石川雅規
| 東京ヤクルトスワローズ #19 | |
|---|---|
2011年(明治神宮野球場)
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 秋田県秋田市 |
| 生年月日 | 1980年1月22日(32歳) |
| 身長 体重 |
167cm 69kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2001年 自由獲得枠 |
| 初出場 | 2002年4月4日 |
| 年俸 | 2億円(2012年) 2010年から4年契約 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 2000年 |
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この表について
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石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。
公称167cmの小柄な体格から、「小さな巨人」[1]といったキャッチフレーズが用いられている。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
同年代の藤田太陽や仁部智、高校卒業時にニューヨーク・メッツから指名を受けた後松重栄と共に、秋田県内では注目される存在になった。秋田市立秋田商業高等学校ではエースとして、第79回全国高等学校野球選手権大会に出場した。1回戦の対島根県立浜田高等学校戦では、和田毅との投げ合いを制して完投勝利を挙げた。続く2回戦の対沖縄県立浦添商業高等学校戦では8失点を浴びつつ完投するも、チームは敗退。
1998年に青山学院大学へ進学。プロ入り後に武器となるスクリューボールを習得し、東都大学リーグ戦ではエースとして活躍。対創価大学戦では延長18回を完投した。大学3年生でシドニーオリンピックに出場。予選では、後に入団するヤクルトスワローズで同僚となる古田敦也とバッテリーを組んだ。大学通算51試合23勝8敗、防御率1.63、284奪三振を記録。最高殊勲選手1回(2年生春)、最優秀投手3回(2年生春・秋、4年生春)、ベストナイン3回(2年生春・秋、4年生春)を受賞した。
[編集] プロ入り後
2002年の春季キャンプで一軍に帯同。開幕一軍こそ逃したものの、4月4日の対広島東洋カープ戦(明治神宮野球場)で先発し、6回2/3を無失点で抑えて初登板を初勝利で飾った。その後、新人ながらローテーションを守り続け、10月5日には10勝に到達。最終的に12勝をマークし、新人王を受賞した(秋田県出身のプロ野球選手としては初受賞)。
2003年は年間を通してローテーションを守り抜き、12勝を記録してJCB・MEP賞を受賞した。7月13日には秋田で凱旋登板し、勝利を収めて故郷に錦を飾った。同年オフ、青山学院大学で同級生だった元客室乗務員と結婚した。
2004年の春季キャンプ中に発症した左肘痛の影響で、開幕は二軍でスタートしたが、4月半ばに一軍に昇格。昇格後はローテーションを守り、11勝を記録するも、この年は防御率が4点台に落ち込み、イニング数も減少。年末に長男が誕生。
2005年から二年連続で開幕投手を務める。2006年に監督推薦でオールスターゲームに初出場。1試合目の3番手として登板し、2回を1奪三振の無失点に抑えた。1年を通してローテーションを守り10勝を記録し、ヤクルトでは球団史上初、セ・リーグでは堀内恒夫・江夏豊に次ぐ3人目の、入団から5年連続の2桁勝利を達成した。
2007年序盤は降格を二度経験、さらに中継ぎへ配置転換されるなど不調に苦しんだ。しかし中盤から復調し、7点台だった防御率を4点台まで改善させる。9月13日の対読売ジャイアンツ戦(明治神宮野球場)でプロ初完封を果たす。成績は、序盤の大不振がたたり、入団後初めて規定投球回に到達せず、自己最低の4勝に終わった。
2008年から投手キャプテンに指名される。今まで使ってなかったシュートを習得してシーズンに臨んだ。自身3度目の開幕投手を務め、6回2/3を2失点で勝利投手となり、開幕戦の成績は3戦3勝となった。3・4月での5勝、防御率1点台が評価され初の月間MVPを獲得。打線の不振で勝ち星は伸びなかったものの、交流戦でも12球団1位の防御率1.18という好成績を残している。苦手な夏場に入っても、7・8回まで投げられるようになり、与四球率は自己最悪となったが、初めて投球回以下に被安打を抑えてプロ入り後シーズン自己最多のイニングを投げた。指摘されてきた投球イニングの少なさを払拭し、前年の不振を挽回して二桁勝利を挙げている。最終戦では1/3イニングを投げ、広島のコルビー・ルイスの防御率を抜き、わずか0.003差で最優秀防御率のタイトルを獲得。また、自身初のゴールデングラブ賞にも選出され、投手部門での受賞は球団初であった。一方でこれまで恩恵を受けていた打線の援護からは見放され、自己最多タイの12勝にとどまった。10月に次男が誕生。
2009年からは選手会長を務める。2年連続開幕投手になったが、4回5失点でKOされ敗戦投手になった。対中日戦でシーズン初勝利を挙げる(打線の援護に助けられたもので6回6失点KOと言う内容であった)。交流戦では不調であったが、後半戦に入り徐々に調子を取り戻し、そのほとんどが7回以降まで投げ、最少失点で切り抜けるなど本来の姿をみせるようになり、館山昌平と共に先発2本柱としての働きをみせた。クライマックスシリーズ出場を賭けた10月9日の対阪神戦では7回1/3を自責点0で勝ち投手となり、自己最多の13勝を記録、勝率もプロ入り8年目で初めて6割を上回った。
2010年は3年連続で開幕投手を務めたが、好投しても味方の援護が無い試合が続いた上、防御率も4点台と不調だった。開幕から6連敗を喫した責任をとって高田繁が辞任した直後の試合でようやく初勝利を挙げるものの、6月終了の時点では2勝8敗と散々な成績だった。しかしその後急激に盛り返し、7月には月間MVPに輝くなど7月以降は11連勝を記録(無敗)するなど抜群の安定感を誇った。最終的には13勝8敗、防御率3.53と前年とほぼ同じ成績にまで持ち直してシーズンを終えた。
2011年5月14日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)で史上128人目の通算100勝を達成した。球団では通算5人目で10年目での達成は球団内では金田正一に次ぐ2位を記録。その後は援護が少ないことや早い回に失点してしまう事から勝ち星が思うように伸びず10勝9敗と数字を落としてしまう結果になった。
[編集] プレースタイル
スライダー、スクリューボールやカット・ファスト・ボール、シュート、カーブ、チェンジアップなど、多彩な変化球で打たせて取る投球が持ち味。基本的に速球は平均球速約135km/h[2]と遅いため、変化球のキレと抜群の制球力で補っている。その制球力では、現役先発投手では武田勝(北海道日本ハムファイターズ)に次ぐ通算与四球率1.41を記録している。
2008年の日本シリーズでの岸孝之の活躍に刺激を受け、オフに90km/h前後のスローカーブを習得、「カツオカーブ」と名付ける。カツオカーブの名は本人のあだ名(エピソード参照)と、鰹の泳ぐ速さがおよそ時速80kmであることからきている[3]。
[編集] 人物・エピソード
- 被打率が高く、入団時から6年連続で投球回以上の被安打を許している。2003年・2004年・2009年・2010年はいずれもセ・リーグ最多被安打を記録しており、それ以外の年もセ・リーグワースト4に入っている。直球は球威が無いことから技巧派投手でありながら被本塁打が多い。投球イニングの少なさも指摘されたが、2008年はセ・リーグトップを争うイニングを記録し、完全に改善している。
- 打撃は比較的得意で、2003年には1試合複数安打を3度記録、2007年までに1試合3打点も2度達成している。本人も打撃練習は好んでおり、本塁打を打つことが目標の一つ。
- 脚力もあり、2006年10月13日には選手兼任監督だった古田敦也の代走として途中出場したことがある。
- 2005年オフに川島亮・米野智人・青木宣親と自主トレをした際に、サザエさんの登場人物である「磯野カツオ」に似ている風貌から、青木に「カツオ」とニックネームを付けられた。本人も気に入っているようで、石川の着るアンダーシャツの首の部分には鰹をデザインしたマークが入っている。
- 牛乳が大の苦手。寝起きドッキリの番組で無理矢理飲まされた際も苦い表情を浮かべていた。
- 同じ左腕である山本昌のような息の長い投手を目指しており、山本の年度別成績を自身のロッカーに貼っているほか、自主トレも一緒に行う。
- ロジンバッグに触れた後、手についたロジンを息で拭き落とすという動作を投球前に頻繁に行う。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002 | ヤクルト | 29 | 28 | 2 | 0 | 2 | 12 | 9 | 0 | -- | .571 | 735 | 178.1 | 183 | 20 | 29 | 2 | 2 | 104 | 5 | 3 | 76 | 66 | 3.33 | 1.19 |
| 2003 | 30 | 30 | 3 | 0 | 2 | 12 | 11 | 0 | -- | .522 | 793 | 190.0 | 201 | 21 | 33 | 4 | 7 | 97 | 3 | 1 | 88 | 80 | 3.79 | 1.23 | |
| 2004 | 27 | 27 | 1 | 0 | 0 | 11 | 11 | 0 | -- | .500 | 708 | 163.1 | 200 | 21 | 22 | 2 | 5 | 72 | 4 | 1 | 90 | 79 | 4.35 | 1.36 | |
| 2005 | 26 | 25 | 0 | 0 | 0 | 10 | 8 | 0 | 0 | .556 | 637 | 149.2 | 180 | 18 | 24 | 1 | 4 | 105 | 7 | 0 | 82 | 81 | 4.87 | 1.36 | |
| 2006 | 29 | 28 | 0 | 0 | 0 | 10 | 10 | 0 | 0 | .500 | 648 | 151.0 | 191 | 12 | 17 | 1 | 3 | 81 | 4 | 0 | 82 | 76 | 4.53 | 1.38 | |
| 2007 | 26 | 15 | 3 | 2 | 2 | 4 | 7 | 0 | 2 | .364 | 405 | 96.2 | 104 | 15 | 16 | 2 | 5 | 50 | 2 | 0 | 51 | 47 | 4.38 | 1.24 | |
| 2008 | 30 | 29 | 3 | 1 | 2 | 12 | 10 | 0 | 1 | .545 | 792 | 195.0 | 180 | 21 | 41 | 2 | 4 | 112 | 2 | 0 | 59 | 58 | 2.68 | 1.13 | |
| 2009 | 29 | 29 | 3 | 0 | 0 | 13 | 7 | 0 | 0 | .650 | 810 | 198.1 | 203 | 25 | 28 | 3 | 6 | 84 | 4 | 0 | 81 | 78 | 3.54 | 1.16 | |
| 2010 | 28 | 28 | 2 | 1 | 1 | 13 | 8 | 0 | 0 | .619 | 783 | 186.1 | 209 | 20 | 27 | 1 | 7 | 98 | 9 | 0 | 81 | 73 | 3.53 | 1.27 | |
| 2011 | 27 | 27 | 1 | 0 | 0 | 10 | 9 | 0 | 0 | .526 | 731 | 178.1 | 168 | 18 | 42 | 2 | 5 | 127 | 1 | 0 | 57 | 54 | 2.73 | 1.18 | |
| 通算:10年 | 281 | 266 | 18 | 4 | 9 | 107 | 90 | 0 | 3 | .543 | 7042 | 1687.0 | 1819 | 191 | 279 | 20 | 48 | 930 | 41 | 5 | 747 | 692 | 3.69 | 1.24 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル
- 最優秀防御率:1回 (2008年)
[編集] 表彰
- 新人王 (2002年)
- スピードアップ賞:1回 (2002年)
- 優秀JCB・MEP賞:1回 (2003年)
- ゴールデングラブ賞:1回 (2008年)
- 月間MVP:2回 (2008年3・4月、2010年7月)
[編集] 記録
- 投手記録
- 初登板・初先発・初勝利:2002年4月4日、対広島東洋カープ3回戦(明治神宮野球場)、6回2/3を無失点
- 初奪三振:同上、1回表に前田智徳から
- 初完投勝利:2002年9月8日、対中日ドラゴンズ24回戦(明治神宮野球場)、9回1失点
- 初完封勝利:2007年9月13日、対読売ジャイアンツ23回戦(明治神宮野球場)
- 初ホールド:2008年10月12日、対横浜ベイスターズ24回戦(明治神宮野球場)、7回表1死に4番手で救援登板、1/3回無失点
- 打撃記録
- 初安打:2002年5月6日、対阪神タイガース7回戦(阪神甲子園球場)、3回表に安藤優也から右前安打
- 初打点:2002年9月8日、対中日ドラゴンズ24回戦(明治神宮野球場)、4回裏に野口茂樹から遊撃適時内野安打
- 節目の記録
- 1000投球回:2008年5月29日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(明治神宮野球場)、1回表に高口隆行を投犠打で1死目を取り達成 ※史上311人目
- 1500投球回:2010年9月28日、対横浜ベイスターズ23回戦(横浜スタジアム)、1回裏に石川雄洋を見逃し三振で1死目を取り達成 ※史上163人目
- 通算100勝:2011年5月14日、対横浜ベイスターズ5回戦(横浜スタジアム)、8回2/3を6安打無四球無失点 ※史上128人目
- その他の記録
[編集] 背番号
- 19 (2002年 - )
[編集] 関連情報
[編集] 著書
- 『頭で投げる。』(ベースボール・マガジン社:2011年5月)
[編集] 脚注
- ^ 石川雅規(投手総合成績)Sports@nifty、2010年9月4日閲覧。
- ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2。
- ^ “石川「カツオカーブ」で開幕“釣り上げる””. スポニチ Sponichi Annex (2009年1月14日). 2010年9月4日閲覧。
- ^ 球団マスコットのつば九郎が書いている公式ブログ「つば九郎ひと言日記」より
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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