ダリル・スペンサー

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ダリル・スペンサー
Daryl Spencer
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カンザス州ウィチタ
生年月日 1929年7月13日(84歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手遊撃手三塁手
プロ入り 1949年
初出場 MLB / 1952年9月17日
NPB / 1964年3月14日
最終出場 MLB / 1963年7月11日
NPB / 1972年10月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 阪急ブレーブス (1971 - 1972)

ダリル・スペンサーDaryl Dean Spencer , 1929年7月13日 - )は、アメリカ合衆国カンザス州出身の元プロ野球選手内野手)・プロ野球指導者。

ドクター・ベースボールと呼ばれるほど尊敬された人物[1]

来歴・人物[編集]

1952年にニューヨーク・ジャイアンツ(現:サンフランシスコ・ジャイアンツ)でメジャーデビュー。以後は1960年セントルイス・カージナルス1961年シーズン途中にロサンゼルス・ドジャース1963年シーズン途中にシンシナティ・レッズと渡り歩く。

1964年阪急ブレーブスに入団し来日。長池徳士とともに阪急の主砲として活躍した。

1965年7月16日、サイクル安打を達成。阪急入団後初めて記録した三塁打がこの記録に結び付いた。

また1965年には打撃好調で、当時パシフィック・リーグ最強打者として君臨していた野村克也南海)と激しい三冠王争いをしたが、特に8月14日から8月15日にかけては東京オリオンズの投手陣により8打席連続で歩かされた。8月15日のダブルヘッダー第1試合の先発は「精密機械」の異名をとる大投手小山正明であったが、スペンサーに対しては4打席全てでストレートの四球であった。第2試合も2打席連続四球で、しびれを切らしたスペンサーは次の打席で敬遠球を無理矢理打ち、連続四球は8打席で終わった。この8打席連続四球は当時の日本記録である。また、10月3日には野村克也率いる南海と対戦。このときスペンサーはバットのグリップとヘッドを逆さまに構えて打席に立つという抗議行動に出た。しかし南海は、その打席でもスペンサーを敬遠した。シーズン残り2週間というところで交通事故に巻き込まれて左足を骨折し、欠場を余儀なくされた。スペンサーは最高出塁率のタイトルを獲得したものの、野村の.320、42本塁打、110打点には届かず戦後初の三冠王を許す結果となった[1]

来日4年目の1967年、38歳となったスペンサーはなお30本塁打を放ち阪急のパ・リーグ初制覇の原動力となった。実はこの年の開幕前、阪急西宮球場ラッキーゾーンが3m前方に移設されていた。

1968年に退団したが、1971年に選手兼コーチとして復帰。1972年に再び退団する。この頃にしていた「スペンサーメモ」は、後に阪急に影響を与えた。

青田昇は「ナンバーワンの外国人はスペンサー」と語っている。スペンサーは投手のクセや捕手のクセを見抜く眼力が長けていたという。またスペンサーの弟子である高井保弘によるとスペンサーは投手が投げるたびにメモを取っていたといい、それから自分も投手のクセを盗むようになったという[2]

野村克也は「日本のプロ野球を変えたのはスペンサーとブレイザー」と口癖のように言うという[3]

伊東一雄の愛称「パンチョ」の名付け親である。

メジャーリーグ時代にワイルドランナーとして知られており、日本でも危険な走塁を何度か試みている。

2012年にドジャー・スタジアムの50周年の記念式典に出席した。そのセレモニーの終了後に取材を受け、50年前の思い出、日本の思い出について語っている。日本の野球殿堂入りを話をずっと待っているという[4]二宮清純はスペンサーについてブレイザーとともに殿堂入りの価値がある旨を語っている[5]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1952 NYG
SF
7 18 17 0 5 0 1 0 7 3 0 0 0 -- 1 -- 0 4 0 .294 .333 .412 .745
1953 118 455 408 55 85 18 5 20 173 56 0 1 2 -- 42 -- 3 74 11 .208 .287 .424 .711
1956 146 534 489 46 108 13 2 14 167 42 1 3 4 3 35 2 3 65 10 .221 .275 .342 .617
1957 148 590 534 65 133 31 2 11 201 50 3 1 2 3 50 0 1 50 15 .249 .313 .376 .689
1958 148 626 539 71 138 20 5 17 219 74 1 0 3 8 73 4 3 60 17 .256 .343 .406 .750
1959 152 621 555 59 147 20 1 12 205 62 5 0 3 5 58 4 0 67 14 .265 .332 .369 .701
1960 STL 148 596 507 70 131 20 3 16 205 58 1 1 1 2 81 7 5 74 15 .258 .365 .404 .769
1961 37 153 130 19 33 4 0 4 49 21 1 0 0 0 23 3 0 17 8 .254 .366 .377 .743
LAD 60 217 189 27 46 7 0 8 77 27 0 1 3 1 20 1 4 35 5 .243 .327 .407 .735
'61計 97 370 319 46 79 11 0 12 126 48 1 1 3 1 43 4 4 52 13 .248 .343 .395 .738
1962 77 191 157 24 37 5 1 2 50 12 0 0 2 0 32 4 0 31 7 .236 .365 .318 .684
1963 7 13 9 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 3 0 0 2 1 .111 .333 .111 .444
CIN 50 192 155 21 37 7 0 1 47 23 1 0 0 5 31 0 1 37 0 .239 .359 .303 .663
'63計 57 205 164 21 38 7 0 1 48 23 1 0 1 5 34 0 1 39 1 .232 .358 .293 .651
1964 阪急 146 605 511 89 144 32 0 36 284 94 4 0 2 7 85 5 0 80 13 .282 .380 .556 .936
1965 123 485 405 68 126 21 1 38 263 77 1 3 0 1 79 9 0 64 12 .311 .423 .649 1.072
1966 125 477 403 51 112 28 2 20 204 63 0 4 0 2 71 12 1 72 14 .278 .386 .506 .892
1967 124 486 413 65 113 17 0 30 220 68 1 1 0 6 62 8 5 70 7 .274 .370 .533 .903
1968 108 369 316 37 73 16 0 18 143 55 0 1 1 3 48 9 1 71 5 .231 .332 .453 .784
1971 54 128 108 13 27 5 0 6 50 21 0 0 0 2 14 3 4 22 3 .250 .352 .463 .815
1972 51 91 77 9 20 1 0 4 33 13 0 0 0 0 12 1 2 20 3 .260 .374 .429 .802
MLB:10年 1098 4206 3689 457 901 145 20 105 1401 428 13 7 21 27 449 25 20 516 103 .244 .327 .380 .707
NPB:7年 731 2641 2233 332 615 120 3 152 1197 391 6 9 3 21 371 47 13 399 57 .275 .379 .536 .915
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • NYG(ニューヨーク・ジャイアンツ)は、1958年にSF(サンフランシスコ・ジャイアンツ)に球団名を変更

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

NPB初記録
NPB節目の記録
  • 100本塁打:1967年5月17日、対西鉄ライオンズ6回戦(阪急西宮球場)、4回裏に清俊彦から左越ソロ ※史上47人目
  • 150本塁打:1974年4月12日、対ロッテオリオンズ1回戦(阪急西宮球場)、7回裏に横山小次郎から左越2ラン ※史上31人目(外国人選手2人目)
NPBその他の記録

背番号[編集]

  • 30 (1952年)
  • 12 (1953年)
  • 20 (1956年 - 1961年)
  • 7 (1961年)
  • 20 (1962年 - 1963年)
  • 9 (1963年)
  • 25 (1964年 - 1968年、1971年 - 1972年)

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]