ジャック・ニコルソン

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ジャック・ニコルソン
Jack Nicholson
Jack Nicholson
2010年、デニス・ホッパーハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム授与式にて。
本名 John Joseph "Jack" Nicholson
生年月日 1937年4月22日(76歳)
出生地 ニュージャージー州
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
民族 アイルランド系アメリカ人
ジャンル 俳優映画監督映画プロデューサー脚本家
活動期間 1958年-
活動内容 1956年:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー入社
1958年:俳優活動開始
1969年:『イージー・ライダー』で注目を集める
1975年:アカデミー主演男優賞受賞
1983年:アカデミー助演男優賞受賞
1994年:アメリカ映画協会生涯功労賞
1997年:アカデミー主演男優賞受賞
2002年:7度目のゴールデン・グローブ賞
配偶者 サンドラ・ナイト(1962年 - 1968年)
家族 ジェニファー・ニコルソン(長女)
ロレイン・ニコルソン(次女)
レイモンド・ニコルソン(長男)
ケーレブ・ゴダード(私生児)
ウィニー・ホルマン(私生児)
主な作品
イージー・ライダー
ファイブ・イージー・ピーセス
さらば冬のかもめ』『チャイナタウン
カッコーの巣の上で』『シャイニング
レッズ』『愛と追憶の日々』『バットマン
ア・フュー・グッドメン』『マーズ・アタック!
恋愛小説家』『アバウト・シュミット
ディパーテッド
備考
ハリウッド名声の歩道
チャイニーズ・シアターに刻まれたニコルソンのサインと手形
カンヌ映画祭にて(2002年)

ジョン・ジョゼフ“ジャック”・ニコルソンJohn Joseph "Jack" Nicholson, 1937年4月22日 - )は、アメリカ合衆国俳優プロデューサー映画監督ジャック・ニコルスンと表記される事もある。

デビューから今日に至るまで計12回のアカデミー賞ノミネート経験(主演8回、助演4回)と3回の受賞歴(主演2回、助演1回)を持つ。アカデミー賞に12回のノミネートは男優としては最多で、また1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代と各世代毎にノミネート経験を持つ俳優の一人(残りの二人はマイケル・ケインポール・ニューマン)でもある。ゴールデングローブ賞も計7回受賞し、1999年に功労賞を授与され、俳優として多くの俳優に多大なる影響を与えた。

1994年、アメリカ映画協会から生涯功労賞を授与されたが、これは歴代受賞者中最年少(57歳)である。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

ニュージャージー州ネプチューン育ちで、ニューヨーク市の聖ヴィンセント病院で出生した[1]イタリア系の興行師ドナルド・フルシオ(芸名ドナルド・ローズ)、アイルランド系のショーガール、フランシス・ニコルソン(芸名ジューン・ニルソン)の子として生まれた[2]。父ドナルドは既に家庭を持っていた為、母フランシスはドナルドの援助を断って実家でニコルソンを育てた。母方のニコルソン家にはイングランド系やオランダ系の血も流れており[3]、彼をそれらのエスニック・グループに含める考えもある。イタリアアイルランドオランダイングランドと4つの血統を引く中、本人はアイルランド系アメリカ人(アイリッシュ・アメリカン)としての血筋を特に自覚する様に促されたという[4][5]

母親は子供を自らが育てる事を避けて、幼い時にニュージャージーに住む母方の祖父母の下に預けた。祖父のジョセフ・ニコルソンは装飾家で主にブティックなどのショーウインドーのデザインなどを仕事にしていた。祖父は育児を担当しなかった娘を「歳の離れた姉」と孫に教え、自分の晩年の子として育てる事を選んだ。以降、祖父の住むネプチューン市で敬虔なカトリック教徒として育てられ、今でも愛着の有る土地なのか出身高校(マナスクアン・ハイスクール)の行事や演劇祭に姿を見せている。彼が自らの年老いた両親が祖父母で、姉と教えられていた人間が母親だと知ったのは役者として成功してからの事だったが、その時既に祖父母と母は亡くなっていた[6]

若手俳優時代[編集]

高校を出ると俳優を志してアクターズ・スタジオで学び、ハリウッドに移住した。ハリウッドでは生活費を捻出する為にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社のアニメーション部門で働いた。同社でトムとジェリーで知られるウィリアム・ハンナジョセフ・バーベラが立ち上げたハンナ・バーベラ社から才能を評価されて入社の誘いを受けているが、役者としての夢を優先して辞退した。1958年、『クライ・ベイビー・キラー』で映画俳優としてデビュー、これが「低予算映画の王」として知られる映画監督ロジャー・コーマンの目に留まり、若手俳優が多数在籍していたロジャー・コーマン率いるアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズAIP)の一員として様々な映画でキャリアを積む事になる。また製作側にも興味を持ち、西部劇映画の撮影スタッフとしても働いていた。

当時絶大な人気を誇っていたテレビ番組「ザ・モンキーズ」の映画『Head! 恋の合い言葉』で脚本執筆を任されるなど製作面を専門にする事を検討し始めていた矢先、ロジャーの映画に主演していたデニス・ホッパーが制作している映画に誘われた。1969年、デニス・ホッパーが主演監督を務めた『イージーライダー』でアルコール中毒の弁護士であるハンソン役を演じ、本来は別の役者が担当する予定であったこの役でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、一躍その名を知られるところとなった。翌年公開の『ファイブ・イージー・ピーセス』でもアカデミー主演男優賞にノミネート、以降も『さらば冬のかもめ』(1973年)などのアメリカン・ニューシネマを代表する役者に成長、1975年に『カッコーの巣の上で』で遂にアカデミー賞主演男優賞を受賞した。

アカデミー賞の常連として[編集]

オスカー俳優の仲間入りを果たした後も数多くの演技を見せ、1983年の『愛と追憶の日々』で助演男優賞を受賞、二度目のアカデミー賞を獲得した。この間、『ゴーイング・サウス』で監督として再び映画を製作する側に挑戦している他、『ミズーリ・ブレイク』でプライベートの友人であったマーロン・ブランドとの共演を果たしている(因みに2作品とも西部劇である)。また1980年の『シャイニング』(スタンリー・キューブリック監督)でのジャック・トランス役はアカデミーなどの賞レースには絡まなかったものの、現在でも彼を想起させる作品の一つに数えられている。1980年代には取り分け精力的に作品出演を続け、その内3作品でアカデミー賞候補に名を連ねた。

1989年には『バットマン』(ティム・バートン監督)で二代目のジョーカー役として出演した。『怪鳥バットマン』のシーザー・ロメロ以来の映像化となったジョーカーを享楽的な愉快犯として演じ、当時はミスキャストと言われた主演のマイケル・キートンと共に新たなバットマンシリーズのヒットに貢献した。彼とシーザー・ロメロ、そして2008年の『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーらと合わせて「三人のジョーカー」と呼ばれる。

1990年代に入ってからもアカデミー賞候補の常連組であり続けた。軍事法廷を舞台にした『ア・フュー・グッドメン』では傲岸不遜な軍高官・ジェセップ大佐役を演じ、8回目のアカデミー・ノミネートを受けた。作中で追い詰められたジェセップ大佐がトム・クルーズ扮するダニエル中尉の「I want the truth!(私は真実を知りたい)」との言葉に「You can't handle the truth!(貴様に真実など分かるか!)」と激昂する名シーンは多くの作品でオマージュされている。1996年製作の『マーズ・アタック!』では『バットマン』で知り合ったティム・バートンと再び関わった。

そして1997年、『恋愛小説家』で神経質な小説家を演じ、自身三度目となるアカデミー賞を受賞した。これはアカデミー助演男優賞を三度受賞したウォルター・ブレナンに次いで史上二人目の快挙となった。

近年の活動[編集]

2001年、モスクワ国際映画祭で創設されたスタニスラフスキー賞(演劇理論スタニスラフスキー・システムで知られる)に、「演劇における秀逸な演技力」を選考理由に初代受賞者として選ばれた。2002年の『アバウト・シュミット』では今までの恐怖や狂気を体現したイメージを覆す穏やかな老人を演じ、円熟味を増した演技力でアカデミー賞ノミネートを受けている。続くダイアン・キートンと共演した『恋愛適齢期』(2003年)でも老いらくの恋に悩むプレイボーイを、『N.Y.式ハッピー・セラピー』(2004年)では陽気なセラピストをそれぞれ演じた。2007年には『最高の人生の見つけ方』で末期ガン患者を演じるにあたって入念な役作りに情熱を注ぎ、モーガン・フリーマンとのハートフルな物語で高い評価を受けた。一方でシリアスな演技も健在であり、2006年のアカデミー作品賞を受賞した『ディパーテッド』で冷酷な裏社会のボスを演じた。

2008年、カルフォルニア州知事で同じ映画俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーは彼を自らが創設したカリフォルニア殿堂博物館の表彰人物に加えると発表した。

エキセントリックな言動や性的ゴシップ、そして絶対的な演技力で老年にしてなお話題にこと欠かない俳優である。

人物[編集]

家族[編集]

1962年6月17日、25歳の時に女優のサンドラ・ナイトと結婚、長女ジェニファーを授かるが若手時代の1968年に離婚した。離婚後はミシェル・フィリップスララ・フリン・ボイル[7]アンジェリカ・ヒューストンなどとの華やかな女性関係で騒がれつつも、長年独身を続けていた。1990年にモデルのレベッカ・ブローサラドとの間に長男レイモンドと次女ロレインを儲けた。サンドラの時同様に結婚はしなかったが親密に家族関係を結び、アメリカ映画協会の表彰式にもレベッカと幼い子供二人を連れて出席した。次女ロレイン・ニコルソンに関しては役者の道を選んだ事もあってか、現在も公の場に親子で姿を見せる事がある。

公式に認めている子供は上記の三人だが、後に『ファイブ・イージー・ピーセス』で共演したスーザン・アンスバックとの間に隠し子騒動が発生した。アンスバックは自らの息子ケーレブがニコルソンの長男でレイモンドは次男だと主張、最終的にニコルソンがケーレブの養育費を負担する事で騒動は決着した。また1981年にハニー・ホルマンという女性との間にもウィニー・ホルマンという私生児の娘を儲けており、こちらも養育費を負担している。

エピソード[編集]

  • 20世紀美術の著名なコレクターとしても知られ、ジャック・ベトリアーノの水彩画コレクションなどを所有する。
  • 3回のアカデミー賞に12回のノミネートは米映画史上でもかなりの上位に入る偉業だが、2000年代からはプレゼンター側に選出される機会も増えている。
    • 選考側としては『ブロークバック・マウンテン』と『クラッシュ』が激しく競り合った2005年のアカデミー作品賞が発表される時、封筒に書かれた受賞作品が『クラッシュ』と書かれているのを見て明らかにがっかりした様子を見せてしまった事で話題を集めた。加えて映像を見るとニコルソンの口元が「what happened」(何だこれは)と小声で言っているのが確認できる。
  • 政治的には長年スタンスを明確にはしてこなかったが、2008年アメリカ大統領選挙ヒラリー・クリントンを支持した[8]
  • NBAロサンゼルス・レイカーズの熱烈なファンとして有名で、テレビ中継で彼が特等席で観戦している様が目撃されるのは最早風物詩となっている。
    • レイカーズのホームゲームに関してはたとえ撮影中でも見逃す事を決してせず、スタジオ側は常にレイカーズの試合予定を確認しながら撮影を行っているという。
    • 『カッコーの巣の上で』では、主人公がバスケットをして戯れるシーンがある。
    • 他のスポーツではニューヨーク・ヤンキースマンチェスター・ユナイテッドのファンでもあるという[1]
  • 若い頃から俳優だけでなく、脚本や監督も手掛ける総合的な映画作家を目指していて、これまでに数本の監督作品がある。
    • しかし俳優としての名声に比して監督作で成功した物は少なく、『チャイナタウン』の続編『黄昏のチャイナタウン』では当初監督予定だった友人の脚本家ロバート・タウンの手から奪い取る形で自ら監督を手掛けたが振るわず、タウンとも絶縁する事となった。
  • 『ホッファ』で労働組合の指導者を演じた際には賛否を大きく分け、ゴールデングローブ賞ゴールデンラズベリー賞に同時ノミネートされる珍事となった。
  • ダニー・デヴィートとは『カッコーの巣の上で』で共演して以来の親友で、『ホッファ』(デヴィート監督)や『マーズ・アタック!』で共演しており、『バットマン リターンズ』の悪役ペンギン役にデヴィートを推薦したのはニコルソンである。
  • 2012年、英Total Film誌が「映画史に残る演技ベスト200(The 200 Greatest Movie Performances of All Time)」を発表し、第1位に『カッコーの巣の上で』での彼の演技が選ばれた。

フィルモグラフィ[編集]

年度 題名 役名 備考
1958 The Cry Baby Killer Jimmy Wallace
1960 Too Soon to Love Buddy
The Wild Ride Johnny Varron
リトル・ショップ・オブ・ホラーズ
The Little Shop of Horrors
ウィルバー・フォース
青春のさまよえる時
Studs Lonigan
ウェアリー・ライリー
1962 The Broken Land Will Brocious
1963 古城の亡霊
The Terror
アンドレ 兼監督(クレジット無し)
忍者と悪女
The Raven
レックスフォード・ベドロ
1964 Flight to Fury Jay Wickham
Ensign Pulver Dolan
バックドア・トゥ・ヘル/情報攻防戦
Back Door to Hell
バーネット
1965 旋風の中に馬を進めろ
Ride in the Whirlwind
ウェス 兼脚本・製作
1966 銃撃
The Shooting
ビリー・スピア 兼製作
1967 聖バレンタインの虐殺/マシンガン・シティ
The St. Valentine's Day Massacre
暗殺者 クレジット無し
爆走!ヘルズ・エンジェルス
Hells Angels on Wheels
Poet 兼脚本・製作
1968 ジャック・ニコルソンの嵐の青春
Psych-Out
ストーニー
1968 ザ・モンキーズ/恋の合言葉HEAD!
Head
本人役
1969 イージー・ライダー
Easy Rider
ジョージ・ハンソン アカデミー助演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞助演男優賞ノミネート
英国アカデミー賞助演男優賞ノミネート
1970 晴れた日に永遠が見える
On a Clear Day You Can See Forever
タッド・プリングル
ジャック・ニコルソンの ダーティ・ライダー
The Rebel Rousers
バーニィ
ファイブ・イージー・ピーセス
Five Easy Pieces
ロバート・ボビー アカデミー主演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
1971 愛の狩人
Carnal Knowledge
ジョナサン・フュルスト ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
A Safe Place Mitch
1972 キング・オブ・マーヴィン・ガーデン -儚き夢の果て-
The King of Marvin Gardens
デヴィッド・ステブラー
1973 さらば冬のかもめ
The Last Detail
ビリー・バダスキー 英国アカデミー賞主演男優賞
カンヌ国際映画祭男優賞
全米映画批評家協会賞男優部門
ニューヨーク映画批評家協会賞男優部門
アカデミー主演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
1974 チャイナタウン
Chinatown
ジェイク・ギテス 英国アカデミー賞主演男優賞
ゴールデングローブ賞主演男優賞
全米映画批評家協会賞男優部門
ニューヨーク映画批評家協会賞男優部門
アカデミー主演男優賞ノミネート
1975 おかしなレディ・キラー
The Fortune
オスカー・サリバン
カッコーの巣の上で
One Flew Over the Cuckoo's Nest
ランドル・パトリック・マクマーフィー アカデミー主演男優賞
英国アカデミー賞主演男優賞
ゴールデングローブ主演男優賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー男優賞
全米映画批評家協会賞男優部門
ニューヨーク映画批評家協会賞男優部門
さすらいの二人
Professione: reporter
デイヴィッド・ロック
Tommy/トミー
Tommy
医師
1976 ミズーリ・ブレイク
The Missouri Breaks
トム・ローガン
ラスト・タイクーン
The Last Tycoon
ブリマー
1978 ゴーイング・サウス
Goin' South
ヘンリー・ムーン 兼監督
1980 シャイニング
Shining
ジャック・トランス
1981 郵便配達は二度ベルを鳴らす
The Postman Always Rings Twice
フランク・チェンバース
ラグタイム
Ragtime
Pirate at beach クレジット無し
レッズ
Reds
ユージン・オニール 英国アカデミー賞助演男優賞
ボストン批評家協会賞助演男優賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー助演男優賞
ニューヨーク映画批評家協会賞男優部門
アカデミー助演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ助演男優賞ノミネート
1982 ボーダー
The Border
チャーリー・スミス
1983 愛と追憶の日々
Terms of Endearment
ギャレット・ブリードラヴ アカデミー助演男優賞
ボストン批評家協会賞助演男優賞
ゴールデングローブ賞助演男優賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー助演男優賞
全米映画批評家協会賞男優部門
1984 Terror in the Aisles archival footage
1985 女と男の名誉
Prizzi's Honor
チャーリー ボストン批評家協会賞主演男優賞
ゴールデングローブ賞主演男優賞
ニューヨーク映画批評家協会賞男優部門
全米映画批評家協会賞主演男優賞
アカデミー主演男優賞ノミネート
1986 心みだれて
Heartburn
マーク・フローマン
1987 イーストウィックの魔女たち
The Witches of Eastwick
デイル ロサンゼルス映画批評家協会賞
ニューヨーク映画批評家協会賞男優部門(1987年度の三作品に対して)
ブロードキャスト・ニュース
Broadcast News
ビル・ロリッシュ
黄昏に燃えて
Ironweed
フランシス・フェラン アカデミー主演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞主演男優賞ノミネート
1989 バットマン
Batman
ジャック・ネーピア/ジョーカー 英国アカデミー賞助演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞主演男優賞ノミネート
1990 黄昏のチャイナタウン
The Two Jakes
ジェイク・ギテス 兼監督
1992 お気にめすまま
Man Trouble
ハリー
ア・フュー・グッドメン
A Few Good Men
ネイサン・R・ジェセップ大佐 シカゴ映画評論家協会賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー
サウスイースタン映画批評家協会賞
アカデミー助演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞主演男優賞ノミネート
ホッファ
Hoffa
ジミー・ホッファ ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
1994 ウルフ
Wolf
ウィル・ランダル
1995 クロッシング・ガード
The Crossing Guard
フレディ・ガレ
1996 ブラッド&ワイン
Blood and Wine
アレックス・ゲイツ
夕べの星
The Evening Star
ギャレット・ブリードラブ
マーズ・アタック!
Mars Attacks!
ジェームス・デイル大統領/アート・ランド
1997 恋愛小説家
As Good as It Gets
メルヴィン・ユドール アカデミー主演男優賞
ゴールデングローブ主演男優賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー主演男優賞
アメリカン・コメディ主演男優賞
放送映画批評家協会賞
オンライン映画批評家協会賞
全米映画俳優協会賞
2001 プレッジ
The Pledge
ジェリー・ブラック
2002 アバウト・シュミット
About Schmidt
ウォーレン・シュミット ゴールデングローブ主演男優賞
放送映画批評家協会賞
ダラス・フォートワース映画批評家協会賞
LA映画批評家協会賞
ワシントンDC映画批評家協会賞
アカデミー主演男優賞ノミネート
英国アカデミー主演男優賞ノミネート
シカゴ映画評論家協会賞ノミネート
オンライン映画批評家協会賞ノミネート
全米映画俳優協会賞ノミネート
2003 N.Y.式ハッピー・セラピー
Anger Management
Dr.バディ・ライデル
恋愛適齢期
Something's Gotta Give
ハリー・サンボーン ゴールデングローブ賞主演男優賞ノミネート
2006 ディパーテッド
The Departed
フランシス・フランク・コステロ オースティン映画批評家連盟賞
フロリダ映画批評家協会賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー主演男優賞
フェニックス映画批評家協会賞
英国アカデミー賞助演男優賞ノミネート
放送映画批評家協会賞ノミネート
シカゴ映画評論家協会賞ノミネート
ゴールデングローブ賞助演男優賞ノミネート
オンライン映画批評家協会賞ノミネート
全米映画俳優組合賞ノミネート
2007 最高の人生の見つけ方
The Bucket List
エドワード
2010 幸せの始まりは
How Do You Know
チャールズ

非出演作品[編集]

年度 題名 クレジット 備考
1963 Thunder Island 脚本
1967 白昼の幻想
The Trip
脚本
1971 Drive, He Said 監督・脚本・製作 パルム・ドール候補作品

引用[編集]

  1. ^ Jack: The Great Seducer ? The Life and Many Loves of Jack Nicholson
  2. ^ Berliner, Eve. Marriage certificate of June Nilson and Donald Furcillo. Young Jack Nicholson: Auspicious Beginnings. Evesmag.com. 2001.
  3. ^ The Religious Affiliation of Jack Nicholson great American actor
  4. ^ 'I Wasn't Inhibited by Anything' Parade Magazine
  5. ^ Interview with Jack Nicholson Chicago Sun-Times
  6. ^ The Great Seducer: Jack Nicholson. Rolling Stone magazine, March 29, 1984. Scan copy at Jack Nicholson.org.
  7. ^ “L・F・ボイル、J・ニコルソンと今度こそ破局”. シネマトゥデイ. (2001年11月14日). http://www.cinematoday.jp/page/N0001185 2013年3月8日閲覧。 
  8. ^ ジャック・ニコルソンによるヒラリー・クリントン応援メッセージ 字幕つきyoutube.com

外部リンク[編集]