パンク・ロック

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パンク・ロック (Punk Rock) は、1970年代中頃に生まれたロックのスタイルの一つ。パンクと略称されることが多い。ニューヨークのボヘミアン的なロック・シーンに産声を上げ、1977年にイギリスロンドンで爆発的に流行した。はじめは左翼的なメッセージを歌うバンドが多かったが(ザ・クラッシュなど)、その後はフーリガニズム的な性格を強め、政治的な色彩は弱まった。

ビートルズ以降、さまざまなミュージシャンアーティストたちによりロックは高度に洗練化し、難解で堅苦しいものになっていた。パンクは、こうした状況に対する不満から生まれた。ロンドン・パンクは商業的な成功をおさめただけでなく、ファッション・思想ジャンルにも大きな影響を与えた。

日本のパンクバンドについては、日本のパンク・ロックの項を参照。

目次

[編集] 概観

パンク・ロックは、1960年代以前のニューヨーク・アンダーグラウンドのガレージ・ロックニューヨーク・パンクオリジナル・パンク)を起源とする。ただし一般的な認知を得たのは、1977年のロンドン・パンクの爆発以降である。

[編集] パンクとニューウェイヴ

1977年のロンドン・パンク・ムーブメントは短期間で終息し、入れ代わるようにポストパンクニュー・ウェイヴが台頭する。ニューヨークのオリジナル・パンクの根底にあった、肉体性の否定、無機質でユニ・セックスな性格、前衛性・実験精神は、スロッビング・グリッスルディス・ヒートワイヤーらが展開した。一方、これらに反発するエクスプロイテッド、GBH、ブリッツ、コックニー・リジェクツといったネオ・パンク(oi!)、ハードコア・パンク勢もアンダーグラウンド的に人気を集めた。

[編集] ハードコアからポスト・ハードコアへ

米国ではバッド・ブレインズやマイナー・スレット、ダグ・ナスティがワイヤーの曲をこぞって取り上げるなど、ハードコア・パンクとポスト・パンクは親和的な関係にあった。ハードコア・パンクの聖地といわれたワシントンDCでは、ハードコア・パンクの暴力性を否定するレボリューション・サマー、ポスト・ハードコアへの流れが生まれる。これが全米へと広がり、商業化していき1990年代のオルタナティヴ・ロックのプロト・タイプとなった。実際に、サウンドガーデン、ダイナソーJr、マッドハニー、フー・ファイターズ、ロリンズ・バンド、ジーザス・リザードといったオルタナティヴ・ロックの中心的グループの多くが、ハードコア・パンクをルーツとしている。

[編集] 音楽的特徴

パワーコード中心の簡素なロックンロールであるが、ザ・フー、ローリング・ストーンズ、キンクスといった1960年代のバンドとの決定的な違いは、ブルースの臭いが払拭されていることであろう。

[編集] 歴史

[編集] ニューヨーク・パンクの誕生

パンクのゴッドファーザー、イギー・ポップ

ニューヨーク・パンクは、1960年代中期から後半にかけてアンダーグラウンドで活躍したガレージロックオリジナル・パンク)バンド(MC5ヴェルヴェット・アンダーグラウンドイギー・ポップ&ザ・ストゥージズなど)やニューヨーク・ドールズから派生したものである。ただし、当時はニューヨークで活動するアンダーグラウンド・ロック・バンド全般が十把一絡げにニューヨーク・パンクと呼ばれていたきらいがある。後世への音楽的影響云々で判断すればラモーンズジョニー・サンダース&ハートブレイカーズあたりが厳密な意味でのニューヨークのオリジナル・パンクと呼べるだろう。ラモーンズ、テレヴィジョンなどのニューヨーク・パンク勢はその音楽的な影響の強さにも関わらず、決して世界的な商業的成功を得ることは出来なかった。ポップ色の強いブロンディ、ワールドミュージックに傾倒したトーキング・ヘッズなどニューヨーク・パンクから派生したニュー・ウェイヴ・バンドの一部が、一定の商業的成功をおさめたにとどまる。

[編集] ロンドン・パンク興隆

このニューヨークでのアンダーグラウンドの動きに注目したのは大西洋を隔てた英国である。ラモーンズのロンドン公演などを機に、ロンドンを中心にニューヨーク・パンクを模倣したバンドが多数結成されるようになった。ロンドン・パンクの特徴としては、初期のロックンロールが持っていた攻撃性、反社会性、スリーコード中心の曲調が挙げられる。また、少し前に流行っていたパブロックといわれる音楽もロンドン・パンクに大きな影響を与えた。破れた細いジーンズ、古Tシャツ、革ジャン、よれよれのジャケットなどのファッションも若者の間で流行した。初期に人気があったのはストラングラーズセックス・ピストルズであるが、アメリカ進出は成功しなかった。むしろ後発といえるザ・クラッシュがアメリカでそれなりの成功を収めた。

ストラングラーズは、1974年ロンドンで結成された。当時の流行から外れた短い髪、細いズボン、短いギターソロ、攻撃的な歌詞と音楽。彼らの斬新さはニュー・ウェイヴと呼ばれ次第に人気が出た。アイスクリーム販売用のバンでイギリス中を軽快に移動し、毎日のようにライヴを行った。反体制のシンボルとして右翼団体の標的となるなど問題もかかえつつ、人気はうなぎのぼりにのぼり、各アルバムをイギリスのトップ5に送り込んだ。1970年代当時、イギリスでも日本でもセックス・ピストルズ以上に人気があった。

ロンドンで「SEX」という名前のブティックを経営していたマルコム・マクラレン[1]が、店にたむろしていた若者たちが作ったアマチュア・バンドに介入し、1975年セックス・ピストルズとしてデビューさせた。破れたシャツ、安全ピン、逆立てた髪という奇抜なファッションは、マルコムの助言によるものだと言われている[2]。ピストルズの曲は、アナーキズム(=無政府主義)を煽動したり、エリザベス女王をおちょくるなど、当時の保守的なイギリスにおいては考えられないほどタブーを犯すものであり、そのことがマスコミの好餌となり、スキャンダリスティックに取り上げられた。ライブでは客に唾を吐きかけ、テレビに出演すれば必ず司会者とトラブルを起こすと言われ、イギリス中の話題となり、パンクがメジャーに進出するきっかけを作った。それまで大学のキャンパスでしか使われなかったアナーキーというフランス語源の英語をポップ音楽の中に定着させたのは彼らである。

1976年、ダムドがデビュー。ロンドン・パンクで最初にシングル、およびアルバムをリリースした。ほかのパンク・バンドに比べて政治色が薄く圧倒的な演奏のスピードが特徴で、アルバム『地獄に堕ちた野郎ども』が大ヒットした。

ザ・クラッシュ1976年ロンドンで結成され、翌1977年白い暴動』でデビュー。1st、2ndアルバムはパンク色の強いものであったが、パンクと通じる精神性をもつレゲエカリプソロカビリーへの接近を試みた3rdアルバム『ロンドン・コーリング』(1979年)を発表、しだいに普遍的なロックバンドへと成長していく。シングル「ロック・ザ・カスバ」のヒットによってアメリカでも人気を得、スタジアム規模のライブツアーを何度か行った。

他にザ・ジャムが、ネオモッズ・ムーブメントを巻き起こしUKチャートでNo.1ヒットを4曲も出すなど1982年の絶頂期に解散するまで人気バンドとして君臨した。ベテランのミュージシャンたちによって結成されたポリスでさえ、デビューアルバムはパンクであった。またスペシャルズマッドネスなどの2トーンスカバンドが人気を博した。

ブームの火付役であったセックス・ピストルズは、アメリカツアーの途中で空中分解し、オリジナルアルバム1枚を残しただけで解散。リードボーカルだったジョニー・ロットン改めジョン・ライドンは、新たにPIL(パブリック・イメージ・リミテッド)を結成。カンキャプテン・ビーフハートといった前衛ロックの影響や、ダブを大幅に採り入れた奇抜な音楽は話題となり、パンクからニュー・ウェイヴへという時代の変化を印象づけた。

イギリスでは、失業者の増加と言う社会問題が下地となって、若者たちの不満、怒り、反抗、暴力性などを掬い上げたパンクが大きな社会現象となった。ジェネレーションXビリー・アイドルが在籍)などのポップなバンドも次々に生まれ、盛り上がった。ファッション、芸術文学にまでその波は広がり、セックス・ピストルズ以上に髪を逆立たせ、服を破いたスタイルのロンドン・パンク・ファッションは世界中で知られた。1980年代のロンドンでは観光客相手に、パンク・ファッションで街頭に立ち、お金をもらって写真を撮らせるビジネスもあった。(ちなみに日本ではこういった行為は違法である。また、それらのパンクに見られるモヒカン刈りや鋲ジャンといったファッションはオリジナルのロンドン・パンクとはなんの関係もない。)

[編集] 1980年代のパンク・ロック

1978年のセックス・ピストルズ解散によりパンクは事実上の終焉を迎えた。しかしながら、かつてモッズが70年代にネオモッズとしてリバイバルしたように、イギリスにおいては、1980年代に入り、ハードコア(極端)なサウンドをよりスピードアップされたリズムに乗せて政治的なメッセージを伝えるネオ・パンクバンドが次々と生まれる。いわゆる1981年から82年にかけて起こった「ハードコア・パンク・ムーブメント」であり、ディスチャージG.B.H.ジ・エクスプロイテッドといったバンドが次々に登場、シーンは活性化する。イギリスのハードコアの源泉となったのは、エセックスコミューン出身のバンドクラスだとされる。クラスはメンバーが共同生活し半自給自足の生活を送るなど徹底的な反システム、アナーキズムを貫き、パンク・ロックにより過激な主張を持ち込んだ。

また、ハードコアとは別にイギリスでは、ストリートとより密接に結びついたパンク・リヴァイヴァル/ネオ・パンクの動きOi!パンクが勃興する。シャム69コックニー・リジェクツなどを中心とするこのムーブメントは、音楽的にはロンドン・パンクのポップさ、キャッチーさを継承しつつも、オリジナル・パンクにあったユニ・セックス的な側面は影を潜め、男らしさを打ち出すバンドが多かった。これは当時のポップミュージックの中心だったニュー・ウェイヴに反目する意味合いがあった。

アメリカにおいても、1970年代後半にニューヨーク・パンクやロンドン・パンクに影響を受けたバンドが次々と誕生、ブラック・フラッグバッド・ブレインズといった有力バンドにより各地でハードコア・シーンが生まれた。局地的・アンダーグラウンド・レベルな現象の全貌を明らかにするのは難しいが、西海岸のファンジンの中には長期にわたって情報センターの役割を果たしたものもある。1977年創刊のロサンゼルスのフリップサイド誌は、ガレージやポスト・パンク等雑多だった時代からのファンジンである。バークリーのカレッジラジオ局のパンク番組マキシマム・ロックンロールがファンジンを創刊する1982年には全米的な規模でハードコアリポートが掲載されるようになった。マクシマム・ロックンロール2号のニューヨーク発リポートではハードコア・バンドだったビースティー・ボーイズの自主制作盤発売が伝えられている。とはいえ、同誌においても誌面はハードコア一本槍だっわけではなく、レビューの半数を占めていたのはカレッジロックやガレージ的なバンドであった。一般的なイメージとは裏腹に、ハスカー・ドゥやバッド・ブレインズのように大手レーベルと契約するバンドが増え、またSSTディスコード・レコードのような個人レーベルがディストリビューションを拡大し、クロスオーヴァーやスピードコア、ユースクルー・ハードコアが台頭する80年代半ばから後半にかけてがハードコアの規模的なピークであった。

スラッシュメタルからのクロスオーバー、ハードコアバンドによるメタルという意味でのクロスオーバー(・スラッシュ)は、D.R.I.(Dirty Rotten Imbeciles)の同名アルバム(1987)以降一般化したとみられる。東海岸では、アグノスティック・フロントクロ・マグスらに代表されるハードコアのメタル化やクロスオーバー、それらに反発するユース・オブ・トゥディらストレート・エッジの復古的な盛り上がりが、ニューヨーク・ハードコアという新たなブランドを作り出した。 現代でハードコアといえば、こうしたニューヨーク・ハードコアの流れを汲むバンドが世界的に見てほぼ主流と言って差し支えないが、日本では今なお旧来のジャパニーズ・ハードコアやUKハードコア・パンクの流れが強い。


一方、ハードコア生誕の地、ワシントンD.C.ではストレート・エッジを提唱した人気バンドマイナー・スレットの解散後、フロントマンであり自主レーベルディスコードのオーナーでもあったイアン・マッケイは、暴力化・様式化するハードコア・シーンに反発した音楽活動を開始、ディスコードはこの1985年をレボリューション・サマーと呼ぶ。かねてよりアメリカのハードコア・パンクスにとって大きなルーツであった、GANG OF FOUR、WIRE、P.I.L、DEVO(実際、デビュー当時パンク・バンドとして紹介されていた)といった、ニューウェーヴ、ポストパンクをハードコア世代流に解釈。 これが後にオルタナティヴ・ロック、エモ・コアと呼ばれる音楽の源流となって行く。

[編集] グランジ・ブーム

アメリカにおけるハードコア・ムーブメントはアンダーグラウンドな動きにとどまったが、その過程において各地のバンド、インディ・レーベルを結ぶネットワークができあがる。そのような状況下、サウンドガーデングリーン・リヴァーマッドハニーといったバンドがシアトルのインディ・レーベルサブ・ポップより次々とデビューし、シアトルのアンダーグラウンドシーンは盛り上がりを見せる。そして、1980年代初めからニューヨークのアンダーグラウンドシーンで活躍していた ソニック・ユースが、1990年にメジャー・レーベルのゲフィン・レコードよりデビュー、翌1991年にはニルヴァーナが『ネヴァーマインド』でメジャーデビューし、全世界で1,000万枚を売り上げる大ヒットを記録する。その後パール・ジャムなどが次々とメジャーデビューし、グランジ・ブームが訪れる。

しかしながら、1994年にニルヴァーナのリーダーであったカート・コバーンが自殺すると、グランジがオルタナティブ・ロックに呑み込まれる形で、グランジ・ブームは急速に終焉を迎える。

[編集] ポップ・パンク、メロコアの台頭

1980年代後半にバッド・レリジョンが、ハードコア的なサウンドをよりメロディックにスピーディーにさせたスタイルを確立。NOFXペニーワイズや、イギリス郊外系パンク・ファッションを継いだランシドなどがその音楽性を発展させ、そのサウンドはポップ・パンクメロディック・ハードコアと呼ばれるようになる。

そして、1994年グリーン・デイのメジャーデビュー、オフスプリングの3rdアルバム『スマッシュ』の大ヒットにより、ポップ・パンク、メロコアが爆発的なブームを巻き起こす。

[編集] ポスト・ハードコアの時代

世界中でグランジが流行する1990年代前半、イアン・マッケイ率いるフガジは反抗精神とアンチ商業主義を持ち続け、この影響を公言するバンドが現れいつしかその音楽性はエモ・コアと呼ばれるようになる。そして、ポップ・パンク・ブームも落ち着いた1990年代後半からジミー・イート・ワールドゲット・アップ・キッズアット・ザ・ドライヴインなど数々のフォロワーが生まれ、現在に至る。

[編集] パンク・ロックに分類される日本国外のアーティスト

[編集] オリジナル・パンク

The Modern Lovers
David Bowie
The Flamin' Groovies
Big Star
Captain Beefheart
Destroy All Monsters
The Electric Eels
Faces
Roxy Music
T.Rex
Silver Apple
The Fugs

[編集] USパンク

[編集] NYパンク

The Dictators
Mink DeVille
Tuff Darts
The Mumps


[編集] LAパンク

Descendents
Diles
Fear
Flipper
The Zeos
The Alley Cats
Bad Religion
Furys
The Last


[編集] 他USパンク

Pure Ube
Minor Threat
Willie "Loco" Alexander
Willie Alexander
The Avengers
Mission of Burma
Hüsker Dü

Rocket from the Tombs
Meat Puppets

The Meatmen
Neats
The Thrills

[編集] UKパンク

The Fall
Wreckless Eric
The Boys
Alternative TV

[編集] Irish パンク

The Undertones


[編集] Aussie パンク

The Saints
Radio Birdman
Scientists

※ハードコアバンドのリストは、ハードコア・パンクの項へ。
※メロディック・パンクバンドのリストは、メロディック・ハードコアの項へ。
※ポップ・パンクバンドのリストは、ポップ・パンクの項へ。
※エモバンドのリストは、エモの項へ。
※日本のパンクバンドのリストは、日本のパンク・ロックの項へ。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 末期のニューヨーク・ドールズのライブ・ツアーで自ら売り込んでマネージャーを務めた。店はもともと奇抜なデザインの服を売るふつうのブティックだったが、のちにSM用のゴムや革の服を売る店に変更した。共同経営者は美術大学時代の同級生で当時私的なパートナーでもあったヴィヴィアン・ウエストウッド。マルコムはのちにバウ・ワウ・ワウアダム・アンド・ジ・アンツのマネージャーも務め、さらには自分自身もミュージシャンとしてデビューしている。
  2. ^ これらのファッションは、もともとテレヴィジョンのリチャード・ヘルがオリジナルである。