シカゴ

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シカゴ市
City of Chicago
上から: ダウンタウン、ウィリス・タワー、シカゴ・シアター、シカゴ・L、ネイビー・ピア、フィールド自然史博物館、ミレニアム・パーク
上から: ダウンタウンウィリス・タワーシカゴ・シアターシカゴ・Lネイビー・ピアフィールド自然史博物館ミレニアム・パーク
シカゴ市の市旗 シカゴ市の市章
市旗 市章
愛称 : Windy City(風の街)、Chitown(シャイタウン)
標語 : "Urbs In Horto"(庭園の街)、"I Will"
位置
シカゴ市の位置(イリノイ州)の位置図
シカゴ市の位置(イリノイ州)
座標 : 北緯41度54分 西経87度39分 / 北緯41.900度 西経87.650度 / 41.900; -87.650
歴史
設立 1837年3月4日
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
  イリノイ州
  クック郡
 市 シカゴ市
市長 ラーム・エマニュエル
民主党
地理
面積  
  市域 606.2 km2 (234.0 mi2)
    陸上   588.3 km2 (227.1 mi2)
    水面   17.9 km2 (6.9 mi2)
      水面面積比率     3.0%
  市街地 5,498 km2 (2,122.8 mi2)
  都市圏 28,160 km2 (10,874 mi2)
標高 179 m (587 ft)
人口
人口 2010年現在)
  市域 2,695,598人
    人口密度   4,447.4人/km2(11,864.4人/mi2
  市街地 8,711,000人
  都市圏 9,461,105人
その他
等時帯 中部標準時 (UTC-6)
夏時間 中部夏時間 (UTC-5)
公式ウェブサイト : www.cityofchicago.org

シカゴ英語: Chicago)は、アメリカ合衆国イリノイ州にある都市。

同州最大の都市かつ北米有数の世界都市である。2012年の人口は271万人であり、ニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐ全米第三位であるが、最盛期の1950年代と比べると五大湖周辺の重工業産業衰退のため、25%以上も減少している。2013年の近郊を含む都市圏人口は910万人であり、世界第34位、同国では第3位である[1]

アメリカ第2の経済および金融拠点で、五大湖工業地帯の中心であり、鉄道航空、また海運の拠点として発展。摩天楼がそびえ立つアメリカ型都市の発祥とも言われ、ダウンタウンは近代的なビルが建ち並び、シアーズ・タワー(現在はウィリス・タワーに改称)はかつて世界一の高層建築として知られた。また、マコーミック・プレイスコンプレックスは北米最大のコンベンション・センターであり、オヘア空港は全米有数の過密な空港として知られる。

2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、ニューヨークロンドンパリ東京香港ロサンゼルスに次ぐ世界第7位の都市と評価された[2]ダウ・ジョーンズらの2013年の調査によると、世界第9位の金融センターと評価されており、北米ではニューヨークに次ぐ第2位である[3]都市の経済規模(GDP)では2008年には東京、ニューヨーク、ロサンゼルスに次いで第4位であったが[4]、2012年には第8位まで落としている。[3]

日本語の漢字表記は「市俄古」。また、シカゴに住む人々は「Chicagoans(シカゴアンズ)」と呼ばれている[5]

歴史[編集]

シカゴ名物「ポンチキ」を食べるシカゴ市長ラーム・エマニュエル(右、2006年のイリノイ州下院議員当時)と、現イリノイ州下院議員ジョン・ディンゲル(左)
シカゴの古い町並み
アル・カポネが行った失業者向けのスープキッチンに列をなす人々(1931年)

シカゴは、ニューヨークが対西欧から国際都市、ロサンゼルスが対中米アジアへの交易窓口として発展したのに対し、古くから内陸交通の要衝として発展し、アメリカの産業、文化の発展と共に都市形成が行われてきた経緯がある。

シカゴのあるイリノイ川河口地点は、古くからインディアン部族の交易の場として機能していた。一番古い記録では1673年フランス人伝道師が訪れている。「シカゴ」の語源はShikaakwaと言われており、この地に先住するアルゴンキン語族インディアンの言葉で「臭いタマネギ」という意味で、おそらく河口付近にタマネギが自生していた地であったためだとされている。

1779年ドミニカの毛皮商が入植、1803年には軍事拠点としてディアボーン砦英語版が作られるとともに開拓が進み、1830年には人口は350人に達した[要出典]。1833年には人口200人程度だった[6][7]1836年に始まったミシガン湖ミシシッピー川を結ぶ運河建設を発端に、土地投機家が大挙して押し寄せ、一大開発都市に発展する基盤が築かれた。1837年に市に昇格すると人口は急増し、翌年にはガリーナ・アンド・シカゴ・ユニオン鉄道英語版が開通、以後交通の要衝として大発展を遂げる。その後、1848年にはイリノイ・ミシガン運河英語版が開通、1852年にはイリノイ・セントラル鉄道が開通し、内陸交通の要としての地位を更に高めた。その頃の主要産業は農業で、シカゴはとりわけ小麦を東部の都市に送り出す穀物の集散地として発展、1848年には世界有数の先物商品取引所であるシカゴ商品取引所(Chicago Board of Trade、CBOT)が作られた。また、畜産業も発達し、1855年には収容頭数が当時最大のユニオン・ストック・ヤード英語版が設けられた。一方で、優秀な鉄鉱床が点在していたために鉱業も発展し、1860年には人口6万人に増大し、セントルイスシンシナティを追い越し、西部最大の都市になった。同年の大統領選挙英語版ではシカゴを地盤とするリンカーン候補(共和党)が当選し、初めて政治でも主導権を握ると、翌年から南北戦争1861年-1865年)を開始した。このころには30万都市となっていた[7]

トリビューン・タワー

1871年にはシカゴ大火によって甚大な被害を受けた。一説によればオリアリー夫人が飼っていたランプを倒して大火災になり、炎が燃え尽きるころには街は廃墟になり、ほとんどの公共建築が焼け落ちた。しかし、現在はギャラリーや公式観光案内所になっているシカゴ・ウォーター・タワーは唯一焼け落ちずに残った公共建築物である。被害額は当時にして約2億ドル、家を失った人は10万人に上ったという。しかし、この焼失はシカゴの計画都市化、新都市計画の幕開けになった。被災後、市は木造住宅を禁止し、煉瓦、石造、鉄製を推奨した。そのためシカゴは建築家たちの格好の市場となり、1885年ホーム・インシュアランス・ビル1887年にタマコビルディングが竣工、建築におけるシカゴ派による摩天楼設立ラッシュの先駆となった。このダウンタウン形成時に、その観察に努めた社会学者が膨大な記述を行った。社会学におけるいわゆるシカゴ学派の始まりである。

1873年に始まった大不況 (1873年-1896年)では、1886年5月に合衆国カナダ職能労働組合連盟が統一ストライキを行なったが、ヘイマーケット事件が起こり、1889年第二インターナショナルが国際労働運動のためのメーデーパリで制定すると、1890年にメーデーをシカゴで実行した[8]

コロンブスの新大陸「発見」400周年を記念して開かれた1893年シカゴ万国博覧会では、ウェスチングハウス交流電源による実演など、ヨーロッパをついに凌いだアメリカの工業力と先進性を誇示する技術が多数披露され、白を基調とした建物群から「ホワイト・シティ」と呼ばれた壮大な万博会場を造り上げ、国際的な地位を高めるとともに文化都市として脚光を浴び成功を収めた。それと同時にオーケストラホール、図書館博物館公園などの文化施設の建設ラッシュとなった。1882年から1905年にかけて電力産業が乱立すると、1912年サミュエル・インサル英語版の提唱で公益事業の価格統制制度が導入され、低料金の電気が普及した。人口は1900年に170万人に達し、ニューヨークに次ぐアメリカ第二の大都市になった[7]

しかし、それらはいわゆる富裕層によって生み出された文化であり、肥大する経済発展とは裏腹に新たな社会問題も生まれた。それが貧富の差の拡大で、20世紀に入るとウェストサイドでスラム化が進行した。またかつて奴隷として、アメリカ建国時に農業などの労働を担っていたアフリカ系アメリカ人が、1914年から1950年にかけてアメリカ南部から次々に移入した(アフリカ系アメリカ人の大移動)。彼らは法律上・表面的には奴隷の身分を解かれてシカゴにやって来たが、人種差別などから低賃金重労働以外に就くことはほぼ不可能であり、新天地での生活も相変わらず苦しいものだった。暴動は日常茶飯事となり、とりわけ1919年暴動英語版は過去最悪となった。更に腐敗政治の蔓延などで市街は無法地帯となり、その時多くの住人が市街地を去った。

1927年の市長選挙でウィリアム・ヘイル・トンプソンが勝利すると、トンプソンはシセロにあるナイトクラブの常連となってギャング(シカゴ・アウトフィット)と癒着し、アル・カポネが裏社会を支配した。1929年世界恐慌の影響で、市の財政も大幅な赤字となつた。同年、聖バレンタインデーの虐殺を契機に、トニー・アッカルドサム・ジアンカーナ等、1940年代から1960年代の次世代を担うギャングが台頭した。トンプソン政権は、1931年市長選で敗北するまで続いた。

1920年にも建築ラッシュは続き、トリビューン・タワーリグリー・ビル、戦後には世界一の高さを誇っていたシアーズ・タワー(現ウィリス・タワー)などが建設され、今日に見るようなダウンタウンが形成されていった。シカゴ学派第三世代の中でもルイス・ワースはシカゴのマイノリティグループの社会層とセグリゲーションについて記述し(アーバニズム[9])、そこから旧市街地、工業地、新興住宅地と同心円状に都市が形成されるモデルを打ち立てたことで有名である[10]

1950年から1970年にかけてその職にあった民主党リチャード・J・デイリー英語版市長は、様々な有力者の支持を受け、市街地再開発治安の改善、賃金格差の是正などに努め、市政を建て直した。ニューヨークやボストンなどが経済発展に陰りが見え始めた頃に、シカゴは比較的堅調な経済情勢を維持できたのも、この市長の善政のおかげだったといわれている。

1980年代からアメリカ全体の経済不振による影響、五大湖近辺の市街地老朽化と製造業衰退による人口流出もあり、人口ではロサンゼルスに追い抜かれ全米3位となるも、地位や重要性はまったく低下していない。むしろ、近郊では近年半導体電子機器、輸送機械などの産業が発展、中心部は相変わらず全米における商業金融流通の中心地としての地位を保っている。[要出典]

街の景観[編集]

シカゴのスカイライン、ノーザリー島から西方を向かって、2009年4月
ジョンハンコックセンターから南方へ向かって、2010年8月

主な超高層ビル[編集]

ミシガン湖からシカゴの摩天楼群を望む。左側の最も高いビルがウィリス・タワー(旧シアーズ・タワー)。右端のビルはAonセンター

地理[編集]

シカゴはミシガン湖の南西部先端であるイリノイ州北東部に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、シカゴは総面積606.1km²(234.0mi²)である。このうち588.3km²(227.1mi²)は陸地で17.8km²(6.9 mi²)は水地域である。総面積の2.94%は水地域となっている。

気候[編集]

ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfa)に属する。冬季は厳しい寒さとなるが、さほど降雪は多くない。一方、夏季は温暖な南西風の影響でかなりの暑さとなり、気温の年較差が大きい大陸性気候となっている。

シカゴは英語で「風の街」(Windy City)と呼ばれ、ミシガン湖から季節風が吹き付ける。なお、「風の街」という表現は風の強さからきているとの考えが一般に受け入れられているが、実際はそうではない。そもそもオクラホマシティの方が、より風が強いぐらいである。「風の街」の由来は、1892年万国博覧会の候補地としてニューヨークとシカゴが争ったとき、ニューヨークのある雑誌がシカゴ市民を「Chicagoans' talk is full of hot air. 」と評したことである。これを直訳すると「シカゴ市民の話は風に満ちていた」だが、そのこころは「シカゴ市民の話は中身のない言葉だけ」、である。つまり上記の英文はシカゴおよびシカゴ市民を馬鹿にした発言である。このことが本来の由来を離れて使用されるに至った。なお、1892年の万博は結局シカゴで開催され、それまでの万博で最大の規模となった。

シカゴの気候[11]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均気温(°C -5.6 -2.8 3.0 9.0 15.1 20.4 23.4 22.4 18.0 11.4 4.3 -2.2 9.7
降水量(mm 46.2 40.7 69.9 92.6 88.1 91.2 90.8 116.0 86.1 70.5 76.8 62.0 930.9

人口動勢[編集]

人口推移
年度 人口
1840 4,470
1850 29,963 570.3%
1860 112,172 274.4%
1870 298,977 166.5%
1880 503,185 68.3%
1890 1,099,850 118.6%
1900 1,698,575 54.4%
1910 2,185,283 28.7%
1920 2,701,705 23.6%
1930 3,376,438 25.0%
1940 3,396,808 0.6%
1950 3,620,962 6.6%
1960 3,550,404 −1.9%
1970 3,366,957 −5.2%
1980 3,005,072 −10.7%
1990 2,783,726 −7.4%
2000 2,896,016 4.0%
2010 2,695,598 −6.9%
2012(推計) 2,714,856 0.7%
U.S. Decennial Census
[12]
人種構成 2010[13] 1990[13] 1970[13] 1940[13]
白人 45.0% 45.4% 65.6% 91.7%
—非ヒスパニック 31.7% 37.9% 59.0%[14] 91.2%
黒人 32.9% 39.1% 32.7% 8.2%
ヒスパニック (肌の色問わず) 28.9% 19.6% 7.4%[14] 0.5%
アジアン 5.5% 3.7% 0.9% 0.1%

2010年現在の国勢調査[15]で、シカゴ市内の人口は269万5,598人、104万5,560世帯が暮らしている。これはイリノイ州の全体的な人口の約5分の1及びアメリカの人口の1%になる。かつてはニューヨークに次ぐ大都市だったが、ロサンゼルスの台頭と五大湖近辺の地位低下、更に都市圏の拡大による郊外化、サブプライムローン金融危機に伴う抵当物件差押えの増加や、低所得者向け高層公共住宅の取り壊しとそれに伴う住民の立ち退き、全米平均を上回る高い失業率を背景に人口が急減している。

この都市の人種的な構成は白人45.0%、アフリカン・アメリカン32.9%、インディアン0.5%、アジア5.5%、その他の人種13.4%、および混血2.7%であり、黒人の比率が全米平均の12.6%より20%以上も高いのが特徴である。この人口の28.9%はヒスパニックまたはラテン系である。2011年の国勢調査によると、シカゴの白人住民のうちもっとも多いのがアイルランド系であり、ドイツ系、ポーランド系がそれに続く。

この都市内の住民は26.2%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が11.2%、25歳以上44歳以下が33.4%、45歳以上64歳以下が18.9%、及び65歳以上が10.3%にわたっている。中央値年齢は32歳である。女性100人ごとに対して男性は94.2人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は91.1人である。

この都市の世帯ごとの平均的な収入は38,625米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は42,724米ドルである。男性は35,907米ドルに対して女性は30,536米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入(per capita income)は20,175米ドルである。人口の19.6%および家族の16.6%は貧困線以下である。全人口のうち18歳未満の28.1%および65歳以上の15.5%は貧困線以下の生活を送っている。

犯罪[編集]

シカゴ市内の地域ごとの暴力犯罪の図。色が赤い地域ほど、犯罪発生率が高いことを示す。
Chicago
犯罪発生率 (2010)
犯罪の種類 発生率*
殺人: 15.2
強姦: N/A
強盗: 501.6
加重暴行: 485.5
暴行: N/A
住居侵入窃盗: 924.7
窃盗: 2,638.4
自動車盗: 673.3
放火: N/A
資産犯罪: 4,236.4
備考
* 100,000 人あたりの報告された発生数 

出展: FBI 2010 UCR data

1970年代は犯罪発生率が高く、970人が殺害され、殺人発生率は10万人あたり29人であった。近年は人口減少と共に殺人も減少傾向にあったが、2012年には前年よりも有意な増加が見られ、発生率は10万人あたり18.5人で、全米平均の4倍近くとなっており、506人が殺害されている。そのため、警官の増員や地元代表らとの連携がなされ、2013年には殺人被害者数が415人まで下がったものの、暴力行為は以前多く、発砲事件だけでも2013年の負傷者の数は2,185人にのぼった[16]

文化[編集]

シカゴの文化は富裕層らが築いた文化(美術館博物館公園、または時代の最先端を走った摩天楼に象徴される建築など)と、貧困層が築いた文化(ブルースジャズハウス、シカゴ文学と呼ばれる一種のプロレタリア文学など)に大別されるが、一般に象徴されるのは後者である。

クラシック音楽では、世界3大オーケストラの一つとされる[要出典]シカゴ交響楽団がある。また、アフリカ系アメリカ人らが築き上げた音楽文化、ブルースやジャズのメッカとして名高い。アメリカ南部のミシシッピ川流域で発生したアコースティックなデルタ・ブルースエレクトリック・ギターなどを導入してシカゴ・ブルースと呼ばれる音楽に発展させた。ジャズの分野では、1920年代にはルイ・アームストロング等多くのミュージシャンが、活動の拠点をニューオーリンズからシカゴに移した。1965年には、アフリカ系アメリカ人のジャズ・ミュージシャンたちがAACM(創造的音楽家のための協会)を設立し、音楽教育やコンサート活動などを行う。同協会からはアート・アンサンブル・オブ・シカゴが世界的成功を収めた。またそうした音楽的伝統の元に生まれたハウス音楽の発祥としても知られている。シカゴにあった「ウェアハウス」というアフロ・アメリカンやゲイなどを主な客層としたクラブの名前が「ハウス」という言葉の起源であり、シカゴ・ハウスは後にニューヨークでなど爛熟したハウス・ミュージックの原形ともされ、現在でもダンス音楽の世界ではシカゴを中心とするDJ達が重要な位置を占めている。現在ではシカゴ音響派と呼ばれるジャズロックポップス現代音楽が一緒になったようなそれまでにはない新しい音楽(ポストロックともいう)を追求する者も多くいる。

一方で、1920年代に蔓延したマフィアや暴力団(ギャング)も有名。時代を反映した映画「ブルースブラザーズ」「逃亡者」などの舞台にもなっている。またスタッフドピザ、(アイスクリーム)サンデー発祥の地でもある。

ピカソの彫像『無題(Untitled)』の置かれたデイリー・シビック・センター(Daley Civic Center)では、シカゴの提供により平日の正午にコンサートなどの様々な無料文化イベント「アンダー・ザ・ピカソ(Under The Picasso)」が行われ市民が集う。

聖パトリックの祝日にはシカゴ川がシンボルカラーの緑に染められる事で知られる。

博物館及びギャラリー[編集]

シカゴ川の夜景

1998年、シカゴは3つの主要な博物館(フィールド自然史博物館シェッド水族館アドラー・プラネタリウム)に取り囲まれたレイクフロントパーク地域に、ミュージアム・キャンパスを公式に開設した。このミュージアム・キャンパスはグラント・パークの南部地区に設定された。グラントパークにはシカゴ美術館も所在している。

シカゴ地域の他の主要な博物館・ギャラリーは以下の通り。

ピルゼン地区[編集]

シカゴのロウアー・ウェスト・サイド地区(en:Lower West Side, Chicago)は、チェコからの移民によって作られたコミュニティであり、シカゴ近辺の住民からはピルゼン地区(Pilsen)と通称される。ピルゼンとは、チェコの都市プルゼニの英語およびドイツ語名である。しかし1970年代以降、地区の主な住人はメキシコ系へと置き換わっていった。

スポーツ[編集]

プロスポーツ[編集]

シカゴは2つのプロ野球チーム(カブス、ホワイトソックス)、アメリカンフットボール(ベアーズ)、サッカー(ファイアー)、バスケットボール(ブルズ、WNBAスカイ)、及びプロホッケー(ブラックホークス)を有する、アメリカ国内で数少ない都市の一つである。加えて、マイナーリーグ・ホッケーチーム(ウォルベス)の本拠地でもある。

チーム 種別 リーグ 競技場 設立 優勝回数
シカゴ・カブス 野球 MLB: ナショナルリーグ リグレー・フィールド 1876年 ワールドシリーズ優勝2回
シカゴ・ホワイトソックス 野球 MLB: アメリカンリーグ USセルラー・フィールド 1900年 ワールドシリーズ優勝3回
シカゴ・ベアーズ フットボール NFL ソルジャー・フィールド 1919年 スーパーボウル優勝1回
シカゴ・ブラックホークス アイスホッケー NHL ユナイテッド・センター 1926年 スタンレー・カップ優勝4回
シカゴ・ブルズ バスケットボール NBA ユナイテッド・センター 1966年 NBA優勝6回
シカゴ・ファイアー サッカー MLS トヨタパーク 1997年 MLSカップ優勝1回、USオープンカップ優勝4回、サポーターズシールド優勝1回

その他[編集]

サンフランシスコ、シカゴ、ヒューストンフィラデルフィアロサンゼルスの5都市の中から、2007年4月14日(アメリカ時間)にアメリカオリンピック委員会(USOC)によって最終国内候補都市に選定された。

交通[編集]

ユニオン駅 大待合室「グレート・ホール」

空港[編集]

鉄道[編集]

友好姉妹都市(代表的な都市)[編集]


シカゴを舞台にした映画・ドラマ・漫画・舞台・ゲーム[編集]

シカゴは多くの映画ドラマの舞台となっており、シカゴ内のある高層ホテルでは様々な映画やドラマを10回以上も撮影していることで知られている。

脚注[編集]

  1. ^ Demographia: World Urban Areas & Population Projections
  2. ^ 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook(2014年4月公表)
  3. ^ Xinhua-Dow Jones International Financial Centers Development Index(2013) 2013年9月15日閲覧。
  4. ^ Top 30 urban agglomeration GDP rankings in 2008
  5. ^ [1]
  6. ^ Timeline: Early Chicago HistoryChicago City of Century, PBS
  7. ^ a b c シカゴ万博 (一八九三) と黒人女性岩本裕子、駒沢大学歴史学研究室内駒沢史学会、1993-04
  8. ^ Foner, Philip S. (1986). May Day: A Short History of the International Workers' Holiday, 1886-1986. New York: International Publishers. pp. 41–43. ISBN 0-7178-0624-3. 
  9. ^ 1938: Urbanism As A Way of Life. in: AJS 44, S. 1-24
    高橋勇悦訳「生活様式としてのアーバニズム」鈴木広編『都市化の社会学 増補版』(誠信書房, 1978年)
  10. ^ Park, R. E., Burgess, E. W. & McKenzie, R. D. 1925 The City,
  11. ^ [2]
  12. ^ http://factfinder2.census.gov/faces/tableservices/jsf/pages/productview.xhtml?pid=PEP_2011_PEPANNRES
  13. ^ a b c d Chicago (city), Illinois”. State & County QuickFacts. U.S. Census Bureau. 2014年1月17日閲覧。
  14. ^ a b From 15% sample
  15. ^ American FactFinder, United States Census Bureau, http://factfinder.census.gov 2008年1月31日閲覧。 
  16. ^ More Than 60 Shot, 9 Dead in Chicago's Bloody Holiday WeekendABC News, Jul 7, 2014

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式
日本政府
観光

座標: 北緯41度54分 西経87度39分 / 北緯41.900度 西経87.650度 / 41.900; -87.650