ケビン・ガーネット

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ケビン・ガーネット
Kevin Garnett
ボストン・セルティックス  No.5

名前
本名 Kevin Maurice Garnett
愛称 K.G, The Big Ticket
ラテン文字 Kevin Garnett
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 1976年5月19日(33歳)
出身地 サウスカロライナ州マーディン
身長 211cm
体重 115kg
選手情報
ポジション PF/C
ドラフト 1995年 5位
経歴
1995-2007
2007-現在
ミネソタ・ティンバーウルブズ
ボストン・セルティックス

Template ノート バスケットボールpj

オリンピック
アメリカ合衆国
2000 シドニー バスケットボール

ケビン・ガーネットKevin Maurice Garnett, 1976年5月19日アメリカ合衆国サウスカロライナ州マーディン生まれ)は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。北米プロバスケットボールリーグNBAボストン・セルティックスに所属。身長211cm、体重115kg。愛称は「KG」、「The Big Ticket」。背番号5。ポジションはスモールフォワードからセンターまでこなす、リーグ屈指のオールラウンドプレーヤーである。

目次

[編集] 高校時代

サウスカロライナ州マーディンで育ったガーネットは地元マーディン高校に通っていたが。3年時の夏、学生による白人と黒人の人種抗争を理由に、4年生時にファラガット高校に転校。同校で28勝2敗を記録し、平均25.2得点、17.9リバウンド、6.7アシスト、6.5ブロックの成績をあげ、USAトゥデイ紙に取り上げられ有名になる。さらに、高校オールスターゲームであるマクドナルド・オールアメリカン・ゲーム選出で注目を浴びたガーネットは20年ぶりとなる高卒でのNBAドラフトにエントリーする。

[編集] NBA

[編集] ミネソタ・ティンバーウルブズ

ファラガット高校卒業後の1995年のNBAドラフトにて、全体5位でミネソタ・ティンバーウルブズから指名される。当時からずば抜けた選手であった彼は、20年ぶりに高校から直接NBA入りした選手となる。

ティンバーウルブズ時代のガーネット

NBA1年目、ガーネットはすぐにベンチメンバーに招集され次第にスターターとして起用される。この年、オールルーキーセカンドチームに選出された。しかし当時ウルブズは、球団創設7年目、歴史の浅いチームでありプレーオフ進出はならなかった。翌1996-97シーズン、ウルブズはドラフトトレードでステフォン・マーブリーを獲得。ガーネットの成績も飛躍的に向上し、オールスターゲームにも選出された。チームは40勝42敗でフランチャイズ史上初のプレーオフ進出を果たすもヒューストン・ロケッツにスイープされている。

1997-98シーズン、ガーネットは21歳の若さでウルブズと6年で総額1億2600万ドルという前代未聞の超大型契約を結んだ事は大きな話題となった。次第にガーネットはこの金額にも恥じない活躍を見せ、フランチャイズプレーヤーとして孤軍奮闘する。しかし、チームは2002-03シーズンまで7年連続でプレーオフに進出するものの、一回戦の壁を突破することはできなかった。同時にガーネットは勝負弱い、また彼の高額な年俸がチーム経営を圧迫しているとの批判を受けるようになった。(皮肉にもNBAの労使協定では一度結んだ契約額に関し変更を認めていないため、彼が望んでも減俸できなかったのである。またこの事がきっかけで契約に上限額が定められる事になった)

ガーネットは2000年シドニーオリンピック全米代表の一員として出場し金メダルを獲得した。(詳しくはこちら

2003-04シーズン、ウルブズはそれまでにない補強に成功しウルブズにとって最もチャンスの年となった。ガーネット自身は1試合平均13.9リバウンド(全体1位)、24.2得点(2位)、5.0アシスト、2.2ブロック、1.5スティールの成績で、初のレギュラーシーズンMVPを受賞した。ウルブズは西カンファレンス首位でプレイオフに臨み、カンファレンスファイナルへ進出したものの、ロサンゼルス・レイカーズに2勝4敗で敗れている。ガーネットは史上5人目となる、プレイオフに30点以上、20以上のリバウンド獲得という記録を残し、多くの批判を黙らせる活躍をした。対キングス第7戦で32点、21リバウンドを獲得。チームメイトであるサム・キャセールラトレル・スプリーウェル、マイケル・オロウォカンディらの活躍もチーム躍進の原動力となった。 ちなみに2003年オールスターゲームでもMVPを受賞した。

2004-05シーズン、チーム内に摩擦が生じウルブズは44勝38敗と勝ち越すものの8年ぶりにプレーオフ進出を逃す。2005年1月4日、対フェニックス・サンズ戦でガーネットはティンバーウルブズのフランチャイズ記録となる47得点を挙げたがチームは敗戦した。 以降、チーム成績は下降線を辿り、2006-07シーズンには32勝50敗まで落ち込み、3年連続でプレーオフ進出を逃している。機能していたサム・キャセールやラトレル・スプリーウェルは冷遇されチームを去り、ジョー・スミスとの裏交渉によりドラフトの指名権を5年間剥奪されるなど、チーム経営はずさんであった。 デビュー以来、一貫してウルブズに忠誠を誓ってきたガーネットも、こうしたチーム状況に不満を持つようになり、ついにはトレードを匂わす発言をし、さらにチームもトレードを決め、複数のチームがガーネット獲得に動いた。

[編集] ボストン・セルティックス

2007年7月31日、ガーネットはアル・ジェファーソンライアン・ゴメス等5人、さらにドラフトの一巡目指名権×2のトレードでボストン・セルティックスへ、3年総額6000万ドルで契約した。1選手に対し計7選手のトレードは、NBA史上最多であった。ガーネットは12シーズン在籍したミネソタを離れ、新天地ボストンでのスタートを切った。同時期にシアトル・スーパーソニックスから移籍したレイ・アレン、セルティックス生え抜きのポール・ピアースと共に強力なビッグスリーを形成している。

2007-08シーズン、ガーネットはディフェンスの大黒柱としてチームの快進撃を支え、最優秀守備選手賞を受賞した。セルティックスは前評判どおりの強さで、東カンファレンスを圧倒的な強さで制した。プレーオフでは一転、苦戦続きだったものの順当に勝ち進み、自身初のファイナル進出。ロサンゼルス・レイカーズとの強豪対決を制した。ガーネットは移籍1年目にして、悲願だったチャンピオンリング獲得となった。

2008-09シーズンもガーネットを中心とした強固なディフェンスは健在であり、チームは開幕から好調を維持し、シーズン途中にチーム史上最多の19連勝を達成する。オールスターにもガーネット含めビッグスリーが揃って出場し、順調に連覇への階段を上っているかに見えた。しかし、2月19日の対ユタ・ジャズ戦、ガーネットは膝を故障するアクシデントに見舞われる。当初はそれほど重い怪我ではないとされていたが、最終的にこの怪我によってプレーオフを含む今シーズン残り全ての試合を欠場することとなってしまう。守備の要であるガーネットを失ったチームはディフェンスが悪化し、ガーネットが欠場した後半22試合の平均失点は99.3点にまで跳ね上がってしまった(08-09シーズン全体では93.4失点)。控えのレオン・ポウグレン・デイビスらも懸命に穴を埋めたが、ポウも終盤に靱帯断裂の大怪我を負い、チームへの負担はさらに増すこととなってしまった。ガーネットを失ったチームは最終的にカンファレンス2位でプレーオフに駒を進めるも、1回戦で格下と見られたシカゴ・ブルズに第7戦まで持ち込まれ、うち4試合でオーバータイムに突入する(計7回)という大苦戦を強いられる。なんとかブルズを退けるも、ピアースやアレン、ロンドら主力の疲労が限界に達し、カンファレンス準決勝でオーランド・マジックと対戦するも、第7戦までもつれた末に敗退した。皮肉にもディフェンスにおけるガーネットの存在感が欠場することによって改めて大きく示されたシーズンとなってしまった。

[編集] ウエイトトレーニング

ガーネットは高身長と優れた運動能力等、バスケットボール選手にとっては恵まれた素質を多く持っていたが、NBA入り直後は体格が非常に細く回りの選手との衝突による怪我を防ぐため筋力強化に力を入れた。ガーネットのNBAでの成功後、レブロン・ジェームズアマレ・スタウダマイアードワイト・ハワードなど高校からNBAにエントリーする選手が増えたが(ちなみに現在では高卒でのエントリーは不可能である)、そういった後続の選手にもガーネットの経験は生かされ、若手選手の間にウエイトトレーニングの重要性が浸透した。

[編集] プレイスタイル

打点の高いガーネットのフェイダウェイジャンプシュート

毎シーズンあらゆるカテゴリーで高い数字を残すNBA屈指のオールラウンダーである。ニックネームはミスター・エブリシング (Mr.Everything)

211cmとセンター並の長身であるが、それに見合わないクイックネスと豊富な運動量を持つ。素早いステップからの打点の高いフェイダウェイジャンプシュートはビッグマンであってもブロックすることは極めて困難である。サイズを活かしたポストプレーを多用し、さらに敵を引き付けてオープンとなった味方にパスを捌くのが非常に上手い選手で、アシストの多さも彼の特徴である。2002-03に至っては平均6.0アシストとポイントガード並みの数字を記録した。シュートレンジも広くペリメーターシュートを得意とする(ミネソタ時代は3Pシュートも放っていたが、ボストン移籍後は封印している)。

特筆すべきはディフェンス力で、現在までに7回のオールディフェンシブ1stチームに選出されている。2003-04から4シーズン連続でリバウンド王を獲得。スティールブロックショットなどのスタッツでも安定した成績を残しているが、何よりチームディフェンスを統括する大黒柱であり、片時も手を抜く事はない姿勢が最も評価されている。

また非常にアンセルフィッシュな選手である一方、それは逆に彼の唯一の弱点でもある。ウルブス時代ヘッドコーチを務めていたドウェイン・ケーシー氏は「ガーネットが、もう少し積極的だったら」と嘆いており、エースになりきれない彼を批判したものであった。しかしセルティックス移籍後はスタッツは軒並み下がったものの、ガーネットがもたらした意識改革によってチームを優勝へと導いた。

[編集] その他

  • 公式発表の211cm(6フィート11インチ)とされる身長よりも実際はもっと高いのではとも言われることが度々ある。実際に彼に会って並んだことがある、NHKバスケットボール解説の塚本清彦は「実際は211cm(6フィート11)を超えている」と述べている。本人はふざけて猫背で測定したと語っている。
  • 子供の頃から背が高く、12歳の時には身長が2mあった。
  • 2004年夏にブランディ・パディーラと結婚した。
  • アール・マニゴートの半生を描いた映画「リバウンド」にウィルト・チェンバレン役で出演した。
  • サッカー好きとしても知られ、イングランドプレミアリーグチェルシーFCのファンである。またロサンゼルス・ギャラクシーの試合も度々観戦する姿が目撃されている。

[編集] 個人記録

[編集] タイトル

  • NBAチャンピオン:2008
  • リバウンド王(1試合平均): 2004(13.9), 2005(13.5), 2006(12.7), 2007(12.8)
  • 年間最多リバウンド:2004(1,139), 2005(1,108)
  • 年間最多得点: 2004(1,987)
  • 年間最多フィールドゴール成功: 2004(804)

[編集] 受賞歴

  • シーズンMVP:2004
  • 最優秀守備選手賞: 2008
  • オールスター出場:1997, 1998, 2000~2009  (2008は怪我の為、欠場)
  • オールスターMVP:2003
  • オールNBA
    • 1stチーム:2000, 2003, 2004, 2008
    • 2ndチーム:2001, 2002
    • 3rdチーム:1999, 2007
  • オールNBAディフェンシブ
    • 1stチーム:2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2008 , 2009
    • 2ndチーム:2006, 2007
  • オールルーキー2ndチーム:1996

[編集] その他の業績

  • 1試合最多得点:47得点(vs フェニックス・サンズ 2005年1月4日)
  • 2007年1月13日、10,000リバウンド達成
  • 2008年3月8日、20,000得点達成
  • 6年連続、20得点、10リバウンド、5アシスト以上を記録した唯一の選手(1999-2005)
  • 9年連続、20得点、10リバウンド、4アシスト以上を記録した唯一の選手(1998-2007)
  • キャリア通算、20,000得点、11,000リバウンド、4,000アシスト、1,200スティール、1,500ブロック以上を記録している唯一の選手

[編集] 外部リンク