石川雅規

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石川 雅規
東京ヤクルトスワローズ #19
基本情報
国籍 日本
出身地 秋田県秋田市
生年月日 1980年1月22日(29歳)
身長
体重
169cm
65kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 投手
プロ入り 2001年 自由獲得枠
初出場 2002年4月4日
年俸 1億5,500万円(推定、2009年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本
五輪 2000年

石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手投手)。2009年からはヤクルト選手会長にも就任する。

目次

[編集] 経歴

[編集] アマチュア時代

1997年秋田商業ではエースとして活躍し、3年生の時に第79回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦では島根県代表浜田高校と対戦し、和田毅(現 福岡ソフトバンクホークス)との投げ合いを制して9回自責点2の完投勝利を挙げている。2回戦でも浦添商業と対戦し8回を1人で投げぬいたが、惜しくも敗戦した。

その後1998年青山学院大学に進学し、スクリューボールを習得してエースとして大車輪の活躍を見せる。大学2年の時には、創価大学戦で延長18回を1人で投げぬいている。大学通算51試合23勝8敗、防御率1.63、284奪三振。最高殊勲選手1回(2年生春)、最優秀投手3回(2年生春・秋、4年生春)、ベストナイン3回(2年生春・秋、4年生春)を受賞している。大学の同期にはヤクルトでも同僚となった志田宗大がいた。

2000年大学3年の時には日本代表にも選ばれ、シドニーオリンピックにも出場。予選ではプロ入り後に再会する古田敦也ともバッテリーを組んだ。翌2001年のドラフト会議にて、自由獲得枠ヤクルトスワローズに指名を受け、入団した。

[編集] プロ入り後

2002年

即戦力を期待され、一軍キャンプスタート。オープン戦でも好投を見せて、開幕ローテーションの座をつかんだ。先発ローテーションの関係で開幕一軍登録こそ逃したものの、開幕5試合目の4月4日の対広島東洋カープ戦で、プロ入り初先発初登板。6回2/3を投げて無失点の好投を見せて、初登板初勝利を達成した。新人ながらその後も一軍ローテーションをただ一人守り続け、10月5日には10勝に到達。最終的には横浜ベイスターズ吉見祐治[1]を抑える12勝をマークし、2002年セ・リーグ新人王を受賞した。秋田県出身のプロ野球選手としては、セ・パ両リーグ通じて初の最優秀新人賞受賞であった。この年、翌年に大リーガーとなった松井秀喜のバットを唯一へし折った。(ジャンクスポーツより)

2003年

「2年目のジンクス」が囁かれる中、開幕2戦目に先発し、以降ローテーションを守り抜いた。7月13日には中4日ながら故郷秋田で登板し、7勝目をマークして故郷に錦を飾った。最終的には12勝3完投と引き続き活躍し、優秀JCB・MEP賞に輝いている。

2004年

2年連続ただ1人ローテーションを守り続けた疲労もあって、キャンプ中に左肘痛を発症。投げ込み不足となってしまった。4月半ばには一軍に昇格し、何とかシーズンに間に合わせて11勝をマークしたが、結果として長いイニングでもたない場面も見られ、防御率も4点台に悪化してしまった。

2005年

オフに左足を疲労骨折。初の開幕投手を務め、7回1失点で勝利を収めるなど、開幕には間に合わせて10勝をマークしたが、典型的な走り込み不足で自慢の制球が定まらないことも多く、完投数も4年目にして初めて0に終わった。6月にはセ・パ交流戦の休養日の為登板試合が無くなったこともあって、短期間ながら自身プロ入り後初のシーズン中の二軍落ちを経験し、ミニキャンプをはったこともあった。

2006年

前年に引き続いて開幕投手を務め、6回を自責点2で初勝利。これで開幕試合は2戦2勝となった。シーズンでは打者1巡目で球筋を見極められ、2巡目で打たれる事も多く、前年に続き完投数は0であった。しかし他のローテーション投手が安定しない中、1年を通して一軍に定着して10勝をマーク。新人以来5年連続の二桁勝利を達成した。その安定感が評価される形で、オールスターにも監督推薦で初出場。1試合目の3番手として登板して、2回を1奪三振の無失点に抑えている。

2007年

序盤から不調が続き、5月と6月に二度二軍降格を経験。入団後初めて規定投球回に到達せず、最終的に4勝と自己最悪の成績に終わった。しかしそのうち3勝が自身初の完封となった9月13日(対読売ジャイアンツ戦)をはじめとした、2完封含む自己シーズン最多タイの3完投[2]で、前半戦7点台だった防御率を4点台前半まで改善させるなど、シーズン終盤に復調を見せてシーズンを終えた。

2008年

グライシンガー石井一久藤井秀悟の3人が移籍したことと、実績を考慮され投手キャプテンに指名された。自身3度目の開幕投手を務め、6回3/2を2失点で勝利投手となり、開幕戦の成績は3戦3勝となった。3・4月での5勝、防御率1点台が評価され初の月間MVPを獲得。打線の不振で勝ち星は伸びなかったものの、交流戦でも12球団1位の防御率1.18という好成績を残している。苦手な夏場に入っても、7・8回まで投げられるようになり、与四球率は自己ワーストとなったが、自身初めて投球回以下に被安打を抑えてプロ入り後シーズン自己最高のイニングを投げた。指摘されてきた投球イニングの少なさを払拭し、去年の不振を挽回して二桁勝利を挙げている。最終戦では1/3イニングを投げ、広島東洋カープコルビー・ルイスの防御率を抜き、わずか0.003差で最優秀防御率のタイトルを獲得した。また、自身初のゴールデングラブ賞にも選出され、投手部門での受賞は球団初であった。一方でこれまで恩恵を受けていた打線の援護からは見放され、勝ち星は自己最多タイの12勝に留まった。

2009年

2年連続開幕投手になったが、開幕戦では4回5失点でKOされ初の敗戦投手になった。次の登板でシーズン初勝利をあげるも打線の援護に助けられたもので投球自体は6回6失点KOと言う内容であった。しかし、その後登板は全て1失点以下に抑える快投をみせ、4月3勝でその月のセ・リーグ投手勝利数トップとなり、月間MVPにノミネートされる。選出されれば2年連続の4月受賞になるが、序盤のKOが防御率に響き選出はされなかった。

[編集] プレイスタイル

  • カットボールスライダーシンカーシュートカーブチェンジアップなど、多彩な変化球で打たせて取るピッチングが持ち味。基本的に直球の球速は平均で130km/h台半ばと、スピードが出ないため、変化球のキレとコントロールがピッチングの身上である。現在は、中日ドラゴンズ山本昌阪神タイガース下柳剛らと並び、日本プロ野球界を代表する軟投派投手の一人である。
  • 被打率が高く、プロ入りから6年連続で投球回以上の被安打を許しているが、低い与四球率と粘り強いピッチングで上手くカバーしている。2003年2004年と二年連続でリーグ最多被安打を記録しており、2005年2006年もリーグワースト4に入っている。
  • 投球イニングの少なさも指摘されたが2008年はリーグトップを争うイニングを記録し完全に改善している。
  • 打撃のセンスに優れ、2003年には1試合複数安打を3度記録。2007年までに1試合3打点も2度達成している。本人も打撃練習は好んでおり、本塁打を打つことを目標の一つとしてあげている。
  • 脚力もあり、2006年10月13日には選手兼任監督古田敦也代走で出場したことがある。
  • 石川の入団以来、新人から5年連続の2桁勝利の記録を達成している選手は、プロ野球史上3人しかおらず、西崎幸広(元 日本ハム - 西武)が記録して以来の記録達成者となった。その後2007年和田毅が達成し、4人目の達成者となっている。

[編集] 人物

体格
  • 公称169cmの小柄な体格から、「小さな巨人」、「小さな大エース」といったキャッチフレーズが用いられている。
  • スポーツニュース番組「すぽると!」内のインタビューで、身長に関して「公称では169cmになってますけど、ホントは167.数cmくらいなんですけどね」と、笑いまじりに明かした。しかし通常身長と同じ程度と言われる、腕を広げた際の長さが180cmあり、遠心力を生かして130km/h台の速球を投げることができる。
  • かなりの童顔である。2005年オフに同僚の川島亮、米野智人青木宣親と自主トレをし、その風貌から青木に「カツオ」と名付けられた。本人も気に入っているようで、石川の着るアンダーシャツの首の部分には魚のをデザインしたマークが入っている。また、シドニー五輪で登板した時には、相手チームキューバの選手が、低身長・童顔の石川がマウンドに上がるのを見て、吹き出したという逸話もある。
  • ヤクルトの球団マスコットのつば九郎にも「かつおくん」と呼ばれている。[3]
  • 2003年に結婚した夫人は青山学院大学の同期で、客室乗務員勤務歴をもつ。翌2004年末に長男、2008年10月には次男が生まれる。
趣味
  • 2004年オフの「ジャンクSPORTS」に出演した際に、打たれた日はリベンジと称して「実況パワフルプロ野球」を取り出し、自分を先発させ、当日の対戦相手を完封するのが日課だと語った。

[編集] 年度別投手成績








































W
H
I
P
2002 ヤクルト 29 28 2 0 2 12 9 0 -- .571 735 178.1 183 20 29 2 2 104 5 3 76 66 3.33 1.19
2003 30 30 3 0 2 12 11 0 -- .522 793 190.0 201 21 33 4 7 97 3 1 88 80 3.79 1.23
2004 27 27 1 0 0 11 11 0 -- .500 708 163.1 200 21 22 2 5 72 4 1 90 79 4.35 1.36
2005 26 25 0 0 0 10 8 0 0 .556 637 149.2 180 18 24 1 4 105 7 0 82 81 4.87 1.36
2006 29 28 0 0 0 10 10 0 0 .500 648 151.0 191 12 17 1 3 81 4 0 82 76 4.53 1.38
2007 26 15 3 2 2 4 7 0 2 .364 405 96.2 104 15 16 2 5 50 2 0 51 47 4.38 1.24
2008 30 29 3 1 2 12 10 0 1 .545 792 195.0 180 21 41 2 4 112 2 0 59 58 2.68 1.13
通算:7年 197 182 12 3 8 71 66 0 3 .518 4718 1124.0 1239 128 182 14 30 621 27 5 528 487 3.90 1.26
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] タイトル・表彰

[編集] 個人記録

[編集] 背番号

  • 19 (2002年 - )

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 吉見はこの年11勝を挙げている。ただし吉見の勝ち星は勝ち数を稼がせるための中継ぎ登板のものが含まれるのに対し、石川は全て先発で12勝を挙げている。
  2. ^ 完封を逃した対西武ライオンズ戦も、9回2死からアレックス・カブレラにホームランを打たれ、惜しくも完封を逃したものであった。
  3. ^ 球団マスコットのつば九郎が書いている公式ブログつば九郎ひと言日記」より

[編集] 外部リンク

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