エミール・ヤニングス
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エミール・ヤニングス(Emil Jannings、1884年7月22日-1950年1月2日)はドイツの俳優。第1回アカデミー賞男優賞受賞。
本名テオドール・フリードリヒ・エミール・ヤネンツ。1884年7月22日、スイスのロルシャハに中産階級の家に生まれる。16歳には家出し船乗りになり、最後は大洋航路の調理人の助手になる。しかし幻滅して家に戻り、すぐに劇団に入る。18歳で彼はプロフェッショナルな舞台デビューを飾り、チューリヒとドレスデン地方の部隊で古典演劇を学ぶ。1906年ドイツ演劇の大御所マックス・ラインハルトに招かれ、ベルリンのドイツ劇場に出演、「ファウスト」のメフィストを演じた。この十年間でドイツの演劇史に残る俳優となる。
1914年には映画界に進むがお決まりの役柄しか回ってこなかったが、1919年には歴史劇や文芸作品で大いに名を挙げ、1920年代中頃には国際的にも知名度が上がり、『ヴァリエテ』(1924)、『最後の人』(1925)などの作品で多くの人々が世界的にも偉大な映画俳優として認めるようになる。
1927年米国のパラマウント映画と契約を結び、ハリウッドに移り、渡米第1作『肉体の道』(1927)と第2作『最後の命令』(1928)で初のアカデミー主演男優賞を獲得する。しかし、ひどいドイツ語訛りのため、急速なトーキー映画の進出で米国でのキャリアを終えてしまった。
1929年、彼はドイツへ帰る。1930年、ドイツに渡ったハリウッドの新進監督ジョセフ・フォン・スタンバーグの手で『嘆きの天使』が作られた。この作品によってマレーネ・ディートリッヒとスタンバーグは、国際的に名をあげ、映画史上に一時代を築く。ヤニングスにとっても、この『嘆きの天使』は、彼の出演作品中最大のヒットとなった。だが、当時すでに評価の定まっていた彼にとっては、単なるヒット作の域を出ず、最後の輝きを放つものとなった。
1933年ナチスが政権を握ると、彼はそのプロパガンダの一翼を担った。ナチスの熱烈な支持者となったのである。この十年間はナチスの政治思想を擁護する作品を作り続けた。ゲッベルス宣伝相は1938年勲章(メダル)を送り、彼の作品を製作する撮影所を与えた。1941年は「帝国の芸術家」として讃えられた。
第2次世界大戦後、ヤニングスは当然連合軍のブラックリストに載り、もう新しく映画は作れなかった。彼は1950年オーストリアで孤独と苦しみの中で死んだ。享年65歳。
[編集] 主な出演作品
- パッション -Madame DuBarry (1919)
- デセプション -Deception (1918)
- カラマゾフの兄弟 -Die Brüder Karamasoff (1921)
- オセロ -Othello (1922)
- 最後の人 -Der Letzte Mann (1924)
- 裏町の怪老窟 -Das Wachsfigurenkabinett (1924)
- ヴァリエテ -Varieté (1925)
- タルテュッフ -Herr Tartüff (1926)
- ファウスト -Faust (1927)
- 肉体の道 -The Way of All Flesh (1927)
- 最後の命令 -The Last Command (1928)
- 嘆きの天使 -Der Blaue Engel (1930)
- 激情の嵐 -Stürme der Leidenschaft (1932)
- 支配者 -Der Herrscher (1937)
- 世界に告ぐ -Ohm Krüger (1941)

