川崎宗則
| 本来の表記は「川﨑宗則」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
2006WBC日本代表での川﨑宗則
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 鹿児島県姶良郡姶良町(現:姶良市) |
| 生年月日 | 1981年6月3日(30歳) |
| 身長 体重 |
5' 10" =約177.8cm 165 lb =約74.8kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 遊撃手 |
| プロ入り | 1999年 ドラフト4位 |
| 初出場 | 2001年10月3日 |
| 年俸 | 2億4000万円(2011年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 2008年 |
| WBC | 2006年、2009年 |
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この表について
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川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年6月3日 - )は、シアトル・マリナーズに所属するプロ野球選手(内野手)。愛称は「ムネリン」。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
鹿児島県姶良市出身。実家は父が開業したという電気工務店「川崎電気工事」で、自身も高校時代に電気工事士の資格を取得している。兄の影響で野球を始め、小学生から高校生まで一貫して遊撃手だった。鹿児島県立鹿児島工業高等学校では甲子園出場は無く、全国的には無名だったが、50m走5秒8の俊足で左打ち・安打数の多さから「サツロー(薩摩のイチロー)」と呼ばれた。
1999年のドラフト会議において、福岡ダイエーホークスに4位指名され、入団。背番号は52。
[編集] ダイエー・ソフトバンク時代
2000年の新人時代から二軍で遊撃手のレギュラーに定着し、ウエスタン・リーグ5位(チームトップ)の打率.300を記録。2001年はウエスタン・リーグ2位の29盗塁を記録し、同年10月3日に一軍初出場。2002年には規定打席不足ながら打率.367を残し、認定でウエスタン・リーグの首位打者になり、9月には井口資仁の離脱で二塁手として起用された。第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出。
2003年は鳥越裕介の故障によって2番・遊撃手で初の開幕スタメン出場。鳥越の復帰後は小久保裕紀の長期離脱で空いた三塁手にまわり、1番・村松有人・3番・井口とともに盗塁を量産、足でダイハード打線に貢献した。初の規定打席到達で打率.294・2本塁打・51打点・30盗塁の好成績を残し、チームのリーグ優勝・日本一に貢献。
2004年からは遊撃手のレギュラーに定着し、全試合フルイニング出場と打率3割を記録。最多安打(171本、三冠王を達成した松中信彦と同数)・盗塁王(42個)・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得。同年から盗塁数と同数の車椅子を寄贈する[1]「走れ!川崎プロジェクト」を立ち上げ、2006年末に吉武真太郎・吉本亮・山崎勝己・井手正太郎をメンバーに、自身がオーナーを務めて軟式野球チーム「宗rin's」を作って小・中学生と交流するなど、積極的にメセナ活動も行っている。
2006年は2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、遊撃手として優勝に貢献。決勝戦(対キューバ戦)では、1点差に迫られた9回表にイチローの安打で二塁から生還。その際、アリエル・ペスタノのブロックの僅かな隙間から右手をねじ込んで生還し、「神の右手」として話題になったが、このプレーで右肘を負傷。シーズン復帰は4月中旬までずれ込んだ。シーズンでは2年ぶりの打率3割を記録し、2度目となるベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得。同年、鹿児島工業高校が全国高等学校野球選手権大会に初出場した際、紫の刺繍で校名を縫い取ったスポーツバックを贈った(同校はベスト4に進出)。同年春、川崎は自主トレーニングでこの母校の野球部の後輩たちと一緒に練習を行なった(公式HPの日記より)。
2007年は2度の長期離脱を影響を受けて95試合の出場に留まり、規定打席に到達しなかった。しかし、巧みな打撃技術に磨きがかかって打率.329を記録し、チームの得点源になったほか、満塁時には中軸と肩を並べる活躍を見せた。
2008年はセ・パ交流戦で最多安打(37安打)・打率.366を記録。ソフトバンクの交流戦初優勝に貢献し、野手としては初の交流戦MVPに選出された。8月の北京オリンピック野球日本代表に選出されたが、シーズン中から痛めていた左足の怪我を押して出場したため骨膜炎を発症。帰国後、左足第二中足骨の疲労骨折が判明。王貞治の監督最終試合であるシーズン最終戦(対東北楽天ゴールデンイーグルス戦)で復帰した。
2009年は2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、三塁手として5試合に出場。準決勝(対アメリカ戦)では9番・三塁手で先発出場し、2安打1打点1盗塁と勝利に貢献した。シーズンではリーグ2位で自己最多の44盗塁、犠打は球団記録を塗り替える43個をマークしたが、打率.259(自己ワースト)に終わった。
2010年は選手会長に就任。3月27日の対オリックス・バファローズ戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)で通算1000安打を達成し、3月31日から4月23日まで22試合連続安打を打って自己記録を更新、プロ入り11年目で初の月間MVPを獲得した。9月25日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で1000試合出場を達成。ダルビッシュ有から内野安打放って188安打とし、広瀬叔功が記録したシーズン187安打を抜く球団新記録を達成し、190安打まで記録を伸ばした。このシーズンのダルビッシュとの対戦成績は19打数10安打打率.526と相性が良かった。2004年以来6年ぶりの全試合出場を果たし、チームのリーグ優勝に貢献したが、クライマックスシリーズ第2戦以降は21打席連続無安打と不振に陥り、日本シリーズ進出はならなかった[2]。オフでは11月5日に右肘関節遊離軟骨除去手術を受けた[3]ほか、出身地の姶良市から「あいらふるさと大使」に任命された[4]。同年、家畜伝染病・口蹄疫の被害を受けている宮崎県に義援金として100万円を寄付した。[5]。
2011年8月22日に福岡市内在住の一般女性と婚約したことを発表[6]。シーズンでは本多雄一・松田宣浩と共にフルイニング出場を達成、同一球団から3人がこの記録を達成するのは2リーグ制以後では初の快挙となった[7]。シーズン前半は安打・出塁・盗塁ともに前年までの実績に比べ少なく1番打者として物足りなさも感じさせたが、シーズン後半には出塁・盗塁を増やし巻き返した。2011年レギュラーシーズンにおいてソフトバンクは3番内川聖一が先制打を放った試合は14勝3敗2分け、勝率.824[8]と圧倒的な有利さを示しており、これは内川の勝負強さもさることながら、1番川崎が出塁して2番本多が確実に犠牲バントで送る、あるいは2番本多が出塁して2盗するといったスタイルで、内川の前にランナーとして2塁まで進んでいたことがいかに多かったかも示す。本多がリーグトップの53犠打を記録できたのも、川崎の出塁あってこそであった。クライマックス・シリーズの西武戦では初打席で帆足和幸から2塁打を放つなど12打数5安打打率.417と結果を残しチームのCS突破に貢献した[9]。12月1日には海外FA権を行使し、トニー・アタナシオを代理人としてメジャー挑戦を目指すことを表明[10]。
2012年1月5日、シアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだと明らかにした[11]。
[編集] プレースタイル
元気溌剌なプレーでムードメーカーとしてもチームに貢献し、投手が打ち込まれた際などには自らタイムを取って声をかけに行く光景などがよく見られる[要出典]。
打撃では典型的な早打ちで、三振が少ない一方で四球も少なく、打率と出塁率の差は小さい。特に2008年は四球数16で出塁率と打率の差は僅か.029であった。2009年には自己最多に迫る四球数47を記録したが、三振数は自己ワーストの90だった。一方でバットスピードとコンタクト能力はメジャーのスカウトからも高い評価を得ており[12]、2010年には両リーグトップとなる546個のファールを記録した[13]。2010年には対左投手打率が.344をマークするなど、左打者ながら左投手に強い。
走塁では力を抜いて走ることがほとんどなく[14]、一塁到達3.83秒[15]、バント時には3.74秒をマークするチーム屈指の脚力を誇る[16]。2006年にはベースボール・アメリカ誌で「最高の走者」に選ばれるなど海外からも高い評価を得ている[17]。
遊撃手以外にも二塁手・三塁手としても出場経験がある。遊撃守備では超一流と評されるグラブ捌きを持ち味とし[14]、本多雄一と共に強力な二遊間を形成しているとされる一方で、2010年には守備イニング1000以上の遊撃手でワーストとなるRF4.21をマークしたほか[18]、UZRで両リーグワースト4位の-1.4[19]、得点換算でもリーグの遊撃手中ワースト2位をマークするなど守備範囲はやや狭い[20]。
[編集] 人物
背番号52には強いこだわりを持っており、2000年の入団以来、契約更改などで何度も背番号変更を打診されているが断り続け、WBCでも52を付けた。これは、イチローから「(川崎は)イチローマニアですね」と言われるほどの大ファンであるためで、「イチロー(51)の一つ後の番号」という思い入れから。2011年オフに海外FA権を行使してのメジャー挑戦を表明した際にも「イチロー選手と同じチームを希望しています」と語った[21]。シアトル・マリナーズのマイナーでは61をつけることになったが、「逆から読めばイチローなので素晴らしい」とコメントしている。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001 | ダイエー ソフトバンク |
1 | 5 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .200 | .000 | .200 |
| 2002 | 36 | 122 | 112 | 13 | 26 | 4 | 5 | 0 | 40 | 8 | 3 | 2 | 6 | 0 | 4 | 0 | 0 | 21 | 1 | .232 | .259 | .357 | .616 | |
| 2003 | 133 | 568 | 493 | 78 | 145 | 17 | 9 | 2 | 186 | 51 | 30 | 16 | 28 | 2 | 41 | 0 | 4 | 74 | 8 | .294 | .352 | .377 | .729 | |
| 2004 | 133 | 633 | 564 | 87 | 171 | 19 | 8 | 4 | 218 | 45 | 42 | 14 | 15 | 3 | 48 | 0 | 3 | 63 | 8 | .303 | .359 | .387 | .746 | |
| 2005 | 102 | 458 | 399 | 53 | 108 | 12 | 3 | 4 | 138 | 36 | 21 | 10 | 22 | 3 | 26 | 0 | 8 | 52 | 4 | .271 | .326 | .346 | .672 | |
| 2006 | 115 | 513 | 449 | 69 | 140 | 21 | 7 | 3 | 184 | 27 | 24 | 9 | 27 | 0 | 32 | 0 | 5 | 54 | 2 | .312 | .364 | .410 | .774 | |
| 2007 | 95 | 427 | 383 | 57 | 126 | 12 | 7 | 4 | 164 | 43 | 23 | 8 | 10 | 1 | 29 | 1 | 4 | 46 | 3 | .329 | .381 | .428 | .809 | |
| 2008 | 99 | 457 | 424 | 55 | 136 | 16 | 6 | 1 | 167 | 34 | 19 | 9 | 6 | 5 | 16 | 3 | 6 | 40 | 5 | .321 | .350 | .394 | .744 | |
| 2009 | 143 | 640 | 540 | 73 | 140 | 26 | 8 | 4 | 194 | 34 | 44 | 17 | 43 | 3 | 47 | 1 | 7 | 90 | 8 | .259 | .325 | .359 | .684 | |
| 2010 | 144 | 662 | 602 | 74 | 190 | 27 | 5 | 4 | 239 | 53 | 30 | 11 | 10 | 0 | 43 | 1 | 7 | 86 | 6 | .316 | .350 | .397 | .765 | |
| 2011 | 144 | 655 | 603 | 71 | 161 | 19 | 7 | 1 | 197 | 37 | 31 | 10 | 9 | 4 | 36 | 0 | 3 | 84 | 5 | .267 | .310 | .327 | .637 | |
| 通算:11年 | 1145 | 5140 | 4573 | 631 | 1343 | 173 | 65 | 27 | 1727 | 369 | 267 | 106 | 176 | 21 | 323 | 5 | 47 | 610 | 50 | .294 | .345 | .378 | .723 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
[編集] 年度別守備成績
| 年 度 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2001 | - | - | - | 1 | 3 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | |||||||||||||||
| 2002 | 1 | 16 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 24 | 45 | 77 | 1 | 10 | .992 | - | 10 | 15 | 17 | 2 | 1 | .941 | |||||
| 2003 | - | 1 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | 75 | 38 | 114 | 8 | 11 | .950 | 85 | 89 | 182 | 6 | 47 | .978 | |||||
| 2004 | - | - | 8 | 2 | 6 | 1 | 1 | .889 | 132 | 227 | 376 | 10 | 87 | .984 | ||||||||||
| 2005 | - | - | - | 102 | 170 | 283 | 6 | 61 | .987 | |||||||||||||||
| 2006 | - | - | - | 115 | 164 | 356 | 12 | 65 | .977 | |||||||||||||||
| 2007 | - | - | - | 94 | 121 | 294 | 6 | 40 | .986 | |||||||||||||||
| 2008 | - | - | - | 99 | 113 | 309 | 11 | 51 | .975 | |||||||||||||||
| 2009 | - | - | - | 143 | 209 | 442 | 9 | 78 | .986 | |||||||||||||||
| 2010 | - | - | - | 144 | 193 | 412 | 14 | 72 | .977 | |||||||||||||||
| 2011 | - | - | - | 144 | 209 | 396 | 12 | 62 | .981 | |||||||||||||||
| 通算 | 1 | 16 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 25 | 46 | 81 | 1 | 10 | .992 | 83 | 40 | 120 | 9 | 12 | .947 | 1069 | 1513 | 3071 | 88 | 565 | .981 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル
[編集] 表彰
- ベストナイン:2回 (2004年、2006年)
- ゴールデングラブ賞:2回 (2004年、2006年)
- セ・パ交流戦MVP:1回 (2008年)
- 月間MIP賞:1回 (2008年6月)
- 月間MVP:1回 (2010年3・4月)
[編集] 記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2001年10月3日、対オリックス・ブルーウェーブ28回戦(グリーンスタジアム神戸)、2番・遊撃手として先発出場
- 初打点:同上、6回表にエド・ヤーナルから遊撃ゴロの間に記録
- 初安打:2002年6月15日、対大阪近鉄バファローズ11回戦(大阪ドーム)、6回表にジェレミー・パウエルから左前適時打
- 初盗塁:2002年6月19日、対西武ライオンズ11回戦(西武ドーム)、5回表に二盗(投手:土肥義弘、捕手:伊東勤)
- 初本塁打:2003年7月28日、対大阪近鉄バファローズ17回戦(福岡ドーム)、3回裏に門倉健から右越2ラン
- 節目の記録
- 200盗塁:2009年9月6日、対埼玉西武ライオンズ21回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、1回裏に二盗(投手:野上亮磨、捕手:銀仁朗) ※史上67人目
- 1000本安打:2010年3月27日、対オリックス・バファローズ2回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7回裏に金子千尋から右翼線へ2点適時二塁打 ※史上255人目
- 1000試合出場:2010年9月25日、対北海道日本ハムファイターズ24回戦(札幌ドーム)、1番・遊撃手として先発出場 ※史上438人目
- 250盗塁:2011年7月9日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、4回裏に二盗(投手:大谷智久、捕手:里崎智也) ※史上42人目
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:8回(2004年 - 2011年)
[編集] 背番号
- 52 (2000年 - 2011年)
- 61 (2012年 - )
[編集] 登場曲
- 『夏の思い出』 / ケツメイシ(2005年夏場まで)
- 『Big Mama』 / Soul Camp(2005年夏以降)
- 『バンザイ 〜好きでよかった〜』 / ウルフルズ(2006年開幕~5月頭頃)
- 『Catch The Wave』 / Def Tech(2006年5月のみ)
- 『サンライズ』 / BENNIE K(2006年6月~7月頃)
- 『サルビアのつぼみ』 / HOME MADE 家族(2006年9月以降)
- 『サヨナラ』 / MCU(2007年オープン戦のみ)
- 『止まらないHa~Ha』 / 矢沢永吉(2007年開幕以降、6月下旬より第1打席目に使用)
- 『道』 / GReeeeN(2007年6月下旬より第2打席目以降に使用)
- 『福岡WALKER』 / Natural Radio Station (2008年開幕~)
- 『LIFE STYLE』 / Natural Radio Station(2008年4月~、第2打席のみ使用)
- 『Like That』 / Memphis Bleek(2008年6月3日のみ?)
- 『YOU ARE MY STAR』 / AI (2009年)
- 『To Be with YOU』 / MR.BIG (2010年)
- 『チェスト』 / ORANGE RANGE (2011年)
[編集] 関連情報
[編集] 出演
- FMラジオ
2004年1月より福岡市のCROSS FMでナビゲーターを務め、『川崎宗則の今日もヨロシコ』を毎年1月から3月の期間限定で放送している。近況報告や裏話、ファンからの質問が中心で人気企画となっている。
- CM
- 現在出演中
- 過去に出演
[編集] 書籍
- オフィシャルBOOK 52 川崎宗則(徳間書店、橋本清・著) - 2010年3月 ISBN 4198629226
[編集] 脚注
- ^ “赤星氏の思い継ぎ…川崎車いす44台寄贈”. 日刊スポーツ (2009年12月25日). 2010年7月24日閲覧。
- ^ “第2戦以降は沈黙…川崎ガックリ「申し訳ない」”. スポーツニッポン. (2010年10月20日) 2011年2月9日閲覧。
- ^ “川崎右ひじ手術へ 復帰までは2カ月”. スポーツニッポン. (2010年10月31日) 2011年2月9日閲覧。
- ^ “「良いところアピール」ホークス川崎選手 姶良ふるさと大使に”. 西日本新聞. (2011年1月7日) 2011年2月9日閲覧。
- ^ “ソフトバンク・川崎、口蹄疫で義援金”. サンケイスポーツ (2010年6月11日). 2010年7月24日閲覧。 ホークスは毎年春季キャンプを宮崎県で行っている。
- ^ “川崎宗則選手、自身の婚約についてコメント”. 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト (2011年8月22日). 2011年8月22日閲覧。
- ^ 2リーグ制移行初!本多、川崎、松田がフルイニング出場スポニチ(2011年10月23日)
- ^ 内川ワクワク「早い回から僕が打点を」 スポニチ 2011年11月12日
- ^ “2011年度 福岡ソフトバンクホークス個人打撃成績(クライマックスシリーズ)”. NPB (2011年11月22日). 2011年11月22日閲覧。
- ^ “FA川崎「これは僕の意志」/一問一答”. 日刊スポーツ (2011年12月1日). 2012年1月6日閲覧。
- ^ “川崎選手 マリナーズと仮契約”. NHKニュース (2012年1月5日). 2012年1月6日閲覧。
- ^ 現役スカウト部長が見た日本チーム『月刊スラッガー』2009年6月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-6、52項
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、24頁。ISBN 978-4-86191-710-3。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、228-229頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。
- ^ 『野球小僧』2010年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、127頁。
- ^ 川﨑宗則はくし型『野球小僧』2007年2月号、白夜書房、雑誌18801-2、174頁。
- ^ 2006日米野球ガイドブック『月刊スラッガー』2006年12月号付録、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-12、9頁。
- ^ 守備「選手別」遊撃手データSMR Baseball Lab
- ^ 『月刊スラッガー』2011年5月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-5、45頁。
- ^ 守備を得点換算で評価するSMR Baseball Lab、2010年12月6日。
- ^ 川崎マリナーズ一本「イチローさんと」日刊スポーツ、2011年12月2日。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、The Baseball Cube
- 川崎宗則公式サイト
- twitter※停止中[1]
- 個人年度別成績 【川崎宗則 (福岡ソフトバンクホークス)】 - 日本野球機構オフィシャルサイト
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