澤村拓一
| 読売ジャイアンツ #15 | |
|---|---|
2012年5月13日、こまちスタジアムにて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 栃木県栃木市 |
| 生年月日 | 1988年4月3日(25歳) |
| 身長 体重 |
183 cm 96 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2010年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 2011年4月15日 |
| 年俸 | 6,500万円(2013年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2013年 |
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この表について
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澤村 拓一(さわむら ひろかず、1988年4月3日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
栃木県栃木市出身。小学2年時に野球を始め、6年から投手を務める。この頃から自己主張が強かったという[1]。栃木市立東陽中学校でも野球部に所属して県大会に出場。佐野日大高校時代は3番手投手として夏を迎え、登板機会がないまま県大会決勝で敗退[2]。高校の先輩で中央大学OBでもある会田有志の勧めもあって[1]中央大学硬式野球部に進む。
中大進学後、監督の高橋善正から指導を受けたことで開花。それまでの直球一本槍の投球スタイルを「お前はピッチャーじゃない、単なる『投げ屋』だ!」と否定され[3]、変化球の重要性を教えられた[4]。2年秋には東都大学1部リーグ初先発・初勝利を完封で飾りエースへ成長。2009年の第37回日米大学野球選手権大会日本代表・第25回アジア野球選手権大会日本代表に選出された。3年秋のリーグ戦の青山学院大学戦の初回に、神宮での大学生歴代最速となる最速156km/hをマークした。11月22日のU-26 NPB選抜 対 大学日本代表に出場し、3回裏に1イニングを投げ、坂本勇人(巨人)を直球で見逃し三振に仕留めるなど無失点に抑えた。4年春には東洋大学戦で大学生歴代トップを更新する最速157km/h[2]をマークするなどの活躍で最優秀投手賞を受賞した。リーグ戦終了後には世界大学野球選手権大会の日本代表に選出されたが、故障のため出場は辞退した。東都大学1部リーグ通算41試合に登板し19勝14敗、防御率1.31、266奪三振。2部リーグで7勝2敗。2011年大学卒業[5]。
2010年10月のドラフト会議では、同じ中大出身の阿部慎之助・亀井義行の活躍を見て入団を希望し、相思相愛とも言われた[6]読売ジャイアンツから単独1位指名を受け、記者会見では喜びの涙を流した。指名直後の会見で背番号18を希望したが、10月30日に挨拶に訪れた球団代表の清武英利から「沢村さんを1つ超えるという意味で、15を背負ってほしい。18は力で勝ち取ってもらいたい」と話した[7]が、結果的に2011年にFA権を行使して移籍した杉内俊哉に18が与えられた(沢村栄治の背番号14は巨人の永久欠番である)。なお、ドラフト直前にはスポーツ報知[8]やスポーツニッポンなどが中日ドラゴンズとの競合を予想していた[9]。日刊ゲンダイによれば中日は入団拒否のリスクを考えて当日のスカウト会議で澤村指名を見送り大野雄大の単独指名に切り替えたという[10]。
ドラフトに際しては複数のメジャー球団からメジャー契約でのオファーもあり、巨人以外から指名された場合はアメリカでのプロ入りを選択していた可能性もあったと話していた[2]。
プロ入り後 [編集]
- 2011年
- キャンプから好調を維持したまま、開幕一軍入りを果たす。4月15日の広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)でプロ初登板・初先発。7回途中まで2失点(自責点0)の好投も中継ぎ陣が打たれて逆転を許し、初勝利はならなかった。4月21日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)では7回1失点でプロ初勝利をあげた。5月31日の埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)ではプロ初の完投勝利を挙げると、6月19日の西武戦(東京ドーム)では7回無失点に抑えて本拠地初勝利を達成(しかし、初勝利のウイニングボールはこの日最後に登板したジョナサン・アルバラデホが客席に投げ入れてしまったため、澤村自身の手元には2011年12月現在まで渡っていない)。序盤から中盤にかけては安定した投球をしても援護に恵まれず負けが先行したが、9月以降は5勝1敗、防御率1.10、WHIP0.64と好投を続け、最終戦で防御率1点台は逃したものの、セ・リーグの新人では江夏豊以来となる200イニング到達を果たした。最終的に5完投を含む11勝11敗、防御率2.03、174奪三振、WHIP0.97と好成績を収め、新人王に選ばれた。澤村の受賞により巨人からは2008年の山口鉄也以来4年連続で新人王を輩出したこととなった。同一球団から4年連続新人王受賞はプロ野球史上初。
- 10月17日には、日本テレビアナウンサーの森麻季とシーズン終了後に結婚することを発表した。12月17日、挙式・披露宴を行った。
- 2012年
- 前年に引き続き二桁勝利を達成。巨人で新人から2年連続で二桁勝利を記録したのは1966年 - 1967年の堀内恒夫(16勝、12勝)以来45年ぶりの快挙である[11]。このシーズンは「相手を制圧するピッチング」を目指し、前シーズンのオフから肉体改造に取り組んだ。シーズン当初は防御率1点台と安定していたものの交流戦を境に調子を崩し、以降は不安定な投球が目立つようになった。最終登板の横浜DeNAベイスターズ戦で5回1失点で勝利投手となりなんとか10勝に到達するも、巨人では1979年 - 1980年の江川卓(10敗、12敗)以来32年ぶりの新人から2年連続での二桁敗戦を記録、投球内容も前年より数字を落とした。
- クライマックスシリーズでは4戦目に先発登板し自責点0(失点1)と好投。日本シリーズ2戦目でも8回無失点と好投したものの、牽制のサインを見逃したため捕手の阿部にマウンド上で頭を叩かれるシーンもあった。6戦目にも登板するが、6回表に中田翔に3ラン本塁打を打たれ同点とされ、その裏に代打を送られて降板した。
- 2013年
- シーズン開幕前の第3回WBCの日本代表に選ばれ[12]、本戦では4試合に中継ぎ登板、3回1/3を1失点という成績だった。3月末に森麻季と離婚。結婚から1年5ヶ月でのスピード離婚となった[13]。
選手としての特徴 [編集]
オーバースローから平均球速約145km/h[14]、最速157km/h(プロ入り後の最速は155km/h)のストレートに縦横のスライダー、カーブ、フォークを投げ分け[15]、クイックも1.0秒台と速い[16]。フォークはSFFのように落差が小さく最速147km/h[17]のスピードが出ることに加えてスライダー回転するため、縦のスライダーと混同されることもあった[18]。また、新たな球種として2012年の日本シリーズでツーシームを試しており、2013年からはカットボールを解禁する予定[19]。
最速157km/hのストレートが注目されるものの、本人はスピードにはこだわっておらず、高めのストレートと低めの変化球が生命線だと語っている[15]一方でピッチングに『若さ』を出したいとも語っている[20][21]。また右打者の内角をつくストレートに自信を持っている[1]。
奪三振率は通算7.59と特に高いわけではなく、「三振をいくつ取れた」や「三振を取れるストレート」よりも打者を打ち取ることを最重要視しているという[22]。
人物 [編集]
2012年に巨人が日本一に輝いた際に出演したテレビ番組で「日本一になったらなにをするか」と問われ、同僚の阿部慎之助、内海哲也が「家族サービス」と答える中、「トレーニング」というほどの練習好き[23]。特に大学時代から取り組み始めたウェイトトレーニングに熱心で、2011年現在はスクワットで240kgの重量を10回持ち上げる[24]。
憧れの選手は斉藤和巳[21]。 座右の銘は「猪突猛進」。趣味は家電で「語ると何時間も話せる」と豪語するほど[25]。
2012年よりアンダーアーマーとアドバイザリー契約を結び、同社のグラブやスパイク、ウェアを使用している[26]。
詳細情報 [編集]
年度別投手成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011 | 巨人 | 29 | 29 | 5 | 1 | 1 | 11 | 11 | 0 | 0 | .500 | 786 | 200.0 | 149 | 14 | 45 | 1 | 5 | 174 | 5 | 3 | 53 | 45 | 2.03 | 0.97 |
| 2012 | 27 | 26 | 2 | 1 | 0 | 10 | 10 | 0 | 0 | .500 | 716 | 169.2 | 172 | 12 | 54 | 0 | 4 | 138 | 2 | 0 | 56 | 54 | 2.86 | 1.33 | |
| 通算:2年 | 56 | 55 | 7 | 2 | 1 | 21 | 21 | 0 | 0 | .500 | 1502 | 369.2 | 321 | 26 | 99 | 1 | 9 | 312 | 7 | 3 | 109 | 99 | 2.41 | 1.14 | |
- 2012年度シーズン終了時
表彰 [編集]
- 新人王 (2011年)
- 日本プロスポーツ大賞最高新人賞 (2011年)
- 東京ドームMVP特別賞:1回 (2011年)
記録 [編集]
- 投手記録
- 初登板・初先発:2011年4月15日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6回2/3を2失点
- 初奪三振:同上、3回裏に倉義和から空振三振
- 初勝利・初先発勝利:2011年4月21日、対阪神タイガース3回戦(阪神甲子園球場)、7回1失点
- 初完投勝利:2011年5月31日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(西武ドーム)、9回1失点8奪三振
- 初完封勝利:2011年10月8日、対中日ドラゴンズ20回戦(ナゴヤドーム)、7奪三振
- 打撃記録
- 初打席:2011年4月15日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回表にディオーニ・ソリアーノから見逃三振
- 初安打・初打点:2011年5月11日、対横浜ベイスターズ5回戦(東京ドーム)、5回裏にクレイトン・ハミルトンから左前適時打
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回(2011年)
- 1イニング4奪三振:2012年4月13日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、5回裏に石川雄洋・黒羽根利規・小林太志(振り逃げ)・金城龍彦から ※史上14人目(セ・リーグ7人目)
- 新人から2年連続二桁勝利:巨人では1966 - 67年の堀内恒夫(16勝・12勝)以来45年ぶり。
背番号 [編集]
- 15 (2011年 - )
登場曲 [編集]
- 「You Belong with me」Taylor Swift(2011年)
- 「Green boys」GReeeeN(2011年シーズン途中 - 同年シーズン終了)
- 「涙が落ちないように」COLOR(2012年)
参考文献 [編集]
- 節丸裕一『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』講談社、2011年
脚注 [編集]
- ^ a b c 節丸裕一 『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』 講談社、2011年。ISBN 978-4-0629-5066-4。
- ^ a b c 沢村 涙の理由は…巨人でなければ、ヤンキースだった スポニチ2010年12月1日
- ^ <本格派誕生秘話> 澤村拓一 「不器用さが生んだ剛速球」(3/4) Number Web 2011年4月15日
- ^ 野球 : 中大・高橋監督「巨人・沢村が2ケタ勝つ条件」 SPORTS COMMUNICATIONS 2011年3月16日
- ^ “沢村拓一選手(読売巨人軍・2011年卒業)が新人賞(新人王)に選ばれました”. 中央大学. 2012年10月28日閲覧。
- ^ 巨人の沢村、相思相愛実った!/ドラフト SANSPO 2010年10月29日
- ^ 巨人 沢村にあいさつ 用意した背番号15の意味は?SponichiAnnex 2010年10月30日
- ^ 中日、沢村投手を1位指名へ スポーツ報知2010年10月17日 リンク切れ
- ^ ドラ1は沢村を基本線…直前に指揮官の意向確認スポニチアネックス 2010年10月28日
- ^ 沢村に花道を邪魔される落合監督の皮肉 日刊ゲンダイ201年10月15日
- ^ “沢村入団後連続10勝 Gは堀内氏以来”. デイリースポーツ. (2012年10月6日) 2012年10月8日閲覧。
- ^ WBC日本代表 最終メンバーにG戦士7選手 読売巨人軍公式サイト
- ^ 沢村が離婚 昨年から協議、先月末届け出 2013年4月13日閲覧。
- ^ 変化球ラーニング スライダー編 澤村拓一『週刊ベースボール』2011年26号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-6/20、24-25頁。
- ^ a b 『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-98、12-14頁。
- ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、2頁。ISBN 978-4-331-51519-8。
- ^ 沢村“147キロフォーク”封印解く!「自信ある」最終兵器報知新聞2011年2月14日。
- ^ ドラフト候補をたっぷり語る 『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-98、47頁。
- ^ 沢村「魔球」解禁で先発再浮上 nikkansports.com 2013年2月19日
- ^ 『野球小僧』2010年10月号、白夜書房、雑誌18801-10、172-175頁。
- ^ a b ドラフト指名選手の野球人生ドキュメント『野球小僧』2010ドラフト総決算号、白夜書房、雑誌67614-98、84-89頁。
- ^ 巻頭独占インタビューⅡ 澤村拓一『週刊ベースボール』2011年9号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-2/28、10-13頁。
- ^ G澤村、離婚発表も筋肉ツイ連投 R25.jp 2013年04月19日
- ^ <本格派誕生秘話> 澤村拓一 「不器用さが生んだ剛速球」(1/4) Number Web 2011年4月15日
- ^ 沢村、救援陣打たれ白星消滅も「僕の力不足」スポニチ2011年4月16日。
- ^ 巨人沢村“社運”託された契約 nikkansports.com 2012年1月29日
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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