ラリー・レヴァン

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ラリー・レヴァンLarry Levan, 本名 Lawrence Philpo, 1954年7月20日 - 1992年11月8日)は、アメリカの、DJ音楽プロデューサー作曲家

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[編集] 概要

ニューヨークに生まれ、10代の後半からアンダーグラウンドのゲイパーティーシーンに関わり、音楽への造詣が深かった。この当時からの親友が後にシカゴハウス音楽を創始することとなるフランキー・ナックルズである。二人とも黒人男性であり、カミングアウト済みの公然としたゲイであった。二人はニューヨークのバスハウス(ゲイ男性のための発展場バーサウナディスコを兼ねた複合施設)、"Continental Baths"にてDJとしてのキャリアをスタートさせる。やがてフランキー・ナックルズはシカゴへと移るが、ラリー・レヴァンはニューヨークの様々なディスコで経験をつみ、そしてパラダイス・ガレージにおいてその名声を確立することとなる。10年間に渡りNY最高のDJとしての名をほしいままにするが、彼の代名詞でもあったパラダイス・ガレージの閉鎖後はドラッグ禍や病気に悩み、極貧のまま1992年に病死する。その死因はHIVによるものではないかとも言われている。

[編集] その音楽性

彼はパラダイス・ガレージにおいてその深い音楽への造詣を元にディスコアフロ・ビートテクノ・ポップロックヒップホップラテン音楽ソウルファンク、などありとあらゆる音楽を掛けて一晩中客を踊らせ、その有様はそこに集う客の熱狂を伴って殆ど宗教儀式のようであったと言われている。彼のDJスタイルは、テクニックよりもその、観客のムードを掴みそれを自由自在に操る能力、暴力的でなおかつリスクを恐れずにどんな変わった新しい音楽でも掛ける冒険性、そして聴衆に君臨するそのカリスマ性にあったと言われている。

また、ラリーは独学ながら優れた音響の専門家でもあり、エンジニアのリチャード・ロングと共にパラダイス・ガラージに自らの手で構築した"Levans"と呼ばれたサウンド・システムは大音響でありながら非常にクリアな音で、ダンスフロアの中央にいても容易に客の間で会話ができたとも伝えられている。彼はまた照明にも深く関わり(そのクラブにおけるキャリアの最初は上記のContinental Bathsにおける照明係としてのものであった)、パラダイス・ガレージにおいてはそうした音響や照明までをも駆使してダンスフロアの客を自在に操った。彼にとってパラダイスガレージは単なるクラブではなく彼の城であり、実際にDJブースの裏には彼の居住する部屋まであったという。

彼はまたそのDJで培ったセンスを元に、ダンス・レコードの音楽プロデューサーとしてもその才能を発揮し、数多くのリミックス曲やプロデュース曲を世に送り出し、ヒットさせた。(ヒットした中には、日本の女性アイドル、島田奈美の曲「Sunshower」のリミックス曲もある)また、作曲家としてもニューヨーク・ピーチ・ボーイズ名義で(当初は「ピーチボーイズ」であったが、混同を恐れたロックバンドのビーチボーイズからの抗議により名前の変更を余儀なくされた)名曲 "Don't make me wait"などを送り出している。

[編集] その影響

彼がプレイしていた音楽やその強い影響下にある音楽は、現在に至るもガラージュという音楽ジャンルとして根強い人気があり、プレイされ続けている。また、NYハウスディープ・ハウスなど、ハウス音楽の多くのジャンルにはガラージュからの大きな影響がある。

また、ニューヨークの多くのベテランDJや、国内外からラリー・レヴァンを見るためにパラダイス・ガレージを訪れたDJ達の多くはその音楽ジャンルに関係なく一様に、彼のDJに衝撃を受けてDJを志すようになったと語っている。史上最も影響力のあったDJとみなされており、2004年にはダンス音楽の殿堂 "Dance Music Hall of Fame"に入れられている。

音響においても名声の高かった彼は、パラダイス・ガレージの閉鎖後しばらくしてロンドンにオープンした巨大クラブ、ミニストリー・オブ・サウンドのオープンに当たって招かれ、サウンドシステムの設計を行っている。

[編集] 彼の手がけた作品

  • Definitive Salsoul
  • Padrock
  • Journey Into Paradise: the Larry Levan Story
  • Live at the Paradise Garage (パラダイス・ガレージでのライブ録音盤)

[編集] 関連項目