エミール・ヤニングス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
エミール・ヤニングス
Emil Jannings
Emil Jannings
ヤニングスと妻(1929年5月)
本名 Theodor Friedrich Emil Janenz
生年月日 1884年7月23日
没年月日 1950年1月2日(満65歳没)
出生地 スイスの旗 スイス ザンクト・ガレン州ロールシャッハ
死没地 オーストリアの旗 オーストリア ザルツブルク州シュトローブル

エミール・ヤニングスEmil Jannings, 1884年7月23日 - 1950年1月2日)はドイツの俳優。第1回アカデミー賞男優賞受賞。

来歴[編集]

本名テオドール・フリードリヒ・エミール・ヤネンツ。1884年7月23日、スイスのロルシャハに中産階級の家に生まれる。父親はアメリカ人、母親はロシア系ドイツ人[1][2]。16歳には家出し船乗りになり、最後は大洋航路の調理人の助手になる。しかし幻滅して家に戻り、すぐに劇団に入る。18歳で彼はプロフェッショナルな舞台デビューを飾り、チューリヒとドレスデン地方の部隊で古典演劇を学ぶ。1906年ドイツ演劇の大御所マックス・ラインハルトに招かれ、ベルリンのドイツ劇場に出演、『ファウスト』のメフィストを演じた。この十年間でドイツの演劇史に残る俳優となる。

1914年には映画界に進むがお決まりの役柄しか回ってこなかったが、1919年には歴史劇や文芸作品で大いに名を挙げ、1920年代中頃には国際的にも知名度が上がり、『ヴァリエテ』(1924年)、『最後の人』(1925年)などの作品で多くの人々が世界的にも偉大な映画俳優として認めるようになる。

1927年米国のパラマウント映画と契約を結び、ハリウッドに移り、渡米第1作『肉体の道』(1927年)と第2作『最後の命令』(1928年)で初のアカデミー主演男優賞を獲得する。しかし、ひどいドイツ語訛りのため、急速なトーキー映画の進出で米国でのキャリアを終えてしまった。

1929年、彼はドイツへ帰る。1930年、ドイツに渡ったハリウッドの新進監督ジョセフ・フォン・スタンバーグの手で『嘆きの天使』が作られた。この作品によってマレーネ・ディートリッヒとスタンバーグは、国際的に名をあげ、映画史上に一時代を築く。ヤニングスにとっても、この『嘆きの天使』は、彼の出演作品中最大のヒットとなった。だが、当時すでに評価の定まっていた彼にとっては、単なるヒット作の域を出ず、最後の輝きを放つものとなった。

1933年ナチスが政権を握ると、彼はそのプロパガンダの一翼を担った。ナチスの熱烈な支持者となったのである。この十年間はナチスの政治思想を擁護する作品を作り続けた。ゲッベルス宣伝相は1938年勲章(メダル)を送り、彼の作品を製作する撮影所を与えた。1941年は「帝国の芸術家」として讃えられた。

第二次世界大戦後、ヤニングスは当然連合軍のブラックリストに載り、もう新しく映画は作れなかった。1950年オーストリアで癌により死去[3]。65歳。

主な出演作品[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
1918 呪の眼
Die Augen der Mumie Ma
ラドゥ
1919 パッション
Madame DuBarry
ルイ15世
1920 白黒姉妹
Kohlhiesels Töchter
ピーター
アルゴール
Algol - Tragödie der Macht
ロベルト・ヘルネ
デセプション
Anna Boleyn
ヘンリー8世
1921 カラマゾフの兄弟
Die Brüder Karamasoff
ディミートリイ・カラマゾフ
オリベラの勇将
Der Stier von Olivera
ギローム将軍
怪傑ダントン
Danton
ダントン

Die Ratten
ブルーノ
1922 ファラオの恋
Das Weib des Pharao
ファラオ
オセロ
Othello
オセロ
ピーター大帝
Peter der Große
ピョートル1世
1923 愛の悲劇
Tragödie der Liebe
オムプラード
黄金狂乱
Alles für Geld
S. I. Rupp
1924 裏町の怪老窟
Das Wachsfigurenkabinett
Harun al Raschid
ニュウ
Nju - Eine unverstandene Frau
最後の人
Der Letzte Mann
ホテルのドアマン
1925 クオヴァディス
Quo Vadis?
ネロ
ヴァリエテ
Varieté
ボス
タルテュッフ
Herr Tartüff
タルテュッフ
1926 恋は盲目
Liebe macht blind
エミール・ヤニングス
ファウスト
Faust - Eine deutsche Volkssage
メフィスト
1927 肉体の道
The Way of All Flesh
オーガスト・シリング アカデミー主演男優賞 受賞
1928 最後の命令
The Last Command
Dolgorucki
罪の街
Street of Sin
バッシャー・ビル
父と子
Sins of the Fathers
ウィルヘルム・スペングラー
1929 裏切者
Betrayal
ポルディ
1930 嘆きの天使
Der Blaue Engel
イマヌエル・ラート教授
神々の寵児
Liebling der Götter
Albert Winkelmann
1932 激情の嵐
Stürme der Leidenschaft
グスタフ
1933 おしゃれの王様
The Merry Monarch
ボウゾール王
黒鯨亭
Der schwarze Walfisch
ピーター・ピーターセン
1935 プロシヤの旗風
Der alte und der junge König - Friedrichs des Grossen Jugend
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世
1937 支配者
Der Herrscher
マティアス・クラウセン 出演・製作
ヴェネチア国際映画祭男優賞 受賞
1941 世界に告ぐ
Ohm Krüger
Ohm Krüger

脚注[編集]

  1. ^ Roman Rocek: Die neun Leben des Alexander Lernet-Holenia. Eine Biographie. Böhlau, Wien u.a. 1997, ISBN 3-205-98713-6. S. 186
  2. ^ Frank Noack: "Jannings. Der erste deutsche Weltstar". Collection Rolf Heyne, München 2012
  3. ^ Chroniknet.de, 2 January 1950Obituary for Emil Jannings]

外部リンク[編集]