背番号
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背番号(せばんごう)とは、スポーツ選手のユニフォームの背中に識別のためにつける番号のことである。数字さえ覚えておけば、選手名を見なくても誰なのかが分かる。また背番号は単なる数字でなく選手の象徴となり、しばしば思い入れの対象にもなりうる。
背番号の文字には現代では、アラビア数字が使われるが、日本においては漢数字が使われた時代がある。競技によっては、特定の数字の使用を禁じるルールが採用される場合もある。
団体競技の場合には、大抵のスポーツで背番号が与えられる。個人競技の場合には、ゴルフなど背番号とは無縁のものと、陸上競技などのように背番号(選手登録時に申告した番号または競技会主催者が用意したもの)が与えられるものがある。
団体競技では、背番号により概ねのポジションが推定可能である場合がある。
プロスポーツにおいては、名選手を称えるため、その選手の背番号を永久欠番として使用を控える場合がある。また、永久欠番までには至らなくても、そのチームにおいて名誉ある背番号であるとされる場合もある。
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[編集] 陸上競技
陸上競技では、1人の選手が複数の種目に参加することもあり、他の選手と重複しない1つの番号を種目に関係なく使う。所属団体や参加する大会の単位で採番されるため、チームごとに採番される「背番号」とは位置づけが異なる。球技の場合における、協会や連盟から発行される登録者番号に等しいものと考えることができる。
地区レベルの大会では、選手が所属する地区の陸上競技協会へ選手登録(登記)する際に申告した番号を使用する。競技会では、番号を書いた布地(ゼッケン。日本陸上競技連盟による正式名称は「ナンバーカード」。最近は後者で呼ぶことが普通)を服装の前面と背面に縫いつける。ただし、地域のシティマラソンや大規模な大会の場合は不織布でつくられたものを、その大会のみ使用することが多い。
競技会によっては、トラック競技の順位判定における番号確認を容易にするため、同一組の選手に1から順に番号を割り当てた通称「腰ゼッケン」をパンツの右側に付ける。ただし、リレー競技の場合はアンカーのみが使用。腰ゼッケンは大抵の場合、主催者によって用意される。
夏季オリンピックや世界陸上選手権、全国規模の大会や冠スポンサーが付いた大会などでは、主催者によって用意されたナンバーカード(冠スポンサー名・大会名が入る)を用いる。
番号は、登録者の数もあり3桁や4桁に及ぶ。また、球技のような永久欠番という概念はなく、特定の選手に暗黙で特定の番号が割り当てられるということもない。
但し、通常の参加選手と、主催者による招待選手で、それぞれ異なる色のナンバーカードを用意する場合がある。この場合、招待選手は1から採番されることが多く、トップ選手や有名選手が1番を割り当てられることが多い。またナンバーカードは、例えば一般選手は白、招待選手は黄など、明確に識別できるようなカラーリングがされている。また、市民マラソンなどでは、招待選手に番号ではなく「氏名」が書かれたナンバーカードを着用させる場合もある。
[編集] 野球
背番号は多くの選手やファンにとって単に識別の記号でなく、しばしば「もうひとつの顔」として思い入れの対象ともなっている。背番号をおぼえておけば、簡単に選手をイメージできる。例えば51番といえば、シアトル・マリナーズのイチロー選手の背番号、“読売ジャイアンツの1番”といえば王貞治、同じく“3番”といえば長嶋茂雄である。
野球の背番号には、以下のような規定、または習慣がある。
[編集] 少年野球
連盟によって異なるが、少年野球は、10番が主将、30番が監督、29、28がコーチ(場合によっては27がコーチになることも)と定められている場合が多い。
[編集] 高校野球
初めて日本の野球で背番号がつけられたのは、1931年(昭和6年)の第8回選抜高等学校野球大会である。同じ年の第一回日米野球でも背番号がつけられた。
高校野球の場合には、出場枠に応じて1番から始まる背番号(例えば18番まで)を使用する。概ね、正選手には、投手の1番から右翼手の9番まで守備番号に対応した番号が与えられる。
- 投手(ピッチャー):1番
- 捕手(キャッチャー):2番
- 一塁手(ファースト):3番
- 二塁手(セカンド):4番
- 三塁手(サード):5番
- 遊撃手(ショート):6番
- 左翼手(レフト):7番
- 中堅手(センター):8番
- 右翼手(ライト):9番
しかし、必ずしも背番号と守備番号が一致していなくてもよい。
また、2番手投手には10番、3番手以降の投手には11番や18番、控え捕手には12番、控え一塁手には13番、また控え選手が主将の場合には10番が付けられることが多い。
[編集] 大学野球
東京六大学野球連盟など14連盟では30が、関西学生野球連盟など10連盟では50が、監督の背番号と定められている。なお、東京新大学野球連盟では53、関西六大学野球連盟では60である。コーチの背番号も連盟によって異なり、40・50をつける連盟、51・52をつける連盟などがある。
東京六大学野球連盟など19連盟では10が、東都大学野球連盟など7連盟では1が、主将の番号と決められている。
その他の番号の付け方は大学によっても特徴があり、たとえば早稲田大学では6が正捕手で9は欠番(試合中の事故で亡くなった東門明選手を偲んだ)、明治大学は高校野球風に番号付与し、シーズン中でも頻繁に背番号が変更される、法政大学はおおむね1ケタ番号は内野手・10番台は投手・20番台が外野手、など様々である。
[編集] 日本のプロ野球
[編集] 歴史
- 1931年 第1回日米野球大会の第6・7戦において、日本チームが初めて背番号つきユニフォームを着用。
- 1935年 アメリカに遠征した大日本東京野球倶楽部(東京ジャイアンツ)が、漢数字の背番号入りユニフォームを着用。
- 1936年 日本職業野球連盟設立。日本プロ野球リーグ誕生。大リーグに倣い、打順がほぼそのまま背番号になっていた。後に誕生した大阪タイガースは名前のいろは順、阪急軍は契約順に背番号を決定した。
- 1944年 太平洋戦争の激化により、選手の背番号使用が禁じられる。
- 1947年 腸チフスで死去した黒沢俊夫の4、1944年に戦死した沢村栄治の背番号14が、日本球界初の永久欠番となる。
- 1964年 大洋ホエールズが、背番号の上にローマ字で選手の名前を入れるユニフォームを採用。十数年のうちに全球団へ広まった。
- 1975年 太平洋クラブライオンズが、ビジター用のみにユニフォームの前にも背中と同じ大きさの番号がついた「胸番号」つきユニフォームを採用。ただし不評であったため同年前期のみで廃止されている。
- 1983年 広島東洋カープの長嶋清幸が背番号0を初めて使用。戦後初期にブルペンキャッチャーなどでそれを使用したことがあるが、一軍登録選手としては史上初。
- 1988年 阪神タイガースのルパート・ジョーンズが背番号00の第1号となる。
- 1992年 ドミニカアカデミー出身の投手、ロビンソン・チェコ(広島東洋)が史上初めて3桁の背番号(106番)を使用。その後同じドミニカアカデミー出身の投手カルロス・リベラが1994年に109で2試合登板。これが現在まで一軍登録選手として最大の背番号となっている。一軍登録がない選手としては中山裕章(中日ドラゴンズ)の125が最大。支配下選手で最後に3桁の背番号をつけた選手はナタナエル・マテオで107番。
- 1993年 日本ハムファイターズが、秘密兵器の意味を込めて二村忠美の背番号を007にしたいと申請したが、パシフィック・リーグによって却下される。この時よりパ・リーグにおいて「背番号は00・0と99番以下の整数」と見解が出された。一方で、セントラル・リーグの阪神タイガースでは、松永浩美がシーズン途中に2番から02番へ変更している。
- 1997年 この年の日本シリーズにおいて、ヤクルトの各選手が欠場中の飯田哲也の背番号2を帽子やヘルメットに付けて戦い、日本一となった。「飯田はこの場にいなくとも共に戦っている」とチームの結束を示すものであり、この後ケガなどで欠場中の選手の背番号を、ナインが何らかの形で身につけることが各球団で流行した。
- 2005年 東北楽天ゴールデンイーグルスが10を永久欠番に、千葉ロッテマリーンズが26を準永久欠番に指定。いずれも「ファンのための欠番」で、それぞれファンをナインやベンチ入り選手(25人)に続く存在としたもの。
- 2006年 育成選手制度がスタートし、育成選手の背番号は100番以上を用いることが決められる(支配下選手登録時に99番以下に変更する)。
- 2007年 中日の育成選手エンリケ・ラミレスが背番号222を使用、史上最大の背番号となる。
[編集] 背番号に託されたイメージ
名選手が特定の背番号を背負って活躍すると、それを受け継ぐ選手には自然に背番号だけでなくそのイメージまでも継承することが求められてくる。こうして各チームで、特定の番号が名選手によって受け継がれるなどの伝統が生じてきた。投手のエースナンバーとして17〜21付近の番号が用いられるなどはその典型で、捕手や野手がこれらの番号を背負うことは近年では少なく、外国人選手での使用がほとんどである。
[編集] 1〜10番
1〜10は、野手がつけることが多く、特に主力級で目立つ。一桁の場合は守備番号のイメージが託される場合も多い。
1は人気と実力を兼ね備えた主力野手に与えられるのが慣例となっており、王貞治、若松勉、秋山幸二など歴代の名選手が1を背負って活躍している。現役選手には前田智徳、金城龍彦、鳥谷敬らがいる。メジャーリーグに移籍した岩村明憲、福留孝介はメジャー移籍後も1をつけ続けている。また、1は投手の守備番号であるため、1桁番号としては投手の使用も比較的多い。かつては鈴木啓示が代表例であり、現役では大嶺祐太がつけている。
捕手が1をつけるケースは非常に稀で、谷繁元信が大洋時代の4年間につけた例がある程度。だが1では防具で背番号が隠れやすいという指摘などもあり、結局は球団が横浜となった1993年から背番号を8に変更している。捕手が1をつけたのは谷繁以外に高橋博士などがいる。
外国人選手が1をつけた例は少ない。近年では阪神時代のトーマス・オマリー、西武時代のホセ・フェルナンデス、同じく西武に在籍したグレッグ・ブロッサーの例がある。外国人、ましてや監督が1をつけることは異例だが、テリー・コリンズは元来から1にこだわっていたため、オリックス監督就任時に本人の強い希望で1をつけた。この影響で、それまで1をつけていた後藤光尊は2007年から2年間、背番号の変更を余儀なくされた。
2は山崎裕之、高橋慶彦、小笠原道大などの実力派[要出典]や広岡達朗、飯田哲也、荒木雅博ら職人肌の野手[要出典]がつけることが多いが、2は捕手の守備番号であるため、捕手の使用も比較的多い。近年では城島健司が代表例であり、現役では高橋信二、銀仁朗、相川亮二がつけている。
現在の監督で1桁の背番号なのはロッテのボビー・バレンタインの2だけである。これはアメリカでの監督時代につけていた番号を引き継いだものである。
3は1同様、チームの顔となる選手がつける番号とされており、古くから中島治康、千葉茂、大下弘ら名選手の背中を飾ってきた。しかしこの番号の価値をさらに高めたのは長嶋茂雄であり、当時子供たちが3の下駄箱やロッカーを取り合うほどの人気を博した。その後も長池徳士、衣笠祥雄、清原和博(西武在籍時)ら歴史に残る名手が多く使用し、現在も立浪和義、松中信彦、中島裕之らスター選手の使用するところとなっている。
外国人選手が3をつけるケースは少ないが、現役ではホセ・フェルナンデス、ダン・ジョンソン、トッド・リンデンの3人がつけている。東京ヤクルトスワローズでは、球団史上初の外国人選手としてファンに愛され、試合中打席で倒れ急逝したルー・ジャクソン以来外国人選手の使用例が多い。球団がヤクルトの経営となって以降は、日本人選手は荒川尭、長嶋一茂、福地寿樹しかいない。
投手の3は極めて珍しいが、大洋の平松政次が長嶋茂雄に憧れて新人時代の1年だけつけていた例がある。また阪神では上田卓三が1976〜77年の2年間、「空白の一日」事件で阪神にいったん入団した形をとった江川卓が数時間だけ(登録上は1979年のシーズン開幕直前まで)3をつけた。
4は日本人にとって「死」を連想して縁起が悪いとされることから、外国人選手がつける場合が比較的多い。ただし、日本人でも主力選手がつけるケースは二塁手(二塁手の守備番号)を中心に存在し、過去には水谷実雄、大石大二郎、正田耕三などの名選手、現在でも高須洋介、阿部真宏などといったレギュラークラスの選手がつけている。
投手が1以外の1桁番号をつけることはまれであるが、阪神では投手が4をつけるケースが多く見られ、ジーン・バッキー、藪恵壹、ライアン・ボーグルソンらが使用していた。また阪神以外では武田一浩、ジョー・バレンタインらが使用していた。
5は好守のセンターラインタイプ[要出典](辻発彦、新庄剛志、石井琢朗など)や長距離砲タイプ[要出典](大島康徳、清原和博、和田一浩など)が使用。
6は長距離砲タイプ[要出典](中西太、金本知憲、小早川毅彦など)と巧打の安打製造機タイプ[要出典](藤田平、宮本慎也、井端弘和など)の両極端のタイプ、そして両タイプの特徴をあわせ持つタイプ[要出典](落合博満、井口忠仁ら)が使用。投手の6は珍しいが、ジョー・スタンカ、久保康生、トム・デイビーなどの使用例がある。
7は俊足の盗塁王タイプ[要出典](福本豊、松井稼頭央、西岡剛など)や、長距離砲タイプ(豊田泰光、宇野勝、山崎武司など)が使用。現在では二塁手や遊撃手を守る選手(仁志敏久、片岡易之、田中浩康など)が多いが、一塁手や三塁手を守る選手は少ない(山﨑武司、今岡誠など)。また、外野手(濱中おさむ、坪井智哉など)での使用は減っている。
8は大砲、長距離打者タイプ[要出典](山本浩二、大杉勝男、原辰徳など)のイメージはあるが、好打者タイプ[要出典](高田繁、有藤道世、松永浩美など)の打者も使用している。
9はここ一番の切り札タイプ[要出典](新井宏昌、佐野仙好、杉浦享)の打者が多い。現役では緒方孝市、小久保裕紀、福浦和也など。
10は藤村富美男、張本勲、加藤秀司ら野手の番号として用いられている。服部受弘、山下和彦、阿部慎之助らのように捕手での使用例も多い。逆に10を投手が背負うことは少ない。投手では過去に水谷則博、山原和敏、マイク・ウッドらが、現役ではライアン・グリンがつけている。東北楽天ゴールデンイーグルスでは、ファンを重視する視点からファンのための背番号(スターティングメンバー9人に続く10人目の意味)として10を永久欠番に指定している。
[編集] 11〜21番
現在、11〜21は投手がつけることが多く、野手がこれらの番号を背負うことは少ない。ただし、アメリカなどでは11〜21はむしろ捕手や野手が背負うケースが多く、このため近年野手で11〜21を背負ったのは外国人選手が多い。過去にジョージ・アリアスの14、ナイジェル・ウィルソンの15、ラルフ・ブライアントの16など、現役ではエドガルド・アルフォンゾの13、ルイス・ヒメネスの14がその例である。ただしこうした習慣は1990年代頃から一般化したものであり、それ以前には西沢道夫の15、川上哲治の16、野村克也の19など日本人でも野手の使用例は少なくなかった。
11は別所毅彦、村山実など実績ある投手が多く使用してきたが、近年斎藤雅樹、野茂英雄、川上憲伸などの活躍によってさらに価値が高まり(特に近鉄では、野茂英雄→吉井理人→大塚晶文のメジャーリーガー3人を生んだ)、18と並ぶエースナンバーという認識ができつつある。現役選手ではダルビッシュ有、岸孝之、コルビー・ルイスら各球団のエース級や由規、山口俊ら将来を期待される若手が使用している。また野手では過去に藤井勇、河野旭輝、大島康徳らが使用していた。
12は投手がつけることが多い11〜21の中では野手がつけることも比較的多い番号である。捕手では過去には和田博実、田中尊、袴田英利などが、現役では高谷裕亮が使用しており、野手では過去には柴田勲、大熊忠義、広瀬叔功などが、現役では鈴木尚広、草野大輔、小窪哲也が使用している。
13は投手の使用が多く、石本貴昭以外の主なるタイトルホルダーが出ていなかったが、近年になって西口文也、岩瀬仁紀がタイトルホルダーになった。また野手では過去に上田利治、ロベルト・ペタジーニ、大島公一らが使用していた。
14は沢村栄治以来投手での使用が多く、津田恒美、阿波野秀幸、今中慎二らタイトルホルダーを多数輩出している。また野手では過去に木塚忠助、谷沢健一、ジョージ・アリアスらが使用していた。
15は投手の使用が多く、福岡ソフトバンクホークスではかつて中継ぎのエースとして1999年の優勝に貢献し現役中に急逝した藤井将雄を偲び準永久欠番扱いになっている。また捕手や野手では過去に西沢道夫、山倉和博、ナイジェル・ウィルソンらが使用していた。
16は過去では川上哲治、岡田彰布、ラルフ・ブライアントらの野手が使用していたが、現在では多田野数人、安藤優也、平野佳寿ら投手の使用が多い。
17は投手の使用が多く、古くはヴィクトル・スタルヒンから山田久志、牛島和彦、槙原寛己などエース級の番号としてなってきた。特に東京ヤクルトスワローズでは松岡弘→川崎憲次郎→川島亮とエースナンバーとして引き継がれている。また野手では過去に門前眞佐人、光山英和、吉田剛らが使用していた。
18は各球団の主力投手がつけるエースナンバーとして定着しており、この番号を野手が使用することは非常にまれである。日本のプロ野球では1987年のシクスト・レスカーノ(日本人選手では1963〜1964年の中日・小木曽紀八郎)を最後に、2009年現在に至るまで、18は野手に使用されていない。
日本の野球において18がエースナンバーになったのは、若林忠志、中尾碩志、野口二郎らプロ野球草創期のエースたちが使用していたことが最も大きな要因とされる。他に歌舞伎の「十八番」からの連想から来ているという説もあるが、この真偽についてはよくわかっていない。
巨人では、18が中尾碩志→藤田元司→堀内恒夫→桑田真澄と球史に残る名投手に引き継がれている。その他の使用例についてはエースナンバーの項目も参照。
19は過去では筒井敬三、野村克也、関根潤三らの捕手や野手が使用していたが、近年は林昌範、石川雅規、吉見一起ら投手での使用が多い。
20は特に中日で杉下茂→権藤博→星野仙一→小松辰雄→宣銅烈→川崎憲次郎→中田賢一と受け継がれており、伝統的エースナンバーとなっている。また野手では過去に近鉄・巨人でこの番号を使用していたタフィ・ローズが代表例である。
21も各球団で重きを置かれている背番号であり[要出典]、特にファイターズ・ライオンズ・ホークスなどで伝統的にエース格の投手が着用している。現役選手では高橋尚成、和田毅、岩隈久志など。また捕手や野手では過去に関川浩一、フリオ・フランコ、平井光親らが使用していた。
[編集] 22〜69番
22、27、39は伝統的に捕手の背番号とされている。22の捕手として水沼四郎、田淵幸一、里崎智也など、27の捕手には森昌彦、伊東勤、古田敦也など、39の捕手には土井淳、中村武志、矢野輝弘などがいる。
22は近年佐々木主浩や高津臣吾らの影響で、藤川球児、建山義紀、越智大祐などのリリーフ投手がつける例が増えてきている。名選手の活躍により、番号にイメージが付与される好例といえる。
23は主に野手に用いられ、古くは青田昇、飯田徳治、吉田義男が用いた。近年では関川浩一、ロバート・ローズ、青木宣親など、俊足・巧打タイプ[要出典]の野手が多い。また横山竜士のように、この番号を選ぶ理由としてNBAのマイケル・ジョーダンに憧れていることを由来にする選手も多い。
24は投手・野手両方に使用されている。投手では稲尾和久、宮田征典、大野豊などが、野手では中畑清、高橋由伸、桧山進次郎などがいる。
25はバリー・ボンズの影響などもあり、セ・リーグでは特に李承燁、村田修一、新井貴浩などのチームの主砲となっている野手に見られる。
26は巨人では中村稔、西本聖、内海哲也ら投手が、横浜では近藤和彦、田代富雄、佐伯貴弘ら野手が伝統的に使用している。また、千葉ロッテでは「ベンチ入り25人に続く26番目の選手」という意味からファン向けの背番号とし、欠番とされている。
27は古くから横浜と千葉ロッテでは投手の番号とされ、過去には平松政次や牛島和彦といった名投手、現在も山北茂利、古谷拓哉が使用している。他球団でも近年では、江尻慎太郎(日本ハム)、門倉健(巨人)、スコット・アッチソン(阪神)などのように投手が使用する例が増えてきている。また、千葉ロッテでは例外的にチアパフォーマーM☆Splash!!の番号としても27が同時に使われている(ファンと共にチームを応援する存在の意)。
28は阪神時代の江夏豊以来、星野伸之、岡島秀樹、福原忍ら実力派投手の背番号のイメージが定着した[要出典]。また、28は捕手の番号として与えられる場合もあり、過去に衣笠祥雄(捕手時代)、八重樫幸雄。現役では川本良平、大野奨太などが使用している。江夏豊については小川洋子の『博士の愛した数式』で完全数として取り上げられた。
29は村田兆治、鈴木孝政をはじめ江本孟紀、小野晋吾、井川慶といった実力派投手のイメージが強い[要出典]。
30は古くは監督の背番号とされていたが、近年では背番号30の監督は上田利治(阪急・オリックス、1974年〜1978年、1981年〜1990年)以来現れていない。近年では投手の背番号として使用されることが多く、かつては江川卓、小林雅英など、現在では西村健太朗、久保田智之、坂元弥太郎などがいる。
31は主砲であった掛布雅之の影響があり、阪神においてはレギュラークラスの選手がつけるケースが多い。掛布以降萩原誠、濱中おさむ、林威助ら主砲として期待される若手に使用されている。他球団では中日の森野将彦や横浜の吉村裕基など。また現役投手でも千葉ロッテの渡辺俊介や福岡ソフトバンクの佐藤誠が使用している。
33はかつては毒島章一・梶本隆夫らの名選手が背負った。現役では江藤智、葛城育郎、平井正史らここ一番に頼りになる投打の切り札が付けている。第二次長嶋政権時代の長嶋茂雄の背番号でもある。
34は金田正一やノーラン・ライアンが活躍して以来、左の投手(村田辰美、川口和久、山本昌ら)が使用が多くなっている。
35は巨人の若手選手の出世番号であり[要出典]、淡口憲治、清水隆行、亀井義行がこの番号を背負ってブレイクした。
36は巨人では国松彰、柳田俊郎、中井康之、長嶋一茂らスーパーサブの野手[要出典]での使用が多い。
37も出世番号[要出典]。岡島秀樹、田中幸雄 (内野手)、緒方孝市らはプロ入り当初は37を付けており、特に岡島はメジャー移籍後再びこの番号を付けている。
40はエンディ宮本はじめ、達川光男、藤瀬史朗ら個性豊かなプレイヤー[要出典]が多い。
41は「良い」という語呂合わせで選手たちには好まれる番号である。事実語呂通り谷沢健一、稲葉篤紀、小林宏之らはこの背番号を背負ってタイトルを獲得した。
42は逆に、「死に」につながるため日本人選手は避ける傾向があるが、MLBにおいては42はジャッキー・ロビンソンなどの背番号であり、MLB全30球団で永久欠番となっているため、外国人選手に好まれている。42を背負う日本人選手は、過去には真弓明信(太平洋・クラウン時代)、清水雅治(中日)、現在では下柳剛、木田優夫、長谷川昌幸などがいる。
44はレジー・ジャクソンやハンク・アーロンの番号ということもあり、外国人選手の使用例が多い。三冠王を獲得したブーマー・ウェルズ、ランディ・バースの44は今なお印象に残る番号である。日本人選手では山本功児、加藤博一、大道典嘉らいぶし銀的選手が使用している。
45は角盈男、パンチ佐藤、大久保博元ら現役引退後もマスコミで活躍している選手がデビュー時に使用していた。
47はかつて小山正明がつけていたが、工藤公康がこの番号をつけて活躍してからは、左腕エースの象徴とされる背番号となった。1999年にはセ・パを代表する背番号47を付けた左のエースとしてダイエー工藤と中日野口茂樹が共にMVPを受賞するということもあった。現在では杉内俊哉や帆足和幸、山口鉄也らが着けている。
49はウォーレン・クロマティ以来、特に巨人において外国人選手の使用例が多くなっている。
50も多くの外国人選手に使用されドン・ブラッシンゲーム(ブレイザー)、ボブ・ホーナー、亜仁丸(アニマル)・レスリーら、個性的な選手[要出典]が使用していた。
51はイチローが連想されるが、デビュー時の土井正博、大杉勝男、江藤智も51をつけていた。
53は21世紀になってから五十嵐亮太、赤星憲広が登場し人気番号[要出典]になった。
55は本塁打のシーズン日本記録の数字であり、それを目指したパワーヒッターがつけることが多い。近年では大豊泰昭、松井秀喜、嶋重宣らが付けている。
60〜69はかつては監督やコーチに使用されていた。近年では支配下登録選手数の増加に伴い現在では新人選手がつけるケースがほとんどになっている。60は、大きな番号にもかかわらず本塁打王(門田博光、中村剛也)、最多勝利投手(キップ・グロス)を輩出した。
[編集] 70〜98番
70〜89は監督、二軍監督、コーチ、スタッフ(打撃投手やブルペン捕手など)がつけるケースがほとんどである。70〜89を現役選手がつける場合は新人選手が多く、過去には福浦和也が70、秋山幸二が71、平野謙が81を新人時代に使用していたなどの例が挙げられる。他にも、門田博光(78)や広澤克実(80)のように主力選手がつけることもまれにあるが、長期に渡ってこうした番号で活躍した選手はほとんどいない。
90〜98はコーチやスタッフが主につけるが、永久欠番が多い巨人などでは支配下選手の背番号となることも多い。
育成選手から支配下選手への昇格の際、アマ(100番台)からプロに昇格という意味合いで90番台を与えられることが多い。広島はドミニカ共和国に設立しているアカデミー出身選手(支配下登録をしていない練習生を含む)に90番台を充てている。
99は現役選手として最初に使用したのは1976年の鳥坂九十九(近鉄)であり、もちろん自分の名前にちなんだものである。2桁の整数最後の数であることから「後がない」という意味で山口鉄也や隠善智也など育成枠上がりの選手、中村紀洋など戦力外通告から復帰した選手に用いられることもある。
渡辺久信は埼玉西武ライオンズ監督に就任した2008年より99をつけており、自身の愛称である「ナベQ」と「野球において100点満点は不可能だが、せめてその一つ下を目指す」という思いから背負うことにしたと語っている。これはプロ野球の監督史上最も大きい背番号である。
[編集] 00〜09、0番
0は広島に所属していた長嶋清幸が1983年に初めて使用したのを皮切りに1980年代以降になって使われるようになった番号だが、現在では完全に定着し、ほとんどの球団でこれらの番号が使用されるようになっている。ただし、正式登録選手以外では、1936年に養成選手(練習生)として名古屋に入団した西沢道夫、1946〜1947年にブルペン捕手として巨人に在籍した長岡久夫、1948年にブルペン捕手として急映に在籍した太田義次が付けたことがある。なお、西武での使用開始は1996年の羽生田忠克が初めてで、楽天を除き近鉄を含む12球団で最も遅かった。
0は他の一桁番号とは異なり、野手に用いられることはそれほど多くなく、前述の長嶋清幸、川相昌弘(巨人時代の1989〜1999)、諸積兼司(ロッテ)、木村拓也(広島時代の1999〜2006・巨人時代の2007〜)が目立つ程度である。なお、背番号0の読み方は「れい(零)」ではなく「ゼロ」と英語読みとなる場合がほとんどである。
また、かつては、日本ハムの松浦宏明が投手でありながら0を使用していたが、後に他の番号に改めている。このように、投手の使用例でも、長期間にわたって0が使用された例は数えるほどしかない。現在、中日の金剛弘樹、ロッテの荻野忠寛が0をつけている。
0は日本のプロ野球では捕手や外国人選手での使用例は一切ない。但し、野手登録の木村拓也と井生崇光が捕手として出場した事がある。
00は阪神に所属していたルパート・ジョーンズが1988年に初めて使用したのを皮切りに、他の球団でも使われるようになった。ただし、0ほど使用頻度は高くなく、00をつけて活躍した選手は亀山努、小坂誠などが目立つ程度である。西武では2003年まで使用する選手が出てこず、2004年にスコット・マクレーンが使用したきりとなっている。なお、背番号00の読み方は「れいれい(零々)」ではなく「ゼロゼロ」と英語読みとなる場合がほとんどである。
00を付けて活躍した投手としてはカルロス・ミラバル(日本ハム)、D.J.ホールトン(ソフトバンク)が目立つ程度である。
00が一般に使用されているのに対し、01〜09のような「00以外で10の位が0番台の2桁の背番号」はほとんど使用されていない。現在、埼玉西武ライオンズの打撃投手のみが、01や02といった10の位が0番台の2桁の背番号を使用している。
1993年に当時阪神に在籍した松永浩美は、開幕当初から故障が多発したのは自分がつけていた背番号2のせいだとして、シーズン途中に自ら背番号を02に変更することを申し出て、了承された。その後、育成選手制度導入の際、支配下選手は00、0、1〜99をつけることと規則が改正されたため、規則が改正されない限り、現役選手で01〜09番をつけたのは松永が唯一の選手となる(もっとも松永以前に、オレステス・デストラーデがユニフォームを忘れたために、05の番号のついたユニフォームをチームスタッフから借りて試合に出場したことがある)。
北海道日本ハムファイターズは、「0は整数ではあるが、通常は1番から始まる社会通念上の“番号”(=自然数)という定義では違和感がある」「小学校、中学校、高校、大学のアマチュアのカテゴリーでは社会人を除いて0での公式大会の出場は不可」などの理由から、日本プロ野球12球団中唯一00、0を2006年以降使用していない[1][2]。日本ハムで00を最後に使用したのはカルロス・ミラバル、0を最後に使用したのは古城茂幸である。
合併による消滅前のオリックス・ブルーウェーブも、2002年から最後の年となる2004年まで0、00を使用していなかったが、合併によりオリックス・バファローズとなった現在、0、00は使用されている。
[編集] 100番以降
元々3桁の背番号は巨人が支配下登録選手の増加に伴い、コーチに用いたのが最初であった。現在は育成選手及びスタッフ(打撃投手、ブルペン捕手、用具係)に充てられているが、100番台がほとんどである。200番台は、現在中日の育成選手の背番号にしか使われておらず、300番台以降はまだ使われていない。
現役選手で3桁の背番号をつけ、目立った実績を挙げた例は、かつて広島東洋に在籍していたロビンソン・チェコの106が唯一である。
1993年にパ・リーグに於いて、「現役選手の背番号は00・0と99番以下」という見解が出された(この時の経緯の詳細については前述)。2006年からは育成選手制度がスタートし、育成選手の背番号は100番以上を用い、支配下登録時には99番以下に変更されることが決められた。これにより現役選手が3桁の背番号で選手登録される可能性は完全に消滅した。
4桁の背番号のオーナー権をファンに対して発行している球団がある。
- 福岡ソフトバンクホークス:2007年から、1001から9998まで
- 東北楽天ゴールデンイーグルス:2009年から、1001から9999まで
[編集] 監督の背番号
1950年代ころまで、各チームとも選手・スタッフの数は30人以下であり、監督が最大の背番号30を背負うチームが多かった。選手の数が増えるにつれ監督・コーチの背番号は大きくなり、現在は70〜80番台が多く用いられている。
長嶋茂雄の3、山本浩二の8、村山実の11など、監督に就任後、自らの永久欠番を復活させた例がある。また、長嶋茂雄の33、落合博満の66、山本浩二や高田繁、原辰徳の88のように、現役時代の背番号を2つ重ねるケースも見られる。
野村克也は、1桁目と2桁目を足すと10になる番号にこだわり、現役時代と楽天監督時代は19を、ヤクルト監督時代は73を、阪神監督時代は82を使用した(阪神最終年は73番)。
長嶋茂雄は第一次長嶋政権時代(1975〜1980年)の背番号を長男の長嶋一茂の提案で90番に(背番号3番+3塁手+3番バッター=9に0からのスタートの0を加えたもの)した。
川上哲治は巨人軍監督に就任した当初(1961〜1964年)は選手時代の16を使用していたが1年毎の優勝と言う成績に終わり、1965年より息子が大ファンだった当時の人気ドラマ「サンセット77」にちなんで77に背番号を変更したところ、前人未到の9連覇を達成する事となる。また、川上を師と仰ぐ星野仙一も川上にあやかって77を使用した。
[編集] 背番号の変更
一般に日本球界では若い番号がレギュラーの証として認識される傾向があり、一軍定着に従って背番号を若い番号に変更するケースが多い。西武における秋山幸二の71→24→1などが典型例である。また1983年、巨人で50番の駒田徳広、54番の槙原寛己、55番の吉村禎章が揃って台頭し「50番トリオ」と呼ばれたが、数年後にはそれぞれ「10」「17」「7」へと「出世」している。
若い背番号を大きい番号へ変更するケースは、成績不振から若手・移籍選手などに背番号を「奪われる」ケースがほとんどであるが、不祥事やトレード拒否などに対する懲罰的な意味合いのケースもある(中日の藤波行雄の〔3→40〕など)。逆に言えば、背番号を取り上げられることが罰となりうるほど、選手にとって背番号は重い意味を持つともいえる。
また、定着したイメージを持った選手に背番号を譲るケースもあり、高井雄平は入団当初16であったが、石井一久の復帰とともに背番号を22に変更したが、シーズン途中に高津臣吾が復帰し、翌年から高津が背番号22を着用することに伴い、現在の41となっている。吉見祐治も入団当初は22だったが、佐々木主浩の復帰とともに背番号を21に、サブローはボビー・バレンタイン監督の復帰に伴い2から、3へ変更したケースもある。
その背番号を着用していた選手が現役引退して、その後継者を指名して背番号変更をした例もあり、最近では北海道日本ハムファイターズの新庄剛志が着用していた1の後継者に森本稀哲を指名し、翌年から森本は背番号1に変更している。
あえて心機一転の意味を込め、大きな番号へ変えるケースもある。元中日の谷沢健一が1976年に14番を41(「良い」に引っかけて)に変更し、首位打者を獲得したケースなどが成功例として知られる。最近では木佐貫洋が21から41と球団より大きな背番号に変更させられたが2007年、自己最多の年間12勝を達成した。
好きな選手、憧れの選手の番号へ変更するケースもある。吉井理人は近鉄時代、箕島高校の先輩である東尾修の21へ、山北茂利(横浜)が中日時代と千葉ロッテ時代、ランディ・ジョンソンに憧れて51へ、帆足和幸(西武)が工藤公康にちなんで34を47に変更したケースなどがある。
門田博光は背番号変更の際、大きな背番号を選んでいる。27→44→60(南海)→78(オリックス)→53(福岡ダイエー)の順であるが、大きな背番号が控え選手の象徴とみなされる傾向にある日本球界において、このような主力級選手の背番号変更は異例中の異例である。
原点に返るという意味で、若手時代に使用していた背番号に再変更する例もある。後述の新庄剛志のケースの他、彦野利勝の57→8→57、池山隆寛の36→1→36、鈴木尚典の51→7→51、佐伯貴弘の26→10→26などがある。
移籍1年目は移籍前と違う番号を使用したが、2年目以降に元に戻す例もある。工藤公康の47(西武)→21→47(ダイエー)、稲葉篤紀の41(ヤクルト)→58→41(日本ハム)、木村拓也の0(広島)→58→0(巨人)、小関竜也の31(西武)→49→31(巨人)、小池正晃の44(横浜)→30→44(中日)などがある。
谷繁元信は、大洋〜横浜時代に1を、中日移籍後は7を一時期使用していたが、いずれも後になって違う番号に変更されている(横浜は8、中日は27)。理由はいずれも、「捕手のイメージに合わない」という当時の監督(横浜では近藤昭仁、中日では落合博満)の意見による。
森野将彦は過去に7→8→16→8→31と5回背番号を変更しているが、全て他人の都合で振り回されたものである。詳しくは本人の頁を参照。
現在まで最大の背番号変更幅は、育成選手から支配下選手になる場合を除けば、中村真人(楽天)の99→00である。チーム移籍または育成選手の場合では、中村紀洋の8(オリックス)→205(中日)、育成選手から支配下選手の場合はチェン・ウェイン(中日)の203→21が最大の背番号変更幅である。
同一チームに所属したまま最も数多く背番号を変更したのは落合英二(中日)で、19→12→70→71→25→26と6つの番号を背負っている。逆に同一チームで最も長く同じ背番号を使用したのは巨人の王貞治で、現役・助監督・監督として背番号1を30年間背負い続けた(1959年〜1988年)。
シーズン中に背番号を変更した例としては、2006年9月27日の北海道日本ハムのシーズン最終戦で、引退宣言をしていた新庄剛志が本来の1から阪神在籍時に付けた最初の背番号である63に、同時に本来63をつけていた渡部龍一も68に変更になっている。両者とも翌日、元の番号に戻された。
選手によっては特定の背番号に思い入れを持ったり、縁起を担いで他の選手と番号を交換してもらうなどのケースも多い。例えば日本ハム在籍時の武田一浩は、麻雀の1-4-7の筋が好きだという理由で五十嵐信一と背番号を交換し、15から4に変更している。
最近では出世しても背番号を変更せず、大きな背番号を自分の番号として「育てる」選手が増えている。メジャーリーグでも同じ番号を使い続けるイチローの51、松井秀喜の55などが有名だが、こうしたケースの嚆矢は金田正一の34であろう。青木宣親の23、工藤公康の47、川崎宗則の52、五十嵐亮太や赤星憲広の53、石井弘寿の61、斉藤和巳の66など、こうした傾向には近年さらに拍車がかかっている。
[編集] メジャーリーグ
初めて正式に背番号を採用したのは、1929年のニューヨーク・ヤンキースである。当時の背番号は1番打者が1、2番打者が2という風に、8まで打順通りに割りふられていた。そして、その頃は捕手が8番を打つことが多かったので、8が捕手の番号となり、9は控え捕手に与えられた。そして投手は、11〜21までの番号をつけることになった。当初は「人間に番号をつけるなど、囚人のようでイメージが悪い」ともいわれたが、ファンにとって遠くからでも選手を認識できるメリットは大きく、数年のうちに各球団に広まっていった。
背番号が一般的になった1932年当時は、「1〜9はレギュラーの打順、10〜19はベンチ入り、20〜は投手」あるいは「1〜9はレギュラー、10〜19は投手、20〜はベンチ」というシステムがあった。
しかし、その後多くのチームが背番号を採用するようになると、打順通りに背番号をつけるという習慣はなくなっていき、今では投手は2桁の背番号をつけるという慣習だけが残っている。投手が1桁の背番号をつけることは、あまり好ましく思われない。ただし、トロント・ブルージェイズで7を付けるジョシュ・タワーズのような例もまれにある。日本のような18がエースナンバーといった習慣もなく、それどころか10番台は今日では野手の背番号となっている。10番台の投手が全くいないわけではないが、野手と比べると少ない。
「若い番号=主力選手」という傾向は日本ほどには強くなく、ジョナサン・パペルボンの58、バリー・ジトの75のように大きな番号を背負って活躍する主力級選手も少なくない。また監督やコーチが70・80番台を用いるといった慣習もなく、トミー・ラソーダの2、ジョー・トーリの6のように監督が1ケタの番号を用いているケースも見られる。特にヤンキースでは、永久欠番(準永久欠番を含む)になっていない1ケタの背番号が2008年時点で2(現在はデレク・ジーターが着用)しかなく、小さな番号を付けたくても付けられないという事情もある。
13はキリスト教圏で不吉な数字とされているが、好んで着ける選手は多い。13は縁起が悪いというよりも、強大な力を持つ数字という考え方をするようである。また、シンシナティ・レッズ黄金時代のいわゆるビッグ・レッド・マシーンの一角を担った、史上屈指の遊撃手ともいわれる、ベネズエラ人メジャーリーガーデーブ・コンセプシオンが背番号13を背負っていたこともあって特に中南米の選手には13を好んで着用する例が多い。
春のオープン戦にAAA級などのマイナーリーグの選手がメジャーリーガーと一緒に試合に参加する際には、50番台、60番台などの使用されない背番号が与えられ、マイナーに戻るとそのチームで着用していたメジャーと違う背番号に戻す。それより上の番号は打撃投手、ブルペン捕手、用具スタッフ、スプリングトレーニング・コンディショニングコーチ、通訳などのスタッフが着用する。
メジャーリーグでは、普段は0〜99までが使用される。3桁は日本と違ってまだ使用されたことがなく、田口壮などの「99」が史上最大の背番号である。整数以外の番号としては、1951年に身長109cm・体重30キロの選手エディー・ゲーデル (Eddie Gaedel) が背番号1/8(8分の1)を着用したが、1試合で出場禁止になった。0や00は日本ほどの人気(または必要性)はないが、オマール・オリバレス(Omar Olivares)が自分の頭文字O.O.にちなんで00を選んだことがある。
偉大な選手の背番号を永久欠番とする慣習がある。その数が最も多いのもやはり初めて背番号を採用したニューヨーク・ヤンキースで、現在16の背番号(17人)が永久欠番となっている。1997年には、黒人選手第1号ジャッキー・ロビンソンの背番号「42」が全球団共通の永久欠番となった。ただし、永久欠番決定以前に背番号42をつけていた選手は特例でつけ続けることが認められており、ヤンキースのマリアノ・リベラがメジャーで最後の背番号42の選手である。球団によっては監督やコーチ、オーナーの他、ファンまでも永久欠番に指定している場合もある。クリーブランド・インディアンスは455を永久欠番にしているが、これは1995年6月12日から2001年4月4日まで455試合連続で入場券売り切れの記録を作ったことにちなむ。
日本である程度の実績をあげた選手がメジャーリーグに移籍する場合、日本時代の番号を引き継ぐことが多い。松坂大輔の18、佐々木主浩の22、松井秀喜の55、イチローの51、岩村明憲・福留孝介の1など。
[編集] ソフトボール
ソフトボールでは、背番号(ユニフォームナンバー;UN)は1〜99番までを使用しなければならない。ただし、監督は30番、コーチは31・32番、主将は10番と定められている。
また、中学・高校での公式戦の場合、コーチ番号のうち、31番は教員、32番は外部指導者がつけるように定められているケースもある。
[編集] サッカー
[編集] 始まり
サッカーの母国イングランドでユニフォームに背番号がつけられるようになったのは、1920年代になってからである。1928年のアーセナル対チェルシーのリーグ戦で、初めて使用された。選手は1〜11までの背番号を与えられた。そしてそれが義務化されたのは、1939年のことであった。初めはどの数がどのポジションを表すかという規則はなかったが、時間が経って様々なフォーメーションが現れるにつれ、ほとんどのチームにその傾向が認められるようになった。1965年にゲーム中の交代が認められるようになると、交代要員は、通常、12番を着けた。2人目の交代が許されるようになると、そのプレーヤーは14番を着けた。ジンクスを信じるサッカープレーヤーが、縁起の悪い数字とされる13番を強制的に着けさせられることはなかった。
19世紀末から1920年代半ばまで世界のサッカー界を席巻していたのは、(1-)2-3-5のピラミッド・システムだった。後ろから、ゴールキーパー (GK) 1人、フルバック (FB) 2人、ハーフバック (HB) 3人、フォワード (FW) 5人が並ぶフォーメーションである。そのフォーメーションに対し、後ろから順番に番号が与えられた。
まず最後尾のGKは1番。続いてFB。右から順に番号を割り振り、ライトバック2番、レフトバック3番。HBも同様に、右からライトハーフ4番、センターハーフ5番、レフトハーフ6番。FWはライトウィング7番、インサイドライト8番、センターフォワード9番、インサイドレフト10番、レフトウィング11番となった。 この背番号がスタンダードとなり、世界に広まっていった。
しかし、その後のそれぞれの国でのフォーメーションの変化にともない、各背番号が指すポジションは国ごとに変化していった。
ただし過去には、ワールドカップでのアルゼンチン代表やイタリア代表のように、背番号を名前のアルファベット順に割り振った国もあった。
[編集] イングランド
イングランドでは、1930年代から3-2-2-3のWMシステムが一般的になる。それにともない、HBから5番のセンターハーフがFBの真ん中に下がる。そしてFWから8番と10番が下がってHBに加わった。 このフォーメーションと背番号がヨーロッパ全体に広まった。
1960年代には、6番がディフェンスラインに下がって4バックを形成する4-3-3へと変化する。
その後、ヨーロッパの中ではいち早く4-4-2システムに移行。現在のイングランドで4-4-2と言えば、GK 1、DFは左から3 6 5 2、MFは左ハーフ11、中央に4と8、右ハーフ7が並ぶ。そして、FWはセンターフォワードの9番と10番がコンビを組むこととなる。
4番と8番では、8番の方が攻撃的。シャドーストライカーをこなすタイプや、他国なら10番を付けるタイプが務める。他国とは異なり、イングランドでは10番と言えば、主にチームのエースストライカーを指す。
[編集] 南米
南米では、フォーメーションはヨーロッパとは異なる進化を遂げる。3バックを経ずに、いきなり4-2-4システムという4バックのフォーメーションを採用。
ブラジルでは、HBの両サイド、4番と6番がFBの2人を挟むように下がり、FWラインから8番がHBに加わった。その後、4番が内側の2番と入れ替わり、現在の4バックの布陣となった。左から並べると、6 3 4 2となる。
一方、アルゼンチンではHBの4、6番は、FBと交互に並ぶように後ろに下がった。左から並べると3 6 2 4となる。
1958年にはブラジルがこのフォーメーションでワールドカップを制覇。この時、ペレが10番をつけていたことが、チームの中心=10番というイメージを世界中に広めることに一役買った。その後、ブラジルは4-3-3を採用して1962年のワールドカップも制し、世界中の国がそれを採用することになった。
現在のブラジルでは、4-4-2の場合、以下のようになることが多い。GK 1、DFは左から 6 3 4 2、ボランチ 5 8、攻撃的MF 7 10、FW 9 11。もともと左右のウイングだった7と11は、FWとMFの位置を入れ替わることもある。
[編集] その他の国
[編集] オランダ
オランダの場合、伝統的なアヤックス風の3-4-3フォーメーションでは、GK 1、DFは左から5 3 2、MFはダイヤモンド型の下の頂点が4、左が8、右が6、上の頂点が10、FWは左から11 9 7となる。
[編集] スペイン
スペインの場合、一般的には4-2-3-1だが、オランダ人のクライフが監督を務めたバルセロナがオランダ風の背番号のつけ方をしていた。
[編集] フランス
[編集] ドイツ
[編集] 現在
現在では背番号は固定制となり(以前は、試合ごとにスターティング・メンバーに1〜11番までが与えられていた)、選手は好きな番号を年間通してつけられるようになった。特に目立つことが好きな選手には、昔は誰もつけていなかった大きな番号も選ばれるようになった。選手の特定は容易になったが、その反面、ポジションと背番号との同一性はあまり感じられなくなってしまった。
[編集] 日本での一般的イメージ
Jリーグ以前の日本リーグやジャパンサッカーリーグの時代は、選手ごとに番号がつけられていた。Jリーグ発足後は試合ごとに背番号が与えられていたが、1997年からは固定背番号制がとられるようになった(詳しくは、日本プロサッカーリーグ#背番号の項参照)。
特に決まりはないが、日本では以下のように印象付けられることが多い。
| 背番号 | 印象 |
|---|---|
| 1 | 正ゴールキーパー(GK) |
| 2 | 右サイドバック(RSB) |
| 3 | センターバック(CB)、左サイドバック(LSB) |
| 4 | センターバック(CB) |
| 5 | 守備的ミッドフィールダー(DH)、センターバック(CB) |
| 6 | 左サイドバック(LSB)、守備的ミッドフィールダー(DH) |
| 7 | 右ウイング、右サイドのミッドフィールダー、チャンスメーカー、ドリブラー |
| 8 | 攻撃的ミッドフィールダー(OH)、守備的ミッドフィルダー(DH) |
| 9 | センターフォワード、エースストライカー(CF) |
| 10 | 司令塔、トップ下、ファンタジスタ(OH)、センターフォワード、エースストライカー(CF) |
| 11 | 左利きのストライカー、セカンドストライカー、左ウイング、ドリブラー |
| 12 | サポーターナンバーとされ、実質欠番扱いのクラブもある |
| 16 | スーパーサブの背番号とされることがある(日本代表では、1993年当時の中山雅史、2000年代に入ってからは本山雅志、大黒将志など) |
[編集] 有名選手と背番号
背番号は、ある特定の選手と結びついて記憶されていることが多い。各国の代表チームでは、ブラジルの10→ペレ、ドイツの13→ゲルト・ミュラー、オランダの14→ヨハン・クライフなど。また、既に他の選手が9をつけていた場合「1と8を足せば9になる」または「9の2倍が18になる」ことにちなんで、ストライカーが18番をつけることがある。イバン・サモラーノ、ユルゲン・クリンスマンなど。
日本では、横浜F・マリノス並びに日本代表の10→木村和司・中村俊輔(ただしルーキーイヤーは25)、横浜FM並びに日本代表の4→井原正巳(ただし、オフトジャパンでは7をつけていた)、浦和レッドダイヤモンズの9→福田正博、ヴェルディ川崎並びに日本代表の11→三浦知良、セレッソ大阪の8→森島寛晃、鹿島アントラーズの13→柳沢敦などが知られている。
また、元フランス代表のダビド・トレゼゲが付けていた32も、選手が移籍して求めていた番号がない場合、なんとなく付けるといった傾向も出ている。同じく元イタリア代表のジャンルカ・ヴィアリは「FW2人分の活躍をしたい」という理由で99の着用を希望したこともある。
フィクションの世界においては、『キャプテン翼』における大空翼の10、日向小次郎の9などがある。
[編集] ラグビー
「ラグビーのポジション」も参照
ラグビーでは、一般的には、正選手には1〜15番までが与えられ、その背番号がポジションを示す場合が多い。
現在ではフォワードからフルバックへと、1〜15の順にナンバリングされているが、背番号がつけられるようになった当初は、1がフルバック、2〜5がスリークォーターバック、6と7がハーフバック、8〜15がフォワードというように、今とは逆に番号がつけられていた。
| 背番号 | ポジション | 略号 |
|---|---|---|
| 1 | 左プロップ | PR |
| 2 | フッカー | HO |
| 3 | 右プロップ | PR |
| 4 | ロック | LO |
| 5 | ロック | LO |
| 6 | フランカー | FL |
| 7 | フランカー | FL |
| 8 | NO.8 | NO.8 |
| 9 | スクラムハーフ | SH |
| 10 | スタンドオフ | SO |
| 11 | ウイング | WTB |
| 12 | センター | CTB |
| 13 | センター | CTB |
| 14 | ウイング | WTB |
| 15 | フルバック | FB |
一方、ラグビーリーグでは、今でもフルバックの方から番号がつけられている。フルバックが1、バックスが2〜7、そしてフォワードが8〜13までである。
| 背番号 | ポジション | 略号 |
|---|---|---|
| 1 | フルバック | FB |
| 2 | 右ウイング | W |
| 3 | センター | C |
| 4 | センター | C |
| 5 | 左ウイング | W |
| 6 | スタンドオフ | SO |
| 7 | スクラムハーフ | SH |
| 8 | 左プロップ | PR |
| 9 | フッカー | HO |
| 10 | 右プロップ | PR |
| 11 | フランカー | FL |
| 12 | フランカー | FL |
| 13 | ロック | LO |
[編集] バスケットボール
バスケットボールでは、各競技団体によって規定が異なる。
FIBAの国際ルールでは、1961年から、審判の3秒ルールに対するシグナルとの混同をさけるため、使用できる背番号は4〜15番までとされた(登録人数が12人のため)。日本協会のルール(JABBAルール)では前記の原則に加えて大会主催者の決定によって2桁までの番号の使用が認められている(主要な大会では登録人数が15人または18人のことが多い)。
NBAでは、0(00)〜99番まで使用可能である。ただし、56以上の番号を使用するにはリーグの許可が必要であり、また同じチーム内に00と0番を着ける選手がいてはならないという条件がある。また、チームを移らずに背番号を変更する際は、同じチームで最低4年間は同じ背番号を着け、期限までにリーグに申請を行う必要がある。そして、新しい背番号は最低3年間着けなくてはならない。
アメリカの大学バスケットのNCAAでは、00, 0, 1, 2, 3, 4, 5, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 20, 21, 22, 23, 24, 25, 30, 31, 32, 33, 34, 35, 40, 41, 42, 43, 44, 45, 50, 51, 52, 53, 54, 55 が使用可能な番号である。(6以上の数字が使えないため、0〜5を組み合わせて使用する)
bjリーグでは、2桁の番号であればどの番号でも使用可能である。また、1桁の番号は0を前に付けることも可能だが、0を前に付けない番号との併用はできない。(例:00番と0番は併用できない)
バスケットボールでも偉大な選手の背番号を永久欠番とする慣習がある。NBAで最も数が多いのはリーグ最多の優勝を誇るボストン・セルティックスで、現在21の背番号が永久欠番となっている。セルティックスの「18」はジム・ロストカフが着用していたが、永久欠番を辞退し、後にデイブ・コーウェンスが着用し永久欠番となった。2003年には、マイアミ・ヒートでプレーしていないにも関わらず、マイケル・ジョーダンの背番号「23」がヒートの永久欠番となった。球団によってはコーチ、オーナー、ファンの他、コーチに纏わる記録までも永久欠番に指定している場合がある。また、現役中に事故や病気で亡くなった選手の番号が永久欠番となる場合もある。
背番号がある特定の選手と結びついて記憶されていることも多く、カリーム・アブドゥル=ジャバーの活躍以後33と34番を着用する選手が増え、マイケル・ジョーダンの活躍以後は23番を着用する選手が増えた。また、尊敬する選手や親族と同じ番号を着用する選手もいる。
| 背番号 | 尊敬対象選手 | 着用選手 |
|---|---|---|
| 0 | ギルバート・アリーナス | ジェリド・ベイレス |
| 1 | アンファニー・ハーダウェイ | トレーシー・マグレディ |
| 2 | ジェリー・ターカニアン | グレッグ・アンソニー、ラリー・ジョンソン、ステイシー・オーグモン |
| 7 | ジャーメイン・オニール | アル・ジェファーソン |
| 8 | マイク・ダントーニ | コービー・ブライアント |
| 10 | ウォルター・ザービアック | ウォーリー・ザービアック |
| 11 | アルビダス・サボニス | ジードルナス・イルガスカス |
| 21 | マリック・シーリー | ケビン・ガーネット |
| 23 | マイケル・ジョーダン | レブロン・ジェームズなど |
| 30 | デル・カリー | スティーブン・カリー |
| 31 | レジー・ミラー | ショーン・マリオン |
| 32 | マジック・ジョンソン | ジェイソン・キッド、シャキール・オニールなど |
| 33 | パトリック・ユーイング | アロンゾ・モーニングなど |
| 91 | デニス・ロッドマン | ロン・アーテスト |
一般的には、ガードの選手は1番、3番など小さい数字を、パワーフォワードやセンターなど背の高い選手は大きい数字を選択すると言われている。
[編集] アメリカンフットボール
「アメリカンフットボールのポジション」も参照
アメリカンフットボールでは1915年からユニフォームに背番号が義務付けられた。ポジションごとに選手の背番号がある程度規定されており、審判が各選手の不正な動きを判断する作業を助けている。背番号はユニフォームの前と後ろに大きくかかれており、「TVナンバー」と呼ばれることもある。
[編集] NFL
NFLでは1952年に背番号の割り当てがルールに規定され[3]、1973年[4]および2004年[5]に改正された。
| 背番号 | 攻撃側 | 守備側 |
|---|---|---|
| 0, 00 | なし | なし |
| 1-9 | クオーターバック、キッカー、パンター | なし |
| 10-19 | クオーターバック、キッカー、パンター、ワイドレシーバー | なし |
| 20-49 | ランニングバック、タイトエンド(80-89が埋まっている場合) | ディフェンシヴバック(コーナーバック、セイフティ) |
| 50-59 | オフェンシヴライン(センター) | ラインバッカー |
| 60-79 | オフェンシヴライン(タックル、ガード、および50-59が埋まっている場合のセンター) | ディフェンシヴライン |
| 80-89 | ワイドレシーバー、タイトエンド | なし |
| 90-99 | なし | ディフェンシブライン(60-79が埋まっている場合)、ラインバッカー(50-59が埋まっている場合) |
背番号割り当てがルール化された時点では、すでに各選手が使用していた背番号はそのまま継続する事が認められていた。
NFLにおけるこの番号割り当ては、選手の最初の登録時のポジションを基準にしている。もし選手のポジションが同一チーム内で変更された場合は背番号の変更を行う必要はない。またフィールド上においては、選手は背番号によってポジションを制限されることはない(ただし、攻撃側が背番号50から79の選手をオフェンシヴライン以外でプレイさせる場合には、「無資格番号が有資格ポジションに入る」ことをあらかじめ審判に報告しなければならない)。例えば、あるプレイにおいてランニングバックがスクリメージラインに上がりワイドレシーバーの位置につく、ショートヤーデージシチュエーションにおいて攻撃側がラインメン登録の選手をフルバックやタイトエンドとしてプレイさせる、あるいはパスシチュエーションにおいて守備側がワイドレシーバー登録の選手をディフェンシヴバックとしてプレイさせる、などがある。なお、プレシーズン中はチームはレギュラーシーズン中より多くの選手を抱えることがあるため、上記ルールから外れた背番号を持つ選手が現れることがある。最終的に53名のロースターが確定すると、背番号は上記ルールに従って再割り当てが行われる。
[編集] ワイドレシーバーの背番号
ワイドレシーバーの背番号は1973年に80-89と規定されたが、1996年、80番台に空きがなくなったニューヨーク・ジェッツに入団したキーショーン・ジョンソンは、19番の使用を求め、彼の主張は認められた。そして2004年、NFLはワイドレシーバーが10-19番を使用することを正式に認めた。
[編集] 背番号使用をめぐるトラブル
選手は、しばしばNFLに対し番号割り当ての例外措置を求めている。2006年、ニューオーリンズ・セインツのランニングバック、レジー・ブッシュはUSC時代に使用していた背番号5の使用を認めるか、背番号規定を変更するよう求めたが、NFL側は「1人の選手にだけ例外を認めることはできない」としてこれを却下し、チームは背番号25を与えた[6]。元シアトル・シーホークスのラインバッカー、ブライアン・ボスワースはオクラホマ大学時代に背番号44を使用しており、1987年のプレシーズンでも44で通した。彼は背番号44の使用を求めてNFLに対して訴訟を起こしたが敗訴し、背番号55に変更した。
[編集] NCAA
カレッジフットボールでは、より緩やかな番号割り当て制度が採用されている。ルールでは「無資格」ポジションでプレイするオフェンシヴラインの背番号は50から79でなければならないとだけ規定されている。非公式に特定の慣例は存在し、選手は一般的にNFLのルールに応じた背番号を使用している。最小の番号はしばしばもっとも名誉あるものとして考えられ、クォーターバックやキッカー、パンターではなく、ランニングバック、ディフェンシヴバック、あるいはラインバッカーが使用することもある。キッカーおよびパンターはたびたび40番台や90番台を使用する。このようにNCAAがNFLより柔軟なルールを採用しているのは、NCAAがNFLより多くの選手をロースターに登録することを認めているためである。そのためNFLのルールに沿うと背番号が枯渇するポジションが発生することがたびたびあり、オフェンスチームの選手とディフェンスチームの選手で同じ背番号を使用することも珍しくない。
[編集] アイスホッケー
アイスホッケーでは、1〜99までの背番号の使用が認められる。
| 背番号 | 選手の特徴 |
|---|---|
| 1, 30、31、33、35 | ほとんどの場合、1番がGKの背番号となる。また30、31、33、35番もGKの背番号とされることが多い。 |
| 2〜8 | DFである場合が多い。 |
| 9、10、11〜 | FWはほとんどの場合、9番や10番台の背番号をつけ、それよりも大きい数字の背番号をつけることも多い。また、9番はチームの主力FWの背番号となる場合が多い。 |
| 99 | “アイスホッケーの神様”ウェイン・グレツキーが現役時代につけていた背番号で、NHLでは全チームから永久欠番として扱われている。グレツキーのデビュー以前は30番より若い数字の背番号が主流となっていたがグレツキーの影響で大きい数字の背番号をつける選手が見られるようになった。 |
[編集] ハンドボール
ハンドボールの背番号とその一般的な割り当てられ方。
| 背番号 | 選手のポジション、タイプ |
|---|---|
| 1, 12, 16 | GK。 |
| 2 | キャプテンである場合が多い。 |
| 3, 4 | チーム内のエースである場合が多い。 |

