宝塚歌劇団

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1930年8月・月組公演:レビュウ「パリ・ゼット
出演:門田芦子巽寿美子三浦時子橘薫天津乙女
武庫川の畔に建つ宝塚歌劇団の劇場群、宝塚音楽学校

宝塚歌劇団(たからづかかげきだん)は、未婚女性のみからなる日本の歌劇団阪急電鉄株式会社の直轄組織となっており、同社の社内部署「創遊事業本部歌劇事業部」が事業運営を行っている[1]。このため劇団員は同社の社員扱いとなっている。

理事長は小林公一(創始者小林一三のひ孫、阪急阪神ホールディングス取締役)。

目次

[編集] 概要

1947年2月・雪組公演:グランドレビュウ「ファイン・ロマンス」(中央は春日野八千代)共演:花村由利子谺春香乙羽信子
  • 創設の当初から「老若男女誰もが楽しめる国民劇」を目指し一躍有名になった宝塚であるため、現在も、演目は健全かつどの世代の人が見ても楽しめるものである。芝居やショーのテーマは古今東西にわたり、歴史劇、ファンタジー、そしてSFまで多岐にわたる。
  • 主な専用劇場である宝塚大劇場兵庫県宝塚市)と、東京宝塚劇場東京都千代田区)において公演を行っている。また、中劇場の宝塚バウホール(宝塚市)も所有。
  • 舞台に出演するのは宝塚音楽学校の生徒と卒業生であり、未婚女性である。退団後の再入団も認められておらず、外部の俳優が本公演に出演することもない。また団員が在団中に外部の舞台・テレビなどに出演することは、例外的には存在するがきわめてまれである。女性だけの劇団であるため、男性役も女性が演じる。女性の役を「娘役」、男性の役を「男役」と言う。入学時にどちらかを優先的に希望することになっているが、厳密ではない。創設初期の頃は娘役に人気が集まったが、現在は男役の方がファンの人気が高い。そのため舞台構成なども男役を中心に作られる。団員は全て芸名で活動し本名を芸名には出来ない。例に、現在女優の毬谷友子は本名の矢代友子で活動しようとしたが認められず、洗礼名を名字とする芸名とした。しかし、唯一、昭和26年入団の長谷川季子(俳優・長谷川一夫の娘)だけは本名を芸名にすることを許された。
  • 一般には「宝塚歌劇」を「タカラヅカ」や「ヅカ」、宝塚歌劇の団員を「ヅカ・ガール」(主に戦前)「タカラジェンヌ」(パリジェンヌのもじり)と呼ばれる。彼女等のプロフィールに誕生日は公開されるが、生年は公開されない。宝塚音楽学校と一体だったときのなごりで団員は「生徒」、稽古場は「教室」、演出家は「先生」と呼ばれる。
  • すみれコード」なるものが存在し、「本名」「年齢」「恋愛」の3つに関しては質問されても答えてはならない。それ以外にも、公の場で飲食をしないなど、すみれコードのリストがある訳ではないが、暗黙の了解で受け継がれている。しかしタカラジェンヌには愛称(あだ名)があり、そのほとんどは本名が由来のものであり、生徒同士及びファンも愛称で呼ぶことが多い。
  • テレビ放送が普及した頃、一時期観客動員が低迷し、一部のマスコミからも酷評を受けたことがあった。この状況を打開すべく、1974年に池田理代子原作の漫画『ベルサイユのばら』の舞台化を企画。往年の映画俳優・長谷川一夫を演出に招き、漫画を題材とするなど、異例中の異例であったこの舞台版ベルばらは大成功を収め、「タカラヅカ」は再び脚光を浴び、多くの女性が宝塚歌劇に憧れるようになった。特に養成機関である宝塚音楽学校の倍率がそれまでは4倍前後であったのが、『ベルばら』後は20倍前後になっている。
  • 当初、劇団員の芸名は百人一首にちなんだ名がつけられていたが、ネタが尽きたため百人一首に固執せず、現在では劇団員が自分で自由につけている。過去にタカラヅカにあった芸名と被らないようになっているが、瀧川末子のように親娘3代で名乗る(2代目のみ「滝川」)芸名もある。
  • 劇団のシンボルソングのようになっている「すみれの花咲く頃」は戦前のドイツ映画主題歌「リラ(またはライラック、ニワトコ)の花咲く頃」をフランスでシャンソン化して歌われているのを聴いた白井鐵造が持ち帰って詞をつけたもの(原曲のドイツ語版のCDなども発売されている)。歌劇団のみならず阪急百貨店の開店時にも演奏されるなど阪急阪神東宝グループの象徴的なテーマ曲となっている。

[編集] 宝塚音楽学校

団員は、全員付属の「宝塚音楽学校」で予科、本科あわせて2年間の教育を受けることになっている。音楽学校卒業後も研究科の「生徒」と呼ばれる。これは、宝塚歌劇が発足当初、劇団員が「芸者舞妓のようなもの」と揶揄されたことに、小林一三が怒り「宝塚歌劇は良家の子女に高等なる音楽教育を施した「生徒」によってなされるものである」といったことに由来する。

[編集] 歴史

1914年4・5月、第一回公演演目:歌劇ドンブラコ
出演:桃太郎役・高峰妙子,猿役・雲井浪子
共演:小倉みゆき秋田衣子外山咲子若菜君子
※公演は婚礼博覧会の余興の一つ
於:宝塚新温泉内パラダイス劇場
1951年3月・雪組公演:グランドレビュウ「白き花の悲歌(エレジー)」 中央男役:春日野八千代、共演:朝倉道子東郷晴子

阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道の創始者小林一三1913年に結成した宝塚唱歌隊が前身。翌年1914年、少女歌劇団となり、4月1日から5月31日まで宝塚新温泉で初演。初演演目は桃太郎を題材した歌劇『ドンブラコ』、『浮かれ達磨』、ダンス『胡蝶』、管弦合奏、および合唱であった。

1939年以前についての詳細は宝塚音楽学校もあわせて参照のこと。

  • 1913年(大正2年) - 宝塚唱歌隊(この年の12月に宝塚少女歌劇養成会に改称)を組織。
  • 1914年(大正3年) - 宝塚新温泉余興場において上演開始。
  • 1918年(大正7年) - 帝国劇場において東京で初公演。雑誌『歌劇』を創刊。
  • 1919年(大正8年) - 宝塚少女歌劇養成会を解散し、宝塚音楽歌劇学校を創立。(この時、生徒と卒業生から組織され、宝塚少女歌劇団に改称)
  • 1921年(大正10年) - 公演の増加により花組月組の二組に分ける。
  • 1924年(大正13年) - 宝塚大劇場が完成。雪組を新設。
  • 1927年(昭和2年) - 日本初のレビュー『モン・パリ』初演、大ヒット。
  • 1933年(昭和8年) - 春日野八千代の台頭と東京公演の増加のため星組を新設。
  • 1934年(昭和9年) - 東京宝塚劇場が開場。宝塚女子友の会(現:宝塚友の会)が発足。
  • 1935年(昭和10年) - 宝塚大劇場が全焼。この年の4月に完成。
  • 1938年(昭和13年) - 初の海外公演。神戸港から客船にてナポリに上陸。(ドイツイタリアポーランドを巡回。翌年にはアメリカを巡回)
  • 1939年(昭和14年) - 宝塚音楽歌劇学校が宝塚音楽舞踊学校に改称。宝塚少女歌劇団と宝塚音楽舞踊学校に分離。時局悪化のため星組を廃止する。
  • 1940年(昭和15年) - 宝塚歌劇団に改称。
  • 1944年(昭和19年) - 戦争により宝塚大劇場と東京宝塚劇場が閉鎖になる。
  • 1946年(昭和21年) - 宝塚音楽舞踊学校が宝塚音楽学校に改称。宝塚大劇場が公演再開。
  • 1948年(昭和23年) - 労働基準法対応のため星組を復活する。
  • 1951年(昭和26年) - 小林一三秋田實が立ち上げた「宝塚新芸座」元で「宝塚歌劇団」と共に活動始める。
  • 1957年(昭和32年) - 小林一三逝去。
  • 1958年(昭和33年) - 宝塚大劇場で月組の香月弘美が公演中による事故で観客らの目前で死亡した。
  • 1974年(昭和49年)8月29日 - 『ベルサイユのばら』初演、大ヒット。当時テレビに押されて低迷傾向だった宝塚歌劇の中興作品となった。これをきっかけに宝塚ファンが急増する。
  • 1978年(昭和53年) - 宝塚バウホールが開場。
  • 1989年(平成元年)1月8日 - 前日の昭和天皇崩御を受けて公演を自粛。
  • 1993年(平成5年) - 新・宝塚大劇場が新築開場され、旧劇場は69年の歴史を終える。
  • 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災で宝塚大劇場・バウホールが被災。この日より暫くの間は公演不能に陥るが、『国境のない地図』で公演再開。
  • 1996年(平成8年) - ウィーンミュージカルエリザベート』を雪組が初めて日本に紹介、大ヒット。
  • 1998年(平成10年) - 東京公演の通年化のため、宙(そら)組を新設。東京宝塚劇場の改築のため、仮設劇場のTAKARAZUKA1000days劇場を開場。
  • 2001年(平成13年) - 新・東京宝塚劇場が開場。
  • 2007年(平成19年) - 『小林一三没後50年スペシャル』公演。

[編集] 男子部

宝塚歌劇団創設時から、小林一三には「国民劇」という構想があった。それは西洋の題目のみならず日本の時代劇なども、西洋風のメロディーで展開する物であった。その表現の幅を増すためには男性団員が必要だと小林一三は考えていた。しかし男性団員を加入させるという案は、周囲の反対により何度も立ち消えになってきた。1919年に宝塚音楽学校に選科を設けて8人の生徒を入学させたが、周囲の反対により挫折したこともある。

第二次世界大戦後、1946年から4年間、公募により男子研究生が少数ながら25名入団した。数年間のレッスンを経た後のデビューを目指したが、女子研究生やファンらの反対により、最後まで本公演には出演することはなく、1954年に男子研究員たちが他の劇団に移籍し、解散となった[2]。当時の男子研究生には西野バレエ団創始者の西野皓三らがいたが、芸能界から引退して宝塚にいた頃の事を秘密にしていた者も多かった。

2007年に戦後の男子部をモデルとした劇作品、宝塚BOYSが全国で上演されている(2008年に再演)。

[編集] 組構成

生徒は、5つの組()と、専科に分けられており、各組がそれぞれ公演を行い、必要に応じて専科に所属する生徒がこれに参加する。

各組には組長・副組長がいる。

  • 組長は組を統括・管理し、公私にわたって組子の面倒を見ている。最上級生が就任することが多い。
  • 副組長は組長を助け、組を統括・管理し、組長に事故があるときはその任務を代行する。

[編集] 公演システム

公演の中心は、本公演と呼ばれる大劇場作品だが、全国ツアーや宝塚バウホール公演、シアター・ドラマシティや梅田芸術劇場博多座中日劇場日生劇場などでの公演も行われている。

本公演とは、宝塚大劇場東京宝塚劇場で上演する公演のこと。宝塚歌劇団の公演の中心であり、各組が持ち回りで公演を行っている。新作主義であり、基本的には座付き作家がトップスターと組にあてて書いた新作を上演することが多いが、海外ミュージカルの上演や、過去の作品の再演をすることもある。2000年以降は、花組→星組→雪組→宙組→月組→花組→…というローテーションがほぼ固定されている。基本的には、各組の生徒(基本的に在団中は生徒と呼ばれる)が全員出演し、さらに専科生が何人か出演することが多い。宝塚・東京共に、1公演は30~45日程度(公演によって異なる)で、原則として、宝塚大劇場での公演の後、引き続き東京で公演が行われる。2004年くらいから、宝塚千秋楽から東京初日のインターバルがより短くなっている。ロングランシステムを採用していないため、大ヒット演目であっても、公演期間が延長されることはない。宝塚大劇場と東京宝塚劇場ともオーケストラピットがあり、専属のオーケストラ宝塚歌劇場管弦楽団)により生演奏される。

各組とも本公演は年に1~2作であり、その合間に、全国ツアーを行ったり、シアタードラマシティ、梅田芸術劇場、博多座、中日劇場、日生劇場や宝塚バウホール、日本青年館などでの公演などを行う。時には、少人数でコンサートやディナーショーなどを行うこともある。本公演の合間にどんな公演が行われるかは、その時々によって異なる。

これら本公演の間の公演の場合は、たいてい各組とも、トップスターが主演する全国ツアー・博多座公演・中日劇場公演組と、2番手以下が主演を行うバウホール公演組の二手に分かれて公演を行う。したがって個々の公演の人数は少なくなるため、若手が準主演級などの役に配役されてチャンスを与えられる場ともなっている。

代表的な作品には、『ベルサイユのばら』、『風と共に去りぬ』、『エリザベート』などがある。

全国ツアーは、基本的にトップスター(まれに2番手)を中心に行う。演目は再演ものであり、(本公演で上演した演目もしくは過去の演目の再演)全国ツアーのために新作を書き下ろすことはほとんどない。

シアター・ドラマシティ公演の主演は時によって異なり、トップスターが主演することもあれば、2番手が主演することもある。しかし3番手以下が主演した例は無い。こちらは基本的に新作が上演される。

梅田芸術劇場公演は、同劇場(旧梅田コマ劇場)が阪急資本下に入った2005年から行われるようになった。第1回は、月組新トップスターのお披露目公演となった『Ernest in Love』。2005年以降の全国ツアー公演の初日公演はここで開催される。

博多座公演は毎年8月、中日劇場公演は毎年2月に行われており、原則的にトップスターが主演。(2008年の博多座は月組二番手の霧矢大夢が主演)中日劇場は前年の大劇場公演の演目を行うことが多い。博多座公演は再演ものが多いが、本公演の前に博多初演となったものもある。

バウホール公演は、現在は基本的に2番手以降の若手が主演する。(トップスターのコンサートの場合もある)若手やスタッフの育成の場と位置づけられており、比較的少人数で、書き下ろしの新作を上演することが多い。

日本青年館公演は、関西のシアター・ドラマシティや宝塚バウホールで行われた公演を引き続き東京でも上演するもの。東京初演も稀にある。以前は赤坂ACTシアターなども使われていた。

日生劇場公演は、2002年春から。翌年からは秋9月か10月で、外国ミュージカルを上演することが多い。

スケジュールラインナップは、ほぼ半年ごとに発表される。

[編集] スターシステム

[編集] 概要

作品において重要な役・ポジションを担当するのは実質的に一部のスターに限られており、スターシステムを採用している。このスターが観客動員・人気において、重要な役割を占めている。

原則としてトップスターが主演を務めるため、彼女に併せて脚本が書かれる。トップ娘役はトップスターの相手役(恋人・妻など)を演じることが多いが、物語の内容によって変動する。2番手スター(準トップ)は、トップスターの次に大きな役を与えられ、悪役・友人などを演じる。

トップスター(主演男役)以下、2番手、3番手…などという呼び方をするが、トップスター以外は明確に固定された地位ではないため変動することがある。例えば天海祐希は昇進が早く、彼女らより下位のスターが上級生となったこともある。特に娘役は、トップ娘役(主演娘役)以外は男役以上に安定していない。

有望な生徒は、下級生時代より新人公演・バウ公演などで役を与えられ経験を積む。新人公演の主演・バウ公演の主演等で成功を収めることがスターへの必須条件であり、この一連の流れをファンは「路線」と呼ぶ。

スターは、容姿・スター性(華/オーラ)・人気も重要な要素であり、実力者がスターになれるとは限らない。例えば、真矢みき檀れい等はいずれも入団時の席次は下位(檀にいたっては最下位)であったが、その後の努力や人気が評価されてトップスター(檀は娘役トップ)に就任した。

現在のスターシステムは、1980年代に確立された。それ以前では、Wトップだったり、公演ごとに主演者が異なったり、また他組への特別出演等、より柔軟性に富んだ配役を行なっていた。

[編集] トップスター

その組の主演スターであり、他の商業演劇とは異なり、退団するまでは同じ人物が主演をつとめる。正式な名称は「主演男役(娘役)」であるが、対外的には「トップスター」という表現が使用されることが多い。

ファンは親しみを込めて「トップさん」「トップ男役」「トップ娘役」などと呼ぶ。

男役の場合、概ね入団12〜15年目で就任するが、様々な事情で遅くなることも早くなることもある。スターシステムの確立以降では、前述の天海祐希が史上最速の入団7年目(1987年入団→1993年就任)の他、入団10年目で就任した大地真央(1973年入団→1982年就任)などが、早い例である。一方、遅い例としては入団16年目の紫吹淳香寿たつき(1986年入団→2001年就任)、安蘭けい(1991年入団→2006年就任)や入団18年目の大空祐飛(1992年入団→2009年就任)等が挙げられる。早い理由はスター性が評価されたこと、遅い理由は人事の関係などである。

娘役の場合では、就任時期は一概に言えず、最速は黒木瞳の入団2年目(1981年入団→1982年就任)で、他に入団3年目の麻乃佳世(1988年入団→1990年就任)・千ほさち(1994年入団→1996年就任)・花總まり(1991年入団→1994年就任)らがいる。遅い例としては入団14年目の渚あき(1988年入団→2001年就任)らが挙げられる。人気は男役が圧倒的なため、相手役と容姿が釣り合うか否か、ダンス・演技の組み易さ等がトップ娘役の重要な選定基準である。しかしながら、男役が入団10年前後でトップ就任するのに対し、娘役は入団10年未満での就任が多い。また、学年も相手役より下級生であることがほとんどである。

[編集] スターの退団

スターか否かに関わらず、大劇場公演または東京宝塚劇場公演の出演と千秋楽付けの退団が可能な者で、かつ退団手続きが順調に行われた生徒は公演の千秋楽に紋付に緑の袴をはき、大階段をおりて舞台上で挨拶をする。しかし、入団5年目以上でないと大階段を降りることができず、4年目以下の生徒は舞台袖から舞台上に出て挨拶することとなる。

トップスターに就任すると、専科へ異動する極少数の例(榛名由梨轟悠など)を除き、数年で退団することになる。すなわち公演回数にして4〜10回程度が目安となるが、後継スターの成長・本人の意欲など、また健康上の理由等で変動する。近年では、就任から退団公演までの期間が短くなってきているという。その要因として、トップに就任するまでの期間が長くなっていることと、メディアが多様化し、他の場所での活躍ができるようになったことが指摘されている。

短期の例では、匠ひびき絵麻緒ゆう貴城けいの1年未満(1公演)が代表的であるが、いずれも退団理由が人事上の問題というのが明確であり、劇団の姿勢がファンから激しく批判され反発をよんだ。

長期の例では、実に13年間に渡り娘役トップを務めた花總まりが代表的であるが、これは他と比較しても極めて特殊な例である。他に、和央ようか(2000年 - 2006年)の7年、剣幸こだま愛コンビ(1985年 - 1990年)、白城あやか(1992年 - 1997年)、月影瞳(1997年 - 2002年)、轟悠(1997年 - 2002年に専科へ異動)、春野寿美礼(2002年 - 2007年)の6年がある。スターシステム確立以前では、鳳蘭(1970年 - 1979年)・榛名由梨(1973年 - 1982年)の10年、安奈淳(1970年 - 1978年)の9年などの例がある。さらに以前に遡ると、春日野八千代などは20年以上に渡り多数の主演をしている。

トップスター・トップ娘役クラス、またはそれに準ずるクラスの退団者になると、出演公演の足跡を振り返る「サヨナラショー」公演が行われることもある。退団は多くのマスコミが取り上げ、また熱烈なファンはチケットが高騰しても複数回観劇する・記念グッズを購入するなど「歌舞伎は襲名披露で稼ぎ、宝塚は退団公演で稼ぐ」と言われる。

[編集] 主な生徒


専科

春日野八千代(宝塚歌劇団名誉理事)
松本悠里(宝塚歌劇団理事)
轟悠(同上)


花組

主演男役:真飛聖
主演娘役:桜乃彩音
2番手男役:壮一帆
組長:夏美よう
副組長:高翔みず希


月組

主演男役:瀬奈じゅん
主演娘役:不在
2番手男役:霧矢大夢
組長:越乃リュウ
副組長:花瀬みずか


雪組

主演男役:水夏希
主演娘役:愛原実花
2番手男役:彩吹真央
組長:飛鳥裕
副組長:未来優希


星組

主演男役:柚希礼音
主演娘役:夢咲ねね
2番手男役:凰稀かなめ
組長:英真なおき
副組長:万里柚美


宙組

主演男役:大空祐飛
主演娘役:野々すみ花
2番手男役:蘭寿とむ
組長:寿つかさ
副組長:鈴奈沙也

(以上、2009年7月現在)

[編集] 主な作品

1928年再演の「モン・パリ

主な作品に付いては、「宝塚歌劇団によって舞台化された作品の一覧」も参照の事。

[編集] 主なスタッフ

[編集] 演出


[編集] 音楽


[編集] 振付

[編集] 卒業生

卒業生については宝塚歌劇団卒業生を参照されたい

[編集] 宝塚ファン

早朝から生徒の楽屋入りに集まるファン(宝塚市宝塚大劇場

ヅカファンとも呼ばれる宝塚歌劇団のファンは現在、ほとんどが女性であるが、男性ファンで良く知られているのは手塚治虫であり、幼少の頃から親しんだ宝塚歌劇の影響を受け「リボンの騎士」を描いた。その「リボンの騎士」の影響を受けて池田理代子が「ベルサイユのばら」を描いたことは有名である。

宝塚歌劇団には公式のファンクラブが存在しないため、「宝塚友の会」という劇団側の公式の後援会や、「会」と呼ばれる生徒個人に対する私設ファンクラブ(劇団は非公認の団体)に入会するなどして各々が応援している。

本拠地である大劇場では、主に劇場からつづく「花の道」沿い、また、東京での公演の場合は日比谷シャンテ付近にファンが集まり、出入り待ちや並びなどをしている。 ファンになったきっかけとして、

  • 祖母や母などの家族や友人の影響で
  • バレエ声楽などに関心があるという関係から
  • 修学旅行などの学校行事から(地方ファンに多い)
  • テレビや週刊誌・書籍を介して
  • 宝塚市およびその近郊に居住していて

というケースが多い。

[編集] メディア関連

[編集] 機関誌

  • 機関紙「歌劇」「宝塚GRAPH(グラフ)」を発行している。以前は阪急電鉄出版部(大阪市)が発行していたが、2003年7月から阪急の出版事業をTBSブリタニカと統合した阪急コミュニケーションズが発行している。阪急電鉄の売店(ラガールショップ)でも販売されている。
  • 阪急百貨店には「宝塚コーナー」があり、上記の関連書籍のほかグッズを販売している。関連商品にはネクタイなど男性向けのものある。関係者の間からは売上が安定している部署と言われている。

[編集] 雑誌

  • 「宝塚おとめ」(阪急コミュニケーションズ刊、タカラヅカMOOK。年鑑形式でムック扱い)が発行されている。専科を含むすべての生徒が、簡単なプロフィールと共に掲載されている。

[編集] テレビ

[編集] 地上波

  • 阪急系列の関西テレビ放送フジ系)との結びつきが強いので、毎週土曜日(後に毎月1回)に、「ザ・タカラヅカ」(毎週土曜時)⇒「タカラヅカ花の指定席」(毎月1回時)と題した劇場中継を実施したほか、「阪急ドラマシリーズ」でも初期の頃はタカラジェンヌがレギュラー出演していた。また1999年夏の7月~8月には前出の関西テレビ限定で「タカラヅカ花組図鑑」というミニ番組が放送されたこともある。
  • 「タカラヅカ花の指定席」での提供読みは「この番組は、阪急電車と楽しさあふれるお買物、阪急百貨店がお送りします(した)。」それ以前は提供読みがなく「提供 阪急電車 阪急百貨店」の表示に歌のない阪急のテーマソングが流れていた。
  • 1994年度上半期、NHK朝の連続テレビ小説ぴあの」に純名りさ(当時は里沙)が現役タカラジェンヌとして初めてNHKの朝ドラのヒロインを務めた。TBSの朝ドラには、遥くらら(元雪組トップ娘役)が、TBSのドラマには、鮎ゆうき(元雪組トップ娘役)が、主演したことがある。
  • 近年はAQUA5の活動もあり、現役タカラジェンヌがバラエティ番組に出演する機会も少しずつではあるが増加している。現役タカラジェンヌがテレビ出演、特にバラエティ番組に出演することに関しては賛否両論であるが、それがきっかけで興味を持ち観劇する者も少なくないため、敬遠されがちな宝塚の世界を一般に知ってもらう良い機会と捉えるのが多数である。

[編集] 衛星放送

[編集] 宝塚を題材としたドラマ

  • NHK朝の連続テレビ小説には宝塚歌劇を題材、ないしは作品に挿入した内容の番組がある。(何れも大阪発。舞台シーンに現役生徒が多数出演している)
    • 虹を織る」(1980年度下半期) 佳代(紺野美沙子)が宝塚にかけた青春を演じた。
    • てるてる家族」(2003年度下半期) この作品でヒロイン・冬子(石原さとみ)が宝塚音楽学校に通うシーンがある。元雪組娘役トップ・紺野まひる(春子)も出演している。また音楽学校文化祭シーンでは宙組の下級生が出演し、主人公等の歌場面の吹き替えを、月組の羽咲まな光月るうがしている。
  • 2002年1月、フジテレビ系列で「愛と青春の宝塚」を放送。第二次世界大戦前後の架空のタカラジェンヌを描いた。舞台シーン他に現役生徒が多数出演している。またOGが主演クラスの女優に演技指導を行った。
  • 2007年、「すみれの花咲く頃」(松本剛原作)がNHKでドラマ化。北国の宝塚に憧れる少女の物語。音楽学校生役に生徒が2名出演。

[編集] イメージキャラクター

タカラジェンヌはスキャンダルを起こすことがほとんど無く、多くのイメージキャラクターを務めている。以下には主なものを挙げる。

[編集] 関連会社

[編集] 脚注

  1. ^ 阪急電鉄株式会社 業務組織
  2. ^ 2007年1月22日付配信 毎日新聞

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 宝塚歌劇団 編『宝塚歌劇80年史 夢を描いて華やかに』(宝塚歌劇団、1994年) ISBN 4-924333-11-5
  • 宝塚歌劇団 編『宝塚歌劇90年史 すみれ花歳月を重ねて』(宝塚歌劇団、2004年) ISBN 4-484-04601-6
  • 川崎賢子『宝塚 消費社会のスペクタクル』(講談社選書メチエ、1999年) ISBN 4-06-258147-7
  • 玉岡かおる『タカラジェンヌの太平洋戦争』(新潮新書、2004年) ISBN 4-10-610075-4
  • 辻則彦『男達の宝塚 夢を追った研究生の半世紀』(神戸新聞総合出版センターのじぎく文庫、2004年) ISBN 4-343-00295-0

[編集] 外部リンク

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