渡辺俊介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

渡辺 俊介
千葉ロッテマリーンズ #31
基本情報
国籍 日本
出身地 栃木県下都賀郡都賀町
生年月日 1976年8月27日(32歳)
身長
体重
177cm
70kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 2000年 ドラフト4位
初出場 2001年4月25日
年俸 1億7,000万円(2009年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本
五輪 2000年
WBC 2006年2009年

渡辺 俊介(わたなべ しゅんすけ、本名:渡邊 俊介(読み同じ)、1976年8月27日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手投手)。背番号31

「世界一低い」と言われるアンダースローが特徴。

目次

[編集] プレースタイル

現在のプロ野球では希少なサブマリン投法(アンダースロー)だがその中でも更に特殊で、一般的なアンダースローや打者のミートポイントより更に低く世界一の低さとも言われる地上約5cmの位置でボールをリリースする。球界でも渡辺だけのフォームや球筋のため打者から見た場合に通常の投手とは打撃のタイミングの取り方が全く異なり、その特殊さから渡辺を想定した打撃練習を行うことも難しい。調子が悪い時などはリリースポイントがばらついて手をマウンドに擦ることがあり、マウンドに手をぶつけ投球があらぬ方向に飛んだこともある。また、他の投手よりも体を低くして投球するため投げる際に右足が地面に擦れて出血してしまうことがあり、ユニフォームの膝の部分にはパットが入っている。

セ・パ交流戦で対戦した谷繁元信は「変な言い方ですが、渡辺君は一般的に言う『アンダースロー』じゃありませんよ。」と、渡辺のリリースポイントの特異さについてコメントしている。下半身に大きな負担がかかるフォームなため、土台となる下半身を重点的にトレーニングしている。本人曰く「上半身の筋肉はあまり重要ではなく、下から徐々に力を加え腕を鞭のようにしならせる投げるイメージ」とのこと。また、高木豊は「こんな体力の使うフォームで涼しい顔して投げられるということは、相当下半身が鍛えられてないとできない投げ方。オーバー(スロー)で生きていけないと思い転向したんだろうけど、わざわざこんな辛い投げ方を選ぶとはね。本当はオーバーで活躍できれば良かったんだろうけど。」とすぽるとで渡辺のフォームについてコメントしている。体力を消耗しやすいフォームだがスタミナは有り、それに加えて通算奪三振率5点台前後という数字が示すように打たせて取るタイプのため少ない球数で抑えることが多く完投することも多い。本人曰く奪三振が多いときはむしろ調子が良くないとのこと。投球テンポの良さにも定評があり、試合中はポーカーフェイス。

プロ入りから2003年シーズン序盤までは球速と奪三振にこだわり、本人も「本気で140km/hを目指していた」と言う。そのため一時はプロの壁に阻まれたが、プロアマ合同のコンベンションに参加した際に黒木知宏工藤公康が体の開きなどについて話していたのを偶然耳にしたことからフォームを改造。主に体の開き方や重心移動などを変え、球速よりも打ちにくさを追求するスタイルに変えた。

緩急が最大の武器で、モーション開始からリリースまでの時間を相手打者からほとんど気付かれずに変化させタイミングを外すという技術を持つ。高低、左右を使った投球と比較して『前後』を使った投球としている[1]

球種は浮き上がるような直球カーブ高速シンカースライダーチェンジアップ

直球は最速135km/h前後だったが2003年の投球スタイル変更後は130km/h出るかどうか、平均で120km/h中盤程度の球速で4シームジャイロである。以前は回転がシュート回転していたり、ジャイロ回転していたりと安定しなかったが、2007年より意識してジャイロ回転のボールを投じるように修正したという。シンカーは120km/h中盤で直球と球速差がほとんどなく、直球より速い時もある。シンカーについて捕手橋本将は「このシンカーは魔球です」とインタビューで答えたことがあり、たまに高めからストライクゾーンへ落とすこともある。スライダーは直球とほぼ同じ軌道だが浮き上がらず、球速も直球と差がないため投球チャート等の記録では直球とされている場合も多い。カーブは通常の物に加え、スライダーに近い物やブレーキの効いたスローカーブなど複数のカーブを投げ分ける。スローカーブは90km/h前後で直球及びシンカーとの球速差は約30~40km/hとかなり大きく、打者にとっては「緩い球」どころか止まって見えるほどだという。これらのカーブは2シームジャイロであると言われており、本人もそれを認めている。

2007年から小宮山悟に教えを乞い、左打者対策として2001年から研究していたチェンジアップを使い始めている。しかし、これらの変化球は風の無いドーム球場では曲がりが悪く効果が薄いことを2007年6月11日の対中日ドラゴンズ戦の試合後に中日の落合博満監督から指摘されており[2]、本人もドーム球場は苦手と公言している。

2008年は10年以上研究しているというライズボールを使用することを明言した。「不自然に浮き上がる、打者の感覚を惑わせるのに必要な球」だという。またこの時、いつかはドカベンの里中智が使用しているスカイフォークを習得したいと語った。

松中信彦が大の苦手で2005年は4本塁打を打たれている。渡辺自身もインタビューで「松中さんには『ソロホームランならしょうがない。3ランや満塁は論外。他の打者を抑えればいい』という気持ちで対戦しています」と話している。ただし、2004年には10打数1安打に抑えている。また、北海道日本ハムファイターズ時代の實松一成も2004年に實松の同年唯一の本塁打を打たれたり、別の試合で適時打を打たれるなど苦手としていた。埼玉西武ライオンズとは相性が良く2008年途中まで7連勝していたが、9月16日に敗北すると10月1日には1回1/3自責点7で2連敗を喫した。

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

栃木県下都賀郡都賀町出身。6歳から野球を始めたが常に控えで、見かねた父の勧めで3番手投手だった中学時代にアンダスローへ転向。國學院栃木高等学校では当時別格だったというエースで4番の小関竜也がいた事もあり2番手投手で、その後國學院大學を経て1999年社会人野球新日鐵君津に入社。

2000年読売ジャイアンツの春季キャンプに参加した際、対面した清原和博に「プロになって対戦するだろう」と予言されている。当時はチーム内で恩田寿之に次ぐ2番手投手だったが、同年夏の第71回都市対抗野球大会の南関東2次予選で恩田がフル回転して本大会の出場権を手にしたものの肩や肘に違和感を覚え、本大会では渡辺が先発投手の柱として全4試合に登板して、三菱重工広島トヨタ自動車西濃運輸を破り4強入りし、優秀選手賞を獲得。プロアマ混成チームのシドニーオリンピック野球日本代表にも選出され、イタリア戦では中継ぎで登板し勝利投手になった。キューバ戦でも中継ぎで登板したが3ラン本塁打を打たれ敗戦投手となった。秋には社会人野球日本選手権大会8強入り、同僚の野田浩輔と共にプロ入りを表明。プロ野球ドラフト会議千葉ロッテマリーンズから4位指名を受け入団。「会社の上司に掛布雅之の大ファンがいたから」と言う理由から背番号31を着けた。

[編集] プロ入り後

2001年は即戦力と期待され、4月25日オリックス・ブルーウェーブ戦でプロ初登板、初先発を果たす。9月3日のダイエー戦にてプロ初勝利を完封で飾り、13試合に登板して防御率2.66、うち6試合に先発して2勝を挙げた。しかし翌2002年は8試合で0勝3敗、防御率6点台の成績に終わった。同年11月に社会人時代の同僚で、2000年の都市対抗ではチームのマスコットガールを務めた女性と入籍。

2003年はシーズン初先発となった5月21日のオリックス戦で4回1/3を投げ8失点(自責点7)と打ち込まれた。試合前に首脳陣から「雨で試合が流れたら次はない」と言われ、本人も「試合に行くのが怖かった」と著書アンダースロー論で語っている。ラストチャンスとして臨んだ同月27日のオリックス戦で5回2/3を投げ2失点で勝利投手となり、この頃から投球スタイルを変更した事もあって先発ローテーションに定着。西武戦で12回完投を記録するなど初めて規定投球回数に到達し、9勝を挙げた。

2004年には初の2桁勝利となる12勝を挙げる。同年の日米野球ではデビッド・オルティーズに推定飛距離160mの本塁打を東京ドームの右翼席に叩き込まれた。

2005年3月27日東北楽天ゴールデンイーグルス戦では1安打1四球で9回を27人2併殺で抑える珍しい記録を達成。指名打者制のパシフィック・リーグでは打席に立つ機会がなかったが、同年からセ・パ交流戦が始まり5月8日の横浜ベイスターズ戦では完封勝利を挙げたが1試合で5打席連続三振の日本タイ記録を作った。最終的には15勝4敗と大きく勝ち越して防御率2.17と、チームの31年ぶりの優勝に大きく貢献した。阪神タイガースとの日本シリーズでは第2戦に先発し、4安打無四球完封勝利を挙げて日本一に貢献した。

2006年WBC日本代表に選出され韓国戦2試合とキューバ戦に登板した。4月29日の楽天戦では6回までノーヒットノーランの投球を続けていたものの、7回先頭の鉄平に2打席連続の死球となる頭部死球を与えて危険球による退場処分を受けた。頭部死球自体は遅いカーブだったためか、鉄平は至って元気で大事には至らなかった。試合はリリーフ陣が楽天打線を無失点に抑えて完勝し、渡辺は球団初の「被安打0の降板投手」「退場処分の勝利投手」という珍記録を樹立し、退場処分を受けながらヒーローインタビューに呼ばれるという珍しい事態に直面した。本人は呼ばれた際、退場処分を受けたのにグラウンドに出てヒーローインタビューを受けて良いのか、とチーム側に確認を取り、インタビューでの第一声は「鉄平君、すいませんでした」で笑顔は見られなかった。5月28日の巨人戦ではプロ初安打を放った。同年は防御率が常に4点台と不安定で3年連続の二桁勝利を逃し、リーグ最多の14与死球と低調な成績に終わった。

2007年は2桁勝利こそ逃したが1試合に中継ぎ登板した以外は全て先発で安定した投球を見せ、特に後半戦は危なげなく好投して防御率2.44の好成績を残した。ソフトバンクとのクライマックスシリーズ第1ステージでは第1戦に先発し、失策絡みで4失点(自責点1)したものの完投勝利した。

2008年は苦しい投球ながら打線の援護で勝つという前年とは正反対の投球が目立った。とはいえ好調時にはしっかり抑えて2完封も記録するなど最終的には清水直行と並びチーム最多の13勝を挙げ、先発としての役割は果たした。8月18日の楽天戦では1点差まで追い詰められ辛勝、ヒーローインタビューでその事について問われ「勝てばいいんです!」と返し、スタンドのファンからは苦笑が湧いた。

2009年は2大会連続でWBC日本代表に選ばれ、中継ぎとして日本の2連覇に貢献した。

[編集] 年度別投手成績








































W
H
I
P
2001 ロッテ 13 6 1 1 0 2 2 0 -- .500 211 50.2 41 5 23 1 3 31 0 0 18 15 2.66 1.26
2002 8 8 0 0 0 0 3 0 -- .000 155 34.0 41 6 12 0 6 26 1 0 26 24 6.35 1.56
2003 20 18 6 0 0 9 4 0 -- .692 566 140.0 114 19 31 1 9 74 0 0 60 57 3.66 1.04
2004 23 23 4 0 1 12 6 0 -- .667 637 150.1 145 12 42 1 12 101 0 0 66 60 3.59 1.24
2005 23 23 8 3 3 15 4 0 0 .789 722 187.0 152 14 27 1 4 101 0 0 48 45 2.17 0.96
2006 23 23 4 0 1 5 11 0 0 .313 638 147.0 155 12 35 2 14 105 0 0 79 71 4.35 1.29
2007 25 24 8 2 1 9 6 0 0 .600 707 177.0 154 14 34 3 3 93 1 0 57 48 2.44 1.06
2008 26 26 3 2 1 13 8 0 0 .619 733 172.2 195 17 29 4 13 104 1 0 81 80 4.17 1.30
通算:8年 161 151 34 8 7 65 44 0 0 .596 4369 1058.2 997 99 233 13 64 635 3 0 435 400 3.40 1.16
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 記録

[編集] 表彰等

  • 最優秀バッテリー賞:2005年 ※里崎智也と共にパ・リーグ初の同い年バッテリーによる受賞
  • 日本シリーズ優秀選手:2005年
  • 栃木県民栄誉賞:2006年
  • 千葉市市民栄誉賞:2006年
  • オールスターゲーム選出:2004年、2005年(共に監督推薦)
  • ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選出:2006年、2009年
  • 日本シリーズ初登板初完封:2005年10月23日 ※史上11人目、無四球での達成は史上3人目

[編集] 人物

アマチュア時代の恩人は大学の先輩で同じアンダースローの宮田仁と社会人時代の先輩である恩田寿之だと事あるごとに公言している。

「ロッテに所属」「アンダースロー」という共通点からドカベン里中智に例えられることが多く、作者の水島新司も長い間プロ野球を見てきた中で、一番キャラが似合っていると認めている。

日本テレビ系列の番組「徳光&所のスポーツえらい人グランプリ」の企画で投石での水切りの世界記録に挑んだところ日本記録を更新し、現在も日本記録保持者。なお、ロッテ監督に復帰したばかりのボビー・バレンタインが応援VTR出演した。

2006年に雑誌週刊ベースボールにて、コラム「KEEP ON MY PACE」嶋重宣の「赤GODZILLAの挑戦」と1週ごとの交代で執筆。

球団公式サイトの選手紹介ページでも柔軟体操が特技とあるように、体が柔らかく細身だが故障に強い。本人曰く唯一の取り柄で、アンダースローに転向した理由の1つでもある。テレビ朝日系列のスポーツバラエティ番組「ナンだ!?」で立位体前屈を測定した結果25cmを記録し、股割り状態で上半身をすべて前に倒して接地させた。

同じく「ナンだ!?」で山田久志と共に変則と呼ばれることが嫌であるとコメントしており、アンダースローについて変則と呼ばれることを好まない。

イニング間のベンチ前での投球練習や、マウンドでの投球練習の1球目はサイドスローで投げることもある。

本人が認める程の雨男で、報道ステーションでもそう紹介されたことがある。

2008年にドラマ「打撃天使ルリ」に本人役で出演し、20連勝の投手とエース対決となったが勝ち投手となって連勝記録を止めた。

野球で夢が叶うとしたら、1イニング1人の打者を全て初球打ちさせて凡退に打ち取り27球で完全試合を達成したいと話している。

[編集] 著書

[編集] 脚注

  1. ^ TBS系列ZONE」の特集より。
  2. ^ この試合は3回6失点とシーズン最悪の結果。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

他の言語