち、史上初の同年同一チーム所属の実兄弟揃ってのサヨナラ安打が実現した[8]。しかし交流戦に入ると打撃不振に陥り、さらに得点圏に走者を置いての凡退も目立ったため、2度にわたって4番から外れる経験をしたが、最後は4番に戻り、リーグトップの93打点で打点王のタイトルを獲得した。オフに再取得したFA権を行使した上で新たに3年契約を結び残留した。

2012年は開幕4番でスタートするも、5月始めには打撃不振で6番に降格、それまでの2年間4番でのスタメン出場がなかった金本に4番を明け渡した[9]。5月末にはスタメンからも外れる時期もあった[10]。その後4番に戻ることもあったが打撃の調子は上がらず、弟の良太が4番を打つことになり、以後は6番・一塁で出場が主となった。7月29日の対横浜DeNAベイスターズ戦(阪神甲子園球場)で、同じく先発出場した良太とともに本塁打を放ち、1981年ロッテ・オリオンズレロン・リーレオン・リー以来、31年ぶり3組目の兄弟アベック本塁打となった[11]。しかし9月に右肩痛で登録抹消されるなど同年は122試合の出場にとどまり、2008年以来4年ぶりに全試合出場を果たせなかった。また規定打席に到達しながらも打率.250・9本塁打・52打点で阪神移籍後最低の成績に終わった。

2013年は2005年以来となる開幕ベンチスタートとなったが、4番・一塁手を務めていた良太が故障離脱すると、代わって6番・一塁手でスタメンの機会を得た。開幕直後は絶不調であったが徐々に調子を上げていき、良太の復帰後も一塁の座を渡さずスタメン出場を続けた。交流戦からは5番に昇格し、6月8日の対千葉ロッテマリーンズ戦(阪神甲子園球場)で成瀬善久から本塁打を放ち、通算1,000打点を達成[12]オールスターゲームにも出場し、2戦目で決勝打を含む3安打1打点を挙げて阪神の選手では2006年の藤本敦士以来7年ぶりとなるMVPに選出され[13]、さらに3戦目では2安打を放ち敢闘賞を獲得した[14]。しかし後半戦は徐々に成績を落とし、終盤には5番を外されたりスタメン落ちすることもあった。シーズンを通して140試合に出場したものの、8月25日を最後に本塁打は1本も放てず、最終的に15本塁打に終わった。

2014年には、球団が新井とポジションの重なる長距離打者のマウロ・ゴメスを獲得したことから、「4番・一塁手」の座をめぐってゴメスと競争。新井はゴメスの調整遅れを尻目に、春季キャンプで一軍監督・和田豊からMVPに選ばれた[15]ほか、オープン戦でも好調を維持していた。しかし和田は、公式戦の開幕を機に、ゴメスを「4番・一塁手」としてスタメンに固定させた。そのゴメスが開幕から安打と打点を量産していることや、良太と捕手登録の今成亮太を三塁手として交互に起用するようになったことから、新井は指名打者を採用しないリーグ戦にもっぱら代打として出場。公式戦におけるスタメンへの初起用は、開幕48試合目に当たる5月25日のセ・パ交流戦・ロッテ戦(甲子園)にまで持ち越された[16]。同月10日の巨人戦(甲子園)では、7回裏に代打で適時打を放つと、9回裏に良太も代打で安打を記録したことによって「同一チーム・同一試合における代打での兄弟アベック安打」を初めて達成[17]セ・パ交流戦の開幕第2戦に当たる同月21日のオリックス戦(京セラドーム大阪)では、2点ビハインドの6回表2死1塁から、自身9年振り・阪神移籍後初めての代打本塁打(2点本塁打)を放ってチームの逆転勝ちにつなげた[18]

プレースタイル

打撃

2003年に極度の打撃不振に陥って以降フォーム作りに四苦八苦していたが、2005年にグリップの位置が定まり本塁打王を獲得し、翌年からも2年連続で100打点以上を記録した[19]。阪神移籍後は腰痛の影響もあってバッティングの形を変更し本塁打数は減少した[20]が、移籍後3年間での得点圏打率は.302を記録しているほか、2010年までの5年間の対左打率.333と左投手に強い。併殺が多く2003年・2009年と2011年にはリーグ最多を記録した。阪神移籍以降は6シーズン中4シーズンで併殺打数が本塁打数を上回っており、残りの2シーズンでも同数か本塁打が1本多いだけとなっている。

走塁・守備

一塁到達4.38秒[21]、二塁到達時には9秒を切ることも珍しくなく[20]、積極的に次の塁を狙う傾向がある。

エピソードとして2010年5月24日の本拠地でのロッテ戦において、9回裏1死満塁から城島健司の中堅への犠飛でサヨナラ勝ちした際に2塁走者であったが、誤ってタッチアップから3塁に向かってしまい、3塁への送球で一旦はタッチアウトの判定を下されたことがある。ただこの判定より早く、3塁走者のマートンが本塁に生還して試合終了となっていた為に事なきを得た。

三塁手または一塁手として起用される。広島時代はチーム事情で外野手として起用されたこともある。プロ入り当初は守備に難があり、最多失策を記録したシーズンもあったが、2008年に一塁手としてゴールデングラブ賞を受賞した。

人物

在日韓国人であったが、日本に帰化している。帰化前の本名は朴貴浩박귀호[22]。日本国籍取得後はワールド・ベースボール・クラシック、北京オリンピックに日本代表として出場している。

夫人は乙女塾6期生出身の元アイドル・大橋裕美子。大橋は「もし男に生まれていたらまじめに野球をやる」と普段から語っていたほどの野球ファンである。なお、新井は結婚するまでは金本と同様に、選手名鑑の「好きなタイプの女性」欄に、チームメートであった西山秀二の夫人の名を書いていた。

弟・良太とは年が7つ離れていることもあって喧嘩をしたことは一度もないという[23]。2006年9月10日の対中日ドラゴンズ戦では当時中日に所属していた良太と顔合わせをした。両チームで実の兄弟同士が同じグランドに立つのは、1998年7月16日の山田勉(広島)・山田洋(中日)兄弟以来8年ぶりだった。また、2007年7月31日の試合では延長10回に良太が決勝適時打を放ったのを三塁の守備位置から見ていたが、翌8月1日は9回裏にベンチの良太の前でサヨナラ適時打を放っている。

金本知憲を兄貴分として長きに渡って慕っており、金本の広島在籍時からの2人のやりとりは阪神での金本と藤本敦士のやりとり同様名物化していた。自身の阪神入団が内定した際も、阪神移籍を決めた理由として「金本さんの存在が大きかった」とコメントしている。「アニキ」という愛称で最初に金本を呼んだのは新井だと言われている[誰によって?]が、新井自身は金本のことを「アニキ」ではなく「会長」と呼んでおり、オフには同じジムで自主トレーニングに励む。

温厚で優しい性格であり、大学の1年先輩である高橋尚成は、大学時代の新井を「打てないし、守れないが、足はそこそこ速く、素直で先輩の受けはとても良かった」と話している。若手のころはとにかく先輩からオモチャにされ、本塁打を打った金本に張り手を食らったり、選手会ゴルフの始球式で打球方向に立たされたりするなどのエピソードが残っている。金本が現役引退した後は、入れ替わりにMLBから国内復帰した西岡剛主導でチームメイトにいじられることが多い[24]

藤崎マーケットのラララライ体操の物真似が得意で、「アライアライ」と少しアレンジして披露したらチームメートに大受けだったという。弟の良太も2007年にチームメートに披露している。

阪神移籍後は、インターネットを中心に、「粗いさん」(前述の守備の粗さに由来する造語)や「辛(つら)いさん」(移籍発表会見で「つらいです」と言ったことに由来する造語)と呼ばれることが多い。その影響で、得点機で巡ってきた打席などで併殺打(ゲッツー)を放った場合には、阪神ファンなどがその併殺打を(「辛いさんのゲッツー」を略した)「ツラゲ」という造語で表現することもある[25]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1999 広島 53 105 95 14 21 2 1 7 46 14 1 1 1 0 8 0 1 31 2 .221 .288 .484 .773
2000 92 233 208 26 51 6 0 16 105 35 3 1 0 2 18 0 5 54 6 .245 .318 .505 .822
2001 124 354 313 38 89 12 0 18 155 56 2 3 1 1 36 2 3 86 11 .284 .363 .495 .858
2002 140 559 512 63 147 28 2 28 263 75 1 3 0 3 38 2 6 124 17 .287 .342 .514 .855
2003 137 537 488 58 115 20 2 19 196 62 2 1 1 3 39 4 6 120 16 .236 .299 .402 .700
2004 103 294 262 36 69 10 1 10 111 36 3 0 0 1 29 0 2 55 4 .263 .340 .424 .764
2005 142 587 541 91 165 30 1 43 326 94 3 3 1 3 37 1 5 126 16 .305 .353 .603 .956
2006 146 611 566 78 169 23 2 25 271 100 1 1 0 9 32 2 4 117 14 .299 .336 .479 .814
2007 144 619 556 84 161 22 0 28 267 102 1 2 0 7 55 2 1 136 17 .290 .351 .480 .831
2008 阪神 94 410 366 54 112 22 4 8 166 59 2 1 0 4 35 1 5 83 7 .306 .371 .454 .824
2009 144 599 558 68 145 32 1 15 224 82 4 5 0 7 28 0 6 82 20 .260 .299 .401 .700
2010 144 641 570 96 177 42 0 19 276 112 7 2 0 8 52 1 11 89 19 .311 .374 .484 .858
2011 144 602 550 68 148 25 3 17 230 93 5 0 0 7 41 2 4 106 20 .269 .321 .418 .739
2012 122 493 460 46 115 25 0 9 167 52 1 3 0 2 30 2 1 85 12 .250 .296 .363 .659
2013 140 548 476 60 127 20 0 15 192 70 2 3 0 7 60 3 5 110 17 .267 .350 .403 .753
通算:15年 1869 7192 6521 880 1811 319 17 277 2995 1042 38 29 4 64 538 22 65 1404 198 .278 .336 .459 .795
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績


一塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1999 28 136 14 2 16 .987 3 0 5 0 0 1.000 2 2 0 0 0 1.000
2000 25 146 12 0 17 1.000 39 21 45 5 3 .930 2 0 0 0 0 ----
2001 47 122 12 0 9 1.000 45 22 64 8 7 .915 37 35 3 1 1 .974
2002 72 406 41 1 40 .998 102 69 142 16 13 .930 -
2003 106 898 97 3 69 .997 37 28 49 3 5 .963 -
2004 70 512 45 3 60 .995 8 4 13 3 0 .850 -
2005 35 210 18 2 16 .991 121 82 224 21 21 .936 -
2006 1 2 0 0 0 1.000 143 84 255 19 13 .947 -
2007 1 2 0 0 0 1.000 144 105 284 12 15 .970 -
2008 91 818 59 1 75 .999 1 1 0 0 0 1.000 -
2009 - 144 86 279 10 24 .973 -
2010 - 144 83 232 16 12 .952 -
2011 29 119 7 1 9 .992 138 84 215 17 14 .946 -
2012 78 509 34 3 40 .995 68 25 96 6 3 .953 -
2013 133 1202 87 7 105 .995 - -
通算 716 5082 426 23 456 .996 1137 694 1903 136 130 .950 41 37 3 1 1 .976
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

節目の記録[26]
  • 100本塁打:2005年4月3日、対読売ジャイアンツ戦、史上237人目
  • 150本塁打:2006年6月2日、対千葉ロッテマリーンズ戦、史上141人目
  • 1,000試合出場:2007年6月19日、対北海道日本ハムファイターズ戦、史上418人目
  • 1,000本安打:2008年4月12日、対横浜ベイスターズ戦、史上249人目
  • 200本塁打:2008年5月31日、対北海道日本ハムファイターズ戦、史上90人目
  • 1,000三振:2009年9月5日、対広島東洋カープ戦、史上46人目
  • 1,500試合出場:2011年5月31日、対北海道日本ハムファイターズ戦、史上169人目
  • 1,500本安打:2011年7月30日、対横浜ベイスターズ戦、史上110人目
  • 250本塁打:2011年9月28日、対東京ヤクルトスワローズ戦、史上56人目
  • 1,000打点:2013年6月8日、対千葉ロッテマリーンズ戦の4回裏に成瀬善久から、史上39人目[27]
その他の記録

背番号

  • 25 (1999年 - )

登場曲

関連情報

著書

脚注

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  1. ^ 野村謙二郎コラム 2007年11月09日 残念です。
  2. ^ “ホームラン王・新井 生涯赤ヘル宣言”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2005年11月22日). オリジナル2007年10月12日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20071012124929/http://daily.co.jp/baseball/2005/11/22/195375.shtml 
  3. ^ “黒田に続き新井も“コイ一筋”宣言”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2006年11月19日). オリジナル2007年11月5日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20071105092612/http://www.daily.co.jp/baseball/2006/11/19/0000170991.shtml 
  4. ^ a b “「つらいです。カープが好きだから」 広島新井がFA会見で涙”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2007年11月8日). オリジナル2007年11月10日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20071110150934/http://sankei.jp.msn.com/sports/baseball/071108/bbl0711081213002-n1.htm 
  5. ^ a b 木村雅俊 (2007年11月8日). “落胆「カープどうなる」 新井選手移籍へ”. 中国新聞 (中国新聞社). オリジナル2008年2月5日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080205205335/http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw200711080129.html 2009年8月30日閲覧。 
  6. ^ “雑念捨てた!新井、初の古巣撃ち”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2008年3月6日). オリジナル2008年3月9日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080309202955/http://www.daily.co.jp/baseball/2008/03/06/0000863034.shtml 
  7. ^ 『中国新聞』朝刊、2008年4月2日付
  8. ^ “同年同一球団は史上初!今度は新井兄がサヨナラ劇打”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2011年4月23日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/23/kiji/K20110423000681910.html 
  9. ^ “阪神完封負け…4番・金本は無安打、落球も”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2012年5月4日). オリジナル2012年5月7日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120507034245/http://www.sanspo.com/baseball/news/20120504/tig12050417290016-n1.html 2012年7月29日閲覧。 
  10. ^ “阪神・新井が復活マルチ!4試合ぶりスタメン”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2012年6月6日). オリジナル2012年6月7日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120607040345/http://www.sanspo.com/baseball/news/20120606/tig12060605030003-n1.html 2012年7月29日閲覧。 
  11. ^ “阪神の新井が31年ぶり兄弟アベック弾”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2012年7月29日). オリジナル2012年7月29日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120729164450/http://daily.co.jp/newsflash/tigers/2012/07/29/0005251861.shtml 2012年7月29日閲覧。 
  12. ^ “新井貴逆転2ランで1000+1打点!”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2013年6月9日). http://www.daily.co.jp/tigers/2013/06/09/0006061771.shtml 2013年6月9日閲覧。 
  13. ^ “新井3安打で虎7年ぶり球宴MVP”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2013年7月21日). http://www.daily.co.jp/tigers/2013/07/21/0006178120.shtml 2013年7月21日閲覧。 
  14. ^ “お祭り男本領!阪神・新井400万円稼いだ/球宴”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2013年7月23日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20130723/tig13072305030011-n1.html 2013年7月23日閲覧。 
  15. ^ “阪神新井貴三塁も、MVPキャンプで浮上”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2014年2月27日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140227-1263314.html 2014年5月23日閲覧。 
  16. ^ 2014年交流戦の特別ルールで、セントラル・リーグ球団の主催試合に限って指名打者の採用が可能になったため、甲子園球場での開催に合わせて「4番・指名打者・ゴメス」「6番・一塁手・新井(貴浩)」「7番・三塁手・新井良太」の順でスタメンに起用。
  17. ^ “新井貴8打席ぶり適時打 兄弟初代打安打”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2014年2月27日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140510-1298717.html 2014年5月23日閲覧。 
  18. ^ “阪神・新井 9年ぶり代打弾 ゴメスに負けじ3階席へ”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2014年5月22日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/22/kiji/K20140522008208060.html 2014年5月25日閲覧。 
  19. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクトムック、2008年、114-115頁。ISBN 978-4-7572-1439-2
  20. ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、302-303頁。ISBN 978-4-7572-1628-0
  21. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、152-153頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  22. ^ 新井貴浩君、プロ野球へ『チョアヨ』1999年1月20日付
  23. ^ 2009年8月11日、MBSラジオでのインタビューにて
  24. ^ “阪神・西岡、さすがの千金犠飛&ホームイン!”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2013年5月7日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20130507/tig13050705040008-n1.html 2013年5月12日閲覧。 
  25. ^ “あふれる「ツラゲ」、虎ファンの愛”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞(大阪本社発行版)). (2013年5月11日). http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201305100672.html 2013年8月20日閲覧。 
  26. ^ 特記ない場合、この節の出典はセリーグ公式サイト
  27. ^ スポーツニッポン「新井貴 39人目の通算1000打点「周りの方々に感謝したい」」2013年6月8日配信
  28. ^ a b 個人打撃連続記録セ・リーグ公式サイト
  29. ^ BLUE BOOK パ・リーグ公式サイト

関連項目