デンゼル・ワシントン

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デンゼル・ワシントン
Denzel Washington
Denzel Washington
2000年ベルリン国際映画祭ザ・ハリケーン』記者会見にて、Jaud撮影
本名 Denzel Hayes Washington Jr.
生年月日 1954年12月28日(59歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州マウント・バーノン
民族 アフリカ系アメリカ人
ジャンル 俳優
活動期間 1981年-
配偶者 Pauletta Washington (1983年 - )
主な作品
マルコムX
遠い夜明け
トレーニングデイ
マイ・ボディガード
インサイド・マン
デジャヴ

デンゼル・ワシントン英語: Denzel Washington, 本名: デンゼル・ヘイズ・ワシントン・ジュニア、Denzel Hayes Washington Jr., 1954年12月28日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州マウント・バーノン出身の俳優。これまでに2回アカデミー賞に輝いているほか、ベルリン国際映画祭でも2度の男優賞を受賞、さらに舞台では、トニー賞演劇主演男優賞を受賞している。アメリカを代表する映画俳優の1人であると同時に、映画監督、舞台俳優でもある。

官僚、将校、ジャーナリストなど、硬派なインテリで真面目な性格の人物を多く演じている。スパイク・リーとの3度目のコラボレーション作『ラストゲーム』(He Got Game)では、妻を殺した罪で服役中の元バスケットボールプレイヤーという役柄を演じたが、彼自身もセミプロ級の腕前である。身長は184cm。

1989年、『グローリー』で、アカデミー助演男優賞を受賞。アカデミー主演男優賞に最も近い黒人俳優として、その日はいつかと期待されていたが、遂に2002年『トレーニングデイ』で、アフリカ系アメリカ人ではシドニー・ポワチエに続いて2人目となるアカデミー主演男優賞を受賞した。

生い立ち[編集]

幼少期[編集]

デンゼル・ワシントンはニューヨーク州マウント・ヴァーノン(Mount Vernon, New York)で生まれた。姉ロリース(Lorice)と弟デイヴィッド(David)がいる。母親のレニース(Lennis)は、ジョージア州で生まれてニューヨーク州ハーレムで育った[1]

母親のレニースは美容師として2つの美容院を経営すると同時に、夫(デンゼルの父)が担当する教会でゴスペル歌手の仕事を行うという、当時(1950年代)としては比較的珍しい職業婦人だった(1950年代のアメリカでは、結婚して子供が生まれてからも働く女性はあまり多くなく、ましてや自分の会社や店を自分で経営する女性は更に少なく、黒人層では皆無に近かった)。父親のレヴランド・デンゼル・ワシントン・シニア(Reverend Denzel Washington Sr.)はヴァージニア州デルウィン生まれで、ペンテコステ派牧師で二つの教会を担当すると同時に、水道局と地元のデパート「S.Klein」でも働いていた。

人種差別が合法であった公民権法施行前のアメリカにおいて、夫婦は黒人であるが故に理不尽なあつかいを受ける辛酸を舐めてきたため、3人の子供達には可能な限り良質な教育を授けようと必死だった、と後に語っている。両親が多忙で家を空けていることが多かったため、デンゼルを含む3人の子供達は学校が終わってから両親が迎えに来るまでの間や週末は、ボーイズ&ガールズクラブ(アメリカの青少年育成団体)に預けられ、デンゼルはそこで多くのスポーツに熱中した。また、母親が経営する美容院でも多くの時間を過ごし、デンゼルはそこで話を作る面白さを客から学んだ。

デンゼルが14歳の時に両親の関係は悪化したが、デンゼル自身と姉はそれぞれ別の全寮制寄宿学校に入れられていたため、両親が離婚した事は暫く後になってから知らされた。デンゼルは、ニューヨーク州マウント・ヴァーノンのペニングトン・グリムス小学校(Pennington Grimes Elementary)でグラマー・スクール(grammar school)に通い、そこで様々なスポーツを嗜んだ。反抗期は酷く、彼の行いの粗暴さを心配した母親は、デンゼルの数人の友人が少年院に送られたのを見届けた後、デンゼルを更生させるために全寮制の寄宿学校に送った。母親が、デンゼルの成長期に映画を観る事を禁じていたのも、少しでも暴力的な状況から遠ざけるためであった。デンゼルの粗暴な振舞いは、数人の友人が少年院に送られた事を目の当たりにした事や、母親からの教育的指導のおかげで後に改善している。

青年期[編集]

デンゼルは子供の頃、テキサス州の工科大学(Texas Tech University)に行きたいと思っていた。この事についてデンゼルは、「私は子供の頃マウント・ヴァーノンのボーイズクラブで多くの時間を過ごして、レッド・レイダース(Red Raiders)というチームを作った。だから高校生の時、私が子供の頃所属していたチームと似たようなユニフォームを使っている、レッド・レイダースと呼ばれていたテキサス州ラボック(Lubbock)の大学に行ってみたかったんだ」と語っている。

高校卒業後デンゼルは、オクラホマ州立大学に通ったものの、興味をかきたてるものに出会う事が出来ずにすぐに中退した。改めて1977年ニューヨーク州フォーダム大学(Fordham University)のドラマ及びジャーナリズム学部に編入し直すまで、ベビーシッターを含む様々な職を経験し、その経験は後の俳優人生において役作りに大いに役立った、と語っている。

大学バスケットボールでは指折りの強豪校であるフォーダム大学で、ピー・ジェイ・カールシモ(P.J.Carlesimo)コーチ指導の下でバスケットボールにも熱中し、今でも時間を見つけるとバスケットボールを楽しんでいる。フォーダム大学でサマーキャンプに参加し、そこで寸劇の演出を担当した事から演技に強い関心を寄せ、ジャーナリズムの学位を取得して卒業後、サンフランシスコのアメリカン・コンサバトリー・シアター(American Conservatory Theatre)で1年間演技を学んだ。

キャリア[編集]

初期のキャリア[編集]

最初にプロの俳優として表舞台に立ったのは、TV映画『ウィルマ』であり、映画デビューを果たしたのは1981年の『ハロー、ダディ!』であった。彼にとって最初の転機となったのは、病院を舞台とした医学ドラマで1982年から1988年まで放送された、『St. Elsewhere』である。彼はこのシリーズに約7年間出演し、誠実で有能な若い医師役は注目される大きな理由となった。

TVや映画、あるいは舞台でいくつかの端役をこなした後、1987年リチャード・アッテンボロー監督作の反アパルトヘイト活動家スティーヴ・ビコの人生を描いた伝記映画『遠い夜明け』でビコを演じ、初めてアカデミー助演男優賞にノミネートされた。1989年、『グローリー』で冷静でありながらも反抗的な元奴隷を演じて、アカデミー助演男優賞を授与された。同じ年には『女王と祖国のために』で、カリブ海生まれでイギリスの落下傘部隊に戻った男、ルーベン・ジェームスを演じた。

1990 - 2000年代[編集]

1990年夏、デンゼルは映画『ミシシッピー・マサラ』で、デメトリウス・ウィリアムズを演じた。1992年、過去最高の批判と絶賛を同時に浴びたスパイク・リー監督の伝記映画『マルコムX』でタイトルロールを演じた。彼が演じた攻撃的な黒人解放闘士の役は、彼にオスカーノミネーションをもたらした。この映画は、映画批評家のロジャー・エバートからは「人種間の緊張対立を煽っているだけだ」と強い批判を浴び、一方で映画監督マーティン・スコセッシからは、「1990年代に作られた映画の内最も素晴らしい作品10本に入る」と評された。

映画『マルコムX』は、一夜にして彼のキャリアを大きく変え、アメリカで最も尊敬されるべき俳優にまでのし上げた。後に同じような役のオファーを受ける事になるが、型にはまった俳優にはなりたくなかった彼は、キング牧師のような役を断っている。翌1993年エイズを扱った映画『フィラデルフィア』で、違う意味で自身のキャリアを危ぶませる役、ゲイ嫌いの弁護士ジョー・ミラーを演じている。この映画では、やはりゲイエイズ患者というリスクの大きい役を演じたトム・ハンクスと共演している。評論家は、これまでのキャリアを犠牲にする覚悟で果敢に難役に挑戦したことを絶賛している。1990年代初頭から中期にかけては、評価の高かったスリラー映画『ペリカン文書』と『クリムゾン・タイド』、コメディ映画では『から騒ぎ』、そしてロマンティックドラマ映画では『天使の贈り物』などに主演、ハリウッドの先導役という地位を固めていった。

主役級の人気黒人俳優として、予防的に配慮しなければいけない部分もあるようで、1995年の映画『バーチュオシティ』では、共演の白人女優ケリー・リンチとのキスシーンを断っている。インタビューでケリー・リンチは、「異人種間の恋愛シーンに何の問題も無いので、キスシーンに抵抗はなかった」と答えたが、デンゼルは、「白人男性をターゲットにした映画で白人女性とキスをすれば、あっという間に攻撃の対象にされるからしたくない」と答えている。ケリー・リンチは更に、「それはとても恥ずかしい事で、いつか世界が異人種間の恋愛にこだわらなくなる事を待っている」と答えた。似たような状況は、映画『ペリカン文書』でジュリア・ロバーツとの間にも起こっている。ジュリア・ロバーツは、「いつこの人とキスが出来るのだろう」と撮影の間中ドキドキしていたが、「ハグと頬へのキスで終わってしまい、がっかりした。何の問題もないのに」とインタビューで答えている。

こうした白人女優とのキスを断る姿勢は、1989年の映画『刑事クイン/妖術師の島』から始まっている。この映画では唯一、共演のミミ・ロジャースとキスをしたが、試写で黒人女性からのブーイングを浴びたため、編集に頼んでカットしてもらっている。後にデンゼルは、「ニューズウィーク」誌でのインタビューで、「映画の中で黒人女性とカップルを演じる事は少ない、けれど彼女たちは大切なファンだ」と答えている。しかしながら、1998年スパイク・リー監督作『ラストゲーム』では、ミラ・ジョヴォヴィッチとのセックスシーンに挑戦している。

1999年映画『ザ・ハリケーン』で、3つの殺人事件で告発されて約20年間獄中で過ごしたボクサールービン・カーターを演じ、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。この作品については、史実との整合性について新聞その他マスコミで論争が巻き起こったものの、2000年ゴールデン・グローブ賞ベルリン国際映画祭における銀熊賞を受賞した。

TV映画『奇跡のランナー/ロレッタ・クレイボーン』の終盤に出演しており、ロレッタ・クレイボーンに、彼女の勇気を讃えアーサー・アッシュ・イーエスピーアイ(Arthur Ashe ESPY)賞を授けている。

2000年 - 2010年[編集]

2000年、ディズニーフィルムの『タイタンズを忘れない』に主演し、この映画はアメリカ国内だけでも1億ドルを叩き出した。2001年、『トレーニング・デイ』でアカデミー主演男優賞を受賞。この映画では、ロサンゼルス市の汚職警官を演じる。「オスカーを獲得したのは、前作『ザ・ハリケーン』で演じた役柄とは180度違う役でも正々堂々と潔く演じたからだ」と批評家は絶賛した。

その後2002年健康保険の問題を鋭く突いた社会派の映画『ジョンQ -最後の決断-』で主演し、最初の監督作品『アントワン・フィッシャー 君の帰る場所』では助演をつとめた。そして、2003年から2004年にかけてはサスペンス映画『タイムリミット』、『マイ・ボディガード』、『クライシス・オブ・アメリカ』で主演をつとめた。2006年3月には、立てこもりの銀行強盗犯を描いた『インサイド・マン』が公開され、監督は再びスパイク・リー、共演はジョディ・フォスタークライヴ・オーウェンである。同年11月には、トニー・スコット監督との3度目のコラボとなる『デジャヴ』が公開。

そして2007年には、『バーチュオシティ』に続いてラッセル・クロウと映画『アメリカン・ギャングスター』で共演、4630万ドルのオープニングセールスを記録し、キャリア史上最高のオープニング成績を残した。デンゼル・ワシントン監督作第2作目の『グレート・ディベーター 栄光の教室』では、主演もつとめた。2009年には、ウォルター・マッソー主演で製作および公開された1974年スリラー映画サブウェイ・パニック』のリメイク、『サブウェイ123 激突』(The Taking of Pelham 1 2 3)でジョン・トラボルタと共演、このときは、『デジャヴ』に続いて、トニー・スコットがメガホンを執った。

2010年に入ると、映画ではアクション作品への出演が増える。SF映画『ザ・ウォーカー』(The Book of Eli)では、ゲイリー・オールドマンと共演、監督にはアルバート・ヒューズ(Albert Hughes)を迎えて製作された。同作品は、2009年2月にニューメキシコ州で撮影が開始され、2010年1月15日に全米公開された。次に、アクション映画『アンストッパブル』では、再びトニー・スコット監督とタッグを組み、共演には若手俳優のクリス・パインを迎えている。

2011年 -[編集]

2012年には、アクション映画『デンジャラス・ラン』で若手俳優ライアン・レイノルズと共演し、久々の悪役を演じている。そして2013年、映画『フライト』では、 アカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、3度目のオスカーかと囁かれたものの、受賞は逃した。また、ブロードウェイの舞台も、新作を準備中であると言われている。

舞台俳優として[編集]

2005年シェイクスピア作『リチャード3世』(1990年上演)以来、15年ぶりに舞台俳優業に再挑戦し、同じシェイクスピア作の『ジュリアス・シーザー』で、ブルータスを演じた。2010年、『Fences』で主役のトロイ・マクソンを演じ、トニー賞演劇主演男優賞を受賞した。

演技[編集]

デンゼルは、トレーラーハウスでコーヒーを飲んだり、葉巻を吸っていたりする時[2]は普段の彼だが、一歩外に出ると、撮影外でも役者になりきってしまう。そのため、映画『マイ・ボディガード』(Man on Fire)の最初の頃[3]ダコタ・ファニングを助手席に乗せて撮影外で運転をしても、彼は正面を向いて一言も彼女と話さなかった。彼女のほうは、もっぱら台本か新聞を読んでおり、「『アイ・アム・サム』でのショーンもそうだったから、気にしなかった」と語っている。

私生活[編集]

1983年、映画『ウィルマ』のセットで出会った、女優のポーレッタ・ピアソン(現在はポーレッタ・ワシントン)と結婚。ワシントン夫婦は4人の子供を授かっており、1984年7月28日生まれの長男ジョン・ディヴィッド・ワシントンは、2006年の5月にプロフットボールチーム、セントルイス・ラムズと雇用契約を交わしている。彼は、モアハウス大学にフットボールの特待生として学費全額免除で通っていた。1987年11月28日生まれの長女カティアは、名門エール大学に入学した。双子のオリヴィアとマルコム(マルコムXからの命名)は、1991年4月10日生まれである。マルコムは現在ペンシルベニア大学に通い、フットボールをプレイしている。オリヴィアは女優志望で、ニューヨーク大学に通っている。1995年にワシントン夫妻は、南アフリカデズモント・ツツ司教同席の中で夫婦の誓いを改めて行った。

デンゼルは家族とともに、テキサス州サン・アントニオ(San Antonio, Texas)のブルック陸軍病院(Brooke Army Medical Center)に入院している兵士達を慰問に訪れた。後日デンゼルは、入院している兵士達の家族を宿泊させるための小さなホテル、フィッシャー・ハウスズ(Fisher Houses)に寄付をしている。2006年10月、デンゼルは、『ハンド・トゥ・ガイド・ミー(Hand to Guide Me)』(邦題『僕が大切にしている人生の知恵を君に伝えよう』)を著し、ベストセラーになった。本の内容は、著名な俳優・政治家・スポーツ選手などが、子供時代のどんな体験が自身の職業を決める上でどう働いたのかを説いたものである。その本はアメリカの子供たちのために活動する協会から出版され、デンゼルは講演を依頼された。

デンゼルは俳優を志す前、大学卒業後の進路について迷っていた時期に、亡父と同じく牧師になりたいと考えた事もあり、現在でも敬虔なクリスチャンとしても知られている。

また2007年5月20日モアハウス大学から名誉博士号を授与されている。

黒人俳優として[編集]

アメリカにおける人種差別背景に、黒人俳優が長年「型にはまった知能の低い悪党」という役柄か、エンタテイナー、あるいは家族で観られるコメディー映画にしか出演の機会を与えられなかったハリウッドにおいて、デンゼルは極めて独特な地位を築いた事で知られている。

エリン・ブロコビッチ』でアカデミー主演女優賞を受賞したジュリア・ロバーツは、「ニューズウィーク」誌の取材に対して、「デンゼルなら、オスカーを3つもらっても少ないぐらい」と評している。またデンゼルとは『グローリー』『戦火の勇気』『マーシャル・ロー』と3度タッグを組み、双方とも全幅の信頼を寄せている映画監督エドワード・ズウィックも、「白人俳優を主役に想定した脚本ばかりが映画化される」と同誌のインタビューで答えている。「黒人らしい」お定まりの脇役しか演じる機会を与えられないというのが、アメリカにおいての黒人俳優の状況・問題でもあるが、その中でデンゼルは、誇り高い黒人、目的を持ち強く冷静に生きていく男の姿を多彩な役柄で演じ分ける事でハリウッドの伝統に抵抗し続けている。1984年デンゼルは、第二次世界大戦中の米陸軍における黒人兵士間の対立を描いた映画、『ソルジャー・ストーリー』に出演した。黒人コメディアンエディ・マーフィがハリウッドで大受けしていた時代に、デンゼルはコメディーだけが黒人俳優の仕事ではないと主張するため、敢えて人種間の緊張を引きずる作品に出ていたのである。

1970年代後半、まだ駆け出しの新人俳優だったデンゼルは、大先輩で大親友師匠でもあるシドニー・ポワチエに、「君のキャリアは最初の3~4本の出演作で決まる。自分がいいと信じる役が来るまで待つべきだ」とアドバイスされ、言われるがままにいくつかの「黒人らしい」役を断った。その後、社会派の伝記映画『遠い夜明け』のスティーヴ・ビコ役に抜擢され、オスカー俳優のケヴィン・クライン相手に一歩も引けを取らぬ見事な演技を披露して、社会派の黒人俳優だと世間に認識され、アカデミー助演男優賞にノミネートされた。現在デンゼルは、他の多くの黒人俳優のようにコメディアンやエンタテイナー、あるいは名悪役として認知されるのではなく、社会派の名優としての地位を完璧なまでに築いた。

トリビア[編集]

  • ニューヨーク・ヤンキースファンである。
  • バスケットボールチームのロサンゼルス・レイカーズファンでもあり、特等席のチケットを持っているが、マスコミにみつかるといつも素晴らしい試合だったと答えなければならないため、好きな試合は自宅で観戦する事にしている。
  • デンゼルは、2人目の黒人主演男優賞受賞者である。1人目はシドニー・ポワチエであり、デンゼルが最優秀主演男優賞を受賞した夜、彼もまたアカデミー名誉賞を受賞していた。2人はこの夜以前に別のアカデミー賞を受賞している。デンゼルは主演男優賞受賞後のスピーチで、たとえこの先別のオスカーが授与されようとも、これからもポワチエの足跡を追って行く、と明言した。しかしながら、デンゼルはオスカーを2度授与された唯一の黒人俳優で、ノミネーションも5回で黒人俳優の中で最多。
  • デンゼル・ワシントンはいくつかの伝記映画で、史実との整合性や実在の人物との人間像の食い違いについて、痛烈な批判を浴びている。例を挙げると、スティーヴ・ビコ遠い夜明け)、マルコムXマルコムX)、ルービン・カーター(ザ・ハリケーン)、ハーマン・ブーン(タイタンズを忘れない)など。
  • デンゼルの名前は、アニメ作品『プラウド・ファミリーProud Family』リッツィー・マクガイアで登場している。数ある黒人俳優が出演している映画で、デンゼルの名がたとえに使われることも多い。
  • 2009年8月、映画『サブウェイ123 激突』のプロモーションのため来日した際、お台場合衆国を訪れ、そこで生野陽子アナウンサーがデザインしたTシャツを気に入り、娘達へのお土産に選んだ。
  • 『ザ・ハリケーン』でプロボクサールービン・カーターを演じるために、撮影開始の一年前からロサンゼルスボクシングジムに通い、テリー・クレイボーン(Terry Clayborn)にコーチをしてもらった。『ザ・ハリケーン』の前には『ボーン・コレクター』で寝たきりの科学捜査官役を演じたため、「撮影の合間にジムに通って体を鍛えたよ。何しろ撮影中は全く動かないから、体を動かすのが楽しくてね」とインタビューで答えている。テリー・クライボーンは、「デンゼルは20年若ければ、プロボクサーになることも夢ではなかった」と述べている。
  • ニューズウィーク誌の特集で、美の基準についてデンゼルは何度も取り上げられている。
  • 1995年デンゼルは、映画『クリムゾン・タイド』の撮影現場を訪れたクエンティン・タランティーノについて、プレミア誌のインタビュー記事で語っている。その当時タランティーノは、クレジットされてはいないものの、既にいくつかの脚本を書いていた。デンゼルは、タランティーノが自身の脚本の中で、頻繁に差別用語を使用していることに対して非難していた。タランティーノはこの事について、もっとプライベートで話し合いをしたいと語った。デンゼルは、「もし話し合いがしたいのなら、今ここですればいいじゃないか」と返答しているが、後にタランティーノはいいアーティストだ、と語っている。しかしながらタランティーノとデンゼルの盟友スパイク・リーが激しい舌戦を繰り広げた事は、周知の事実かつ有名である。
  • デンゼルの名前は父親のミドルネームで、父親がいつか「ドクター・デンゼル」になれるように、と願ってつけたものだった。前述の通り、2007年モアハウス大学から名誉博士号を授与され、父親の願い通り「ドクター・デンゼル・ワシントン」になった。
  • デンゼルは、1992年スパイク・リー監督の超大作『マルコムX』でタイトルロールを演じたが、それ以前にブロードウェイのヘンリー・ストリート・シアターの舞台『When the Chickens Came Home to Roost』でもマルコムX役を演じている。
  • 日本のバラエティ番組「王様のブランチ」に出演した際、日本の映画では黒澤明の映画作品が好きだと語った。

出演作品[編集]

年度 題名 役名 備考
1974    
The Emperor Jones
舞台
狼よさらば
Death Wish
路上強盗犯 ノンクレジット
1975    
Othello
舞台
1977 ウィルマ
Wilma
ロバート・エルドリッジ TV映画
1979    
Coriolanus
アデル,その他 舞台(ビデオ発売)
ボクサー
Flesh & Blood
カーク TV映画
   
Ceremonies in Dark Old Men
ボビー・パーカー 舞台
1981 ハロー、ダディ!
Carbon Copy
ロジャー・ポーター
   
When the Chickens Come Home to Roost
マルコムX 舞台
   
A Soldier's Play
メルヴィン・ピーターソン上等兵 舞台
1984 ライセンス・トゥ・キル 殺しのライセンス
License to Kill
マーティン・ソーヤー検事 TV映画
ソルジャー・ストーリー
A Soldier's Story
メルヴィン・ピーターソン上等兵
1986 ジョージ・マッケンナ物語/暴力教室に挑んだ男
The George McKenna Story
ジョージ・マッケンナ TV映画
キングの報酬
Power
アーノルド・バイリングス
1987 遠い夜明け
Cry Freedom
スティーヴ・ビコ アカデミー助演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
1988    
St. Elsewhere
フィリップ・チャンドラー医師 TVシリーズ
   
Checkmates
シルベスター・ウィリアムス 舞台
1989 刑事クイン/妖術師の島
The Mighty Quinn
エグゼヴィア・クイン
女王と祖国のために
For Queen and Country
ルーベン・ジェームス
グローリー
Glory
トリップ二等兵 アカデミー助演男優賞受賞
ゴールデングローブ賞 助演男優賞受賞
1990 私の愛したゴースト
Heart Condition
ナポレオン・ストーン
モ'・ベター・ブルース
Mo' Better Blues
ブリーク・ギリアム
   
The Tragedy of Richard III
リチャード・デューク 舞台
1991 リコシェ
Ricochet
ニック・スタイルズ検事補
   
Rabbit Ears: Anansi
アナンシー 声優
TVアニメ
1992 ミシシッピー・マサラ
Mississippi Masala
デメトリウス・ウィリアムス
マルコムX
Malcolm X
マルコムX ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞
アカデミー主演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
   
Rabbit Ears: John Henry
ジョニー・ヘンリー 声優
TVアニメ
1993 から騒ぎ
Much Ado About Nothing
ドン・ペドロ
ペリカン文書
The Pelican Brief
グレイ・グランサム記者
フィラデルフィア
Philadelphia
ジョー・ミラー弁護士
1995 クリムゾン・タイド
Crimson Tide
ロン・ハンター少佐
バーチュオシティ
Virtuosity
パーカー・バーンス警部補
青いドレスの女
Devil in a Blue Dress
エゼキエル・ローリンズ
1996 戦火の勇気
Courage Under Fire
ナサニエル・サーリング中佐
天使の贈り物
The Preacher's Wife
ダドリー
1997    
Happily Ever After: Fairy Tales for Every Child
オマル王の声/ルイ軍曹 TVシリーズ
Season1#5/Season2#26
   
Mother Goose: A Rappin' and Rhymin' Specisal
オマル王の声/ルイ軍曹 TV映画
1998 悪魔を憐れむ歌
Fallen
ジョン・ホブス刑事
ラストゲーム
He Got Game
ジェイク・シャトルワース
マーシャル・ロー
The Siege
アンソニー・ハバード特別捜査官
1999 ボーン・コレクター
The Bone Collector
リンカーン・ライム科学捜査官
ザ・ハリケーン
The Hurricane
ルービン・カーター ゴールデングローブ主演男優賞受賞
ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞
アカデミー主演男優賞ノミネート
2000 タイタンズを忘れない
Remember the Titans
ハーマン・ブーン
奇跡のランナー/ロレッタ・クレイボーン
The Loretta Claiborne Story
本人
2001 トレーニング デイ
Training Day
アロンズ・ハリス刑事 アカデミー主演男優賞受賞
ロサンゼルス映画批評家協会賞男優賞受賞
ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
2002 ジョンQ -最後の決断-
John Q
ジョン・クインシー・アーチボルド
アントワン・フィッシャー きみの帰る場所
Antwone Fisher
ジェローム・ダヴェンポート医師 監督・製作兼任
2003 タイムリミット
Out of Time
マット・リー・ウィトロック警察署長
2004 マイ・ボディガード
Man on Fire
ジョン・W・クリーシー
クライシス・オブ・アメリカ
The Manchurian Candidate
ベン・マルコ少佐
2005
Julius Caesar
マーカス・ブルータス 舞台
2006 インサイド・マン
Inside Man
キース・フレイジャー刑事
デジャヴ
Deja Vu
ダグ・カーリン特別捜査官
2007 アメリカン・ギャングスター
American Gangster
フランク・ルーカス ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
グレート・ディベーター 栄光の教室
The Great Debaters
メルヴィン・B・トルソン 監督兼任
2009 サブウェイ123 激突
The Taking of Pelham 123
ウォルター・ガーバー
2010 ザ・ウォーカー
The Book of Eli
イーライ 製作兼任
アンストッパブル
Unstoppable
フランク・バーンズ機関士
   
Fences
トロイ・マクソン 舞台
トニー賞(演劇部門)受賞
2012 デンジャラス・ラン
Safe House
トービン・フロスト元CIA工作員
フライト
Flight
ウィリアム・ウィテカー機長 FAAAFブラック・リール賞主演男優賞受賞
NAACPイメージ・アワード主演男優賞受賞
アフリカン・アメリカン映画批評家協会主演男優賞受賞
オーストラリア映画協会賞主演男優賞ノミネート
放送映画批評家協会賞主演男優賞ノミネート
アカデミー賞主演男優賞ノミネート
シカゴ映画批評家協会主演男優賞ノミネート
ダラス・フォートワース映画批評家協会主演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)ノミネート
オンライン映画批評家協会主演男優賞ノミネート
サテライト賞主演男優賞(ドラマ部門)ノミネート
全米映画俳優組合賞主演男優賞ノミネート
セントルイス映画批評家協会賞主演男優賞ノミネート
ワシントンD.C.映画批評家協会主演男優賞ノミネート
2013 2ガンズ
2 Guns
ボビー・トレンチ
2014 イコライザー
The Equalizer
ロバート・マッコール 米国ドラマ「ザ・シークレット・ハンター」の映画化
  
A Raisin in the Sun
ウォルター・ヤンガー 舞台

脚注[編集]

  1. ^ Nickson, Chris (1996). Denzel Washington. St. Martin's Paperbacks, 9-11. ISBN 0312960433.
  2. ^ 控え室にいる時
  3. ^ 作品中での役柄が無口な段階

外部リンク[編集]