金子誠
| 北海道日本ハムファイターズ #8 | |
|---|---|
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|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 千葉県我孫子市 |
| 生年月日 | 1975年11月8日(36歳) |
| 身長 体重 |
185cm 84kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 内野手 |
| プロ入り | 1993年 ドラフト3位 |
| 初出場 | 1995年4月2日 |
| 年俸 | 9.250万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 2004年 |
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この表について
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|
| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子 野球 | ||
| 銅 | 2004 | 野球 |
金子 誠(かねこ まこと、1975年11月8日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(内野手)。
妻は元テレビ朝日のスポーツ記者・ニュースキャスターの白木清か。愛称は「マック」、「マコ」、「相談役」。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
茨城・常総学院高等学校で甲子園には春夏合わせて3回出場。高校時代は遊撃手をしていた。3年夏(1993年・第75回選手権大会)は、準決勝で土肥義弘を擁する春日部共栄高等学校に敗退。同大会では全試合で安打を記録した。同年秋のドラフト会議で日本ハムに3位指名されて入団した。
[編集] プロ入り後
プロ3年目の1996年にレギュラー二塁手となり、打率.261、パシフィック・リーグ最多の38犠打を記録し、その年のパ・リーグ最優秀新人(新人王)に選ばれた。同年のセントラル・リーグの新人王は、同じ常総学院のOBでもある仁志敏久だった。
1997年に自身初の2桁本塁打(12本)、打率.277を記録。この年は1票差でゴールデングラブ賞受賞を逃すも、翌1998年、1999年と2年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。
2002年になると、それまで正遊撃手だった田中幸雄が三塁手にコンバートされたのに伴い、遊撃手にコンバートされた。また、兄貴分として慕っていた片岡篤史が阪神タイガースへ移籍したため、片岡が付けていた背番号8を受け継いだ。
2005年はトレイ・ヒルマン監督(当時)に出塁率の低さを指摘され、新外国人のエリック・アルモンテに遊撃手のレギュラーの座を奪われて開幕二軍スタートとなるも、アルモンテの不振によって5月に一軍昇格し、レギュラーに復帰した。シーズンオフに、札幌グランドホテル開催された選手ディナーショーに出演しファン層拡大に努めた。
2006年に日本ハム選手会の会長に就任。この年のパ・リーグプレーオフからはリストバンドを浅葱色のもの(2006年オールスター休み時に行われたデパートのトークショーにてテーマカラーに決定。ファンから「一つの色にこだわってみないか」と提案され、のり気ではなかった金子は「皆さんで決めてください」と回答。その時着ていた上着の色が水色だったことから水色を提案される。浅葱色になったのは、坪井智哉のサックスブルーとかぶらないために変えた。 その色が新選組の隊服のダンダラ羽織の色に酷似していたことから、五稜郭の誠の旗が非公式応援グッズとしてファンの間で使われ始める。
2007年には主将に就任。シーズン序盤は打線全体の低調ぶりと相反して金子の打撃は好調だったためクリーンナップを打つこともあったが、主に九番を打った。打率.243(リーグ最下位)ながら得点圏打率は.285で、チーム3位の53打点を記録した。しかし翌2008年は開幕から打撃不振でケガもあり絶不調に。9月以後持ち直すも打率・本塁打数は前年をも下回ってしまった。同年オフに同じ遊撃手の二岡智宏がトレードで日本ハムに加入したことについて、対抗心こそ見せないが「自分らしく」と、マイペースな意気込みを語った。ちなみに金子の弟は近畿大学出身で、二岡の1年後輩に当たる。
2009年からは選手会長の座を後輩の田中賢介に、主将の座も稲葉篤紀にそれぞれ譲ることになった。4月には7日の対千葉ロッテマリーンズ戦から15日の対オリックス・バファローズ戦にかけて、日本プロ野球新記録となる7試合連続二塁打を放った事と、月間打率.423が評価されてパ・リーグ月間MVPに野手部門で選ばれた。[1]最終的に、1997年以来の2桁本塁打と、キャリア初の打率3割を記録した。自身3度目となるゴールデングラブ賞を受賞、過去の2度は二塁手部門で、遊撃手部門としての受賞は初。これらの好成績が評価され、12月10日には球団との交渉の結果、自身初めての1億円越えとなる1億3500万円(推定)の年俸で来季の契約を更改した。なお、金子の初めての1億円越えは17年目のことであり、球団史上最も遅い記録だった。[2]
2010年は痛めていた両足のアキレスけん痛や股関節痛で開幕から2軍スタートだった。その後1軍復帰するも右内側腓腹筋の筋挫傷(2度=中等度)[3]で2軍落ちした。その後の出場は1度もないままシーズンを終えた。
2011年は故障への配慮から飯山裕志、今浪隆博らと併用され、一度も二軍落ちせずシーズンを乗り切ったが、打撃成績・守備成績ともに下降した。
[編集] 人物・プレースタイル
自称あまのじゃくで、マスコミなどに「期待してます」と言われると「期待しないでください」と答えたり、みんなの期待を裏切る発言をすることが多い。その際に背中に「あまのじゃくですから」と印刷されたTシャツを見せることがある(このTシャツはチームメイト数名も着用しているが、金子曰く発売の意志はないという)。
入場曲については、特に音楽に興味が無く、フロントに「掛け無くていい」「入場曲なんて掛けた所で(自分は)テンションや集中力が上がる事は無い」と伝えたら、「それは困る」と言われしぶしぶ消去法で決めた。当分変わる事は無い模様。
2010年にふくらはぎを痛めた際のリハビリとして、当時の同僚建山義紀に薦められた7000円もする高価な地下足袋を購入し、練習に使っている。その効果は大きく、すぐに復調し、選手の多くが金子を通じて同じ足袋を購入しているほど。
引退する時には若手時代にプレーしていた「セカンドを守って終わりたい」と語っている。引退後の遊撃手の後継者として後輩の田中賢介を指名している。打撃よりもゴールデングラブ賞を3度獲得した守備が好きであり、「守備のことなら1週間話せる」と2009年のFFFFF新旧リーダー対談で語っている。試合中は颯爽とプレーすることがチームカラーであり大切であると考えているため、試合中の攻守交代や打撃時に凡退したとしても、全力疾走でプレーすることを心がけている。
打撃に関しては波があり、好調なシーズンと不調なシーズンがはっきりしている。長打力はあまり無いが、1997年と2009年には二桁本塁打を記録している。特に2009年は開幕から絶好調で、「恐怖の9番打者」として恐れられた。
フリーエージェント権を取得しても行使せず残留し、「生涯ファイターズ宣言」をしている。
2005年のドラフトで同姓の金子洋平が入団してきたため、「金子誠」と表記されるようになる。2009年限りで金子洋平は引退したが、以降も新聞などではフルネームで表記されている。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995 | 日本ハム | 4 | 6 | 6 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .333 | .333 | .500 | .833 |
| 1996 | 117 | 465 | 395 | 50 | 103 | 14 | 2 | 4 | 133 | 33 | 15 | 2 | 38 | 4 | 25 | 0 | 3 | 67 | 5 | .261 | .307 | .337 | .644 | |
| 1997 | 134 | 604 | 513 | 80 | 142 | 18 | 2 | 12 | 200 | 53 | 13 | 9 | 36 | 5 | 46 | 0 | 4 | 91 | 10 | .277 | .338 | .390 | .728 | |
| 1998 | 127 | 442 | 380 | 53 | 100 | 10 | 2 | 4 | 126 | 26 | 11 | 3 | 20 | 0 | 40 | 0 | 2 | 42 | 7 | .263 | .336 | .332 | .668 | |
| 1999 | 135 | 473 | 416 | 56 | 114 | 17 | 3 | 3 | 146 | 29 | 4 | 6 | 18 | 0 | 38 | 0 | 1 | 65 | 11 | .274 | .336 | .351 | .687 | |
| 2000 | 113 | 445 | 402 | 53 | 93 | 12 | 1 | 3 | 116 | 31 | 12 | 4 | 15 | 0 | 26 | 1 | 2 | 40 | 5 | .231 | .281 | .289 | .570 | |
| 2001 | 140 | 559 | 501 | 57 | 127 | 22 | 2 | 8 | 177 | 56 | 9 | 9 | 10 | 4 | 38 | 3 | 6 | 65 | 4 | .253 | .311 | .353 | .665 | |
| 2002 | 104 | 434 | 393 | 46 | 112 | 19 | 3 | 6 | 155 | 29 | 9 | 4 | 17 | 1 | 19 | 1 | 4 | 44 | 2 | .285 | .324 | .394 | .718 | |
| 2003 | 117 | 409 | 373 | 42 | 91 | 19 | 2 | 3 | 123 | 33 | 8 | 6 | 6 | 5 | 22 | 2 | 3 | 61 | 10 | .244 | .288 | .330 | .618 | |
| 2004 | 109 | 372 | 332 | 42 | 85 | 15 | 1 | 3 | 111 | 39 | 5 | 2 | 6 | 2 | 28 | 0 | 4 | 86 | 7 | .256 | .320 | .334 | .654 | |
| 2005 | 79 | 230 | 208 | 19 | 50 | 9 | 1 | 4 | 73 | 24 | 2 | 2 | 8 | 1 | 13 | 1 | 0 | 33 | 3 | .240 | .284 | .351 | .635 | |
| 2006 | 126 | 439 | 393 | 44 | 100 | 26 | 3 | 6 | 150 | 40 | 7 | 1 | 15 | 4 | 24 | 3 | 3 | 63 | 5 | .254 | .300 | .382 | .681 | |
| 2007 | 132 | 470 | 419 | 34 | 102 | 15 | 4 | 4 | 137 | 53 | 9 | 5 | 20 | 0 | 27 | 0 | 4 | 78 | 9 | .243 | .296 | .327 | .623 | |
| 2008 | 96 | 331 | 291 | 24 | 63 | 16 | 0 | 2 | 85 | 29 | 0 | 1 | 13 | 5 | 20 | 0 | 2 | 76 | 5 | .216 | .267 | .292 | .559 | |
| 2009 | 136 | 510 | 454 | 58 | 138 | 31 | 2 | 14 | 215 | 66 | 6 | 4 | 22 | 4 | 27 | 0 | 3 | 88 | 8 | .304 | .344 | .474 | .818 | |
| 2010 | 77 | 291 | 264 | 30 | 69 | 10 | 0 | 5 | 94 | 34 | 2 | 2 | 15 | 0 | 12 | 0 | 0 | 60 | 7 | .261 | .293 | .356 | .650 | |
| 2011 | 98 | 279 | 256 | 18 | 60 | 7 | 1 | 3 | 78 | 20 | 0 | 1 | 12 | 0 | 11 | 0 | 0 | 49 | 5 | .234 | .266 | .305 | .571 | |
| 通算:17年 | 1844 | 6759 | 5996 | 706 | 1551 | 261 | 29 | 84 | 2122 | 595 | 112 | 61 | 271 | 35 | 416 | 11 | 41 | 1008 | 104 | .259 | .309 | .354 | .663 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 年度別守備成績
| 年 度 |
二塁 | 三塁 | 遊撃 | |||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 1995 | 3 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | - | - | ||||||||||
| 1996 | 116 | 269 | 327 | 15 | 56 | .975 | - | - | ||||||||||
| 1997 | 132 | 343 | 456 | 11 | 110 | .986 | - | 3 | 8 | 13 | 0 | 3 | 1.000 | |||||
| 1998 | 125 | 260 | 364 | 9 | 71 | .986 | - | 10 | 1 | 11 | 0 | 1 | 1.000 | |||||
| 1999 | 129 | 319 | 405 | 7 | 81 | .990 | 10 | 9 | 16 | 2 | 1 | .926 | 5 | 4 | 4 | 0 | 2 | 1.000 |
| 2000 | 112 | 250 | 368 | 7 | 81 | .989 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2001 | 140 | 352 | 439 | 10 | 103 | .988 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |||||
| 2002 | 23 | 33 | 65 | 1 | 11 | .990 | - | 83 | 103 | 227 | 8 | 41 | .976 | |||||
| 2003 | - | - | 116 | 185 | 346 | 13 | 83 | .976 | ||||||||||
| 2004 | - | - | 109 | 173 | 316 | 13 | 71 | .974 | ||||||||||
| 2005 | - | - | 79 | 106 | 191 | 4 | 52 | .987 | ||||||||||
| 2006 | - | - | 126 | 198 | 391 | 10 | 90 | .983 | ||||||||||
| 2007 | - | - | 132 | 172 | 408 | 12 | 80 | .980 | ||||||||||
| 2008 | - | - | 96 | 142 | 287 | 2 | 54 | .995 | ||||||||||
| 2009 | - | - | 136 | 203 | 446 | 8 | 76 | .988 | ||||||||||
| 2010 | - | - | 77 | 113 | 261 | 10 | 59 | .974 | ||||||||||
| 2011 | - | - | 97 | 114 | 246 | 11 | 40 | .970 | ||||||||||
| 通算 | 780 | 1827 | 2425 | 60 | 514 | .986 | 10 | 9 | 16 | 2 | 1 | .926 | 1071 | 1522 | 3148 | 91 | 652 | .981 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 表彰
- 新人王:1996年
- 東京ドームMVP:1回 (1997年)
- ベストナイン:1回(二塁手・1999年)
- ゴールデングラブ賞:3回(二塁手:2回、1998年・1999年、遊撃手:1回、2009年)
- 月間MVP:1回(2009年4月)
- 千葉県知事賞(2004年):アテネ五輪野球日本代表メンバーとしての銅メダル獲得を称えて
[編集] 記録
- 初記録
- 初出場:1995年4月2日、対近鉄バファローズ2回戦(藤井寺球場) - 9回表に五十嵐信一への代走
- 初先発出場:1995年10月3日、対西武ライオンズ13回戦(西武ライオンズ球場) - 八番・二塁手
- 初安打:同上 投手:小野和幸
- 初打点:1996年4月12日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム) - 投手:エリック・ヒルマン
- 初盗塁:1996年4月17日、対福岡ダイエーホークス4回戦(福岡ドーム) - 投手:内山智之、捕手:吉永幸一郎
- 初本塁打:1996年5月5日、対近鉄バファローズ6回戦(藤井寺球場) - 投手:池上誠一
- 節目の記録
- 通算1000試合出場:2004年4月16日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(東京ドーム)で達成。史上391人目。
- 通算1000安打:2005年8月23日、対西武ライオンズ15回戦(インボイスSEIBUドーム)で7回に大沼幸二から中前打を放ち達成。史上236人目。
- 通算200犠打:2007年8月14日、対福岡ソフトバンクホークス15回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)で達成。史上27人目。
- 通算1500安打:2011年4月20日、対オリックス・バファローズ2回戦(ほっともっとフィールド神戸)で小林雅英からレフトへの二塁打を放ち達成。史上107人目。
- その他記録
- オールスターゲーム出場:3回(2002年、2004年、2009年)
- 5年連続守備率1位:1997年 - 2001年。二塁手のパ・リーグタイ記録。
- 1試合5三振:1997年6月14日、対西武ライオンズ13回戦(西武ライオンズ球場)で記録。プロ野球最多タイ。
- 1試合遊撃手最多11補殺:2004年7月6日、対大阪近鉄バファローズ14回戦(札幌ドーム)、8回表の守備で記録。
- 7試合連続二塁打:2009年4月7日の対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム)から4月15日の対オリックス・バファローズ2回戦(札幌ドーム)まで。7試合連続は史上最多。
[編集] 背番号
- 30 (1994年 - 2002年)
- 8 (2003年 - )
[編集] 登場曲
[編集] 関連情報
[編集] 出演
[編集] 脚注
- ^ 初受賞がプロ16年目なのは、1992年の金石昭人(日本ハム)の14年目を更新し、月間MVP制定後、パ・リーグで最も遅咲きの初受賞となった。
- ^ 日本ハム・金子誠、17年目の1億円到達!(サンケイスポーツ)‐2010年1月17日閲覧。
- ^ 北海道日本ハムファイターズ公式サイト ニュース 金子誠選手の診断結果
[編集] 関連項目
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