発展場

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発展場(はってんば)とは、男性同性愛者の出会いの場所である。カタカナでハッテン場と表現されることもある。英語圏では日本でいう発展行為のことを「en:Cruising」とか、豪州では「en:Gay beat」といったりする。

この項では、公共の場所における男性同性愛者の発展(行為)について記す。有料系については「有料発展場」を参照のこと。

概要[編集]

かつて、夜の公園は「アベック」と呼ばれる男女のカップルが愛を育む場所として知られていたが[1]、「発展場」はそのゲイ版であるといえる。かつては男性同性愛者にとって出会いの場は殆どなく、ゲイバーといわれる店はあっても女装男性が異性愛者に接客するバーが全国に数店舗ある程度だった[2]。そのためゲイ男性にとっては「出会いの場所」が必要とされ、自ずと発展場ができていった。発展という通称が男性同性愛者に認知される以前は、単に「公園」といったり、1960年代頃は発展トイレを「事務所」[3]と呼んだ。

語源[編集]

異性愛者の男性で、女性関係や酒場などでの交友関係が広く盛んな人を指して「発展家(はってんか)」と呼ぶが、「発展場」に使用される「発展(はってん)」の意味合いと共通点が指摘されている。ただし「発展場」という語が同性愛者たちに浸透していく年代と、この「発展家」という語が広く使用されていった年代[4]が重なるため、どちらが先に使われたかは不明である。なぜ「発展」が当てられたのかについても定かでない。

また面識のない相手と「性行為に"発展"する」「恋愛に "発展" する」が語源という説など諸説ある。

古い例ではゲイ専用ページがあった『風俗奇譚』の1963年の1月-12月号などに「全国ホモのハッテン場」という記述が確認できる[5]。その後「薔薇族」、「アドン」、「さぶ」など、1970年代に創刊されたゲイ雑誌を通じて「発展(ハッテン)場」の通称は全国の同性愛者に広まり、現在に至っているとされる。

歴史[編集]

江戸時代

江戸時代初期には陰間茶屋と呼ばれるゲイバーが既にあり[2]、同性愛男性たちが集まっていた。その為、ゲイ同士で発展行為が行われるような場所もあったのではないかとの説もあるが未検証である。

大正 - 昭和初期

発展場という言葉は使われていないが、戦前も映画館や公園などがゲイ男性の出会いの場になっていたといわれ、遅くとも大正期には発展場は存在していた[2](それより前は未検証)。一例として江戸川乱歩『一寸法師』(昭和2年)には、浅草公園に深夜屯するゲイが出てくる場面がある[2]。また戦前の一時期、上野公園に男娼が屯していたことで知られている[6]

戦後直後 - 1960年代

戦後直後から1960年代頃までは、出会いや発展の場といえば野外の公園やトイレ(事務所)、映画館の暗がりなどが中心で、東京では「男娼の森」といわれた上野公園を始め、日比谷公園信濃町駅最寄りの権田原という公園のような場所が有名だった[2]。権田原は二丁目にゲイタウンができる前頃は、都内で最も有名な発展場だった[2]。大阪では阿倍野区旭町天王寺公園の近く)が男娼の森と呼ばれた[7]。上野公園ではある夜、警視総監が見回ったら、男娼の一人に殴られたというエピソードがあり[2][8]、日比谷公園は相手を求めるゲイで夜ごと賑わい、GHQ本部(第一生命会館)に近かったこともあり、中には米軍人もいた[2]。また各地には発展できる映画館もでき始めていた。

違法性やゲイ襲撃事件多発で減少へ[編集]

夏の夜の公園やトイレ、海辺、映画館、公衆浴場、大きな鉄道駅やその近くの大型商業施設のトイレなどで発展行為が行われることがある[2]。発展場とされている公園などで、相手を求めに来ている思われるゲイ男性同士で声をかけ、互いにタイプなら合意の上で性行為に及ぶ。家やホテルに行くこともあるが、トイレや木陰などで性行為に及ぶこともある。

しかし近年は、近隣への迷惑なども考え、発展行為が行われないよう対策が講じられている場合も多い。例えば、発展が多いとされている場所では、夜間でも照明を点灯する、公衆トイレを閉鎖する、警備員の巡回を増やす、警告の張り紙を張るなどして発展行為の禁止が呼び掛けられていることがある[2]。公衆浴場は、一般的な入場規則として「他のお客様のご迷惑になる行為」を禁止している場合が多く、公然わいせつ行為を行わないとしても強制退店になったり、悪質な場合刑事罰の対象となることがある。一部の異性愛者向け公衆浴場は、店員がやらせでゲイに近づき、わざと手を出させて追い出しているところもある[9]

下節で触れる発展場でゲイを襲撃した事件が相次いでいることや、室内発展場の増加、インターネットなどの出会いツールの普及などで出会いが比較的容易になったこともあり、野外や公共の場での発展行為は減少傾向にある[10]。またゲイ狩りが相次いだこともあり、近年のゲイ雑誌は野外や公共の場における発展行為をしないように、呼びかけることもある。

ゲイ・バッシング[編集]

発展場に集まるゲイが強盗事件の餌食になったり、ゲイを狙った暴力事件もしばしば起きている。例えば、発展場として知られている公園へ来る男性が、露出度の高い格好をするなど、特に見分けがつくような身なりでもないのに、手当たり次第に少年グループに襲撃され現金を奪われるといった「ゲイ狩り」事件や、撲殺による殺人事件も起きている[11]。過去にあった「芦花公園」で男性同性愛者が太ももをナイフで刺され殺害された殺人事件[12]は、犯人が逮捕され一応の解決を見たが、強盗殺人より罪状の軽い暴走族同士の抗争における「人違い殺人」として処理された。

こうした事件に男性同性愛者―或いは同性愛者ではない通りすがりの男性―が遭遇することは、過去に「アベック」と呼ばれた男女のカップルが、夜の公園などで強盗事件や殺人事件の被害者となったことと似た現象だといえる[1]

そうした発展場を巡る経緯から、近年は公共の場所での発展行為は減少傾向にあるといわれ、各GLBT団体などは自分の身を守るため、公共の場での発展行為を自制するように呼びかけている。

出典[編集]

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  1. ^ a b 「上野の森 夜の生態男と女」『探訪読物』(1949/6/1)、「上野の森の11年目 アベックの殿堂?文化の殿堂?」『週刊サンケイ』(1959/7/5)、「上野の森の昼も夜も 禁じられた犯罪・情事のメッカ」『週刊サンケイ』(1960/11/21)。
  2. ^ a b c d e f g h i j 「オトコノコノためのボーイフレンド」(1986年発行少年社・発売雪淫社)
  3. ^ 三島由紀夫『禁色』(1951年)、『週刊現代』1968/10/31、『オトコノコのためのボーイフレンド』(少年社・発売雪淫社,1986,ゲイボキャブラリー)など。
  4. ^ 日本映画『社長三代記』(1958年)に「女性方面にご発展で」という台詞がある。
  5. ^ 「風俗奇譚」(1963年12月号)「全国ホモのハッテン場:週刊誌に紹介された横浜の事務所」など。
  6. ^ 「同性愛と同性心中の研究」(1985年.小峰研究所.小峰茂之・南孝夫共著)「同性愛の一類型(男娼)について:戦前の一時期上野公園に屯した男娼群の観察を通して」
  7. ^ 『都会ロマン』「旭町の男娼・大阪男娼の森を訪ねて」(平尾伸吉、1949年)。
  8. ^ この他、上野に限らず、男娼が米兵から強奪被害に遭うとか(読売新聞「米兵 男娼から強奪」1953年7月2日)、16歳の少年に男娼が殺される(読売新聞「十六少年の凶刃 "夜の男"を殺して高校生自首」1951年1月6日)とか、米兵が男娼に切り付けられる(「米軍属 男娼に切らる」読売新聞1953年11月12日)といったことも起きていた。
  9. ^ Badi1997年4月号「WALKIN Badi 26 名古屋PART2」。
  10. ^ 「薔薇族」2001年2月号。
  11. ^ 新木場・夢の島緑道公園で33才男性が複数の少年らに殺害される
  12. ^ 東京・世田谷区芦花公園で男性が襲われ死亡

関連項目[編集]