男娼
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男娼(なんしょう、「だんしょう」は誤称。英語:Male Prostitute)とは、売春に従事する男性で、女性の場合が、売春婦・娼婦にあるに対し、「男性の娼婦」の意味で、このように呼ぶ。年齢は、少年から青年、成人までのすべての年齢範囲に渡る。また、男色の相手としての男娼と、女性に対し性的サービスを行い春をひさぐ男娼に大きく二分される。後者の場合は、男妾(おとこめかけ)とも呼ぶ。現在では、ゲイ用語などでボーイと呼ばれることが一般的である。 ]
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[編集] 概説
男娼は、世界中の社会において、何時の歴史時代にも存在した。この点は、女性が春をひさぐ売春婦が地理的・歴史的に遍在したと同様な事情がある。売春婦は古代ギリシアにおいて、すでに個人営業の者と娼館に属する者が存在したが、男娼の場合も、同様なことが云える。「娼館」は通常、売春婦が置かれていたが、ときに、男性同性愛者のために男娼を置いていることがあり、特に、男娼を専門に抱える娼館もあり、これは「男色楼」ないし「男娼館」と呼ばれる。
[編集] 歴史的な概観
[編集] 日本
日本においては、古くから歌や踊りを披露する芸人が、売春に従事し、男娼もまた存在した。寺院の稚児や、武士のあいだの男色の相手は、売春ではないが、その周縁に、春をひさぐ者が存在した。人身売買が公然と存在し、事実上の奴隷制が存在した中世には、売春のための稚児の少年を抱えた親方が、客に少年を一夜売ることで、利益を挙げる商売も存在した。
風俗の紊乱を避けるため、歌舞伎における女性俳優の出演を禁じた結果、男が女役を演じる野郎歌舞伎が興隆し、歌舞伎芸人は、若い者も年長の者も、総じて、客の男色の要望に応えて身を売った。また、江戸の吉原を中心に、何種類もの形態で遊女が登場したように、男娼の世界においても、陰間茶屋の高級色子から、地方まわりの男娼芸人に至るまで、多様な姿で売春が展開していた。その多くは12歳で水揚げ(客を取り始める)をし、19歳くらいまで客を取り続ける者が多かった。20代後半になっても客を取っている男娼もいたが、「大釜」などと言われ嘲笑の対象となった。
男娼としては、なよやかでほっそりとした小柄な少年が好まれた。よって幼少期から男娼として育てられる少年もいた。江戸では大半が京都・大阪出身の優美な言葉遣いや所作が身に付いた上方から下った少年たちだった。彼らは体臭の元となるような食物はいっさい摂らず、常に口と身体を清潔に保つように心がけた。専ら男性の相手をしたが、成人すると御殿女中や後家などの女を相手にすることもあった。
日本では男娼という言葉は戦後小説「男娼の森」などをきっかけに広がった。女装して客を取る彼らの風俗が、同性愛者のステレオタイプになった。現在でも、こうした男娼は少なからずいるが、街角に立って客を待つ男娼がほぼいなくなったこともあって、男娼という言葉は戦後間もなくに比べるとあまり認知されなくなってきている。この男娼という言葉を使って、国会において青島幸男が自民党への政治献金の莫大さを批判して、当時の佐藤栄作首相を「財界の男妾」と揶揄し物議をかもしたことがあった。
[編集] 古代ギリシア・ローマ
古代ギリシアには、売春婦が公然と存在したし、娼館もまた存在したが、同様に男娼を売り物とする娼館も公然と存在していた。個人レベルでの男娼も存在し、また神殿売春とも関連して、古代ローマやオリエント世界にも共通するが、聖なる神殿娼婦が存在する一方で、神殿男娼も存在した。
古代ローマとなると、とりわけ帝政時代の爛熟期には、文化のシュンクレティズムが生じると共に、様々な風俗や性的慣習なども入り込み、娼館は、客の多様な性的嗜好に対応するため、様々な年齢の娼婦を置くと同時に、同じように多様な年齢の男娼も置いた。
[編集] 西欧
西欧では、中世においては娼婦を置いた娼館が公然と存在したが、男娼館はそれほど公然とはしていなかった。しかし、ルネッサンスから近世にかけると、イタリアの自由都市においては、多数の男娼が外国人の客を迎え、豪華な男娼館も存在した。
近代以降になると、ロンドンやパリなどの大都市では、同性愛者の需要に応えるべく、男娼のネットワークができ、男娼を摘発しようとする警察とネットワーク組織のあいだで隠然としたやりとりが行われた。しかし、危険を冒すことなく男娼を手に入れたければ、南国イタリアが、外国人を歓迎して男娼を用意していた。その中には幼い少年もおり、去勢して中性的な容姿の男娼をつくることが行われた。
[編集] インド
インドにおいては、『カーマ・スートラ』が男性同士の性愛での快楽の技術を詳細に記述しているように、同性愛行為は珍しいことではなく、奴隷身分の者が、しばしば男娼として売春に従事させられていた。
[編集] アラブ・ペルシア
アラブ・ペルシアにおいては、酒を飲むことも、同性愛も宗教上の禁忌であったが、実際には、飲酒や美少年を賛美する詩人の詩が広く流布し、また男色相手の稚児や美青年を置いた酒店が存在し、酒と男娼を同時に提供していた。カリフやスルタンのなかには、中国の皇帝と同様に、美青年や美男を寵愛する者が存在し、彼らは寵臣となって大きな権力を持つこともあった。→イスラーム世界の少年愛を参照。
[編集] 近年の男娼
[編集] ボーイ
近年の男娼は、男性向けホストクラブ(いわゆるウリ専)で従事する者が当てはまる。以前の男娼とは異なり、女装を行うことはほとんどなく、逆に男らしさを売りにしている店も多い。また、男娼という言葉は使われず、現在ではボーイと呼ばれることの方が一般的である(ゲイ用語を参照)。こうした男娼の中には、同性愛者(ゲイ)や両性愛者(バイ)のほか、異性愛者(いわゆるノンケ)が従事していることもある。そのため、女性客が買ったりすることもある。多くの店では、HIVなどの性病に対して敏感になっており、セーフセックスでサービスを行うことが一般的である。
[編集] 問題点
一方、携帯電話やインターネットの普及により、ウリ専のように店を通さず売春をする者も増えている。また、児童虐待ゆえの家出などにより、十代はじめの早いうちから売春をするものもおり、中には11歳から14歳程度の少年が少なくないことから、犯罪性が強く、アンダーグラウンドな組織と結びつくことがしばしばあるほか、HIVなど性病の蔓延といった多くの問題がある。

