渡辺俊介

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渡辺 俊介
千葉ロッテマリーンズ No.31
基本情報
出身地 栃木県下都賀郡都賀町
生年月日 1976年8月27日(31歳)
身長
体重
177cm
70kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 2000年 ドラフト4位
初出場 2000年4月25日
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

渡辺 俊介(わたなべ しゅんすけ、本名:渡邊俊介(読みは同じ)、1976年8月27日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手。ポジションは投手で、背番号31。右投右打。

目次

[編集] 人物紹介

[編集] 選手としての特徴

  • “世界一低い”アンダースロー
渡辺の投球フォームは山田久志らを彷彿とさせる現在では希少な「サブマリン投法」(アンダースロー)だが、渡辺は一般的なアンダースロー投手よりも更にリリースポイントが低い(地面から僅か5cm)。これは世界一低いと称され、打者のミートポイントより低い。
交流戦で対戦した谷繁元信中日)は、渡辺のリリースポイントの低さについて「変な言い方ですが、渡辺君は一般的に言う『アンダースロー』じゃありません」と、その特異さを説明している。また、マウンドに手をぶつけてしまい、投球があらぬ方向に飛んだこともある。
調子が悪いときなどはリリースポイントがばらつき、手をマウンドに擦ることがあるらしい。また他のアンダースロー投手よりも体を低くして投球するため、投球する際に右足が地面に擦れて出血してしまうことがあった。そのためユニフォームの膝の部分にはパットが入っている。
球界でも彼だけが持つフォーム・球筋ゆえ打者から見て通常の投手とは打撃のタイミングの取り方は全く異なる。また特殊なアンダースロー投手ゆえに他球団の打者は彼を想定した打撃練習を行うことが難しい。
  • 最大の武器は緩急である。彼独特の投球フォームによる技術として、モーション開始からリリースまでの時間を相手打者からほとんど気づかれずに変化させることで打者のタイミングを狂わすというものがある。
高低・左右を使った投球と比較して『前後』を使った投球としている。(テレビ番組「ZONE」の特集より)
  • 球種は浮き上がるようなストレート、カーブ、高速シンカー、スライダー、チェンジアップ。
ストレートは最高で135km/h前後であったが、投球スタイルの変更(後述)に伴い現在は130km/hに達するか否かという程度である。またこのストレートは4シームジャイロである。以前は回転がシュート回転していたり、ジャイロ回転していたりと安定しなかったが、2007年より意識してジャイロ回転のボールを投じるように修正したという。
シンカーは120km/h中盤でストレートと球速差がほとんどない(ストレートよりも速いときもある)。このシンカーについて、橋本将捕手は「このシンカーは魔球です」とインタビューで答えたこともある。打者にとっては対策の取り辛いフォームからストレート並のシンカーが来る。よって対処するのに厄介である。また、たまに高めからストライクゾーンへ落とすこともある。
スライダーはストレートと同じ軌道・速度だが浮き上がらず低めに決まる。
スローカーブは90km/h前後。ストレート及びシンカーとの球速差は約30~40㎞/hとかなり大きい。
カーブは握りを微妙に変え、通常のカーブ、スライダーに近いもの、あまり曲がらずチェンジアップ気味に落ちるカーブなどを投げ分ける。
このカーブは2シームジャイロであると言われており、本人もそれを認めている。
また2007年シーズンより小宮山悟に教えを仰ぎ左打者対策として2001年から研究していたチェンジアップを使い始めている。
しかし、これらの変化球は風の無いドーム球場では曲がりが悪く効果の薄いことが2007年6月11日の対中日戦の試合後、中日の落合博満監督から指摘されている(この日の試合は3回6失点とシーズン最悪の出来)。
ロッテは風の強いことで有名な千葉マリンスタジアムを本拠地としているもののドーム球場の多い日本(特にパ・リーグは4球団が本拠地としている)では「ドーム不利」の改善またはそのイメージの払拭が課題となる。
2008年は、10年以上研究しているというライズボールを使用することを明言した。この球は「不自然に浮き上がる、打者の感覚を惑わせるのに必要な球」だという。またこの時、いつかはドカベンの里中智が使用しているスカイフォークを習得したいと語った。
  • 通算奪三振率5点台前後という数字が示すようにアウトを三振で取るスタイルではなく、打者のタイミングを外して“打たせて取る”タイプのピッチャーである。本人曰く、三振が多いときはむしろ調子が良くないとのこと。
  • アンダースローのため体力を消耗しやすいが、スタミナがあり、さらに打たせて取るスタイルのため、自然と少ない球数で抑えることが多く、完投することも多い。
  • 試合中はポーカーフェイス。

[編集] 経歴

6歳から野球をはじめたが、常に控えの選手で中学生になっても3番手投手だった。見かねた父の勧めで中学時代に下手投げに転向。高校(國學院栃木高等学校)時代も2番手投手と活躍できず(エース兼4番兼主将は横浜ベイスターズ外野手小関竜也。当時は別格だったという)、國學院大學を経て1999年新日鐵君津に入社。

2000年読売ジャイアンツの春季キャンプに参加。この際、対面した清原和博に「プロになって対戦するだろう」と予言されている。このとき渡辺は新日鐵君津チーム内で恩田寿之に次ぐ2番手投手の扱いであった。しかし、同年夏の都市対抗野球大会の南関東2次予選で恩田がフル回転して本大会の出場権を手にする一方で肩・肘に違和感を覚え、本大会では先発の柱として出場し、三菱重工広島西濃運輸を破るが準決勝にて敗退。4試合に登板して防御率3.79、優秀選手賞を獲得。その年の夏、シドニーオリンピック野球日本代表に選ばれた。この時の背番号は13であった。イタリア戦に中継ぎで登板し勝ち投手になった。キューバ戦でも中継ぎで登板したが3ランホームランを打たれ敗戦投手となった。

秋に日本選手権に出場・活躍し、準々決勝進出。チームメイトで共に活躍した野田浩輔とプロ入りを表明。2000年ドラフトで即戦力として、千葉ロッテが4位で指名し、入団。背番号は31で、由来は「会社の上司に掛布雅之の大ファンがいたから」らしい。

2001年4月25日オリックス戦に先発しプロ初登板を果たす。同年9月3日にダイエー戦にてプロ初勝利を完封にて飾り、この年は2勝をあげた。しかし2年目の2002年は6試合を投げて0勝3敗と奮わず苦しむ。同年11月に入籍。夫人はかつての新日鉄君津の同僚で、2000年の都市対抗野球では同チームのマスコットガールを務めた。二軍時代、彼を支えたのは、奥さんの作ってくれたおにぎり(愛妻弁当)だった。今も愛妻弁当は、作ってもらっている。[要出典]

2003年5月21日、この年の初先発のオリックス戦は4回1/3を8失点(うち、自責点7)と散々な結果。このことはある番組で取り上げられ、そのなかではこの試合の前に首脳陣から「雨で試合が流れたら次はない」と言われたと紹介され、本人も「試合に行くのが怖かった」と語る。ラストチャンスとして臨んだ同月27日のオリックス戦で5回2/3を失点2で勝ち投手になった。この頃投球スタイルを現在のスタイルに変更し先発ローテーションに入る。この年初めて規定投球回数に到達。また西武戦で12回完投を記録した(試合は引き分け)。

2004年シーズンには自身初の二桁勝利となる12勝を挙げる。

2005年3月27日楽天戦では1安打1四球で9回を27人2併殺で抑える珍しい記録を達成。15勝、防御率2.17と活躍。チームの31年ぶりの優勝に大きく貢献した。日本シリーズ第2戦千葉マリンスタジアムで先発。阪神打線を4安打に抑え無四球完封勝利した。

2006年ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され韓国戦2試合とキューバ戦を登板した。シーズンは防御率が常に4点台とやや不安定で低調なシーズンとなり、3年連続の二桁勝利を逃した。与死球はリーグ最多で14個だった。

2007年は2桁勝利こそ逃したものの安定感を見せ、特に後半戦は危なげなく好投した(なお、シーズン中に1試合のみ中継ぎでの登板があった)。クライマックスシリーズ第1ステージのソフトバンク戦の第1戦に先発登板。エラー絡みで4点を失うも(自責点は1)見事な完投勝利を飾った。

[編集] 年度別投手成績

年度 球団

































2001年 ロッテ 31 13 1 1 0 2 2 0 .500 211 50.2 41 5 23 3 31 0 0 18 15 2.66
2002年 8 0 0 0 0 3 0 .000 155 34.0 41 6 12 6 26 1 0 26 24 6.35
2003年 20 6 0 0 9 4 0 .692 566 140.0 114 19 31 9 74 0 0 60 57 3.66(7)
2004年 23 4 0 1 12 6 0 .667 637 150.1 145 12 42 12 101 0 0 66 60 3.59(5)
2005年 23 8 3 3 15 4 0 .789 722 187.0 152 14 27 4 101 0 0 48 45 2.17(2)
2006年 23 4 0 1 5 11 0 .313 638 147.0 155 12 35 14 105 0 0 79 71 4.35(?)
2007年 25 8 2 1 9 6 0 .600 707 177.0 154 14 34 3 93 1 0 57 48 2.44(4)
通算成績 135 31 6 6 52 36 0 .591 3636 886.0 802 82 204 51 531 2 0 354 320 3.25

[編集] 表彰

  • 最優秀バッテリー賞(2005年、里崎智也と共にパリーグ初の同い年バッテリーによる受賞)
  • 日本シリーズ優秀選手 - 2005年
  • 栃木県民栄誉賞 - 2006年
  • 千葉市市民栄誉賞 - 2006年
  • オールスター選出(監督推薦) (2004年、2005年)
  • 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選出(3試合 0勝0敗0セーブ 防御率1.99 13 2/3回投球 6奪三振 自責点3)
  • 日本シリーズ初登板初完封(史上11人目)(2005年10月23日)
  • 日本シリーズ初登板初完封無四球(史上3人目)(2005年10月23日)

[編集] 個人記録

[編集] 著書

[編集] エピソード

  • 「アマチュア時代の恩人は宮田さん(國學院大学の先輩で同じアンダースロー投手。元日産自動車)と恩田さん(新日鐵君津時代の先輩)」と、事あるごとに公言している。
  • 入団から2003年シーズン序盤までは球速と奪三振にこだわり、本人も「本気で140km/hを目指していた」と言う。そのため一時はプロの壁に阻まれるもこの年からフォームを改造。その基本となったのはプロアマ合同のコンベンションに参加した際に黒木知宏千葉ロッテ)と工藤公康横浜)が体の開きなどについて話していたのを偶然耳にしたことらしい。主に体の開き方や重心移動などを変え、「スピード」よりも「最強な打ちづらさ」の追求をするようになり現在のスタイルが出来上がった。
  • アンダースローという特殊なフォームのため、メジャーリーグでも通用するという評論家は数多い。しかし、渡辺本人はメジャーリーグに行くことに特に強いこだわりはない。
  • 人気漫画ドカベン里中智に例えられることが多く、作者の水島新司も長い間プロ野球を見てきたなかで、一番キャラが似合っていると認めている。
  • DH制を取るパ・リーグでは打撃の機会がなかったが、DHのなかった2005年5月8日のセ・パ交流戦横浜戦で打席に立ち、5打席連続三振(1試合中)の日本タイ記録を作った。(投げる方では完封勝利している。)2006年5月28日の巨人戦ではプロ初安打を放った。
  • 日本テレビ系列の「徳光&所のスポーツえらい人グランプリ」という番組の企画で投石での水切りの世界記録に挑んだところ日本記録を更新。現日本記録保持者。応援VTR出演したのがロッテ監督に復帰したばかりのボビー・バレンタイン
  • 体が柔らかく、それは渡辺がアンダースローに転向した理由のひとつであり、本人曰く唯一の取り柄である。(球団公式HPの選手紹介ページでも特技:柔軟体操とある)そのため細身だがケガに強い。
  • 実家は土建屋をしており、父親の実家は畳屋。
  • 2006年4月29日楽天戦では6回までノーヒットノーランのピッチングを続けていたものの、7回先頭の鉄平への危険球(頭部への死球)によって退場処分を受けた(渡辺は第2打席にも鉄平に死球を与えていた、危険球になった球は遅いカーブだったため鉄平本人は元気でケガはなかった)。試合は救援投手陣の好投で完封リレーで勝利し、渡辺はロッテ初の「被安打ゼロの降板投手」「退場処分の勝利投手」という珍記録を樹立(“日本初の「無失点降板した投手」”は日本初の一覧#スポーツ参照)、「退場者のヒーローインタビュー」という珍しい事態となった。そのヒーローインタビューでの第一声は「鉄平君、すいませんでした」で、笑顔は見られなかった。
  • 2006年、雑誌週刊ベースボールにて、自身のコラム「KEEP ON MY PACE」嶋重宣の「赤GODZILLAの挑戦」と1週ごとの交代で執筆。
  • 2004年日米野球で、ボストン・レッドソックスデイヴィッド・オルティズに推定飛距離160m弾を東京ドームの右翼席に叩き込まれた事がある。
  • 新日鉄君津の先輩でありオリンピック日本代表でチームメートだった松中信彦福岡ソフトバンク)が大の苦手。2005年は4本塁打を献上している。だが、2004年には10打数1安打に抑えている。渡辺自身、インタビューで「松中さんには『ソロホームランならしょうがない。スリーランや満塁は論外。他の打者を抑えればいい』という気持ちで対戦しています」と話している。また、北海道日本ハム時代の実松一成(現巨人)にも2004年のチームの10連敗を止めた試合で実松のこの年唯一の本塁打を打たれたり、別の試合でタイムリーを食らうなど苦手としていた。
  • アンダースローについて「変則」と呼ばれることを好まない(あくまで正統な投げ方の一つという理念があるようである)。ただし、野球少年へのアドバイスなどでは最初の内はオーバースロー投法を練習することを奨めている。
  • 渡辺のアンダースローの投げ方は独特で下半身に大きな負担がかかる。そのため本人も土台となる下半身を重点的にトレーニングしている。本人曰く「上半身の筋肉はあまり重要ではなく、下から徐々に力を加え腕を鞭のようにしならせる投げるイメージ」らしい。また解説者高木豊は「こんな体力の使うフォームで涼しい顔して投げられるということは、相当下半身が鍛えられてないとできない投げ方。オーバー(スロー)で生きていけないと思い転向したんだろうけど、わざわざこんな辛い投げ方を選ぶとはね。本当はオーバーで活躍できれば良かったんだろうけど。」とすぽるとで渡辺のフォームについてコメントしている。
  • イニング間のベンチ前での投球練習や、マウンドでも投球練習の1球目はサイドスローで投げることもある。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

千葉ロッテマリーンズ
2000年ドラフト指名選手
1位:田中良平 / 2位:加藤康介 / 3位:長崎伸一 / 4位:渡辺俊介 / 5位:青野毅
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