煉瓦

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イギリス積みの煉瓦の壁(アルチザンスクエア

煉瓦(れんが)は、粘土頁岩を型に入れ、で焼き固めて、あるいは圧縮して作られる建築材料。通常は赤茶色で直方体をしている。焼成レンガは、土の中に入っている鉄分の影響により赤褐色となる。耐火レンガは炉材にも使われる。

煉瓦建築の技術は、日本では近代化とともに導入された[1]が、構造材として用いる場合は地震に弱いという難点があり、関東大震災では多くの被害を出したことから、煉瓦建築は小規模な建物を除いて激減した。ただし、建材には煉瓦風のタイルも様々な種類が存在し仕上げ材としては現在でも多く用いられる。これは洋風の雰囲気を出すため、木造や鉄筋コンクリート造の表面に張り付けるものである。

煉瓦の歴史[編集]

煉瓦が建築材料として使用されるようになったのはメソポタミア文明の時代からである。チグリス川ユーフラテス川にわたる広大な範囲で煉瓦建築が発展していった。紀元前4000年からの約1000年間は、乾燥させただけの日干し煉瓦が使用されていた。紀元前3000年頃からは、焼成煉瓦が使用され始め、この頃には大型の建造物の外壁の仕上げに焼成煉瓦が使われている。内部の壁には一番厚い日干し煉瓦を使用し、焼成煉瓦はそれを保護するために使われていた。紀元前1600年から1000年の間には金型を使って表面に様々な細工を施した焼成煉瓦も見られるようになる。紀元前700年頃から湿式法を用いて焼成されたレンガで多くのモニュメントや重要な作品が作られ始めた。その時代にはまだ全ての工程が手作業で行われていたにもかかわらず、広範囲に渡る地域で多数使用されており、その生産量は驚くほど多い。

エジプトにおける煉瓦を使用した建築物は、メソポタミア文明より後のものであり、エジプトから煉瓦技術が地中海沿岸やインド、中国に伝わっていったと考えられている。最も古いピラミッドの中には、内部の壁に乾燥煉瓦を使い、外側を石で仕上げてあるものもある。また、その頃エジプトで使われていた煉瓦の寸法は、現在使用されているものに大変近い。

ヨーロッパでは数世紀間、煉瓦の生産技術(採砂、準加工、乾燥及び焼成方法)はローマより取り入れられてきた。古代ローマでは、建物の品質を確保するためにレンガごとに製造業者の刻印を押すことが義務づけられており、結果的に高い品質が維持されることとなった。この刻印の制度は周辺地域に波及し、古い時代のレンガの製造地や製造業者の特定が可能となっている[2]。煉瓦建築は19世紀まではあまり変化を遂げず、乾燥はそれに適した時期だけ日干しし、焼成は野外に煉瓦を山積みにして作った釜で行われていた。

今からおよそ100年ほど前に発動機(蒸気による機械)が導入されるようになってから、煉瓦生産の技法が変わり始めた。この機械の導入によって、準加工と成形工程を機械化させることが可能になり、生産力及び工場設備(機械)の作業能率が高まった。また、この発動機をとりいれた焼成システムによって、生産が合理化され同時に熱の消費が大幅に減った。

日本で建物用煉瓦の生産が始まったのは長崎の海軍伝習所1855年安政2年)開所)で、1861年文久元年)落成の長崎鎔鉄所の建設に使われたが、現在のものより薄く、その形から「こんにゃく煉瓦」または作製者の名前から「ハルデス煉瓦」と呼ばれた[3]

積み方[編集]

建築構造としての積み方にはフランドル積み(フランドルはベルギー全土からフランス東北部の地名。日本では明治期に「フランス積み」と誤訳された)、イギリス積みなどがある。

正面から見たときに、一つの列に長手と小口が交互に並んで見えるのがフランドル積み。一つの列は長手、その上の列は小口、その上の列は長手、と重ねてゆくのがイギリス積みである(下図・濃淡は小口と長手の区別のため便宜的につけたもの)。

このほか、長手積みとは全ての列に長手だけが見えるように重ねる積み方で、小口積みとは全ての列に小口だけが見えるように重ねる積み方である。歩道などにレンガを敷く時は、市松模様網代模様も見られる。

表面に化粧煉瓦を置くこともあり、必ずしも躯体が煉瓦積みの構造体ではないもの(鉄筋コンクリート構造体や鉄骨ラーメン構造体など)がある。

寸法・規格[編集]

日本の規格レンガの大きさ比較。“さいころ”は“半ます”より5mm短くなっている

レンガの寸法は、職人が持ちやすい大きさで慣習もしくは規格によって統一されている場合が多い。国・地域・時代によって違いがあり、たとえば現在のアメリカでは203mm x 102mm x 57mm、イギリスでは215mm x 112.5mm x 75mm、日本では210mm x 100mm x 60mmのものが広く使われている(日本ではJIS規格が定められるまで、様々な寸法のレンガがあった)。この寸法を標準とし、各辺を1/2、1/4、3/4などの単純な分数倍したものを組み合わせて用いる。たとえば、日本で建築用に使われているものには以下のような寸法がある(単位:mm)。

  • 全形(210 x 100 x 60)
  • ようかん(210 x 50 x 60)
  • 半ようかん(105 x 50 x 60)
  • 半ます(105 x 100 x 60)
  • さいころ(100 x 100 x 60)

また、JIS(日本工業規格)には、以下のものが定められている。

  • 普通レンガ(JIS R1250)
  • 建築用レンガ(JIS A5213)
  • 耐火レンガ(JIS R2204~2206、JIS R2213) … 炉材として使われる。

煉瓦と環境問題[編集]

煉瓦を焼く燃料として薪を得るために無計画な森林伐採が行われ、砂漠化を招く場合がある。インダス文明メソポタミア文明の衰亡の原因であるとも推測されており、中世ドイツなどでも森林の過剰伐採が行われた。燃料の選択肢も少なかった時代、煉瓦は環境破壊につながる建材だったのである。しかし現代では燃料も多様化しており、逆に型枠として木材を用いるコンクリート造よりも木材が節約できる。コンクリートの打ち込み型枠としてブロックを利用し、そのまま取り外さずに躯体として一体化する型枠ブロック工法も確立され、煉瓦もそのひとつとして使われることがある。

日干し煉瓦[編集]

日干し煉瓦は、粘土を固めた後に天日乾燥させて造る煉瓦である。よく成形して乾燥させた日干し煉瓦は、見かけ以上に耐候性に優れ、普及している地域には希な規模の集中豪雨や長雨に晒されない限り、建設資材としての機能を保持し続ける。地震に弱いという欠点もあるものの、乾燥地帯では理想的な建築材料の一つであり、現在でも広く使われている。

煉瓦建築[編集]

世界[編集]

ヨーロッパでは煉瓦は古代から多くの建物に用いられてきたが、教会、宮殿、公共建築など本格的な建物の場合、構造が煉瓦造でも表面を漆喰や石で仕上げることが多い。赤煉瓦のままの建物は古風なものか、工場、倉庫など簡素なものである。しかし、イギリスなどで中世趣味のため、あえて赤煉瓦のままとすることがある。

アフリカ大陸の降水量の少ない地域では、古くから日干し煉瓦が用いられており、モロッコアイット=ベン=ハドゥの集落マリ共和国ジェンネなど、美しい町並みが世界遺産として評価され登録される例もある。

日本[編集]

日本で最初期に造られた煉瓦建築は幕末の反射炉である。お雇い外国人の指導で官営事業を中心に煉瓦の製造、建設が始まった。1870年、日本初のレンガ工場が大阪府堺市に設立された。銀座煉瓦街の建設の際は大量の煉瓦を必要としたため、東京の小菅に煉瓦工場が築かれた。日本では明治初期まではフランドル積み(フランス積み)構造が多く用いられた(長崎造船所、富岡製糸所、銀座煉瓦街等)が、その後はほとんどイギリス積みになった。フランドル積みの方がより優美に見えるが、イギリス積みの方が合理的で堅固であると考えられたためである[4]。例えば、東京駅の外壁を見ると、どの列にも小口が並んでおり小口積みのようであるが、これは表面仕上げに小口煉瓦を用いているためで、主構造はイギリス積みである。

明治中期頃には煉瓦職人も増え、一般的な技術の一つになった。煉瓦造建築は濃尾地震で被害を受けたため、鉄骨で補強する構造なども工夫された(赤坂離宮、東京駅など)。また、大正時代には鉄骨造建築の壁を煉瓦で造ったり(郵船ビルなど)、鉄筋コンクリート造建築の一部を煉瓦造とする混構造も見られた。煉瓦を構造に用いた建物は関東大震災で大きな被害を受けた。浅草の凌雲閣(十二階)が倒壊したことは象徴的であった。震災以降、煉瓦造は小規模な建物以外には用いられなくなり、鉄筋コンクリート造が主流になった。

煉瓦造の代表的建造物[編集]

赤煉瓦ネットワーク(煉瓦建築の保存を目的とした全国組織)による「20世紀 日本赤煉瓦建築番付」(2000年(平成12年)、藤森照信ら監修)に、上記の建築物のうち、東の横綱に東京駅横浜赤レンガ倉庫富岡製糸場、西の横綱に大阪市中央公会堂江田島旧海軍兵学校今村教会堂が選ばれた(ちなみにこの番付では国指定の重要文化財年寄扱い)。

ホフマン窯[編集]

煉瓦を焼くために築かれたホフマン窯が日本国内に4か所ほど残っている。貴重な産業遺構である(栃木県、埼玉県等)。

煉瓦造風建造物[編集]

  • 深谷駅 - 東京駅の煉瓦を焼いた工場が深谷にあったことから、煉瓦造風の駅舎を建てた。構造は煉瓦造ではなく、煉瓦タイルで装飾したものである。

ギャラリー[編集]

主な生産地[編集]

出典・脚注[編集]

  1. ^ 清水慶一『建設はじめて物語』大成建設 p16「煉瓦という建築材料は、日本の建築の歴史の中では、ごく最近建築に用いられはじめた材料」
  2. ^ ヴィッキー・レオン『古代仕事大全』p292原書房
  3. ^ れんがの歴史(全国赤煉瓦協会)
  4. ^ 村松貞次郎『日本近代建築技術史』(彰国社)P58

関連項目[編集]

外部リンク[編集]