ジャック・ニコルソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ジャック・ニコルソン
Jack Nicholson
Jack Nicholson
1981年撮影
本名 John Joseph "Jack" Nicholson
生年月日 1937年4月22日(77歳)
出生地 ニュージャージー州
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
民族 アイルランド系アメリカ人
ジャンル 俳優映画監督映画プロデューサー脚本家
活動期間 1958年-
活動内容 1956年:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー入社
1958年:俳優活動開始
1969年:『イージー・ライダー』で注目を集める
1975年:アカデミー主演男優賞受賞
1983年:アカデミー助演男優賞受賞
1994年:アメリカ映画協会生涯功労賞
1997年:アカデミー主演男優賞受賞
2002年:7度目のゴールデン・グローブ賞
配偶者 サンドラ・ナイト(1962年 - 1968年)
著名な家族 ジェニファー・ニコルソン(長女)
ロレイン・ニコルソン(次女)
レイモンド・ニコルソン(長男)
ケーレブ・ゴダード(私生児)
ウィニー・ホルマン(私生児)
主な作品
イージー・ライダー
ファイブ・イージー・ピーセス
さらば冬のかもめ』『チャイナタウン
カッコーの巣の上で』『シャイニング
レッズ』『愛と追憶の日々』『バットマン
ア・フュー・グッドメン』『マーズ・アタック!
恋愛小説家』『アバウト・シュミット
ディパーテッド
備考
ハリウッド名声の歩道
チャイニーズ・シアターに刻まれたニコルソンのサインと手形
カンヌ映画祭にて(2002年)

ジョン・ジョゼフ“ジャック”・ニコルソンJohn Joseph "Jack" Nicholson, 1937年4月22日 - )は、アメリカ合衆国俳優プロデューサー映画監督ジャック・ニコルスンと表記される事もある。

デビューから今日に至るまで計12回のアカデミー賞ノミネート経験(主演8回、助演4回)と3回の受賞歴(主演2回、助演1回)を持つ。アカデミー賞に12回のノミネートは男優としては最多で、また1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代と各世代毎にノミネート経験を持つ俳優の一人(残りの二人はマイケル・ケインポール・ニューマン)でもある。ゴールデングローブ賞も計7回受賞し、1999年に功労賞を授与され、俳優として多くの俳優に多大なる影響を与えた。

1994年アメリカ映画協会から生涯功労賞を授与されたが、これは歴代受賞者中最年少(57歳)である。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1937年4月22日アメリカ合衆国ニュージャージー州ネプチューン・シティen)に[1]イタリア系の興行師ドナルド・フルシオ(芸名ドナルド・ローズ)[2]アイルランド系のショーガール、フランシス・ニコルソン(芸名ジューン・ニルソン)の子として生まれた[3][4]。父ドナルドが既に家庭を持っていた為、母フランシスは私生児としてニコルソンを生んだ。後に父ドナルドが親権を主張したり、他にも父親を名乗る人物が現れたりと複雑な家庭事情の中で生まれた[5]。またフランシスはまだ16歳の未成年であり、現役のショーガールでもあった事から祖父母によって引き取られた[6]。母方の祖父母は育児を担当しなかった娘を「歳の離れた姉」と教え、孫ではなく晩年の子として育てる事を選んだ。彼が自らの年老いた両親が祖父母で姉と教えられていた人間が母親だと知ったのは役者として成功してからの事だった。1974年タイム紙がニコルソンの特集を組んだ際の取材で偶然に判明し、ニコルソン本人も記者から教えられて初めて事実を知ったが[7]、その時既に祖父母と母は亡くなっていた[1]

祖父のジョセフ・ニコルソンは装飾家で、主にニュージャージー州マナスクアンen)でショーウインドーのデザインなどを仕事にしていた。祖母メイ・ニコルソンは美容師でアマチュア芸術家であった。母方のニコルソン家にはイングランド系、オランダ系、ペンシルバニア・ドイツ系の血筋もあり[8]、彼をそれらのエスニック・グループに含める考えもあるが、本人はアイルランド系アメリカ人(アイリッシュ・アメリカン)としての家系を誇りに思う様に育てられたと語っている[9][10]。宗教的にはニュージャージー州で主流であったローマ・カトリックに属している[8][3]

青年期に生まれ故郷を離れてニュージャージー州スプリング・レイクen)のアパートに移住し[11][12] 、マナスクアン市の高校(Manasquan High School)に入学した。卒業後は役者への道を選び、映画産業の中心地ハリウッドがあるカルフォルニア州ロサンゼルスへと引っ越した[1]。現在、出身校では映画俳優として名を成したニコルソンの名を冠した演劇コンクールを行っており、ニコルソンが記念行事に顔を見せる事もある[5]

若手俳優時代[編集]

ハリウッドに来てからはアクターズ・スタジオで学ぶ傍ら、生活費を捻出する為にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社のアニメーション部門で働いた。当初はGofer制作進行などの雑用役)として入社したが、『トムとジェリー』で知られるアニメ監督のウィリアム・ハンナジョセフ・バーベラから芸術的才能を評価され、正式な社員としてアニメ制作に加わる様に推薦されている[13]。しかしニコルソンは役者としての夢を優先して辞退した[13]。1958年、『クライ・ベイビー・キラー』で映画俳優としてデビューし、これが「低予算映画の王」として知られる映画監督ロジャー・コーマンの目に留まって、当時の若手俳優や製作者が多数在籍していたアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ社(AIP)の映画に出演する様になった。ニコルソンはアカデミー賞を受賞した後も、コーマンの低予算映画で若手時代を過ごした日々を懐かしく語っている。

また俳優業だけでなく製作側にも興味を持ち、西部劇映画の撮影スタッフとしても働いていた。脚本家としても活動しており、初めて来日した時も頼まれていた映画の脚本を書きながらの船旅であったという[14]。役者としては下積みの時代を長く過ごしたが[1]、ロジャーの映画で共演していたデニス・ホッパーピーター・フォンダから誘われ、『イージーライダー』(1969年)に出演した事が転機となった[15]。同作ではアルコール中毒の弁護士であるハンソン役を演じ、本来は別の役者が担当する予定であったこの役でアカデミー助演男優賞にノミネートされ[16]、一躍その名を知られるところとなった。

翌年公開の『ファイブ・イージー・ピーセス』では主演を務めて今度はアカデミー主演男優賞にノミネートされ、以降も『さらば冬のかもめ』(1973年)でカンヌ国際映画祭男優賞を、『チャイナタウン』(1974年)でゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞するなど、アメリカン・ニューシネマを代表する役者に成長した。そして『イージーライダー』から6年後となる1975年に『カッコーの巣の上で』でアカデミー主演男優賞を受賞し、オスカー俳優の仲間入りを果たした。

アカデミー賞の常連として[編集]

一度目のアカデミー賞を得た後も数多くの名演を見せ、1983年の『愛と追憶の日々』で助演男優賞を受賞、二度目のアカデミー賞を獲得した。この間、『ゴーイング・サウス』で監督として再び映画を製作する側に挑戦している他、『ミズーリ・ブレイク』でプライベートの友人であったマーロン・ブランドとの共演を果たしている(因みに2作品とも西部劇である)。また1980年の『シャイニング』(スタンリー・キューブリック監督)でのジャック・トランス役はアカデミーなどの賞レースには絡まなかったものの、現在でも彼を想起させる作品の一つに数えられている。1980年代には取り分け精力的に作品出演を続け、その内3作品でアカデミー賞候補に名を連ねた。

1989年には『バットマン』(ティム・バートン監督)で二代目のジョーカー役として出演した。『怪鳥バットマン』のシーザー・ロメロ以来の映像化となったジョーカーを享楽的な愉快犯として演じ、当時はミスキャストと言われた主演のマイケル・キートンと共に新たなバットマンシリーズのヒットに貢献した。低予算であった事から出演料は「興行収入に応じて支払う」という契約が結ばれたが、その興行収入が4億ドルを超える映画の大ヒットにより、結果的に6000万ドル(9000万ドルという計算もある)とも言われる巨額の報酬が支払われる事になった[17]。彼とシーザー・ロメロ、そして2008年の『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーらと合わせて「三人のジョーカー」と呼ばれる。

1990年代に入ってからもアカデミー賞候補の常連組であり続けた。軍事法廷を舞台にした『ア・フュー・グッドメン』では傲岸不遜な軍高官・ジェセップ大佐役を演じ、8回目のアカデミー・ノミネートを受けた。作中で追い詰められたジェセップ大佐がトム・クルーズ扮するダニエル中尉の「I want the truth!(私は真実を知りたい)」との言葉に「You can't handle the truth!(貴様に真実など分かるか!)」と激昂する名シーンは多くの作品でオマージュされている。1996年製作の『マーズ・アタック!』では『バットマン』で知り合ったティム・バートンと再び関わった。

1997年、『恋愛小説家』で潔癖症の小説家を演じ、自身三度目となるアカデミー賞を受賞した。これはアカデミー助演男優賞を三度受賞したウォルター・ブレナンに次いで史上二人目の快挙となった。

近年の活動[編集]

2001年、第23回モスクワ国際映画祭で創設されたスタニスラフスキー賞(演劇理論スタニスラフスキー・システムで知られる)に、「演劇における秀逸な演技力」を選考理由に初代受賞者として選ばれた。2002年の『アバウト・シュミット』では今までの恐怖や狂気を体現したイメージを覆す穏やかな老人を演じ、円熟味を増した演技力でアカデミー賞ノミネートを受けている。続くダイアン・キートンと共演した『恋愛適齢期』(2003年)でも老いらくの恋に悩むプレイボーイを、『N.Y.式ハッピー・セラピー』(2004年)では陽気なセラピストをそれぞれ演じた。2007年には『最高の人生の見つけ方』で末期ガン患者を演じるにあたって入念な役作りに情熱を注ぎ、モーガン・フリーマンとのハートフルな物語で高い評価を受けた。一方でシリアスな演技も健在であり、2006年のアカデミー作品賞を受賞した『ディパーテッド』で冷酷な裏社会のボスを演じ、ゴールデングローブ賞助演男優賞ノミネートを受けた。2008年、カルフォルニア州知事で同じ映画俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーは彼を自らが創設したカリフォルニア殿堂博物館英語版の表彰人物に加えると発表した。

2010年、旧友であるジェームズ・L・ブルックスの要請を受けてビル・マーレイの代役として『幸せの始まりは』に出演したが、この映画を最後にニコルソンは映画への出演を休止し、事実上の休業状態に入った。ハリウッドの生き字引として70歳を超える高齢になっている事から、休業が長期化するについて健康面の不調を推測する記事が報道された。その中で「記憶障害により台詞を覚える事が困難になった」とする記事が掲載され、北米のメディアが大混乱になる事態が発生した[18]。これまでの出演作品の解説や名台詞名シーン集が次々と特集される事態に対し[18]、ニコルソン本人が沈黙を破る形でインタビューに答え、健康面での不調を否定した[19]

同時に映画界隈に対して「もう情熱がないんだ」ともコメントし、正式に役者業からの引退を声明した[19]。一方でニコルソンを尊敬している事を公言している俳優のロバート・ダウニー・Jrが引退を撤回させるべく、ガイ・リッチー監督と共に『シャーロック・ホームズ』の続編出演にオファーを出していると報道された[20]

人物[編集]

家族[編集]

1962年6月17日、25歳の時に女優のサンドラ・ナイトと結婚、長女ジェニファーを授かるが若手時代の1968年に離婚した。離婚後はミシェル・フィリップスララ・フリン・ボイル[21]アンジェリカ・ヒューストンなどとの華やかな女性関係で騒がれつつも、長年独身を続けていた。1990年にモデルのレベッカ・ブローサラドとの間に長男レイモンドと次女ロレインを儲けた。サンドラの時同様に結婚はしなかったが親密に家族関係を結び、アメリカ映画協会の表彰式にもレベッカと幼い子供二人を連れて出席した。次女ロレイン・ニコルソンに関しては役者の道を選んだ事もあってか、現在も公の場に親子で姿を見せる事がある。

公式に認めている子供は上記の三人だが、後に『ファイブ・イージー・ピーセス』で共演したスーザン・アンスバックとの間に隠し子騒動が発生した。アンスバックは自らの息子ケーレブがニコルソンの長男でレイモンドは次男だと主張、最終的にニコルソンがケーレブの養育費を負担する事で騒動は決着した。また1981年にハニー・ホルマンという女性との間にもウィニー・ホルマンという私生児の娘を儲けており、こちらも養育費を負担している。

エピソード[編集]

  • 20世紀美術の著名なコレクターとしても知られ、ジャック・ベトリアーノの水彩画コレクションなどを所有する。
  • 3回のアカデミー賞に12回のノミネートは米映画史上でもかなりの上位に入る偉業だが、2000年代からはプレゼンター側に選出される機会も増えている。
    • 選考側としては『ブロークバック・マウンテン』と『クラッシュ』が激しく競り合った2005年のアカデミー作品賞が発表される時、封筒に書かれた受賞作品が『クラッシュ』と書かれているのを見て明らかにがっかりした様子を見せてしまった事で話題を集めた。加えて映像を見るとニコルソンの口元が「what happened」(何だこれは)と小声で言っているのが確認できる。
  • 政治的には長年スタンスを明確にはしてこなかったが、2008年アメリカ大統領選挙ヒラリー・クリントンを支持した[22]
  • NBAロサンゼルス・レイカーズの熱烈なファンとして有名で、テレビ中継で彼が特等席で観戦している様が目撃されるのは最早風物詩となっている。
    • レイカーズのホームゲームに関してはたとえ撮影中でも見逃す事を決してせず、スタジオ側は常にレイカーズの試合予定を確認しながら撮影を行っているという。
    • 『カッコーの巣の上で』では、主人公がバスケットをして戯れるシーンがある。
    • 他のスポーツではニューヨーク・ヤンキースマンチェスター・ユナイテッドのファンでもあるという[1]
  • 『チャイナタウン』の監督であったロマン・ポランスキーは映画制作以前から友人でチャールズ・マンソン事件で妻を失ったトラウマからポランスキーが立ち直れるように尽力した人物の一人だった。ニコルソンは私生活でポランスキーと行動を共にして彼を励まし、マンソン裁判にも友人として立ち会うなど献身的に支えている[23][24][25]
    • 後にポランスキーへの世間の同情は彼が少女への暴行事件を起こした事で一転するが、事もあろうにニコルソン宅に滞在中に事件を起こしており、恩を仇で返される結末となってしまった。
  • 若い頃から俳優だけでなく、脚本や監督も手掛ける総合的な映画作家を目指していて、これまでに数本の監督作品がある。
    • しかし俳優としての名声に比して監督作で成功した物は少なく、『チャイナタウン』の続編『黄昏のチャイナタウン』では当初監督予定だった友人の脚本家ロバート・タウンの手から奪い取る形で自ら監督を手掛けたが振るわず、タウンとも絶縁する事となった。
  • 『ホッファ』で労働組合の指導者を演じた際には賛否を大きく分け、正反対の賞であるゴールデングローブ賞ゴールデンラズベリー賞に同時ノミネートされる珍事となった[26][27]
  • ダニー・デヴィートとは『カッコーの巣の上で』で共演して以来の親友で、『ホッファ』(デヴィート監督)や『マーズ・アタック!』で共演しており、『バットマン リターンズ』の悪役ペンギン役にデヴィートを推薦したのはニコルソンである。
  • 2012年、英Total Film誌が「映画史に残る演技ベスト200(The 200 Greatest Movie Performances of All Time)」を発表し、第1位に『カッコーの巣の上で』での彼の演技が選ばれた。

フィルモグラフィ[編集]

年度 題名 役名 備考
1958 The Cry Baby Killer Jimmy Wallace
1960 Too Soon to Love Buddy
The Wild Ride Johnny Varron
リトル・ショップ・オブ・ホラーズ
The Little Shop of Horrors
ウィルバー・フォース
青春のさまよえる時
Studs Lonigan
ウェアリー・ライリー
1962 The Broken Land Will Brocious
1963 古城の亡霊
The Terror
アンドレ 兼監督(クレジット無し)
忍者と悪女
The Raven
レックスフォード・ベドロ
1964 Flight to Fury Jay Wickham
Ensign Pulver Dolan
バックドア・トゥ・ヘル/情報攻防戦
Back Door to Hell
バーネット
1965 旋風の中に馬を進めろ
Ride in the Whirlwind
ウェス 兼脚本・製作
1966 銃撃
The Shooting
ビリー・スピア 兼製作
1967 聖バレンタインの虐殺/マシンガン・シティ
The St. Valentine's Day Massacre
暗殺者 クレジット無し
爆走!ヘルズ・エンジェルス
Hells Angels on Wheels
Poet 兼脚本・製作
1968 ジャック・ニコルソンの嵐の青春
Psych-Out
ストーニー
1968 ザ・モンキーズ/恋の合言葉HEAD!
Head
本人役
1969 イージー・ライダー
Easy Rider
ジョージ・ハンソン アカデミー助演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞助演男優賞ノミネート
英国アカデミー賞助演男優賞ノミネート
1970 晴れた日に永遠が見える
On a Clear Day You Can See Forever
タッド・プリングル
ジャック・ニコルソンの ダーティ・ライダー
The Rebel Rousers
バーニィ
ファイブ・イージー・ピーセス
Five Easy Pieces
ロバート・ボビー アカデミー主演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
1971 愛の狩人
Carnal Knowledge
ジョナサン・フュルスト ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
A Safe Place Mitch
1972 キング・オブ・マーヴィン・ガーデン -儚き夢の果て-
The King of Marvin Gardens
デヴィッド・ステブラー
1973 さらば冬のかもめ
The Last Detail
ビリー・バダスキー 英国アカデミー賞主演男優賞
カンヌ国際映画祭男優賞
全米映画批評家協会賞男優部門
ニューヨーク映画批評家協会賞男優部門
アカデミー主演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
1974 チャイナタウン
Chinatown
ジェイク・ギテス 英国アカデミー賞主演男優賞
ゴールデングローブ賞主演男優賞
全米映画批評家協会賞男優部門
ニューヨーク映画批評家協会賞男優部門
アカデミー主演男優賞ノミネート
1975 おかしなレディ・キラー
The Fortune
オスカー・サリバン
カッコーの巣の上で
One Flew Over the Cuckoo's Nest
ランドル・パトリック・マクマーフィー アカデミー主演男優賞
英国アカデミー賞主演男優賞
ゴールデングローブ主演男優賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー男優賞
全米映画批評家協会賞男優部門
ニューヨーク映画批評家協会賞男優部門
さすらいの二人
Professione: reporter
デイヴィッド・ロック
Tommy/トミー
Tommy
医師
1976 ミズーリ・ブレイク
The Missouri Breaks
トム・ローガン
ラスト・タイクーン
The Last Tycoon
ブリマー
1978 ゴーイング・サウス
Goin' South
ヘンリー・ムーン 兼監督
1980 シャイニング
Shining
ジャック・トランス
1981 郵便配達は二度ベルを鳴らす
The Postman Always Rings Twice
フランク・チェンバース
ラグタイム
Ragtime
Pirate at beach クレジット無し
レッズ
Reds
ユージン・オニール 英国アカデミー賞助演男優賞
ボストン批評家協会賞助演男優賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー助演男優賞
ニューヨーク映画批評家協会賞男優部門
アカデミー助演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ助演男優賞ノミネート
1982 ボーダー
The Border
チャーリー・スミス
1983 愛と追憶の日々
Terms of Endearment
ギャレット・ブリードラヴ アカデミー助演男優賞
ボストン批評家協会賞助演男優賞
ゴールデングローブ賞助演男優賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー助演男優賞
全米映画批評家協会賞男優部門
1984 Terror in the Aisles archival footage
1985 女と男の名誉
Prizzi's Honor
チャーリー ボストン批評家協会賞主演男優賞
ゴールデングローブ賞主演男優賞
ニューヨーク映画批評家協会賞男優部門
全米映画批評家協会賞主演男優賞
アカデミー主演男優賞ノミネート
1986 心みだれて
Heartburn
マーク・フローマン
1987 イーストウィックの魔女たち
The Witches of Eastwick
デイル ロサンゼルス映画批評家協会賞
ニューヨーク映画批評家協会賞男優部門(1987年度の三作品に対して)
ブロードキャスト・ニュース
Broadcast News
ビル・ロリッシュ
黄昏に燃えて
Ironweed
フランシス・フェラン アカデミー主演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞主演男優賞ノミネート
1989 バットマン
Batman
ジャック・ネーピア/ジョーカー 英国アカデミー賞助演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞主演男優賞ノミネート
1990 黄昏のチャイナタウン
The Two Jakes
ジェイク・ギテス 兼監督
1992 お気にめすまま
Man Trouble
ハリー
ア・フュー・グッドメン
A Few Good Men
ネイサン・R・ジェセップ大佐 シカゴ映画評論家協会賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー
サウスイースタン映画批評家協会賞
アカデミー助演男優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞主演男優賞ノミネート
ホッファ
Hoffa
ジミー・ホッファ ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
1994 ウルフ
Wolf
ウィル・ランダル
1995 クロッシング・ガード
The Crossing Guard
フレディ・ガレ
1996 ブラッド&ワイン
Blood and Wine
アレックス・ゲイツ
夕べの星
The Evening Star
ギャレット・ブリードラブ
マーズ・アタック!
Mars Attacks!
ジェームス・デイル大統領/アート・ランド
1997 恋愛小説家
As Good as It Gets
メルヴィン・ユドール アカデミー主演男優賞
ゴールデングローブ主演男優賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー主演男優賞
アメリカン・コメディ主演男優賞
放送映画批評家協会賞
オンライン映画批評家協会賞
全米映画俳優協会賞
2001 プレッジ
The Pledge
ジェリー・ブラック
2002 アバウト・シュミット
About Schmidt
ウォーレン・シュミット ゴールデングローブ主演男優賞
放送映画批評家協会賞
ダラス・フォートワース映画批評家協会賞
LA映画批評家協会賞
ワシントンDC映画批評家協会賞
アカデミー主演男優賞ノミネート
英国アカデミー主演男優賞ノミネート
シカゴ映画評論家協会賞ノミネート
オンライン映画批評家協会賞ノミネート
全米映画俳優協会賞ノミネート
2003 N.Y.式ハッピー・セラピー
Anger Management
Dr.バディ・ライデル
恋愛適齢期
Something's Gotta Give
ハリー・サンボーン ゴールデングローブ賞主演男優賞ノミネート
2006 ディパーテッド
The Departed
フランシス・フランク・コステロ オースティン映画批評家連盟賞
フロリダ映画批評家協会賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー主演男優賞
フェニックス映画批評家協会賞
英国アカデミー賞助演男優賞ノミネート
放送映画批評家協会賞ノミネート
シカゴ映画評論家協会賞ノミネート
ゴールデングローブ賞助演男優賞ノミネート
オンライン映画批評家協会賞ノミネート
全米映画俳優組合賞ノミネート
2007 最高の人生の見つけ方
The Bucket List
エドワード
2010 幸せの始まりは
How Do You Know
チャールズ

非出演作品[編集]

年度 題名 クレジット 備考
1963 Thunder Island 脚本
1967 白昼の幻想
The Trip
脚本
1971 Drive, He Said 監督・脚本・製作 パルム・ドール候補作品

引用[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d Davies, Hunter (1993年2月23日). “INTERVIEW / Great film, Jack, now let's talk about you: Jack Nicholson”. The Independent (London). http://www.independent.co.uk/life-style/interview--great-film-jack-now-lets-talk-about-you-jack-nicholson-1474720.html 
  2. ^ Berliner, Eve. Marriage certificate of June Nilson and Donald Furcillo. Young Jack Nicholson: Auspicious Beginnings. Evesmag.com. 2001.
  3. ^ a b 'I Wasn't Inhibited by Anything'”. Parade英語版 (2007年12月4日). 2007年2月16日閲覧。
  4. ^ Douglas, Edward (2004). Jack: The Great Seducer – The Life and Many Loves of Jack Nicholson. New York: Harper Collins. p. 14. ISBN 0-06-052047-7. 
  5. ^ a b McDougal, Dennis (October 2007). Five Easy Decades: How Jack Nicholson Became the Biggest Movie Star in Modern Times. Wiley. pp. 8, 278. ISBN 0-471-72246-4. 
  6. ^ http://www.biography.com/people/jack-nicholson-9423081
  7. ^ Collins, Nancy. The Great Seducer: Jack Nicholson. Rolling Stonee, March 29, 1984
  8. ^ a b The Religious Affiliation of Jack Nicholson great American actor”. Adherents.com (2009年8月23日). 2006年7月24日閲覧。
  9. ^ 'I Wasn't Inhibited by Anything' Parade Magazine
  10. ^ Interview with Jack Nicholson Chicago Sun-Times
  11. ^ McDougal, Dennis (October 2007). Five Easy Decades: How Jack Nicholson Became the Biggest Movie Star in Modern Times. Wiley. p. 16. ISBN 0-471-72246-4.  "When Jack was ready for high school, the family moved once more-this time two miles (3 km) farther south to old-money Spring Lake, Jersey's so called Irish Riviera, where Ethel May set up her beauty parlor in a rambling duplex at 505 Mercer Avenue."
  12. ^ Nicholson, Jack. "No Getting Away From NJ: Hollywood legend Jack Nicholson attempts to elucidate the definitive quality of New Jersey", New Jersey Monthly英語版, November 15, 2010. Retrieved July 14, 2011. "I grew up on the Shore...in Neptune, Neptune City, Manasquan, and Spring Lake. Graduated from Manasquan [High School]. No offense to Atlantic City, but, where we grew up, we called it 'The Shore.'"
  13. ^ a b McGilligan, P. Jack's Life. W.W. Norton & Company, 1994.
  14. ^ ジャック・ニコルソン インタビュー映画.com
  15. ^ “Easy rider: The Jack Nicholson interview”. Irish Independent. (2008年2月27日). http://www.independent.ie/entertainment/film-cinema/easy-rider-the-jack-nicholson-interview-1296590.html 
  16. ^ Hill, Lee. A Grand Guy: The Life and Art of Terry Southern. Bloomsbury, 2001.
  17. ^ Matt Carey (2013年11月8日). “You don't know Jack (Nicholson)”. CNN. http://www.cnn.com/2013/11/08/showbiz/celebrity-news-gossip/jack-nicholson-you-dont-know-jack/ 2013年12月22日閲覧。 
  18. ^ a b ジャック・ニコルソン引退報道で海外メディア大混乱映画.com
  19. ^ a b ジャック・ニコルソン、記憶障害による引退を完全否定cinematoday
  20. ^ ロバート・ダウニー・Jrがジャック・ニコルソンを引退させないために奮起!MovieWalker
  21. ^ “L・F・ボイル、J・ニコルソンと今度こそ破局”. シネマトゥデイ. (2001年11月14日). http://www.cinematoday.jp/page/N0001185 2013年3月8日閲覧。 
  22. ^ ジャック・ニコルソンによるヒラリー・クリントン応援メッセージ 字幕つきyoutube.com
  23. ^ Dunne, Dominick (2001年4月). “Murder Most Unforgettable”. Vanity Fair 
  24. ^ McDougal, Dennis (2007). Five easy decades: how Jack Nicholson became the biggest movie star in modern times. John Wiley and Sons. pp. 109–110. ISBN 0-471-72246-4. http://books.google.com/books?id=FMkTJzvSUqQC. 
  25. ^ McGilligan, Patrick (1996). Jack's Life: A Biography of Jack Nicholson. W. W. Norton & Company. p. 219. ISBN 0-393-31378-6. http://books.google.com/books?id=AdQDYqBmmJYC. 
  26. ^ Razzie nominations 1992”. 2013年3月27日閲覧。
  27. ^ Golden Globe actor reference”. 2014年1月14日閲覧。

外部リンク[編集]