ハウス (音楽)

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ハウス
様式的起源 ディスコ
ガラージュ
Hi-NRG
ポスト・ディスコ
テクノポップ
ダブ
文化的起源 1980年代
アメリカ合衆国の旗シカゴ及びニューヨーク
使用楽器 ドラムマシンシンセサイザーミュージックシーケンサーサンプラーPC
流行時期 1990年代以降、世界的に流行
派生ジャンル EUROBEATエレクトロクラッシュ
サブジャンル
アシッド・ハウスアンビエント・ハウス
融合ジャンル
ディープ・ハウスデトロイト・テクノ
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ハウス・ミュージックhouse music)とは、1977年アメリカ合衆国シカゴで誕生した音楽ジャンルの一つ。単にハウスと呼ばれることが多い。R&B(フィリー・ソウル)の影響が強い音楽であり、店舗名を名称由来とし、その特徴から性差別をテーマにする音楽を発祥としている。

概要[編集]

シカゴゲイディスコ「ウェアハウス」が名称由来とされ、その特徴から、アメリカでは、性差別をテーマにする音楽である認識が強い。その後、80年代末~90年代の「ユーロディスコブーム」以降、ハウスの中心地はシカゴからイギリスを中心とするヨーロッパに移ったが、イギリスでは当初のテーマ性の追求は薄れ、様々な音楽音源との混合(ミックス)技術をテーマとする試みが行われた。現在(2012年)では、当初のテーマ性はほとんど消え、音楽のアレンジ(編曲)上の一手法(ミックスと言われるもの)として、世界的に普及している。 性差別をテーマとするハウスは、1980年代後半から90年代にかけて、部落差別や貧困をテーマとするヒップホップ(hip hop)とともに、DJ(ディスクジョッキ―)を核とする現代ダンス音楽として台頭してきたとするのが一般的である。

名称由来[編集]

ニューヨークの「パラダイス・ガレージ」のDJであったラリー・レヴァンの友人で、自らも有能なDJであったフランキー・ナックルズは、1977年にシカゴに新たにオープンした「ウェアハウス」の主力DJとしてニューヨークから招かれ、彼のDJは独特のミックス手法であって、特にゲイたちから高い人気を博したため、地元のレコード店が「ハウス・ミュージック(ウェアハウス・ミュージック)」と称して販売したのがハウスという名称の始まりと言われている。

来歴[編集]

「(ウェア)ハウス・ミュージック」の来歴は、シカゴを拠点としてR&B(黒人音楽)を音源にゲイ(性差別)をテーマとする初期と、ヨーロッパ(イギリス)に拠点を移して、ポップスを音源に、ミックス技術(音源と音源の繋ぎ)をテーマにする現代に分かれる。

初期のハウス音楽[編集]

  • 名称がつけられた時点での「ハウスミュージック」は、それ以後のユーロ・テクノを強くする音源ではなく、フィラデルフィア・インターナショナルレーベルやサルソウルレーベルの、いわゆるフィラデルフィア・ソウル(通称フィリーソウル)や及びその類似品(R&B)を音源とするものが多かった。
    • この成功の後、ナックルズはウェアハウス経営者との衝突からウェアハウスを去り、シカゴ内の別の場所で「パワープラント」というクラブを始める。
    • ウェアハウスのオーナーは「ウェアハウス」を「ミュージック・ボックス」と改名し、新たにカリフォルニアからロン・ハーディーを後任DJとして招聘する。ナックルズとハーディーの間の競争により、シカゴはダンス音楽界の中で、「ハウス」の普及とともにその地位を確立する。
    • 彼ら2人のプレイスタイルは、レヴァンと彼のプレイしたいわゆる「ガラージュ」と呼ばれるスタイルの強い影響下にありながらも、ドラムマシンの使用やよりアグレッシブな選曲の傾向を持ち、のちに一般的印象としての「ハウス音楽」と呼ばれるスタイルの原型を築いた。
    • また、シカゴの地元のミュージシャン達がこのシーンに影響を受けて安価なドラムマシンを使用した曲を作曲、それらの曲が上記のクラブで紹介されることにより、大衆に対して大きな影響を持つことになった。
    • ハウス音楽は、ドラムマシンを使用して短いフレーズを繰り返す近年のスタイルが確立されてからも、フィリーソウルのスタイルを模したものが非常に多かった。その意味では、少なくとも1980年代までのハウスはソウルミュージックR&Bの派生物であったとも言える。
    • また、先駆者であるレヴァンや彼の「パラダイス・ガラージ」の客層と同様に、初期のシカゴ・ハウス音楽シーンは、DJや客層は黒人のゲイが中心であった。

現代のハウス音楽[編集]

  • 現在のスタイルが確立された1980年代中期以降、シカゴ・ハウスの隆盛やガラージュ人気の世界的な波及に伴い、世界各地でハウスを主体としたイベントの開催やアーティスト・DJの登場が相次ぎ、徐々に黒人以外の人種層にも浸透していくこととなった。
    • 普及の決定打となったのは、1987年イギリスのアーティストであるM/A/R/R/Sがリリースした『パンプ・アップ・ザ・ヴォリューム(Pump up the Volume )』の世界的なヒットであり、その背景として、1988年イギリスを中心に発生したムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」やレイブの流行などがある。
    • こうした出来事を境にするかのようにして、世界じゅうでアシッド・ハウスが大流行し、ハウスの趨勢は徐々にアメリカからヨーロッパに移行していくことになった。
    • 1990年代に入ってからは音楽ジャンルの細分化が進み拡散していく一方、メジャーのアーティストがハウス音楽の独特のリズム(4つ打ち)を多用するようになるなど、さらに一般化の道を進んだ。
    • 現在ではイギリスイタリアを中心としたヨーロッパオーストラリアイスラエル日本を中心としたアジアなど、世界各地に大規模な支持層が存在し、ニューヨークサンフランシスコのような一部の例外を除き、ハウス音楽の主要な消費地は、誕生の地であるアメリカではなくなってきている。
    • 尚、ニューヨークなどで製作されるハウスのシングルレコードの7割近くが国外に輸出されているとも言われている。

(特記)日本のハウス・ミュージック[編集]

日本では1980年代後半頃より、アメリカでの人気隆盛の動きに呼応する形で、テーマ性を除き、ファッション性を強くするハウスを主体とするDJが登場するようになった。

先駆的活動者[編集]

  • 先駆的な活動を行ったDJ・アーティストとして、1980年に単身ニューヨークに渡り、ハウスを日本に伝導した高橋透がいる。
  • 1980年にDJ活動を始め、単身N.Y.へ渡り、フランキー・ナックルズら当時のシーンのアーティストらと交流を深め、そのあきらかな音楽性を認められ、当時N.Y.で 「Paradise Garage」と人気を二分していた巨大ディスコ「The saint」のレジデントDJとして日本人で初めて抜擢された中村直(NAO NAKAMURA)は、その後、約10年間をN.Y.クラブカルチャー シーンの最前線で活躍し、1990年より芝浦で営業を開始したディスコGOLDの立ち上げに、高橋透、NORI等と共に携わり、1984年の活動開始以降ハード・ハウスプログレッシブ・ハウスシーンで活躍していた木村コウ等とともに、日本のハウスミュージックシーンの中心人物となった。
    • また、[1985年]]より活動を開始し、1989年に開催されていたパーティ「コニーズ・パーティ」のレジデントDJを務めたEMMA、あるいは、1986年に渡米し、ラリー・レヴァン等とともにパラダイス・ガラージでプレイを行っていたNORIのほか、80年代後半に渡米し、デヴィッド・モラレス、フランキー・ナックルズと共にDef Mix Productionsの一員として活動を行った富家哲(SATOSHI TOMIIE)なども先駆者としている。
    • 1990年ディー・ライトの一員としてアメリカでメジャーデビューを果たし、『グルーブ・イズ・イン・ザ・ハート』などのヒットを記録したテイ・トウワの活動も特筆できる。

ハウスの定着[編集]

  • 日本の歴史上バブル期と言われる1989年ユーロビート(ヨーロッパサウンド)ブームの中で、ポップ歌手の小泉今日子がアルバム「KOIZUMI IN THE HOUSE」を発売したことで、当時AERAでも記事になるなど、ハウスに対する注目度が一気に高まった。
    • その後、バブルが崩壊した1990年代初頭には、大型ディスコGOLDの出現や人気上昇、及び後を追うようにしてオープンした「ジュリアナ東京」などを中心とするクラブの大量発生、そしてハウスを標榜した数多くのDJやアーティストの登場などにより、日本におけるハウスの土壌は一応の定着を見た。
    • 以後、クラブ(ダンス)ミュージックとして意を同じくする「HIPHOP」や「レゲエ」の流行とともに、今日まで多くのクラブイベントやダンスパーティが催されている他、大沢伸一のようにハウスの特徴を取り入れた楽曲リリースを続けるアーティストや、田中知之(Fantastic Plastic Machine)や前述のEMMAなどのようなメジャーデビューを果たすアーティストなども現れるなど、現在まで様々な活動が続いている。

特徴[編集]

ハウスは、ディスコやフィリー・ソウル(R&B)のサウンドに、ラテン音楽のリズム(特にピアノやパーカッションのパターン)を融合することにより誕生した。

音楽としての特徴[編集]

  • 音楽的特徴としては、極めて短い同じ、同じメロディーラインを何度も何度も繰り返す小節が、の随所に見られ、聴く者に陶酔感を与えることにある。
    • また殆どがアップテンポリズムで、BPM(beats per minute;音価の項参照)にしておよそ120前後のテンポをとる。
    • 90年代初頭にはダウンテンポの、さらに90年代中頃にはアップテンポなハウスミュージックも誕生し、ダンスミュージックの一形態に止まらない広がりを見せている。
  • ハウスは、テクノの各ジャンルと音楽の内容や特徴がよく似ていることが多いため、しばしば混同されやすい。
    • テクノの項を参照すればわかる通り、テクノは発祥を日本の音楽グループである「YMO」としながらも、シカゴハウスから派生したハウスの一種であった。ハウスとテクノ双方がジャンル的に拡散・融合が進んでいることもあって、その区別は今やミュージシャンでさえ難しいとされる。
    • ハウスには「4つ打ち」と称される、四分音符で1小節に4つのバスドラム音(キック)が鳴る楽曲構成が基本であるが、ただ、ファンキーな味付けのものなどは、必ずしも4つ打ちではない。
    • ドラムのパターンの特徴として、2拍目あるいは4拍目の16分音符裏にスネアドラムが入ることである。これは、1970年代のソウルやファンクから影響を受けたためである。
    • 「4つ打ち」のパターンの基本的構成が心臓の鼓動を想起し、一定のリズムを刻んでいくことに起因する踊りやすさ、陶酔性を発生させている。このような傾向が後述する民族音楽との親和性の高さなどを生んだと言っても過言ではないだろう。
    • さらに、ジャンルによっては「ブレイク」と称されるバスドラム音が鳴らない状態、及び無音の状態が幾度かはさまれることが大半で、この傾向はハード・ハウスやそれに影響を受けたジャンルに顕著である。
    • ハウスミュージックはこの世の中の、ありとあらゆる音源との融合体である。トライバルハウス(民族調)は打楽器コンガボンゴ等)アフリカ系の楽器、リズムとの融合である。このように、ロッククラシックラテン音楽ジャズレゲエ、昨今では太鼓トラックなる、和をモチーフにした和太鼓との融合も出現している。

付随する音楽ジャンル[編集]

主なハウス・ミュージシャン[編集]

関連項目[編集]