チャールトン・ヘストン

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チャールトン・ヘストン(1963年ワシントン大行進にて)
チャールトン・ヘストン(1963年ワシントン大行進にて)

チャールトン・ヘストンCharlton Heston, 1924年10月4日 - 2008年4月5日)はアメリカ合衆国イリノイ州エヴァンストン(Evanston)出身の俳優。社会運動家。妻は女優のリディア・クラーク、長男は映画監督のフレイザー・ヘストン。趣味は狩猟と釣りである。

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[編集] プロフィール

イリノイ州の中心部シカゴの北に隣接するエヴァンストンに生まれ、ノースウェスタン大学卒業後、米国陸軍に入隊第二次世界大戦には爆撃機の搭乗員として参戦していた。退役後1950年に最初の映画に出演、『ミケランジェロの彫刻のように美しい』と称された肉体美と精悍なマスク、格調高い演技力でいくつもの名作に出演し、1959年には映画『ベン・ハー』でアカデミー主演男優賞を獲得した。ハリウッド黄金期後期を支え、日本人にも馴染み深い大作やSF映画の主演も務めた。1966年から1971年までは、俳優組合の会長をつとめた。

[編集] 保守運動

武装する権利擁護の観点から、全米ライフル協会の一員であり、1997年に同会の評議員に当選。翌・1998年には同会の会長に就任。同会の会長は本来2期(1期1年)までだったが、規約が改正され2003年まで5期つとめ、2000年アメリカ合衆国大統領選挙におけるジョージ・ブッシュ当選、2002年における共和党の中間選挙勝利に貢献し、減少を続けていた会員数も500万人近くにまで増大させた。そのため一時はビッグ・イシューとなっていた銃規制論議は、2008年アメリカ合衆国大統領選挙においてはほとんど聞かれず。本来は規制推進論者であるバラック・オバマヒラリー・クリントンは争点化させていない。2002年ドキュメンタリー映画 『ボウリング・フォー・コロンバイン』 の監督マイケル・ムーアからインタビューを受け、コロンバイン高校銃乱射事件直後のコロラド州デンバーでの全米ライフル協会会議について質問された。自身が全米ライフル協会の会員であることを述べてインタビューを始めたムーアに対し、ヘストンは上記会議の開催を批判されていることに気づくと立ち上がって退座した。

上記のように晩年は保守派層の代表として見られるが1960年代にはアメリカにおける公民権運動の旗振り役で人種差別に反対し、マーティン・ルーサー・キング牧師と共にワシントン大行進に参加するというリベラル派であり、決して人種差別主義者ではなかった。その後、バリー・ゴールドウォーターへの共感から保守主義に傾倒していく。ジェシー・ヘルムズトム・ディレイなどの大物政治家とも親交を持った。

2002年8月に自分がアルツハイマー病であることを公表し、全米ライフル協会会長を辞任。『MY FATHER』(2003年)ではアルツハイマーに苦しみながらも死の天使と恐れられたヨーゼフ・メンゲレを圧倒的な存在感で演じ、好評を得た。

私生活は大変堅実だったのが有名でハリウッドスターとしては大変珍しく離婚歴はなく、20歳の時に結婚したリディア夫人と自身が亡くなるまで64年間連れ添った。

2008年4月5日夜半過ぎ、自宅にて夫人に看取られ84歳で死去。アメリカのメディアはトップニュースでヘストンの死去を報じた。

[編集] 主な出演作品

Charlton Heston (1982).
Charlton Heston (1982).

[編集] 関連項目

  • 納谷悟朗-チャールトン・ヘストンの専属声優。

[編集] 外部リンク

先代:
ダナ・アンドリュース
映画俳優組合代表
1965 - 1971
次代:
ジョン・ギャビン