柳田悠岐

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柳田 悠岐
福岡ソフトバンクホークス #9
HAWKS44-YANAGITA.jpg
2012年7月16日
福岡Yahoo!JAPANドーム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市安佐南区[1]
生年月日 1988年10月9日(26歳)
身長
体重
188 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2010年 ドラフト2位
初出場 2011年5月8日
年俸 9,000万円 (2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

柳田 悠岐(やなぎた ゆうき、1988年10月9日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手外野手)。愛称は「ギータ」。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1988年広島県広島市で生まれる。安佐南区の出身[1][2]広島市立大塚小学校3年生時に佐伯区の西風五月が丘少年野球クラブに所属し野球を始め[2]、6年生時に左打ちに転向[3]広島市立伴中学校時は八幡少年野球クラブシニア(軟式野球)に所属。

広島商業高時代は、2年時の秋に中国大会出場、3年時の夏は県大会ベスト4で敗退。高校通算11本塁打だった。甲子園の出場はないが、田中将大前田健太坂本勇人らと同じ世代である。中央大学硬式野球部の入部選考に落ち[4]広島経済大学に進学した。

2007年、大学1年時の秋からレギュラーとなり、広島六大学野球リーグ首位打者とベストナイン獲得。2008年、2年時は春秋ともに同リーグのベストナイン選ばれる。この年から3年連続で大学選手権に出場[3]2009年、3年時春季は打率.528を残し、同リーグで最優秀選手賞、首位打者、ベストナインを獲得。秋季は首位打者とベストナインを獲得。

2010年、4年時秋季も同リーグで首位打者とベストナインを獲得。大学通算82試合で打率.428、8本塁打、60打点の成績を残した[5]。 高校3年時の体重は68kgだったが、大学時代に金本知憲中田翔らが通うジムで体重を増やした結果、遠投距離が10m伸びた上に50m走のタイムも0.3秒速くなった。[6][7]。某スポーツ番組では5.9秒で走れたと証言している。

10月28日プロ野球ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから2位指名を受けた[8]。2位指名は数名の候補の中から秋山翔吾を獲る方向で固まっていたが会長の王貞治が「待て、(指名候補の中で)誰が一番飛ばすんだ?」スカウトたちが「柳田です」と即答し、寸前のところで指名が切り替えられた[9]

プロ入り後[編集]

2011年

春季キャンプは新人唯一のA組スタート[4]するとフリー打撃や紅白戦などで結果を出し[5][6][7]、オープン戦で大きくアピール[8]をしたが開幕一軍とはならなかった。5月8日ホセ・オーティズの左太もも肉離れにより一軍へ昇格すると、同日札幌ドームで行われた対北海道日本ハムファイターズ戦で指名打者アレックス・カブレラの代走として9回同点二死一三塁の一塁走者でプロ入り初出場、直後の小久保裕紀の右中間タイムリースリーベースにより一塁から本塁を陥れ初得点を記録している[9][10]。5月10日本拠地福岡 Yahoo! JAPANドームで行われた対オリックス・バファローズ戦の9回表10点リードから多村仁志に代わりライトの守備で出場したが、二死からT-岡田の右中間への打球を中堅手福田秀平とともに処理をもたついてしまい二塁打を許すと、続く北川博敏大隣憲司がレフト前へ打たれ、ミスが失点に繋がってしまった。翌5月11日に二軍降格。6月9日多村が死球により左手小指裂傷のため出場選手登録を抹消された[10]代わりに一軍へ昇格。6月16日の中日ドラゴンズ戦で金澤健人の代打としてプロ初打席を迎え[11]吉見一起に外角のストレートでファーストゴロに打ち取られた。6月25日に福岡 Yahoo! JAPANドームで行われた対日本ハム戦で8番右翼手として先発出場したが、武田勝榊原諒に3打席連続凡退に抑えられた。6月29日に二軍へ降格。7月21日に富山市民球場アルペンスタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームに選出され、4番中堅手で先発出場したが4打数1安打だった[12]。8月2日に昇格し2試合に出場したが8月12日に再び二軍降格となり 一軍の一塁を踏むことなくレギュラーシーズンを終えた。二軍では77試合に出場し、規定未到達ながら251打数で打率.291、13本塁打(リーグ1位)、43打点(リーグ4位)、5三塁打(リーグ1位タイ)、20盗塁(リーグ4位)、外野手部門の6補殺(リーグ2位タイ)と活躍したものの、85三振(リーグ2位)、外野手部門5失策(リーグ1位タイ)、守備率.962と粗さも目立った。ウエスタン・リーグ本塁打王[13]と8月度のミズノ月間MVP(ファーム)を獲得した。オフにはプエルトリコウィンターリーグに派遣され、11月4日から12月22日までの22試合に出場、規定未到達で38打数11安打、打率.271、3本塁打、11打点、OPS.772の成績を残した [11][12]18試合が先発出場で内訳は指名打者5試合、外野13試合、失策は無かった。また、12月15日には満塁本塁打も放った[14]

2012年

5月16日に一軍へ昇格したものの3度の打席で結果が出せず5月21日に再び二軍へ戻った。松中信彦の負傷離脱により左の代打候補として6月22日に再昇格すると同日の対日本ハム戦で7番右翼手で先発出場し、7回の3打席目で斎藤佑樹から四球を得てプロ初出塁を達成。翌6月23日同カードで8番右翼手として先発出場し、2回の1打席目で吉川光夫のスライダーを逆方向へ弾き返しレフト前ヒット、プロ入り初安打を本拠地福岡 Yahoo! JAPANドームで達成した。5回の2打席目では同じく吉川のストレートを振り抜き右中間真っ二つの三塁打で先頭出塁し、マルチヒットも記録[15]明石健志のセカンドゴロの間に生還し得点した。3打席目は乾真大のスライダーを打ち三塁手飯山裕志のグラブを弾いてエラーで出塁と、4打席で3度出塁した[16]。6月28日の対オリックス戦では2回の第1打席二死二塁から西勇輝フォークボールを打ちセンター前へ先制のタイムリー安打を放ったことでプロ入り初打点を記録した。すかさず盗塁を試みると捕手の伊藤光からプロ初盗塁を達成。6月29日対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で1打席目に空振り三振を喫したものの2打席目に同世代の最強エース田中将大からセンター前ヒットで出塁し、盗塁を試みたが相手捕手岡島豪郎によりプロ初の盗塁失敗となった。8月5日の対埼玉西武ライオンズ戦で多村の負傷により途中出場すると7回に松永浩典が投げた内角の初球スライダーを右翼席最上段へ運びツーランホームランを放ち、これがプロ入り初本塁打となった[17][13]。通算81打席目での本塁打は推定135メートルの特大弾だった[18]。8月10日対楽天戦で7番中堅手として先発出場した2回二死一二塁、鉄平の詰まり気味の安打を前にこぼし、二塁走者のブレット・ハーパーを生還させたことでプロ初の失策が先制のタイムリーエラーとなってしまった[19]。自らのバットで1点取り返したものの失策が決勝点となってチームは敗戦。小久保裕紀が8月14日に引退会見したのを受け、後継者候補と期待されていた柳田は翌日8月15日の対千葉ロッテマリーンズ戦で「小久保さんに最高の打撃を見てもらいたかった」と2回第1打席で阿部和成から先制ツーランホームランを放った[20]。翌8月16日の同カード延長10回同点の場面では薮田安彦の高めに浮いたストレートを右翼席へ運び、生涯初のサヨナラ本塁打となる2試合連続本塁打を記録した[21]。このサヨナラ打は9月11日に8月度のスカパー!ドラマチック・サヨナラ賞として表彰された[22]。この連日の決勝打による連勝でチームは勝率を5割に戻し、首位日本ハムとのゲーム差を3.5に縮めた。8月17日の対オリックス戦で6回に古川秀一から左手小指付け根に死球を受けて出塁すると、二死一二塁の場面で本多雄一のレフト前ヒットで二塁から本塁を狙ったが、打球を浅いと判断した三塁ベースコーチの井出竜也が制止しようと三本間に飛び出して柳田と接触、すぐ三塁へ帰塁したが肉体的援助と判断され、アウトが宣告された[23]。9月25日の対オリックス戦では5打席で4安打1四球とプロ初の猛打賞を記録した[24]。10月3日の対日本ハム戦、3打数無安打で迎えた9回6点リード一死満塁の場面で森内壽春の外角直球を左翼席に運び、プロ入り初の満塁本塁打を記録した[25]クライマックスシリーズファーストステージは10月14日第2戦で多村の代走からセンターの守備に付き涌井秀章からポストシーズン初となる内野安打を放った。ファイナルステージでは10月17日第1戦で細川亨の代打として出場しセンターの守備に付いた。二軍では51試合に出場し打率.300、リーグ2位の16盗塁の成績を残した。

2013年

オープン戦で12球団最多の6本塁打を放ち[14]、開幕一軍入りを果たした。4月までで打率.298、3本塁打と好調を続けていたが、右鼠径化膿性リンパ節炎の診断を受けて5月1日に一軍登録を外れ[15]、同月11日に一軍復帰した。6月1日の対広島東洋カープ戦で初回3点リード一死二三塁から再昇格後初となるスリーランホームランを放ち、広島のエース前田健太をノックアウトした[26]。6月5日内川聖一の左翼手復帰を受け、残りの交流戦は途中出場に回った。6月25日の対日本ハム戦の5回守備中に今浪隆博の左中間への飛球を追ってダイビングキャッチした際に左肩を痛め、6月26日に出場選手登録を抹消された[27]。6月28日に福岡市内の病院で検査の結果、右肩の軽度の腱板損傷と診断された[28]。7月15日に一軍へ戻ると、同日の対ロッテ戦で代打として復帰、以降8月13日まで代打出場となった。8月14日の対西武戦で7番指名打者で先発出場すると6回に代わったばかりの石井一久から約2ヶ月半ぶりの本塁打となるスリーランホームランを放った。8月29日からは松田宣浩の不調に伴って4番に抜擢され、9月8日までの10試合45打席で打率.300、OPS.928と役割を果たした。指名打者・代打での出場が続いていたが9月26日の対オリックス戦で外野守備に復帰、残り8試合は右翼手で先発出場した。9月29日対楽天戦では辛島航嶋基宏バッテリーからプロ初のマルチ盗塁を記録した。プロ3年目にして初めて二桁本塁打、二桁盗塁を記録した。

2014年

全144試合に先発出場し不動の中堅手となった。開幕戦の対ロッテ戦で本塁打を含む猛打賞で好スタートを切ったが。4月1日からの対日本ハム戦から徹底的な内角攻めにより同カード内で2死球を受け乱闘寸前のムードで警告試合となる[29][30]。同年は成績に伴いマークも厳しくなり最終的にリーグ2位の16死球を受けた[16]。4月8日までの10試合で打率.161と対応に苦しんだが 4月27日の対西武戦の初回第1打席二死満塁の状況でグレッグ・レイノルズの高めのチェンジアップバックスクリーンへ運び満塁本塁打を放つなど、4月末時点では打率.276まで戻した。5月には月間打率.395、安打数34(共にリーグトップ)を記録し月間MVPを受賞した[31][17]オールスターゲームに監督推薦選手として初選出[32]、ファン投票は惜しくも外野手部門4位だった[33]。7月18日第1戦では長谷川勇也の代打から左翼手で出場し四球で出塁した[34]。7月19日第2戦(阪神甲子園球場)では1番中堅手として先発出場、6回表の第4打席で山井大介からバックスクリーン左へのツーランホームランを放つなど、この試合4安打の活躍[35]で同試合の最優秀選手賞を獲得した[36][18]。8月26試合から9月13日までは自己最長の16試合連続安打と好調を維持した[19]。最終的にチームトップの打率.317(リーグ3位)[37]、出塁率.413(リーグ2位)、盗塁33(リーグ2位)[38]を残し、猛打賞15回とマルチ盗塁4回を記録。打点も70へと伸ばし、チーム内の勝利打点李大浩に次ぐ10とリーグ優勝に貢献した。

クライマックスシリーズファイナルステージでは10月15日第1戦に浦野博司から先制タイムリー二塁打を放ち、10月18日第4戦では木佐貫洋から初回先頭打者本塁打で先制するなど全6試合に出場し25打数で打率.280、3打点の成績だった。 日本シリーズでは10月25日第1戦では先発のランディ・メッセンジャーから6回に日本シリーズ初安打を放つと、7回二死三塁にも同投手からライトへ安打を放ち日本シリーズ初打点を記録。全5試合に出場、20打数8安打(打率4割)5得点と活躍してチームの日本一に貢献[20]、同選手権の優秀選手賞も受賞した[39]。オフにはリーグワーストの外野手部門6失策[40]ながら、三井ゴールデン・グラブ賞[21][22]ベストナイン[23]を初受賞した。 11月12日からの日米野球にも参加、11月14日の第2戦で岩隈久志からセンターオーバー2点タイムリー三塁打、ライト前タイムリー、8回には和田毅からセンターオーバーのタイムリー二塁打を放った[41]。11月16日第4戦でもクリス・カプアーノロブ・ウッテントミー・ハンターからそれぞれ安打し猛打賞を記録[42]。全5試合に出場し、打率3割、6安打4打点の大活躍でMVPに選ばれた[24][25]。12月1日球団より2015年の背番号がかつて小久保裕紀が使用していた9へ変更と発表された[43]。12月25日の契約更改交渉で5800万円アップの年俸9000万円でサインした[44]

プレースタイル[編集]

50メートル走5.9秒、遠投125メートルという高い身体能力を持ち、広島六大学野球リーグでは通算4割2分8厘の高打率を誇るなど、走攻守三拍子揃った大型外野手[26]。肩の強さをセールスポイントとし、マウンドから投げた際には148km/hを記録した[27]。強肩と俊足を生かした外野守備、そしてスピード豊かな走塁[28]

バッティングフォームは高校時代には中村紀洋を真似た一本足打法だったが、大学進学後にすり足打法を意識し、ゆくゆくは金本知憲のようなシンプルなすり足打法にしたいという[7]。2011年オフのプエルトリコウィンターリーグで外国人選手を参考に右足をスムーズに前に出すフォームへ変更した[45]。2011年12月14日にフジテレビで放映された「すぽると!」内の特集コーナー『プロ野球選手100人が選んだプロ野球選手ベスト5・パワーヒッター部門』にて、選外ながら当時中日ドラゴンズの井端弘和(現巨人)から「2軍で見たんですけど、バックスクリーンに軽々と放り込んでました。パワーありますよ」と評されて1票を獲得(2011年シーズン1軍にてホームランを1本も打っていない打者では唯一)し、選外では異例の長い時間にわたって扱われた。また2013年の同コーナーでは、ヤクルトのウラディミール・バレンティンに次ぐ9票を獲得、2位に選ばれた。フルスイングが代名詞で外国人に負けない飛距離を誇る[29]。重心を左の軸足に残し、豪快さと柔らかさを兼ね備えた打撃で逆方向の左翼へも強い打球を飛ばせ、投球に差し込まれても球足の速いゴロが内野の間を抜け安打になる[30]

2012年8月に秋山幸二監督に連れられ、帯広での対日本ハム戦の試合前に糸井嘉男の打撃練習を見学した[31]事をきっかけに、秋山監督、王貞治会長の勧めもあり2013年のオフから糸井の自主トレにも参加している[46]。糸井は柳田について「たぶん日本人で一番飛ばす。バケモン」と述べている[32]。 2013年オフからトリプルスリーを目標としていたが[47][48]、2014年オフに公約Tシャツを作るなど改めて目標に掲げた[49][50]

人物 ・エピソード[編集]

広島県出身で幼少時より、何度も旧広島市民球場に通い、スクワット応援にも参加した広島東洋カープファンで「カープ男子」を自称[33][34]。ホークスは好きだがカープの優勝が見たくてファンをやっていたのでホークスファンにはならないとコメントした[35]。憧れの選手は野村謙二郎[24][36]

特技はボウリングで自己ベストは267。大学時代は練習後にボウリング場へ直行していた[51]ももいろクローバーZのファン(モノノフ)でもある[52]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2011 ソフトバンク 6 5 5 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
2012 68 212 195 17 48 10 1 5 75 18 6 1 2 0 10 2 5 56 2 .246 .300 .385 .685
2013 104 337 298 48 88 19 2 11 144 41 10 1 0 0 32 0 7 96 3 .295 .377 .483 .860
2014 144 615 524 91 166 18 4 15 237 70 33 6 0 3 72 5 16 131 8 .317 .413 .452 .865
通算:4年 322 1169 1022 157 302 47 7 31 456 129 49 8 2 3 114 7 28 286 13 .295 .380 .446 .827
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2011 2 0 0 0 0 .000
2012 62 113 0 1 0 .991
2013 57 107 3 0 1 1.000
2014 144 273 6 6 1 .979
通算 265 493 9 7 2 .982
  • 2014年度シーズン終了時
  • 太字はリーグ最多

表彰[編集]

記録[編集]

その他の記録

登場曲[編集]

背番号[編集]

  • 44 (2011年 - 2014年)
  • 9 (2015年 - )

脚注[編集]

  1. ^ a b ソフトバンクホークス2位指名柳田悠岐外野手 - Web西広島タイムス
  2. ^ 「本塁打打てる選手に」ソフトバンク2位・柳田悠岐選手-朝日新聞行け、ミヤワキ: ドラフト会議。 アーカイブ - 広島テレビ
  3. ^ 西広島タイムス 2011年1月7日
  4. ^ asahi.com(朝日新聞社):「本塁打打てる選手に」ソフトバンク2位・柳田悠岐選手 - スポーツ 2010年10月29日朝日新聞
  5. ^ 2010年10月18日デイリースポーツ
  6. ^ 01月21日 - トレーニングクラブ アスリート|平岡代表の日記柳田 ヘビ年の誓い ヘビー級4番 飛距離増へ92キロ→100キロスポーツ
  7. ^ a b 『野球小僧』2010年10月号、白夜書房、雑誌18801-10、144-147頁。
  8. ^ 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト ドラフト会議で高校生No.1捕手の山下選手ら11人の選手を指名
  9. ^ 週刊現代、2014年9月20日、27日号、P206
  10. ^ 日刊スポーツ・大阪版 2011年5月9日付記事 6版6面 「柳田初出場初得点」より。
  11. ^ 若鷹奮闘記2011 in ウィンターリーグ
  12. ^ Criollos de Caguas成績
  13. ^ “今宮2戦連発、柳田プロ1号!ソフトバンク5割へあと1勝”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年8月5日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/08/05/kiji/K20120805003841500.html 2013年4月16日閲覧。 
  14. ^ “2013年 オープン戦 プロ野球 打撃成績”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年3月24日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/npb/2013/stats/dageki_o.html 2013年4月20日閲覧。 
  15. ^ “柳田 右鼠径化膿性リンパ節炎で登録抹消…38度の発熱訴え”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年5月1日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/05/01/kiji/K20130501005719420.html 2013年5月1日閲覧。 
  16. ^ 16死球の柳田、けが警戒 2014年10月8日 西日本スポーツ
  17. ^ ソフトB柳田 初の月間MVP「びっくり」日刊スポーツ
  18. ^ 朝日新聞2014年7月20日付スポーツ面
  19. ^ 16戦連続H柳田 2014年9月14日 西日本スポーツ
  20. ^ 柳田 決勝点お膳立て!4戦連続先制ホーム「いい一年だった」スポーツニッポン
  21. ^ 2014年度 三井ゴールデン・グラブ賞 投票結果と日本野球機構オフィシャルサイト
  22. ^ 2014年 第43回 結果・得票数 三井ゴールデン・グラブ賞 三井広報委員会
  23. ^ 2014年度 表彰選手 投票結果(ベストナイン)日本野球機構オフィシャルサイト
  24. ^ a b 柳田、すっかり「全国区」 MVP2冠、球宴に続き日米野球も西日本スポーツ
  25. ^ メジャーの注目を浴びた柳田悠岐 スポーツナビ 週刊ベースボールONLINE 2014年11月28日
  26. ^ 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト ドラフト2位指名は「松中選手2世」を目指す広島経大・柳田外野手
  27. ^ 王貞治も認めたソフトバンクの“ゆうちゃん”sportiva、2011年02月16日。
  28. ^ 週刊ベースボール、2014年9月1日号、P4
  29. ^ [1] 日刊スポーツ2012年11月30日
  30. ^ 好調ソフトバンク支える柳田 強打者の素質開花 2014年8月19日 日本経済新聞
  31. ^ 侍JAPANの異次元スラッガー 糸井嘉男×柳田悠岐 「結成! 夢の超人タッグ」 Number Web 2014年11月20日配信
  32. ^ ソフトB柳田は「バケモン」オリ糸井賛辞 日刊スポーツ
  33. ^ 元カープ男子ソフトB柳田は複雑な思い? - 日刊スポーツ
  34. ^ 【ソフトB】柳田、出身地・広島で今年こそ決めるぞ“凱旋ヒット”
  35. ^ 月刊ホークス2012年3月号
  36. ^ 2013年9月1日福岡 ヤフオク!ドーム開催 第3回ロッカールーム2013

関連項目[編集]

外部リンク[編集]