ライオネル・バリモア

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ライオネル・バリモア
Lionel Barrymore
Lionel Barrymore
本名 Lionel Herbert Blythe
生年月日 1878年4月28日
没年月日 1954年11月15日(満76歳没)
出生地 ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没地 カリフォルニア州ビバリーヒルズ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
配偶者 ドリス・ランキン (1904-1923)
Irene Fenwick (1923-1936)

ライオネル・バリモア(Lionel Barrymore、1878年4月28日-1954年11月15日)はアメリカ合衆国の映画俳優、舞台俳優。

目次

[編集] 略歴

イングランド人[1]俳優モーリス・バリモア(Maurice Barrymore、本名 Herbert Arthur Chamberlayne Blythe)と米国[2]の女優ジョージアナ・ドリュー(Georgiana Drew)夫妻の長男として生まれる。本名ライオネル・プライス。妹エセル・バリモア、弟ジョン・バリモアも高名な俳優。

芸能一家のため、少年時代から舞台に立っている。どちらかというと悪役、軍隊の将官、父親などの年上の役が似合っていた。1911年にはバイオグラフ・カンパニーに誘われ、D・W・グリフィス監督の下で、数本の映画の脚本を書いて、端役を演じたが、バリモアにとってはあまり満足できる結果にならなかった。しかし、1917年には一躍舞台での花形スターになる。

その直後、映画界へ誘われてMGMと異例の25年契約を結び、その中には映画監督を許可するという条項もあった。だが、映画監督としては、『マダムX』(1929)でアカデミー監督賞にノミネートされたが、あまり結果を出せずに1931年には演技に専念するよう契約を変えた。1930年代初期にMGM作品で見せたセンチメンタルで気難しい祖父役やけちな大金持ちなどの役でファンに愛された。

自由の魂』(1931)では大酒飲みで、常識にとらわれない心を持った刑事弁護士を演じてアカデミー男優賞を得た。この作品に出演するまでのバリモアは、役者より監督に魅力を感じていたらしいが、この受賞で彼はMGMと契約を書き換えたと言われる。映画出演は1953年まで続いたが、1938年以来、関節炎と2度の転倒で車椅子の生活を余儀なくされた。晩年はTVでの活動は拒否し、ラジオの出演のみで余生を送った。

[編集] 主な出演作品

[編集] 脚注

  1. ^ インド生まれのイングランド人。後にアメリカに帰化。
  2. ^ 父ジョン・ドリュー(John Drew)はアイルランドから幼い時にアメリカに移民して来た俳優。母ルイーザ・レイン・ドリュー(Louisa Lane Drew)はイングランド人の舞台女優。

[編集] 外部リンク

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