デンゼル・ワシントン
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| デンゼル・ワシントン | ||||||||||||||
2000年ベルリン国際映画祭『ザ・ハリケーン』記者会見にて、Jaud撮影 |
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| 本名 | Denzel Jermaine Washington Jr. | |||||||||||||
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| 生年月日 | 1954年12月28日(53歳) | |||||||||||||
| 出生地 | ||||||||||||||
| 民族 | アフリカ系アメリカ人 | |||||||||||||
| ジャンル | 俳優 | |||||||||||||
| 活動期間 | 1981年- | |||||||||||||
| 配偶者 | Pauletta Washington | |||||||||||||
| 主な作品 | ||||||||||||||
| 『マルコムX』 『遠い夜明け』 『トレーニング・デイ』 『マイ・ボディガード』 『インサイド・マン』 『デジャヴ』 |
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デンゼル・ワシントン(Denzel Washington ,本名:デンゼル・ジャーメイン・ワシントン・ジュニアDenzel Jermaine Washington Jr., 1954年12月28日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州マウント・バーノン出身の俳優。これまでに2回アカデミー賞に輝いている。映画俳優であると同時に映画監督、舞台俳優でもある。
官僚、将校、ジャーナリストなど、硬派なインテリで真面目な性格の人物を多く演じている。スパイク・リーとの3度目のコラボレーション作『ラスト・ゲーム』(He Got Game)では妻を殺した罪で服役中の元バスケットボールプレイヤーという役柄を演じたが、彼自身もセミプロ級の腕前である。身長は183cm。
1989年、『グローリー』でアカデミー助演男優賞を受賞、アカデミー主演男優賞に最も近い黒人俳優としてその日はいつか、と期待されていたが、遂に2002年、シドニー・ポワチエに続いて『トレーニング・デイ』でアフリカ系アメリカ人では2人目のオスカー(アカデミー主演男優賞)を受賞した。
目次 |
[編集] 生い立ち
デンゼル・ワシントンはニューヨーク州マウント・ヴァーノン(Mount Vernon, New York)で生まれた。姉ロリース(Lorice)と弟デイヴィッド(David)がいる。母親のレニース(Lennis)は、ジョージア州で生まれてハーレムで育った[1]。美容師として二つの美容院を経営すると同時に、夫(デンゼルの父)が担当する教会でゴスペル歌手の仕事を行うという、当時(50年代)としては比較的珍しい職業婦人だった(50年代のアメリカでは、結婚して子供が生まれてからも働く女性はあまり多くなく、ましてや自分の会社/店を自分で経営する女性は更に少なく、黒人層では皆無に近かった)。父親のリヴェレンド・デンゼル・ワシントン・シニア(Reverend Denzel Washington Sr.)はヴァージニア州デルウィン生まれで、ペンテコスタル派の牧師で二つの教会を担当すると同時に水道局と地元のデパート「S.Klein」でも働いていた。夫婦は黒人であるが故に不合理な扱いを受けるという辛酸を舐めてきたため、3人の子供達には可能な限り良質な教育を受けさせようと必死だった、と後に語っている。両親が多忙で家を空けていることが多かったため、デンゼルを含む3人の子供達は学校が終わってから両親が迎えに来るまでの間や週末は、ボーイズ&ガールズクラブ(アメリカの青少年育成団体)に預けられ、デンゼルはそこで多くのスポーツに熱中した。
デンゼルが14歳の時に両親の関係は悪化したが、彼自身と彼の姉はそれぞれ別の全寮制寄宿学校に入れられていたため両親が離婚した事は暫く後になってから知らされた。デンゼルはニューヨーク州マウント・ヴァーノンのペニングトン・グリムス小学校(Pennington Grimes Elementary)でグラマー・スクール(grammar school)に通い、そこで様々なスポーツを嗜んだ。反抗期は酷く母親は彼の行いの粗暴さを心配し、彼の数人の友人が少年院に送られたのを見届けた後、彼を更生させるために全寮制の寄宿学校に送った。母親が彼の成長期に映画を観る事を禁じていたのも、少しでも暴力的な状況から遠ざけるためであった。デンゼルの粗暴な振舞いは数人の友人が少年院に送られた事を目の当たりにした事や母親からの教育的指導のおかげで後に改善している。
デンゼルは子供の頃、テキサス州の工科大学(Texas Tech University)に行きたいと思っていた。この事について彼は、「私は子供の頃マウント・ヴァーノンのボーイズクラブで多くの時間を過ごして、レッド・レイダース(Red Raiders)というチームを作った。だから高校生の時、私が子供の頃所属していたチームと似たようなユニフォームの使っている、レッド・レイダースと呼ばれていたテキサス州ラボック(Lubbock)の大学に行ってみたかったんだ」と語っている。高校卒業後デンゼルはオクラホマ州立大学に通ったものの自身の興味をかきたてるものに出会う事が出来ずにすぐに中退し、改めて1977年にニューヨーク州フォーダム大学(Fordham University)のドラマ及びジャーナリズム学部に編入し直すまでベビーシッターを含む様々な職を経験し、その経験は後の俳優人生において役作りに大いに役立った、と語っている。
フォーダム大学ではピー・ジェイ・カールシモ(P.J.Carlesimo)コーチ指導の下でバスケットボールにも熱中し、今でも時間を見つけるとバスケットボールを楽しんでいる。フォーダム大学でジャーナリズムの学位を取得し、サンフランシスコのアメリカン・コンサバトリー・シアター(American Conservatory Theatre)で一年間演技を学んだ。
[編集] キャリア
[編集] 初期のキャリア
最初にプロの俳優として表舞台に立ったのはTV映画『ウィルマ』であり、映画デビューを果たしたのは1981年の『カーボン・コピー』であった。彼にとって最初の転機となったのは病院を舞台とした医学ドラマで1982年から1987年まで放送された『セント・エルスウェア』である。彼はこのシリーズに6年間出演し、誠実で有能な若い医師役は注目される大きな理由となった。
TVや映画、あるいは舞台でいくつかの端役をこなした後、1987年にリチャード・アッテンボロー監督作の反アパルトヘイト活動家スティーヴ・ビコの人生を描いた伝記映画『遠い夜明け』でタイトル・ロールを演じ、初めてアカデミー主演男優賞にノミネートされた。1989年『グローリー』で冷静でありながらも反抗的な元奴隷を演じてアカデミー助演男優賞を授与された。同じ年には『女王と祖国のために』で、カリブ海生まれでイギリスの落下傘部隊に戻った男ルーベン・ジェームスを演じた。
[編集] 1990 - 2000年代
1990年夏、デンゼルは映画『ミシシッピー・マサラ(Mississippi Masala)』でデメトリウス・ウィリアムズ(Demetrius Williams)を演じた。1992年過去最高の批判と絶賛を同時に浴びたスパイク・リー監督の伝記映画『マルコムX』でタイトルロールを演じた。彼が演じた攻撃的な黒人開放闘士の役は彼にオスカーノミネーションをもたらした。この映画は映画批評家のロジャー・エバートからは「人種間の緊張と対立を煽っているだけだ」と強い批判を浴び、映画監督のマーティン・スコセッシからは1990年代に作られた映画の内最も素晴らしい映画10本に入ると評された。
映画『マルコムX』は一夜にして彼のキャリアを大きく変え、アメリカで最も尊敬されるべき俳優にまでのし上げた。後に同じような役のオファーを受ける事になるが、型にはまった俳優にはなりたくなかった彼は断っている。断った役に、キング牧師の役がある。翌1993年、エイズを扱った映画『フィラデルフィア』で、違う意味で自身のキャリアを危ぶませる役、ゲイ嫌いの弁護士ジョー・ミラーを演じている。この映画ではトム・ハンクスと共演しており、彼もまたエイズ患者というリスクの大きい役を演じている。評論家は、キャリアを秤にかけてでもゲイ嫌いの弁護士ミラー役に果敢にも挑戦したことを絶賛している。1990年代初頭から中期にかけては、評価の高かったスリラー映画『ペリカン文書』と『クリムゾン・タイド』、コメディ映画では『から騒ぎ』、そしてロマンティックドラマ映画では『天使の贈り物』などに主演、ハリウッドの先導役という地位を固めていった。
主役級の人気黒人俳優として予防的に配慮しなければいけない部分もあるようで、1995年の映画『バーチュオシティ』では共演の白人女優ケリー・リンチとのキスシーンを断っている。インタビューでケリー・リンチ本人は、異人種間の恋愛シーンに何の問題も無いので、キスシーンに抵抗は無かったと答えたが、デンゼルは白人男性をターゲットにした映画で白人女性とキスをすればあっという間に攻撃の対象にされるからしたくないと答えた、と発言している。ケリー・リンチは更に、それはとても恥ずかしい事で、いつか世界が異人種間の恋愛にこだわらなくなる事を待っている、と答えた。似たような状況は映画『ペリカン文書』でジュリア・ロバーツとの間にも起こっている。ジュリア・ロバーツは「いつこの人とキスが出来るのだろう」と撮影の間中ドキドキしていたが、ハグと頬へのキスで終わってしまいがっかりした、何の問題もないのに、とインタビューで答えている。彼のこういった、白人女優とのキスを断る姿勢は1989年の映画『刑事クイン/妖術師の島』から始まっている。この映画では唯一、共演のミミ・ロジャースとキスをしたが、試写で黒人女性からのブーイングを浴びたため編集に頼んでカットしてもらっている。後にデンゼルは「ニューズウィーク」誌でのインタビューで、映画の中で黒人女性とカップルを演じる事は少ない、けれど彼女たちは大切なファンだ、と答えている。しかしながら1998年、デンゼル・ワシントンはスパイク・リー監督作『ラストゲーム』ではミラ・ジョヴォヴィッチとのセックスシーンに挑戦している。
1999年映画『ザ・ハリケーン』で、3つの殺人事件で告発され約20年間獄中で過ごしたボクサールービン・カーターを演じアカデミー主演男優賞にノミネートされたが、それと同時に新聞では論争が巻き起こっていたものの2000年のゴールデン・グローブ賞とベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した。
デンゼルは、アーサー・アッシュ・イーエスピーアイ(Arthur Ashe ESPY)賞をロレッタ・クライボーン(Loretta Claiborne)に、彼女の勇気を讃えるために授けている。デンゼルは映画『ロレッタ・クライボーン・ストーリー(The Loretta Claiborne Story)』の終盤に出演している。近年デンゼルは、肉体美の美しさを讃える作品に出演する機会に多く恵まれ、そこでは端正な整った顔立ちも賞賛されている。
[編集] 2000年 - 現在
2000年ディズニーフィルムの『タイタンズを忘れない』に主演し、この映画はアメリカ国内だけでも100万ドルを叩き出した。2001年ロサンゼルス市の汚職警官を熱演した『トレーニング・デイ』でついにアカデミー主演男優賞を受賞。この映画ではそれまで作り上げてきた自分自身のイメージを変えようと挑戦しており、悪党を演じている。オスカーを獲得したのは、前作『ザ・ハリケーン』で演じた役柄とは180度違う役でも正々堂々と潔く演じたからだと批評家は評した。
2002年、健康保険の問題を鋭く突いた社会派の映画『ジョンQ』で主演し、最初の監督作品『アントワン・フィッシャー 君の帰る場所』では助演をつとめた。
2003年から2004年にかけてはスリラー映画『タイムリミット』、『マイ・ボディガード』、『クライシス・オブ・アメリカ』で主演をつとめた。2006年3月24日には、立てこもりの銀行強盗犯を描いた『インサイド・マン』は再びスパイク・リーが監督し、共演はジョディ・フォスター、クライヴ・オーウェンである。同年11月には『デジャヴ』が公開。
2007年にはラッセル・クロウとの映画『アメリカン・ギャングスター』に出演、4630万ドルのオープニングセールスを記録し、キャリア史上最高のオープニング成績を残した。デンゼル・ワシントン監督作第2作目の『グレート・デベーターズ』(邦題未定)では主演もつとめた。彼は2009年、地下鉄の保安主任ザック・'Z'・ガーバー(Zach "Z" Garber)を演じる予定である。この映画は70年代に製作および公開されたスリラー映画『ザ・テイキング・ペルハム1 2 3』(The Taking of Pelham 1 2 3)のリメイク作品で、敵対する役はジョン・トラボルタ、監督は『マイ・ボディーガード』に続いてトニー・スコットが予定されている。続いて冷静中のCIA捜査官ブランドン・スコフィールド(Brandon Scofield)をスリラー映画『ザ・マタレス・サークル』(The Matarese Circle / 邦題未定)で演じる予定である。
[編集] 舞台俳優として
デンゼルの舞台俳優としてのキャリアは1990年上演のシェイクスピア作『リチャード3世』を演じたのが最後だったのだが、2005年、15年間のブランクをものともせずに舞台俳優業に再挑戦した。デンゼルは舞台で同じシェイクスピア作の『ジュリアス・シーザー』でブルータスを演じた。この演目は、総じてあまり良い評価を得る事は出来なかったが、それでも上演のたびに座席を100%埋める事が出来た。
[編集] 演技
デンゼルはトレーラーハウスでコーヒーを飲み、葉巻を吸う時[2]は普段の彼だが、一歩外に出ると役者になりきってしまう。そのため映画『マイ・ボディガード』(man on fire)では最初の頃[3]、撮影外でデンゼルが運転をし、ダコタ・ファニングが助手席にいても、彼は正面を向き、彼女は台本か新聞を読み、一言も話さなかった。 そのときのことを彼女は「アイアムサムでのショーンもそうだったから気にしなかった」と語った。
[編集] 私生活
1983年、デンゼル・ワシントンは映画『ウィルマ』のセットで出会った女優のポーレッタ・ピアソン(現在はポーレッタ・ワシントン)と結婚。ワシントン夫婦は4人の子供を授かっており、1984年7月28日生まれの長男ジョン・ディヴィッド・ワシントンは2006年の5月にプロフットボールチーム、セントルイス・ラムズと雇用契約を交わしている。彼はモアハウス・カレッジにフットボールの特待生として学費全額免除で通っていた。1987年11月28日生まれの長女カティアは名門エール大学に入学した。双子のオリヴォアとマルコム(マルコムXからの命名)は1991年4月10日生まれである。1995年、ワシントン夫妻は南アフリカでデズモント・ツツ司教同席の中で夫婦の誓いを改めて行った。
デンゼルは家族とともにテキサス州サン・アントニオ(San Antonio, Texas)のブルック陸軍病院(Brooke Army Medical Center)に入院している兵士達を慰問に訪れた。後日デンゼルは、入院している兵士達の家族を宿泊させるための小さなホテル、フィッシャー・ハウスズ(Fisher Houses)に寄付をしている。2006年10月、デンゼルは『ハンド・トゥ・ガイド・ミー(Hand to Guide Me)』(邦題『僕が大切にしている人生の知恵を君に伝えよう』)を著し、ベストセラーになった。本の内容は、著名な俳優・政治家・スポーツ選手などが子供時代のどんな体験が自身の職業を決める上でどう働いたのかを説いている。その本はアメリカの子供たちのためのために活動する協会から出版され、デンゼルは講演を依頼された。
レヴォリューショナリー・アームド・フォースズ・オブ・コロンビア(Revolutionary Armed Forces of Colombia)にデンゼルの名前は刻まれ、彼の名前は3人目だった。他の2人は、映画監督オリバー・ストーン(Oliver Stone)とマイケル・ムーア(Michael Moore)である。彼らは2003年から拘束されている防衛官の釈放を要求した[4]。
デンゼルは俳優を志す前、大学卒業後の進路について迷っていた時期に亡父と同じく牧師になりたいと考えた事もあり、そのため現在でも敬虔なクリスチャンとしても知られている。
[編集] 世間からの評価
黒人俳優は、型にはまったような知能の低い悪党という役柄か、あるいは家族で観られるコメディー映画しか演じられなかったハリウッドにおいて、デンゼルは極めて独特な地位を築いた事で知られている。『エリン・ブロコビッチ』でアカデミー主演女優賞を受賞したジュリア・ロバーツは「ニューズウィーク」誌の取材に対して「デンゼルなら、オスカーを3つもらっても少ないぐらい」と評している。「黒人らしい」お定まりの脇役しか演じる機会を与えられないというのがアメリカにおいての黒人俳優の状況・問題でもあるが、その中でもデンゼルは誇り高き黒人、目的を持ち、強く冷静に生きていく男の姿を多彩な役柄で演じ分ける事でハリウッドの伝統に抵抗し続けている。
1970年代後半、デンゼルの大先輩で大親友、師匠でもあるシドニー・ポワチエはまだ駆け出しの新人俳優だったデンゼルに「君のキャリアは最初の3本か4本の出演作で決まる。自分がいいと信じる役が来るまで待つべきだ」とアドバイスし、言われるがままにいくつかの「黒人らしい」役を断った後、社会派の伝記映画『遠い夜明け』のスティーヴ・ビコ役に抜擢され、オスカー俳優のケヴィン・クライン相手に一歩も引けを取らぬ見事な演技を披露し、社会派の黒人俳優だと世間に認識されアカデミー助演男優賞にノミネートされた。今現在デンゼルは他の黒人俳優のようにコメディアンとして、あるいは名悪役として認識される事もなく、社会派の名優としての地位を完璧なまでに築いた。
[編集] その他
- ニューヨーク・ヤンキースファンである。
- バスケットボールチームのロサンゼルス・レイカーズのファンでもあり、特等席のチケットを持っているがマスコミにみつかるといつも素晴らしい試合だった、と答えなければならないため、好きな試合は自宅で観戦する事にしている。
[編集] 受賞歴
- グローリー Glory (1989) ゴールデングローブ・アカデミー助演男優賞
- マルコムX Malcolm X (1992) NY批評家協会賞・ベルリン国際映画祭男優賞
- ザ・ハリケーン The Hurricane (1999) ゴールデングローブドラマ部門男優賞・ベルリン国際映画祭銀熊賞(男優賞)
- トレーニング・デイ Training Day (2001) ロサンゼルス映画批評家協会賞男優賞・アカデミー賞主演男優賞
- アントワン・フィッシャー 君の帰る場所ANTWONE FISHER(2003) アメリカ映画協会賞ムービー・オブ・ジ・イヤー賞・ナショナル・ボード・オブ・レビュー ブレイクスルー賞・アメリカプロデューサー組合賞・スタンリー・クレイマー賞・全米脚本家協会賞・インディペンデントスピリット賞・シカゴ映画評論家協会賞・ゴールデンサテライト賞・オンライン映画批評家協会賞
[編集] 代表作
- カーボン・コピーCarbon Copy(1981)
- ソルジャー・ストーリーSoldier Story(1984)
- 遠い夜明け Cry Freedom (1987)
- グローリー Glory (1989)
- モ'・ベター・ブルース Mo' Better Blues (1990)
- マルコムX Malcolm X (1992) - マルコムX役
- ペリカン文書 The Pelican Brief (1993)
- フィラデルフィア Philadelphia (1993)
- から騒ぎ Much Ado About Nothin (1993)
- バーチュオシティ Virtuosity (1995)
- 青いドレスの女 Devil in a Blue Dress (1995)
- クリムゾン・タイド Crimson Tide (1995)
- 天使の贈りもの The Preacher's Wife (1996)
- 戦火の勇気 Courage Under Fire (1996)
- 悪魔を憐れむ歌 Fallen (1997)
- マーシャル・ロー The Siege (1998)
- ボーン・コレクター The Bone Collector (1999)
- ザ・ハリケーン The Hurricane (1999) - ルービン・カーター役
- タイタンズを忘れない Remember the Titans (2000)
- トレーニング・デイ Training Day (2001)
- ジョンQ John Q (2002)
- アントワン・フィッシャー 君の帰る場所ANTWONE FISHER(2002)
- タイムリミット Out of Time (2003)
- クライシス・オブ・アメリカ The Manchurian Candidate (2004)
- マイ・ボディガード Man on Fire (2004)
- インサイド・マン Inside Man (2006)
- デジャヴ Deja Vu (2006)
- アメリカン・ギャングスターAmerican Gangster (2007)
[編集] 雑談
- デンゼル・ワシントンは2人目の黒人主演男優賞受賞者で、一人目はシドニー・ポワチエであり、デンゼルが最優秀主演男優賞を受賞した夜、彼もまたアカデミー名誉賞を受賞していた。2人はこの夜以前に別のアカデミー賞を受賞している。デンゼル・ワシントンは主演男優賞受賞後のスピーチで、たとえこの先別のオスカーが授与されようともこれからもポワチエの足跡を追って行く、と明言した。しかしながらデンゼル・ワシントンは、オスカーを2度授与された唯一無二の黒人俳優で、最も数多くノミネートされてもいる(ノミネーションは5回/黒人俳優の中で最多)。
- デンゼル・ワシントンの名前は、ヒット中のアニメ作品『プラウド・ファミリーProud Family』リッツィー・マクガイアで登場している。
- 数ある黒人俳優が出演している映画ではデンゼルの名がたとえに使われることも多い。
[編集] 注
- ^ Nickson, Chris (1996). Denzel Washington. St. Martin's Paperbacks, 9-11. ISBN-100312960433. M
- ^ 控え室にいる時
- ^ 作品中での役柄が無口な段階
- ^ “Colombian rebels ask Denzel Washington to help broker hostage exchange”, CBC Arts, 2006-11-10. 2007-03-20閲覧.

