カーメロ・アンソニー

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カーメロ・アンソニー
Carmelo Anthony

名前
本名 Carmelo Kyan Anthony
愛称 メロ
ラテン文字 Carmelo Anthony
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 1984年5月29日(24歳)
出身地 ニューヨーク
身長 203cm
体重 100kg
選手情報
在籍チーム デンバー・ナゲッツ
ポジション スモールフォワード
背番号 15
ドラフト 2003年 3位

Template ノート バスケットボールpj

オリンピック
アメリカ合衆国
2004 バスケットボール
2008 バスケットボール

カーメロ・アンソニーCarmelo Kyan Anthony, 1984年5月29日 - )はアメリカバスケットボール選手。北米プロバスケットボールリーグNBAデンバー・ナゲッツに所属。ニックネームは「メロ」。ニューヨーク市ブルックリン区出身。背番号は「15」

目次

[編集] 経歴

[編集] 大学時代

シラキューズ大学では高校時代の背番号「22」は永久欠番であった為、「15」を選ぶ。大学1年生時にNCAA全米チャンピオンになり、ファイナルフォーのMVPを獲得した。なお、この時のメンバーには「メンフィス・グリズリーズ」のハキム・ウォリックジェリー・マクナマラがいる。

[編集] NBAキャリア

大学1年生が終わったアンソニーは2003年のNBAドラフトアーリーエントリーし、レブロン・ジェームスダーコ・ミリチッチに次いで、デンバー・ナゲッツに全体3位で指名された。このシーズンはチームはプレーオフに出場し、アンソニー個人はシーズン平均21得点、6.1リバウンドという成績を残し、NBAオールルーキーファーストチームに選出された。新人王争いではドラフト全体1位のレブロン・ジェームズに惜しくも敗れた。

翌2004-2005シーズンは調整不足が原因で体重オーバーのままシーズンに突入。シーズン前半は大苦戦し、プレーオフ進出も危ぶまれたが、ヘッド・コーチがジョージ・カールに変わってから一転。オールスター後、リーグ1位の勝率と怒濤の巻き返しの末に第7シードでプレーオフに進出。この年のチャンピオンのサンアントニオ・スパーズとのシリーズに先勝したものの、その後、カーメロがブルース・ボウエンによってうまく封じ込まれ、4連敗でシリーズを終えた。

2005-2006シーズンはチームは不調だったが、カーメロはシーズンの平均得点を26.5得点と伸ばし、フィールドゴール成功率も48.1%と前年から5%向上させてる。層の厚いウエスタンのフォワード勢の影響で惜しくも初のオールスター選出を逃すが、オールNBAサードチームに選出された。ディビジョン・チャンピオンで第3シードでロサンゼルス・クリッパーズとのシリーズに臨んだものの、ケニオン・マーティンとカールコーチの不仲が公になり、敗退。

2006年のオフに上限での延長契約を結んだ。

2006-2007シーズンは、世界選手権で活躍した勢いのままシーズンに突入。シーズン終盤にコービー・ブライアントに抜かれるまでは得点王ランキングで1位をキープし続けた。12月16日ニューヨーク・ニックス戦での乱闘騒ぎでマーディー・コリンズを殴ったアンソニーは15試合の出場停止処分を受ける羽目になるも、オールスターにはようやく出場を果たした。また、アンソニーが出場停止中には、NBAを代表するスタープレイヤーであるアレン・アイバーソンがナゲッツに移籍し、得点王ランキング1位と2位のプレイヤーが同じチームでプレーすることになった。アイバーソンの移籍とカーメロの復帰はチームの得点力を向上させたものの、プレイオフでは1回戦でサンアントニオ・スパーズの前に敗退した。

2007-2008シーズンには、オールスターに初めてファン投票で選出され、チームは50勝32敗と、アンソニーがナゲッツに入団して以来最高勝率を収めたが、プレイオフではロサンゼルス・レイカーズの前にまたもや1回戦敗退となった。プレイオフ中、アンソニーの飲酒運転や、チームメイトに対する批判などの態度はファンから顰蹙を買った。

2008年3月、ナイキとの契約を7年間6000万ドルで延長した。

[編集] アメリカ代表

2004年、バスケットボール男子のアメリカ代表としてアテネオリンピックに出場した。アメリカ代表はオリンピックではNBA選手が出場するようになった1992年から3大会連続で金メダルを獲得していたが、3位の銅メダルに終わった。彼自身はヘッド・コーチのラリー・ブラウンとの不仲が報道されて、ほとんどプレータイムをもらえなかった。

2006年、日本で行われた世界選手権の代表にもなった。彼はドウェイン・ウェイドレブロン・ジェームスらとともに、チームをひっぱったがギリシャに敗れ3位の銅メダルに終わった。なお8月23日に行われたイタリア戦ではアメリカ代表記録となる35得点をあげた。これまでの記録は1990年のケニー・アンダーソンの34得点だった。また、大会ベスト5にも選ばれた。

[編集] プレイスタイル

ジャンプショットを中心としたスタイルで得点を稼ぐスコアラー。1オン1スキルに非常に長けており、特に左右へフェイクをかけ、ボールが低い位置にあるところからのジャンプショートは圧巻。身体能力に恵まれており、素早いカットインからの両手ダンクなども得意で、チャンスとあらばアリウープダンクを狙う。リバウンドの能力も高い。最近はアイバーソンのアシストによるアリウープでアリーナを盛り上げる。

このように能力は文句無く一級品でありながらも、乱闘騒ぎや飲酒運転などトラブルが絶えない身であり、人格の向上が望まれている。

[編集] 外部リンク